あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

十七条の憲法 - 2009.08.31(ポケットの窓から)






 

はる 2994

 昨日は選挙で地元も大騒ぎだったようだ。歴史的大敗とか勝利とか、まぁいつもいわれている常套句のような気もするけれどね。我々は大体が一元的なものに流れやすい国民性があるのかな、右なら右、左なら左と誰かの意見に惑わされる。



 今ならテレビとかマスコミの意見がそのまま自分の意見だと思っている人が多いな。まぁ洗脳されやすい国民性なんだろう。批判精神というのかな、自分でモノを考えるという習慣がないというのか、教えられていないので、人の意見に従いやすいわけだ。どちらかといえば自分の意見を述べる人は「うるさ型」などといわれて煙たがられる。



 農耕的な民族だから、全てが一列に並んでいっせいに作業する。個の意見はこの場合ほとんど邪魔になる。ただ一つの機械、部品として働いてくれればいいわけで、列を乱すものはとことん嫌われる。村八分になる。これが恐ろしい、いじめだな。だからじっと我慢が尊ばれるわけだ。聖徳太子の十七条の憲法でも一番大事なのは「和」だとあげている。まぁ今それをあらためて読んだけれどほとんどが官僚、役人について述べているんだな、今のお役人さんもよくよく読んで欲しい。



 サッカーなどを見ているとはっきりあれは狩人のスポーツだとわかる。集団で追い込んで一番いいチャンスがあるものが獲物を仕留める。だから誰もが瞬時の判断が要求されるシュートが撃てるわけだ。運動能力というのもあるけれど、まぁ訓練というのか民族のDNAだろうな。同じアジアの中でも韓国人は農耕もやるけれど、どちらかといえば狩人の血が流れている。焼肉(大好きだ)を食ったり、犬を食ったりするのはその証拠だろう(非難しているのではないのでくれぐれも)血が熱い。顔はよく似ているけれど明らかな違いがあるな。



 まぁ最近はさらにおたく化が進んで若い男が植物化しているのでよけいにこういった洗脳現象が起きるのではないだろうかね。ちょっと末恐ろしい気がするのは私だけかね。



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8/30 - 2009.08.30(ポケットの窓から)







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いいじゃないか男だ - 2009.08.29(you tube)







いいじゃないか男だ

 

 はる 2992

 ネットが普通の家庭に入り込んで10年ほどになるだろうか。最初は猫も杓子もHPを持とうとした。ホームページさえ持てばお客さんはひきもきらず訪れてくれてさぞかし毎日忙しいだろう。これからの商売はネットを中心に広がって行くのだろうなどと夢のようなことをうたっていた。



 確かにアマゾンやネットオークション会社など色んなところで商売の形は変わってきた。私などもネットの使い方で一番多いのが調べものをする場合だ。検索の仕方にもよるのだろうけれど、探してないものはないというこの膨大な奥深い知識の泉は底なし沼のような魅力にあふれている。



 いままでほとんど顧みられることがなかったような例えば絶版本とか貴重な古本や資料なども、ネットの海では簡単に見つけることができる。ほとんど誰も知らなかった忘れ去られた画家などもこの広い世の中では知っている人がいたりする。これもネットがなければ不可能なことだ。



 数は少ないけれど私のHPを何かの偶然で見つけて何度か足を運んでくれた人もいる。ネットがなければこういった遠く離れた人たちと会うこともなかったろう。



 けれどネットはまだ発展途上のシステムだ、これからどのようになってゆくかは皆目見当がつかない。私の使い方はごく簡単なものだ。一昔前のミニコミ的な発想だと思う。積極的にランキングにでも参加して訪問者を増やせばもう少し活気が出るかもしれないけれど、これでいいと思っている。何らかの形で興味を持ってもらって機会があれば個展に足を運んでもらってみてもらう、そんなアナログでいいと思っている。



