あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

新宿の雑踏 - 2009.04.30(ポケットの窓から)







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国展会場風景 - 2009.04.30(ポケットの窓から)







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国画会展オープン - 2009.04.29(ポケットの窓から)






 

はる 2871

 今日は国展のオープニングです。展覧会が始まりました。全国から絵描きがこれに合わせてやってくる。そういった沸騰寸前のごった煮が興味深い。だからオープニングのザワザワが好きなんだけれど、疲れもピークに達してきた。明日は帰ります。



 



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今年の作品 - 2009.04.28(ポケットの窓から)






今年の展示風景

はる 2870

 今日からまた東京暮らしになる。まぁ何をやっているのやら、奇妙な生活ではある。



 自分の絵は客観的には分らない。描いている時はそれなりにいいとは思っているのだが、時間がたつとそれほどでもない場合が多い。展覧会に出す場合できたら半年ぐらい裏返しにしておいて出品するくらいのほうがいいのだけれど、いつも最後までだらだらと眺めていることが多い。



 今回は仕事が押し詰まってから泊まり込みであるということが分かっていたので、昨年のうちに大体の切りを付けておいた。時間がないとあせって冒険ができない。私の絵はほとんど壊しながら作ってゆくという方法なので、仕上がらない場合まったくお手上げになる可能性が大きい。



 アトリエが狭いということもあって、作品を並べて飾るということもできない。今回の作品はほぼ組み作品のようなもので、二枚同時に同じ会場で置いてみたかった。



 会場にはものすごい大きな作品が所狭しと並んでいて、それはそれでビックリ箱のようで楽しい。どこかの会のように同じ様なサイズの絵が横一列にびっしりと並んでいるというのはいかにも退屈だ。我田引水と思ってもらって結構だが、やはり何でもありのこの会は面白いと思う。



 コンピュータのバーチャルな世界やイラストレーションのような軽いタッチの絵が氾濫している世の中だから、こういった無用で必要ない造形物が反対にいとおしく思える。まぁそれもこれも好みと言ってしまえばそうかもしれない。



 もう受けるとか受けないとかは考えないことにした。自分のいいと思った仕事をするしかない。これが私の限界だな。



 



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放蕩息子の帰宅 - 2009.04.27(ポケットの窓から)






帰宅

 そうだな、昨日久しぶりに帰ってきた。さすがに一週間留守にすると疲れがたまる。それでまた二日ほど出かける。今度はいよいよ飾りつけとかオープニングの懇親会がある。年に一度のお祭りが始まる。始まってしまえば展覧会は終わったようなものだ。今年はこんなことで家を留守にすることが多く、絵描きと言うより出張ばかりのサラリーマンのようだな。



 個展なんかは別なんだけれど、こういった大きな団体展は観る展覧会というより参加することに意義があるように思う。お祭りはそうなんだけれど、見ていて面白ければ一緒になって参加すればもっと楽しい。一緒になってわいわいと楽しんでしまう方がいい。



 個展はそういった意味ではもっとシビアだな。観者と作者の真剣勝負のようなところがある。面白くなければ二度と来てはくれないし、まして買ってくれることなどないわけだ。義理で付き合ってくれるのは初回ぐらいで、後は絵に魅力が無ければ段々に来てくれる人は少なくなる。まぁそこが面白いと言えば面白いのだけれど。



 



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なにわのいばら - 2009.04.26(未選択)




なにわのいばら


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東京7日目 - 2009.04.25(ポケットの窓から)






 

 今日はまたカタログの校正で出版社に行く。一般出品者の作品の色校正で約400点の作品を作者名、タイトル、サイズ、色などを一点一点確認してゆく。まぁ地味な面白みのない確認作業だな。 



 その後銀座に出ていつもお世話になっている画廊、惣のクロージングに出かける。このクロージングは作家の個展の閉会ではなくて画廊そのものがいったんお休みするということだ。とてもさみしい。理由は書かないが、私の画家としてのスタイルをリードしてくれたのはこの小さな画廊で、この画廊がなかったら画家としてのスタートはずっと遅くなった気がする。



 名もない作家が絵かきとしてスタートするのはなかなか難しい。私はこの画廊と知り合うことで幸運にも絵かきとして曲がりなりにもスタートできたけれど、これからのことを考えるとどうしたものかとちょっと不安だなぁ。まぁいつまでも甘えていてはいけないということかな。長い間ありがとうございました。そして虫のいい話ですが、また再開することを希望しています。



