あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

新しい人になります - 2011.06.30(ポケットの窓から)






 

 ブログが一般に公開されて面白いのは、どういった経路でそのブログにたどり着いたのかというのが、正確に誰と言う事は分らないけれど、何となく分ることだ。私という個人を知ってここに来る人はまれなわけで、通りすがりでここにたどり着くこともあまり期待できない。



 最近多くなったのが「小国寡民」いう検索項目だ。元々は老子の理想郷の話で、国は小さくて人は少ないほうがいい。最新の道具があってもそんなもの使わないで、そこで取れたものを食って、着て、住んで、平々凡々暮らしてゆくのが理想だよっていう話。

http://homepage2.nifty.com/sakai

070403/ROSHI/80syokokukamin.htm




 3.11以後の我々にとって凄く耳の痛い話ですな。何でもかんでも効率一点張りで古いものをバンバン捨てて新しいものを摂取して来たがゆえに、まぁ世界中の人々が度肝を抜くような経済的な発展をしてきたけれど、まぁなんと大事な大切なものを失ってしまったんでしょ!もう取り返しはつかないけれど、少なくとも希望だけは失わないで行きましょう。ここからは新しい人になります。

 



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(no subject) - 2011.06.29(ポケットの窓から)



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おねだり体質 - 2011.06.28(ポケットの窓から)






 

 今朝の新聞に吉田秀和がイギリスの民意について書いていた。簡単に言えば新しい技術というものは、まだ発展途上のものであって不確実性を含んだもので、それを踏まえて付き合えというようなことだろうか。



 産業革命を経て先進的な機械文明を謳歌してきた英国は、だからこそ新しい技術というものは輝かしいものであるけれど、もう一方では何かとんでもない失敗が隠れていいるものだということを、身にしみて知っているとうことだろうか。



 かの国の民意がどういうものか、民主主義についても私は何も知らないけれど、知ったかぶりで書くことを許してくださいな。



 我々は政治に対してとんでもない勘違いをしている気がする。未だに「お上」的な考えで、何かやってもらう、してもらうということばかりを期待していないだろうか。本来は民意の総意として「やらせる」という方がただしいのではないかな。



 「やってもらう」というオネダリ体質がやがては天下りに癒着に予算のばら撒きに補助金漬けになってしまうように思う。明らかに負の大きな力が出来上がってしまう。我々の中に、何となく政治とはそんなものだという意識があるようにおもう。



 予算をつけてもらうとか、配分してもらうことに国会議員を何とか利用して既得権として優遇してもらう、仕事を回してもらう、そんな事のために政治と言うものを利用していないだろうか。



 だから、政治というものが凄く胡散臭い、まして政治家という人種がとても尊敬できる人物ではなくて小汚い俗物のように思えてしまうのだ。本当はもっと理想があってもいいように思うのだな。



 我々の中にある「やってもらう」「してもらう」というオネダリ体質を放棄すうることだな。指示を待つのではなく、自分たちが自主的に考えて、国民の総意として「やらせる」という方向にもってゆかねばならないように思うな。どうだろうか。



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(no subject) - 2011.06.27(ポケットの窓から)



 全く懲りずに阿呆なことを言っている輩が利権に絡んで何とか既得権だけでも我が物にしようと最後のあがきをしているので、この国は末期的だなと情けなくなる。普通に常識的に考えてもう原発はだめだろう。何を考えているのやら。
 



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ロビーコンサート - 2011.06.26(ポケットの窓から)








美術館コンサート

 

 美術館で日曜日はロビーでコンサートがある。今日はサキソフォンとピアノの姉妹のDUO、クラッシクのサキソフォンやクラリネットはどうもどんなに上手く演奏してもどこか滑稽だな。失礼だけどチンドン屋を彷彿させる。ドビッシーとかドボルジャークをやっていたけれど、日本の城ヶ崎の雨が一番良かった。私が下世話だからだな。申し訳ない。



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総懺悔 - 2011.06.25(ポケットの窓から)






 

はる 3653

 私たちはとんでもない過ちを犯した。どう悔やんでも取り返しのつかないことを仕出かしてしまった。薄々気がついてはいたんだけれど、強く反対しないでいたために、賛成もしくはどちらかと言えば賛成と捉えられていたようだ。こういうことって結構多いよな。



 「絶対安全です」と繰り返していると、何だか安全なんだと思ってしまうところが恐ろしい。安全だから壊れたことの準備や供えは必要ないんだ。もしもと言う事がない、なぜなら「絶対安全」だから。で壊れたら「想定外でした」と頭を下げればいいと考えている。



 弁償するとか、保障するとか、そんなことを本当に出来ると思っているのだろうか。汚れてしまった大地や空気や水や森や海は先祖から仮に預かっているものだ。当然普通に子孫に残して行かなくてはならない。元通りにするのに百年も二百年もかかるような、人間業でないものをどうやって弁償するというのだ。



 総懺悔だな。ほんとうに申し訳ない。だから50歳以上の我々は進んで汚染された食べ物を食い、よごれた大地をきれいに掃除するんだな。で、出来るだけ汚染の少ない食料は若い人に譲る。それで原発は我々が生きている間に全て停止するようにする。それが反対の意思表示をしてこなかった最低限の我々の責任だな。



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山口画廊個展 - 2011.06.24(写真)

Voice - Wong Wing Tsan







夜の舟




2011年 6/22(水)~7/11(火)

第56回・榎並和春個展

個展タイトル「遠い記憶4」


千葉・山口画廊

〒260-0033

千葉市中央区春日 2-6-7

春日マンション 102

Tel.&Fax. 043-248-1560

(展示風景・山口画廊撮影)



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閉じられた宇宙 - 2011.06.23(ポケットの窓から)






 

