あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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腹立たしい。 - 2011.05.31(原発)






 

 三月十二日のかなり早い段階で、福島とその近郊の人たちに避難するように警告を発していたブログがあった。私も一度はそのブログをリンクしていたのだが、あまりにも扇動的に思えたので削除してしまった。後にそのブログは炎上して作者は止めてしまった。今から考えるそのブログが警告していた通りだんだな。



 正直な話、今のまま放置しているのはかなり危険な状態ではないか。このままだと東京もかなりの汚染地域ということになるのじゃないかな。国は何の手もうたないで指をくわえて見ているだけなのかね。除線、掃除でもなんでもできる事はどんどんやって、極力被曝を少なくするという行動を率先してやって、なおかつそういったメッセージを出すべきじゃないかな。言った言わない、誰が首相になるなどと馬鹿げた争いをやっていないでさ。何だか国民は何も知らされてなくてのほほんと暮らしているけれど、実際に10年後にはだれも責任は取らないぞ。ただでさえ子供の数が少ないのに、わをかけて少なくなるぞな。



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A prayer for Japan - 2011.05.31(ポケットの窓から)

CESARE PICCOチェーザレ・ピッコ

 

"HOPE AT SUNRISE" A prayer for Japan (making of)

 

艸そう より勝手リンク

イタリア人ですが、何となく東洋的な匂いがします。

久石譲のアニメーションの影響かもしれない。

 

 




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国民に合わせた政府しか持てない。 - 2011.05.30(ポケットの窓から)






 

はる 3626

 前から薄々気がついていたことなんだけれど、今回の事故をきっかけに思い出した。



 例えば日本は技術立国という看板で食べている。様々な分野で素晴らしい技術を持った人や会社や研究者がいる。けれどロボット技術一つとってみても、これは世界で一番すすんでいる分野なんだな。人間とほぼ同じように二足歩行できるロボットをいち早く開発したのはホンダだった。



 けれど、いざ実際に事故が起きて、こういった人間が入ってゆけないような現場に採用されるのは外国のロボットだったりする。それは一体なぜなんだ?一番の見せ場ではないのか、一番必要な時に何をちゅうちょしているのだろう。



 こういう小さなミスというのか、決定力、判断力、のなさによる失敗というのが今回やたらと目に付いた。実際に役に立ったとか、失敗したということより、その事によって何よりも大切な自尊心、プライドを傷つけられた事の方が、大きなマイナスではないだろうかね。



 能力を持ちながらそれを使いけれなかった場面とというのがやたらと多い。それは能力がなく出来なかったというより、人を悔しい思いにさせる。



 サッカーの国際試合などで今までよく感じたことだ。ここでシュート打てばたとえ成功しなくてもすっきりするじゃないかという場面で、日本人は逃げてパスにまわしてしまう事が多い。絶対的なチャンスに適切な判断ができない。まぁ私を含めてのことだけれど、多分DNAのなかにそういった狩人的にとっさの判断が出来るようには出来ていないなかもしれない。自分で考えて判断する、自尊独立というのができないか、不得意である。



 今回世界中が賛美した、震災後の秩序正しい行動というのも、反対に考えれば自分で判断できなかった、指示を待っていた烏合の衆ということも出来る。良く飼いならされた人々ということもできるな。



 一見それは凄く理性的な理想的な人々のように見えるけれど、反対に考えれば「何も考えていない」という事にもつながらないか。それをいいことに国はやりたいほうだいだ。国民を守るという発想がそもそもない。未だにお上的な考え方だな。そんな政府しかもてなかったのは我々にそれだけの意識しかなかったということだろう。



 これを契機に少しは変るかもしれない。それを期待したい。



 少し話が変って、例えば絵画表現なんかでも同じようなことがある。前にも書いたかな、国際的な版画コンクールがあって、他の外国の作家などと比べても日本人作家は断トツの素晴らしい技術を持っている。反対に外国の作家の作品は技術的に見てすごく未完成というのか未熟に見えるんだな。ところがコンセプトというのか、何を表現するのかということに関しては凄くストレートに伝わってくるものがある。



 まず自分が表現したいものがあって、それが絵画とか版画などの媒体を使っただけで、表現することが全てで技術はあったほうがいいけれど、大きな問題ではないという風に思った。



 まぁこれそうだけれど、大切なのは稚拙でもいいから、間違ってもいいから「自分で考える」「自分の言葉で考える」判断する、人を当てにしない、まず個人が自立すること、独立すること、そういった人々の集まりが地域であり地方であり国であるという考え方がこれからの方向だと思う。

 



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それぞれが自分の言葉を持つ - 2011.05.29(ポケットの窓から)






 

はる 3625

 戦争に負けたようなものかもな。天災と人災が重なって、天災だけなら日本人は何とかする、できるんだけれどね。でもそれだけじゃまだ気付かなかっただろうな、また同じような過ちを犯すだろう。



 戦争と同じ次元で考えるのは少し違うのかもしれないが、どうもこの日本の体質というのか、民主的な振りしているけれど、そうではなくて一部のエリートと呼ばれる高級官僚とそれをひたすらまじめに遂行する下級役人とあとは善良な烏合の衆で成り立っている社会なんだな。