 ↑ネットで何が出来るか、ずっと模索していた若い連中が、最近自らキャラクターを考えてアニメーションの動画を始めた。それもストーリーなどを一般から募集してそれをアレンジしてまた投げ返すというような、ネットでしかありえないような仕事を始めた。彼らを見ていると簡単にモノを右から左に動かして利益を得るというのではなくて新しいものを創作して作って行くそんなことに魅力を感じる。そんな中から最近はイベントをやってキャラクターのグッズをうったりCDを作って販売したり。まぁいまのところ何でもやりますみたいだけれど、面白いことやってるなと思う。がんばれ。



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エネルギー不変の法則 - 2009.08.28(ポケットの窓から)






 

はる 2991

 夏が終わります。どことなく寂しいですな。



 めったにテレビは観ないのだが、ここ四日ばかり井上陽水をやっていたので続けてみた。まぁ彼とはほぼ同じ世代でね、言っていることがよく分かった。最終的にやっぱり歌手は歌が上手くなければ生き残れないのかな、それに何とも詩がシュールで面白い。歌謡曲ふうでありながらほとんど抽象的な言葉遊びをやっている。そんなことができるのも歌が上手いという余裕かもしれんなぁ。



 「最後のニュース」を初めて聞いた時はさすがだなと感動したな。あんなニュースの断片を羅列しただけで何処となく終末観がただよう詩にしてしまうのだから凄いねぇ。「少年時代」も好きな歌でね。何かそんなタイトルの絵を描いたおぼえがある。



 リリー・フランキーと対談していたけれど、あれだけの当たりを取った作家とシンガーでも「禍福はあざなえる縄の如し」というふうなことを言っていた。大きな成功を収めるとそれと同じだけの犠牲も払わなきゃならんということだな。結局幸福と不幸はおなじもので表裏なんだろう。ある一方から見れば幸にみえるものが、反対から見れば不幸だったということだ。



 自分だけ不幸だなどとよく言ったり聞いたりするけれど、それは一方的な見方でね、もしそうしか見えないなら見方が浅いということだろうね。その最中には分からないのだけれど、人生はなかなか面白いしよく出来ている。全てのことはプラスマイナス0、ここでもエネルギー不変の法則は生きている。



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8/27 - 2009.08.27(ポケットの窓から)







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祝3000カウント読者プレゼント - 2009.08.26(ポケットの窓から)






 

はる 2989

 いよいよ3000のカウントダウンが始まる。だれも待ってはいないし、めでたくもないのだけれどね。しかし何もしないというのも面白くないので、こんなことを考えたがどうだろうか。



 今日より先着10名様に08年制画集「こたえてくださいvol1」をプレゼントします。期限は9/10までとします。



 ここに住所、氏名を書いて送り返してください。購入と区別するために本文のところに「祝3000カウント、画集希望」と必ず書いてください。希望としては、できるだけ私のことを知らない、あったこともない人とのコンタクトが欲しいですね。待ってます。

 



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裸婦クロッキー8/23-5 - 2009.08.26(裸婦クロッキー)







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裸婦クロッキー8/23-4 - 2009.08.25(裸婦クロッキー)




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裸婦クロッキー8/23-3 - 2009.08.25(裸婦クロッキー)







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裸婦クロッキー8/23-2 - 2009.08.24(裸婦クロッキー)






 

はる 2987

 明日から仕事が始まる。長い休み明けは特に嫌だなぁ・・。辞めるのは簡単だけれど、困るのは見えている。不定期のパートとはいえ確実に収入が見込めるのはありがたい。絵はみずものだからね、やってみないと分からない。まぁこんなことをもう30年近くやっている。生徒には申し訳ないけれど、それが私の生き方でもある。



 下手くそなクロッキーを毎回晒している。素人が見ればそこそこかも知れないが、プロがみればなんでもない。これが自慢で載せているわけでもない。誤解しないでほしいね。これが日常だから載せているだけだ。



