作家は人の最後の職業だ - 2010.06.30(ポケットの窓から)
あるブログを読んでいたらこんなことが書かれていた。「作家は人の最後の職業だ」上手いことを言う。その通りだ。
ここ
resonance 例えば人生色々あって最後に死刑囚になってしまった、でも最後に本を執筆すれば立派な作家さんだ。宇宙飛行士から作家になってもいいし、普通の母親が子育てを書いても作家になれる。どんなに波乱万丈な人生を送ったとしても、どんなに極悪非道な輩でも、最後の最後に作家にだけはなれるのだ。
だから、と言うんだな。最初っから作家になどなろうとしなくて、色んなことを経験して最後の最後の仕事として「作家」を残しておけと。
そんなもんだな、作家を画家と置き換えてもいいな。
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香具師など - 2010.06.29(ポケットの窓から)
今日はこれからワールドカップが始まります。あまり興味もないので実況は観ません。勝てば嬉しくてついついテレビを見てしまうのですが、どうもそればかりになってしまうとそんなに以前からサッカーファンだったけと覚めた目で見てしまう。渋谷の雑踏で騒いでいる馬鹿どもを見ると、成人式に酒飲んで暴れたり、奇妙な車に乗って「バリバリだぜ」というのと同じだな。周りが騒げば騒ぐほど、さめてしまう。へそ曲がりだな。
香具師(やし)とか、傀儡師(くぐつし)というのも面白い。香具とは薬師(やし)ともかく、字のごとく香り物である薬などを売り歩いた渡り者を指していったそうだ。まぁ元来がお祭りとか祝日にお寺の境内や人の集まるところで、何かしらの芸をやってそういったマヤカシノ薬めいたものを売り歩いた大道芸人をさした。
くぐつ師なども同じようなもので首からぶら下げた箱から小さな人形などを出して、手品や物語を語り聞かせたりした渡り芸人の一つだな。そんなものになぜ惹かれるのかよくは分からないのだけれど、自分の出身が淡路島というのがどこか関係しているかもしれない。
文楽というのは本来淡路の一つの人形浄瑠璃の坐の一つであったそうだ。それがやがて人形浄瑠璃そのものを指すようになったのは時代の変遷があるのだけれど、重要なのはそういった流れ芸人の伝統があったということだな。まぁ具体的に自分の親戚にそういった人がいたということではないのだけれどね。昔家に文楽人形の本物があったからな。
今年の団体展の作品のタイトルは「祝人」で普通は(いわいびと)と読む。でもそこにはある意味が隠されていて昔は(ほきひと)と読んだらしい。ほきひと→ほひと→ほいととなる。「ほいと」とは辞書でひけば乞食だな。ようするありがたい祝詞(のりと)を唱えて少しばかりのお布施をもらって流して生きている乞食芸人のことなんだな。
アーチストなどというとすごく高尚なことをやっている人種かと勘違いするのだけれど、無論そういった人もいるかもしれないが、私などは上のような流れ芸人なのではないかと思うのだな。ぐつ)
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エジプト紀行 - 2010.06.27(ポケットの窓から)
これはまた違う人がイタリアで買ってきてくれた絵葉書です。期せずして私はフランスとイタリアに行ってきたのです。このロバや馬、羊が出てくる図柄というのも何度か絵にしています。元々はジョットの↓が下敷きになっています。
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フレスコ画 - 2010.06.27(ポケットの窓から)
フランスに旅行に行っていた知り合いが私が好きであろうということで買ってきてくれた絵葉書です。フランスの田舎のどこかの教会にあるフレスコ画でしょう。タイトルはキリストと書かれてあるのでそれだけは分かります。羽が生えているのはなぜでしょう?
