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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

鋭い考察 - 2010.08.31(ポケットの窓から)






 

 「1Q84」で面白いと思ったところ。主人公の一人の女性が、まぁある種の逃亡者なんだけれど、それが段々と一人の男に追い詰められてゆく。全く世の中と係わり合いを持たなければ絶対に見つかることはないのだけれど、それが段々に追跡者の影が見えてくるところ。



 で、どこからそれが崩れてゆくかというと、結局は自分の内部にある一番触れて欲しくないところだったり、弱点だったりするところからだというのだな。隠せばかくすほどそこからぼろが見えてくるといったことだろうか。



 こんなところにもなかなか鋭い考察があるなと思う。



 例えばある人の逆鱗に触れてかんかんに怒り出したとか、または反対に全く気振りにも見せないとか、というところは反対にその人が一番気にしているところであるし、弱点でもあるわけだな。全くどこもかしこも満遍なくこだわりがない、気にしないなどというひとはある意味で、馬鹿かのーたりんか凄い人格者だろうな。



 人はどんなに完璧に装ったとしても、その装いが本人の自覚の下で行われている以上どこかでぼろがでるのだな。何が怖いのかといえば、結局自分の中にあるお化けが怖いわけで、空想できない人間にはお化けは存在しないということだ。



 これは結局何度も繰り返して出てくるテーマで、自分を表現しようとしている行為にのなかには装った自分がいるだけで、それはまだ本物ではない。それ風ではあるけれどまだ本当の自分には出会っていない。更にやっているうちに探している自分の姿そのものが見えてきて、びっくり仰天するわけだ。有為が無為になってはじめて表現と言えるのではないかな。これもマトリシカ人形だな・・。



 よく分からん文章だけど、そのまま載せる。



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憂鬱 - 2010.08.30(ポケットの窓から)






 

 まだまだ今日も暑かったです。明日から授業が始まります。なんとなく憂鬱・・・。



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夕焼け - 2010.08.29(ポケットの窓から)






 

 一番最初のサントリーホールのコンサートがヨーヨーマだった。天井桟敷の一番上の座席で彼の姿は豆粒ぐらいにしか見えなかった。けれど何だか凄くうれしかったのを覚えている。最近は忙しくなったと言うこともあるけれど、コンサートにわざわざ東京までというとやや億劫で、もう昔のように最終便のバスに乗ってというようなことは出来ないなぁ・・。



 東京はやっぱりそういった意味でも色々と刺激的な街だな。年取ったら都会のマンション暮らしというのも、経済的に悠々自適が許されるなら考えてもいい。まぁほとんど私には縁のないはなし。



 京都の町屋に住みたいという願望はまだ消えてはいない。あと海の見えるところに住みたいというのもある。まぁこうやって夢見ているだけで終わってしまうのかもしれませんね。全ての場所や人間関係を断ち切って新しく構築するのはなかなかくたびれることでしょう。



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リベルタンゴ - 2010.08.28(ポケットの窓から)


 





 

 



 

 チェロの練習曲をネットで探していたら、ピアソラのリベルタンゴにぶつかった。もう随分前になるのだけれど、チェロ弾きのヨーヨーマがこのリベルタンゴを引っさげて世界中を演奏旅行していた時があった。たまたまチケットが手に入ったので、わざわざ東京のサントリーホールにこのピアソラの名曲を聴にいった。普通のクラッシクのコンサートと違ってジャズのような自由な雰囲気があって面白かった。当時はピアソラの名前さえ知らなかった。



 いまでこそ、このリベルタンゴはテレビのテーマ曲に使われたりして有名になってしまったけれど、当時はとても不思議なそれで感動的で魅力に富んだ音楽だった。バンドネオンの響きが哀愁があってとてもいい。今日久しぶりに聴いたら、思わず泣けてきた。



 ボサノバなんかもそうだけれど、ラテン系の音楽はどこかアフリカのリズムが残っていて、人の心の奥底から共鳴する感動がある。


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虫の音のシンフォニー - 2010.08.27(ポケットの窓から)






 

 夕立。一瞬のうちに周りは水の底。でもまぁそのために夜はすごしやすくなった。虫の音のシンフォニーが今日は凄いだろう。季節は確実に秋になっている。



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送電線のある風景 - 2010.08.26(ポケットの窓から)






 

 携帯でこんな写真が撮れる。かなり拡大しても画面が荒れないから、画素数が大きいのでしょう。シャメが投稿できるようになってほとんど毎日写真を一点載せている。何もない時はアトリエの写真を載せる事にしているが、どこかに行けばその時の臨場感のある写真が撮れたらいいなぁなどとにわかカメラマンは思うのである。



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継続は力なり - 2010.08.25(ポケットの窓から)






 

 チェロを始めて何年くらいたったでしょうかね。無謀にもバッハの無伴奏の楽譜を買ってきて自分流に弾き始めたのが今から20年前だ。無論独学でほとんど無手勝流で弾いていた時期がほとんどなので、少しまじめに練習したり飽きて放っておいた時期もあるから単純に年月をいっても仕方ない。



 独学だと嫌なことは全くやらないので、気ままでいいけれど上達は望めない。何年やってもいっこうに上手くならなければ自然にやめてしまうということになる。何か楽器はやりたいと言う気持ちは随分と昔から持っていて、クラッシックギターをそれも独学でこそこそとやってみたり、リコーダーをやったり、ハーモニカをやったり、そうそうヴァイオリンもやったことがあったな。どれもこれも一時のことで長続きはしなかった。



 誰かにレッスンを見てもらうことの大儀さは分かっていたけれど、兎に角続けるためには否が応でも人につく必要があると考えた。一ヶ月に一度しかレッスンには通わないので、ほとんど独学と変らないのだけれど、決定的に違うところは、レッスンの一週間前ぐらいは重点的に練習するというところだな。これでは上手くはならないのだけれど、長い人生の趣味として楽しんでやるにはちょうどいいのかもしれん。



 絵もそうだけれど、自分でやるのが一番面白い。人が演奏しているのもそれはそれで楽しいのだけれど、たかが「チョウチョチョウチョ」でも自分で弾けた時はどんな名演より感動するのだな。楽器一つ習うことで見えてくる、気付かされることってけっこうある。第一にチェロならチェロの指の動かし方から弓の運び方ビブラートのかけ方などなど、今まで気にもかけなかったことが興味の対象として見えてくる。これって大きく言えば人生の楽しみ方の奥義ではないだろうか。