はる 3651

 いつの間にやら今日は午前様になっていました。今日も忙しい一日だった。



 午前中は美術館に出かけてグループ展の会場当番、その後デパートに震災のチャリティー展の様子を見に行く。千葉の山口画廊では個展が始まった。場所は違うけれど今三箇所で展覧会が同時進行で開催中。売れっ子作家のようだ。



  上の作品は昨年の国展に出品した作品。今年の作品は地方巡回で間に合いません。来年出す事になるでしょうか。私の描き方だとアトリエが狭いということもあってF130号が限界です。で、ぎりぎりいっぱいの絵を描いたとしても、こうやって大きな会場で見るとどうしてもせせこましい詰まった感じがする。



 アトリエだけの問題ではないようにも思うけれど、やっぱりその器というのは知らず知らずに影響を受けるものだと思うな。兄貴から養殖魚の話を聞いた時になるほどなぁと感じたのは、どんなに大きくなる魚でも人工的なイケスで養殖した場合、外洋で取れる魚のようには成長しないそうだ。その器に合った大きさにしかならない。ということから考えると、例えばアメリカの現代作家のようにでかい工場跡みたいなところで仕事している作家には、スケールと言う事で比べると勝てるはずもないな。



 絵はスケールというのか大きさで勝負するものではないから、一概に彼らの方がいいとはいえないのだけれどね。一つの要素で考えるとお話にならない。



 絵の描き方にもよるのだろうけれど、例えば(佐々木豊説)で言えば、編み物派というのかな、どんどんつなげて行く描き方だといくらでも大きくすることが出来る。植物とか原始的な静物が増殖してゆく様子に似ているかもしれない。あえて全体を考えない。出来上がったのは作業が終わったところ、という描き方だ。建築でもガウディなどはこれに近いかな。どちらかと言えば女性の作家に多いように思う。



 反対に我々というのか男性の作家は構築派というのか、全体を一つとして見るというのか、そういった傾向が強いように思うな。閉じられた一つの宇宙を絵の中につくり出すということかな。だからある程度全体を把握していないと不安なんだな。だから手に余るような大きな作品は描けない気がする。どうだろうか。



 眠くなった。



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応援団 - 2011.06.22(ポケットの窓から)







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夜の停車駅 - 2011.06.21(you tube)



 




  今でもこの番組はあるのでしょうか?私が聴いていた頃は日曜の夜、まさにメランコリックな気分に拍車をかけるような番組でした。このバックに流れている曲はラフマニノフのヴォカリーズです。ラフマニノフといえばロシアの作曲家の巨人ですが、、こんなメランコリックな美しい小曲を書いているのですね。彼は多分うつ病だと思う。




 



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「時分の花」 - 2011.06.20(ポケットの窓から)






 

 「美術の窓」七月号寸評p173

 *「時分の花」とは世阿弥の「花伝書」の中にある言葉である。若いときには若いときの花があり、老人には老人の花があるという意味。ふたつのパートからなっていて、右のほうには車椅子の老人、そばに別の老人が座っている。左には能を舞う人がいる。画面から独特のリズムがあらわれてくる。・・・以下略



 今地方を巡回している今年の国展の展覧会の寸評が出ている。昔は各新聞社も必ず団体展の展覧会評を掲載していたものだが、いつの間にかほとんどの新聞は載せなくなった。単に名前の羅列で終わっていた展覧会批評など意味のないことだったが、それはそれで載れば励みにはなった。誰も見てはいないのだけれど、当人にとっては大事なことだったな。



 この「美術の窓」の団体展批評は最後まで残った珍しいケースのように思う。一つ一つ画像も掲載されているし、何よりも只であるというのがありがたい。その分著作権など細かい事は主張しないという暗黙の了解で成り立っているようだな。明文化はされていないけれど。



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展覧会二つ - 2011.06.19(ポケットの窓から)









  今日は忙しい一日だった。午前中山口画廊の山口さんが今度の個展の絵を取りに来た。少し休んで昼からはバールスローで飯野さんの浅川伯教についての話を聴く。戦前、戦中の朝鮮の焼き物の研究及び紹介に尽力した日本人の話。今でこそ李朝の焼き物と言えばその毅然とした素朴な味わいが好事家の間では人気だけれど、当時は地元の朝鮮でも誰も振り向かないただの民間の焼き物だった。その美しさを発見して窯場を発掘研究して世界に紹介したのがこの浅川伯教・巧兄弟だった。興味ある話ありがとうございました。



 展覧会のご案内二つ。

 「第21回スクエア展」 

併設「保坂公久個展」


6月21日(火)から26日(日)まで

山梨県立美術館県民ギャラリーB

21日正午から 26日午後4時まで





山梨美術協会

東日本大震災復興支援 チャリティー展


2011年6月22日(水)~27日(月)

午前10時~午後7時 

(22日は午前10時半から、27日は午後1時まで 

【会場】 山交百貨店 5階催事場







diary

F3  2011

チャリティ展出品作

 







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さまよえる日本人 - 2011.06.18(ポケットの窓から)






 

はる 3646

 原発の事はあほらしくて、ばかばかしくてもう話題にしたくほどだ。これほど国が国民をないがしろにしているとは思わなかった。多くの人はそれでも国を未だに信じていて、悪いようにはしないだろうなどと考えているようだ。



 今頃になって放射能の値を計りだしてあまりに高濃度などで驚いている。もう既に原発の爆発から三ヶ月以上過ぎてしまって、あらかた大きな濃度のものは出てしまった後なんだ。一番凄い濃度の時は3/15日前後でその頃の濃度を10,000とするとたとえ今から原発が爆発しても10,001になるか10,002になる程度だ。(武田さんの説より)



