あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

百年に一度の大掃除 - 2008.12.31(ポケットの窓から)






百年に一度の大掃除

 

 今日は大掃除。普段めったに掃除しない棚の上のガラスの花瓶も掃除する。塵も積もれば何とやら、ふかふかの絨毯のよう??



 午後からはご無沙汰のご先祖さんの墓参り。そのままいつもお参りしている神社に今年の報告参り。来年もいい年でありますように・・。



 これで今年はお終いです。一年間どうもありがとうございました。また来年もよろしくお願い致します。



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絵の具は「色の粉」 - 2008.12.30(ポケットの窓から)





はる 2751

 mさんへ

「20年程前に原点回帰のブームがありました。バブルによって日本人が自信をつけて、はて何故油絵(西洋画)を描いているんだと気付いたことが始まりだった気がします。私の摸索もそこから始まりました。



 色んな飾り物を取り去って一つずつ前に戻ってゆくと、絵は単に描く物(絵の具)と描かれるもの(紙、や布など)に還元されてしまう。



 で、絵の具は「色の粉」をどんな糊でくっ付けるか?で水彩画(アラビヤゴム)、日本画(にかわ)、油絵(亜麻仁油など)と変化してゆく。



 どこに生まれたのか、どんな時代に生きたのか、によって画材は様々に変化する。変わらないのはこの何とも分からない自分と言う存在を見つめたいという気持ちじゃないかな。



 まだ上手く書けません。すみません。ではまた」





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画材1 - 2008.12.29(ポケットの窓から)







はる 2750

 画材1

 ある雑誌から画材についてのアンケートがきた。いつものようにここでは下書きのつもりで書いてみる。言い回しなどがおかしいかもしれないが、まぁ今考えながらの文章なので勘弁してもらいたい。



 画材は何ですか?と言う質問はよく受ける。見た目が普通の肌合いをしていないので、取っ掛かりとしてそういった質問をするのかもしれないな。材料はこれこれで、どこのメーカーで、どこそこで購入できるなどということは簡単に答えられる。秘密にする気もない。



 けれど、その部分だけを取り上げると全く本質を見失ってしまう。画材のための画材、道具のための道具になる。風見鶏のように何々風がはやればそちらになびき、これこれ風が流行れば又そちらと忙しい。たとえば受験があればそのための傾向と対策が考えられるように、どこまでいってもあなた任せでままならない。かつても私がそうだったように・・。



 材料を選ぶ事自体が自分を見つける、探す旅のはじまりだ。自分に合った画材を見つけることは、絵を描く行為の一部だということだ。その材料を見つけるに至った過程にその人の必然があるわけで、画材そのものにはあまり意味はない。



 私たち日本人は伝統的に「優れたものは海を渡って来る」という遺伝子を持っている。弥生時代の稲作に始まって、仏教や遣唐使の唐物、文明開化では西欧の舶来ものが大挙して押し寄せてきた。最近ではアメリカものかな。



 今の人はどうか知らないけれど、私には油彩の方が何かしら高級なものというイメージがあった。これも伝統的な舶来ものの固定観念のなせるわざなんだろうな。



 全てをフラットに並列に観ると言う事はとても難しいことだけれど、ちょっと考えてみて欲しい。絵を描く材料と言うのは何でもいいのだ。例えば絵の具は「色の粉」をのりで固めたものと考えればいいし、キャンバスはそこらにある板でも、ベニヤ板でも、紙でも布でもいい。筆は学校の教材の筆でも障子を貼る刷毛でも充分使える。



 野の鳥は今現在手に入る材料で巣を作る。特に本物の草でなければとか、藁でなければとこだわることはない。カラスなど庭にある針金のハンガーを器用に使ってオリジナルな現代美術のような巣を作る。今を生きている我々は、今現在身のまわりで手に入るもの全てが画材だと思う。例えそれが身体に悪いものであっても百年後、ニ百年後の人々が見て、今の時代を象徴的に表現されているものであるなら、それも有りかなと思う。



 問題は材料ではない。その材料を選んだ自分のこころの中味が問題なのだ。


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木枯らしが吹いた - 2008.12.28(ポケットの窓から)






 