 この夏はチェロの練習をよくやった。昼間とてもアトリエで仕事できる状態ではないかったので、本を読んで昼寝するか、二階に上がってクーラーをつけてチェロの練習をしていた。イメージはかっこいいけれど、そんなにいいものではないのであしからず。継続は力なり、ゆめゆめ忘れないように・・。



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今やれることを淡々とやる。 - 2010.08.24(ポケットの窓から)






 

 いつものブログを読んでいたら「余命半年といわれても今の生活をしていますか」という風なことが書かれていた。皆さんはどうなんでしょう。



 この話を聞いたときに思い出したのが、前にも書いたけれど高校三年生の時のS君の話、皆でワイワイと半年しか生きられないとどうする?などとたわいもない話をしていた。多分受験勉強に嫌気が差してそんなくだらない話しでごまかしていたのだろうけれど、おちゃらけて銀行強盗してお金をたんまりと懐にしてしたいことをやる・・何もしないで寝て暮らす・・などなど大したことは出てこなかった。



 秀才のs君はまじめな顔して「私はどうあっても今の受験勉強していると思います」とこたえた。みんなはその答えの正当性にがくぜんとして自分を恥じたね。そうなんだな、将来がどうであれ今やれることを淡々とやる。それがすべてなんだ。



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クロッキーの話 - 2010.08.23(ポケットの窓から)






 

 昨日は久しぶりのクロッキーだった。二ヶ月個展とぶつかったりして参加できなかった。最初に絵を描く仲間と申し合わせてクロッキーの会を立ち上げた。こんな田舎だと地元のモデルというのが難しい。すぐに身元がバレてよからぬうわさになってしまうだろう。



 幸い東京が近いこともあって交通費込みでお願いすると、けっこうそういった需要もあるらしくて、モデルさんたちにとっても出張の手当てがちょっとついて、それに小旅行の気分も味わえて人気があるらしい。今まで断られたことはない。もう15年ぐらい続いているのではないだろうか。純粋に営利ではないこういった研究会は珍しいのではないだろうかね。



 設立会員は私とあと一人になってしまったが、二人とも本画のほうは全く違う絵を描いているけれど、お互い基本的に描くことが好きなんだと思う。なんだろうなぁ、結局少しでも上手くなりたいと気持ちがあるから続いているのではないだろうか。これでいいやと思えないからやり続けるのでしょうね。



 クロッキーの面白さは線だと思うな。慣れないとどうしてもずるずると同じような緊張感のない線を引いてしまう。一本の線にはいつも言うのだけれど、この線でなければならない、ここでなければならない場所というのがある。まぁ描いている時にはほとんど何も考えていないのだけれど、醍醐味は一発で決まった時だな。これがなかなか気持ちがいいものだ。



 日本人は欧米人に比べて線の意識が高いと思う。それは今なら漫画とかアニメとかが世界規模で認められていることで証明される。昔は浮世絵などの版画だったけれどね。まぁそれの延長上にあるとは思うのだけれどね。



 それと少し話は違うのだけれど面白いことを聞いた。どこだったか忘れたのだけれど。日本語の表示が漢字交じりの表意文字だから絵と文字が同じ脳の分野で認識されるから、欧米人の表音文字と違って左右の分野が混乱せずにスムースに物語と溶け込むというようなことを言っていた。こじ付けかも知れないがなかなか説得力がある。今は3Dが主流になりつつあるけれど、我々日本人には目新しさはあるけれど、特に必要ないのじゃないかなどと思うな。



 線と立体の話はまた続きを書こう。



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裸婦クロッキー8/22 - 2010.08.22(裸婦クロッキー)














 



































 



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集中し過ぎないこと - 2010.08.21(ポケットの窓から)






 

 このところまじめに朝は6:30頃起きて河原を少し速めの歩調で歩くことから始まる。自由業だから何もそんなに規則正しく生活しなくてもいいだろうと思われるかもしれませんが、淡々と毎日同じように生活するというのがけっこう大事なんですね。不規則な生活はまず精神が壊れる、次に体が壊れる。



 若い頃はごたぶんにもれず朝寝坊の宵っ張り、いつも明け方まで起きてごそごそと絵を描いたり、何か書きもをしたり、本を読んだりしていた。しんと静まった夜の感覚は段々に研ぎ澄まされて、集中しているように思われる。仕事が上手く行っているように勘違いする。ある種自分に酔ってしまうところがあるのかもしれないなぁ。まぁそんな時も必要なんだろうけれど、若いときはそんな生活が楽しくもあったのだけれどね。



 段々に体がおかしくなるって来る。昼間は電話があったり、宅急便がきたり、来客があったりして、ゆっくりは寝ていられない。ボーっとまるで昼行灯。いつもやたらと眠いんだな。特に午前中は起こされるとそんなことで不機嫌になる。体がいつも眠いもんだからぽーっと微熱がある感じ。どことなく憂鬱。夜になると元気になる。何だか変だよな。



 そんなことがあって体を壊してから、きっちり生活を変えた。実はこの方が仕事がはかどることに気がついた。夜の情熱、夜書いた手紙は出さない方がいい。昼間読むとやたらと恥ずかしい。というのは集中しすぎて「うぬぼれ」「自己中」がてんこ盛り。自分に酔っては人を感動させることはできない。酔っ払いの役者はただの酔っ払い、しらふの役者が酔っ払いの役を演じるので表現となる。



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今日は疲れました。 - 2010.08.20(ポケットの窓から)






 

 朝の散歩の時の写真。昨日は集中豪雨で川の様子はどうかなと心配しましたが、まぁ一極集中だったので、全体的には大したことはなかったようだ。よく見ると下の右端の方に鯉が泳いでいるのが見える。



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猫町古本市 - 2010.08.19(ポケットの窓から)






 

  油絵のようですが、そうではなくて車のフロンドグラス越しに今日の夕立をシャメしたものです。面白い効果がでるものです。



 知り合いの「猫の後ろ姿」さんが、二三日まえの記事にさらにコメントを書いてくれました。励みになります、ありがとうございました。



http://ameblo.jp/e-no4765/entry-10623784796.html



 ちなみに「甲府の街の芸術祭」ではこんなこともします。


http://ameblo.jp/e-no4765/entry-10621910410.html



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作中人物になる - 2010.08.18(ポケットの窓から)






 

はる 3342

 午後からはゴロゴロと雷が鳴って今にも夕立が来そうなのに今日もまた一粒の雨も降らなかった。一雨くれば随分とすごしやすくなるのにね。



 村上春樹の1Q84を読みすすめている。二度目なんだけれど一度目はけっこう読みとばしていたのか、忘れている部分が多い。けっこう厚い本なので文庫本のようにポケットにねじ込んでと言うわけにはいかない。