 今からやれる事は出てしまったチリを出来るだけ飛ばないように、染み込まないように、拡散しないように、一箇所に集める事だけだ。国は悠長に傍観しているのではなく、揚げ足取りの茶番をやっているのではなく、積極的にメッセージを出して、人員も出して一日でも早く掃除する事だろう。それでもどうなるか今までの経験がないので分らないのだけれど、今やらなければ半世紀人が住めない場所がどんどん広がって行く事になるだろう。



 我々はモルモットみたいなもので、いまだかつてこれほど狭い地域で、人口の密集地近くで放射能汚染があったことがないので、興味津々で見ていると思うな。それでも我々はここを捨てて生きては行けない。私たちはここで生きてゆくという選択しかない。



 しかし、もしこれからの若い人たちがここを出て行くというならば引き止めることはできない。出エジプト記みたいな悲劇だな。



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絵の中の物語 - 2011.06.17(ポケットの窓から)






 

はる 3645

 はっきりとした方向が見えていたわけではない。当たり前に取材して構想を練って下絵を描いてという手法がまどろっこしくて、物事の説明で終わるような気がしてね。どうにも自分のがさつな性格には合っていないように思えた。



 それに、下絵を描いている時のウキウキとした楽しい気分が本画になると感じられないのも不満だったな。どうなるか分らないけれど、手探りで試みている時の方が絵を描く醍醐味があるような気がしたんだな。



 いつ頃からかなぁ、まったく下絵を描かなくなった。大きい絵でも小さい絵でもほとんど同じで全てぶっつけ本番で、絵の中に絵を探すという全く成り行き次第でどうにでもなる描き方に変った。だから見る人がみたら、全くでたらめなことを平気でやっていると見えるだろうな。



 絵の中に何かしらの物語があるのが好きだ。人によってはそういった文学臭を嫌う人がいるけれど、私はあるものを否定する方が不自然だと思うな。形ある絵には元々物語がついているのだ。人は形あるものを見た時に自然に何かしらの物語を感じているはずだ。抽象的に美しいと言うこともあるけれど、それもどこかで見た風景や光景の一時のかたちであったのではないかな。よくわからないけれどね。



 まぁ凄く難しいのだけれど、だからと言って挿絵のように物語の説明に始終してしまったら、それはそれで違う。



 ここでまた眠くなった。すまん。



 



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最後の職業 - 2011.06.16(ポケットの窓から)






 

はる 3643

 美術部の生徒から「美大に行きたい」という相談を受ける。そうだな、彼らは簡単に将来の夢として画家とか工芸家など作家活動が出来ると考えているんだろうな。わかる、わかるから余計に心配してしまう。本当に真剣にそれでいいのかなんてね、美大など出ても作家など簡単にはなれないのだよと口から出そうになって、飲み込んだ。余計なことだよな。



 自分のことを考えて職業として選んできたという自覚はあまりない。色んなことをやってきて、最終的にこうなってしまったというのが本当のところだ。きらきらと輝いて、希望に満ち溢れて作家を志望して来たわけではない。だからまぁ、あまり夢を壊さない程度に勧めるしかないか。



 誰かが書いていたけれど、「作家」は人として最後の職業だから最後までとっておけと。世界一周して最後に作家になってもいいし、もっといえば泥棒やって最後に作家になってもいいわけだ。人生の経験が全て無駄なく肥やしになるのが作家だといわけだな。そこまで待てということか。



 



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アイディア - 2011.06.15(ポケットの窓から)






 

 小品のアイディアというのはとても難しい。普通絵は何かしら具体的なものを描写されていて、それが何であるか分るというのが最初の一歩でしょう。何が描かれているのか分らないものなどほとんどの場合、作品にはならない。凄く名前のある人なら別だけれどね。



 だから最初は何か具体的な物や風景をスケッチやデッサンを基にして作品にして描いてゆく。ところがスケッチを基に描くのは簡単な事だけれど、ただそれだけで終わってしまう。誰が描いても大した違いはない。また一枚のスケッチからニ三枚も描けばそれでネタは尽きてしまう。



 右のものを左にして、さらに何かを加えて組み合わせても高が知れている。それに自分自身が描く事に飽きてくる。年に30枚も描かねばならないのだから、最初の一年はなんとかしのげても、次の一年はもうアイデァが尽きてしまう。



 それでも4,5年は何とかやれていた。しかし、そろそろ限界に近づいていたように思うな。自分自身がもう面白くなくなって来たんだな。



 油彩画を止めるきっかけもそこらあたりにあったのだと思うな。

 

 物を描写するという基本的なことから離れた場合、モチーフは自分の心の中を見つめるしかない。これがまたなかなか難しい仕事で、それが絵になって見えるものになって、それに多くに人を巻き込めるようにはなるには時間がかかる。



 今日はここまで、もう少し書くつもり・・。

 



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何か変った? - 2011.06.14(ポケットの窓から)








 

はる 3641

  震災から三ヶ月が過ぎた。何かが変ったかといえば、何も変っていないような気もするし、まったく変ってしまったようなきもする。政治はあいも変らず茶番ばかりを演じていて、日本の不幸はこんな政治しか持てないというところから始まっている気がするなぁ・・。



 なぜ未だに一企業である東電が事故処理に当たっているのだろう。もう既に一企業が何とかできる規模をはるかに超えてしまっているだろう。下手すれば日本の国土が半分になるかもしれないという事態なのに政府はなぜ傍観して指図しているだけなんだろう。東電などは基本的に営利を目的にした私企業なんだから、安全より儲けを選択するに決まっている。そんな企業に事故処理を任せていいのかね。



 「健康に直ちに影響はない」などと言ったのは、基本的に放射能の被害がどういうものか知らなかったからだと思うな。日常生活していたら、普通に生活していたら「原発は安全だ」という宣伝で洗脳されているから、爆発するなど考えもしなっかたからね。爆発したら放射能のチリが撒き散らされて、ほぼ全員が被曝するなど、もし知っていたらあのような対応はできなかっただろう。



