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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

一日雨 - 2010.09.30(ポケットの窓から)






 

 今googleで『絵描きになる方法」と打ち込んで検索すると何と260万件の情報の中でトップで私の2010/3/24の記事が表示される。少し前から検索項目で『絵描きになる」で私のブログに来る人が多いなと思っていたのだが、そういう理由だったようだ。無論私は何の細工もしていないので、そういった意味では凄く純粋に意味のあることのように思うなぁ・・。例えばどこかの教室の宣伝になるとか、それでどこかに利益があるというものではないので、自慢してもいいかもしれない。



 インターネットが世の中に出てきた頃、新聞や雑誌と違ってどうやってこれが商売に結びつくか、色々とやってみたようだ。まぁ一番ネットらしい商売で成功したのがアマゾンなどの検索と流通をうまく結びつけた商売だろう。これは革命的にあたった。今まで探すことが容易ではなかった貴重本や品薄ものを簡単に見つけることが出来るからね。



 次にオークション商売かな。フリーマーケット的な不用品を凄く安い値段で手にすることができる。後はカタログ販売のような今までの延長上にある販売方法かな。しかし、これはなかなか見つけてもらうことが大変で、楽天とかヤフーのバーチャル商店に参加するしかない。個人商店ではなかなか見つけてはくれない。



 SEO対策というのが一時はやった。検索エンジンでトップ10くらいに名前が挙がるように小細工するわけだ。どういうシステムでそんなことが出来るのかしらないけれど、今でもランキングの王道はそういったことでなりたっているのではないかな。



 いずれにしても、最初から私はネットで商売するつもりはなかった。例外的に画集とかカタログ、版画みたいなものはこれからもネット販売することはあるけれど、オリジナル作品そのものはネット販売はしない。基本的には個展会場に来てもらって実際に作品と対峙してもらいたい。



 このHPは作家の日常生活を晒してどうやって作品が生まれるのか、どんな生き方をしている輩なのかを見てもらって、作品理解の手助けになればと思っている。まぁ、これがいいのか、悪いのかよく分かりませんがね。



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日常を楽しめるか? - 2010.09.29(ポケットの窓から)






 

 足の部分がなければ私の作品のような写真ですが、自宅の屋根の部分です。いい色に退色して適当に錆びも浮いてマチエールも少しついて来ました。が、屋根としてはそういうこといっさいがマイナス要素でありまして、錆びはさび落としで削ってさび止めしなければなりません。屋根全体となると小さい家でもけっこうな重労働でして、今日は日中は日差しがきつくて汗だくになって、もうへろへろです。前回屋根のペンキを塗ったのはいつだったろうか?記憶にないのはけっこう前のことだということでしょう。今回はまだペンキ塗りまではやりませんが、近いうちにやらなければならないでしょうな。



 家も古くなってくると色々とメンテナンスが必要になってくる。ボイラーなどは自分では交換できませんが、それでも一応ふたを開けて分解掃除をするつもりだった。でもまぁこれは素人が手におえる代物ではないことが開けてみて分かった。屋根の修理などもそうですが、樋などもよく詰まったり壊れたりする。まぁ人を頼めば簡単なことなんだけれど、出来るだけ出来ることは自分でやることにしている。



 手間ひまをかけるか、お金をかけるかという選択なんだけれど、私は前者を選んだ。普通に仕事しているとそんなふうには暮らせない。どちらでもいいと思うのだけれど、ある時期にはっきりと意識して選択する必要があるでしょうね。細かいことだけれど、日々の生活というのは手間ひまがかかるということだな。まぁそういった雑用も含めて日常生活を楽しめるかどうかでしょうね。自由業とはいうけれど、好きなことをだけをやっているわけではない。



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勝沼・ぶどうの丘から - 2010.09.28(ポケットの窓から)






ぶどうの丘美術館

 戸澗 幸夫 展保坂 博司

 9月1日(水)~9月30日(木

甲州市勝沼町菱山5093 ℡0553-44-2111.

