あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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- 2008.10.31(ポケットの窓から)


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試しています - 2008.10.31(ポケットの窓から)

 

 真中に入りませんね。どうしたもんでしょうかね。


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試し - 2008.10.31(作品)

 相棒


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こんばんは。 - 2008.10.30(未選択)

 忍者版ブログ初めての投稿です。以下は寂しいので過去のコメントを転載しときます。



はる 2687

 イタリアに行く前と帰国後に何が変わったか?とよく言われる。どこか学校に入って絵を勉強したわけではない。大体絵の道具はスケッチに必要な携帯用の水彩道具しか持ってゆかなかった。



 せっかく外国に滞在しているのに学校に行って時間を取られるのはもったいない。考え方のちがいだけれどね。色々と見てまわる事、上手いものをたらふく食うこと、それで出来たらスケッチする事。自分に課したのはそれくらいだ。後は夫婦で旅行ばかりしていた。まぁちょっと長い休暇みたいなものか。



 行く前からひょっとすると油絵は描かなくなるかもしれないという予感があった。なぜなら画面の中に他の材料を持ち込みたくても油彩の場合、紙のコラージュぐらいが限界だったからだ。それからその頃に興味を持っていた作家が有元利夫でテンペラとかフレスコなど油彩以前の画材に興味をもっていたからだ。



 日本人である私が何故西欧の伝統である油彩画を描くのかという疑問が滞在中にどんどん大きくなってきて、帰ったら水性(ミクストメディア)に挑戦しようそればかり考えていた。








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2008/10/30 - 2008.10.30(ポケットの窓から)
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、 今日はお休みします。

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2008/10/29 - 2008.10.29(ポケットの窓から)
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こころのとびら - 2008.10.28(ポケットの窓から)
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                               こころのとびら

 疲れましたね。今日は一日パートのお仕事でした。


 どうにもならなかった100号の作品が何とかめぼしが着いた。これもまたいいか悪いか半年ぐらい経たないとわからないのだけれどね。画像はシャメで悪いけれど、とりあえずはこんな感じだ。


 フレンツェの花の大聖堂に「天国の門」という扉があり、頭の何処かにその響きが残っていた。それと話は飛んでしまうのだけれど、アフリカのドゴン族という部族の穀物倉庫の扉を銀座のカンカンで見たけれど、これがなかなかいい物だった。扉に何かしら動物の彫り物がしてあり濃い飴色の木は古代の鉄器のようだった。



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油絵は描かない - 2008.10.27(ポケットの窓から)
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、はる 2687
 イタリアに行く前と帰国後に何が変わったか?とよく言われる。どこか学校に入って絵を勉強したわけではない。大体絵の道具はスケッチに必要な携帯用の水彩道具しか持ってゆかなかった。

 せっかく外国に滞在しているのに学校に行って時間を取られるのはもったいない。考え方のちがいだけれどね。色々と見てまわる事、上手いものをたらふく食うこと、それで出来たらスケッチする事。自分に課したのはそれくらいだ。後は夫婦で旅行ばかりしていた。まぁちょっと長い休暇みたいなものか。

 行く前からひょっとすると油絵は描かなくなるかもしれないという予感があった。なぜなら画面の中に他の材料を持ち込みたくても油彩の場合、紙のコラージュぐらいが限界だったからだ。それからその頃に興味を持っていた作家が有元利夫でテンペラとかフレスコなど油彩以前の画材に興味をもっていたからだ。

 日本人である私が何故西欧の伝統である油彩画を描くのかという疑問が滞在中にどんどん大きくなってきて、帰ったら水性(ミクストメディア)に挑戦しようそればかり考えていた。



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○○スタイル - 2008.10.26(ポケットの窓から)
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、 はる 2686
 私が今のスタイルの絵になってから10年ほど経つ。それまではいわゆる油彩画を描いていた。機会があってイタリアに遊んで帰ってきて油彩画から離れた。まがりなりにも何年もやってきたことをスパッと切り捨てる、そんなことが人の転機にはままある。

 作家にはその人なりのスタイルというのがある。その形を生むために色々と努力するわけだ。最初は他人のスタイルを真似る。様式は意外に簡単に真似する事ができる。そりゃそうだろう、作家が生きてきた工程を経ないでうわべだけ真似する訳だから簡単な事だ。

 私は自分のスタイルをほとんど隠さないで公開している。だから真似しようとおもえばいくらでも可能だ。盗まれる、真似される事は全く怖くない。○○スタイルというのが一般に流布すれば反対に名誉かもしれない。

