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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

海岸寺の坐仏 - 2009.10.31(ポケットの窓から)






海岸寺の坐仏

 昨日はいい天気に誘われてというわけでもなにのだが、かねてから計画して伸び伸びになっていた、知るひとぞ知る造形作家の木村二郎さんの回顧展を須玉の郷土資料館に観に出かける。木村二郎といってもほとんど人は知らないかもしれないなぁ、清里のギャラリートラックスのオーナーだったといえば、そこそこ美術に興味のある人は知っているかもしれない。



 リサイクル家具といえば古材を利用した家具というイメージで安っぽい中古品という響きだけれど、彼の手がけた物は古材を素材として使っただけで、全く新しい造形物になっている。家具というより作家のオブジェに近いな。そこのところがどことなく自分の仕事と共通するエッセンスが感じられて惹かれるものがあった。土着の人間ではなく関西から流れてきた「来たり者」であるとことも共感する。



 色んな雑誌で取り上げられて、これからと言う時にさっさとこの世とおさらばした。今生きていればもっと色んなところで取り上げられていたであろう。



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(no subject) - 2009.10.30(ポケットの窓から)



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(no subject) - 2009.10.30(ポケットの窓から)



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(no subject) - 2009.10.30(ポケットの窓から)



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(no subject) - 2009.10.30(ポケットの窓から)



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(no subject) - 2009.10.30(ポケットの窓から)



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(no subject) - 2009.10.29(ポケットの窓から)



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アトリエの画伯 - 2009.10.28(未選択)






アトリエの画伯

 

 友達のカメラマンが遊びに来て戯れにライカで色んな写真を撮ってもらった。其のなかの一つ。それを携帯のカメラで撮った。なぜならボケて明瞭に見えないからだな。実際の写真は白黒でなかなか迫力のあるいい写真です。



 全国の皆様へ。もう何年もブログをやっていますが、間接的とはいえ初めて登場しました。こんな爺さまがここの住人です、ホームレスではありません。ではでは。



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壊れた物は二度こわれない。 - 2009.10.27(ポケットの窓から)






 

はる 3051

 「般若心経6」

 「美は混沌にあり」これは新しい概念だな。ここのところ考えていることにぴたりと当てはまる。「美は発見である」というのが私の今までの考えだった。思えばこれはもう十年も変わらない考え方でね。まぁ今も基本的にはその立ち位置は変わらないのだけれど「美は混沌にあり」の方が本質的な気がする。



 「美は発見である」というのはどこから来たのかといえば、よく「絵なんて好き嫌いでいいじゃないか」といわれる。そういわれて、確かにその通りなんだけれど、どうも何かしっくり来ないものがある。子供が好きというのと大人が好きというのではどうも違うのではないかと。本当に「好き嫌いだけ」なのかなとね。



 何でもそうなんだけれど「人は自分の身の丈にあったものしか理解できない」幼稚園生にいくら正しくても高等数学は理解できないだろう。それと同じでいいか悪いかはその人次第、その人のレベル次第というところがあるな。だから、まぁ「これが好き」といえば簡単にいえばその程度の人間だということかな。



 ところがね、ここのところが難しいところなんだが、例えばピカソは子供が見て面白いと思わないか、興味を示さないかと言われればそんなことはないんだな。本物というのは実は子供から大芸術家まで満足させる多くの引き出しを持っているということなんだな。ある程度の教養のある人しか分からない美というのは、まだまだ本物じゃないと言うことじゃないかな。



 ドゴン族のお面とか扉とか鍵とか家そのものも面白い。朝鮮の民芸とか日本の古い猿楽のお面とか、神楽のお面や奉納物なんどもおもしろい、初期の仏像なども面白い。当時の人が特に教養があって美の何たるかを理解していたとか考えていたとは思えない。そういった価値はまぁこちら側の物差しであってね、彼らは「美(うつくしい)」とか「信仰」「道徳」などという概念も無かったように思う。あったのはただ「いい」ということだけだったんだろう。



 この「いい」という概念も様々だ。「美」とかいて(よし)とも読む。「善」も(よし)だし「儀」も(よし)、だし「良」「好」もよしだ。「よし」というのを調べてみるとこれまたなかなか面白いように思うな。