 色んな話がさくそうして同時進行してゆくのだけれど、おもしろいなぁと思ったのは、主人公が物語のなかで書く話がいつの間にか現実になってなってゆくってところ。まぁそんな話ならよくあるかもしれないけれど、例えば「空気さなぎ」などという今までこの世の中に存在しなかったものを登場させる。でその形態をその話の中で克明に描くわけだ。最初それは空想のお話として語られる、だからどんな風にでも描くことが出来るわけだ。主人公のイメージ、幻想だかね。ところが、それが実際に目の前に現れてくるのだけれど、その形態は自分が描いたそのままの状態で出てくる。



 自分が描いた物語の中に自分が入り込んで行く。その物語の中を生きることになる。まぁ実際にはそんなことはありえないことなんだけれど、実はそういった感覚と言うのは特別不思議なことではないのではないかとおもうのだな。



 例えば宇宙を想像するとする。延々とどこまでも続く無限の世界だ。宇宙の果てまで行ったとする。実際は

きりはないのだけれどね。ところがその宇宙の果てを想像しているのは自分の頭の中であるわけだな。とすると宇宙は自分の頭の中にあるということになる。以前話したフラクタクルの理論だな、世界は実はそうやって出来ていると思う。



 で、もう一つ思ったのは、こうやって絵を描いてゆく方法、行き先を決めないで絵の中に自分の描きたいものを探してゆく、発見してゆく、どんどん自分の奥底まで降りてゆくそんな作業は、この話と実によく似ている。最初はなんでもない、今まで観てきたようなありきたりな物だったり物語だったりする。それが面白くないのでどんどん壊してゆくと、今まで見たことも聞いたこともないような物や物語を発見することがある。絵を描いているのは自分なんだけれど、実は絵の中に自分を見つけているんだ。ややこしいけれどどこか似ている。

 



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夏の小川 - 2010.08.17(ポケットの窓から)






 

  今日も暑かったですね。でもまぁ夜になると虫が鳴いているので、そろそろ夏も終わりでしょうか。上の写真はいつもお世話になっている車の整備工場の近くの川です。絵に描いたような「夏の小川」ではありませんか。



 



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作品の発生 - 2010.08.16(ポケットの窓から)






 

はる 3340

 いつも夏のこの時期は、一年分の大半の小品を描く。もちろん各個展前にも少し新作を追加するのだけれど、多くても20点ぐらいでそんなには多くない。今年も60点から70点ぐらいの作品を同時に描いている。



 やり方は一定の決まりはないのだけれど、春の団体展の作品が終わった頃から地塗りを始める。私の場合この地塗りがけっこう重要な要素で、単に作画のための下塗りではない。布をコラージュしたり絵の具をたらしたり、壁土を塗り込んだりして何となくデコボコした独特の肌合いが自然に出てくるのを待つ。この時にはまだ何を描くのかはまるっきり考えていない。



 胎児は母親のお腹の中で生物発生から進化の様子を順に踏まえてゆくそうだが、こういった作品もある意味で私の分身であるから、私の今までの描画のスタイルの変遷を順番にみせているように思う。一つの作品は突然そこに現れてきたのではなく、私の今までの経験や体験が何らかの形で沈み込んでいるのだ。だから真似をしても同じものにはならないし、百人の作家がいれば百通りの方法があって当然だ。それを考えるのが作家の仕事だとも思うな。



 ある程度地塗りがいい感じに仕上がってくると、そろそろその中にあるイメージを見つけに仕事になる。けれど大体において最初のイメージはありきたりでつまらない場合が多い。無理やりいじめて何とかアイデァを出したような作為的なものは、ほとんど二順目あたりで消えしまう。そうやって何度もなんども繰り返して自分の頭の中を覗き込むような仕事をしていると、突然ピカリとひらめく時がある。そうなってくればしめたもので、自分では絶対描けない様な作品が描けたりするのだな。まぁ時々だけれどね。



 今回もまだまだ二転三転するのだろうと予測している。



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ユング心理学 - 2010.08.15(ポケットの窓から)
 





 

 はる 3339

 村上春樹の「1Q84」の3を読んでしまってから、もう一度1から読み直している。私は本にあまり興味がないので、一度読んでしまったものは二度読むということがない。ほとんど読みっぱなしで次から次とやたらと乱読といえばかっこいいけれど、ほとんど無節操に漫画から文庫の駄本まで、読んでしまったらリサイクルショップに売ってしまう。趣味と言うのか暇つぶしというのかそういった読み方で、とうてい読書家とはいえない。



 村上春樹のロングインタビューを読んでいる。同郷でだいたい同じ世代で、リアルタイムで彼の言っていることはよく分かる。はっきり言って小説よりはわかりやすい。大体の作品は読んでいるにも関わらず、いままで割りと縁遠い存在で好きな作家ではなかった。まぁ今も本当には分かっていないのかもしれないけれどね・・。



 今回のインタビューで気になった言葉は「井戸を掘る」というフレーズだ。降りていって深く掘り下げることで、今まで気付かなかったことに気付くようになる、というようなことを言っていた。これは私の今のテーマともしっかりと関係している話で面白いなぁと思った。



 小学校の頃の話で、自分は極普通の中産階級の子供で、特別いじめられもしなかったし、傷つきもせずに育ってきたと思ってきた。だから何の問題意識もなく30近くなるまで小説を書こうとは思わなかった・・、という風に考えていたらしい。ところが小説を書き始めて、どんどん自分の中を下ってゆくと今までなんでもなかった子供時代が違った目で、感覚で捉えるようになった。



 親とか学校とか、まぁ色々な意味で既成の体制があるわけだ。子供は生まれて最初はそこそこ幸せに暮らしてゆくのだけれど、ある意味でどこかで規制がかかる。教育とか、しつけとか、規則とか、常識とか、世間体とかなんがか分からない、世の中の常識みたいなものに暗黙のうちに傷つけられているんだな。なんとなくわかる。



 気がつかなければそれはそれで幸せな一生なんだけれど、こう表現という仕事をしてゆくとどうしてもそういったところまで降りてゆかなければ、書けなかったり、描けなかったり、するわけだ。ユング心理学者の河合隼雄との接点もそんなところにあるようだ。こわいけれど、なるほどと同感するところ多し。

 



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お盆さん - 2010.08.14(ポケットの窓から)






 