 高級官僚は机上の空論で書類上で仕事をする。理論的には間違っていなくても現実的ではない。それを突き詰めてゆけば破綻することが分っていながら、止める事はできない。上で決まったことだから・・とか、そこまでの権限がないと想像することさえ止めてしまう。



 戦前軍部の上層部がエリートたちが台頭してきて誰も暴走を止める事ができなかった。どこか似ているように感じる。



 危機管理といわれるけれど、それだけじゃないね。兎に角ないのは「大きなビジョン」だな。瑣末な技術などは世界的なものがいくつもある。それでもそれをどう使って、他とどうつなげれば一番効果的であるかという風な、大きな目がない。だから素晴らしい技術を持ちながら、ただ右往左往しているだけ。



 そういう人材を育ててこなかった。考える、想像する、そしてそれを伝える、表現するということにウエートを置いてこなかった。まぁ我々の文化がそういったことを良しとしないところがあったからね。



 聴く耳を持つこと、言い合い、争う、競うのではなくてね、間違っていれば考えを変えてゆく勇気を持ちたい、いいものを選択してゆく、そうやって高いものを目指してゆくという態度を養わなくては、いいものはできない。絶対に自分の意見を変えないのなら話し合う必要はない。



 言っても仕方ない事はわかっているけれど、悔しいな。



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振りかえる - 2011.05.28(ポケットの窓から)






 

はる 3625

 来年還暦を迎える。別にだからといって何かが変るわけではない。けれど、まぁちょうどの区切りという事で、残された時間というのを意識するなぁ。それで後10年でどこまで行けるだろうか?とか後20年でどこまでという風な事をよく考える。



 私たちには子供がいないので、子供の成長で時間を知るというすべがない。だから余計に時間の意識があいまいだな。今日は昨日の延長でしか推測できないのだな。大人になりきれないのもそういったことが関係しているかもしれないな。



 10年単位で少し振り返って、次の10年を考える足がかりにするか。



 10歳の頃(1962年)というのはあまり憶えていないなぁ。1961年のSEIKOのコマーシャルが1961をひっくり返しても1961だなどというのをやっていた。1964年が東京オリンピックの年。家族そろってテレビにかじりついていた。日本全体がまだまだ貧乏で娯楽といえばそんなものしかなかった。それでも何か時代が具体的に動いていて、今日より明日、明日より明後日と右上がりによくなっているという活気にあふれていた気がするな。



 20歳の頃(1972)大阪の万博が1970年。時代は行け行けどんどん。今の中国などと良く似ている。消費が美徳、お金を儲けてどんどん新しいものを買う、そういった欲望を満たす事、そんなエネルギーに満ちていた。よく言えば活気に満ちていた。悪く言えば品がない。



 この頃に絵を始める。何をすればいいのか、自分には何が出来るのか、皆目見当もつかなくて、あっちにふらふら、こっちにふらふら、大阪の街をズタブクロ下げて徘徊していた。兎に角自分で働いて自由になるお金ができることが嬉しかった。朝から晩までバイトばかりしていたな。JAZZ喫茶の親父になりたいと真剣に考えていた。



 30歳の頃(1982)この十年で大きく人生が変る。25歳で受験して関西を離れて山梨に移住。四年間の執行猶予をもらう。切羽詰ったものからゆっくり考える時間をもらったのは良かったように思う。おぼろげながら絵を描いて生きてゆこうと決心する。



 40歳の頃(1992)1988年銀座で初めて個展を開催する。右も左もどうなるかも予想がつかなかったけれど、兎に角画家としてやってゆくには個展しかないと思っていた。時代はバブル全盛の頃で、まぁそこそこ収支がつながった。それからほぼ毎年個展を続けている、これは自慢できるだろう。



 この頃色んなコンクールに出品。企業の奨学金や公募展に出品して遊学の資金を集める。1995年には全ての活動を中止して一年間イタリアにあそぶ。これはまたまた偶然だけれど、望めば適うものだと思った。今の私のベースを作っている気がする。



 50歳の頃(2002)2000年、晴天の霹靂で大病をする。入院、手術、治療と五年ほどは再発が心配だったが今は健康を取り戻す。年間、数箇所で個展を開催して旅芸人のように生きて行けたら、それでいいと思っている。それ以上は何が望みなのか? 

