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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

我が家のお雛様 - 2011.02.28(ポケットの窓から)






 

 三月になりました。昨日は一日雨でした。お湿りは何となく体に優しい気がする。



 ほったらかしであった履歴何年かぶりに少し整理しました。

 ここ

 ギャラリーなどもまた少し整理しなければなぁ・・。



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(no subject) - 2011.02.28(ポケットの窓から)



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裸婦クロッキー2/27 - 2011.02.27(裸婦クロッキー)




























 



 



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総括 - 2011.02.27(ポケットの窓から)






 

はる 3535

 今日は午前中はクロッキーの会に出席、一ヶ月ぶりにクロッキーをするが、最初はなかなか手が動かない。



 午後からは絵の搬出があるので、美術館に出掛ける。小さなグループ展であるが集客力は大きな団体展に引けを取らない。今回は隣が大きな団体の支部展だったので、そういったことも関係するのか六日間で千人をこえた。大きな会場が人で一杯ということも多かった。自分たちの展覧会という意識を持つために、出品者は出来るだけ会場に詰めるという姿勢がよかったのかもしれない。ありがたい話だ。



 当たり障りのない褒め言葉ばかりではない、少々耳が痛い批判もあった。昨日のこととも関係するかもしれないが、この展覧会は教室の発表展であるため責任はすべて私(指導者)にある。真摯に受け止めてこれからのことに生かしたい。



 そんなことも含めて大成功だったのではないだろうか。



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アドバイス - 2011.02.26(ポケットの窓から)






 

はる 3534

 TAO展明日でお終いです。四時までですのでお早めに来てください。



 どこに行ってもアドバイスを頼まれることが多い。断るのも失礼だし、よほどのことがない限り気軽に応じるけれど、アドバイスは結構難しい。自分の生徒ならある程度その人を理解しているし、信頼関係ができているので、かなり厳しいアドバイスでも受け入れてもらえると思うのだが、見ず知らずの人の場合は当たり障りのない言葉でお茶を濁すしかないように思う。



 いつもの話だけれど、人はその人のレベルに応じた話しか理解できない。どんなに素晴らしい話でも、受け取る側にその準備が出来ていなければ徒労に終わる。生半可な指導者がよく思うのは、これだけ立派な話をしてやったのだから、生徒はさぞかし満足だろうと勘違いすることだ。それは単に自己満足でしかない。自分がどれだけ崇高なきわみに達していたとしても、相手のレベルに応じた話をしなければ何にも伝わってはいない。指導者も一つの表現者だと思うのだ。そのことをよく理解しなければならない。



 もう一つ指導者が陥ってはならない禁じ手は、自分を高く見せようとして相手を傷つけてしまうことだ。結局は自分が如何に素晴らしい芸術家であるか、指導者であるか、そんなことを言いたいがために相手を批判するのであれば意味のないことだ。アドバイスはあくまでもその人の立場、立ち位置、レベルを理解してより高みに導くようにしなければ全く意味がない。



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ベニスに死す - 2011.02.25(未選択)


マーラー 交響曲第5番 第4楽章 アダージェット



はる 3533

 かなり長い文章を書いていたのだけれど、アップしたら消えてしまった。二度同じことを書く気がしないので違うことを書こう。



 昨日の続きのようなこと。



 例えば私の絵はリアルな具象ではない、かといって抽象でもない。なんとも曖昧などっちつかずの立場に立っている。このどっちつかずという立場は私にとって一番心地のいいところであって、白黒はっきりしない、優柔不断な性格そのものを現しているようにも思うな。



 人の生き様として一番いいのは最晩年にピークがくることだ。遅ければ遅いほどいい。死ぬ少し前あたりに人生最大の絶頂期が来るのがいい。それと反対はスポーツ選手のように10代や20代で峠をこえることだ。後の人生がなんとも色あせて見えるだろう。若い時期に注目された作家など不幸極まりない。何もないのだからあとは死ぬしかない。