 で一応一段落で明日いったん帰ります。



 



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東京6日目 - 2009.04.24(ポケットの窓から)






 

 今日は仕事もお休み。銀座に出て個展やグループ展を見てまわる。



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東京5日目 - 2009.04.23(ポケットの窓から)






 

 今日で東京も5日目になる。さすがに疲れてきた。今日は図録の仕事の関係で朝から光村出版の印刷工場のある埼玉県の川越まで行ってきた。何をするかといえば作品のゲラを見て上下やトリミングの適正や文字の校正である。印刷は誰でもできる。ただこの校正がとんでもなく時間がかかって、尚且つ面白くない仕事だ。できるならやりたくはないが、誰かがやらなければカタログが出来上がらないということで、若い会員?が順番に当番をやることになっている。任期は2年で今年はサブというわけだ。



 この2,3日は作品の撮影に付き合う。これもまた延々と作品のタイトルと作者受付番号などを大声で確認しながら撮ってゆく単純な肉体労働で、最後頃にはやや気分的にハイになって間違いが起きるようだ。今までも誰かがこんな下積みの仕事をやっていたわけで、今更ながらお疲れさんでしたと頭が下がる。



 地方にいる作家、私もその一人なのですが、案外幸運でこういった仕事を免除されているところがある。誰かが下働きをやっているのだということを理解している作家は少ないだろうな。



 撮影に立ち会って感じたこと、一般出品者を含めると一度に3百点ぐらいの作品を見るわけだ。それも審査に出るよりゆっくりと真面目に見るという機会がある。一つの作品は一人の作家が大げさにいえば人生をかけてある時間集中的に根性を込めるわけだ。だからそれなりの念がこもっている。多くの場合審査は一瞬に終わる。作者の次に作品を見る時間が多いのは我々カタログのスタッフかもしれんなぁ・・。



 そんなことから、感じたことを一言。いつも想うことは上手い絵は一時だということ。上手い、綺麗、細かいなどという絵はその時はいいと思ってもすぐには飽きる。テクニックなどはあってもいいが邪魔になることが多い。できるなら下手くそなほうがいい。訓練して練習して何度も何度も描き直してそれで、自分の気分などを取ってしまった方がいい。作為のない、ごくごく自然な「あるがまま」そんな下手くそな絵が描ければいい。そんな絵は少なかったなぁ。みんな欲が見えすぎて見ていて辛くなるような絵ばかりだ。



 私の求める方向が違うのかもしれない。



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東京4日目 - 2009.04.22(ポケットの窓から)






撮影現場



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東京3日目 - 2009.04.21(ポケットの窓から)






ホテルのロビー



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東京2日目 - 2009.04.20(ポケットの窓から)






 

はる 2862

 東京2日目

 今日も美術館に缶詰でした。大きな作品の撮影につきあう。疲れました。



 後、光風会という日展系の団体の展覧会を観る。私が属している団体の何でも有りのハチャメチャの会風に比べて良くも悪くもオーソドックス静かな感じを受けた。どちらがいいというコメントは意味がない。そういう会風なのだ。自分に合った会に出品すればいい。出品する以上、いい評価を得て受賞したり会の構成員になることを目指すべきだ。



 私は何年か光風会に出品していたことがあるので、わりと馴染のある作家も多い。私の大学の恩師がこの会の重鎮だ。前にも書いたけれど、日本のこういった団体はもう既に百年以上の歴史があって、日展を頂点に大きなピラミッドを築いている。絵をかかない人にっとってほとんど違いはわからないだろうけれど、日展系と在野というのは大きな違いがあるのだ。



 そうだなぁ、わかりやすく言えば、自民党と共産党ぐらいの違いがある。もちろん日展が自民党だよ。だから絵描きというより政治的な成功を収めたいとおもうなら、光風会から日展に出品して行くのが一応の筋だ。で将来芸術院の会員になる。いや批判しているのではなく、それも一つの生き方だと思う。



 私は嫌だと思ったからやめた。それだけのことだ。



 



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東京ライフ1日目 - 2009.04.19(ポケットの窓から)