 



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綿布を貼る - 2011.05.27(ポケットの窓から)






 

はる 3624

 明日から土曜日にかけてかなり西の方面に風が吹くようだ。雨による放射能物質の降下も気になるところ。

http://www.witheyesclosed.net/post/4169481471/dwd0329



 



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裸婦クロッキー展 - 2011.05.27(ポケットの窓から)








裸婦クロッキー展

6/4~6/19

(6/13休廊)

三彩洞

甲府市貢川1-1-12

055-226-8393

私も二点ほど出品します。



 末期の社会主義の国のようだな。どうすればいいのか分っていながら何の手だても打てないでいる。確かになぁ、原発の問題は頭の隅っこにずっとあったんだな、地震がくれば、台風やその他の災害がくれば取り返しのつかないことが起きるののじゃないかという危惧はずっとあったんだな。普通に生活していれば、例えばこんなに世の中に清涼飲料の自販機が必要なの、コンビには四六時中煌々と灯りをつけているけど、本当にいいのかな?とか



 あったんだけど、便利であるということで全て考えないようにしてきたところがあるな。日常の生活に追われて、いいわけだけど真剣に考えてこなかった。みんなそうだ。とりあえず今日はいいや、明日から考えようと先延ばしにしてきたんだ。それが全ての始まりだな。



 普通に素朴に考えれば、やっぱりどこかおかしかったんだよ。絶対壊れない機械などないわけだ。機械はいつかどこかで壊れるし、人間は必ずミスをおかす。そうなった場合にどうするか、そこのところを考えないようにしてきたことがどう考えてもおかしくないか。人間が止められない、直接コントロールできないものなど道具ではないな。



 今我々は何をすればいいのかな。何が出来るのだろう。一人一人が真剣に考えなきゃならないのじゃないかな。政府などまったくないのと同じだ。



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穢土 - 2011.05.25(未選択)
はる 3622

 どうもな、何をやっても遅すぎる気がする。このままでいいのかな?私たち大人はもうそれほど気にする必要はないし、こうなった責任の一端は私たちにあるわけだから、多少のことは我慢しなきゃならんのかもしれない。けれど問題はこれからの人たちだ。10年後の事。だれも正確なことは言えないし、そのときにはなおさら誰も責任は取らないだろう。責任など取れもしない。どうやって責任を取るというのだ・・。



 東電は希望者には疎開を提案してはどうか。特に若い人にはここにいてはだめな気がする。一切の負担は東電が持つ。何でもする、そのくらいの覚悟が必要じゃないか。日本という国がなくなるかもしれないのだからね。



 白い雲や心地よい風、どこにでもあった何気ない風景にさえ、目に見えない放射能が入り込んでいると思えば、どことなくくすんで見える。大きく深呼吸することさえままならないのではないか、季節季節の海のものや山のものが何よりの楽しみだったのにもうそんな悠長なことを言ってられないのではないか、そんなきがするのだ。



 何はなくとも美しい風景と空気と水がどこまでも半永久的にあるものだと信じていたんだけれど、失ってみてその大切さを知ったというのは皮肉なものだ。そのことの重大さに未だに気付いていない。気付かせないように仕向けている政府とか官僚行政、御用学者、東電、安全委員会のメンバー、はどう思っているのだろう。日本は自分の国を汚してしまった。人の住めない場所を作ってしまった。その土地で取れたものを食べる事ができない、そんな場所を作ってしまった。そのことの罪はどうやってもあがなえるものではない。



 我々はこの穢土に住むしかない。ここの他に生きる場所はないのだからね。全てを引き受けて生きて行くしかない。





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(no subject) - 2011.05.24(ポケットの窓から)



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あがないきれない罪 - 2011.05.23(原発)

 



5/23 参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」小出裕章氏

 



はる 3619

 今日は朝から野暮用で車で松本までドライブ。ドライブなどという洒落たものではなく、単に運転手をしただけのこと。雨の中の高速運転は疲れます。



 色んなブログがあるけれど、お年を召した方でもなかなか機知にとんだ面白い日記を書く方がいらっしゃいます。ブログの面白いところはある意味性別も年齢も経験も関係なく、フラットに面白いか面白くないかで判断されるところだろうな。



 今日一日何をしたか、何を食べたか、誰にあったなどということは極個人的なことで、暑いだ、寒いだ、というのと同じようにつまらない事だ。最初の取っ掛かりはそれでもいいけれど、段々と自分が今何を感じているのか、考えているのか、そんなことを自分なりの言葉で綴ってゆかねばブログを公開している意味はない。



 介護を専門にしている方のブログにこんなことが書かれていた。「人は生きてきたようにぼけてゆく」そうだ。これもどこかできいたフレーズだな。「生きてきたように死んでゆく」とはよく聞くことだけれど、ぼける時もそうなんだ。



 具体的には、意地悪な人はより底意地悪く、けちな人はお金お金といって人様を困らせ、食い意地がはっている人はメシはまだかまだかと言うらしい。極まれにかわいらしくぼける人もいるそうだ。さしずめ私はどうなんだろうか?と思った。





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裸婦クロッキー5/22 - 2011.05.22(裸婦クロッキー)









































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負けた振り - 2011.05.21(原発)





はる 3618

 浜岡原発もそうだけれど、何か一気に反原発色が大手を振ってかっ歩し始めたような気がする。今まで原発推進派だった人までが「これからはクリーンな省エネで太陽光発電だね」「国を挙げて新しい目標に向ってすすんで行こう」などと大真面目に言われるとへそ曲がりな私はどこか胡散臭いものを感じてしまうのだ。きっとどこかでまたもや金儲けの匂いがするんだろう。