 本当はそこからが大変なのだ。だれのものでもない自分のスタイルを作ってゆくのは一生かけなければできない。



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アイディアは自分の中にある。 - 2008.10.25(ポケットの窓から)
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、 はる 2685
 小説家やシナリオライターなどもそうだと思うのだけれど、ネタを探しているうちは本物にはなれないのじゃないかな。

 誰でも一つだけ物語が書ける。それは自分自身を主人公に描けばいいわけで、面白いか否かは別にして真面目に自分の人生を追って行けば、一つの物語はできる。けれどプロになろうと思ったら、それではいけないわけで、何とか物語になりそうなネタを探す事になる。

 才能があれば取材して色んな材料を集める事で何本かの作品を物にする事は可能だ。だけども、ネタを探して書いて行くという手法には限界があるのじゃかな。どこかで自分の心を差し出さなければ一遍の詩も書けないようになるのじゃないか。有るものはいつかはなくなる。

 アイディアは自分の中にある。



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2008/10/24 - 2008.10.24(ポケットの窓から)
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「足跡」と「同行二人」 - 2008.10.23(ポケットの窓から)
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、 はる 2683
 聖書の逸話には詳しくはないのだけれど、時々なるほどなぁと感心することがある。絵の中に何かしらの物語が欲しいと思った時、どこかできいた聖書の話を自分なりにアレンジして絵にすることがある。

 それはあくまでも私の感じた聖書の話であって、もっといえばキリスト教という特定の教義の話でもない。仏教や道教、それから日本の土着の道祖神信仰とか、眉唾ものの陰陽師や占い師の教義が入っているかもしれない。それはそれで私の作り話だから面白いのじゃないか。

 日本は考え方によれば、シルクロードの東の最果て国であり、ありとあらゆる文明の流れ着く、ごった煮文化の国ということも出来る。いいか悪いかは別にして、これほど柔軟な発想といろんな国のいいところを吸収できるアメーバーのような国は他にないようなきがするな。

 それは一神教のイスラムやキリスト教とは大きく異なり、八百万の神がいて、争うことなく上手く住み分けているそんなところから来ているようにも思う。アラーの神のように生きるためには何が何でも自説を通そうとする、「争いの神」とは明らかに違う。

 まぁだからというわけでもないのだけれど、色んな物語を自分風にアレンジできる風土というのは反対に和風ということができないかな。

タイトルの意味は私のBBSをご覧下さい。



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裸婦クロッキー10/19-4 - 2008.10.22(裸婦クロッキー)

こちらに引っ越しました。

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はる 2682
 街のギャラリーなどでよく見かけるのが、綺麗な花やどこかで見たような西洋のお城だったり、若い綺麗なご婦人を描いた絵だ。絵を商品だとするならば、まぁ売れる絵がもっともいい商品ということになるのだろう。

 需要と供給の関係でいえば、そこで売られている商品が一番求められている商品であるわけだから、まぁ多くの人が絵画に何を求めているのかということが分かる。

 専門書店でない普通の街の本屋などでは、一番良く売れるベストセラー物がやはり店頭に並ぶ訳で、後は雑誌とかコミックが一番売れるのだろう。コンビニなどは売れないものはさっさと消えてしまう訳だから、今の商売では一番商品管理が徹底している業種ではないだろうか。だからあれはお店ではなく、親会社のただの出先機関だという人もいる。

 需要があるからそれにこたえようとする作家がいるわけで、まぁそれでなんとか生活できる絵描きがいるとすれば、まぁ満更悪いとも言えない。

 こんなことを書きたくて書き始めたわけじゃない。

 絵は個性的でなければいけない、と思っている人が多いでしょうな。だから大きな団体展などを見ればよく分かるんだけれど、みんながみんな「個性的な私」というのを主張している。

 個性的でない人間はちょっとでも他と違いを見せるために人と違った格好をしてみたり、派手な言動で人の注目を惹いたりする。若い人は特に自分というのがまだ良く分かっていないから、そうやって表面的な違いを「個性」と勘違いしている場合が多い。

 よくよく考えてみると、そうやって無理やり演出された「個性」というものはどこかに無理があるわけで、一生他と違うと言う事を主張し続けなくてはならにことになってしまう。それが本当に自分から出たものならそれもいいかもしれないが、段々に辛くなるような気がするな。


 ブログなどもそうだけれど、個性的な人目を引くネタを探して書いているようではいずれネタはつきてしまう。そんなブログは長続きしないようにおもうな。こういったどうでもいいようなことでも、書いていればそのうち自分の中から自然に書きたいものがでてくるわけで、探してでてくるわけではない。