 ある時、ある場所では「よい」であっても時空が異なれば「悪い」になるのであれば、それは普遍性が在るとはいえない。もっと違う概念、普遍的な考え方がないものかと探っていた。



 ところで、また般若心経に戻ってみる、

「「般若心経とは、この世にあるものは、すべて実体のないものだから、生じたということも、滅したということもなく、汚れたものも清浄なものもなく、迷いもなく、老いも死もなく、苦しみもなく、心をおおうものは何一つなく、それゆえ、恐れるものもないので永遠の平安を極めているのです」



 「いい」「わるい」の判断を超えたところに真実があると言っているきがするなぁ。「いいもわるいもない」と言ってしまえばそうなんだけれど、「いい」にこだわって「わるい」を排除すると、いつかまた排除される側になる。



 壊れた物はさらに壊れることはない。死んだものは再び死ぬことはない。なくなった物は二度なくなることはない。正しいものはいつか正しくなくなるかもしれないけれど、元々いいも悪いも無いものは永久にいいも悪いも無いという禅問答だ。



 統一された、これしかない、唯一のというものほど危なっかしいものはない。明日から保身にまわらなければならない。



 「美は混沌にあり」

 



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(no subject) - 2009.10.26(ポケットの窓から)



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レッスン - 2009.10.25(今日のアトリエ)






 

はる 3049

 今日は久しぶりのチェロのレッスン。もう何年もチェロは触っているけれど、いっこうに上手くはならない。これは全く謙遜ではなく、弦楽と言うのは恐ろしいほどいい音を出すのは難しい。例えばピアノやギターというのは誰が弾いてもドはドの音がする。まぁ強弱はあるのだろうけれどね。ところが弓で弾くヴァイオリンとかチェロみたいな物はフレットがない。だから最初っから音は不安定である。自分の耳で決めて行くようなところがある。



 しかし、大人になって始めた我々のような素人はなかなかその音程が定まらない。絶対音感みたいなものがない。だからフレットに変わる物としてバンソウコウを貼ったり印をつけたりするのだが、これを見て指を確認して弾いて行くというのはスタイル的に格好が悪い。この指を気にしていると右手の弓のほうがお留守になってなんともはしたない音がしたりする。



 それから独学で何年もやっていたので、そこそこの曲なら弾けてしまう。それがまた問題で、弓や指の押さえ方などがてんでいいかげんで、変な癖がついてしまっている。これも厄介だ。直らないのだ。



 曲を弾くつもりは無い。教則本のようなもので最初は弾けなかったものが段々に曲としてつながってくると面白い。



 



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マチエール - 2009.10.24(ポケットの窓から)






 

 ↑は今描いている作品の一部です。こんな陶器の窯変のような絵肌が好きですな。これはまぁ私が描いているにもかかわらず、私の力ではありません。作ろうとしてもできませんね、私は見つけただけなんだな。ただこれも今だけ存在する美で描いているうちに消えてしまう運命にある。これにこだわっているとつまらない絵になってしまう。



 無意識と意識のはざ間に素晴らしい瞬間がある。全体的に無意識にポット出来てしまったというふうなのがいいように思うな。なんとかそこらあたりに近づきたい。

はる 3048

 随分と寒くなった。少し前は虫もないていたけれど、今晩あたりは寒さに震えているのだろうかね。



 額の注文を9月の末にした話は書いたかな。何の音沙汰もないので少し心配なので確認の電話をする。額を作る業者が外国で日本の技術者が出向して作っている。日本製と昔は質に圧倒的な差があったけれど、今はもう変わらない。だから人件費の安い外国に工場が出てしまうのは経済の理論で行くと仕方ないのかもしれない。が利用者の側の立場でいえばすこぶる不便である。



 納期をはじめとして納期の打ち合わせなどが厄介である。注文してから6週間かかる。時間がかかりすぎる。いざと言う時に役に立たない。



 今はまだいい。技術が外国に出てしまえばそのうちに真似されて乗っ取られてしまうだろう。もっと大きな問題は、やがて日本人は何も作れなくなってしまう。これは額だけの話ではない。



 



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(no subject) - 2009.10.23(ポケットの窓から)



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美は混沌にあり - 2009.10.22(ポケットの窓から)






 