剥落した質感も色の調子も時代がかってとてもいい感じです。もちろん宗教画なんですが、時代が経ることで生々しい宗教臭さが抜けて、一つのロマンテックな物語絵としてみることが出来ます。例えば日本で言ったら源氏物語絵や当時の巻物の絵物語などに近いかもしれませんね。
美術がもっと身近にあって、芸術などという高尚なものではなく、毎日の生活の中で極普通に必要なものであった頃の絵だと思いますね。
例えば今流行の現代美術が果たしてこれに匹敵するような「切実なもの」として作られているだろうか?ということだな。まぁ自分の作品の話で言えば,NOだな。明らかに作品に対する思い入れが違う。
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ホームグラウンド - 2010.06.26(ポケットの窓から)
これが私のホームグラウンド。本当に小さなノート型のパソコンがあるだけ。これだけで一応世界中と交信できるし、自分のブログが日々発信できるのだ。考えてみると本当に不思議なものだ。
我々が中学生だったころ、ハムといって個人の通信が流行っていた時があった。今でも時々大きなアンテナを屋根に乗せている家を見かけるけれど、世界中と交信できるというのがある意味売りだったんだ。今ではなんでもないメールなども一昔前はポケベルだったりしたのだから、こういった個人の通信手段というのは驚くべき進化だ。
まぁ私個人としては、もうこれ以上複雑なことにはついてゆけないし、必要もない。こうやって日々淡々と日常を記録してゆくだけだろう。しかし、これがどこまで残ってゆくのだろうかね。ネット上にあるものはほぼ永久に存在できるのだろうか?例えば私が死んでホームページの更新が途絶えたとしても、必要な手続きさえとってあれば永久にネット上に存在できるのかな。
こういった作家個人が管理しているHPなどというものはいまだかつてなかったものだから、そういった意味では全く新しい形の表現ということが出来る。今までも作家の日記を何らかの形で発表することはあったけれど、こんな風にダイレクトに日々更新されるということはなかったわけだから、どうなんだろうか。
私のHPは「
ここだけの美術館」ということで、私がいままで考えたり、やってきたことした事のほとんど全てここに残してあるつもりだ。10年前に大きな病気をしたときに自分の仕事をこういった形で残しておこうと思った。
これからどうなるか分かりませんが、まぁ末永く付き合ってくださいな。
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同人誌 - 2010.06.25(ポケットの窓から)
知り合いから同人誌が毎回贈られてくる。こうやってひたむきに文学と取り組んでいる人たちがいるんだなぁと頭が下がります。まぁこれも形をかえた「私をみて」ということ事ですね。なかなか人間というのは業が深いです。
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これからが本番だ。 - 2010.06.24(作品)
「老いる」
F3
はる 3289
正直なことを言えば、表現者という立場で考えると、今までは助走、仮の姿でしかない。いよいよ、これからが本番だ。何をほざいているのかと言われるかもしれないが、考えてみれば分かると思うのだが、技術とか感覚とかいうものは確かに若いうちの方が優れている部分も多い。特に体力勝負のような細密描写みたいなものは、多分若いうちにしか出来ないし、どうやってもピークは30前後できてしまうだろう。年取ってしまうと、根性にしろモチベーションにしろ長くは続かない。
とんだ負け惜しみに聞こえるかもしれないが、(実際負け惜しみですが)早くして世の中に出なくて正解だったような気がしている。いや考えてみて、あまりにもピークを早いうちに作ってしまうと、息切れしてしまうだろうな。死ぬしか選択肢はなくなってしまう。
才能がないものは長生きこそ才能だという風なことを聞いたことがあるけれど、確かに長く生きないと分からない事も多い。特に私のように生き様を晒してゆく芸人タイプの表現者は長く生きなければ芸が完成しない。
多くの人がリタイヤして、ある人は悠々自適で孫の世話を楽しんでいる次期に、またある人はもう人生の表舞台から降りてしまっている時に、これからの20年ぐらいが、私の表現者としてのスタートである気がする。やっと何か入り口に立った気がするからね。
これは負け惜しみではなく、年を取るのがとても楽しみだ。どんな風に体の自由が利かなくなってゆくのだろう、どんなふうにぼけてわけが分からなくなってゆくのだろう?これを老人力というらしい。どんな風に自分の結末を付けてゆくのだろう?それを、その時々に考えたり感じたことを私は表現してゆく、これが私の生き様だから芸だから。
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翻弄されたくない。 - 2010.06.23(ポケットの窓から)
今日は朝から雨降り。梅雨らしい天気だった。