 さて、また眠くなった。ではでは。



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プラトーン - 2011.02.25(you tube)


弦楽のためのアダージョ



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作家魂 - 2011.02.24(ポケットの窓から)






第五回道(TAO)展



2011 2/22~2/27

山梨県立美術館 C室

 

はる 3532

 本屋さんによって美術雑誌を立ち読みする。多くの場合ほとんど購入することはない。自分に関係した記事が掲載されれば黙っていても送られてくる。昔は定期購読していた雑誌もほとんどやめてしまった。すぐに溜まってしまうということもあるけれど、必要な情報は黙っていてもどこからか流れてくるものだ。



 絵画には流行が大いにあって、一昔前はリアルな美人画のような絵は不人気であった。それでもデパートなどで売れるのは当時でもやっぱり具体的な絵柄だったな。ところが今は多くは絵に描かれたような美人画が絵画の主流になってきた。どの美術雑誌をのぞいて見てもほとんどが美人画の特集をしている。新人作家はほとんどがマネキンのような決まりきったような美人画の作者だ。



 まだまだこの勢いは止まらないようだ。私は当分それが続いてくれと願っている。負け惜しみではなくてね、なぜなら時代はいつもぐるぐると回っている。今、徹底的に具象にふれた志向は、やがては抽象に必ずふれてくる。それが10年後なのか20年後なのか、私が生きている間に巡ってこないかもしれない。けれど、いつかは必ず戻ってくる。



 作家のアトリエが取材されて掲載されていたけれど、何と言うのかな・・作家と言うのは生き方の問題で、リアルに生身の人物に近づけば近づくほど作家魂からは離れてゆく気がするのは私だけかな・・。私が甘いのかもしれないがね。わかりません。



 閑話休題

 前から考えていたことだけれど、少し書きながらまとめてみよう。



 最近、隣国が経済的に台頭してきて、銀座などを歩いていても集団で肩を切って歩いているのはほとんどがかの国の人だ。ブランドのお店でも結構大人買いをするので、いいお客さんということになっている。



 日本は経済的にかの国に負けて意気消沈している。そのうちに隣国に攻められて属国に成り果ててしまうのではないかという妄想に国全体がおかされているようだ。やれ、それではいかんということで、若者にはっぱをかけて尻をたたくのだけれど、彼らの志向はそんなところにはなく、第一志望の人気職種は銀行だったり、保険会社だったりして、結局戦うことなく今ある財産を守るという明らかに保守的な姿勢になっている。多分これからもっともっと保守的な人種が増えてゆくだろう。



 価値として「便利、安い、新しい」というのが、今までの選択のモノサシだったわけだ。アメリカを真似して、それを徹底して推し進めてきた結果、わが国は世界で第二位の経済大国になった。動機は「ハングリー」だったからだ。モチベーションとしてハングリーというのは一番分かりやすい。食えないものを食いたいというのが一番の動機だ。がむしゃらというのが一番強い。わき目もふらずがむしゃらに働いてきた。



 けれど、その結果振り返ってみると捨ててしまったことも多いことに気がついた。「安い、便利、新しい」だけがモノサシではないと今頃気がついて来た。今更ハングリーを持ち出してもだれも乗っては来ない。当然だカッコよくないもの。



 より成熟した社会のモノサシを持たねばならない。たとえば「安い」から選ぶのではなく、高くても安全なものを選ぶとか、「便利」だから選ぶのではなく、不便でも楽しいものを選ぶとか、「新しい」から選ぶのではなく古くてもいいものを選ぶとか、そこにある基準はお仕着せの一律のものではなく、より自由に個人が考えて選んだものだ。個人の品格とかが現れるようなものではないだろうかね。



 そういったある種の「成熟した文化を持つ国」というのが目指すべき指針ではないだろうか。



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(no subject) - 2011.02.24(ポケットの窓から)