 全く管さんのあの発言によって一夜にしてころっと方向が変ってしまった。今まで反原発はどこかマイナーな反社会的なお上に楯突く不穏な輩というイメージが、一気に反転して急に陽の当たるところに躍り出たようなかんじだ。



 結果オーライのような、棚ぼた式の今回の決定だけれど、どうもな、素直に喜べないところがある。後ろにアメリカの意向というのが見え隠れするのが気に食わない。またそうでなければそんなに簡単に今まで国策としてやってきたことを変更できる訳がない。それに色んな思惑が絡んでいるに違いない。そう思わなければすんなりと理解できないのだな。



 国策として原発を推進してきた書いたけれど、これもアメリカの大いなる思惑があったからだな。元々の原子炉はアメリカの設計だし、そういった意味で原発事業をリードしていたのはアメリカだったんだ。日本はそれをただただありがたがって購入していただけで、豊かな便利な生活には電力は不可欠と脅かされて、どんどん使って、原発もどんどん増やした方が儲かるわけだ。これもアメリカの国策でしょう。



 世界の実験場のようになって、これだけ地震の多い国でありながら「原発は安全」という宣伝でぼこぼこ乱立したわけだ。ところが、今回の事故が勃発して(戦争のようだね)もうこれ以上原発推進は無理だと判断したんだな。アメリカはそういった意味で国家戦略はどの国よりも優れている。そうやって戦争に勝ってきたくにだもの、日本など赤子同然さ。



 で今回の浜岡発言になるわけだ。ここからは廃炉処理にまたもやアメリカさんのお世話になるわけだ。それ以外方法はないからね。それに今度は代替エネルギーの風力発電とか太陽熱はつでんとかのセールスがどんと押し寄せてくるはずだ。



 まぁ負けた振りして、結局アメリカさんを利用させてもらって経済大国になってきたわけだから、結果的には新しい日本を作るには「水戸黄門の印籠(アメリカさんのお墨付き)」が功をそうするならそれもいいかなとも思う。



 

 



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(no subject) - 2011.05.20(ポケットの窓から)



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永遠の故郷か - 2011.05.19(ポケットの窓から)






 

はる 3616

 例えばアフリカの仮面などもそうだが、生活の中で使われている道具などに施されている簡単な絵や彫り物、装飾などに凄く魅力を感じるわけだ。彼らにとってはそれは我々の言う「美」ではないわけだけれど、明らかに何かしらの基準というものがあるのだろう。



 その基準=理は結構世界中のどこにでもあって、ロシア正教のイコンの中にもあるし、アフガニスタンの洞窟の中や、敦煌のばっこう窟の壁画の中にもある。インドや朝鮮の民画の中にもある。アールブリットのどこか不思議な世界にも見え隠れする。



 意識と無意識、作為と無作為の境にあって意識すればたちまち見えなくなってしまう陽炎のようなものだ。どこか人智の及ばないところにしっかりと決められた理があってそれによって生かされている。



 どうも言わんとすることが上手く言葉にならない。



 前にも書いたけれど吉田秀和が上手い言葉で言っていた「永遠の故郷」この言葉の中には凄くロマンチックな響きがあるけれど、それだけではないある種の真実のようなものが含まれているきがするんだな。



 



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黙秘権 - 2011.05.18(ポケットの窓から)






 

はる 3615

 原発の方も依然不安定な状態ではあるけれど、もう既に出るものはでてしまって、さらに今まで以上の不幸は起こらないようだ。まぁそれほど最初の(13日)の爆発が凄かったということだけれどね。



 でも、そのことを当時わかって警告を発してくれた人はほとんどいない。東電の一部の人は分っていただけで、自分たちが知りえた重要なデーターを公表することなく握りつぶしてしまった。たぶんとんでもないことが起きる、止めることができない、その事実に足がすくんで何も出来なかったというのが本当の所ではないだろうかね。



 これだけ重大な国家的な危機が起きるような事態を何の備えもなく、利潤を追求する一企業に任せていたということが間違っているのではないかな。安全をチェックする側も身内のような政府内組織だし、エリート官僚だもの。



 「絶対に事故は起きません」という神話のために、もし事故が起きた時の避難訓練さえやっていないし、そういったことのシュミレーションさえやっていなかったのではないか。何とも無能で、無知で無防備であったことか。例えばチェルノブイリクラスの事故が起きた時にはどうするのか,一番に住民に知らせて避難させる、第二、第三・・と普通は考えるでしょう。そんなことが一切やられていない。それもこれも「原発は安全です」のパフォーマンスのためでしょう。だから事故を起こせば隠すのです。



 社会には理念とか理想(とか哲学でもいい)いうものがあって、その大きな柱にそって成り立ってゆくのが西欧的な契約的な社会ではないかな。人は神と違って間違を犯すという前提で成り立っているので、間違えた場合最悪のことを考えて準備が出来る。