はる 3045

 「般若心経5」・・・眠いので目茶苦茶です。とりあえずここまま載せます。



 HPを立ち上げたころ、青山次郎の「美は発見である」というのが凄く新鮮で目新しく、そのときに考えていた事柄とぴたりと一致した。それ故に私のホームページのメインのところに掲げている。見る人はその人のレベルでしか見ることが出来ない。だからいいと思ったのはその人が新しく発見した美だということが出来る。そのことに全く異存はない。



  けれど「美は混沌にあり」ということになれば少し違うなぁと感じている。



 そうだなぁ、例えば美術史を勉強する、中世があってやがてルネサンスがあって、バロックの時代があって、古典の時代がきて印象派ができて、現代があるみたいに何かしら理由があって、時代が変わって行くように理解する。学問とか知識というものはそうやって分けて「名前をつけて」分類して行くことだ。



 まぁ普通に勉強して行くと魔法にかけられたように全ての人がそれが正しい唯一の道のように考えるわけだ。確かに、たしかにそうやって人類は色んなものを理解してきたし、効率よく人間に役立つように世界を環境を利用してきたわけだ。



 まぁ世の中の価値というものの体系を作ってきて秩序立てたといってもいい。それが今現在の我々の姿だ。



 「美は発見だ」「これが一番だ」というのであれば結局AがBになっただけで本質的に何ら変わりは無い。根本的な変革ではない。五十歩百歩。いつかはまた新しい価値に取って代わられてしまうだろう。子供が陣地を取り合いしているようなものだ。



 規則のあるものは不規則に、秩序あるものは無秩序にさらに混沌とすすんでゆく。なぜならそれが一番安定しているからだ。



 ところでそれでも宇宙が崩壊せずに存在するのは、ある意味の「無秩序な秩序」というのがあるからなんじゃなかな。それが何なのかよくわからないのだけれど、多分「言葉にできない」「意識されない力」「潜在的な力」であるきがするな。



 宇宙のある部分をとれば他と全く違うように見えるけれど、ある程度の広さで捉えると、それはずいぶんと似通ったものになる。それは例えば地球と太陽では全く違う星である。けれどもっと大きく太陽系と他の系でみてみればどちらも同じような構造を持つことが分かる。



 何もないところと、星たちが集まっているところがあってとても均質であるとは見えないけれど、もっと大きな範囲で捉えれば結局その内容は大きく違わないということがわかる。



 ある場所だけみてそこの構造や組成だけで宇宙を語った気になるのが我々なんだけれど、実はそれ以外のところでは例外だらけでそんな秩序は無かったりするわけだ。



 美術史やスタイルだけでその時代を統計立て考える違うのではないかと思う。世界はもっとアトランダムで混沌としている。



 それが多分正解だ。何を言っているのかわからん。

 

 



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?日本管財事務局3? - 2009.10.21(ポケットの窓から)






 

腹が立つのでもう一回しつこく書きます。



騙されないために

法務省民事局






督促手続・少額訴訟手続を悪用した架空請求にご注意ください


************************

・・略

Q1裁判所からの本当の通知かどうかを通知の形式から見分けることはできますか。



(答)1裁判所から「支払督促」や「少額訴訟の呼出状」が送られる場合には,「特別送達」という特別な郵便(郵便法第66条,内国郵便約款第138条)により送付されることになっています。

 この「特別送達」には,次のような特徴があります。

○「特別送達」と記載された,裁判所の名前入りの封書で送付されてきます。

 ※ 「支払督促」や「少額訴訟の呼出状」が,はがきや普通郵便で送付されてくることはありません。

○郵便職員が名宛人に手渡すのが原則であり,はがきや普通の封書のように郵便受けに投げ込まれることはありません。

 そして,郵便職員から受け取るときは,「郵便送達報告書」(このような書式です。)に受け取った人の署名又は押印をするよう求められます。

○裁判所で付した「支払督促」や「少額訴訟の呼出状」の「事件番号」・「事件名」が記載されています。



 これらの特徴があるかどうかで,裁判所からの本当の通知であるかどうかを見分けることができます。

 2なお,本当の「支払督促」には,金銭を振り込む預金口座は記載されることはありません。したがって,受け取った書類に振込口座の記載がされていた場合には,それは「支払督促」ではありませんので,絶対に金銭をその口座に振り込むことのないようにしてください。なお,名目のいかんを問わず,裁判所から「お金を振り込むように」という連絡が来ることもありません。