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第五回道(TAO)展始まる - 2011.02.23(ポケットの窓から)




第五回道(TAO)展



2011 2/22~2/27

山梨県立美術館 C室

055-228-3322

 

HIROA-RさんがTAO展の紹介をしてくれました。どうもありがとうございました。

http://hiroar.exblog.jp/14298752/




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はる 3531

 私事で少し留守にしていました。その間、グループTAO展が始まっています。



 同好の志のグループ展のようですが、内容は教室の発表展のようなものだと考えています。初心者は初々しく、上級者はより上をめざす、それぞれがその過程を楽しめればいいように思います。ご観覧、ご批評はお手柔らかによろしくお願いします。



 上のHIROA-Rさんのところで書かれていた中央の団体展の種類ですが、簡単に言えば官展系(日展)と在野系の二種類ですね。



 団体展の成立の課程から説明しなければなりませんが、元々日本にはこういった公募団体展なるものがなかった。明治になって西欧の文物がなだれのように押し寄せてきた、その中の一つがフランスのサロン(1725~)を真似た発表の場としての公募展(文部省展覧会ー文展1907年)でその後紆余曲折があって戦後今の日展(日本美術展覧会)となった。



 で問題はいつもそうなんだけれど、誰が良し悪しを決めるんだということなんだな。芸事というのは絶対の基準と言うものがない。ということでどうしても多数決という方法をとらざるを得ないことになる。そこでどうしても、学閥とか門閥、地域閥のようなものが出てくるのだな。人の集団である限りそういったことはある意味仕方ないかもしれない。で、長く続くと分裂、分裂を繰り返してやがては消滅することになる。



 上の文展も始まってすぐに分裂、洋画でいえば最初に二科展(最初の在野団体1913年)ができる。そこからどんどん枝分かれして、今では弱小ものまで含めると約100団体ぐらいあるのではないだろうか。



 今の日展は一番大きな団体展なんだけれど、分かりやすく言えば連立政権のようなもので日展に参加する団体(光風会、太平洋展、創元展、白日会など)の集合体になっている。参加しない団体(二科会、春陽会、国画会、ほか)になる。

 



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人生のメリーゴーランド - 2011.02.22(未選択)



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ブログ再開します。 - 2011.02.22(ポケットの窓から)






 

はる 3530

 少し春めいてきた。寒さが厳しい冬だったから余計に春が待遠しい。ブログ再開します。



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(no subject) - 2011.02.21(ポケットの窓から)



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(no subject) - 2011.02.21(ポケットの窓から)



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(no subject) - 2011.02.21(ポケットの窓から)



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(no subject) - 2011.02.20(ポケットの窓から)



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(no subject) - 2011.02.19(ポケットの窓から)



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第五回道(TAO)展 - 2011.02.18(ポケットの窓から)






第五回道(TAO)展



2011 2/22~2/27

山梨県立美術館 C室

055-228-3322

 

はる 3526

 来週の火曜日2/22から県美で私の生徒たちのグループ・道(TAO)展が始まります。展覧会そのものは毎年開催しますが、大きな作品を中心に美術館で発表するのは隔年です。ほとんど始めて油絵を描いた人から県の美術展では常連の人まで、100号を中心に30点近く並ぶ展観はなかなか見ごたえがあると思います。ぜひともご高覧のほどをよろしくお願いします。



 明日からしばらく留守にします。更新はシャメだけになるかも知れません。あしからず。



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好きなことやって生活できる方法 - 2011.02.17(ポケットの窓から)






 

布のコレクション

 

「吉川春水、昨日今日明日」より勝手引用

http://kikkawaharumi.blog68.fc2.com/blog-entry-959.html

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略・・

仕事をすることに大反対した父を押し切って、仕事を続け40余年、今私は、「好きなことをやるからこそ、生活できる」と自信を持って言うことができます。もちろん好きなことは趣味にして、生活のために「仕事」を続ける人も多い、もしくはそれが大多数。ではあるけれど、「本当に好きなこと」を諦めずに続ければ、それはそれなりに「生活」できると信じています。