 お盆さんのやぐら。何だかしょぼい。子供の頃のお盆祭りのやぐらはこんなものではなかった。三階建ての屋根ぐらいのやぐらから、おっさんが生で河内音頭を歌っていた。無論人出も多かったけれどね。プロの的屋の親父がどこからともなく集まってきて、怪しげなテントが張られてお化け屋敷とかバナナの叩き売りなんかも実際に見たなぁ・・。ガマの油売りなんかまだやっているのだろうかね。



 これは町内会の主催で近所の親父が交代で夜店をやっている。健全だけど何もおもしろかない。あれは非日常のどこからとも流れてくる、ちょっとあぶない系のお兄さんだから面白いのだ。こんなお祭りが本当の祭りだと思っている子供たちはかわいそうだね。もっとこうスリルのある違う世界を覗き見たような興奮があるもんなんだよ。お祭りと言うのはさ、今のは形だけ真似したただの催し物でしかない。まぁいいけどさ。



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山口画廊の画廊通信80 - 2010.08.13(ポケットの窓から)






 

はる 3337

 山口画廊の画廊通信を無断で転載します。

http://home1.netpalace.jp/yamaguchi-gallery/top.cgi



 画家と画商というのはある意味同じ船に乗った志を同じくした仲間だと思います。作家だけではなかなか世の中を渡って行くのが難しいし、画商もまた同じ。画商は作家が作家として精進できるように世間とのパイプ役に徹する。そんなうらやましい様な関係がつづられています。作家の最後のメッセージがこころ打ちます。



「画廊通信 Vol.80        名もなき草のように(第5回佐々木和展)





「ちょっと体が悪くなってしまったので、6月の個展は旧作も入ってしまうと思いますが……」という電話が入ったのは、昨年2月の事である。「胃ガンなんです。来月、手術の予定です」と、やけに明るく話される画家に、私

は何とお答えしていいのか分からなかった。



 翌々月、京都で開催される個展案内が届いて、見ると “Ever Green NeverDie” というタイトルの脇に、こう書かれてある。 「二俣川ガンセンターから、ガン研有明に移りました。ガンバります」、早速お電話を入れたところ、開腹したが転移のため閉じて、抗ガン剤による治療に切り替えたとのお話、「ところで、案内状に載せる作品は、いつまでに送ればいいですか?」と、電話口の声はいつもと変わらずお元気であった。



 翌5月の中旬、私は画家のアトリエにお伺いした。今までと趣向を変えて、今回は「密陀絵」でやりたいとの意向だったので、しばし作品を見せて頂いたり、技法の説明を受けたりのひと時、佐々木さんは随分とやせられた感じだったが、次々と作品を運んで来ては手際良く並べてくれたりと、いたって快活な振る舞いである。おかげで私はお話をしながら、目前の人の大病をつい忘れかけたりしていたのだが、今にして思えば、それは画家の思いやりだったのだろう。佐々木さんは最後まで、そんな人だった。 その日、打ち合せを終えて辞去する前に、ふっと微笑んで語られたひと言が、私は忘れられない。「来年は出来ないかも知れないので、高島屋は断ったんです。山口さんの所でやる時は、もういないかもね」、本当にいなくなってしまうとは、思いもしなかった。



 佐々木さんと初めてお会いしたのは、5年前の秋である。ある美術誌をめくっていて不意に出会った、一枚の作品写真がきっかけだった。「八月の凪」と題された絵で、画面の下半分いっぱいに大きな魚が描かれ、精妙な色あいに染まる穏やかな海の彼方に、一艘の小さな釣り舟が浮かんでいる。一目見て、なんて気持ちのい、伸びやかな絵だろうと思った。これぞ天啓と確信した私は、早速連絡先を調べてその日の内に電話を入れ、数日後には作家のアトリエへと向かった。常日頃、優柔不断の私としては、異例の速さである。



 JR横浜線の十日市場駅で下車、10分ほども歩いて住宅街を抜けると、突如緑豊かなエリアに入り込む。坂を降りて脇道にそれた一角に、目指す作家宅はあった。折しも晩秋の寒々とした日で、ちょうどストーブの石油タンクを下げて、物置から出て来られた画家にご挨拶申し上げ、こたつで暖まりながらゆったりとお話をさせて頂いた事が、ありありと思い出される。 以前は釣りが大好きで、房総方面は何度も行った事がある、あの絵は釣り上げた魚を描いたもの、楽しく釣っておいしく戴き、しかもその絵を買ってもらう訳だから、こんなにいい事はない、アハハハ、しかしここ数年は陸に上がって、付近の谷戸を描いている、谷戸は自然の宝庫でね……。 初めてお会いした画家は、モジャモジャの頭で見るからの自然体、とてもソフトで飾らないお人柄でありながら、一本妥協のない芯をさりげなく秘められた風、要は思っていた通りの人であった。



 翌2006年春、「四季彩譜」と題した初めての個展を開催させて頂いた。 この時は会期中に2日ほどご足労頂き、両日共にあまりお客様には来て頂けなかったので、おかげで様々なお話を伺う事が出来た。「私の絵にはすべて、その時の出来事が入ってるんです。どうせだから端から行ってみますか」と、それぞれの作品にまつわるお話を、イキイキと語ってくれた佐々木さん、深閑とした画廊に響いた朗らかな声が、鮮やかに今も耳に残る。「これは林道に咲いていたカタクリの花、これは名前は知らないけど、道端で踏ん張っていた雑草、これは近くの森に住んでいる鷹で、こちらは雪の日見た野うさぎの足跡、一度うちの庭でバッタリと遭遇した事があってね、でかいくせに気絶しちゃったんですよ」、そんなお話を聞いていると、あらためて画家の描く谷戸の自然が、決してモチーフとして使われているのではない事が分かる。例えば佐々木さんは、飽かずに繰り返し描いて来た雑草達を、「絵の題材」とは微塵も考えていなかっただろう。それは画家にとって、まずはかけがえのない尊き生命であり、溢れる様な共感を覚える同胞であり、限りない敬意を捧げるべき、谷戸の象徴であった。おそらく画家は、描かずにはいられなかったのだ、独り大地に毅然と根を張って、けなげに生きる名もなき草達を。



 佐々木さんは、見るからに壮大な絶景を、豪奢に描き上げるような作家ではなかった。人が見晴るかす大自然に嘆声を上げる時、独りそのまなざしは、徹して足下にあった。ましてやそれが、取るに足らないものであればあるほど、いよいよその眼は慈しみに溢れた。何でもいい、画家の描いた小さきもの達を、一目見て頂ければ分かる、そこにはどんなきらびやかな花も及ばないような尊厳が、凛として静かに湛えられている事だろう。