 我々のように自然発生的に出来てしまった社会というのは、理念も理想もなく、いつの間にか出来てしまった寄せ集めてきな社会で、出たとこ勝負の成り行き次第というようなところがある。自然(八百万の神)というのがあまりにも寛大で豊かでありすぎたために、過ちも失敗も全て水に流してきれいさっぱり更にしてくれるので、災害に対しても備えることが少ないか、元々そんな発想がない。



 言っても仕方ないことをまた書いてしまった。



 



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(no subject) - 2011.05.17(ポケットの窓から)



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いのりのかたち - 2011.05.16(ポケットの窓から)






 

 自分の絵のスタイルがなぜ今の形になってきたか、いつ頃からこうなったのか考えてみる。例によって思いつきで書いてゆくので、結論を期待しても意味がありません。



 まぁ大きく変化したのは97年に今までの油彩から水性のメジュームになったことだな。随分と思い切った変化だけれど、ちょうど間に一年イタリアを旅行していて油彩画を描かなかったということもあるかな。でも実は旅に出る前からひょっとすると帰ってきたらもう油彩は止めるかもしれないとは思っていた。そこのところはなぜなんだろうか?



 油彩画の最後の方ではかなり紙や布を貼ったりしていた。でもそれはやっぱりあくまでも絵の具の補助ぐらいの意味で、油性のキャンバスに紙を貼り付けたりするのはあまり上手く行かなかった。もっといいえばなぜそういった異質なものを画面の中に持ち込むのかということだな。



 我々の学生の頃は、凄く画材について興味が持たれ始めたころでね。今までは何も考えずにただ画材やさんに出掛けて絵の具とキャンバスを買ってきてただ描けばいいと教えられて来たんだけれど、そもそもなぜ西欧の伝統である油彩でなきゃならないんだという疑問がでてくるわけだ。



 そうやって考えると、油彩というのは実に不自由な画材でね。まず乾きにくい。まぁそれが特色であるからうまく使えば独特の味がでるのだが、なぐりがきのような印象派以降の描きかたではある意味油彩である必要はないんだな。



 それはまぁ時代の空気みたいなものなんだろうけれど、多くの絵を描く人たちが「絵を描く材料」について真剣に考え始めたころなんだな。今まで誰も考えなかったこと、例えばキャンバスはどうやって作るのかとか、地塗りは白亜地にして何回も工夫して塗りこむといいとか、絵の具もそれこそ組成にまで立ち戻って研究する人もでてきた。それはそれで結構面白かった。一度はそこまで行く必要があったのだ。なぜなら日本には油彩の伝統がなかったのだからね。



 でもそれは絵を描く本質ではない。無論そこに残って今も真剣に油彩画を極めようとしている人もいる。それはそれで大切なことだろう。



 私も同時代に生息していた人間だから、そういった組成や材料にも凄く興味を持ったし、やってもみた。でも自分にはそこまで厳密に遣り通す根性がなかった。興味も続かなかったわけだ。何か違うという感覚かな。



 今考えてみると、油彩から今の画材に移行する決定的なきっかけは何だったんだろう。色々理屈はあるだろうけれど、どれもこれも当たってはいるけれど、真実ではない気がしている。



 画集にも書いたけれど、例えば絵を描いてそれが何になるんだ?今描いている林檎に意味があるのか?と考え始めると、なぜかむなしくなるんだな。世の中に人に何も必要とされていない、そんなことを一生かけてやって意味あるんか?そもそも世の中の人は絵に何を期待しているんだ?



 そんなことをまぁえっちらこっちら考える。そうすると例えばアフリカの原住民のお面とか、祭りの道具とか、そもそも生活の中でつかわれている道具なんかも、決して西欧的な基準で美を作っているわけではないわな。アフリカでなくても日本でも例えば村祭りに使われている様々な道具なんかも美術、芸術ではないけれど凄く心打つわけだ。



 なんかそこら当たりに解決の方法があるのではないかと、考えたわけだ。眠くなったので続きはまただな。



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技はみせないのがかっこいい。 - 2011.05.15(ポケットの窓から)






 

 「「私がここにいる」ということを認めて欲しいと言うことは人一倍強いと思うんだな。ただそれはストレートではない。すごく紆余曲折してかなり分りにくくカムフラージュされてはいる。良く見なければ分らないようには隠されてはいる」



 多くの場合親と兄弟と自分の関係が少なからず投影しているように思う。五人兄弟の末っ子という存在位置は何かにつけて蚊帳の外、一人前に扱われないというところがある。それが長じてなかなか責任のある立場というのが取れない、どこにも属せない風来坊の性格をつくったように思う。これは全ての人がそうであるというわけではなく、私の個人的な無責任な性格が増長されたということで、普遍性はないのであしからず。



 目立ちたいという願望は少なからずあるのだが、親や兄弟が強すぎるので何となく言い出せなくて引っ込み思案になってしまう。兄貴たちより目立ってはいけないというブレーキが自然に利いてしまうのだな、けっして親や兄弟思いのいい子ちゃんではないのだがそんなところは一歩引いてしまうところがある。けれどそれだけでは自分が消えてしまうので、どこかで虎視眈々と浮上するのを狙っている。