AM10:00~PM5:00

勝沼のぶどうの丘に行ってきました。知り合いが展覧会を開催しています。

あさってまでですので是非皆さん行ってみて下さい。

 

 好きな絵には何か共通するものがあるらしい。クートラスの絵にはどこかアールブリット(精神障害者の絵画)とどこか共通するところがる。何者にも囚われない自由な発想と自在な精神があふれているように想える。実際の彼はそれほど自由でも気ままでもなかったのかもしれませんが、作品からはそんなものが感じられるな。



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信州松本まで出かけた - 2010.09.27(ポケットの窓から)






 

 松本へいったのは、決して遊びではありません。車の運転は得意ではありません。最近どうも三半規管の耳石が不安定のようで長いこと車の運転などをすると、少し酔ったような感じになる。これも加齢によるものかどうかわかりませんがね。



 下のロベール・クートラスの画像を追加しました。いや、私は全く知りませんでしたが、それなりに知る人ぞ知るのマイナーでも有名な作家だったようですね。その作家の姿勢というのか生き方がおもしろい。古い昔のタロットカードのようでありながら、どこか素朴な護符というのかお守りとか小さなイコンのようで、そんなところがまたいいなぁ。それにしっかり何々教といった宗教臭さや、説教じみたところもなく、純粋に自分だけのために描いたものという感じがする。



 大きな絵でなくても、小さく手のひらにのるような作品でも充分魅力がある。是非本物を見てみた。



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ロベール・クートラス - 2010.09.27(未選択)























 面白い作家ですね。へたくそなような上手いような不思議な画風です。ロベール・クートラス、ネットで検索して情報を載せます。

勝手引用

http://www41.tok2.com/home/indy/fc/hitorigoto/2004/2/17.html

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・・・・・これは、経済的に余裕がなかったがゆえの知恵で選ばれた支持体で、画材用の厚紙ではなく、それこそ有り合わせの厚紙で、ティッシュペーパーの箱や「なんでも屋が配った客寄せカード」なども使ったようです。

そうした厚紙に壁面用の塗料を地塗りし、その上に油絵具で描いていくことになります。


彼は自分の作品を「わが闇(Mesnuits)」といい、中世以来おなじみの骸骨やマリオネット、道化師、植物、動物、昆虫、文字、あるいは、ちょっとばかりエロティックな図柄をモチーフにして、それらを無限に表現していきます。


雑誌で紹介されている幾枚かを見渡してみても、描かれたものは多用で、顔の付いたお日様のようなものが縦に三つ並んでいるかと思えば、幕の間から覗くウサギの絵があり、また、裸の女性がお尻をこっちに向けているものもあります。かと思えば、色面だけで構成されたものもあります。いずれもが単純な線や色面で描かれています。


このクートラスという画家は、1930年、パリのモンパルナスに生まれたそうですから、いわゆる生粋のパリジャン(Parisien フランス語:パリ生まれの男性。パリ市民。パリっ子=広辞苑)ですが、両親の仕事の関係からか、10代の半ばでフランス中央部へ移り住むことになります。


彼は早くから芸術を志し、朝の5時から昼の1時までは工場で働きながら、その後、午後はその土地で制作を続けていた彫刻家の下で木彫を学び、夜は夜で地元の美術学校へも通う、というハードなスケジュールの中で仕事と勉強を両立させていたようです。


その後、1953年、23歳になったクートラスはリヨン(Lyon:フランス南東部、ローヌ・ソーヌ両川合流点にある都市。ローマ時代に起こる。大聖堂・大司教館・大学などがある。繊維・機械などの工業が発達。人口41万5千〔1990年時点〕=広辞苑)の美術学校へ入学しています。


美術学校で専門的な知識と技術を習得した彼は、「最後の印象派」と呼ばれる画風を掲げて画廊で個展を開いたり、1958年には上京したパリで賞を得て大手画廊と契約を結ぶなど、画家としてまずまず順調に歩み出します。


しかし、望んでもなかなか結べない画廊との契約を数年で解消してしまいます。その理由は本人にしかわかりませんが、想像するに、いわゆる“売り絵”を制作しなければならない現実と、真に自分が描きたい作品との間には決定的なズレがあり、それが短期間の内に、自分の中で修復不可能なほど大きなものになってしまったのではないか、と勝手に想像してみました。


加えて、彼が本来持つ、孤独な性格が大きく影響していそうです。


コラムの3ページ目には、仕事場に座る彼の姿を撮しとめた写真があります。そこに写る彼の表情は、決して愉快そうには見えません。


その制作環境が何とも風変わりです。何と、ベッドの上の狭い空間が彼にとってのアトリエであったといいます。


彼は、パリのアパートの一室に暮らし、そこで寝起きし、ベッドの上で小さな小さな作品を6000枚も描き続けたのです。


そうやって制作された作品は、長い年月を経たかのように、所々に虫食いのような跡や自然にがれ落ちたような箇所が見受けられますが、それはクートラスが床にこすりつけるなどして意識してつけたものだそうです。