「できる」と私が言いきる最大の理由は、「好きなことをする=生活できない、もしくは清貧に甘んじなければならない」という呪縛にとらわれるあまり、大多数の人が好きなことで生活できるまで頑張らない。途中で諦める。



結果として、「好きなこと」を続ける人がだんだん少数になり、わき目も振らず「好き」を続けるうちに競争相手が自然といなくなり、やがて本人の技術、経験が加わり、それなりにその世界で生きていけるようになる。



略・・

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「蔵出し」はる 3438

オリジナルについて

resonanceより勝手引用

http://resonance-1111.tumblr.com/post/1638140458#note

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「ついに一人のフォロワーも得ることのなかったユニークさ」には何の価値もない。「多くのフォロワーを獲得したためにいつのまにか少しもユニークなものでなくなってしまったユニークさ」だけに価値があると私は思っている。だから、「オリジナリティ」に値札をつける習慣にどうしてもなじむことができないのである。



詩について言えば、詩人がほんとうに求めていたのは読者たちの彼の詩境に対する全面的な共感だろうと私は思う。理解されず共感されず、それゆえ模倣することもできぬような詩想を有したことでオリジナリティを確立することなど詩人は望んではいない(と思う。詩人じゃないからわからないけれど)。



詩想がひろく共感されるということは、人類の「感受性の財産目録」にそれまでになかった新しい感受性を一つ付け加えるということだと私は考えている」



詩人のコピーライトについて (内田樹の研究室)

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はる 3525

 日ごろ暇な時は本ばかり読んでいる。と書くと非常にカッコよく聞こえる。何のことはないここにタイトルを書くことさえはばかれるような暇つぶし本ばかりである。小難しい読むのに苦労するような本は一切読まない。だから世に言う「読書家」とはいえないねぇ。



 けれど本を読むことは好きだ。どこかに出掛けるときは必ず、文庫本を持って出掛ける。なければ近くの本屋に立ち寄って何か本を買うことになる。読んだ本はまとめてすぐに古本屋に持て行く。溜まって困るからだ。



 自分の人生に読書という習慣はなかった。だから読むのも非常に遅い。読書を教養として「読まなければ」という強迫観念から開放して「暇つぶし、楽しみとして読む」と考えるようになって俄然面白くなった。なくてはならない趣味になった。



 最近読んだ本の中にこんなことが書かれていた。



 まぁ犯罪者の話なんだけれど、その主人公とは幼馴染で小さい頃からつるんで遊んでいた。大きくなって主人公は犯罪と取り締まる役人になり、その幼馴染は反対に犯罪者になる。子供の頃はそう大きな違いはない。どちらにも同じような場面があるわけだ。それでも実際に犯罪者になってしまう者とそうでない者には、どこか決定的な違いがあるというのだな。



 人というのはある時を境に決定的に悪になるわけではない。善と悪はいつも同じ分量あって、悪に染まるものはいつでも少し悪が勝っているというのだな。それを覆すのには本人の自覚が不可欠で、多大な努力を必要とする。そんなことが書かれていて気になった。



閑話休題

 この間の売れないアーチストの話。売れないことことが、理解されないことが芸術の前提であってはならない。「好きなことで食べられない」ことが人々の理解をこえた高尚なことと勘違いしてはならない。



 いつの時も同じくらいの賛同者と非賛同者がいる。売れるものは突然火がついたように売れるのではない。もちろんそんな人も時にはいるけれど、ブームは来た時と同じように過ぎてゆく。そんなものを相手にしてはいけない。本物はいつの時代も数は少ないかもしれないが圧倒的な支持者がいるものだ。そういった圧倒的な支持者を少しずつ増やしてゆく。それしか真っ当な方法はない。