 3発送元・連絡先が本当の裁判所であるかどうかについては,電話帳や消費生活センターなどで確認しましょう。なお,裁判所の管轄地域・連絡先については,最高裁判所のホームページでも確認することができます



http://www.moj.go.jp/MINJI/minji68-3.html




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?日本管財事務局2? - 2009.10.20(ポケットの窓から)






 

 それにしても腹立つなぁ、一時にしてもあせった自分が恥ずかしい。住所などどこからでも漏れるのは仕方ないかもしれないけれど、人間なんて簡単なものだ、騙される方が悪いんだといった態度が見て取れるから腹が立つ。相手の電話番号が特定されているのだから取り締まる方法はあるのじゃないか。もしネットがなければ電話していたかもしれないしなぁ、本当に馬鹿にした話だ。



 一つは、随分昔に似たような話があったので、今回もそれに類したことかと思ったわけだ。学生の頃の友達の話だが、親戚のおじさんが借金を抱えたまま亡くなったらしい。親戚と言っても全く付き合いも無い、会った事も無いほとんど他人のオヤジだったらしいのだ。で、問題は借金も相続されるということで、親戚中に御触れが回って、法律に詳しい人が弁護士をたてて「一切を放棄する」という証文を回してきたそうだ。期日がこれもあって裁判所からの正式なものだったらしいので、これはまぁあせるわな。早急にやらんと大変な損害をこうむることもありえるわけだ。そんなことを身近に見ていたので、今回の話も実際ありえるかなと思ったわけだ。全く知らないところで、借金を負わされると言うこともあるらしいのでね。



 まぁ、実際はこんな剥き出しのはがきで来るわけはないし、はっきりと裁判所の名前が書かれているので、冷静にみればどこかおかしいと気がつくわけだけれど、ネットが使えない年寄りとか、障害があるひととか、そういった人にも当然無差別に送っているわけで、で、ついついひっかかってしまうのはそういった人たちなんだろう。本当にあわくってあせって電話してくる、それを手玉にとって騙すわけだ。笑い事じゃないなぁ・・。



 そうやって稼いだお金は身につかないだろうな。お金にも「スローなお金とファーストなお金」があるらしい。手っ取り早く稼いだお金はあぶく銭といって、入ってきたと同じようにさっさと消えてしまう。それに比べてゆっくり手間ひまかけて稼いだお金は、それ以上の経験や喜びをもたらしてくれるというわけだ。まぁそんなこといってもそいつらには馬の耳に念仏だろうがね。悔しいのでもう少しこき下ろそう、それぐらいしか出来ないのでね。



 何でもいいから、手段を選ばず、文字通り人を騙してでも稼ぐというやり方は、結局人生とはそういったものだという人生観になってしまうのだろう。誰も信用できないし、お金が全てという考え方になってしまうのだ。これは仕事だと全く良心が痛まないなら、その人は大物だ。



 くそ、これじゃけなしたことにならんな。



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?日本管財事務局? - 2009.10.19(ポケットの窓から)








要注意・詐欺です。

 

 日本管財事務局という財団から下記のような通達が来ました。



********************

「民事訴訟裁判通達書」

この度、通達いたしましたのは被告に対する民事訴訟裁判開始の通達です。原告に対しての契約不履行につき原告側が提出した訴訟状を指定裁判所が受理したことを通知いたします。「裁判取り下げ期日」を過ぎますと、指定裁判所から出廷命令通知が届きますので、記載期日に出廷していただきます。出廷拒否されますと民法(民事訴訟法)に基づき原告側の全面勝訴となり裁判終了後には、財産調査を経て動産物・不動産物の差し押さえ及び給与、金融機関口座の凍結を裁判所執行官のもと強制的に執行いたします。

以上を民事訴訟裁判通告とさせていただきます。尚、書面通達となりますので個人情報保護のため詳細は当局までご連絡ください。

※ご連絡なき方には、勤務先等へ郵送する場合もございますのでご承知ください。

裁判取り下げ期日 平成21年10月19日

〒104-0042 東京都中央区入船1-1-**

日本管財事務局

03-3505-58**

電話受付時間 9:00~19:00

(土日祝を除く)