 本画とまるっきり違う。見て書けばだれでも訓練すれば描けるようにはなるだろう。見ないでもすらすら描ける達人も居る。犬や馬や人物がどこかで見てきたようにすいすいと描ける人もいる。そのことは別にうらやましくはない。人は自分にあった絵をかけばいい。何も見ないで自分の心の中のかたちが描ければいいと思っている。だから上手くなくてもいいのだな。



 ものを見て描く場合は出来るだけ無心にそのままを描くようにしている。



 



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裸婦クロッキー8/23-1 - 2009.08.23(裸婦クロッキー)






 

今日は一日クロッキーでした。疲れました。明日は二学期の準備のため学校へ行こうかと考えていますが、嫌です。



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日暮れが早くなってきた。 - 2009.08.22(ポケットの窓から)






 

はる 2985

 日暮れが早くなってきた。書けるようなら又後で書きましょう。とりあえず更新しときます。



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あぁ愉快愉快。 - 2009.08.21(ポケットの窓から)





 以下二枚の写真は自宅を改装している時の写真です。上は15年ほど前のペンキやの親父の姿です。楽しそうですね。



 こんな写真を引っ張り出してきたのは、つい最近昔の教え子達が結婚してやってきた。学生の頃には気付かなかった諸々のことが、自分達も住む家が欲しいとなると気付くんですな。その時にはただの奇妙なおじさんが、おぉそうやって暮らしていたのか、そんな手もあったのか、なるほどねぇ・・と。で、おもむろにこの写真を見せて自慢するわけだ。あぁ愉快愉快・・。



 飯野さんが今日のブログで「小屋」の話を書いていた。特に関東大震災後すぐの焼け跡に建つバラックの話は面白かった。「・・震災に遭った人たちは、あるだけの材料で、必要最小限の住む家を建てて暮らし始めた。その瞬間を今和次郎はしっかりと描きとった。必要ぎりぎりの、切実な、こんなプリミティブなものこそ美しい・・」



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(no subject) - 2009.08.21(ポケットの窓から)



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(no subject) - 2009.08.21(ポケットの窓から)



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今尾栄仁・個展 - 2009.08.20(ポケットの窓から)






今尾栄仁個展

8月20日(木)~29日(土)

   東京 銀座     福原画廊


 今日は東京でちょっと遊ぶ。今尾さんの個展にもちょっと顔を出した。バタバタとすみませんでした。



 勝手引用

******************

大石正巳「アトリエ日記」http://laseine38.exblog.jp/より



2009 8/20の日記 
http://laseine38.exblog.jp/12166031/



********************

・・略・・

絵画上達法の極意



 1 毎日描く。デタラメ画でよい。腕に覚えさせる。

 2、いい絵・好きな絵をたくさん見る。感覚を磨く。

 3、道具を大切にする。特に筆、パレット。

 4、いい絵画仲間を持つ。刺激し合う。

 5、生の芸術に触れる。本物を見る。





絵画を面白くさせる極意



 1、常識的なことを打破する。

 2、実物とは逆の色使いをしてみる。勝手な色で描く。

 3、自分で見せ場をつくる。主役・脇役・端役をはっきりさせる。

 4、イメージが湧くまででたらめ線を引く。鉛筆や色を使ってやってみる。

 5、なんでも有りを大事にする。自分流で行く。





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清泰寺山門 - 2009.08.19(ポケットの窓から)






 

 今日は教室の生徒達といつもお邪魔している仲間のアトリエを訪ねる。その近くのお寺の山門とその野仏の写真だ。



 有名なお寺の仏さんはいつもどこかで紹介されるけれど、こういった無名?のおてらはの仏さんはメディアにのることもない。けれど、いい表情をしている。何十年もその場所にあって動かず、求めず、ただじっとそこにあるだけだ。遠い祖先の誰かが、だれかのために、だれかを想ってそこに置いたのだけれど、そんな生臭い人の想いも年月がたって風化して、今はただじっとそこにあるだけだ。それもやがては風化して一塊の石になり、砂になってこの世から形そのものは消えてしまう。残るのはそこに何かがあったという気だけだ。そしてやがてそれさえもなくなってしまう。