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仕事の流儀 - 2011.02.16(ポケットの窓から)






「阿弥陀二十五菩薩来迎図 13世紀後半 知恩院

 

はる 3524

 先日の香月さんの話、Iさんへのコメント



「真似ることは悪いことではないと思います。いいものはどんどんまねて吸収すればいいと思います。 反対に真似られて独自性がなくなるようなオリジナリティならもともと何もないのと同じだということです。



  真似られるというのはそれほど魅力があるということで、偽物がでるほど、物真似がでるほど、人が放って置かないという証拠でしょう。



 香月さんにとって材料は秘密のものではなかった。自身の体験は誰も真似できないという自信があったのだと思います」

・・・・・・・・・・



 今年度の授業もあと一回あまりになった。このくらいになると、大体私のやり方が飲み込めて、何も言わなくてもスムースに仕事が進んでゆく。仕上がらなければ何時間でも放課後に残してやらせる。無論私も付き合う。時間講師であるからそこまでやる必要はないのだが、そうしなければどうにもシメシがつかない。



 どうでもいいという態度を私が見せると、彼らは絶対にいい物をつくろうとはしない。自分の作った作品に愛着がもてないような仕事をやらせても時間の無駄だ。せっかくやらせるならば、徹底していいもの、自分なりに納得のいく作品を作らせてやりたい。たった一年という短い間だったけれど、何か満足感、充実感、達成感を味合わせてやりたいと思うのだ。



 無論、向き不向きがあるので一律には言えないのだけれど、今まで多くの生徒と接して思ったことは、ほぼ全ての生徒が少し指導すれば自分の作品に愛着を持つようになるということだ。上手はじょうずなりに下手はへたなりにね。



 そのことは多分私の仕事にも反映しているのだと思う。何か人の度肝を抜くような大層なことは多分出来ないだろう。でも人の心の奥底にある、小さな感動する心とか、物を作る喜びとか、愛でることの歓びとか、表現することの面白さとか、考えることの大切さとか、そんなことが極々じんわりと伝わって行けばいいと思う。それが私の仕事の流儀なのではないかな。



 



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作家の種類 - 2011.02.15(ポケットの窓から)






 

はる 3523

 ブログを読んでいたらなるほどと思うことが書かれていた。以下は要約して書いてみる。



 作家の種類

「画壇作家」・・絵描きの中ではエリートである。ただしその構成員になるには多大な努力をようする。学閥、門閥、地域閥、師弟閥が大手をふるう。学校の先生や大学の先生、カルチャーの講師など肩書きで仕事をするタイプには都合がよい。購入者はその教え子や、その非構成員がほとんどである。



「芸能人作家」・・実力はほどほどでよく、一世を風靡した芸人がその峠を越えたころからにわかに趣味的に描き出したもの。誰が見ても分かる写真のような絵が多い。購入者は昔のファンであり、現在のファンでもある。



「現代美術作家」・・何だかよく分からないけれど、世界的にブームを自ら作ってそれに乗ってマネーゲームのように売る、売れる作家。一時のジャパンマネーが西欧の名画を軒並み買い占めたように、今はチャイニーズマネーが若い作家を青田買いする。



「画廊付作家」・・画廊のオーナーの独断と偏見で選んだ作家のみを企画している画廊に巣食う作家。購入者は作家のコアなファンではあるが基本的にオーナーのファンでもある。相乗効果でいい時にはいい夢を見られる。



「デパート作家」・・大体が毒でも薬ないインテリア絵画である。「細かく、綺麗、分かりやすい」購入者は不特定多数



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まねるはまなぶ - 2011.02.14(ポケットの窓から)