バブルが華々しい頃、いや今だからバブルなどと言えるのだけれど、実際その時代にどっぷりつかっていると、それがおかしいとは感じないから不思議なものだ。まぁそれはさておいて、色んなところで冠のついた絵画コンクールが目白押しだった。月刊公募などという雑誌もあって(今でもあるのかしら)皆が皆賞金稼ぎのような、それが当たり前のような、出遅れては損をするといった雰囲気があった。品がないといえばそれまでなのだが、兎に角世の中全体が一攫千金をあおっていたようなところがあるなぁ。
絵を描くことで、何とか世の中に認められる方法を模索していた当時、一番手っ取り早い方法がこういった公募、コンクールで言葉は悪いけれど一発当てることだと思っていた。それゆえ当時出品できるコンクールには手当たりしだい出していた。下手な鉄砲も数うちゃ当たるだろうを実践していた。同じような手法でAに出品したら、ほとんど変わらないような作品を作ってBにもCにも出していた。だめもとでね。
まぁ確かに当時メジャーなコンクールで賞をどんどんとって売れっ子になった作家がいたけれど、さてどうなんだろう、今となっては一時の気まぐれ、時代に翻弄されていただけではなかったかと思うな。まぁ一時でも注目されれば御の字かもしれませんがね。幸いなことに私などは大きな受賞をすることがなかったので、今の自分がいるわけで、もしこれが何かの間違いで大きな賞を取っていたら人生の方向は変わっていたかもしれないな。俗物だから。
芥川賞なんかでも、それ一発で終わってしまう作家も多い。そう考えると大衆路線の直木賞の方が実力的には上で後々まで残っている作家が多い。まぁこういったある種のばくちのようなコンクールは話題性はあるけれど、作家をつぶしてしまう可能性もあるわけで両刃の剣だな。
今はもう全く、公募への出品もやめてしまったし、興味もないし、又そうやって認められたいなどとは思わない。いい絵を描くとか本物であるということと全く関係のないことで、そんなことで一喜一憂したくない、翻弄されたくない。
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それだけで充分だ。 - 2010.06.22(ポケットの窓から)

はる 3287
昔、有元利夫がセンセーショナルにデビューしてきた頃、彼の評価を支えていたのは、ごく普通の本当に絵が好きなコレクターだった。彼自身も書いていたけれど、安井賞を取ったあたりから、何だか現代美術作家として注目されて、「がんばって、がんばって」といわれているようで、何だか場違いなところに入り込んでしまったようだ、と吐露している。
ご存知のように安井賞は具象絵画の登竜門といわれて、そこに登場するには各美術団体から推薦をもらわなくてはならない。他に個人の実力者の推薦という枠もあるのだけれど、ほとんどの場合、前者の方法で登場してくる。
当時安井賞の推薦枠が各団体に何名あったのか詳しいことはしらないのだけれど、抜群に知名度があるこの賞の推薦をもらうためにわざわざ小さな団体に入った作家もいるようにも聞いている。
そうやって苦労して推薦されても審査で落とされる方が入選の何倍もあるわけだから、喜んでばかりもいられない。まぁそんなことで、絵を描く人には憧れの賞だったのだが、有元はどんな団体にも所属せず、団体作家のような大作でもない小さな作品で、さっそうと登場してきて、いとも簡単に賞をかっさらっていった。
多くの作家たちにとっては面白くないわけで、やれピカソに似すぎているとか、あれは日本画じゃないのかとか、今だけのブームに終わるとか、作家としてどうのこうのとうるさかった。たぶんわずらわしかったと思う。
有元自身は自分の好きな絵を、好きなように描いて、それが現代美術であろうが、イラストの範疇であろうが、どうでもよかった。作ることが楽しかったし、いいと思ったものを真似しただけだ。それがたまたま時代の要求に合っただけなんだな。
一生懸命、現代美術作家になるつもりはなかったのだと思う。彼の自負は「それでも私の作品をいい」とい言ってくれる人がいるということだった。
有元利夫と比べるのはおこがましいけれど、私の作品は現代の最先端の作品ではないし、これが時代を表現した問題作だとも思っていない。現代美術だとか言ってへんてこりんな訳の分からん造形物を展示するものでもない。観た人に何かを感じさせる、問題を提示するものでもない。誰かと競争するために描いているものでもなければ、それによって社会的な地位や名誉を得ようとも思っていない。
それでも、私の作品をいいといってくれるコレクターがいる。それだけで充分だ。他に何がいるのだろう。
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(no subject) - 2010.06.22(ポケットの窓から)
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画商という仕事 - 2010.06.21(ポケットの窓から)
はる 3286
午前中に千葉の山口画廊のオーナーが絵を持ってきてくれた。搬入から展示、期間中の店番から片付けから搬出まで全てオーナーが一人でやる。もっと言えば展覧会が始まる前のDMの撮影から制作、配布まですべて一人でやる。