 形あるものはやがてはなくなってしまう。それは硬い石でも巌でも同じことで、さざれ石が巌になって苔むすことはない。ちょっと横道にそれた。まぁそれが自然の摂理というやつだな。ならば一時にせよ今ある生を出来うる限り謳歌せよということだろう。



 閑話休題

 選挙が始まって巷は騒がしい。うるさいと言っては政治を放棄するのかということに、なるのだけれど、まぁ基本的にはあまり関心はない。棄権はしたことはないのだけれどね。でも裁判員制度にしてもいつのまにか知らないうちに決まっている訳で、こんな大事なことが何の音沙汰もなく決まっている訳で、もっと突き詰めてゆくと知らないうちに戦争に巻き込まれていた、なんていう風になるのじゃないかとちょっと恐ろしい気がするね。まぁ日本は平和ボケしている国だから、ことが切羽詰らないと分からない。



 どこかの党はまるでマンガからストーリーを抜き出したような画期的に分かりやすいお題目を掲げているけれど、この人たちは本当に真剣にこんなことを考えているのだろうか?そんなことが実現できると考えているのだろうか。分かりやすいということは大衆を巻き込むにはとても有効な手段だけれど、分かり易過ぎるという裏には何かしら良からぬたくらみが隠れているのだな。平和ボケしている国だから、案外こんな人たちの言動が世の中を動かすようで怖いなぁ。しっかり眼をひらいで見極めような。



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(no subject) - 2009.08.19(ポケットの窓から)



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(no subject) - 2009.08.19(ポケットの窓から)



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競争しない生き方 - 2009.08.18(ポケットの窓から)






 

 村松さんがブログを始めた。「心が大事」というブログだ。色んなブログやメルマガがあるけれど、彼の言っていることがいつも素直にコトリとこころに落ちるのは何故かな。難しいことを簡単な日常の言葉で語っているからかな。これからもここからインスパイアされて何かを語って行くのだろう。



 今日は「競争からのドロップアウト」について書かれていた。我々はいつのまにか人と競争することで自分の立ち位置を確認していたところがある。学校生活というのはある意味そういう競争をあおっているところがあって、あおってあおって順番をつける。学校の先生はそれが仕事だと思っている人も多いな。



 一番が居れば必ずびりっけつが居るわけで、分からなかった有象無象の事柄を目に見える、判断しやすい状態にするのが競争だとも言える。まぁそれはある一面でしかないのだけれど、それ以外に全員が納得できる基準というのはなかなか難しいだろうな。職業として公教育の教員をやるならば、ある意味そこらあたりが限界だと思う。個人の能力には色々あって一元的に決めるのは嫌だというのであれば、早々に辞めて自分の主義にあう私立か私塾をやるしかないだろう。



 絵でも同じことで、上手い奴というのはとんでもなくうまいやつというのが居る。上には上がいる。大体アカデミックな学校をでてきた人というのはそういった受験で勝ち残ってきた人たちなので、判断がそこらあたりで止まっている。上手いか下手くそか、上か下か、そんなことで判断する。



 まぁ芸というのはそういった技の良し悪しの面もなくはないので、上手い人はそれを頼りに生きて行けばいいのだけれど、ならば下手くそは生きる道はないのかといえば、どっこいここが芸の面白いところで、いくらでも生きる道が転がっている。むしろ芸の道ではこちらの方が本流で、長くはかかるかもしれないが面白い物が出来る可能性があるようにおもうな。



 このことはもう少し書きたい。



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夕暮れの野原 - 2009.08.17(ポケットの窓から)