昨日書いた熊谷守一にしろ今日のクートラスにしろ、世間一般の常識からいえば、理に合わない生き方をしたといえます。彼らには、それ相応の腕前があり、それを器用に活かせば人並み以上の生活ができたはずです。であるのに、敢えてそうした道を自ら断っています。


その“代償”として、豊かな生活は送れず、極貧の中で生き続けなければならなくなります。しかし、それは彼らにとっては代償なのではなく、それこそが信ずるに足る道だったのでしょう。


画家にとって代償があるとしたら、それは、むしろ豊かで何不自由ない生活の方にこそあるといえましょう。


人間というものは情けないもので、何不自由ない生活の中からは、真に意味のある作品は生み出せないのです。そして、苦しみこそが画家に名作を生み出させるのだとしたら、画家というのはまことに因果いんがな職業といわざるを得ません。・・・・

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裸婦クロッキー9/26 - 2010.09.26(裸婦クロッキー)















































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永遠かな - 2010.09.25(you tube)



(返信)

 

 表現というのはどうにも不思議なもので、食うに困らない、切羽詰ったものではないところからは人を心の底から揺さぶるようなものは出てこないような気がします。



 もう後がない、やむにやまれぬ、土壇場のところから、本当のものが出てくるのでしょう。多分いまの日本じゃ難しいでしょうね。



 心の中のもっともっと奥深く掘り下げれば、本来の何も変らない人間として、動物として、一つの命として、ぎりぎりに生きて希求する何かにぶち当たるとは思うのですが、なかなかそこまで自分を追い込むことは出来ませんね。



 残された時間も段々少なくなってきましたが、少しでも近づきたいとは思っています。まぁ無理でしょうけど・・。


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(no subject) - 2010.09.25(ポケットの窓から)



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なさけない - 2010.09.24(ポケットの窓から)






 

 何とか解析でみると、中国の方が時々このHPを訪れてくれているようだ。まぁとても広い国だから我々のような狭い島国に生きている国民感情はなかなか理解できないだろうなと推測する。



 良くも悪くも我々の気持ちの中に国境=海岸線というイメージがあって、おおいなるものも含めて優れたものは全て海の向こうからやってきた。古い時代は中国のとんでもない大きな文物に尊敬して憧れて真似をしてどうやら言葉さえも器用に真似て作ってしまった。まぁ足元にも及ばない大いなる大国であったわけだ。



 文明開化以降我々の感覚がどちらかと言えば西欧化してしまったからかもしれないが、どうも最近の彼の国はおかしいと思うのだ。おかしいというのか、集団としてのかの国は姿の見えない巨大な力のようで、個人の権利や他国のことなど知ったことではない!という無言の圧力があって、どうも恐ろしいのだな。それがまぁ集団としての国の力ということかもしれないけれどね。



 反対に、我らの国はまことに情けない集団で、「おい、こら!」と恫喝されたら、「はいはい、すみませんでした」といとも簡単に尻尾を振ってしまう輩の集まりでね。国としての方針も気概もないのか!といいたい。なら、最初っからかっこつけないで、へいこらしてろよな。かっこ悪すぎだ。



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エンリオ・モリコーネ - 2010.09.23(you tube)

2011年度の個展情報を更新しました。来年は今まで以上に忙しくなりそうです。アラカンですから本来ならそろそろ引退の花道を考えながら仕事を進めてゆくのでしょうが、我々のような芸(極)道人はこれからがそろそろ本番です。どうなることか、私自身とても楽しみにしています。よろしくお付き合いのほどを!