はる 2749

 今回の金融危機などはアメリカの一人相撲みたいなところがあって、実際これまでは彼の国は腕力にものを言わせて好き勝手にしてきたそのつけがまわって来たにすぎない気がしている。といってもそれに便乗して甘い汁を吸ってきたのも事実だけれどね。



 難しい事は何も分かっちゃいないけれど、案外何も知らない方が事実がよく見えたりするのじゃないだろうかね。



 昔書いた覚えがあるのだけれど、ハリウッド映画に「大逆転」というエディ・マーフィーのコメディがある。大筋はグーグルでも検索すればでてくるからお任せするけれど、簡単に言えばアメリカの大手の投資会社のオーナー二人が、賭けをする。町で見かけた乞食に会社の経営を任せて上手く会社を経営できるかどうか。結果的に辞めさせられるのだけれど、もてあそばれたエディが怒って、そこで知った投資のノウハウでその二人に復しゅうする。で今度は本当に地位が大逆転するというはなしだ。



 まぁ面白おかしく書いてはあるけれど、資本主義社会の危うさみたいなものが上手く表現されているように思う。資本家と起業家がいる。企業家でもいい。資本はないけれど、新しい事業や研究を始めたいという願望がある。資本家はそういった企業家を自分の勘で見つけて投資するわけだ。上手くすれば何倍もの利益を生む。



 社会がインフレでどんどん上昇している時はそういったことでいい夢を見ることができる。明日は今日よりいい日になるわけだ。投資する事で何割かのリスクがあるものの損をすることもなかった。アメリカが一人勝ちしている時はそれでも良かったんだな。



 ところがいろんな国が小さなアメリカ型になってくると、どこかで破綻が起きてくる。まずは人件費だろうな。まともなものが同じ価格で国内で作れなくなってくる。それから価格破壊が起きる。



 アメリカの車は省エネには対応しきれていない。だから日本車などの外国車に完全に負けてしまう。アメリカが取った策は基準の引き下げという姑息な手段でしかなかった。自国の企業を守るだけに躍起になった。そのために反対に今回のような危機に見舞われることになった。抜本的な改革を怠ったからだ。



 「おごれる者久しからず」というけれど、まぁ今回はどうなんだろうかね。

 



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インフォメーション - 2008.12.28(未選択)
 そうそう、この個展中に画集を送ってほしいというメールをいただいたのですが、誤って削除してしまいました。もしこのブログをお読みになったらすみませんがもう一度メールください。すみません。


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銀座は聖地 - 2008.12.27(ポケットの窓から)






「美術の窓」2009年1月号個展案内p155

立ち読みして下さい。



はる 2748

 個展の感想を書くかな。お客さんは通常と同じくらいじゃなかったかな。日曜日と祝日は予想通り少なかった。これは銀座の宿命かな。画廊街そのものが閑古鳥が鳴く。



 前半は国画の関係者が多かった。それはこのところの恒例になっている国画のグループ展が今年もまた同時開催されているからだろう。単発でグループ展をやっても人は来てくれないか、非常に少ない。こうやって同時に開催されると否が応でも観に来る人が多くなる。特に地方に住んでいると、とても展覧会一つのためには出かけられないのだな。



 都心やその周辺に住んでいる人にはなかなか理解できないかもしれないが、銀座はやっぱり絵を描く人間には憧れの聖地なんだな。特に我々より少し前の世代いはそうだと思う。ここで作品を発表できると言う事だけで、ドキドキときめいたものだ。たとえお客さんが少なかったとしても「銀座で展覧会ができた」というだけで満足だった。銀座に画廊が何百とあるのはそういったわけなんだな。プロの作家というのが絵を売って生活する人というならば、これは明らかに違う分野の話だ。



 銀座と言う街はゴッホやピカソなどの世界の巨匠から名もない画学生までが、階層が違うとは言え同じ場所で語られる世界でもまれな場ではないだろうか。



 まぁ世界的な大不況ということだけれど、それも含めて今の時代を生きているということなんだと思う。特に芸術だけ娯楽だけ経済だけ切り離して考える事は出来ないのじゃないかな。 ということでめでたしめでたし!