新国立美術館のロビー

 東京ライフ1日目

 会員、準会員の馬鹿でかい作品の撮影、疲れた。明日は、時間が取れれば春陽会を見にゆく予定。



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明日から東京です - 2009.04.18(ポケットの窓から)






 

はる 2860

 午後一番に絵を取りに来る。搬入を頼んでいる運送やさんとはもう長い付き合いになる。公募展にしても個展にしても搬入出は最初は自分で車を運転してやっていた。その方が色々自由だし何より予算が少なくてすむ。いつの頃からか全ての運搬を彼にお願いするようになった。97年の神戸での最初のは大きな作品もあったのでこれもお願いした。それからだろうか。



 彼の軽トラックは少し変わっている。我々が運搬を頼むようになって絵画運送に特化した荷台になっている。普通の軽トラックの規格だと我々のような大きな絵を縦に並べては積み込めない。斜めにすれば充分入るのだけれど、そうすると数乗せる事ができない。で、彼は特注した。ここだけの話なんだけれど、車検の時は普段の状態に、絵を運ぶ時はスルスルと拡大するようになっているのだ。他言は無用だ。



 さてさて、明日から東京です。どんな絵にめぐり会うのか楽しみではある。

 



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明日絵を取りに来る - 2009.04.17(ポケットの窓から)






 

はる 2859

 明日絵を取りに来る。今年も国展が始まる。それにつれて私も約一週間の泊り込みになる。今年と来年はカタログの仕事の役回りなので仕方ないなぁ。



 絵を町の公民館で教え始めて5年ほど経ったかな。最初は5人ほどではじめたけれど、最近は少し増えて10人前後になった。生徒といっても全員私より年上だから人生の先輩ではあるわけで、そこらあたりは戸惑うところがあったけれど、まぁ最近は偉そうに人生訓をしゃべったりして冷や汗をかいている。まぁ物事を教えるというのは鉄面皮にならなければ無理なところもある。



 今年中央の団体展に初入選した方がいる。絵を描くことは人と競い合うことではないので、入選や受賞は目的ではないのだけれど、まぁ人のやることだからそういった目の前の餌につられる事もまた楽しからずやということで大いに奨励している。



 団体展の存在意義が最近はやや薄くなって、少しお金を出せば銀座のど真ん中で個展やグループ展を開催できる機会があるわけで、団体展は無用の長物のように言われるけれど、まぁ趣味で本格的に絵を始めた方など底辺を広げると言う意味では充分に意義あることのように思うな。それに「同好の志」の集まりというのはなかなか楽しいものだ。プロを目指すというのであれば団体展だけではどうにもならないけれど、充分に存在意義はあるように思うな。



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暖かくなってきた。 - 2009.04.16(今日のアトリエ)






今日のアトリエ



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止めた方がいい。 - 2009.04.15(ポケットの窓から)






 

はる 2857

 昨日から新学期が始まって私の授業も滞りながら始まった。新学期は何やかやと行事が多くて授業がまともに進まない。まぁ毎年のことなので心得てはいるのだけれど、今日も午前中の授業だけで午後は特別なカリキュラムでカットになってしまった。私は定時制の授業も持っているので夕方までまるっきり空いてしまった。



 やることが無いので寝るしかない。やたらと長い休憩だな。これで時給がつけば文句はないのだが、学校の都合で授業がつぶれてもカウントしてくれない。わざわざここを空けてあるのだから半分でもカウントしてくれるとありがたいのだが、今の派遣社員やパートのおば様と変わらない。底辺の労働者は使い捨てと同じ。学校の講師でも実態は変わらんな。



 もう30年近くこんなことをやっている。非常勤という仕事はそういった仕事なんだ。正規の構成員ではない。身分的には何の保証も無い。何か他に自分の仕事を持ちながら、臨時に片手間にやるならそこそこの仕事ではあるけれど、命をかけてやる仕事ではない。とはいいながら人相手だから、そこそこ一生懸命やってしまうんだな。生徒はシビアに見てるからね。そこが難しいところだ。



 学校というのか管理職というのか上にたつひとは案外そういったことを踏まえて人を使っているのじゃないかと勘ぐる。というのは、教育というのは手を抜けないところがあって、手を抜くととたんに生徒は言うことをきかなくなる。生徒は触覚的な感覚で教師を見ている、すきあらば楽しようと待ち構えている。それでもいいと全く無責任でいられるならそれも一つのやり方だとおもうのだが、長くは続かないと思うなぁ。