 で、本当は国民の側に立って一番最初に警告を発しなければならなかった組織は原子力安全委員会だったんだな。これがまったく役人根性丸出しで、何の役にも立っていなかった。こやつらが一番悪い。仕事していない。何知らぬ顔でテレビの前に出ていることが許せんな。



 地震がおきたら原発は壊れる、壊れたらどうなるかということを彼らは知っていた。知っていたにもかかわらず、知らない振りして済ませていた。基本的に事なかれ主義で、自分たちの担当の時期さえ無事に過ぎてしまえば、後はどうでも良かったからだ。何もおきないでくれ、おきてしまえば運が悪かっただけと考えていたはずだな。「すみませんでした」と頭を下げさえすれば、時がやがて解決してくれる。今までもそうだったからね。



 

 



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(no subject) - 2011.06.13(ポケットの窓から)






 

はる 3640

 一日下地のコラージュから次の壁土を塗り込んだりする。小さい作品は同時に70~80点取り掛かる。ほぼ一年分の下地を一気に作ってしまう。ただこれがそのまま作品になる事はほとんどなくて、気に入らないとどんどんつぶして上に描いてゆくので、おおよそ二倍以上は描く事になるだろう。これが多作なのか、少ないのかよく分からないけれど、私にとってこれが限界かな。



 一つ一つにはあまりこだわらない。どんどん作業を続ける。何も考えない、考えていては前に進まない、無作為状態。面白い、いいと思ったものがいいと自惚れている。今は考える時ではない。どんどんやる。体育会的なノリでやってゆく。



 今の状態だけ見ればほぼ抽象画だな。でもこれでもけっこういい作品があるんだな。下手な絵を描くよりずっといいと思う事がよくある。まぁ言ってみれば自然の一部を切り取ったみたいなものだからね。私と言う人間を通して表現されてはいるのだけれど、私はほぼ無意識状態で作為的なものが抜け落ちているからだ。だからそうするためにには一つ一つで留まって考えていてはいけないのだな。これも修行みたいなものだ。



 で、ここからが難しいのだな。この中に自分のイメージを見つけるのだけれど、描けば描くほど作為的でつまらない絵になってゆく。でまた壊す、描く、壊す、の繰り返しになる。どこで終了するかだな。



 イメージもまたどんどん搾りだす。とことん搾ってもまだまだ出て来る。自分を出すなんてことはまだ甘っちょろい。とことん出して、自分を通り越してその向こうにあるものまで出してしまう。出てしまったというところまでゆく。そこまで行かなければ本物にはなれないのじゃないかな。



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浅川伯教・巧について語る会 - 2011.06.13(未選択)
 



「浅川伯教・巧について語る会」

 時   2011年6月19日(日) 

12:30~3:00

 場所 Bar Slow バール・スロー

    山梨県甲府市丸の内1-19-21       

TEL/FAX 055-226-8625

   peace@bar-slow.com

 


講師 飯野正仁



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(no subject) - 2011.06.12(ポケットの窓から)



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山口画廊・画廊通信Vol.91  - 2011.06.11(ポケットの窓から)






 

はる 3638

 山口画廊の画廊通信が送られてきた。毎回楽しみにしている。勝手転載します。不都合があれば削除します。

http://home1.netpalace.jp/yamaguchi-gallery/top.cgi



**********



画廊通信 Vol.91   花であること



 毎年11月頃、地元の甲府で榎並さんの個展が開催されるのだが、その回から以降1年間の個展には、すべて同じタイトルが冠せられる。よって今回の「遠い記憶」は、昨秋から続く今期のテーマである。個展のパンフレットに、画家はこのようなコメントを寄せている。



 お腹の赤ちゃんの成長は、生物の発生からの進化の様子と、とても似ているそうです。それと同様に一つの作品が出来てゆく過程は、作家の過去から現在までのスタイルの変遷を少しずつ見せているように思います。一つの作品は突然そこに現れてきたのではなく、今までの経験が何らかの形で沈み込んでいて自然に出てきます。一つのスタイルは作家の生き様でもあるように思います。



 さて、ある程度地塗りがいい感じに仕上がってくると、そろそろ画面の中にイメージを見つける仕事になります。ほとんどの場合、最初のインスピレーションはありきたりでつまらないものが多いようです。面白くないアイデアは思い切って捨てます。そうやって何度も何度も繰り返して自分の心の中を覗き込むような仕事をしていますと、少しずつ何かが熟成してきます。時に、自分では絶対に描けないような作品になったりします。



 私の仕事は様々な事柄の底の方にある「遠い記憶」を探し出して、誰でもが共感できるものに形を変える事ではないかと思っています。それが出来たかどうか、今年もまたそんな作品を並べます。御来廊こころよりお待ちしております。



 以上、画家ご本人の個展紹介である。これ以上くどくどと解説じみた事を言うのも、無粋というものだろう。だから今回は視点を変えて、榎並さんの文章家としての側面を、お話したいと思う。



「ブログ」という名称が、いつ頃から一般的になったのかは忘れたが、榎並さんは「ブログ」という言葉が出来る遥か以前から、ホームページを自ら作成して、日々のエッセイを公開していた。ちなみに、現在のカウントは3600番台、という事は軽く10年を越える計算になる。日々の雑感はもちろん、芸術論・宇宙論・人生論・折々の時事問題に到るまで、その快刀乱麻にして縦横無尽、飾らないストレートな物言いは、当り障りのないどうでもいいようなブログばかりが蔓延する中で、誠に小気味良く面白い。時おり、話の途中で「眠くなったので、また」と寝てしまったりするので、こちらはその続きを待っている訳だが、翌日は全然関係のない話になって、忘れた頃に続編が復活したはいいけれど、また寝てしまったりという具合で、その脈絡のなさもいい。