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疲れた。 - 2008.12.26(ポケットの窓から)






 

 少し体調をくずしてしまった。今日は午前中病院に出かける。原因不明の発熱、抗生剤を処方してもらう。一日寝ていたので、かなり回復したようだ。



 やらなければならない残務整理が残っているのだけれど、まぁぼちぼちやってゆこう。年賀状も出さねばならないし・・。



 そうそう、この個展中に画集を送ってほしいというメールをいただいたのですが、誤って削除してしまいました。もしこのブログをお読みになったらすみませんがもう一度メールください。すみません。



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個展楽日 - 2008.12.25(ポケットの窓から)







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個展5日目-2 - 2008.12.24(ポケットの窓から)






 

 今日はクリスマスイブです。街角は楽しそうなアベックが肩寄せ合って歩いていました。銀座ワコービルを背景に写真を撮る。少しクリスマス気分になりました。早めにホテルに帰ってテレビでも観ましょう。明日は最終日で、4:30までですので間違わないようにしてください。んじゃメリークリスマス。



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個展5日目-1 - 2008.12.24(ポケットの窓から)







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個展4日目 - 2008.12.23(ポケットの窓から)





 個展4日目

はる 2744

 

 今日は祝日のため全体的にはお客さんは少なかった。日曜祝日は休んだほうがいいのかもしれないなぁ。



 個展はやっぱり楽しい。もちろんお客さんがすべて自分のゲストだということもあるけれど、一週間どこか知らない街の住人になるという非日常がおもしろい。



 さて、閑話休題



 pasumoという便利なカードがある。pasumoそのものはもう随分と前に買って利用していた。首都圏ならばほとんどこの一枚で切符を買う手間が省ける便利なカードだ。



 カードなど珍しくない。確かにそうだ。今までも地下鉄はカードを使って乗っていたわけだからね。だから改札を通るときはいちいちカードを財布から取り出して使っていた。面倒だなとは思っていた。



 兄貴に注意されて初めて知ったことなんだけれど、なんとこのpasumoは財布ごと機械の上を通過させることで改札を通ることができる。財布には色々なカードが入っているにもかかわらず、そんなことは関係なくそのpasumoのカードだけ感知してカウントしてゆくわけだ。これは目からうろこ、全く知らなかった。田舎に住んでると電車に乗ることもないわけで、だれも教えてくれなかった。

 



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個展3日目 - 2008.12.22(ポケットの窓から)






 

はる 2743

 個展3日目

 今日もたくさんの人が来てくれました。どうもありがとうございました。



 午前中は冬だというのにけっこう生暖かい風が吹いていました。銀座の木々はまだ葉をつけているものが多く。今年の気候の不順をあらわしているようだ。



 午後から雨になった。急激に気温も下がってなんだか奇妙な天気。あと三日、まだ来ていない人は是非来てくださいな。



 



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中休み - 2008.12.21(未選択)
 今日は中休みです。



 銀座は中央通りは人でにぎわっていますが、一歩中に入れば閑散としています。画廊街も基本的にはお休みになります。まぁ普通は日曜日にしか来れないお客さんがいるわけでオープンした方がいいと思うのですが、昔っから銀座の画廊は日曜はお休みですね。ただし今回は23日が祝日ですがオープンします。仕事でお休みの日しか来れない方はこの日に来てください。



 世界的な不況のせいかな、銀座の画廊もちょっと今までにない落ち込みのようです。まぁ考えればわかるけれど、一番最初にけずられる対象ではあるわな・・。けれど、本当は今が一番必要とされるような、心の拠り所になるような仕事であるとは思っているのですが、どうでしょう。



 前にも書いたけれど、壁の飾りを描いているつもりはない。不安などうしょうもない時代にこそ必要とされるものが本物でしょうな。時代のふるいにかけられて、偽物は消えてゆく、ちょうどいい機会じゃないかな。外国の有名なブランドビルは早くも撤退を始めた。



 今回はけっこう充実した作品になっているような気がしています。是非面倒がらずに見に来てほしいとおもいます。何か感じることがあるように思いますね。明日からまた毎日在廊しています。


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個展2日目 - 2008.12.20(ポケットの窓から)





 

 今日もたくさんの人が来てくれました。明日は画廊がお休みです。出かけてこないように!