年間に12か13人の作家を選んで企画、会期は3週間ほど、貸しは一切やらない。これを聞くと、多分経済的に余裕のある趣味的なオーナーが暇つぶしに開いている画廊かと勘違いするけれど、そんな優雅な仕事ではない。作家以上に生き方が表現者だ。彼の書いた文章を読めばよく分かる。
絵を描いて画廊で発表し始めた頃、希望として同じぐらいの世代で自分と一緒になって仕事をしてくれる画廊のオーナーを探していた。銀座には百も二百も画廊はあるけれど、ほとんどの画廊は「作家をお客さん」にしている貸し画廊だ。貸し画廊のオーナーは気持ち的には作家の味方だけれど、実際は作家から搾取している経営者でもあるんだな。そこのところがよく見えていない。
画商という連中も何だか胡散臭い。絵が実際に好きなのかどうかは関係なく、画商同士の間を行ったりきたりしている間に高額な金額になって、その錬金術のような不可解な手法で利益を生んでゆく、まぁいつの世にもそういった輩は何処にでも生息しているのだが、まぁ絵を売買するというと、どうしてもそんな生臭いにおいがする。
まぁ作家という連中はそこのところがええかっこしいで、武士は食わねどぶりたいところがある。出来たら自分の事を理解してくれて肩代わりしてくれる人がいないものかと探しているところがある。まぁそんなに上手い話はなかなかないのだけれどね。
山口さんはそこのところを肩代わりしてくれる得がたい人物だ。何とかそれに報いたいと思うのは私だけではないだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
**(画商と言う仕事)で検索してこのページに来る人のために、山口画廊についての私の文章をまとめてリンクしました。
http://asobibe.blog.fc2.com/?q=%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%94%BB%E5%BB%8A&page=1
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(no subject) - 2010.06.21(ポケットの窓から)
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「美術の窓」7月号、国画展の講評 - 2010.06.19(ポケットの窓から)
絵の値段で号○○という言い方をする。まぁ単純にはいえないのだけれど、その作家の10号の値段を目安に、そこから一号の値段を割り出す。0号は18x14cmだからはがきサイズより若干大きい。小さいサイズは難しいということもあるけれど、大体割高になるのが普通。0号だと号x2ぐらいの値がつけられる。反対に大きくなればそのまま号x大きさというわけには行かなくて、段々安くなる。100号ぐらいになると半分ぐらいになるかな。まぁそんな絵はほとんど売れることはないのだけれど。私の場合。
大体気に入った作品から嫁ぎ先が決まってゆく。気に入らない作品だから安くしたという作家がいたのでびっくりしたのだが、気に入らない作品は置くなよといいたい。
20日発売の「美術の窓」7月号のp221に今年の国画展の講評が掲載されています。無断ですが転載しておきます。
「祝人(再生と祭り) ケンタウロスが角笛を吹いている。そのケンタウロスの雰囲気が、極めて日本的で、北国の鬼のようなイメージが表れているところがおもしろい。布を貼ったりして独特のマットなマチエールの上に、瞽女などを生んだ素朴な東北の民話のようなイメージが表れているところが懐かしい」
まぁ奇妙な文章ですが、まぁ作品から放浪芸の瞽女などを呼び出したのはありがたいですね。
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神戸個展DM - 2010.06.18(ポケットの窓から)

神戸個展DM
7/22~7/27
ギャラリールポール
078-332-3751
午後から歯医者に行く。歯のメンテナンスは割りとよくしている方だと思うのだが、それでも段々にもろくなってちょっと硬いものを食べたりすると欠けたりするようになってきた。胃を取ってしまったので少しずつカルシュウムが不足するそうだ。まぁ仕方ない。
そういえば、少し前まで保険証を使うことがなくて、どこかにしまって忘れてしまったというようなことがあったのに、今じゃ自慢じゃないが、歯医者に目医者に定期健診とフル活用だ。何だかな、全体にガタガ来たということかな。
明日は山梨県立美術館で開催している、グループ展(スクエア)の当番です。午前中は確実に居ますので、都合がつけば来てください。お待ちしています。
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(no subject) - 2010.06.17(ポケットの窓から)
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誰でもわかることを分かりやすく - 2010.06.16(ポケットの窓から)
はる 3281
大体これで行けるのじゃないか、と思ったのはそう昔のことじゃない。それまではあっちに行ったりこっちに来たりで何だかどこかで見たような絵を描いていた。