夕暮れの野原



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飽きっぽい - 2009.08.16(ポケットの窓から)






 

 これは何枚あるのか、全部で何枚と一応数えて始めた。けれどやっているうちに諦めたり、つぶしたり、もう見たくもないので横にはねているやつなどが出てくるので、総数は分からない。まだまだ仕上がりには遠いけれど、大体全てのものに何かしらの手が入っている。一つ取り上げてコチョコチョやり始めると、他の作品が「こっちにも手を入れてよ」と声をかけてくる。だからまたそちらに、こちらにと落ち着かない。一つを何時間もこね繰り返しているということはない。すぐに飽きる。



 色を塗るのも綺麗に隅からすみまできっちりと塗るのは不得意だ。そんなに集中したくない。適当にフンフンと鼻歌まじりでやる方がむいている。これは芸術だから・・とも思っていない。筆も絵の具もいいかげんなものだ。筆は生徒が捨てて置いたものや、近くのホームセンターの塗装コーナーの刷毛だったり、障子を張る時ののり刷毛だったりする。こだわりというのが少ない。・・こだわらないというのがこだわりかもしれない。



 一生定職に就かないなどと偉そうなこと言ったけれど、実のところ飽きっぽくて同じことが続けられないだけじゃないのか・・。



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(no subject) - 2009.08.15(ポケットの窓から)






 

 今年は長雨で八月に入っても夏らしい天気が少ない気がする。もうお盆も過ぎた。まだまだ暑いけれど、朝夕は少し過ごしやすくなってきた。上のような入道雲も少ない。子供頃は空を見上げる事が多かった。野原が多かったのか、寝転がって空を見上げて飽きるまで流れる雲を見ていた。



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北海道の珍味 - 2009.08.14(ポケットの窓から)






 

 今日は地域のお祭りで盆踊りをやっている。しかし、何処となく寂しいのは私が歳食ったせいなのかな。屋台が出るのだけれど、これも皆地域の町内会の連中が順番でやっている。まぁだから安いし、安全なんだけれど、お祭りの屋台って何処からとなく集まってきたテキヤの親父の口上が面白かったりしたんだな。がまの油売りとか、見世物とか、どこか怪しげな雰囲気にワクワクしたものだ。これもまぁ自分が子供だったからなのかな。どこか健全になってしまうと「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という感じで、御まじないもきかない。こんなものもどんどんなくなって行くのだろうな。



 話は変わって、少し前に突然「北海道の珍味屋でぇーす」とか言って行商してあるいてお兄さんがいて、何とも不思議な奴がいるものだと話題になったことがある。詳しいことは未だに不明なんだけれど、どうやら新手の新興宗教の活動資金になっているという風なことを聞いた。嘘か本当か分かりませんが・・。でつい最近突然「○○珍味」というのが送られてきた。それも結構たくさんの海産物の干物である。送り主に憶えはない。冷凍庫は一杯でまぁ無理すれば半分くらいは入るのだけれど、あとはご近所に配って食べてもらうしかない。



 で、ちょっと困った。知らない人からの食料品を配って、もし、事故があったら責任とれないなぁ・・。これって新手の詐欺なのか、はたまた新興宗教の勧誘なのか、とすったもんだして結局どうしたと思いますか?



 まぁわかってしまえば笑い話なんだけれど、ネットで「○○珍味」を検索。でようやっと送り主の見当がついたというわけだ。これってやっぱり何か一言添付しなければ、怖いですね。時代が何でもむやみに信用できる時代ではないのでね、特に食品は。



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8/13 - 2009.08.13(ポケットの窓から)








今年の梅干



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いつも始まりで終わり - 2009.08.12(今日のアトリエ)






 

 私の絵は何処までが地塗りか分からない、仕上がったと思った作品も数日経てばその上に新しい作品が登場する場合もある。だから手元にあるうちは終わりがないと思った方がいいかもしれないな。これもいつのまにかこんな描き方になったわけで意識してこうしようと思ったわけではない。