   
 


 



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個展1日目 - 2008.12.19(ポケットの窓から)





個展1日目

 無事オープンしました。初日はけっこう疲れました。また明日。



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個展前夜 - 2008.12.18(ポケットの窓から)






 

個展前夜

 搬入の様子です。まだ掃除機が床に転がって、生々しいでしょう。こういった様子は他では見れません。なかんかよい感じの展示になりました。明日からの個展が楽しみです。ではみなさん来てください。



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明日出かけます。 - 2008.12.17(ポケットの窓から)







はる 2738

 今日は午前中はパートの仕事。今学期最後の授業で、楽しいアニメの鑑賞会。午後からは色々個展前の雑用をこなす。これがなかなか面倒だ。持ってゆくものに落ちがないか、荷物のチェック。泊まりのホテルに荷物を送る。後ボイラーの石油を満タンにしておかなくてはならないとか、絵を準備するのは当たり前だけれど、それ以外の準備も必要だ。



 日常から逸脱することは楽しい事だ。会社の仕事で出張する気分とにているのかな。



 絵描きは絵を描くのが仕事だ。勿論そうなんだけれど、それだけじゃ面白くないと思う。たとえばね、売れっ子になって描いたものが右から左へと売れていったとする。画商さんが待機していて「さぁさぁ先生は絵だけ描いていて下さい、後は私たちがしますから・・」などといわれて、絵を描く機械になってもつまらんと思うんだ。



 職人でもない、芸能人でもない、勿論芸術家などではない。どちらかと言えば旅芸人みたいなのかな。地方地方でお客さんが待っていてくれて、今年は何処まで行ったのか、そんな成果を楽しみにしている。理想をいえば、生きているそのものが売りだから、どう生きてもいいわけだ。悩んで生きている姿、そのままを晒して作品にしてゆく。



 これからどういう結末をみせるのか、面白いと思うのだけれどね。老いてゆく姿を一緒に楽しんで欲しいな。



 さて、明日から出かけます。報告はシャメでします。それでは家からはこれでお終いです。



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こたえてください - 2008.12.16(写真)



 画集が出来てきた。満足、まんぞく。しかし、時間がないのでまでまだ送れません。少しお待ちください。



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榎並和春個展・銀座ギャラリー惣 - 2008.12.15(今日のアトリエ)






 

はる 2736

 時期がとても悪いようだ。今朝、画廊に電話したらそういっていた。東京はとても物が売れる状態ではないみたい。ちょっと困るなぁ・・。



 壁の飾りを描いているつもりはない。どれもみんな必要に迫られて、私の心が要求したものだ。今の時代を生き、今この瞬間を感じて生まれてきたものだ。だから観る人の心に何かしらの共感を感じてもらえると信じている。でなければ絵を描く意味もない。もし少しでも興味があったら、是非一度足を運んでください。私は連日画廊につめています。



 という訳で、この木曜日(18日)からまた出稼ぎにお江戸に出ます。今回はクリスマスをはさんで26日までかえりません。



 日記の更新はシャメだけになるかもしれませんが、出来る限りします。個展にこれない方は毎日の報告だけでも見てください。



 ■2008年 12/19(金)~12/25(木)

 第46回・榎並和春個展・銀座

  ギャラリー惣

  「いつかみたところ」



 銀座・ギャラリー・惣

東京都中央区銀座7-12-6 トキワビル5F 03-3541-4380



 (詳しくはHPをご覧下さい



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今日は日曜日か - 2008.12.14(今日のアトリエ)





はる 2735

 いつのまにか今のような生活になってしまったけれど、その萌芽はずっとずっと前の子供頃にあった。きっちりと就職して給料をもらっている姿というのが想像できない。



 ある意味自分が望んだから、どこかで取捨選択してきたから今の生活があるわけで、大きな不可抗力(戦争とか革命とか)がない限り、誰もがみんなある程度望むような生活になるのじゃないかな。



 じゃどんな生活を望んで来たのかといえば、まぁこれこれだとははっきりいえない。絵描きというのが目指すべき職業だったと言う風には思えないからだ。だれも自分の近くに絵を描いて生活していた人はいなかったし、まぁまわりを見渡してもほとんどが公務員かサラリーマン、商売屋、お百姓、職人、そんなもんだった。



 職人といっても街中にいれば大工さんか左官屋、ペンキやそんなものかな。特に画家とか作家など選択肢には上ってこない。目指してなれるものでもなかったからだろうな。



 



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ぼろアパート - 2008.12.13(写真)

 これがそのアパートです。しかし今はもう取り壊されてありません。



 