木村忠太を見れば忠太風に三岸節子をみれば三岸風にというわけだ。いいと思ったものをどんどん真似していた。というのか自然にそんな様になってしまう。けっこう抽象的な仕事から日本画のような硬い描写まで、一時はそれでも最前線を行っているつもりだった。
団体展に出品するようになって、最初は日展系の団体だったので、わりと穏健な描写をしていた。そういった方向を要求されていると思っていたのでね。生意気にも団体展用の作品と自分のやりたい作品とを分けていた。どんどん具体的な描写から離れてきてどうにも苦しくなってきた。その時にちょうど落選してしまったので、それを引き金にやめてしまった。まぁ今から考えると、悩むほど作品のグレードは高くなく、落ちるべくして落ちたというのが真実だと思う。やりたいようにやってだめならだめでいい。それだけのことだ。
絵を描いて暮らして行きたいという願望はあったけれど、それが要するに「売り絵」のような絵を描くことではなく、「自分の絵」を描いて果たして売れるものなのか、それを生業にして食っているというのはどういうことなのか?ほとんど誰も身近にそういった人がいなかったので分からなかった。
富士山描いたり、綺麗な花や美少女描いたり、モンマルトルの丘に行けば似顔絵かきが今でも哀愁を漂わせて観光客に媚を売っている。一世代前のボヘミアンを演じているだけでそれがアーティストだとはとても思えない。そんな風に生きたいわけでもないだろう。ドラマの主人公でもあるまいにね。一生それで生きられるならそれでもいいけどね。
何のために絵を描いているのか?生業じゃないなら何なんだ。個展を毎年始めた。やってもやっても絵など売れないし、誰からも何も言われないし、このままやってても意味ないのじゃないか、思い悩む日々。でもまぁ少しは気に入ってくれる人もいたから慰められたけれどね。兎に角毎年個展をやって一年の成果を見てもらう。大きな作品も」小さな作品も含めて、毎年の成果を報告する。まぁそれでいいかとも思っていた。だめならだめでそれも私の生き方、生き様だからね。
そうやって生き様を晒すことが、即自分の芸だと気づいたらすごく楽になった。「こたえてください」「いのりのかたち」「おおいなるもの」これで行けるかなと振り返ったら、絵を描いて生きてきた自分がいた。
誰でもわかることを分かりやすく。これかな。
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初夏の風景 - 2010.06.15(ポケットの窓から)

「初夏の風景」 板書
今日は天気が悪いということだったが、朝からけっこういい天気。ということで生徒と風景スケッチにでかける。日差しはもう真夏のよう。ぐんぐんと気温は上昇をつづける。私は涼しい木陰でうつらうつら、生徒にはわからぬように。
絵を描かせるとてきめんに得意不得意が出てくる。私など絵が好きだった者にはなんでもないことが、描けない人には分からないようだ。高校生にもなって遠近法が上手く使えない。樹が地を這うように描いてもなんとも思わないのだから不思議だ。
モチベーションをあげるために御まじないをかける。これだけを知っていれば絵が描けると力説。(そんな即席の方法はないのだが・・)生徒をその気にさせる。豚もおだてりゃ樹に登る。そんな時黒板に描いた絵が↑の絵。そんな気になったかな?
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はやぶさ帰還 - 2010.06.14(you tube)
はやぶさが帰還しました。私も千葉の個展から帰ってきました。 あまり関係はありませんがね。
個展はまずまず楽しかった。もともと自分の個展会場にいてお客さんとお話をするのは嫌いではない。作家にはほとんどお客さんと接するのを避ける人もいるようですが、私は話をするのは多くの人前で話をするのは得意ではありませんが、少人数ならぜんぜんかまいません。
探査衛星はやぶさの話は電車に乗っていて隣の人の新聞で知った。ほとんど最近は新聞もテレビも見ないので新しいニュースを知らない。それでyoutubeで検索してくわしいことを知った。この衛星が他の天体の探索にいっていることも知らなかったのだが、こうやって何年もかかって宇宙から帰還したというのははじめてのことじゃないかな。昔ボイジャーが太陽系の惑星の鮮明な写真を送ってきて、特に土星の輪とか衛星の克明な写真を送ってきたのには興奮したな。もともとそういう未知の世界が好きだったからね。
今回のこのはやぶさの話は、多くの示唆が含まれているように思うな。大事なことは知りたいという好奇心が一番大事なこと。もうすでに知っている、知られていることを知識としてもつということも学習として大切なことだけれど、例えば科学にしろ学問にしろ人を魅了してやまないのはこの好奇心というやつだろうな。それがなくなれば全てのモチベーションはなくなってしまう。
基礎研究みたいなすぐには結果が出ない研究ほど大事だということ。まぁ今回の衛星探査機には日本の技術の最先端が使われているので基礎研究とはいえないかもしれないが、例えばロケットを飛ばして何億も使って意味ないじゃんと考えるかもしれないけれど、そういったことに使われる技術を支える基礎研究は一朝一夕では養えないということだな。