 気をつけていることは一つだけだな。これが上手く説明出来ないのだけれど、やってみる。



 例えば今日の仕事が終わったとするとその時点でその絵は一応何らかの形で完了している。無論途中なんだけれど、途中なりに終わっていなければならない。いつも「全体の中の部分」を意識しているということかな。



 話はまた少し飛ぶけれど、宇宙の構造はフラクタルだという話を書いた。自己相似形、簡単に言えばツルの渦巻きと星雲の渦巻きは同じ原理で出来ているといったこと(これは私の推測で証明されたことではないので人には言わないように)全体と部分は同じ原理で出来ているということだな。



 パネルという一つの閉じられた空間だけれど、これは宇宙と同じだと考える。ここにも大宇宙と同じ原理が存在している。そこからは逃れられない。何か分からない混沌としたものだけれど、画面全体としてはプラスマイナス0の均衡を保ってなければならない。



 「いつも始まりで終わっている」そんな描き方が出来ればいい。



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かわいそうな晩年? - 2009.08.11(ポケットの窓から)






 午後の光

 今朝は5時ごろ地震で起こされた。震度4ということだから、私が体験したなかでは結構大きい方だ。家が古くてぼろいので壊れないかそれだけが心配だ。最近の耐震設計だったり、ツーバイフォーならほとんど心配することもないのだろうけれど、特にアトリエなど和室六畳を二つくっつけたような自己流の改造なので、構造は非常にもろいでしょ。



 住むことは、食べること、装うこと、と同様に大切な人生の要素だと考える。無論いくらでもかけられるだけの贅沢をしろというのではない、今あるだけの材料で出来うる限りの贅沢(手をかけたり、時間をかけたり、慈しむこと)をして楽しもうというわけだ。ここらあたりがスローフード、スローライフのコンセプトと重なるところだな。



 お金があれば楽しく生きられるか?といえば必ずしもそうではないということが、そこそこ分かってきたはず。楽しむすべ、面白がるこころがなければ何をやっても楽しめないのだな。要するに何度もいうけれど、面白いという眼を養うことだ。



 家を自分で建ててしまう人たちがいる。一時ハンドメイドハウスに憧れた。山奥に行ってそこにある木を材料に柱を作って泥をこねて壁を作ってという風な家に住みたいと模索したこともある。それも一つの方法だけれど、家を作ることが最終的な自分の夢でもないなぁと思ったんだな。



 どちらかといえば家は自分の生活の手段というのか道具というのかな、そこを使ってどう生活を作って行くかということが目的なんだな。だから色んなことを考えると、今は町中を離れられない、で町中に適当なボロヤを手に入れて自分なりに改装して楽しめれば善しとした。これがまぁ折衷案だったわけだ。今でも間違っていなかったとは思っている。



 閑話休題

 ある女優が死後二週間たって発見されて、「かわいそうな晩年」「孤独死」などと騒がれている。テレビや新聞さえ見ないのだけれど、こういった情報は自然に入ってくるものだ。



 「野垂れ死」というのが理想てきだなとは思っている。借金背負ったり色んなところで迷惑かけるなら別だけれど、誰にも知らせず知られずひっそりと消えて行くのは理想的じゃないかな。よく芸能人で癌を告知して大々的に芸能人として亡くなる人もいるけれど、どうなんだろう?どう死ぬかというのはどう生きるかということと同じことで、ああしろこうしろ言われたくない。



 まぁ彼女がどう思っていたのかは知らないけれど、最近見ないと思ったら亡くなっていたという方が自然ではなかろうか。一人で生きて行くと決めたことはそういうことだろうと思う。



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また。明日 - 2009.08.10(ポケットの窓から)






 

 今日は扁桃腺のはれもひいて微熱もなくなったようです。どうやら風邪ではなかったようです。ということで又明日。



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