 震災以降は、いち早く原発報道の信憑性に異議を唱え、国民への欺瞞に満ちた対応を舌鋒鋭く批判し、独自の観点からの考察を発信し続けている。毎日欠かさず更新されているので、ここではほんの一部しかご紹介出来ないが、この一年ほどのブログから芸術に関する発言にテーマを絞り、印象に残った言葉を抜粋してみたい。



2010.09.25 表現というのはどうにも不思議なもので、食うに困らない、切羽詰まったものでないところからは、人を心の底から揺さぶるようなものは、出て来ない気がします。もう後がない、やむにやまれぬ、土壇場のところから、本当のものが出て来るのでしょう。



2010.12.07 新しいこと、誰もやっていないことばかりに囚われていると、一向に新しいものは出て来ない。なぜならそれは、今の延長上にあることだから。言ってみれば、誰でもが遅かれ早かれ考え付くことだからだ。縦の物を横にするといったバリエーションでしかない。

 本当の独創というものは、元に戻った源泉から問い直すことからしか、出て来ないと思う。



2011.01.05 大きな団体に属していると、自然にある種のピラミッド型のヒエラルキーが出来る。自然、なんとなく一般の人たちより優位な立場にたってものを言うことが多くなって、いつの間にか自分が偉い人になった気になっていないかな。そこのところ充分に注意しないと、間違いを起こす可能性があるな。

 何も偉くない。ただの風来坊だ。ただの旅芸人みたいなものだ。



2011.01.09 評論家を目指して勉強中という若い人が来た。「これは誰々の影響を感じますね」「この部分は誰それですね」と分析する。確かに当たってはいるのだけれど、あまり気分のいいものではない。

 どんな作家であろうと、作品であろうと、誰の影響も受けない全くのオリジナルということはありえない。一つの作品は、作家がそれまで受けた影響の総まとめのようなもので、どれだけ多くを受け入れたかが作品の奥行きの深さ・重さになって来るように思う。謎解きしたところで、最後には何も残らない。



2011.02.08 多くの人は「私を見て」というために絵を描いている。だからどの絵にも「私が、、僕が、、」という自己主張の声しか聞こえない。一点や二点なら聞いてもくれるだろう、でも大体が飽食で気持ち悪くなる。私は反対に見る人を「引き込もう」と考えている。出すのと入れるのでは180度違う。何か共通の想いを持つこと。誰にでもどこにでもあるものを探すこと。



2011.02.09 少し見えたと思った取っ掛かりは、セザンヌだった。今から考えると、彼の絵は自己主張しているようでしていない。「私が、、僕が、、」と言う声が聞こえないのだ。淡々と内に向って、ただひたすらに根源へと向って降りている。



2011.05.15 できるだけ「わざ」を見せないようにする。まあ決して上手くはないのだけれど、筆が走るところを見せないとか、お洒落な配色をあえて外すとか、上手さを見せるなら徹底して上手ければそれも持ち味になるのだろうが、そこそこ上手い程度じゃどこにでもいる。だから徹底して外すことを良しとしている。

 好みの絵もそういった絵が多いな。上手さが見えると「なあんだ、あんたはそれを見せたいのか」と、底が見えたようでがっかりする。下手くそな、無器用な、作為の見えない絵がいいな。まあ、傲慢な独り言だ。見逃してくれ。



 こうして過去のブログをひっくり返していると、幾らでも抜き出したい言葉が出て来てしまうので、この辺で切り上げようと思うのだが、もう一つだけ、初回展の時に寄せて頂いた言葉を掲載しておきたい。どうして一昨年のブログなのに、ここで特別に取り上げるのかと言うと、自慢したかったからである。私はこれを読んだ時、胸が熱くなった。ここまで言ってもらえたら本望だ、思い残す事はないと思った。以下、その時の抜粋である。



2009.07.20 銀座には200も300も画廊がある。それも雨後のたけのこのように出来ては引っ込んで、また新しく出来るといったことを繰り返している。そのほとんどが一般に貸し画廊というレンタルスペース専門の、画廊とは名ばかりの展示場でしかない。本来画廊とは画廊のオーナーの眼力を問う場であって、金さえ出せば出来るようなレンタルスペースは、画廊とは言わないのじゃないかな。銀座みたいな場所だから経営は成り立つけれど、画廊の本来の仕事をしていない。



 私がもし画廊をやるなら、貸しスペースなど一切やらないな。独断と偏見で自分の好みを一方的に押し付ける。私が選んだ、私が見い出した、いいと思った作家のみを扱って誰の意見も聞かないその代わりにだめだったら、その責任をとってやめる。そういったものだろう、画廊というのは。生きるか死ぬか、真剣勝負の場所だ。



 山口画廊のオーナーは、そんな画廊本来の仕事に情熱を傾けている。ほぼ一ヶ月に一人の企画、年間で12~3人しかやらない。これだけ聞いてもその姿勢がわかる。なんとか報いたいと切に思う。



 昨年のブログの中で、榎並さんは石原吉郎という人の詩を取り上げている。不勉強にして、初めて耳にする詩人だったが、一読して何か異様な気迫を感じた。深い内省の中から、揺るぎない決意を秘めて、厳しく起ち上がる言葉。今回ブログをさかのぼっていたら、思いがけずその詩に再会する事になったのだが、震災を越えて今、この詩は津々と更なる輝きを発するようである。



 調べてみるとこの詩人は、戦後シベリヤの強制収容所に、8年もの間抑留された経験を持つ人であった。だから「花であること」と題されたこの詩の中で、「花」という言葉の持つ本当の重みは、たぶん私達には分からない。徹底して無抵抗で脆弱な存在、否応なしに翻弄され、踏みにじられ、為すすべもなく消えゆくもの……。