 絵を描くという自己表現の方法は誰かの真似ではない。母親が少し絵を描いていたということはあるけれど、絵を描いて生きてゆくという生き方、芸事で身を立てるという生業は両方の家系からは出ていない。まぁそのことが決心するまで長く時間が掛かった理由のようにも思う。決心さえすれば後はなるようにしかならないと諦めもつくのだがねぇ。



 こんなことを書くつもりではなかった。



 自分の絵のスタイルを考えてみたい。ここにも上の少し斜に構えた性格が如実に出ている。けっしてストレートに表現はしない。どこかでカムフラージュしているところがある。



 例えばどんなところかといえば、何だろうなこうできるだけ「わざ」を見せないようにする。まぁ決して上手くはないのだけれど、筆が走るところを見せないとか、配色の洒脱さをあえて見せないとか、この色とこの色を配置すればお洒落に見えることは分っているけれど、あえて外すとか、上手さを見せるなら徹底して最高に上手いならそれも自分の持ち味になるのだろうが、そこそこ上手い程度じゃどこにでもいる。だから徹底して外すことを良しとしている。それが分ってもらえれば私はとっくに世の中に出ている。未だにこんなところにいるのは方法が間違っていたか、そもそも考え方が違っていたか、才能がないか、世間に見る目がないか、どれかだな。



 だから好みの絵もそういった絵が多いな。上手さが見えると「なぁんだ、あんたはそれを見せたいのか?」と底が見えたようでがっかりする。下手くそな、不器用な、作為の見えない絵がいいな。



 まぁ傲慢な独り言だ。見逃してくれ。



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自尊独立自己責任 - 2011.05.14(ポケットの窓から)










 

  新聞やテレビだけの情報はかなり操作されている。未だに大本営的な発表だ。どんどんネットで個人的な情報が流れている。嘘やデマも多いので取捨選択が難しいのだけでど、何が正しいのか幼稚でも、間違えても、自分の頭で考えて判断しよう。そろそろ何でも鵜呑みの右へならえ的な人任せは止めにしよう。逃げるのも、留まるのも自分しだいだ。自尊独立で自己責任これが基本だな。人のせいにはしない。これが格好いい。



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西沢武徳個展 - 2011.05.13(ポケットの窓から)






 

西沢武徳個展

5/1~5/15

画廊・三彩洞

甲府市貢川1-1-12

055-226-8393

 

 30になってすぐに山梨に帰ってきて活動を始めたのだが、絵を描いて何とか生きてゆこうなどという不敵な奴は見当たらなくて、みんな普通に就職して働いていた。それが当たり前のことだが、学校の先生を辞めて帰ってきた人間には少し不満だったかな。



 美術館も出来たばかりで、まだ一般に貸し出して間もない頃で、何とかやる気のある若手に会場を貸し出したいとメンバーを探していたようだ。たまたま彼ら(美大を卒業して帰ってきた連中)と知り合いになって、同じ世代の絵描き志望として、意気投合して新しいグループを立ち上げた。それが「2079MM]というグループ。その後色々あって今のグループ「スクエア」になる。あれからいつの間にやら30年近くなる。



 彼は私より五つほど下かな。学校を卒業も絵を描き続けることは非常に難しくてね。結婚して家庭を持って、子供を作ってなどと考えると、ほとんど無理だな。けれど彼は私に知っている限り就職したことがない。もって生まれたバイタリティで、画塾をやりながら今まで絵を続けている。絵描きであり続けている姿勢は本物だな。

 

 観て分るように野太い、太い筆でぐいぐいと描いて行くスタイルは一貫して変らない。不器用な本物の絵描きだと思う。

 



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無題 - 2011.05.13(原発)






 

 昨日のデータをグラフにしました。赤い線が年間に受けてもいいとされる1ミリシーベルト。こやって目で見ると異常な状態がよく分かる。

 



 

チェルノブイリでは

1平方メートルあたりの放射能汚染度が148万ベクレル以上は「強制避難」、

55万5000~148万ベクレルは「強制移住」、

18万5000~55万5000ベクレルは「希望者は移住を認める」、

3万7000~18万5000ベクレルは「放射能管理が必要なエリア」とされてる。



 ところで上の地図では

 赤 300万~3000万ベクレル

 黄 100万~300万ベクレル

 緑  60万~100万ベクレル

 薄青 30万~60万ベクレル



 強制避難の300万ベクレル以上の地域でまだ人がいるのが信じられない、殺人的な放射能です。黄色の飯館村は明らかに強制移住地域でしょう。

 

 上の地図のほとんどが「放射能管理が必要な地域」です。



 大事なことは今ははっきりとすることです。あやふやにすることは長い将来に禍根を残すでしょう。



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嘘で隠して何とかなるレベルではない - 2011.05.12(原発)






 



先日の計算式で発表されている五月六日までの積算放射線量というのをアバウトに計算してみました。武田方式で(空間、水、食料、内部被曝で4倍してあります)小数点以下はあまり当てになる数字ではないので、ざっくりと見てもらえればいいと思います。単位はミリシーベルト



