あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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個展5日目 - 2010.01.31(ポケットの窓から)





個展5日目

 疲れもピークです。



 絵は確かに見るものです。それ以上でも以下でもない。展覧会をするのは簡単なことだ。お金と暇があれば誰だってできる。



 しかし、人は自分の身の丈でしか計りえない。身を切る潔さがなければ表現にはならない。私にはそれができているのだろうか?



 


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(no subject) - 2010.01.30(ポケットの窓から)



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個展3日目 - 2010.01.29(ポケットの窓から)






 

個展3日目

 個展も三日目になると大体その回の様子が見えてくる。体も疲れがたまって中だるみ気味でピークだな。ちょっとソファーに座ると一瞬眠ってしまっている自分に驚く。



 明日とあさってが今回の山場かな、なんとか楽しく乗り越えたい。お待ちしています。



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個展2日目 - 2010.01.28(ポケットの窓から)






 

 個展2日目

 デパートは夜8時までなのでけっこう疲れます。というわけでここまでです。



 飯野さんがコメントを書いてくれました。「猫の後ろ姿」



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個展オープン - 2010.01.27(ポケットの窓から)






 

個展1日目

 個展オープンしました。前回との違いは、前回はまぁ突然の話で、個展までそう期日がなかったので、今までにかきためた自信のある作品を展示した。それゆえに、まぁそこそこのグレードを保つことができたと自負していたのだが、今回はその後二年の作品を展示するということで、作品のグレードを保つのが難しいなぁと心配していた。まぁこれが本来の実力でしょうね。



 結果はそれぞれが見て判断してくださいな。お待ちしております。



 



 すんません。眠たいです。



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前夜祭 - 2010.01.26(ポケットの窓から)






 

 搬入、飾り付けが終わりました。8時を過ぎてしまいました。大きな広い会場なので、これをいっぱいにするのはかなり力のある作家でもなかなか難しい仕事だ。うまくいったかどうか、お客さんの反応を見ないことには何もいえない。まぁ明日ふたを開けてどうでるか、楽しみなところではある。



 今デパートは全体的に大きな曲がり角に来ている。戦後すぐ物が少なくて唯一デパートだけがその名の通り百貨をそろえてそれなりの対応でお客さんに満足を売っていた。土曜日に学校が終わってデパートで食事して屋上の遊園地で遊ぶのが楽しみだった頃、デパートは夢の楽園だった。



 ところが今はどうだろう。どこでも同じようなものが、それもデパートより安い値段で買えるわけで、デパートは海外のブランドのテナントが入る植民地のようになってしまった。デパートで買い物をする楽しさはもう昔のものになってしまったのかな。デパートはただの空っぽの箱だものなぁ・・。このまま何の手立ても打たなければ、ここ10年のうちに百貨店は消えるかもしれないな。日航が倒産するのだから何があってもおかしくないか。



 デパートの一部を貸してもらって個展をやっている側から言えば、まぁミミズのたわごとのようなものだけれど、何かしら感じることを言う義務もあるかなと思う。



 総合的な生活のプラン、これからの生き方の方向、それに夢みたいなものをブランドとして売っているわけだから、単に商品が安いとか売れるとかそういったことでない総合的な文化を演出して買ってもらうべきだと思う。



 画廊で言うならば、デパートの画廊は街の画廊ではできないような、総合的な演出をして、生活の中でどうアートと向き合うかみたいなことを考えて提案してゆくべきだと思う。具体的にはどうやればいいのかよくはわからないのだけれど、ある種お客さんを啓蒙しながら、教育しながら売ってゆくというような方法が考えられないだろうかね。



 まぁそんなことを考えながら、明日からの長い一週間を考える私であった。



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明日から出かけます。 - 2010.01.25(ポケットの窓から)






 