**************************

 ネットは便利ですね。何となく不信感があったのでグーグルで調べてみました。けっこう有名な詐欺集団のようです。あわてて電話しないように。



 期日が微妙に近いので慌てて電話すると、知り合いの弁護士という仲間を紹介されて、今回は50万円で示談みたいな話になるそうです。少し冷静になって考えるとおかしいと分かる気がしますが、はがきが来たすぐには判断がつきませんね。騙されそうです。



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エントロピーの増大の法則 - 2009.10.18(ポケットの窓から)






 

はる 3042

 般若心経4

 形あるものは必ず崩れて行くし、秩序あるものは放っておけば無秩序な混沌に向かうというのは科学ではすでに証明されていることらしい。「エントロピーの増大の法則」



 自然界を眺めていると水は高いところから低いところに流れて行く。何か他からの力が働かない限り逆に流れることはないわけだ。で、一番低いところが海抜0mで海というわけだな。まぁそこから水蒸気なってまた循環したり、一部は水素た酸素の分子や原子になって他の生物の体を作ったりするんだろうけれど、水という観点だけで考えると海にたどりつくというのが一番安定しているわけだ。



 たとえば冷蔵庫などに蓄えられているペットボトルの水なんかも、そこにある間はまだまだ不安定なんだな。最終の場、一番安定しているところと言うが海だということになれば、エントロピーは小さい。で飲むとか流されるされてどんどんエントロピーが大きくなってゆくというわけだな。



 ちょっと例が良くないな。



 いずれにしろ、規則正しく並んでいたり、秩序だって序列があるというのは不自然であって、安定はしていない、いずれは混ざり合ってグジャグジャになって行く。それが一番安定していると言うことらしい。



 何となく分かっていたことだけれど、明確にきっぱりと言われると目からうろこだな。あぁそうなんだ、混沌こそが安定した状態なんだってね。妙に納得した。



 ところでまた般若心経に戻って、この文章を眺めてみる。

「「般若心経とは、この世にあるものは、すべて実体のないものだから、生じたということも、滅したということもなく、汚れたものも清浄なものもなく、迷いもなく、老いも死もなく、苦しみもなく、心をおおうものは何一つなく、それゆえ、恐れるものもないので永遠の平安を極めているのです」



 人は物事にしても、心の中にしても、分かりたい理解したいと分けて分けて、分類して、秩序立てて、いっぱい勉強してきたよな。それがまぁ心の中を知る方法だと思っていたし、心の安定が欲しかったから、理解しようとやって来た。



 でもねぇ、そうやって秩序だてることが、理解できた、分かったとすること自体が間違っていたということじゃないかな。



 まだ未消化だな。つづく・・。



 



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名前を付ける - 2009.10.17(ポケットの窓から)






 

はる 3041

 覚書

 いままでのことを少しまとめてみた。



 名前を付ける    名前を付けない

 意識化する     無意識、潜在意識

 分ける       分けない

 分類する      分類しない

 秩序だてる     無秩序、混沌

 意味つける     無意味

 価値つける     等価

 直列        並列

 アナログ      バーチャル

 ミクロ       マクロ

 ファースト     スロー

 特殊        普遍

 唯一        沢山

 



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(no subject) - 2009.10.17(ポケットの窓から)



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(no subject) - 2009.10.16(ポケットの窓から)



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ANAVENTURA - 2009.10.15(未選択)


ANAVENTURA

 ネットで見つけた面白い落書き。壁の剥落からイメージした顔。同じようなことを考えている人がいて嬉しい。



 もう少し作品が見れます。ここをクリック。



はる 3039

 般若心経3

 デシャンを持ち出すまでも無く「価値の変換」というのが芸事の一つのあり方だとは思って来た。「価値の変換」というのをもっと簡単に言えば「意味つける」ということであり、「意識する」ということであり、もっと簡単に言えば「名前を付ける」ということのように思う。くだけているので微妙なニュアンスは違うかもしれない。



 茶の湯の千利休がやったことも、骨董の青山二郎などが言っていたこともこういった部類になるかな。



 けれどよくよく考えるとAのものをBと言い換えても、結局また新しいCのものが出てきて、Bの天下は一時の物に過ぎなくなってしまう。「価値の変換」などというものは小手先のことで本質的に新しいことではないのではないかな。