岩手県(盛岡市)            0.72

山形県(山形市)            6.2

福島県(福島市)            2.16

茨城県(ひたちなか市) 19.28

栃木県(宇都宮市)         5.16

群馬県(前橋市)            1.88

埼玉県(さいたま市)      5.8

千葉県(市原市)            4.04

東京都(新宿区)            7.32

神奈川県(茅ヶ崎市)    0.52

山梨県(甲府市)           0.68



これ以外の地方は上記の値よりかなり少なめでした。こうやって比べて見ると福島市より茨城県のひたちなか市の値が異常に大きいということが分る。東京はすでにかなりの放射線を浴びていることになる。



 福島県内でも風向きによってかなりの汚染濃度に違いがあって、今更なんだけれどアメリカ政府と共同で調査して公表し始めた。何でアメリカと共同なんだ。

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__

icsFiles/afieldfile/2011/05/06/1305820_20110506.pdf




 今更ながら事の重大さがわかる。政府は事が大きくならないように、国民に出来るだけ本当のことを知られないように、細心の注意をはらって小出しにしているけれど、そのうちに色んなところで放射能が検知されて嘘がばれてしまうだろう。



 嘘で隠して何とかなるレベルではない。今までも色んなアクシデントがこの国を襲った。世界的な戦争も二度も体験して、もう二度と戦争などしたくないと多くの国民は願ったんだな。非核三原則などといって特に核には非常に過敏だったね。どこでどう間違ったのか、いつの間にやら堂々とそこここに原発があったんだな。これはようするに「補助金」がらみの「金のなる木」だったんだな。



 この「補助金」というお金が絡んでくると、とたんに人間何も見えなくなってしまうんだよな。背に腹は替えられん」というわけだ。「奇麗事をいってもなぁ、仕事ないし・・」それで全てが通ってしまう。札束で横っ面はるみたいな仕方で、ねじ伏せてくる。お上に逆らう不遜な輩となる。



 このままじゃだめだぞ。このまま言いなりになっておとなしく身を潜めていたんじゃ子々孫々末代までたったって来る。声を上げなきゃだめじゃないかな。自分たちの身は自分たちで守らなきゃ、お上は守ってくれない。



 



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ストレートではない性格 - 2011.05.11(原発)






 

はる 3608

 「私がここにいる」ということを認めて欲しいと言うことは人一倍強いと思うんだな。ただそれはストレートではない。すごく紆余曲折してかなり分りにくくカムフラージュされてはいる。良く見なければ分らないようには隠されてはいるけれど、けっこう現役でまだギトギトしている面もある。まぁそれが無くなってしまえば、もう何も発表しなくなってしまうだろうとは思う。死ぬまで無くならない、私のもって生まれた業、性だろうな。



 今までやってきたことは間違いではなかった。けれどこれは凄く個人的なことで、個人的な楽しみのレベルであった。例えばそれは一枚のシャツを選ぶことだったり、玄関に一輪の花を飾ることだったり、壁の色やカーテンを変えることことだったりしたわけだ。それはそれで極ささやかな楽しみのレベルでしかなかった。



 ところがいつの間にか、もっと大きな夢や希望や物語を描くべきだといわれてそんな気持ちになって挑戦もしたけれど、やっぱり自分には自分なりの小さな世界を歌った方が合っていたし、楽しい。



 まぁやれるだけやって、行けるとこまでゆくつもりではいる。



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浜岡原発 - 2011.05.10(原発)






 

はる 3607

 色々考えなければならないことがあるのだけれど、どうも原発がらみでみんな思考が留まってしまう。それほどやはりこの事件は大きなことだったんだなとつくづく思う。



 浜岡原発が止まるようになったのはアメリカの意向だということを聞いて、革新的な英断だと評価した自分が情けないと思う。つくづく日本は「外圧」でしか何も決められない「辺境人」だなや。原発を推進したのもアメリカだけれど、止めるのもあちらさんの意向かい、まぁどんな形であれとりあえず止まることは歓迎したいけれどね。恫喝されれば何でも聞いちゃうわけだ。自分の意見というのがないのかい。



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(no subject) - 2011.05.09(ポケットの窓から)



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(no subject) - 2011.05.08(ポケットの窓から)



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(no subject) - 2011.05.08(ポケットの窓から)



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規制値の意味 - 2011.05.07(原発)






 

武田邦彦

http://takedanet.com/2011/05/post_7256.html

 より編集勝手引用(引用自由と明記されている)

「規制値の意味」

都合よく規制値を変えられないために知っておいた方がよい値

**************************

4.  

1年1ミリシーベルト

「1年1ミリ以下なら、放射線に関してなにも考えなくてもよい」というレベルです」

 
1年1ミリシーベルトを被曝すると、1億人で5000人のガン+遺伝性異常が発生すると考えられている.これが世界の専門家のコンセンサスである。

5.  

1年5ミリぐらい(おおよそ)

「最善ではないが、なんとか我慢できる」というレベルでしょう」

 
「管理区域」というのは、私たちが病院に行くと、レントゲン室に放射線のマークが貼ってあるが、それが管理区域である。現在の福島の多くの場所が管理区域以上の放射線の強さであるので、早く表示をしなければならない。

6.  