 だから上にたつひとはとてもずるい。どうやっても手加減できないということを知りながら、基本的な労働条件をどんどん切り詰めて来る。切って切ってきりつめられても、それでも生徒の前に立った場合一生懸命やってしまうことを彼らは承知しているのだ。それで全く何も保証しないというのは上手いよな。自分のふところは全く痛まない。嫌なら代わりはいくらでもいるよ居直っている。



 まぁもう私はいいけどな。でも次にやる人はそこらあたりの労働環境をしっかり改善した方がいいように思う。他人事だけど、このままだともっと悪くなるだろう。教育者という人間的にも一番保護されなければならない職業でありながら、非常勤講師という職業は基本的な労働条件にも合致しない劣悪な労働環境で働いている。やろうと思っている人は、やめたほうがいい。

 



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雨降り - 2009.04.14(ポケットの窓から)







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お江戸・新橋あたり - 2009.04.13(ポケットの窓から)






東京・新橋あたり



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哲学的な人間 - 2009.04.12(ポケットの窓から)







はる 2854

 元来が怠け者で根性なしでグータラな私なので、百姓仕事など今までやったことがない。今までの経験では農業高校に非常勤で行っていたものだから、その当時トマトとナスの苗をもらって挑戦したことがある。収穫したおぼえが無いので実は出来なかったのかもしれない。



 放っておいても出来る梅や柿をもいで梅酒にしたり梅干にしたことはあるけれど、バジルやルッコラのようなハーブ系は簡単に育つけれど、実のなる野菜や果物は上手くいった経験が無い。難しいように思うな。出来れば無農薬で育てたいので尚むつかしいだろう。



 小さいながら今回は普通の庭を畑に開墾することからはじめたので畑そのものに愛着がある。小さな石や草の根、今まで植えていた木の根っこなど相当ザクザクと出てきた。未だに出てくるので取りきることは不可能かな。



 畑の大きさは5mx5mほど、大体地表から20CMくらいスコップで掘り込んで土をやわらかくした。それから全体に石灰を撒いて土壌をアルカリ性する。ついでに有機肥料と堆肥を土に混ぜ込んだ。これだけで充分疲れてしまった。夕方からの作業だけれど3日ほどかかった。



 で、今日早速色々な野菜の苗を買ってきて植え込んだ。一見それ風には見えるけれどここからが本来の仕事だろうな。どうなることやら、時々報告しよう。



 少し話題をかえて



 人としての最終的な思い描いているカタチというものがあるだろう。



 例えば政治的な人間、どこかで自分の力を覇権という形で使いたいとか理想というカタチで実現したいと思っている人間。



 例えば言葉は思いつかないけれど経済的な成功を一番に考える、そういった生き方を是とする人間。



 例えば学問に一生を捧げるとか、特定の宗教に帰依するとか、修行するとか、実社会での成功より精神的な満足を是とする生き方、仮に哲学的な人間としよう。



 まぁ私などは中途半端だけれど、ぎりぎり最後の部類に入るわな。で、具体的にどんな生活が考えられるかとつらつらと考えると、「晴耕雨読」的な生活が最終的な理想のカタチかなと思う。こころのどこかに、漂白か老荘の「小国寡民」があるな。でとことん最後、仕上げは旅にでるというわけだ。



 でまぁそこらあたりに近づきつつあるのかな。 まだまだ紆余曲折あるだろうけどさ・・。



 



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みみをすます - 2009.04.11(ポケットの窓から)






 

 コラムの投稿サイトにもう一年ほど投稿している。といっても新しいコラムではなく、ここに書いたコラムの一週間分を適当にセレクトして投稿するわけだ。それからまた一か月分をまとめて自分のメルマガ「あそびをせんと」で月イチで配信している。まぁ一粒で三回相撲をとっているようなものだな。



 どれもさして多くの人が読んでいるとは思わないのだけれど、とにかく毎日何かコメントを書くという習慣はできたように思う。何と言うことは無いコメントも多く、自分でもほとんど読み返すことはない。まぁ自分の足跡のようなもので、鑑賞するものでもない。毎日刻み付けるメモリーだ。



 しかし、これが以外に役立っていることもある。ものを考えるということは書かなければ堂々巡りであることが多く、ほとんどの場合散漫なまま終わる。こうやって書きながら考えるとある程度まとまって来るように思うな。静かに自分の心の声に「みみをすます」こんな時間がわりと好きだ。



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法師 - 2009.04.10(ポケットの窓から)






 

はる 2852

 ある雑誌を立ち読みしていたら、西欧の骨董の話が出ていた。今骨董が新しいのかな?