かわいい弟子たち

はる 3522

大石正巳のアトリエ日記より勝手引用

http://laseine38.exblog.jp/15919051/

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

略・・

香月さんといえばご存知シベリアシリーズ。独特のマチエールのである。

学生さんが質問したと・・・・・



「聞きたいんか」と。

日本画の材料と絵の具の白と黄土色。それに木炭をすった粉を入れて

いっきに描き上げたと。見ていてもわからんからやってみろ、ということ

でやってみたらみんなが香月さんと同じものが出来たと・・・・・



そして・・・・

「安い材料で、早い時間で、高い絵を描けよ」と、いったらしい。



これは、野見山暁治が語る 「眼の人」 北里晋著 弦書房出版からの引

用である。

略・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



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いのりのかたち - 2011.02.13(ポケットの窓から)








約500年前のイコン

はる 3521

 今年の個展でよく聞かれた感想は、DMの写真と実物では全く印象が違うということだ。写真はあくまでも参考程度のもので、実物とは違うものだと考えた方がいいように思う。広く世の中に宣伝したり流布する場合、写真にしろネットにしろ、とにかく複製を大量に配らなければならないわけで、最近はぼちぼちネット上に案内を載せるというのが有効になってきた。



 二年ほどまえに自分の小さな画集を作ったのだが、昔のように一枚一枚アナログのフィルムで撮るのではなくデジタル情報としてパソコン上で処理してそのままメールに添付した形で印刷にまわす。まぁ最近のDMもほとんどがデジタルで情報交換が昔と比べて格段にスムースになった。



 ネットが便利だと思うのはグーグルなどの検索機能で、何か調べ物をする場合これほど有効なものは今までなかった。ネットにつながることで世界中の百科事典を手に入れたようなものだ。これによって多分多くの商売の仕方が変ってきたのではないだろうか。倉庫とネットさえあれば店舗を持つ必要がないので、どんな田舎でも新しい商売が出来る。私もご多分に漏れず何回か利用させてもらった。お店にオーダーするよりも何倍も早くスムースに物品を手にすることができた。



 話は戻るのだが、便利と言う尺度で判断すると、仮想物→印刷物→実物という順番だが、反対に存在感という尺度で考えると反対になる。



 古今東西、未だに残っている絵画とか彫刻、建物などはほとんどが名もない民衆の「いのりのかたち」で、反対に言えばそれ以外のものは跡形もなく消えてしまってほとんど存在しない。



 人が動物と違うのは「自らは死ぬ存在である」ということを知っていることで、どんな民族、人種であってもそれを知って「おおいなるもの」の存在を意識する。



 絵画に限らないだろうけれど、そこのところを踏まえていれば、たぶん電脳社会と我々のようなアナログの絵画表現とも両立できるように思うのだが、どうだろうか。



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盆地に雪 - 2011.02.12(ポケットの窓から)




 

はる 3520

 昨晩は朝から雪が降った。甲府は北国のイメージがあるのか雪はどうですか?とたまに聞かれる。寒いのは毎日全国でも一二を争う極寒の地ですが、雪は年に二三度降っては10cmぐらい積もる程度だ。今回の雪も重い雪で日中はほとんど解けてしまった。



 樋がつぶれて雪解けの水がポタリポタリとたれていた。壁が濡れるのを嫌って少し流れをよくすればいいと考えて、脚立にサンダル履きで乗った。そこまでは覚えているが、すーと身体が斜めになって気がついたら側溝にはまっていた。したたか胸を打った。脚立に登る時に妙な予感がした。退職した先生が庭木の剪定をしていてそのまま倒れて下半身不随になったことなどが、ちらりと頭によぎった。それでやめとけばよかったんだけれどね。



 夜になって少し痛む。心配になって、救急病院でレントゲンを撮って診察してもらうことにした。何事もなければそれでいいし、悶々と心配するよりいいだろう。幸い右手は使える。



 シップと痛み止めをもらう。とりあえず骨には異常がないということで、このまま時間と共に痛みも取れるでしょうということだった。ということの顛末でした。みなさん脚立には気をつけましょう。