 で今やられていることは「意味つける」ことを止めてしまう。反対にAもBもCも同じであるとする、すべて並列に等価値になれば、もともとあっても無くてもいいということになる。



 無意味であること、意味つけることをやめること、びっくりさせてその場で終わってしまうこと、そんなことを一生懸命やっているように思えて仕方が無い。



 ところで般若心経に戻って「「般若心経とは、この世にあるものは、すべて実体のないものだから、生じたということも、滅したということもなく、汚れたものも清浄なものもなく、迷いもなく、老いも死もなく、苦しみもなく、心をおおうものは何一つなく、それゆえ、恐れるものもないので永遠の平安を極めているのです」



 繰り返しになるけれど、人類は有史以来とにかく物事を細かく分けて「名前を付ける」ということをやってきたわけだ。科学とか学問とか哲学でも芸術でも同じで、物事を理解するということはそういうことだったんだな。



 生命の設計図であるところの遺伝子なども細かく分けられてほぼその解明が終わったと言われている。それを可能にしたのはコンピュータで、もしPCがなければこんな繁雑な作業は出来なかっただろう。そしてネットがお互いのPCを繋げて新たな世界を構築した。



 ところが面白いことにより細かく、小さく小さく分ければ分けるほど一つ一つは無意味になってゆく。AもBもCほとんど区別のつかないものになってゆく。そして無限大になれば宇宙的な混沌になるような気がするな。

 



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般若心経2 - 2009.10.14(ポケットの窓から)






 

はる 3038

「般若心経2」

 価値というものは相対的なもので全ては並列に並んでいるものだよ、どちらも同じように価値があるということは、どれも価値がないともいえるし、価値という人の範疇を超えているということなんだな。



 もっと言えば「私が、ぼくは」という判断基準(ものさし)はいずれ意味の無いことだといっている気がする。いいたいことは、いいも悪いも、便利も不便も、速いも遅いも、役に立つも、無用も、綺麗も汚いも、すべて同じであるということかな。



 これは全く凄い発想だ。人類は有史以来自分たちにとって有益かどうか、ということで序列を作ってきたわけだ。人に役立ては益虫になるし、役立たなくなれば害虫となる。そして膨大な農薬を注いでその役に立たないものを駆除してきたわけだ。その結果色んな免疫系の弊害が起きる。一方が無くなってしまえばそれをカバーするために異常繁殖したり、ついには絶滅したりする。そういったようにバランスがとられているものだ。



 自分たちの都合で序列を作ってきてその最高に効率を極めたコンピュータが実はその序列を無視する機械だったというのは、アンチテーゼとして凄く面白い。



 「私が、僕は」とやりつくして極めていったら、結局私も貴方もない境界のない世界にたどり着いたということだ。



 少し話は戻るけれど、「オリジン」の話のところで、全ての人、もの、ことの源をたどってゆくと、結局は全ての人に共通するといった普遍と言う言葉にたどり着いた。誰にでもどこにでもあるということは、結局どこにもないのと同じなんだよと。



 



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般若心経 - 2009.10.13(ポケットの窓から)







はる 3037

 「ギャァテー ギャァテー ハラギャァテー」のお題目は田舎の爺さんが毎朝唱えていたので何となく耳に残っていた。意味など皆目わからないけれど、言葉の音が面白かったのだと思う。



 ある小説を読んでいたら般若心経についてこんな風に説明されていた。



 「般若心経とは、この世にあるものは、すべて実体のないものだから、生じたということも、滅したということもなく、汚れたものも清浄なものもなく、迷いもなく、老いも死もなく、苦しみもなく、心をおおうものは何一つなく、それゆえ、恐れるものもないので永遠の平安を極めているのです」と書かれていた。



 これは非常に分かりやすい説明で、あぁなるほどと思って般若心経で検索したらやたらとたくさんヒットしたのだけれど、どれもこれも難しくて途中で放り投げた。ありがたいお題目として人の心に残るにはこのくらい分かりやすく書く必要があるだろう。



 この文章のどこに反応したのかと言えば上手く説明できないかもしれないがやってみる。



「全ては並列に存在する」というところだな。この間の「恐竜の尻尾」の話覚えています?要するに今までの物事の価値というものは「重要である」「価値がある」順番で一番から無限大まで並んでいたわけだな。ところがパソコンの時代になって、人の思惑など関係なく一つは一つとしてカウントされるようになったわけだ。