 震災以降、芸術に何が出来るのかという問いを、よく耳にする。芸術の存在意義が問われる、困難な設問である。しかしそもそも芸術とは、実用から離れた純粋な表現であった筈だ。とすれば、元来芸術に実用価値はない。よって災害や戦争といった極度の暴力の前で、芸術はあらがう一切の手だてを持たない。この「何も出来ない」



「何の役にも立たない」という覚悟から、芸術は始まるのではないだろうか。作家はただひたすらに役に立たないものを、命を削って作り上げ、世に送り出す。それをどう受け止め、どう活かし、どう役立てるのかは、徹底して受け手に委ねられている。芸術の存在意義は、むしろ受け手が作りゆくものではないか。



 ならば送り手である芸術家の為すべきは、せめて受け手にまで響き到るような、強靭な「花」を咲かせる事だ。強大な力に翻弄され、為すすべもなく蹂躙されてなお、幾度も幾度もその下から、よみがえり咲き直す、力ある一輪の花を。



 昨年の個展に際して、案内状には「こしかた(一輪の花)」と題された作品を使わせて頂いた。一人の女性が、かけがえのない思い出に囲まれて、祈るが如く捧げ持つ一輪の花。それは人生という歩みの中で、ささやかに彼女の咲かし得た、誠に小さな一輪であったのかも知れない。しかし榎並さんはその物言わぬ花に、誰の心にも清らかな微笑みを灯す、確かな質実の力を宿したように思える。



 前述した石原吉郎の詩を、最後に記したい。





 花であることでしか

 拮抗できない外部というものが

 なければならぬ

 花へおしかぶさる重みを

 花のかたちのまま おしかえす

 そのとき花であることは

 もはや ひとつの宣言である

 ひとつの花でしか

 ありえぬ日々をこえて

 花でしかついにありえぬために

 花の周辺は的確にめざめ

 花の輪郭は

 鋼鉄のようでなければならぬ





  山口画廊 / 山口雄一郎



 



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今だから言えること。 - 2011.06.10(you tube)


 

 

 週に二度ほど出かける学校は実業高校だから運動部の部活が結構盛んで、何年かに一度は甲子園に出場したりする野球の名門高校だ。まぁそういった訳で他の運動部も盛んで、生徒は勉強に学校に来るよりも部活をしに来るという感覚かもしれない。



 私がこの学校に非常勤で教え始めたのは、一つは毎日勤める正規の教員がどうにも務まらなかったということが始まりだ。どうしても続けることが無理だと思ったので、とりあえず逃げたというのが本当のところだ。だから、絵を描くためにというのは方便でしかない。



 今でこそ、いっぱしの顔をしてやむにやまれぬ欲求があって絵の道にすすんだようなことを言ったり書いたりしているけれど、本当のところはそんな立派な理由ではない。単に働きたくないそれだけだ。



 子供の頃から日曜日の午後になると憂鬱になった。これはある種の気質の問題なんだろうけれど、大人になってもやりたくない事をやり続けなきゃならないのか、そんな人生はなんとつまらないのだろうと子供心に思っていた。みんなそうなんだろうな、程度の差はあるけれど。



 そんなだから、未だに学校のある日は腹具合がおかしくなる。家でも学校でも何回もトイレに行く。ひどい時は下痢だな。もう30年やっているのだけど、変らんな。長年やっているからそ知らぬ顔で、教師を演じる事はなかなか上手くはなったけれど、一生慣れないな。 



 そんな私でも、最近ちらっと幸せな気分になったときがある。なんだろうなぁ、まったく気分的なものなんだけれど、例えば放課後にブラスバンドのトランペットの音がパラパラ聞こえてきたり、野球部の生徒の掛け声や金属バットでボールをうった「コキーン」という音が聞こえたり、生徒がばたばたと階段をすれ違い様に「さようなら」などと声をかけてゆく。夕日が沈んでゆく。



 凄く言葉では表しにくい感覚なんだけれど、未完成の人間が何か一つの事に一生懸命なっている姿というのがいとおしいなぁと思ったんだな。今までかつて味わった事のない感覚だな。年取ったということかな。30年経って還暦近くなってやっと教師もいい仕事かなと思った。もっと若いときにこれが分っていれば私は教師をやめなっかただろう。まぁ今だから言えるのだけれどね。


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目先の事 - 2011.06.09(未選択)



 


はる 3636

 県の美術館は綺麗な森を持っていて、駐車場も完備していて県内の施設として県内外にアピールするには絶好の条件を備えている。どこの国でも美術館のレストランは人気があって、そういった付属に施設としてはミュウジアムグッズと共に付加価値を付けて売り込めるチャンスではあるのだな。



 県はそれを知ってか知らずか、あえて外したのか儲ける事は県の施設として恥ずかしい事とでも思ったのか、その施設を充分にはいかしていない。公の施設の最も悪い例のようなサービスしか受けられないレストランと紙コップのコーヒーをオープンエアーのパラソルの下で飲んでも少しもウキウキした気分にはならないのだ。



 このレストランが営業する前にまわりの同じような飲食店にアンケートをとったら、営業妨害になるので夜は営業しないで欲しいという結果がでたそうだ。そうなんだろうか、短い時間で考えたら多少お客さんは取られるかも知れないが、長い目で見たらそのうちに全体的にお客さんが増えて共存共栄できるのではないかと思う。まぁ結果はお役所の判断で取りやめになったそうだ。



 その結果かどうか、結局まわりの飲食店も営業不振でコンビニにかわってしまった。コンビニなど美術館のまえに必要か?田舎の親父の考える事は目先の事ばかり、なさけないなぁ。。



 同じようなことで、トップの器というのも難しい。案外茫洋としていて色々と細かい事に口を出さないタイプが一番いいように思う。



 聞こえてますか?