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自然淘汰 - 2010.09.22(ポケットの窓から)






 

 こういった風景を見て懐かしい気持ちになるのは私だけだろうか。よくわからないのだけれど、自分の中にある原風景みたいなものかもしれない。舗装されていない砂利道が延々と遠くまで続いていて、はるか向こうに穏やかな山が見える。途中に崩れかけたような小屋がある。



 毎日何かしらの写真を撮るとということになると、自ずからその人の趣味と志向が出る。そんなところからも何か読み取れるかもしれないな。最初はそれなりにかまえて撮るのだけれど、そのうちにかまっていられなくなって地が出てくる。



 保護されたものというのは弱いなと思う。何でもそうだけれど、例えば文化事業などでも補助金が出たとすると、それを目当てに色んな人が右往左往する。本来そこには存在しないようなものまで無理やり登場したりして場を盛り上げる。それでその場は大喝采で大成功のように見えるわけだ。ところが根付いていない行事は時とともに跡形もなく消えてしまう。



 芸能や文化のようなものは保護するとたちまちのうちにその魅力は消えてしまうように思う。本来そういった芸事というものは大衆と共にあって、大衆に支持されて始めて存在できるようなものではないのかな。芸術の名の下にどうもそこらあたりが勘違いしているように思う。反対に大衆に受けたからといってそれが何年も先に芸事として残っているかどうかはわからない。



 奨学金とか補助金、助成金などというものは百害あって一利なしと思った方がいい。「本当に凄い奴は放っておいても出てくる」ということかな。



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工場か左官屋さんかペンキ屋さんの仕事場 - 2010.09.21(ポケットの窓から)






 

 油彩画を描いていた時は一応H型という据え置き型の大きなイーゼルがアトリエを占領していた。漫画などで画家と言えばそういったイーゼルに絵を立てかけて、絵の具を山盛りにしたパレットを持って絵を描いている姿が描かれているけれど、私の場合そうやって絵を描くことはほとんどない。



 気がつけばアトリエの床に直接座り込んで、どこにでも絵を立てかけたり寝ころがしたりしながら描き込んでいる。いつも同じ調子で同じように絵を描くこともない。やりながら考えて、上手く行かなければ水をぶっ掛けて流してしまう。一度ボンドで張り付いた布はちょとやそっとでは引き剥がせない。カンナをかけるかヤスリをかけるかペンチでもって引きちぎるしかない。その跡がまた面白い効果が出ていたりする。



 パレットなどというしゃれたものもない。いいものを使ってもアクリルの場合すぐにだめになってしまう。筆やナイフもすぐに固まって使い物にならなくなる。だから生徒の残り物で充分だ。↑の水入れは古い洗面器だし、絵の具を解く皿は使い捨てのどんぶりだ。これが非常に役に立つ。



 工場か左官屋さんかペンキ屋さんの仕事場に近いように思うな。



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好き嫌い - 2010.09.20(ポケットの窓から)






 

 ↑の写真は130号の途中過程。まだ何も見えてはいない。雑多なもの厚い麻布(ドンゴロス)や薄いプリント地の綿布、壁土やもちろん絵の具などが渾然と重なって一つの造形物になっている。出来るだけ無意識にほとんど夢遊病者のようにオートマチックに絵の具をたらす。



 この辺りだけを見ると戦後すぐあたりのアメリカの抽象絵画に近い。デクーニングやポロック、ジャスパージョーンズなど、フランスのデビュッフェなども好きだな。多分新しい安価な画材、塗料とかアクリル系の水性絵の具が登場してきたおかげで、大きな画面にふんだんに使うことができたということも関係しているのではないだろうかね。今までの油絵の具でしっくりゆっくり描いてゆくという絵画とはどこか違う。



 油彩絵画の伝統と言うことであれば西欧には連綿とした歴史があるわけで、建国二百年ぐらいの歴史しかない彼の国はスタート時点で完全に負けているわけだ。最初の頃はそれでもヨーロッパの当時の巨匠を招待したりして文化的な遅れをひっしになって取り戻そうとしていた。それはそれで上手く根付いたところもあったけれどね、やっぱりアメリカ的な表現になるのは先ほども書いたけれど新しい画材とめぐり合ってからだと思う。



 私が今の画材に出会ったのは93年頃に自宅の改装をした時だ。床のフローリングを貼る時にはボンドを使ったし、外壁を塗る時は安いアクリル塗料を買ってきた。穴を埋めるにはパテを使ったし、左官屋さんのように和風の京壁も塗った。これらの経験から得たものは多い。



 最初の頃は建材やさんからセメントを着色する顔料を随分と購入してきた。これは画材店から買うよりも随分と安かった。今でもその時に買った弁柄などは使い切らずにある。ところがこういった顔料には成分が書かれていないことが多い。今まで伝統的に左官屋さんが色粉として何の疑いもなく使ってきたものだろうけれど、あらためて考えると成分表示のない顔料は怖いと思った。