 いいも悪いも、綺麗も汚いも、楽も苦も、老い死も、人の思惑など関係なく同じステージにあって、どれも同じだけ起きる可能性があるということだな。くだけた言い方をすれば、いいことだけあるのではなく必ず同じだけ悪いこともある。違うなぁそういうことではない。



 こうなんと言うのかな、現世、今の世、人生と言うのは人と区別する、序列をつけるということで成り立っていたところがある。例えば私にとってこれは役に立つのか、便利か、効率がいいか、人類にとって役に立つ発明かどうか、有用な物かどうかで価値が決まって行く。当然有用なものが大切にされ、いらない物は無用な物として捨てられるか、無視される。



 ところが般若心経がいっていることは、喉が乾いているものにはただの一杯の水がとてつもなく価値のあるもので、どんな高級な飲み物にもかえがたいものだよ。価値というものは相対的なもので全ては並列に並んでいるものだよ、どちらも同じように価値があるし、また価値も無いということなんだな。



 もっと言えば「私が、ぼくは」という判断基準(ものさし)はいずれ意味の無いことだといっている気がする。いいたいことは、いいも悪いも、便利も不便も、速いも遅いも、役に立つも、無用も、綺麗も汚いも、すべて同じであるということかな。



 

 



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(no subject) - 2009.10.13(ポケットの窓から)



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祝日 - 2009.10.12(今日のアトリエ)






 

 徒然に・・

 考えてみれば「私を見て」というのは何も人間だけではないな。花が競うように美しい色彩で人目をひくのは、虫達に来てもらって受粉するためだ。虫達がコロコロを儚げな鳴き声をあげるのは異性を求める求愛の声だな。個体の維持とその延長上に自らのDNAを残すこと、それがあらゆる生命の基本的な使命だな。



 一度途絶えた種はもう一度復活することはない。色々な生命のバリエーションが存在するのは、どんな気候の変化や地球規模の異変が起こったとしてもそれに耐ええるパターンを残しておくという巧妙に考えられた自然の知恵だ。



 無機的な世界でも結局同じようなことが起きている。星の誕生と成長そして死をみていると、生命ある有機体と全く同じようなことがおきているんだなということに気付く。ただ有機的な生命体の反応はビビッドで反応が早いという特徴があるな。宇宙の時間を短縮して眺めているようなものだ。だから多分滅んでしまうのも速いのだと思う。



 これだけの生命のバリエーションがあるということは、実はある真実を画しているように思う。一番恐れていることは何もかも無くなってしまうことだな。



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さびしい事実 - 2009.10.11(ポケットの窓から)






 

はる 3035

 今日はいい天気だったので、午前中は布団を干した。最近は夜になると少し冷えるようになってきたので、しまってあった毛布を出す。昔は干す場所がなくて屋根の上に直接干したりしていた。今はそのためにテラスを作ったので非常に便利になった。夏場はテラスで食事などと洒落てみたけれど、結局一度か二度やって運ぶのが面倒で止めてしまった。今はもっぱら布団干し場専用になっている。



 午後から美術館に知り合いの個展を観に出かける。行楽のシーズンの連休なので駐車場も一杯だった。なかなか人気のある場所ではある。4時ごろ小さなグループ展の搬出に県立文化ホールに行く。これがなかなか面倒な行事でね。県が仕切っている展覧会だけれど、あまり意味がない。広報されていないので、誰も知らないだろうし、行く人もない。役人さんが「文化行事をやっていますよ」というだけの消化行事だな。大体「文化」と名のつく行事は飾り物が多い。お題目は立派だけれど内容はお粗末だ。省略するわけにも行かないから仕方なしにやっている。やめてもいいと思う。



 半年振りに散発に出かける。髪が薄くなったな。こればかりはどうしようもない。さびしい事実。



 



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甲府展のDM - 2009.10.10(写真)




甲府展DM

 

 甲府展のDMできました。希望があればメール下さい。地元のかたは11月に入りましたら郵送します。お待ちください。



はる 3034



「こえをきく5」       



人の一生は「私を見て」というのから始まる。多分人が生きる動機の根本にあるのは多くの場合これではないだろうか。



 絵を描くことは修行の一種ではないかと思っているのだが、こころの中が不安になったり、心配事が増えたり、こうやって何か憂鬱な気分になるのはまだまだ修行が足りないのだろうと考えている。で、最近ちょっと考えついたのは、いつまでも他人の目を意識した「私が、僕は・・」というものさしで計っていたのでは、ここから抜けだせないのではないかということだ。