 



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山口画廊個展DM - 2011.06.08(ポケットの窓から)








2011年 6/22(水)~7/11(火)

第56回・榎並和春個展

個展タイトル「遠い記憶4」


千葉・山口画廊

〒260-0033

千葉市中央区春日 2-6-7

春日マンション 102

Tel.&Fax. 043-248-1560


 

 今月の22日からの千葉の山口画廊の個展のDMが仕上がってきた。このDMになっている作品のタイトルは「逃避行」だ。この作品を描いた頃はまだ東関東大震災がおきる以前のことで、もちろん原発の放射能もなかった。今から考えると随分と平和な世の中だったんだなと思う。ほんの少し前だけれど、それ以前とその後というのは人生観を違えるほど変ってしまった。



 常識の中では物事から逃げるのは卑きょうだということになっている。逃げていたのでは何も解決しないのだとね。けどね、それが出来る人なら雄雄しく戦って行けばいいのだ。でもそれがみんな出来るかといえばそうじゃないね。私なんかはだめ人間だから、あまりにも大きなプレッシャーがかかると逃げ出してしまう方だろうな。



 逃避行はけっこう私の人生そのもの、生き方だったりするな。どうだろうか。



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スケッチにでる - 2011.06.07(ポケットの窓から)






 

 はる 3634

 恒例のスケッチに出る。学校の近くの小さな川辺に大きなケヤキが並木になっているところがある。こうやっておとなしく絵を描いている様子はなかなかいい。白い髭の爺さんが孫たちを連れて絵を描いているほほえましい光景に周りからは見えるであろう。が、内実はそうでもなくて、けっこう脅しをくれているので、仕方なしにやっているところもあると思う。



 彼らには芸術の選択権はなくて強制的に美術を選ばされている。だから当然好きでもない、嫌々しぶしぶやっている奴もおおいだろうな。でもまぁ、こうやって嫌々でも絵筆を持ったという経験はやがていつかは思い出となって彼らに残ってくるのだ。今日も「一期一会」の話をしたのだけれど、絵を描く機会など社会にでると全くない、いずれ退職して暇になったらと思っているかもしれないが、暇になっても絵など描かないのだ。いまここで絵を描く事が最後なんだ、たぶん。



 絵など描かなくても暮らしてはいけるだろう。何も不足は感じないで一生絵と関係なく生きてゆく事は可能だ。でもなぁ、考えてみてくれ。古今東西、おびただしい絵や彫刻やオブジェなどが、人類の財産として宝物として残されているんだな。それはなぜなんだろうとね。



 まぁそんなことを話をしたけれど、彼らには何も伝わっていないかな。



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好きな事をやり続けること。 - 2011.06.06(ポケットの窓から)






 

  今の仕事のやり方になって今までと大きく違うのは、絵の具の使用頻度がすくなくなったということだろうか。絵を描いているという時間より物を作っている工作している、布を切ったり貼ったりしていることの方が断然多くなった。絵の具の変わりにどこからか買い集めてきたプリント地の布が絵の具に変って下地の色やマチエールになる。



 元々私は工作少年のなれの果てのようなところがあって、無い物は自分で何とか工夫して作ることに生きがいを感じる子供であった。私の部屋の片隅には家中の要らなくなった箱や布や壊れた道具が集まってガラクタ置き場のようになっていた。



 何でも糊で固める今のやり方のルーツは紙粘土でつくった人形にあるきがするな。元々はリアルな動くロボットを作りたかったのだけれど、そのうちに人形になってしまった。紙粘土も新聞紙とのり(こののりも自家製の糊でメリケン粉で作った)でつくったものだ。



 油絵などよくは知らなかったけれど、どこかで手に入れたラファエロの絵を板に貼ってニスを無って油彩画のような雰囲気にしたり、ガラスに裏からカラーマジックで絵を描いてステンドグラスのようにして飾ったおぼえがる。やっていることは基本的に今と変らないなぁ。



 先日新聞の仕事の話に音楽家の松任谷正隆の話が出てた。自分は好きな事をしてきたんだから、別に売れるとか売れないなどというのは考えてこなかった。好きな事をやる、やり続けることの方が大事じゃないか、という風な事が書かれていた。まぁ成功した彼だからいえることだけれど、基本、仕事というのはやりたい事、好きな事をやりたい。家族とか収入とか色々考えるとなかなか思うようにはいかないのだけれど、やりたい事やって、例えば一生うかばれなくても、それはそれでいい人生だと言えないかな。この歳になったからいえるのかもしれないけれどね。



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(no subject) - 2011.06.05(ポケットの窓から)










団野雅子展

甲府バールスロー





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ジョンタイターの予言



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「いまここ」の中に永遠が見える - 2011.06.04(ポケットの窓から)






 

裸婦クロッキー展

6/4~6/19

(6/13休廊)

三彩洞

甲府市貢川1-1-12

055-226-8393

私も二点ほど出品します。

はる 3631

 毎年秋になる今年の稲の生育状況なるものが発表されて、今年はややいいとか豊作だとかランク付けされる。これは個々の田んぼの生育状況から全体の状態を推測して判断するのだろう。



 似たようなことだけれど、選挙結果などもまだまだ開票状況が半分にも満たないのに早々に当確が出たりする。ほとんど間違う事がないのはいつも不思議だなぁと思っている。



 確立の話は二次世界大戦のころから盛んに研究された始めた新しい学問だ。その頃から開発され始めたコンピュータと連動する事によって情報さえ正しく入力されれば、かなりの正当性のある予測ができるようになった。



(文部科学省が放射能影響予測スピーディなるもので早い段階で知りえた情報を発表しなかったということを今ここで話題にするためにこの話を持ち出したのではない。しかし、このことは今回の原発問題を象徴する出来事だな)