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青春グラフィティー - 2008.12.12(ポケットの窓から)







はる 2733

 ゆうちょ銀行なるものに口座を開いた。開いたのはいいのだけれど、手続きが終ったと連絡があるまでニ三日かかる。でその後振り込み用紙の印字されたものが来るまでまたに三日かかる。なんでそんなに手間ひまがかかるのか。納得いかない。電信扱いで振り込めば手数料は500円以上かかる。銀行なんかもそうだけれど、利用者は言われたままだ。明治や大正時代でもあるまいに、システムがどうも上手く稼動していない。



 例えばDMを郵送する。10枚でも100枚でも1000枚でも割引がないというのもオカシイ話だ。定型などといってやたら厳しい規格も融通がきかない最たるものだ。民営になってもなかなか改まらない。まぁ郵政の民営化はあまりいいとも思わないけれど、システムをもっと活性化させて欲しいのは間違いない。



 閑話休題

 学生時代の話をしようか。下宿先のアパートは六畳一間に一畳ほどの台所が着いていた。フロはなくてトイレは共同だった。二階建ての六部屋で、聞くところによると古い学校の施設を移築したということで、売りは出窓になっていて一見古い洋館のようにみえる建物だった。家賃は七千円で雑費を入れても一万円でお釣りが来た。当時でも格安の物件だった。



 最初は私だけだったけれど、段々に勧誘して絵を描く住人が増えて最終的には六部屋中五部屋が絵を描く仲間だった。ここでの生活は抱腹絶倒、漫画より面白い話が山とあり、私の遅い青春グラフィティーであることは確かなことだ。



 教育学部の美術科には同級生が10人もいない。一年から四年まであわせても30人ぐらいのクラスだ。まぁ美術科といいながらも幼児教育から高校の専門の先生の養成コースまであるわけで、美大とか芸大の専門家コースを頭に入れてくるとがっかりするだろう。授業は小中高の美術の授業のあらゆる事、絵を描く事はもちろん、染色やら彫刻、版画、デザイン、焼き物や彫金なんでもありで、好きならばこれほど楽しい専門の授業はない。



 当時は卒業論文などなくて絵画を専門に選んだなら、100号クラスの作品を一点描く事で卒業制作ということで評価された。だから四年生までに自分の専門を選ばなくてはならなかった。今はどういうシステムになっているのか知らない。



 私がこの学校に入学したのは25歳になっていた。一度社会に出てやきものの工房で絵付けをしたり、フリーでバイトしながら絵を描いたりしていたもので、こうやって働かずに奨学金もらって絵画描ける環境が嬉しくて仕方なかった。学生のうちは出来るだけバイトもせずに絵を描くことだけに専念したいと思っていた。授業で絵を描く事だけでは勿論不足だと考えていたので、夜は暇だったので仲間を集めてモデルを頼んで出来るだけ人物を描くようにしていた。



 まぁ絵描きというのがどういうものか、はたしてこの学校を卒業して絵描きとしてやってゆけるのか、多くの先輩はこの地方で学校の先生をやりながら絵を描いていたけれど、絵描きになったという人がいるなどと聞いたことがない。普通に考えてまず定職として学校の先生を選ぶ。そのなかで趣味の延長上で絵を描いてゆく。そう考えるわなぁ・・。卒業する頃になると普通に採用試験の勉強をしていた。妥協案としてそれしかなかったからね。絵だけ描いてゆくという勇気もなかった。



 後は何回も書いた。又今度。



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朝の散歩道 - 2008.12.11(ポケットの窓から)






 朝の散歩道

 かなり暖かい。



 今日は午後から注文してあった額が入ってきた。この額は基本的には大阪の個展のためのもので、今回の銀座の個展では何点か使うだけだ。まぁそんなことはほとんど考えられないけれど、万一全部嫁ぎ先が決まっても困らないように、心配性だからストックもかねて注文した。なぜなら一ヶ月もかかるというので。それから今回はタイ国のクーデター騒ぎがあったもので気気ではなかった。



 届けてくれたのが、画材やの二代目のボンだ。彼はもう生まれた頃から知っているわけで、まだお店が学校の近くで四畳半ほどのスペースでやっていたころで、店が狭いものだから彼は押入れで寝ていた。だから頭が変形して四角くなったと真面目に悩んでいた時期があったようだ。我々不真面目な絵描きの冗談を真面目にとったようだ。