 展示会を終えた春の盛り、私は作品を返却に、再び横浜のご自宅までお伺いした。庭への急な坂道を登ると、まずは「ワンワンワン」というけたたましい出迎えがあって、ガラガラと玄関のガラス戸を開ける音と共に「こら!」という飼主の声が聞こえて来る。そして「あ、どうも」と爽やかな笑顔を見せる佐々木さん、いつも同じだった。くだんの庭番は、ボサボサに毛の垂れた、何となくみすぼらしい犬だったので、私はてっきり老犬だとばかり思っていたのだが、後日お聞きしたところ見かけよりはずっと若いのだそうで、いつも谷戸まで散歩に連れて行くんだと話されていた。 この日は、良い結果報告が出来なかったにもかかわらず、翌年の展示会を快くご了承頂いたばかりか、裏の竹薮で今掘ったばかりという、大きなタケノコまで戴いてしまい、何やら晴れ晴れと千葉への帰路に付いたのである。両手で受けてもズシリと重い、丸々と太った見事なタケノコで、春の谷戸に育まれた新たな命が、満々とみなぎるようであった。余談になるけれど、あんなに甘くて美味しいタケノコは、後にも先にも食べた事がない。



 翌2007年夏、第2回展「野原詩(のはらうた) 」を開催、続いて2008年夏の第3回展「君がいた時」、そして昨年の第4回展「密陀絵(みつだえ) の世界」、こうしていつまでも毎年の展示会は、続いて行くものとばかり思っていた、お互いに段々と齢を重ねながら。会期を終えた昨年の七夕、私は作品を返却するため、いつものようにご自宅へ伺わせて頂いた。佐々木さんは普段と何ら変わりないご様子、実は近々私も小さな手術を控えていたものだから、それに備えた食事療法の記事をコピーしてくれたりと、かえって私の方が病人のようである。

「日頃の食生活が大事なんです」と、簡潔に説明をしてくれた後、画家はにこやかにこう言われた。「山口さんが倒れちゃうと、困っちゃう人がいっぱいいますから……」、分に過ぎたるは言わずもがな、この優しい励ましの言葉を、私は決して忘れまい。 月が変わった夕刻、画家宅へお電話を入れたところ、「今呼んで来ますね」

という奥様の言葉である。しばらくお待ちしていたらまたお戻りになられて、「散歩に出ちゃったみたいです」とのお返事、受話器を通してではあったが、私にとってそれが最後の画家の姿となった。「和さんが亡くなりました」という連絡が、地元横浜のギャラリーから入ったのは、それからわずか2ヶ月ほどを経たばかりの10月上旬である。私の脳裏には、真夏の夕暮れに長い影法師を引いて、愛犬と谷戸へ向かう画家の後ろ姿が、いつまでも残り続けた。



 谷戸(やと) ──里山の森に囲まれた谷あいの地。谷津とも呼ばれ、人と自然が豊かな生態系を保って来たが、現在は乱開発のためその多くが失われつつある。そんな時勢の中、佐々木さんのこよなく愛した谷戸は、横浜という都市の中に、奇跡的に残された境域であった。 先月末、私は画家宅の傍らを過ぎて、その先に鬱蒼と広がる里山を目指し。満倉谷戸・旭谷戸・やまんめ山・梅田川、佐々木さんの作品におなじみの地名は、すべてこの周縁に位置する。とりわけ「満倉(みちくら) 」と呼ばれる谷戸は、画家の繰り返し描いた舞台だった。

 初回展に「満倉の独り草」という作品があって、ご購入頂いたお客様のお店に伺えば、いつも目にする事が出来るのだが、私は特にその地を訪ねたいと思った。画面の真ん中に、一本の野草がすっくと立ち、気持ち良さそうに風に揺れている。後方には森に囲まれた野原、彼方の丘には小さな納屋、その上に青々と広がる夏空……。その日は折からの猛暑で、道には人っ子一人いなかった。徐々に緑の深くなる山裾を歩きながら、「佐々木さん、来ましたよ」と呟いてみる。きっとこの野路は、幾度も画家の通った道だろう。山陰に入ってふと目を落とすと、繁みの中の小さな路標に「満倉谷戸」と読める。その脇に伸びる小道を分け入ると、丘の上に突如畑地がひらけた。その真ん中には寂れた納屋、きっとあの絵に描かれていたものだ。画家の描いたアングルを探しながら、畑に沿った野道をたどると、たぶん農機具を置くためだろうか、道の脇に薮を拓い

て、小さな空地が作られている。それを目にした瞬間、あの絵を前に語られた佐々木さんの言葉が、ふいによみがえった。「ここにはちょうど、人が一人座れるような場所があってね、そこから描いたんですよ、すっぽりと森に囲まれてね」。 そうか、ここだったのか……。カメラを構え、ファインダーを覗いてみると、どうもアングルが高い。腰をかがめてもまだ高い。地面すれすれにファインダーを下げると、初めてあの絵と同じ視線になった。その角度から眺めると、目前の畑は彼方へと広がる丘であった。今は茶色の畝が見えているが、あの絵を描いた時分には、作物が植えられていたのかも知れない。ならば畑は、一面緑に染まる野原に見えただろう。後方をぐるりと囲む森、丘の上には小さな納屋、遥かなる夏の大空……、「満倉の独り草」は、正に野草視点で描かれていた。 帰り際にふり返ると、画家の姿がふっと見えた気がした。佐々木さんは空地にしゃがみ込んで、地面すれすれに顔をくっ付け、一心にスケッチブックへ線を走らせている。目の前には、時おり吹く風に身を揺らす、一本の野草。画家はそれを脇目もふらず描いている、なんだかとても楽しそうに。その横には、あの老けたボサボサの愛犬が寝そべり、ハアハアと舌を出して涼んでいる。それほど遠くもない日、確かにここにあったひと時……。



 あの日、すべては柔らかな風に抱 (いだ) かれ、谷戸の森に包まれていた。そして今、画家は独り夢のように去って、この地には戻らない。しかし、かつて名もなき草となり、描き残したあの里山には、画家の確かな魂が刻まれている。だから、もう二度と戻らない時ではあるけれど、私は描かれた永遠の谷戸の道を、幾度も幾度もたどり直すだろう。佐々木さん、また会いに来ますよ。



 ゴオーッと、風が谷戸を吹き渡った。私にはそれが、画家からの爽やかな返信に思えた。



        (10.08.05 ~ 生前、最後の電話を入れた日に) 山口雄一郎」



 転載終わり



 



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生まれた時から - 2010.08.12(ポケットの窓から)






 