凄く勇気づけられた気がした。
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千葉滞在2日目 - 2010.06.13(ポケットの窓から)

千葉滞在2日目
明日、画廊には寄らないでそのまま帰ります。展覧会は明日で最終日です。まだご覧になってない方は是非見てやってください。よろしくお願いします。では
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千葉個展滞在一日目 - 2010.06.12(ポケットの窓から)

千葉個展滞在一日目
明日も一日、画廊に滞在します。せっかくですから、もし時間が取れましたら是非話をしに来てください。 結構楽しい時間をすごせると思います。
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美術館前のコンビニ - 2010.06.11(ポケットの窓から)
美術館前のコンビニについて
県が肝いりで造った施設で、現在もなおうまく使われているものは多分県美ぐらいではないでしょうか。後のいわゆる箱物はすべて知事の名前を残すためだけに造られたようなところがあります。
県美の周り一体は春には新緑が、夏には濃い緑が木陰を作り、秋には銀杏並木が独特の雰囲気をかもし出し、冬は富士山を借景に築山が盆地をイメージさせてくれる美しい庭を造った。県内外からも未だに多くの来館者があるわけだから、唯一の、たった一つの成功例ではないかな。美術館の最近の企画はノーコメントですが。
しかし、多くの施設もそうですが、作ってしまえば後はどうでもいいようです。そこにあるということだけで満足してしまう、何か新しく企画するとか面白くするとか、県民のために何かをするという発想がそもそもないのです。これがお役人根性という元凶です。
ミュージアムショップとかレストランは利用者の大いなる楽しみであるはずが、だれもそんなことは考えていません。ただのファミレスです。すごくいい宝をもちながらが誰も利用しない、させないのはどうしてでしょう。
さて、美術館前の施設は随分と前から色々と変わってきました。一等地でありながら、どんな商売も上手く行きません。で最後はスラム化したお店が並んでいました。寂しい限りです。
県が何も要望しないから、指導しないから、方針がないから、場当たり的にしか仕事をしないから、結局無難なだれがやっても変わりないような、コンビ二しか誘致できないのです。
最低でも何かしら「芸術の森」の雰囲気に似合ったような意匠にする。そのことを「意識した」ということが大事なような気がしますね。そこから何かが変わるかもしれませんね。
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(no subject) - 2010.06.11(ポケットの窓から)
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二十歳前後 - 2010.06.10(ポケットの窓から)
二十歳前後のことはあまりくわしく書いていない。まぁその頃は一番荒れていた頃かもしれないなぁ。高校を卒業して、何とはなしに大学には入ったのだけれど、どうにも面白くなくて学校に行くよりアルバイトに出かける方が楽しかった。まだ絵を描いているわけでもなく、何をやればいいのか、将来の仕事のこと、色んなことが何も見えなくて悶々としていた。まぁ誰でもが、たぶんそうだと思うのだけれど、二十歳前後というのは危ない季節でもある。
高校時代にでも美大にゆくとか、何かしらそういった方向に行くといった指針が立っていればまた違ったのだろうけれど、その頃はまったくそんなことは考えてもいなかった。
少し前に書いたけれど、その頃はジャズ喫茶が出来ればなぁ・・と漠然と考えていた。何の特技もないなら実際に自分では演奏などできないのだから、少しでも好きな音楽のことを勉強して、そこそこの知識をもって喫茶店でも出来ればいいかなぁ浅はかにも考えていた。夢と言えばちっぽけな夢だけれど、まぁそのくらいしか考えられなかったな。
で、なぜやめたたかといえば、バイト、バイトで時間の切り売りをしているうちに段々とむなしくなってきた。仕事が単に時間をお金に変えているだけじゃつまらんだろう。今はいい、だけど今のうちに一生かけられる仕事を探さなきゃ。人生そんなもので終わってしまう。何よりも、今はもっと誰にもまねの出来ない技術なり芸なりを習得すべきなんじゃないか、勉強するべきじゃないかと強く思った。誰かに言われたのかもしれない。
で考えたのは、小さい時から何か物を作るのが好きだったので、何かしらの職人しごとがいいかなと思ったんだな。たまたま求人広告を見ていたら、京都で焼き物の絵付けの職人を募集していたので、とりあえず学生のままアルバイトで働くことにした。おかしな話だが、大阪の学校に通いながら、住まいは京都と大阪の境で今の八幡市のもっと田舎の方に農家の離れを借りて住んでいた。駅までバスで30分くらいかかる辺鄙なところだ。