 と言うことを経て、弁柄や砥粉や黄土、胡粉など明らかに成分が分かっているもの以外は画材店から購入することにした。それもあるけれど段々に使う顔料が土製のものに限られてきた。今は成分をみてアクリル絵の具と変らない物はそのままアクリルもつかう。



 材料が変る事で絵も随分と変わると思う。多分今の描き方は水性の絵の具でなければ考えつかなかっただろうし、油彩は油彩の得意とする表現方法があるしそれを否定するつもりは全くない。



 だから、これは好みの問題なんだろう。こういった色々なものが渾然と一体になったようなものが好きなんだな。幼い頃に泥遊びをした記憶だったり、糊をメリケン粉からつくって新聞紙を丸めたものにべたべた貼って人形を作ったり、紙と布を貼り合わせて自分だけのノートを作ったり、木を削ってお守りをつくったり、そんなことが遠い記憶として今の仕事に結びついているように思う。



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(no subject) - 2010.09.20(ポケットの窓から)



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無作為の理 - 2010.09.19(ポケットの窓から)








 

 画商が作家を育てることはない、よくてコレクターとの共犯だそうだ。「画商の仕事」という項目で検索して私のブログに来た人がいた。それを逆に伝わって上の文章にめぐり合った。画商は作家の作品を商売としてコレクターに売る。いまだかつて作家を育てようなどと傲慢な考えを持ったことはない。出てくる作家は放っておいても勝手に出てくるもので、育てられるものではない。なるほどなぁ、そうかもしれない。



 昨日の話にもつながるのだけれど、例えば種を蒔いてきれいな花を育てようとすると、一生懸命水をやったり肥料を与えたりする。確かにそうすれば一時は満開の惚れ惚れするような大輪の花をつけるかもしれない。けれどもそれがその場に合わない、どうしても間違った場だったら、いつしか静かに消えていってしまうだろう。いつの間にか自生している草木に取って代わられてしまうのだ。その自生している雑草こそがその場にあった正しい植生だからだ。



 ダーウィンではないけれど、生き残るには生き残るだけの理由がある。強いから残るのではない、弱いからきえるのではない、無作為だから残るのだ。



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勝手引用 - 2010.09.19(未選択)
「時の忘れ物」

http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/52427401.html



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 ・・・私自身は、美術業界に入ったときから、確信犯的に「画家を育てるなんておこがましい。凄い画家はほっといても自分から出てくる」と広言して、周囲の若い人から顰蹙をかっていました。私がそう言っていたのは、ヨーロッパならいざ知らず今の日本で、画商が画家を育てるなんて実態を無視した絵空事(でなければ建前)と思っていたからです。

 今から思うと若気の至りですが、数多く存在する画廊の多くが、育てるどころか、「客からではなく、画家から金を集金する」貸画廊であり、画家にしても何年も先まで予約が入っている有名貸画廊(当時はそういうのがありました)を大枚払って借りて個展をすることがステップ・アップになると勘違いしているような状況はおかしくはないか・・・・・と義憤を感じていたのですね。

 もちろん、「貸し」ではなく、「企画画廊」としてやっている画商さんも多数います。でもその多くは(私も含めて)画家のつくった作品を商売として売り買いしているのであって、決して「芸術家を育てる仕事」をしているのではありません。

 ある作家の才能を見抜き、その価値を信じることにおいては、身銭を切って買うコレクターに、所詮私たち画商がかなうはずがないと思っています。私たちの仕事は顧客あっての商売で、もし画家を育てる人がいるとすればそれはコレクターであり、画商ではない。そういう素晴らしいコレクターに出会い、せめて共犯関係(主犯はコレクターです)になることが画商としての私の切なる願望です。

 因みに日本の近現代美術史を飾る画家たちの自伝などを読んでみると(少なくとも私が読んだ限り)、梅原龍三郎でも、安井曽太郎でも、棟方志功でも、恩地孝四郎でも、大沢昌助でも、瑛九でも、オノサト・トシノブでも、菅井汲でも、駒井哲郎でも、「画商に育ててもらった」などと書いている画家は一人もいませんでした。むしろ池田満寿夫さんなどは恨みつらみの方が多い。・・・・・

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話は突然やってくる。 - 2010.09.18(ポケットの窓から)






 