はる 3139

 税金の申告に出かけた。まだ本格的な申告の時期ではないので、結構すいていた。



 もう何年にもなるのだが、定職を持たなくなるとこういった税金の申告や、年金や健康保険の手続きなども自分でやらなければならない。厄介なのは健康診断などで、学校や職場に属していると何気なく済んでいるこういったものが、年が新しくなるとどっどっと押し寄せてくる。やらないならやらなくても当分の間は何事もおきないのだが、やがて知らないうちに不利益をこうむることになる。これは「就職しないで生きるためのスキル」の大事な一つであろう。



 自由業というのか、私のように何か物を作って売って食べているような人間にも当然申告用紙が来る。最初は大いに戸惑った。なぜなら申告するほどの収入がないからで、こんなもので生活している人間など信用してもらえないのではないか?という危惧だ。税理士はそんな個人的なことには興味はないらしい。それで生活できるかどうか?そんなプライバシーに関することには踏み込んでこないので安心していい。



 申告するようになってやったことは、とにかく何でも領収書を取っておくことだ。特に我々のように職住一体になっているような職業は、これは仕事、これは生活と分けることが難しい。細かいことは聞かれたら答えればいいので、とにかく何でもかんでも領収書を取っておく。そうやると意外に経費ってかかるものだということが分かる。



 閑話休題

 帰りに年賀郵便の切手シート交換にまわる。例年5枚ほどシートが当たるのだけれど、今年は初めて3等が当たった。で、何だかカタログのようなものの中から一つ選ぶ。それはそれでいい。ところがその手続きたるや延々と時間がかっかって遅々として進まない。で上司みたいな人が出てきて何やらやっている。それでもまだ終わらない。本局だったので、私のほかに色んな手続きに来ている人がいるにもかかわらず、こんなどうでもいいような仕事に二人もかかわりあってそれでも終わらないのだ。もういいです、要らないですと言いたくなった。郵便業務はつぶした方がいいかもしれないな。





 明日から私はまた一週間ほど出稼ぎに出かけます。できるだけ更新するつもりですが、またシャメだけになるかもしれません。あしからず。 



 会場には連日詰めているつもりです。何か質問があれば気軽に声をかけてください。誠心誠意お答えするつもりでいます。希望を言えば、できるなら疲れが溜まらない初めの頃がいいように思います。よろしくおねがいいたします。ではでは、会場でお会いしましょう!

 

2010年 1/27(水)~2/2(火)

第50回・榎並和春個展・銀座

 タイトル「こえをきく2」

銀座・松屋 7階  

東京都中央区銀座3-6-1 

03(3567)1211




 



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裸婦クロッキー1/24 - 2010.01.24(裸婦クロッキー)








































 

 


 









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鉛筆3本 - 2010.01.24(ポケットの窓から)






 

 今日は裸婦クロッキーの日だった。上の写真は右側が私が描いている椅子と鉛筆三本に練りゴムとスケッチブックです。たったこれだけの道具で一日遊べます。スケッチブックも色々なサイズがありますが、私はほぼ毎回同じサイズで、標準的なクロッキーブックですね。色々持ってゆくのが面倒なので、随分前からこのスタイルに落ち着きました。



 小さい頃から絵が好きだったですか?と時々聞かれる。もう何回ともなく書いたけれど、絵を描くことが特に好きだったわけではない。それに特に上手だったという記憶もない。ただ小学校の図画専科の先生が私の絵や工作をやたらとほめてくれたという記憶がある。傲慢にも専科の先生には分かってもらえると思い込んでいた。そう考えると学校の先生の存在はかなり大きいものだ。



 学年が変わってその先生が転出して専科の先生がいなくなって担任の先生が図画を教えるようになって急にやる気がうせた。当時でも漫画をいとも簡単にすらすらと描ける奴がいたな。鉄腕アトムとか鉄人28号とか、何も見ないで、短い鉛筆をクリクリまわしてまるで手品のように描いていた。まぁ子供心にこいつらにはかなわないといつもおもっていた。ところが美術で絵を描くということになると、彼らはその才能が出てこない。あれほど自由自在に鉛筆を走らせていた彼らが、何も描けないのだ。