 この画材店とは学生時代からの付き合いで、もう30年になる。学生時代は奨学金が入れば借金を返しにいったものだ。それから絵の具やオイルを買った。キャンバスはベニヤ板を買って来て地塗りして代用した。一枚のベニヤ版で5,6枚の10号のボードができて、それを何枚か重ねてスーパーカブでスケッチに出かけた。



 夏休みには学校の宿舎が八ヶ岳にあって格安の料金で泊まる事が出来た。ほとんどバイトもしないでそこでこもって絵を描いた。だれも来なかったので絵を描くには都合が良かった。



 今回画集を作るに当たってその頃の絵が何枚か出てきた。何のことはない極普通の絵だけれど懐かしい。



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「売り絵」は描かない - 2008.12.10(ポケットの窓から)







はる 2731

 さていよいよ個展まで押し詰まって参りました。もうほとんど準備は整っているのですが、それはそれ、やっぱり迫ってくると緊張するのだな。しかし、まぁ楽しみという面も大きくてね。ちょうど多くの国画の作家が展覧会を開催しているシーズンなので、それもまた楽しい。



 「売り絵」は描かないということをいう作家がいる。言葉使いがわるいのか「売り絵」という響きの中には「中味のない絵」というニュアンスがある。総じて小品を「売り絵」と捕らえる人もいるなぁ、難しい所だけれど、絵を売らなくても生活できるならそれでもいいかなとは思うけれどね。



 小品の場合ある意味人手に渡る事を前提に描いているところもある。だからと言って媚びているつもりもないのだけれどね。自分の好きな絵を描きながら、尚且つ人様にも好ましく想ってもらうとありがたい、それぐらいだろうか。ちょっと歯切れが悪い。



 自分も少しばかり教える事で糊口をしのいでいるところがあるから言えるのだけれど、本当は教える事で収入を得ては大事なことが逃げてしまうように思う。この大事なことというのが難しいのだけれど、ある種の感覚なんだけれどね、人が何を欲しているか?度が過ぎると媚びへつらいになって、まぁ要するに「売り絵」になってしまうのだけれどね。



 芸能というのは大衆のものだと思うんだな、大衆の欲しているものに対するアンテナが必要だと思う。通俗性というのかもしれんけれどね。保護したり、援助されたりするものはやがては力を失って消えていってしまうだろう。



 芸能と芸術は違うというかもしれん。でもなぁどんなに高尚な芸事でも多くの人から支持されないものは力にはならないし、自己満足で終ってしまうだろう。絵描きは絵でしのいで行かねば一人前にはならんのじゃないかな。ただ限度があってね、売る事ばかり考えた絵は、またつまらない。作家の人となりが出たものでなければ面白くない。 なんかこれも歯切れが悪いな。







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裁判員制度って何? - 2008.12.09(ポケットの窓から)







 はる 2730

 詳しいことはなにも知らないけれど、いつものようにあるだけの知識で適当に書く。間違っていても知らんぞ。



 日本のように自然発生的に村が集まって町になってそれが寄せ集まって大きな町になってやがて国になったというふうな国家のあり方は成文法という考えは希薄なように思う。どちらかといえば今まではこうだったから、今回もあれじゃないのといった慣例法的な法が多いのじゃないだろうか。



 それに比べてアメリカなどの新しい国は最初に雑多な人々が集まって、さてここに国を作りましょう。だからそれに合わせて法を作ります。つくった限りは従いましょう。法に触れたらこうなります、と決めた。この自分たちで決めたことが大事だな。上からオフレのように命令を下すわけではない。



 そういった国では確かに裁判員制度というのは有効だと思う。自分たちの作った国だ。おらが村だ、という意識がある。けれどこの国はどうなんだろうなぁ・・。今急に裁判員に任命されても困るよな。そういった知識もないし、教育も受けていない。



 



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人を裁くのは人 - 2008.12.08(ポケットの窓から)