 今朝最後のシャワーを浴びた。何度かつっかりながらお勤めを果たし終えた。お酒と水と塩でお清めをしてご苦労さんでしたとお礼を言った。25年だからね。このぐらいして当然かな。まぁこのボイラーがどれだけもつのか分かりませんが、とりあえず新しくきれいになったことは確かだな。



 仕事はどんな形でめぐってくるか分からない。話があったときにすぐにでも対応できる状態にしておくことが大事だ。ほとんどの場合、無名の新人はそんなに余裕のある絶好の時と場は与えてはくれない。個展まで半年あればいい方だ、三ヶ月ということもある。話があったときに断ってしまえば二度目の話はないと思った方がいい。不安はある。ストックしてある絵で間に合うのか、展覧会が出来たとして、果たして首尾よく行くのかどうか。少なからぬ人が関係して仕事が進んでいるわけだから、自分ひとりが恥をかけばすむことではない。



 基本的に色んな場所で展覧会をやって、旅芸人よろしく生きてゆくというような生き方をしたいと考えている。これから人生の後半に入ってゆく。どこまでそれに近づけるのだろうか。楽しみにはしている。

 



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路地花 - 2010.09.17(ポケットの窓から)






 

 路地に咲く花は美しい。着飾った花屋さんの店先に並んでいる花々もそれなりに好きなんですが、こうやって何気なく路地に咲いている花のほうが自然でいいなぁと思う。雑草などと人間の勝手な解釈で呼ばれるけれど、草花の方から言わせればお前たちの方が邪魔者、よけい者と言われそうだ。



 絵を描く場合なんかでもよく言われるのが、自然をよく観察しなさい」「よく見なさい」という事。人はいずれにしろ自分の身の丈でしか理解できないから、初学者は「なるほど、見た通りに忠実に描けばいいのだな」と思うわけだ。写真のように、見たとおり、見えたとおりに描いた絵は、街角でやっている似顔絵のようで、すこぶる気持ちの悪いものだ。何が気持ち悪いのか、これはどう説明すればいいのだろうか。



 物理的に言えば人間の目は複眼で二重写しに見えている画像を頭の中で一つにしている。写真は単眼で一つの同じ画像を複眼で見るからという風に説明できるのだけれど、私の言いたいことはそんなことではない。



 「自然から学べ」というのはもちろん見えたそのものの形や色と言うこともあるのだけれど、もっとも大事なのは「何故そこにそれがそんな風にあるのか」ということだと思う。もっと簡単に言えば「因果応報」



 物事には必ず原因があってその結果がある。例えばここに昼顔が咲いている。誰かが意識的に植えたのでなければどこからか種が飛んできて、そこにとどまって発芽したわけだ。色んな場所がある。どこでもいいわけだけれど、あえてここを選んでこの昼顔はここに咲いている。だから彼、彼女にとってこの場所が自分にとって一番適した場だったわけだ。



 例えばその昼顔がランダムに3つの花をつけていたとする。で、その花のつき方にも何らかの理が隠されているんだな。そんなに難しいことではなくて、例えば太陽の光が一番受けやすいようにとか、虫たちが発見しやすいようにとか、風があたらないようにとか、色々・・。



 「自然から学べ」「よく見ろ」というのはそういった道理を見つけろ、探せと言うことで、形や色をそっくり写し取れと言うことではないということだ。



人は「作為的な動物」と言い換えてもいいかもしれない。いつもいつも「わたし」というものを中心に意識している。これはまぁ人が人になった時から切り離せないことなんだけれど、どうしてもそこから離れられない。いやこれは表裏一体のもので元々分けることができないものだろうな。なかなか難しい修行ではある。



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雨降り - 2010.09.16(ポケットの窓から)






 

 今日は一日雨だった。



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せっこう像 - 2010.09.15(ポケットの窓から)






 

 すっかり涼しくなった。



 死んだと思っていたボイラーが今日スイッチを入れたら生きていた。新しいボイラーが入るまで二三日あるので、毎日銭湯通いも面倒だなぁと思っていたので助かる。いよいよ最後のお勤めなのかね。それにしても修理に来たお兄さんはあまり丁寧に見ずに25年も経ったのだからと簡単に修理不能と判断したようだ。多分私もそうするとは思うのだけれど、なぜか納得出来なかったのだな。



 前々から今度買い換える時は灯油のボイラーではなく少し割高になるけれどガスにしようと話し合っていた。というのは段々に年をとってくると給油するのがつらくなってくるからだ。今はまだ問題ないけれど、後10年経つとわからないからね。それにカミサンじゃできないから。