はる 3336

 中学生になった甥っ子がブログを始めたということで、ちょっと覗いてみた。そう50年も前の、我々の中学生の頃には全く考えられなかった世界で、自分の趣味のプラモデルの記事などを書いている。彼らは、生まれた時からパソコンがあって、ネットの環境が整っていたわけだから、テレビとかCDとか携帯と同様に、違和感なくこの世界に入ってゆけるのだろう。考えて見ると私がHPを立ち上げたころに生まれたわけだから、なんだか面白い。



 ネットのいいところは、そういった年齢とか性別、職業、今までのキャリアなどが全く関係なく対等に記事が並ぶわけで、彼の訪問者の数と私の数にはキャリアほどの差はない。まぁがんばって続けて欲しい。何か得るところがあるでしょう。



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SEO対策 - 2010.08.11(ポケットの窓から)






 

はる 3335

 私のHPには何の細工もしていない。まぁいわゆるSEO対策の話。例えばネット上で一番何が大事かといえば、検索項目に引っかかることだな。この検索にどうやれば効率よくヒットするか、それが要するにSEO対策という話だ。それでも一時どうすれば訪問者が増えるのか、考えたことがある。まぁ一番手っ取り早い方法は色んなところに登録したり、コメントしたりすうることなんだろうけれど、それも限界があり、興味のない人に無理やり義理で来てもらっても後が続かない。最近はむしろ、放って置いて自然に興味を持ってもらえれば増えるだろうしだめなら仕方ない、諦めるしかないと達観している。対策はなにもSEN。



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帰宅 - 2010.08.10(ポケットの窓から)






 

はる 3334



 勝手引用「放蕩息子の帰宅」

http://www5f.biglobe.ne.jp/~nobpar/colum/colum04-0501.html



「・・・略・・

あるとき、取税人や罪人たちがキリストの話しを聞こうと集ってきた。それを見ていたパリサイ人や律法学者たちが「この人は罪人を迎えて食事をしようとしている」と非難した。そこでキリストが彼らにたとえ話をする。その話しの1つが‘放蕩息子の帰宅’といわれている上記のお話だ。

 この話の中で父はずっと彼の元で働き、言いつけを守っている兄には冷淡であるのに対して、家を出て放蕩の限りをつくし、父の財産を食いつぶしてしまった弟には温かい。普通では考えられないことではあるが、父を神、兄をパリサイ人や律法学者、弟を取税人や罪人をすると何となくわかってくる。


 兄は確かに父のもとでその言いつけを守り暮してきたが、父のありがたさがわかっていない。特に何の思いもなく、ただそれが世間の常識だというだけで父のもとで働いているに過ぎない。彼の体は確かに父の近くにはいるが、その心には不満があり遠く離れているように思える。


 一方、弟も最初は父などどうでもよかったに違いない。だから、財産を分けてもらった後、家を出て好き勝手な暮らしを始める。しかし、放蕩のあげく、身を持ち崩し、悲惨な暮しを余儀なくされたとき、初めて父のありがたさがわかり、出ていった家がいかに温かい場所だったかを知った。ボロボロになって家に帰って来たとき、弟は心から父を慕っていた。


 この話はどんな罪を犯そうとも、悔い改めるのなら神は門を開き受け入れるというたとえ話だ。しかし、そういったキリスト教の教えだけに止まらず、この話にはいろいろな真実が隠されているように思える。


 常識的で利口な生き方をしているが、不満でいっぱいになっている兄。失敗を繰り返し、遠回りの生き方をしながらも、それ故に何かしらを見出した弟。形ではなく、真実の心を重要視した父。


 効率的に無駄なく生きるだけでは何か物足りない気がする。時には間違い、失敗を繰り返しながらも何かがそこに見つかれば無駄も無駄ではなくなるように思う。そしていつか帰りたくなるような家が見つかればいいと思う。」

 





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生き様、死に様 - 2010.08.09(ポケットの窓から)






 

  はる 3333

 おぉぞろ目の3だぜ。毎日更新して約10年かかる。悔しかったらやってみな。出来るようでできないぞ。まぁだれも褒めやしないから、自分で自分を褒めておこう。こういうほぼ毎日やるというのは、けっこう利くんだな。何がって?文章を書くにしても、楽器をやるにしても、そうそう、絵を描くことでもね。兎に角毎日やること、そうすれば何かが見えてくる。いや、見えてくることが多い。理屈じゃないんだな、色々言う前に毎日やること。そうすれば自然に取っ掛かりが見えてくる。自分の姿がおぼろに見え隠れしてくる。借り物でない自分の言葉でかけるようになるし、唄えるようになるし、描けるようになる気がする。



 昨日の続きだけれど、宮崎進の話。舞踏の亡くなった大野一雄氏などもそうだったけれど、晩年は体の自由が利かなくなって、アルツハイマーも患っていたように聞いた。ほぼかすかに動く手を動かしながら、それでも表現しようとしていた。その姿は異様で見るものを圧倒するものがあった。



 ご本人はどう感じているのだろうか、昨日の宮崎さんを見たときにも同じような神々しさを感じたな。宮崎さんは80歳ごろまで元気で元抑留されてたシベリアに行ったりした映像が放映されていた。ダンディで高名な画家という雰囲気だった。何年か前のサンパウロのビエンナーレに招待された様子もそうであった。だけど、そこにはまだ演じられた画家がいただけのように感じた。シベリアに行っても説得力はなかったな。



 あのパーキンソン病を併発してからの姿はそのものが表現者であった。ダンディでもない、おしゃれでもない、カタカタと震える指と、絶え間なく口をもごもご動かしている老いた、衰えた醜い老人の姿が、かっこいいとおもった。ご本人はどう思っているのだろう。普通元気な自分を、かっこいい自分を映して欲しいと望むでしょう。老いて醜くなった自分なんて、全国に放送して欲しくないでしょう。



 「自分の老い様をみろ」「死に様を観てくれ」「生きて老いて死んでゆくというのはこういうものだ」もっとぼろぼろになっても表現し続けるぞ!と言う声が聞こえた。人の、表現者の業なんだろうな。



  そうありたいと思う。



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発表会 - 2010.08.08(ポケットの窓から)






 

はる 3332

 明日はカウントがオール3のぞろ目になる。べつに何の祝い事もしないけれどね。3500ぐらいになると何かプレゼントを考えましょう。



 日曜美術館で宮崎進の特集をやっていた。ほとんどテレビは観ないけれど、彼の生き方は一人の表現者として共感できるし、どんな風に老いてゆくのか見とどけたい作家でもあった。多くの作家はそこそこの年齢になると巨匠風になって作品が停滞してしまうか、後退してしまう。大体作品も小さくなって適当なところで満足してしまう作家が多い。