はる 2729

 大阪の知事が小中学校での携帯持込を原則禁止を打ち出した。高校生で95%ぐらいすでに持っていて、中学でも50%ぐらいの生徒が所持しているそうだ。



 まぁ高校の教壇に立つ立場からいえば、はっきり言って携帯は迷惑だ。もう学校で禁止してもらえるならそらありがたい。でもこれは徹底するのは難しいだろうな。持ち物検査みたいなことやるのは刑務所みたいで嫌だしなぁ。本人の良識なんて当てにしていると、まったくやらないのと同じことだ。それに親が承諾している場合それをダメだしするのはもっと難しい。決めたなら違反者に当然ペナルティーをかさなければ意味ないわけでね。これもまた難しいだろう。



 携帯の場合なんかもそうだけれど、道具が先に生活のなかに入ってきてしまっている訳で、まだルールも何も決まっていない段階で100%近く蔓延してしまっている。後からルールを作って縛るのは尚難しい。



 来年から裁判員制度が適用されるようだけれど、私が無知なのか何も知らないうちにそんな大事なことが決まっていたの??という感じだ。ほとんど人がそうじゃないだろうか。



 今までは誰か専門家がどこか分からない所で人を裁いていた訳だ。それが突然あなたにもそれを手伝ってくれと決まったわけだ。本当にそんなに簡単な事なのか。凄く不安。



 本来「人を裁くのは人」なんだな。今までは、どこか超越した神がいてそれが罰を与えてきたようにおもったけれど、実際は人が裁いていたわけだ。そのことに今さらのように気がついた。このことは大事なことだな。



 色々な権利と義務がある。その中でもとくに人を裁くことに参加する義務というのは民主主義の根幹じゃないのか。だからもっとしっかり準備して教育してからはじめた方がいいように思う。何か心情的なあやふやなことで。ルールが変わってしまうのは恐ろしいなぁと反対に思うな。



 大体においてそういったことが曖昧だ。どないなってんねん。分からんぞ、誰かがもっと分かりやすく説明する必要があるのんちゃうんか。でないと力持ってたり、金持ちがみんな無罪になりよるで。そんなんでいいか。



 この間のアメリカの大統領選挙と同じだけれど、ルール(法)を決めるのは我々(人)なんだ、だから決めた以上従う。そういった社会意識というのが育っていない気がするな。大人になっていない子供みたいなものだ。



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「何もいらない」と言うこと - 2008.12.07(ポケットの窓から)







はる 2728

 どうもきのうの続きを書きたくなった。いつもは寝る前にちょこちょこと書くのだが、今日はまだ午前中なのにこれを書いている。



 生きるということは欲の中にいるわけで、まるで欲のない生というのはありえない。その欲を満たす事で喜びを得られる事も事実だけれど、反対に欲のために苦しめられる事にもなる。



 まぁ今の葬式仏教やお飾りの教会のことはさておいて、多くの宗教は究極的には自己放棄を説いている。分かりやすい言葉で言えば「何もいらない」と言うことになるのかな。これがなかなか出来ない。「何もいらない」ということを主張する欲ということもあるわけでね、難しい。「なにもいらない」とは、ひっそりと何も言わず、目立たず、消えてゆく、そんなあり方を言うのじゃないだろうかね。 大声で「なにもいらねぇ~」というのは反対に「みんな欲しい」の裏返しのような気もする。まだまだだねぇ。



 高村光太郎なども親父が偉大な彫刻家だったから、どうにも親父が煙たくて仕方がない。事実彫刻家としては親父の方が数段優れていた。光太郎の方はどちらかと言えば詩人として仕事を残したけれど、まぁそれも嫁はんの智恵子さんがいたからだ。彼女がおかしくなって亡くなってから何もかも捨てて岩手県花巻郊外の山間にほぼ死ぬまで、一人世捨て人のように過ごす。まぁこれなんかも典型的な隠者・世捨て人のパターンで、形は違うけれ、昨日の映画のテーマと似ている。





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映画「イントゥ・ザ・ ワイルド」 - 2008.12.06(ポケットの窓から)






寂しい土曜の繁華街



はる 2727

 今年はいつもより喪中のハガキが多い気がする。これから年々増えてゆくのかな。年賀状も段々少なくしたいね。まぁほとんど会うことがないような遠方の人なら年に一度の年賀状も必要かもしれないけれど、いつもあっている人にお元気ですかもない。



 映画「イントゥ・ザ・ ワイルド」を観る。簡単に言えば60年代から70年代ころのカウンターカルチャー・ヒッピー文化の話だ。だからちょうど私が学生だった頃の話で、出てくる風物や本(ソロの「森の生活」)なんかも親近感のあるものばかりだった。