 そんな経緯もあってそろそろだめになる頃だとはふんでいた。だから今回トラブルがあってすぐに手配したわけだけれど、まぁもう確かに潮時ではあったんだけれどね。基本的に自分で分解して掃除してそれでもだめなら納得したんだろうけれど、どうも経過年数だけで判断されたようでそこのところが納得のいかないところだ。



 手配してしまったからこれはもう換えるけれどね。これほど丈夫な道具は二度とめぐり合わないだろうな。車なんかもそうだけれど、いいものにめぐり合うとほとんどメンテしなくて最後まで壊れないものがある。新車に乗ったことがないので偉そうなことは言えないのだけれど、まぁ比較的に道具類は大事にする方だと思う。修理できるものは出来るだけ修理して使い切る。これが何だろう、大げさに言えば全てに共通する生き方みたいなものだ。



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雲のかたちは面白い - 2010.09.14(ポケットの窓から)






 

 ボイラーが壊れてしまったので銭湯に行く。最近の銭湯の情報を知らなかったので、行ってみて驚いた。まぁお値段も高かったけれど、中の様子がもう昔の銭湯のイメージとは全く違ったものだった。湯船ももちろん色々なパターンがあるのだが、湯上りのの休憩室がファミレスのようになっていて、みんなそこで食事もしている。メシ食って風呂入って帰って寝るだけ。若者も多いし、新しい形態スペースだと思った。



 ボイラーは驚くなかれ86年制でなんと24年間掃除も全くせずに一度も故障せず働き続けた優れものでした。修理を頼んだのですが、予想通り修理不能と太鼓判を押されてしまった。あわよくば分解掃除だけで済まそうと考えていたのですが、今回の故障はそんなものではない根本的な機能がおかしくなっているということでした。



 まだ私の中では納得できない部分があるのですが、まぁ24年ほぼ毎日使って故障もせず動き続けていたのですから、もう充分でしょう。ということで痛い出費ですが、仕方ない、買い換えることにした。



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こうふのまちの芸術祭リポート1 - 2010.09.13(ポケットの窓から)
 以下三点の写真は今開催中の「こうふのまちの芸術祭」の様子。



 一番下から「旧中尾内科医院」で医者のフリをするタノタイガ氏。実際に白衣を着てそれ風なことを述べますが、すべて嘘っぱちです。尿瓶に入れた冷たいお茶をふるまってくれました。すごく胡散臭いところが面白い。



 下から二番目は旧スーパーオギノの跡地で行われている現代アートの展示及びパホーマンス。インスタレーション(設置芸術)がほとんどですが、美術館や画廊でやるよりもこういった今にも壊れそうな、風前のともし火のようなだだっ広い空きビルなんかの方が、荒廃したどうにもやるせない感じがして臨場感があっていいように感じた。中ではそんな感じとは裏腹にきゃしゃな若い女の子が、ヘッドホンで音楽を聴きながら『野菜』と書かれたポップのしたで巨大な野菜の絵を描いていた。陽の当たらない廃墟で新鮮そうな野菜の絵を描く若い女の子。これもまた悲しいですが、何か示唆するところはあるように思いました。



 一番上は福嶋孝一氏の竹のオブジェ。銀座通りはもうすでに死んでしまった商店街です。昼間歩いてみてもとてもこれが甲府の中心街の銀座商店街とは思えません。そんな中に、われ関せずどっどと天を突き刺すように竹が伸びているのは非常に気持ちがよかった。今回の出展の中でも出色の作品ではないでしょうか。相当な人物とみた。






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(no subject) - 2010.09.13(ポケットの窓から)



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(no subject) - 2010.09.13(ポケットの窓から)



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やまご食堂9/12 - 2010.09.12(ポケットの窓から)








こうふのまちの芸術祭

一日だけの「やまご食堂」

 

 私の奥さんがプロデュースした一日だけの食堂を開いた。やまごというのは甲府の町中にある五味醤油店の屋号。そこの味噌を使ったオリジナル創作料理ということで、30名限定の予約制とさせてもらった。当日はほとんどが知り合いっやら、卒業生やらの同窓会のような雰囲気で、楽しい夜会となった。本人はくたびれ果ててものやらないとは言っていますが、声がかかるとまたやってしまうのでしょう。一緒になってワイワイと手伝ってもらったりしたのもほとんどが教え子だったりで、こうやって一緒に遊ぶのは楽しいことです。