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(no subject) - 2011.02.11(ポケットの窓から)



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カッコいい! - 2011.02.10(you tube)



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丸山真未 展 - 2011.02.10(ポケットの窓から)








「丸山真未展」



甲府・画廊三彩洞

 

 小さな展覧会を二つほど観た。上のはその一つ。簡単な線描のイラスト。目から描いてそれが人物になるか鳥になるか魚になるかは、描いてゆく過程で決まるそうだ。これからどう展開してゆくのか楽しみだ。



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再びセザンヌについて - 2011.02.09(ポケットの窓から)






 

 井上直久さんのブログを読んでいたら、昨日書いた「秘密」と少し関係したようなことが書かれていた。下に勝手引用しておいたので、リンク元を訪ねてみてください。あぁやっぱり同じようなことを感じている人もいるんだなと思った。



 特にアメリカ発の現代美術などはこれでもかと言うほど「自己主張」の集まりです。自己主張なくしてアートはありえない「私が、、僕が、、」のてんこ盛りですね。美大やその他の美術の専門の学校などでも多分多くは「如何にすれば人と争って勝つか」そんなことのノウハウを教えるのではないだろうか。教える先生たちがたぶんそういった世界で戦って勝ってきた人たちだから、それが唯一正しい美術のあり方だと考えているのではないだろうか。



 異端だった若冲などがアメリカ経由で再び注目されるのもそんなところに根があるように思う。変っている、見たことがない、異端である、そういったことばかりが芸術の価値としてもてはやされると、敏感な若い人は争ってそんなことに血眼になりそうな気がする。



 他と違うことを唯一の取りえとしているものというのは、考えてみると非常に不安定なところに立っている。なぜならそれはすぐさま真似されて他と同じになってしまう。だからやたら「コピー禁止」や著作権を主張してその権利を守るために躍起になるのでしょう。



 今の世の中はお金が中心の世界だから、すべて利権がらみで物真似はいけないことという前提で成り立っている、しかし、どうなんだろう、よくよく考えると見知らぬ個人の利益を守るために、何故我々が我慢しなきゃならないのだろう。何かおかしくない?いいものはどんどん真似していいのじゃないかな。



 ゴッホやダリや若冲などのように決定的に他とは違っていれば、それはそれで普遍的なものに近づくことはできるように思う。それはある種神から送られた才能だから、うらやまれることもない。ただ周りにいたひとに多大な迷惑をかけたでしょうな。



 私は学生の頃に考えた。例えばここで林檎を描くとする。リアルに上手そうに描けたとする。しかし、それで一体なんなんだ?という疑問だな。例えばそれをもっと私だけの解釈で世界でどこにもない林檎を描いたとする、でもそれで世界が注目するのか?やってもやっても無駄なように思えた。



 少し見えたと思った取っ掛かりはセザンヌだった。今から考えると彼の絵は自己主張しているようでしていない。「私が、、僕は、、」という声が聞こえないのだ。淡々と内に向って、ただひたすらに根源へと向って降りている。



 人を驚かそうとか、人とは違うことをしようとか、自分のオリジナリティがどうのこうの、、など全く考えてはいない。自分のために、それが人のためになってやがて人類のになり世界ののになり宇宙まで広がっている。林檎を描いていてむなしくなった私を救ってくれた。今やっていることが無駄なことではない言われたような気がした。