 子供心に不思議におもったのだが、どこがどのように違うのか今でもよくは説明できないのだけれど、明らかに違う領域なんだと思う。今でも漫画とかイラストのようなものは全く描けない。



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前に進むしかない。 - 2010.01.23(ポケットの窓から)






 

 昨日引用した文章のブログを書き忘れましたので、ここです。



 この間スローフードの集まりがあって、その時はそんなに気にしなかったのだが、帰ってきてから少し気になったことがある。まぁ今の時代の構造不況みたいな話かな・・。



 蒸気機関の産業革命があっていろんなものが手工業から機械化された。やがては電気がそれに替わって飛躍的に効率がよくなった。そして戦後はパソコンがでてきて、さらに無駄を省くオフィスのオートメーション化がすすんだ。それはそれで、人類が目指してきた結果ではあるんだな。



 じゃあ、こうやって効率よく無駄を省いて最適化を勧めて行って、最終的に何を目指しているのかといえば、まぁ昔の漫画のように、人はただ単に寝転がってテレビでも観ているそんな状態を考えていたのじゃないかな。今実際に昔に比べて多くの仕事がなくなっている。それは人類が良かれとおもってやってきたことが、反対に今首をしめている感じだな。



 自動販売機ひとつでもそうだ。便利だけれど全国のタバコ屋をほとんどすべてつぶしてしまった。タバコ屋の看板娘は歌だけの話になってしまった。仕事を誰でもできる簡単なマニュアル化したために、確かに効率はよくなったけれど、仕事に創造性、工夫というのがなくなった。パートタイムはいかに仕事をしないかに知恵を絞る。



 ごく一部の優れた頭脳労働とすごく単純な労働だけになってしまった。これは多くの人間、特に若い人には気の毒だ。魅力ある仕事がない。



 多分これからは、仕事を与えられるのではなく、新しく作って行く必要があるだろう。昔はよかった的な、過去に戻ることはできない。いつの時代も前に進むしかないのだな。

 



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修行者 - 2010.01.22(ポケットの窓から)






 

はる 3136

 あるブログを読んでいたら次のようなことが書かれていた。以下無断引用します。



「・・略・・たとえば、絵を描く人がいるとしますと、純粋に絵を描くのを楽しむ心と、それを人に売って暮らそう、という心は違うものだということです。



絵がうまくなる、よくなる、というのは無限の道のりです。そこで、この絵はどうしたら売れるかな、と考えるのは邪念でしかありません。



・・略・・山にいれば、聖人であり、修行者ですけれども、山を降りてしまえば俗人です。そして、山で学んだことを高く売りつければ山師です。山にいて真理を求め続けることは誰も利さない行為です。



 しかし、十分に機が熟さないうちに、半端な知識を売りに山から降りてきたらただの商売人です。どれくらいのものを持ったところで降りてきてしまうかで、器や志が見えてしまいます・・略・・



 あらゆる教祖というものは、中途で山を降りてきた人たちだと思えば間違いないのです」



 まぁ、絵を売るというのはある種後ろめたいところがあるのは否めないなぁ。中途半端な、宗教者の教義を聴かされているようで、片腹痛いと想っている人も多いかもしれんな。



 まぁ言い訳をさせてもらえば、私は宗教者ではないし、悟った人間になりたいとも思ってはいない。まず悟れることもないだろう。



 表現者などというものは最終的な覚醒者になってしまえば、悩むこともなくなってしまうわけで、そこに人間としての面白みもなくなってしまうわけだ。我々の仕事はあちらの世界とこちらの世界の境界にいる。行ったりきたり自由に渡り歩けることが、現代の表現者としての仕事ではないかな。