学校を卒業してそのまま就職して、ここには二年ほどいた。住み込みでやれと店の人に言われたけれど、かたくなに通いで通した。焼き物の修行をやるならここじゃ物足りないし、まぁここで一生やるつもりはなかったのかもしれない。まだ根性が定まらなかった。ここをやめたきっかけは親父が死んだからだ。どうにもこうにも続ける気力がなくなった。こんな御みやげやのような品物を作って一生終わりたくない。漠然と自分の芸を売りたい、作家になりたいという夢が出てきた。まだ言葉にはならなかったけれどね。
そこからがけっこうきつかった。もう一度受験勉強を始めたからだ。一年だけやってみようと思った。それでだめなら他を考える。午前中は八百屋の倉庫の下働き。朝市場から仕入れた野菜や果物がやってくる。それを倉庫に仕分ける仕事が主なしごと。大きな八百屋さんだったのでバイト学生など常備10人前後はいた。最後の頃はそういったバイトのまとめ役みたいなことをしていた。年も上だったけれど、時給も少しは高かった。社長にかわいがってもらった。受験するなどと言うことは言わなかったけれど、薄々気がついていたようだ。最後に受かってやめると報告に行ったときは、ご祝儀をくれて本当に喜んでくれた。
午後からは京都の関西美術院という岡崎公園の近くにある美術研究所にデッサンの勉強に通った。後で知ったのだが、ここはかなり由緒ある研究所で、明治の頃、黒田清輝と張り合って負けた浅井忠が起こした聖護院美術研究所が前身だった。受験の予備校ではなかったのね。だから不思議とほとんど誰もいない教室でゆっくりとデッサンできた。まぁ反対に指導された覚えもないけれどね。
疲れたので続きはまた。
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ブリコラージュ - 2010.06.09(ポケットの窓から)
「あるものでなんとかする」というのをブリコラージュというらしい。そんなしゃれた言葉があったなんてね。
「猫の後姿」より
http://ameblo.jp/e-no4765/*****************
http://ameblo.jp/e-no4765/entry-10558067481.html 最近驚いたことが一つ。少し前にコメントいただいた人が、私が最初に絵の手ほどきを受けた教室の同じ生徒だったということ。もう40年近く前の話になるのですが、私がそのことをブログに書いたことがきっかけで、訪ねてこられたそうです。
私のことを知らなければ誰も来ない閑古鳥サイトでありながら、実はコアな関係でつながっているんだなと感心したしだい。どんな言葉で検索されるか、引っかかるかということが、これからはとても大事な要素になりますね。まぁだからといってカウンターの数字が上がるからいいサイト、ためになるサイトとは思いませんがね。
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関係する展覧会 - 2010.06.08(ポケットの窓から)

関係する展覧会
第20回スクエア展
山梨県立美術館
6/17~6/23 21休館
・
第51回・榎並和春個展・千葉
2010年 5/26(水)~6/14(月)
タイトル「こえをきく3」
山口画廊
千葉市中央区春日 2-6-7
Tel.&Fax. 043-248-1560
・
第84回国展大阪巡回展
2010年6月8日(火)~6月13日(日)
9:30~17:00(入場は閉館の30分前まで)
大阪市立美術館
〒543-0063 大阪市天王寺区茶臼山町1番82号
tel:06-6771-4874
・
阪急梅田メンズ館3F
メンバーズサロン展示
6月末まで
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今日のアトリエ - 2010.06.07(ポケットの窓から)
つれづれに
こういったブログにしてもほんのしばらく前にはなかったシステムで、今流行のツィッターというのがどういうものか参加していないので全く分からないのだけれど、これからどんなシステムが現れるか想像も出来ない。
ipodが電子書籍を発売してこれから何年か後には週刊誌や雑誌、コミックなども本屋で買うことなく販売されるかもしれない。紙の本なども昔のように何千部他単位で印刷されるのではなく、ネットを通じて情報交換すれば10冊単位で注文できるようだ。
まぁどうなんだろうか、今後ますますこういった個人の表現が発信可能になってゆけば、まさに玉石混合で何が優れているのか、必要な情報なのか区別、えり分ける、ことが難しくなるなぁ。いまでも個人のブログなどほとんどのものが発信者かその周辺しか相手にしていない。
HPを始めた頃、もう10年前になるのだな、誰にでも書き込める掲示板を始めてつけたら、誰彼となくいたずら書きも含めてて書き込まれてこまるだろうなぁと幸せにも危惧していた。しかし、実際にはじめt見るとほとんどの人は素通りで掲示板に見知らぬ人が書き込むということはない。
今でも、HPに作品を展示さえすれば購入者が殺到するような錯覚をもっている人がいるようだが、はっきり言って訪問者がそのページにとどまる時間は10秒もない。ましてコンタクトを取ってくる人などまれだな。