 ということでまた眠くなった。また



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「自分を認めて欲しい」という声 - 2011.02.09(未選択)
イノうえ・ナおひさのイバラード日記より勝手引用

http://megezo.ddo.jp/inoue/tackynote.cgi?action

=view&year=2011&month=02&day=02&no=1071#1


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

略・・

絵を描くことを仕事にする。それはもちろん

絵を描くのが好きだから、であるのは間違いない。

けれど大抵それに、いろんなものがくっついていたり隠れていたりする。

大学で教えていた頃、それも後半になって特に気になったのは、

学生の作品が叫んでいる作者の声、“自分を認めて欲しい”だった。



それは“絵を描くのが好き”を覆い隠すほどに強かった。

絵を描く楽しさや、描くことで何かを見つけるときめきよりも、

とにかく「感心して欲しい」「驚いて欲しい」「褒めて欲しい」

そして何より「自分を認めて欲しい」という、切実なそういう気持ちが、

少なからぬ数の学生作品に、見るのがつらいほどにあふれていた。





僕の絵にもそういうものはもちろんあると思う。

そういう強い思いなしには、絵を描くという独特の労力を要する作業を、

長い時間続けるのは難しいかも知れない。

仕事として絵を描いている人たちの作品にも、

上に書いたそういう気持ちが強く現れているものも多い。



けれどこの左の絵と右の絵の間の、あらためて何も意識しない時間

この世界のおもしろさだけに浸っていた時間が落ち葉のように積み重なって、

絵になっていくのが、どうも一番いい方法らしいと、いまの自分は思う。



ひとに説明するのは難しい。

特に悩み苦しんでいる画学生の、すぐの役に立つようには出来そうにない。

それで作家としてやっていけるのかと聞かれると、僕にも分からない。

ただそうやって描けた絵は、他人の目にはどうか分からなくても、

自分には面白く、不思議で、珍しい――愛でたいものになっている。

【井上直久】

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秘密 - 2011.02.08(ポケットの窓から)






 

はる 3516

 昨日「就職しないで生きる」といったことを書いた。もし定職を持っていたら違った生き方になったでしょう。まぁ人は二つの人生を歩むことが出来ないので、どうなのかはっきりとは分からないのだけれどね。人生のある時期にどちらを選ぶのか選択を迫られる。無論どちらが正解というのではない、どちらでもいいのだけれど結果的には大きく変ってしまう。



 絵を描くことと生活が直接つながるとは考えられなかった。「絵描きになりたい」とは思っていたけれど、それが何を意味するのか、正直いって何も考えてはいなかった。場当たり的に学校の先生の職を辞してしまって、もう取り返しがつかないところまで追い込まれていた。何をやっても長続きしない、だめ男だと自分でもそう思って情けなかったな。普通なら実家の関西に帰るのが筋なのだが、今更おめおめと帰省するわけにも行かなかった。行くところがないので、学生時代すごしたここにすごすごと帰ってきたのだ。結果的には絵描きという生き方を選んだように見えるけれど、ある意味こうするしか仕方なかったというのが本当のところだ。



 私は絵を描いて生きてはいるけれど、どうもプロの作家になりきれないところがある。というのは注文に応じてだれそれの肖像を描くわけでも、こうして欲しいという期待に応じるわけでもない。職人のようにある一定のグレードの製品が出来るわけでもない。実にあやふやな、自己満足の基準で作品を作っている。まぁ私自身の判断ではいいと思ってはいるのだけれど、世間一般ではどうなのかわからない。何十年もやってきてこれだから本当に困る。それで平然と個展をやって人様に見せているのだから恥知らずと思われても仕方ない。でもまぁそれでも生きてゆけるのだから、反対に続けてもいいということだろうと解釈している。積極的にこれが私の選んだ道だとは言えない。



 秘密と言うほどのことではないのだけれど、気付いていることを書いてみる。多くの人は「私を見て」というために絵を描いている。だからどんな絵にも「私が、、ぼくが、、」という自己主張の声しか聞こえない。一点や二点なら聞いてもくれるだろう、でも大体が飽食で気持ち悪くなる。私は反対に見る人を「引き込もう」と考えている。出すのと入れるのでは180度違う。何か共通の想いを持つこと。誰にでもどこにでもあるものを探すこと。いつもの話に戻ってきてしまった。



 もう少し書きたいけれど、眠くなった。また。



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