 何だかね、あの頃はやたらと放浪の真似事をする奴が多かった。学校が休みになる夏になると汚らしい浮浪者のような若者がバックパックを背負って色んな所を徘徊していた。あれも一種のブームだと思うのだけれど、社会全体がドロップアウトというのか反体制的なものに寛容だった気がするな。



 東洋には比較的そういった巡礼とか旅(死出の旅)に心情的に許してしまう下地があるけれど、アメリカのような新しい国の場合、今までが前向きな生き方だけだったのが、ちょっと後ろ向きもいいかなと言ったところかもしれない。今何故こんな映画が作られたのかなぁと考えると、まぁちょっとあの頃と似た雰囲気もあるのかな。



 主人公が大学を卒業して就職しないで放浪の旅に出るところから始まる。親父さんからの「車のプレゼント」を拒否する。貯金もカードも親からもらった物は何もかも捨ててしまう。まぁここで私はフランチェスコを思い出した。



 いつの時代もそうなんだ。一つの生き方として前の世代の、要するに親父の財産を引き継ぐかたちで世の中を渡ってゆく。今の世襲議員なんかもそうだけれど、考え方によれば、親が作ってきた「金、看板、コネ」をそっくり引き継ぐ訳だから効率がいい生き方であるわけだ。普通考えれば誰もそちらの方を選ぶ。



 もう一方は、そういったものを全て否定して、自分の持っているものだけで世の中を渡って行こうとする生き方。こちらの方は元々何もないわけだから、貧しいし、蓄えも、コネもない。一歩間違えばただの浮浪者になる可能性もあるわけだ。まぁ反体制を気取っていた若者も最後にはやっぱり普通の体制側に戻っていった人も多かったんだけれどね。



 私などはどちらかと言えば後者の生き方の心情的に賛成の方だから、この映画を観ても何の違和感もない。反対に当たり前すぎて感動もないな。「青年は荒野をめざす」というフォークソングがあったけれど、「オジサンは今も荒野にいる」なんて洒落にならないか。



 まぁ親との争い。特に同性の親との争いがテーマかな。



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こたえてください - 2008.12.05(ポケットの窓から)






2008 画集

 画集の見本が出来てきた。(今年の個展のカタログも兼ねている)

 

 今日、昨日と文章や画像の校正をする。まぁ画集というほど立派なものでもないし、作品の数(39点)もそれほど多くない。過去の大きい作品20点に今年の小品19点という内訳。それでも初めて自分の作品が本になるということで嬉しい。ニマニマとしてしまう。



 色んな作家が自分の画集を出版している。無論作家の自費出版と大手の出版社が出すものとは自ずから違うもので、ほとんどの場合、自費出版本は右から左に消えてしまう運命にある。作家の自己満足でしかない。まぁそれでもやっぱり自分の作品をまとめたものを「かたちあるもの」にしたいという気持ちは止められないな。



 簡単なものだけど、私の作品の過去から現在に至る流れを見ることができる。普段ブログで色々自分のことを語っているので今さら新しい事も無いのだけれど、今回あらためて自分の作品をふり返ってみると、まぁ面白い発見もあった。誰も皆突然今のスタイルになった訳ではない。それなりの必然があって今のスタイルに変わっていったわけで、因果応報というのかこんな所にも自然の原則は生きている。



 芸事というのは面白いもので、必ず自分の生き様が出てくる。反対にどんなに上手であっても生き様の出てこないものは職人仕事みたいなもので、面白みの欠けるものになってしまう。表現のスタイルというのかステージの変化は決してゆるやかにはやってこない。日々努力していると突然開眼する。分からなかったものが突然理解できるといった感じかな。



 絵でも同じで、スタイルの変化を見ると案外変わるときには突然全く変わる。で徐々にまた昔のスタイル取り込んで穏健な感じに変化する。まぁ消化した、自分のものにしたということかな。で、それでも変わらないものというのがあるわけで、それが私という人間の核じゃないかと思う。たぶんねぇ、その核を形作っているものは私のという範ちゅうを越えたものじゃないかな。人類とか生命のといった。



 眠くなった。また。

 



 



 



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12/4 - 2008.12.04(ポケットの窓から)





 今日はパスします。



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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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