「 猫の後姿」さんがコメントを書いてくれました。ありがとうございました。

http://ameblo.jp/e-no4765/entry-10647145911.html



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裸婦クロッキー9/11 - 2010.09.11(裸婦クロッキー)



































































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作品展示Bar Slow - 2010.09.10(ポケットの窓から)






 

 複数の方から「今度はバーで展覧会をやるのですか?」と聞かれた。確かにBarは「バー」と読みます。我々の感覚でいいますと、「バー」というのはスナックと違ってお酒を専門に出す酒場、スナックは軽い食事も出て女給さんもいるお店という感じ。いずれにしろカラオケなどがある酒場を指すように思う。



 ところが紛らわしいことにイタリア語よみだと「バール」になる。バールはどちらかと言えば喫茶店に近い感じでコーヒーを飲んだり、軽い食事をとったりするお店で感覚的にはカフェと同じかな。で今回のBar Slowというのは「バールスロー」でありまして、酒場ではありません。あしからず。



 「猫の後姿」さんがブログで少し前の記事を紹介してくれました。

http://ameblo.jp/e-no4765/entry-10644759384.html

 「こうふのまちの芸術祭」のブログ

http://ameblo.jp/5323ko/

 「Bar Slow」ブログ 絵があるということ

http://bar-slow.com/blog/2010/09/post-35.html



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作家は死に様 - 2010.09.09(ポケットの窓から)








パレット2

はる 3364

 村上春樹の作品を処女作の「風の歌を聴け」から読み直している。一人の作家に注目して芋づる式に読み倒すのはなかなか面白いと思う。それもまぁ今をときめく売れっ子作家だからね。それにしても「風の歌を聴け」は面白くなかった。カッコつけすぎて痛いなぁ。まぁ作家も30台ならあんなもので仕方ないようにおもう。今の1Q84や「ねじまき鳥・・」の方が何倍も深いし面白い。やっぱり作家も進化するんだな。あのままもし亡くなっていたら、村上春樹はつまらない作家で終わっていただろう。だから作家は長生きしなきゃならないのだ。生き方だから。死に方だから。



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下書き1 - 2010.09.08(ポケットの窓から)








パレット1

 

はる 3363

 「遠い記憶」・・下書き1



 胎児は母親のお腹の中で生物発生から進化の様子を順に繰り返してゆくそうだが、私の分身である作品も、今までの描画のスタイルの変遷を順番にみせているように思う。一つの作品は突然そこに現れてきたのではなく、私の今までの経験や体験が何らかの形で沈み込んでいる。だから真似をしても同じものにはならないし、百人の作家がいれば百通りの方法があって当然だ。それを考えるのが作家の仕事だとも思う。



 ある程度地塗りがいい感じに仕上がってくると、そろそろその中にあるイメージを見つける仕事になる。けれどほとんどの場合、最初のイメージはありきたりでつまらない。無理やりいじめて何とかアイデァを出したような作為的なものは、さっさと二巡目あたりで消えしまう。そうやって何度もなんども繰り返して自分の心の中を覗き込むような仕事をしていると、突然何かがひらめく時がある。そうなってくればしめたもので、自分では絶対描けない様な作品が描けたりする。



 何やら霞がかかったように、ぼやーっとしていたものが、段々にクリアーになって、どこかで見たような人が、何かをやっているなぁと見ていると、それは自分だったというようなことになる。ちょっと不気味な話だけれど、その人の心の中にもう一人の自分がいて、その中にまた自分がいるといったことかな。結局どこまでいってもその人から抜け出すことはない。



 ある作家が「人との違いが大事といわれるけれど、私は人と共通するものを描きたい」というふうなことを書いていた。私の仕事は様々な事柄の底の方にある「遠い記憶」を探し出して、誰でもが共感できるものに形を変える仕事ではないかと思っている。それが出来たかどうか、今年もまたそんな作品を並べます。



 



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遠い記憶 - 2010.09.07(ポケットの窓から)




 

はる 3362

 今年のサブテーマを考える。



「普遍的なこと」

「どこを切っても結局は同じだ」ということ

「マトリシカ人形」のような「金太郎飴」のようなもの、

「今は永遠の一部」だということ。

「宇宙は私の外にあるけれど、内にも同じだけ存在する」

「遠い記憶」



 



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