 まぁ山師、詐欺師といえばその通りかもしれん。本来芸人というのはまともに生きてゆけないそんなどこか欠陥のある人間が、最後の最後に残された生きてゆくための方便のようなきもするな。



 原点は、命がけで、身をさらして、生きてゆくことで辛うじて許される河原ものでしょう。



 



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通俗性 - 2010.01.21(ポケットの窓から)






 

はる 3136

 今回の個展は今までの延長上にはあるのだけれど、少し演出を変えた。それは松屋の会場がひろいということがある。あの会場にただ絵を並べただけでは、来ていただいたお客さんがすっと見てそのまま何の感慨もなく帰ってしまうのではないかと思ったからだ。



 それとこんなことを示唆されたことが大きい。会場が大きい、それを埋めるのが大変だというけれど、確かにそうなんだけれど、あの会場を無料で一週間貸してもらった。自由に使っていいといわれた。そう考えたら、これほど恵まれたことはないのではないか。



 生活の中のアートを提案すると考えたならば、私の日常生活を含めた生き方を紹介するといった展示にすれば、作家の紹介にもなるし、より深く作家を知ることで共感してもらえるのではないか。と言われたこと。



 それから、こんなことがある。自分の絵にはある種の通俗性がある。まぁそれは自分で言うのもおかしいのだけれど、それが一種の魅力といえば言い過ぎか。嫌いな人にはそれが鼻持ちならない俗っぽさになるのかもしれないけれどね。



 で、思ったのは、私の絵は美術館でありがたく鑑賞する絵ではない。どちらかといえば日常的な空間で、生活の中で楽しんでもらえたら、それはそれで存在意義があるのではないか。そんな風に思ったこと。



 けれど、まぁそこそこに有名な作家であればこんな工夫をする必要はないのかもしれない。もっと絵に圧倒的な存在感があればこんな小細工をする必要はないのかもしれませんがねぇ・・。まぁこれだけの人間でしかない。



 というわけで、今回は見てのお楽しみですが、最後の壁一面はこの一年間の日常生活の写真と、このブログからの抜粋です。恥かきもここまでやれば居直るしかない。これはまぁ冒険といえば冒険かな。 



 来週はもう御江戸です。



 松屋の展覧会紹介記事



 



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(no subject) - 2010.01.20(ポケットの窓から)






 

はる 3135

 今日は一日仕事。来週の今頃は松屋の個展が始まっている。いつもは意気揚々、まな板の鯉状態で楽しむだけという雰囲気なんだけれど、今回はなんとなくプレッシャーを感じる。なんとなく憂鬱だな。

 



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祝人 - 2010.01.19(ポケットの窓から)








↑を見ていると ↓が出てきた。何だろうこれは。祝人かな?






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漏水 - 2010.01.18(ポケットの窓から)






 

はる 3133

 二三日前の水道の検針のときに漏水の疑いがあるとメモがあった。そういえば先月と比べて五千円も高かった。普通何も特別なことをしない限り水道料がそれだけあっぷすることはない。



 でメーターを調べてみると、パイロットメーターがわずかにゆっくりと回っている。人間とは不思議なもので、分からない時は一ヶ月も放っておいても全く気にならなかったのが、知ってしまうとそのままというわけにはいかず、朝飯、昼飯、晩飯とお風呂の時にはバブルを開ける。それ以外は閉めておかなければという脅迫観念にとらわれる。一日や二日放っておいてもあまり変わりはないのだがね。



 で、水道局に連絡すると、漏水検査官なるものが出張で無料で回っているということだった。というわけで今日午後から彼らが来るということで待っていた。まぁこれがなかなか来ない。待って待って五時近くになってやっときた。



 漏水の検査というのはどうやってやるのかご存知か?これまたこんな時代に超アナログなんだけれど、聴診器の金属棒のようになったもので「音を聞く」んだな。何場所か蛇口のある場所にその棒の先をあてて、その音の強弱で判断するのだな。