そこから分かることは、多くの人は自分の事は見てほしいけれど、他人のことにはほとんど関心がないということだ。そこのところを踏まえてブログなりツィッターなりHPを始めることだ。でないとがっかりする。
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色んな人がいる - 2010.06.06(ポケットの窓から)
近所の大きな家がつぶされて何軒かの分譲住宅になったことは前に少し書いた。私たちが住んでいる古い町はアラカンである私たちが一番か二番目に若い夫婦である。ゆえに後は推して知るべしである。何処にも子供の声は聞こえなかったし、何をやってもまったりとした時間が流れるだけだった。
ところがその新しい分譲地には見かけないような若い夫婦が引っ越してきて、まぁそれなりに活気が出てきたのはいいのだけれど、どうにもこの人たちとはかってが違う。けっこう遅くまで路上でサッカーの練習をしていたり、子供たちの声はうるさい。何処にでも入り込んでくるしボールは飛んでくる。どうにもこうにも小さなギャング集団のようだ。
振り返って自分の子供時代を考えると、やぱり何処にでも入り込んでいたし、他人の家と自分の家の区別はあまりなかった。近所は全て隠れ家だったし、ヒトの家の庭でボールを投げて駆け回っていた。そう考えると、まぁ時代はめぐって同じようなものかなと思う。
本当は町には色んな世代が、色んな障害を持った人も、若い人も年老いたひとも同時に住んでいる方がいいのだ。
眠い。
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夜は涼しい - 2010.06.05(ポケットの窓から)
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枯れない泉 - 2010.06.04(ポケットの窓から)
新しい小品にかかる。何がいったい出てくるのだろう。最初はだいたいいつものようなものしか出てこない。それがやがて自分でも考えてもいなかった、思いがけないものになったりすると、面白いし、楽しいし、嬉しい。
アイディアのストックはないので、いつもぎりぎりのところで生きている感じがしている。これを描いてしまえば終わりじゃないか、もうこれ以上ものはできないのじゃないか、といつも思っている。けれど実際はまた何か新しいものがでてくるんだな。他人が見れば同じように見えるかもしれないけれどね。まぁいいか。
誰かが書いていたけれど、たとえば今回は半分だけの力でアイディアも半分、次に半分取っておくというようなことだと、結局その前の半分も生きたものにはならない。毎回全力で全てを出し切ったら、また新たなものが生まれる。もしそれで枯れてしまったらそれだけのものだったということだろうな。
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音について - 2010.06.03(ポケットの窓から)
音楽についての雑感。
二十歳過ぎの頃、ジャズ喫茶というのがやたらと流行っていて、どんな小さな町に行っても一軒や二軒、気の利いたジャズを聞かせる専門の喫茶があった。店内はおおよそ真っ暗で、外の光になれた目には何も見えない。大きなスピーカーからは耳をつんざく様な大音響のジャズが流れていて、いらぬおしゃべりをしていると『静かにして下さい」などと注意される。そこの店主はどこも一様に変わっていて、我々お客が行ってもありがたがる風ではなく、さも面倒くさそうにオーダーを取りにくる。そんなスタイルが若い私にはすこぶるカッコよく思えた。
音楽は元々好きで、なにぶん当時はフォークソング全盛の頃だったので、ギターをかき鳴らして唄うというのはお手の物だった。ジャズと初めて出会ったのはいつ頃だったのか覚えていないけれど、歌謡曲でもない、俗に言うポップスでもない、クラシックでもない、何かしら大人びた、どこか退廃的で、見たこともない世界を見せてくれるような気がした。ジャズが出来るとは思えなかったけれど、いつの間にかドッとのめり込んでいった。
当時のスターはなんと言ってもピアノのチックコリアとかキースジャレットで、今までのジャズのカッコよさとポップスの親しみやすさを融合してクロスオーバーと言われた。功罪は色々言われるけれど、ジャズが今までのようなアンダーグラウンドの音楽ではなく、陽のあたる表舞台に出てきたのはよかったのではないかな。CMなどでも取り上げられて巷で耳にすることも多かった。
何でもそうだけれど、ブームになったものはそれと同じように忘れ去られるのも早い。今は彼らの名前を聞くこともほとんどない。かえってピアノならオーソドックスなビルエバンスなどの正統なジャズの方が残っているようだな。まぁそれも日常生活ではほとんど聴かなくなってしまった。
制作の時に音楽は聴きますか?とたまに聞かれるが、元々ものを考える時はながらでは出来ないたちなので、音楽は聴きません。音楽は食事する時に軽いクラッシックをかける程度で、音そのものをうるさく感じるようになってきたように思う。なぜかな?
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