1年20ミリシーベルト

「かなり危険な領域に入ります」



職業的に放射線を浴びる人の基準である。現実に「20ミリ制限で働いている人」の平均的な被曝量は1年に0.7ミリシーベルトである。従って、今のところ日本では集団として見た場合、「平均的に1年1ミリシーベルト以上の環境に曝されている人はいない」

子供は3倍ぐらい感度が高いので、この職業人の考え方を取れば、

1) 子供と妊婦、近いうちに妊娠希望の女性は7ミリで、

2) 被曝量を測定し、健康診断を受ける、

3) 被曝量が多くなったら、そこから移動する、

という考え方もある。

なお、ICRPが事故時には「1ミリから20ミリ」というのは、「20ミリ被曝しても良い」というのではなく、「事故時でも無限に被曝してはいけない.被曝量は20ミリに制限し、早くその状態を離脱すること」ということである。

7.  

1年50ミリシーベルト

「危険」



職業的な理由で、どうしても大量の被曝を避けることができない場合、1年に50ミリシーベルトまで認められている。しかし、5年間で100ミリシーベルト(1年平均では20ミリシーベルト)という制限があるので、1年に50ミリシーベルト被曝した人は、その他の4年間で調整して、5年間の合計で100ミリシーベルトにしなければならない。



 *「・・・」の部分は他の本人の文章より勝手引用



*************

 昨日の放射線量のベクレルとシーベルトの変換が少し面倒なので、簡単な計算方法を書きましょう。あくまでも個人的に参考にするだけにしてください。



 ヨウ素+セシウム137のベクレル数x2÷100000=おおよそのシーベルト数

(空気、水、食料、体内)で四倍被曝するので

 (おおよそのベクレル数)x4=今までに被曝したシーベルト数



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修正 - 2011.05.06(原発)
勝手引用

http://gyokuyo.tea-nifty.com/blog/2011/03/post-5647.html より

**********

略・・

結論から言うと、ベクレルの値に「実効線量係数」という値を掛ければベクレルをシーベルトに換算できます。これは放射性物質の種類ごとに異なる値をもつ係数で、たとえばこのページ(http://www.remnet.jp/lecture/b05_01/4_1.html)に一覧表が載っていました。このページの表によると、ヨウ素131(I-131)の実効線量係数は2.2×10の-8乗となっています。言い換えるとベクレルの値に0.000000022をかければシーベルトに、0.000022を掛ければミリシーベルトに、0.022をかければマイクロシーベルトに換算できます。

したがって、1kgあたり24000ベクレルの野菜を100g食べると



   2400ベクレル×0.022=52.8マイクロシーベルト(μSv)

略・・

******************

 昨日の計算はヨウ素もセシウムも同じ係数でやってしまいました。まぁ素人ですからご愛嬌ですが、とりあえず二つ違う係数でやってみましょう。

ヨウ素の係数=2.2x10-5  セシウム137=1.3x10-5 



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放射線量 - 2011.05.05(原発)






 

はる 3602

 3/15に大量の放射能をおびたチリが関東近辺に多量に降り注いだ。この事故があって知ったことなんだけれど、こういった事故は最初の二三日が大事でそのときに何倍もの放射能のチリがでる。その後落ち着いてしまえばその頃の十分の一になるそうだ。それに対する準備もしないで、想定外と言い逃れすることは全く政府と東電の怠慢というのか、許せない行為なんだけれど、今更過去のデーターを発表されても、もう取り返しがつかない。確かにパニックになったかもしれないが、台風情報のように知っていて行動するのと、知らないでうろうろするのでは明らかに違いがあるだろう。

*****************

 注(自分の参考として計算したもので確かのものではない)



 今ここに(5/2)までの放射能物質の積算量が発表されている。面倒なので放射性ヨウ素とセシュウム(137+134)をプラスしたものをざっくりと書くと

東京=91933ベクレル/㎡≒1.8ミリシーベルト

甲府=8652ベクレル/㎡≒0.17ミリシーベルト



 武田方式で被曝は(空気、食料、水、体内)から被曝するので四倍すると

東京=7.2ミリシーベルト

甲府=0.68ミリシーベルト



 一般の大人が普通に日本で生活していて受ける放射線量の限度

(自然界1・5+医療など1+α)=3~3.5ミリシーベルト/年

だからα=0.5~1ミリシーベルト/年(世界基準)



 東京は既に7倍近い放射線を浴びていることになる。甲府は今のところセーフ。弱くなったとはいえこれからも浴び続けるということになると、限度を越えるかもしれない。





************************

放射能降下量

https://spreadsheets.google.com/spreadsheet/pub?hl

=en&key=0AjgQ0pwrXV8YdGJORHAzdi

1qMlFldUMwRkl4V3VfN0E&hl=en&gid=0




放射性物質の月別推移



http://i.imgur.com/H2OJc.jpg



全国放射線量マップ

http://atmc.jp/



武田邦彦

http://takedanet.com/

 



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