 聞かせてもらったけれど、水が流れている音がする。そして、確かに場所によって音がちがうのだな。昔インデアンが地下水のありかを知るのに確か地面に耳を当てて聞いていたような気がするけれど、今回確かにその一番大きな音がしたところが漏水していた。



 まぁそんなことで、今日は一日水道待ちの日でした。





 

 



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(no subject) - 2010.01.17(ポケットの窓から)



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ジョット - 2010.01.16(ポケットの窓から)






 

 吉田秀和の「セザンヌ物語」を読み始めた。どこかのブログを読んでいたらこの本の話が出てきて、あれ!あれほどセザンヌのことを気にしていたはずなのに、それから吉田の爺さんの話もよく書く割にはこの本のことはまったく認知していなかった。そうなんだ、吉田の爺さんがセザンヌについて書いていたのじゃ読まずにはおれない。文庫本になっているので簡単に手に入れることができた。



 なかなか難しい本で、まず最初と最後のあとがきから読んだ。まぁこれはセザンヌに興味があるか、絵を書いたことがある、絵に興味がある人しか面白くないだろうなと推察する。絵を描かない吉田の爺さんがここまでよく考察できたなぁと妙なところに感心する。一芸に秀でたものはすべてのことにつながって行くものなんだなと思った。中身のことはまた読み終わったら書きましょう。



 あとがきのところでパドバのスクロヴェーニの礼拝堂のジョットの壁画のことが書かれていた。感動的なのでそのまま引用する。



「パドヴァにあるクスロヴェーニのチャペルの内部をほとんど全面的に塗りつぶし、壁という壁に、いくつもの描き続けられたジョットのフレスコ画は、その一つ一つの絵のすばらしさだけでなく、その全体において、私にひとつの強大な真実を啓示した。

 それは、「すべては絵画として描かれることができる」あるいは「人間は天地を貫いて目に見えるものはもちろん、目に見えない精神心的出来事でさえ、すべて、絵に描くことができる」ということである。・・・・略・・

 建物全体を覆ったジョットの絵は、それでひとつの天地をつくり出し、その色と形だけでできた天地は、建物の内と外にある天地と全く等価の天地だった。そこには音楽さえあった。・・略」 
吉田秀和「セザンヌ物語」より



 



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国籍はどこ? - 2010.01.15(ポケットの窓から)






 

はる 3130

 パソコンは今のところ調子よく動いている。ただひとつ問題があって、リメイクした業者が提携したウィルス制御のソフトが時々必要ないCMをポップアップで立ち上げる。これが目ざわりといえばそうだな。しばらく我慢すれば消えるのだけれど、何だか安っぽい宣伝でがっかりする。これを消す方法はあるのかしらん。



 しかし、パソコンも色々だけれど、我々のような素人が使う分にはこれで充分で、他に色々入っているソフトもすべて捨ててしまっても問題ないように思うな。ありがたいことに昔使っていたソフトがそっくりそのまま使える。このことはここだけの話。



 さて、大きな絵を描かねば。



 



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第4回道(TAO)展 - 2010.01.14(ポケットの窓から)
 第4回道(TAO)展

2010 1/14~1/19

ギャラリー&スペース

ハーパーズ・ミル



甲府市東光寺町1346

055-233-3157





 



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新学期 - 2010.01.13(ポケットの窓から)
 第4回道(TAO)展

2010 1/14~1/19

ギャラリー&スペース

ハーパーズ・ミル



甲府市東光寺町1346

055-233-3157

 



 

はる 3128

 また日常が始まって、さまざまな雑用が私を追い立てる。そんな中昨日らい右目に少しの痛みがあって、午後になると白目が赤く充血してきた。今朝になって違和感があって鏡を見ると白目の部分がゼリー状に盛り上がっていた。まぁ午後になって次第に落ち着いて来たんだけれど、目は商売道具ということもあって、怖いのでいつも見てもらっている眼科に行くことにした。