私のモチーフである、祈る人も思索する人も旅芸人も修行僧も漂泊者も山師や祝人も全て私の分身だ。取りつくろうつもりはない。恥も外聞もなく出し惜しみせず晒すこと、その時々の精一杯の私をすべて出してしまう。出し尽くせば、やがて見えてくるものもあるのではないだろうか。



見えないものを観る、聞こえないものを聴く、その時々のこころの「こえをきく」ことが私の仕事のように思う。



 



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そろそろ卒業 - 2009.10.09(ポケットの窓から)






 

はる 3033

 非常勤講師という仕事は教師ではあるけれど普通の先生とは違うところが多々ある。生徒からみれば普通に教壇に立っている先生に過ぎないのだけれど、その内実は大いに違う。



 大体において講師の先生方というのはその学校の真の構成員ではない。身分的には付録のような扱いを受ける。自由ではあるがその自由は「あぁあなた達はかってにやっていていいんですよ」的な自由であって、充分に実力を認められた真の構成員としての自由ではない。



 まぁそれもこれも踏まえて講師になったわけだから、何やかやと文句をいう筋合いではない。ある意味で時給が他の仕事よりいい、肉体的に楽だ、時間も融通が利く、比較的に休みが多い、そんなことで今までやってきた。けれどそろそろ卒業したいなぁ。



 27年もやってきて言うのも妙だけれど、やはり適性がないということかもしれんな。未だに授業のある日は腹具合がおかしくなる。一日に何度もトイレに行かなくてはならない。まるで登校拒否の小学生のようだ。どこかで無理をしているということだろうな。それを少し検証してみよう。



 極々当たり前のことだけれど、決められた時刻に必ず行かねばならないというのが、これまた苦痛なんだな。何を当たり前のことをというかもしれないが、生徒に遅刻は絶対にしないようにと言った手前必ず30分前には教室にいて、換気したり準備して生徒を待ち受けている。そんな自分に疲れてしまう。



 仕事を始めたら私語は厳禁で、少しのゴソゴソが気になってしかたがない。自分で決めたルールに自分で縛られるみたいなところがある。いいかげんなずぼらな性格のくせに何故かこんなところだけくそ生真面目なんだろう、もっと余裕をもって生徒に接すればいいものを何故か余裕のない自分がいる。自分の容量のなさを知られるのが怖いのだろうか。



 選択ならまだしも必修なので、40人いれば半分は興味を持っているが他の半分はやる気がない。興味のない人間に教えるほどむなしいものはない。やる気のない生徒を如何にやるきにさせるか腕の見せ所なんだけれど疲れたなぁ。ありがたいと思ってくれるならやる気にもなるがね。



 もっと本質的なことがありそうだけれど、まただな。



 



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(no subject) - 2009.10.08(ポケットの窓から)








 

はる 3034

 大きな台風ということで少しばかり警戒して雨戸を閉めたり準備をしていました。朝七時ごろ風の音で起こされてそのままテレビの情報を聞きながら、コタツで少し眠ってしまったようだ。雨も風も予測していたよりは少なく、まぁ安堵しました。



 午後からは台風一過の上天気で、毎度のことだが青空が抜けるようでそれだけでもチョビット幸せな気分になる。雲が飛ぶように流れていた。明日はフェーン現象で暑いかもしれない。



 甲府展のDMできました。希望があればメール下さい。地元のかたは11月に入りましたら郵送します。お待ちください。

 

 10月に入ってたくさんの展覧会のDMが来る。県内の個展は出来るだけ行くつもりではいるのだが、東京や他の地方の展覧会まではちょっと行けない。まぁ出すほうもお知らせのつもりだとは思うのだけれどね。でそのDMを見てどうしても見ておきたいと思うような案内状がないのが寂しいね。特に何回もやっているグループ展になるとDMの絵が小さくなるということもあるけれど、どうしてもきて欲しいという熱意が感じられないな。自分のを含めてだけれどね、気をつけないといけない。



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