 古いものに興味があったのは子供の頃からだ。当時古いといっても壊れたラジオとか動かなくなったおもちゃや、鉄のガラクタとか木っ端だったり、ブリキの缶を集めていた。まぁそれは何かに転用して遊ぶ材料だったしたのだが、そういった意味では随分と変わった子供だったのかもしれない。



 雑誌を読んでいて気になったのは今をときめく村上某氏が盛んに骨董を集めているということだった。魯山人やデシャンを持ち出して骨董と現代美術に共通する「価値の捏造」について書いていたけれど、彼が骨董屋を見て回るのはそれぞれの店の捏造ぶりを研究するためだそうで、現代の錬金術師・山師の彼に言われてしまえば、骨董も色あせて見えてくる。



 何か違うだろうと思うな。骨董が持っている品みたいなものが彼の作品にはないように思うのだ。まぁひがみも大いに入ってはいるけれどね。

 



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開拓者魂 - 2009.04.09(ポケットの窓から)






開拓者

 どうしてもやりたいことがあるか?と問われればなにもない。やりたいことが見つかるまで探しつづけるという人がいるけれど、その人は一生見つけることは出来ないだろうな。よく似ているのは「本当の自分」を見つけるというフレーズ。まぁ自分探しと言う言葉になるのだけれど、前にも書いたけれどたまねぎの皮みたいなものだ。剥ぎ取ってゆけば何も残らない。結局今ある自分は影響を受けたさまざまな事や物や人の寄せ集めにすぎない。未熟でも今の私が「私の全て」なのだ。仕方ないそれを受け入れようか。



 二十歳の誕生日にお袋から油絵のセットをプレゼントしてもらった。明日はそれから37年目の誕生日だ。



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開墾 - 2009.04.08(ポケットの窓から)






開墾中・けっこうおもしろい。

  何をしているのかといえば、私の生活はほとんど何もしていないと同じだ。真剣に絵にむかっているのは一日の内何時間も無い。後はうだうだと鼻毛を抜きながらうだうだと考え事をしているようなフリをして、ほぼ一日の仕事が終わる。ほんとうは朝起きたらそのままアトリエに入って昼飯まで一仕事するといいたいのだけど、暇つぶしに時代小説などを読んでいる。これがけっこうはまってしまって抜けられない。



 午後からは畑仕事のために肥料やその他の道具をホームセンターに見に行く。このホームセンターは私にとってワンダーランドで一日いても飽きないほど魅力に満ちている。小さな耕運機が展示してあったので、よだれをたらしながら眺める。クワやその他の道具も購入する必要があるだろう。けれど予算がない。この次にしよう。



 着替えて土方仕事に入る。少しやればすぐさま疲れてしまう。これまた体力と根性が無いのでお茶を飲みながら休み休みやる。なかなか楽しい。私に無いのはやり続けるという根性だ。



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自給自足 - 2009.04.07(ポケットの窓から)






 

はる 2849

 隣の家が空家になった話は少し前に書いたかな。80過ぎのジーさんが一人暮らししていたもので、時々親戚の家族が面倒を見ていたようだけれど、昨年の秋頃だっけなぁ、入院したとおもったらそのまま帰ってこなかった。



 私の家はその爺さんのうちと共同で一本の私道を使っている。俗に言う「旗地」というやつで、長い私道の袋小路に小さな地面がくっついている。住んでいる分にはあまり不自由は感じないのだけれど、いざ売却するとなると不動産的には一番価値の無い「腐れ土地」だろう。



 田舎に住んでいるのだから、さぞ広大な土地をもって広いアトリエで絵を描いているというイメージがあるけれど、実際は極々つつましい、日当りの悪い住宅地の一角に住んでいる。なぜこの場所に住むようになったかはまたの機会に譲りましょ。とりあえずは中古の家を買って自己流で改装しまくったわけだ。これが絵を描くより楽しかった。