 すこし理屈っぽくなります。我慢して読んでください。



 「いま」の私は「10年前の私の選択」の結果になるわけだ。もっと言えば私が生まれてから今までの連続した選択の結果が「いま」の私を形作っている。ゆえに「いま」の自分というのは過去の自分の集積したもので、いまに過去が凝縮していると考えらる。「いま」の自分から過去の自分を推測する事はそう難しくない。稲の作柄のように今の一瞬を見ることで、今までの自分を知る事が出来る。



 そして同じように、今の延長に未来があって、将来どんな人生になろうが、必ず今を始点にした延長線上に未来の私があるわけで、また同じように「これからの私」というものも推測できる訳だ。



 もう幾度となく話題にしているので、新しくはないのだけれど、この話を一人の人生の話ではなく時間を無限大に引き延ばせば宇宙の生成の話になり、そして永遠の未来の話にもなる。



 一人の人間の「いまここ」の中に永遠が見えるということだ。 



 お疲れ様でした。



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砂漠の民、放射線の民 - 2011.06.03(ポケットの窓から)






 

はる 3630

 昨日の続き

 で、世界中で歌や踊りや絵や芝居を持たない民族はいない。人は嬉しい時、悲しい時、どうしようもいない悲しみに打ちひしがれた時に、何よりもまず「いのる」のだ。手を自分の前に組んで祈るのだ。その祈りの形というのは不思議にみんな同じなんだな。祈る対象は違ってもね。祈る事である人は慰められるし、ある人は勇気付けられる。そして明日に向って少しでも前にすすむ事ができるのだろう。



 芸術は信仰ではないのだけれど、そういった「いのりのかたち」が例えば歌になり、絵画になったり、芝居になったりするのだ。古今東西違いはあれど、時間のふるいにかけて残っているものは、人間のそんな切実な願い、心のそこからにじみ出てきたもののような気がする。それ以外のものは全て跡形もなく消えてなくなってしまう。



 少し話が飛躍します。



 自然環境が苛酷なほど強い想いが形成される。例えば一神教が生まれる風土は厳しい砂漠の民からであった。生きるためには、生き残るためには他との境界をあいまいにしては生きては行けない。生きるか死ぬか、二者択一的な強い信仰が生まれるのは故あることだろう。



 反対にアジアのモンスーンに住む我々は、他との共存が可能な豊かな土壌や水辺に恵まれていた。だからどことなくあいまいなやさしい多神教が生まれる。



 ところで、今回の原発の事故は我々の今までの理解の範ちゅうをはるかに超えた厳しい自然環境に陥らされた。今までのようにやさしい、八百万的な悠長な価値観でははっきり言って全てが滅んでしまう、とても共存共栄できる環境ではなくなってしまった。そのことを未だに理解しないで、対処しているように思えてならない。大げさかもしれないが、国がなくなるかもしれない、ぎりぎりのところに来ているようにも思う。



 もし仮に上手くしてこの危機を乗り越えたら、日本は今までの日本ではなくなる可能性があるな。なぜなら自然環境が変ってしまうからだ。海のものも山のものも安心して食べる事が出来なくなった。豊かな自然に囲まれて生きてきた民族は消えて、新しい「厳しい環境」に適応した一神教的な民族になるかもしれないな。

 

 誰が首相になるか争ってる場合ではない。



 



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心の糧 - 2011.06.02(ポケットの窓から)






 

はる 3629

 [いまここ」の話も続きを書きたいのだが、今日は少し違う話をしよう。



 毎年教科書の見本が送られてくる。業者さんも大変だ。美術などという大して必要とも感じていない科目はどんどん時間を削られて今や風前の灯火になってきたからね。一校でもこうやって続けてくれるのはありがたいことかもしれん。まぁ別に私の手柄ではありませんが・・。



 で、薄っぺらな教科書を何気に読んでいたら、なかなか鋭いことが書かれていた。教師である私が読んでもうなってしまうほどいい文章だった。写してこようと思ったんだけれど忘れてしまった。というか面倒になったという、いつもの情けないはなしだ。



 うろ覚えだけど、少し書いてみよう。私の解釈も入っています。



 美術は単に綺麗だ、とかかわいいとか、お洒落~というだけのものか。日本は周りを海に囲まれて、資源は少ないけれど何よりも美しい四季折々の風物や食べ物に恵まれている。それを当たり前のように感じて、普段何気なく暮らしてはいるけれど、世界のなかで考えてみると、そうではない環境で、また戦争や何らかの理由で先祖から受けつながれてきた土地を離れなければならない民族もいる。



 ここで、この教科書が書かれたのは今回の震災以前の話で、今の福島のことを考えると、上の言葉が現実となって降りてくる。われわれは、いまだかつて経験したことのない、大きな罪を背負ったことになる。生まれる前からそこにいて、そこで生きてゆく事を前提とした人生が、自分たちのせいでもない理由でその場を離れなければならない、なんとも悲しい話だ。その事の意味を未だにだれも真剣に考えていない。単に生活を保障するとか賠償すればいいといった話ではないのだな。



 そうやって自分たちの土地を離れなければならない時に人は何を持ってゆくのだろう。食べ物や生活の道具は必要だ。もちろんお金も必要だろう。けれどなんでもかんでも持ち出す事はできない。最低限必要なもの、自分にとってこれをなくしてはこれからの人生生きてゆけないというものは何だろうか。



 今回の震災の後、大変な瓦礫のなかから家族の写真を拾い集めて洗って持ち主に返すボランティアをしている人たちがいた。戦争でもう二度とこの地に生きては帰れないだろうと思った若い兵士は一枚の恋人の写真や家族の写真を持っていったのだろう。



 信仰のある人はマリヤ像かもしれないし、もって歩ける何か心の拠り所になる偶像かもしれない。



 飾り物や綺麗なものでなくていい。故郷を離れなければならなくなった旅人が持って行きたくなるようなものが本物かな。まぁそんな深刻なものは私には作れないだろうけれど、いつも思うのは単に生活のなかの飾り物で終わりたくはないな。



 



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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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