 しかし、まぁ今日の宮崎さんには驚いたな。元気な時の彼しか知らなかったから、老いて病気を併発して体の自由がきかない、老人特有の微妙な体のふるえとか、歯の抜けた顔の表情とか、一変した容貌にまずカウンターパンチをくらった。



 普通、ある程度の年になると、スタイルは大きく変えない。それから段々に分かりやすい、穏健な、表現のスタイルになる場合が多い。具象的な作家が、若い時のようにこれからどうなるかわからないような抽象的な作品になってゆくことはまれだな。彼の最近の作品を見ていると20代や30代のまだこれから何とかしてやろうという若い造形作家のエネルギーを感じるなぁ。姿かたちはまるで老いさらばえて、今にも朽ちてゆきそうな枯れた感じなのに、表現は充分若々しい。エネルギーに満ちている。



 男性の作家は晩年は面白くない。大体大きな団体のトップになったり、会長になったりで、肩書きがつくことで満足してしまうのだろうな。それに比べて女性は老いて益々破天荒に面白くなる。子育てや、家事から解放されて、どんどん自由に描きたい様に、作りたいように作る喜びに満ちてくる。



 晩年のいい男性作家は最近では土牛さんとか高山辰夫さん、山口薫、香月泰男、木村忠太、松田正平、須田剋太かな。好きな作家といった方がいいか。



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夜は少し涼しくなってきた。 - 2010.08.07(ポケットの窓から)






 

 村上春樹の「1Q84」の3を読み始めた。かなり厚い本で、それにベストセラー本のように文字数が少なくはない。びっしりと書き込まれた600ページだ。暑い夏に汗をかきかき厚い本を読む。これも夏のすごし方のように思う。



 (これは飛ばして下さい)そうそう、大学の夏休みは帰省せず、図書館から出来るだけ厚い借りて足をバケツに突っ込んで本だけ読んで暮らしている奴がいた。学食も閉じられてしまう夏休みは大学の山の寮に二週間ほど閉じこもって絵を描いた。一人合宿。



 村上春樹はあまり好きではなかった。好きではない割りにほぼ全ての本を読んでいるのは家人がファンで新刊が発売されると必ず購入するからかな。何が触手を刺激しないかといえば、どうにもこうにも理論的でない何物かが前後の脈絡と関係なくでてくるからで、おいおい見て来たような嘘を描くなよ、と突っ込みをいれたくなるんだな。



 けれど、そうだな、ここ最近はそれもありかなと許せるようになってきた。少しは文学が分かるようになってきたのだろうか・・・わからんけどね。いいじゃないか、見て来たような上手な嘘が書ければ、それも面白いじゃない。これ(1Q84)けっこう面白い。こんな言い方失礼だけど。



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夕立があった。 - 2010.08.06(ポケットの窓から)






 

  午前中は歯医者に行って治療。これがなかなか終わらない。胃がないので段々にカルシュウムが不足してくるようだ、でもって歯がもろくなって欠ける、虫歯になりやすい。多分からだの骨の密度も薄くなっていると思う。骨折に注意が必要かな。まぁこれも老いるということだ。



 午後は久しぶりに髪をカットしに行きつけの美容院に行く。一度カットすると何ヶ月も放ったらかしになる。散髪は嫌いだ。美容院も過当競争で、ちょっとおしゃれなお店が出来たと思うと、ほとんどが美容院だったりする。これほどたくさんのお店があるにもかかわらず、やってゆけるのは技術があればほとんどお金はかからないからかな。



 今日は珍しく夕立があった。少し涼しくなった。



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宗教に近い - 2010.08.05(ポケットの窓から)






 

 世の中が、貧しく食うことがやっとだった頃は何かしら色々なものが見ることが出来るとか、買うことが出来るとか、有り余るほどのものがあるとか、物が豊かにあるということが、憧れの対象ではあったのだな。ハングリーであるというのが一番モチベーションとして強いし、分かりやすい。



 例えば百貨店でも、土曜日は最上階の食堂で家族そろって食事して、屋上の遊園地で遊んで帰りましょう、というのが、ある意味ステータスであった頃は一番やりやすかったわけだ。ところが今はそんなことで満足するお客は一人もいない。



 例えば、これが流行りそうだからこれを、あれがいいからあれを、というのであれば、いつしか疲弊してしまう。小さな商売ならそれでもいいだろう、でも百貨店という大きな商売をかんがえるなら、右往左往したくない。百年先を見据えた仕事をしてほしい。



 創業時代、まだ時代が貧しかった頃、まず郊外を開発して住宅を分譲した。やがてそこで育った住民が鉄道を利用してターミナルの百貨店を利用する。そんな具合に彼らは長いスタンスで考えて仕事をしてきたわけだ。単に物を売るだけではなく生活そのものを開発して需要を生み出してきたのだな。



 ハングリーに替わる新しい価値感を持ち込むということだろうか。いつまでも物販にこだわらない、新しい仕事を開発するということかな。



 ここからはある種企業秘密になるのだけれど、教えてしまおう。例えば昨日話したものを教えるということにも共通する話なんだな。教える側が手取り足取り教えている状態というのは、教わる側は受身なんだな。確かに分かりやすいし、教える方もハウツーがマニュアル化しやすい。モチベーションでいえばまだハングリーな状態だ。



 ここからが本当の教育なんだな。教わる側の気持ちに火をつけること、自ら進んで学ぶ姿勢に、能動的な状態まで持ってゆくことだ。そう考えると、物を売っているのはまだまだなんだな。何が幸福であるのか、自らが考えて生活を作ってゆく。そういった能動的な生き方の方法、考え方、生き方、遊び方、生活の仕方、アイディア、もっといえばそれらをひっくるめたライフスタイルを提案して啓蒙しながら、売ってゆくということかな。 



 こんな話に乗ってくる企業はいないかな。



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何が求められているのか - 2010.08.04(ポケットの窓から)






 


 都会のデパートなんかはまだいいと思う。それなりにまだ需要がありそうだ。問題なのはどこの地方にもある老舗のデパートだろう。地方の商店街はもうほとんど死体だな、それを象徴するように地方のデパートは青色吐息だ。色んなカンフル剤を打って生きながらえていいるけれど、あと10年もつのだろうか。これがつぶれたら町中は致命傷だ。ぽっかりと大きな穴があいてしまう。今でもほとんど開店休業状態だけれど、どれだけの危機感をもっているのだろうか。