 で、話は横道にそれてしまったけれど、その隣が空家で草ボーボーだったので、借りて小さな畑にすることにした。理想的には夏野菜の自給自足を目指したい。自分の食べ物を自分で作るというのが究極のスローライフでしょう。まぁあまり頑張らずにコンテナ栽培の延長上ぐらいのつもりでやるつもりだ。



 それはそうと、私ぐらいの年になると週末に帰農する人がおおいなぁ。わざわざ東京からこちらの方に農地を借りて週末に通っている人もいる。土にかえるというのか、自分の口は自分でまかなう、それが一番動物として理にかなっているそんな気もするのだな。



 社会が複雑になって活動期には人は土を離れてパソコンなどの架空の世界に住んでいるだけれど、だんだんそれに疲れてくる。食べることは自分の生命を維持するだけでよかったのが、段々に食うことは生きることと直接つながっていることに気が付いてくる。上手いものを食うということではなくて、何を食うかということはどう生きるかということと同じことなんだな。その最終的なカタチが自分で作ったものを食うということだ。



 



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定額給付金 - 2009.04.06(ポケットの窓から)






 

はる 2848

 定額給付金なるものが来た。何のためにこんな事をするのだろうか、理解に苦しむなぁ。せっかくある予算ならもっと有効な使い方があるだろうに。お金は使ってしまえばそれでおしまいだ。一時は金回りは良くなるかもしれないけれど、次を生むことはない。本当にこの国の10年、20年先を考えるなら、新しい需要を生む政策にこそ予算を使うべきだ。無策、無能意外何ものでもない。



 バブルの頃お金が余って市町村に一億円配った首相がいた。市町村は使い道に困って金の延べ棒にして村民に触らせた。ところが誰かが次第に磨り減ってくるよといわれたので急きょ取りやめになったとか。馬鹿みたいな本当の話。この国の今の政治家はだれも尊敬されない。やってはいけない、なってはいけない最悪の人間がなっているのではないかなと疑いたくなる。



 もう一つ。30年ほど前に一年だけ正規の学校の先生をしていたことは何回か書いた。その時に共済組合の入会の手続きをしたのだけれど、今回社会保険庁が取りまとめて統一の機関をつくることになったらしい。でその確認の連絡がきたのだけれど、何だかなぁその間の不始末のことを考えると、この官庁にそれだけの能力があるのか疑ってしまうな。ここにきてバタバタと何をやっているのやら、10年も20年も前から分かっていることだろう。



 今回のミサイルの話もあまりにもお粗末で、子供の遊びのようだ。政治の世界はよく分からない。まぁほとんどの国民が私を含めて素人なんだろうけれど、戦後60年やってきて到底いまのシステムでは対応できないのじゃないかな。



 と今日はぼやきまくりでした。



 



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さくら、さくら - 2009.04.05(ポケットの窓から)






 

 かの北の国がミサイルを打ち上げたそうだ。平和ボケしたこの国は右往左往の大騒ぎ、騒いでいる間に日本をまたいでどこかの海に落っこちるだろう。昨日は昨日で間違いました!って二度もやらかして、今更警報出したところで、臨場感はない。あっという間に黄泉の国の亡者だよ。漫画よりマンガみたいな話だな。



 考えてみると、そうやって大騒ぎしてもらうために演出してるわけだから、まんまとしてやったりというわけで、もっと違う対応の仕方があるのじゃないかね。そんなものにひっかかっている輩もなさけないけど、よくわからんけれど、ノータリンといえばどっちもどっち。おなじようなものだ。なさけないねぇ。



 



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新しい30号の地塗り - 2009.04.04(ポケットの窓から)






新しい30号の地塗り

この状態では何を描くか何も決まってはいない。

でも何かイコンのようなものが描ければいいかなとは漠然と考えている。

全く違ったものになることも含めて、楽しみではあるな。



はる 2846

 季節はずれの風邪をひいてしまった。風邪はいつもたいてい喉から侵される。次に気管支になって、せきになって経過がよければそれで終わる。今回はいきなり咳になったので、風邪ではないと思った。熱もさしてあがらなっかったしね。今日は大分良くなったけれど、今度ははなが止まらない。花粉症も入っているかもしれんな。

 



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絵の上に乗って描く - 2009.04.03(ポケットの窓から)






それらしい人物が出てきた。



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4/2-花見2 - 2009.04.02(ポケットの窓から)






花見2



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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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