 結果的には特になんでもない炎症ということだったけれど、何だかね最近は目の異常を感じることが多くなった。パソコンとか暗いところで本を読む機会が多いので、これまたよくないのかもしれないな。



 私の絵は細かい絵ではないので絵を描くことで目が疲れるなどと言うことはほとんどない。そんなことを考えると私の絵はオブジェに近いのかもしれないね。



 そうそう、面白いことを書いている作家がいた。絵描きを分類しているのだけれど、



1、売り絵の作家。昔から絵は建築と結びついて工房制作が当たり前であって、今のように芸術家などと言うものは存在しなかった。職人仕事であって、そもそも絵画の発生はそんなところから来ている。売り絵を描かないなどという作家は絵描きではない。



2、趣味的な作家。絵を売ることににもそれほど熱心でもないし、かといって芸術について革新的な発想をするわけでもない。けれども何だか一番偉そうにしている作家。



3、学問や研究として絵を描いている作家。セザンヌやクレー、モンドリアン、やカンデンスキーなどが入るらしい。これもよく分かる。



4、詐欺的な作家。名前だけ先行して、そんな気分だけを売って詐欺的にお金儲けする作家。



 最後に書いていたけれど、本物はこの全てを持っているような作家だそうだ。それも納得する。



 



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地域の活性化 - 2010.01.12(ポケットの窓から)






 

はる 3127

 バブル全盛だったころの話。リゾート法なるものができて北海道の原野にでっかい完全冷暖房のでっかいホテルを中心に、夏はゴルフができたり、プールで遊んだりできる。もちろん冬場はスキーにスケート、温泉にボーリング、遊ぶことなら何でもござれの一大レジャーランドをぶち上げた会社があった。会社なのか法人なのか、流行の半官半民の第三セクターだったのか定かではない。とにかく全国各地にそれに類したような施設がぼこぼこと建っていた。



 今では笑い話のようだが、当時は真剣にそれがこれからの「レジャー」のスタイルだと真剣に考えられていた。



 あっという間に夢はしぼんでしまった。何が間違っていたのか、今なら少し分かる気がする。我々日本人にはそんな風に豪快に遊ぶ習慣がない。遊べないといってもいいのかな。レジャーランドは一度行けば二度目はもう行かない。遊ばせてもらう施設はやたらに疲れるだけだ。



 本当の遊びは「創造する」ところにある。木一本でも、鉛筆一本でもあれば十分に楽しめるのだ。



 勘違いすることが多いのだけれど、レクレーションとは「暇つぶし」ではないのだな。「新たに気持ちを作り直す」といったもっと積極的な意味がある。どうも我々の娯楽というイメージには仕事の合間の「暇つぶし」の感覚があるのだけれど、そうではない気がするなぁ・・。



 地域の活性化みたいなことを考えると、大きな力、例えば国とか地方の自治体などを絡めて考える、どうしても頭でっかちというのか、お題目は立派だけど、内容伴っていない場合が多い。お役人さんとは目線が違うのでねぇ、どうやってもうまくは行かない。大きな企業に資本を出してもらう話もないではないけれど、またぞろハウステンボスの二番煎じじゃなと危惧する。



 反対に地方の親方さんを頼みにしても自分の利益の確保に躍起になっているだけで、大きなビジョンが描けない。どちらもどちらだな。もっと大きなビジョン少なくとも20年30年先のここを想像して計画を立てられる大物がいないものかなぁ・・とは常づね感じることだ。



 本当はね、人材こそ地産地消で地元の人間が主体的に計画して実行してゆくべきなんだな。大きくやる必要はない。小さくても自分たちが抱えきれるくらいのところから出発すべきなんだろうなとは思うのだ。



 ある種の理想郷がここにはあるんだけどな。うまく活用できないでいるのが歯がゆい。



 



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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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