 多くの百貨店は創業時代は呉服屋だった。時代は着物から洋装になっていつまでも呉服に囚われていたのじゃ乗り遅れるというわけで、大きく方向転換した。物が少ない貧しい時代の大衆の要求だっただったのだろう、全般的にちょっと高級感のある百貨店となってここまでやってきた。いままた時代は大きく変わろうとしている。速い、安い、便利、ならばスーパーやコンビニ、ファミレスに負けてしまう。安いだけじゃ百円ショップもある。高級なら外国の有名ブランドがもっと付加価値をつけて売り込んでいる。百貨店はどっちつかずだな。存在価値が根本的に問われてる。このままではこの後10年はもたないかもしれない。



 大手のデパートはそうとう危機感をもっているだろう。これから百年どうやって生き残ってゆくのか、何を売って行くのか、それはまぁデパートだけの話ではないのだな。言わばこれから百年の日本の有り方、生き方、過ごし方、そんなことにもつながっているのではないかな。そんなふうに思う。



 何が求められているのかな。もっと言えば「人の幸せって何だろうか?」ということだ。



 閑話休題



 以前に書いた事があるけれど、中学校の正教員をやっていた時に気付いたことがある。こうやって色んな校則や規則でがんじがらめにして生徒たちをどうしたいのか、どんな理想をもって子供たちを指導しているのだろうか、最終的に目標としているのはこの国に役に立つ人材を育てるということなのだろうか、義務教育というのは無償であるということはそういうことなんだろうか・・などと疑問に思った。



 国の役に立つ人材を育てると言うのであるならば、まぁ体制が変われば大きく価値変換を強いられることがあるわけだな。当然。しかし、教育というのは基本的に個人のものである気がしている。個人がよりよく、楽しく、充実して生きられるように、教えるのではなく、知ろうという気持ちに火をつけることだと思っている。教えられることは限られたものでしかないけれど、知ろう、」知りたい、学びたい、という気持ちに限界はない。これは国も体制も関係がない、体制が変わっても、国が崩壊しても、関係がない。そういった人を育てるのが教育だと思っている。まぁ結果的にお国のためになることはあっても、決してそれが目的ではない。



 で、話は元に戻るのだけれど、多分これからは「物」を売るのではない気がするんだな。人はもう物では「幸せ」にはならないことに気がついたんだな。




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ひとがた - 2010.08.03(ポケットの窓から)






 

 デパートで個展をはじめて3年ほどになる。公募団体に出品している作家には、変なプライドのようなものがあって「デパートで売られている様な絵」は描かないと公然という作家もいる。そう私もその一人だった。



 だから最初デパートでの個展の話があったときはちゅちょした。「デパートの絵」とは端的言えばに商品ということだ。自分の絵が商品かどうか、商品として売れるのかどうかは別にして、明らかに売るという目的のために絵は描いていなかった。まぁ言ってみれば素人であったわけだ。



 もう一つデパートの絵の特徴として「綺麗、細かい、分かりやすい」というものがある。だから私に話が来るとは考えられなかった。どれ一つとして合格していないからね。実際物を見て描くわけでもない。だから私のは絵ともいえない。私の個人的な想いでしかない。形を変えたオブジェのようなものだ。そんなものが一般的に売れるとは思えなかった、というのが本当のところだな。



 そういうデパートでの個展のイメージを変えてくれたのが、お世話になったHさんだ。何よりも私の作品を「いい」と言ってくれたこと、そのことは大切なことだ。売れる売れないは関係なく、兎に角「いい」と言ってくれたこと。それによってどれだけ勇気付けられたか。今までも何人かは個人的に「いい」といってくれた人はいた。けれど、公の仕事人として鑑賞家として、デパートの企画人として「いい」といってくれたことは大きな自信になった。



 今デパートは過渡期に来ている。一昔前デパートは「夢」を売っていた。どこで買うよりも高かったけれど、それに似合う付加価値があった。それにお金を払っていたわけだ。ところが色んな海外のブランドがそれぞれに付加価値、高級感を持ち始めて、自前のお店を持つようになって、デパートの時代は終わりを迎えつつある。どうやって生き残ってゆくのか、それぞれが戦略を考えているところだ。



 大衆の消費をリードしてきたデパートがこれからどうなって行くのか、何を売ってゆくのか・・・また眠くなった。



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八月だ - 2010.08.02(ポケットの窓から)






 

 いつもの話で申し訳ないが、人は自分の身の丈でしか理解できないし、反対に身の丈でしか発信できない。どんなに高尚な話でも受け取る側にその感受性がなければ全く意味がないし、自分にないものは伝わらない。こんな簡単なことが、いままで気がつかなかった。いや何度もなんども聞いてはいたのだろうが、この言葉の通り、私にその感受するアンテナがなかったのだろう。



 物事の縁というのも同じようなことがある。凄くいいチャンスでありながら、まだ機が熟していないばかりに見過ごしてしまうことがある。チャンスの天使は前髪しかない、気付いて振り返っても後ろ髪はつかめないよというジョークだけれど、まんざら嘘でもない。



 今回、前半はまるで人が来なかった。真夏で、特に今年は異常に暑かったということをさしひいてもそれは普通ではない。真夏に個展を開催するのは今年で6回目だ。何かが変わったのだ。私が変わったのかも知れないし、お客さんの意識が変わったのかもしれない。多分普通に毎年のように人が来ていれば気付かなかった、見過ごしていたことに気付かされた。これはとても大事なチャンスでもあるのだろう。そのことに気付くくかどうかは大きなことだ。



 個展を開催していると、期間中に何人かのギャラリーのオーナーが訪れる。新規の画廊のオープンの話だったり、大体が貸し画廊の話で誰か借り手がいないかと探しているといった話が多い。今回も何人かオーナーが見えた。普段ならほとんど話を聞く気にもならないのだが、次の展開を考えていた時期だったので、気にしていたのかもしれない。



 ギャラリーSのオーナー夫婦が来られたのも、休日に画廊めぐりをしているところだった。私は暇だったので、ギャラリーのドアー越しに街を行き交う人を眺めていた。たまたま向かいのギャラリーがお休みだったので帰ろうと振り向いた時に私と目があった。「あぁこんなところで個展をやっている」という感じで道路を渡ってこちらにやってこられて、ショーウィンドウの絵に興味を持ってくれた。絵が好きなご夫婦だと思ったので「どうぞ涼んでいって下さい」と声をかけたのが始まりだった。



 詳しい事はまだ書かないけれど、そこで来年の10月に個展を開催することになった。それが夙川を訪ねた理由だ。



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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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