 他と張り合うことを意識した個性などという物は偽物だ。人などどうでもいいのだな。自分自身であること、自分を知ることこれが全てだ。無理に個性的である必要はない。だれも私にはなれないのだから。



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裸婦クロッキー10/19-3 - 2008.10.21(裸婦クロッキー)

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はる 2681
 中学生の頃「発明家」になりたかった。そんな職業があるととも思わなかったけれど、物を作る、考えることが好きだというのを一つの形にすると発明家という言葉になった。

 絵描きになりたいと思っていたわけではない。絵を描く事がそれほど好きであったわけでもない。ただ何となく定職について嫌々ながら働きたくないそんなわがままから今の自分があるような気がする。

 アーチストといえば最近は若い音楽家を指すようだ。周りの人からミュージシャンなどとおだてられていい気持ちになっているようだけれど、語るべきものがない者はすぐさま行き詰まってしまう。そこからが本物になれるかどうかだな。

 表現者などはそんなにカッコいいものじゃない、どうにも世の中と上手くやって行けない落伍者がブツブツいってるたわごとのようなもので、ありがたがって聴くものではない。

 芸事のルーツは「あそびべ」などもそうだけれど、もともとは流れ者で非定住者であるところの神から選ばれし者の生業だった。人々から敬われる存在でも有り、疎まれる存在でもあったんだな。そんな長い長い歴史があるんだな。

 まぁそこのところはまた次にでもあ語ろう。眠くなった。


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裸婦クロッキー10/19-2 - 2008.10.20(裸婦クロッキー)



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裸婦クロッキー10/19-1 - 2008.10.19(裸婦クロッキー)

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作品の撮影 - 2008.10.18(ポケットの窓から)
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、 借りている倉庫

 我が家は狭いので、今まで描いた絵は違う場所に倉庫を借りて保管している。これはその一部です。分量的にはこの5倍はあります。小さく見えますが、手前の方は130号のパネルですから、壁のようにでかいものです。おおっぴらには言えないので内緒にしてますが、大家さんの好意で貸してもらっているのです。ありがたいことです。いずれは出て行かなくてはならないのですが、今は出来るだけ考えないようにしています。


 この場所はビルの三階にあたるので、光の具合がとても素晴らしく、さながら大きなスタジオという感じです。というわけで、ここにいる間に昔の作品の写真を撮っておくことにした。昨日から少し整理を始めたんだけれど、なにしろ学生の頃からの作品もなんでもかんでも取ってあるので、けっこうな量だ。これからもどんどん作品は増えて行くわけだから、適当なところで処分する必要があるだろうな。


 卒業制作がトータルナンバー5で始まっている。今、1100番台で小品を含んだ総数だから、当然全てがここにあるわけではない。大きい作品は150点ぐらいかな。キャンバスの頃の作品ははがして何枚かまとめて釘つけしてあるので、下のほうの作品は見ることが出来ない。体力のまだ残っている今の内に少なくとも代表作の撮影をしておきたい。


 写真として残ってはいる。それにWEB美術館のギャラリーのなかに資料として一応みることはできるのだけれど、実際の作品はこのあといつまでも残して置く訳にはいかないだろう。いずれは処分しなければならない。その時のためにも代表作は自分で選んでおきたい。


 昨日セレクトを始めて、大体30点ほどを選んだ。学生の頃の習作を含んだしぼりにしぼった30点だ。今年の新作を含めて個展までに小さな冊子にでもできればいいかなと思っている。


 撮影してくれたM氏に感謝。ありがとう。



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我が家の玄関のの様子 - 2008.10.17(ポケットの窓から)
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、 我が家の玄関のの様子です。


 十年程前、ここに引っ越してきた時は何もなかった、門柱の電灯も良く見れば自作で、塩ビ管のジョイントに拾ってきたシャンデリアの電球をねじ込んで、ペイントしたものだ。郵便ポストも拾ったもので、蓋が取れていたので屋根をつけてこれもまたペイントした。


 後ろのアイビーはジャングルのように繁茂してきた。門を入ったすぐ左手の金木犀が今盛んに小さな花びらを降り注いでいる。剪定しないのですくすくと伸び放題で7,8Mもある大木にそだってしまった。我が家の敷地に入ると夏でも少しひんやりとしている。いいのか悪いのか、こんな混沌とした雑木林が好きだ。お隣にはもうしわけないですが・・。



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気づかせること、そして待つ事 - 2008.10.16(今日のアトリエ)
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、Iさんへ

そうですね、手を出す事は一番手っ取り早いですが、効果は少ないですね。相手が見えていないことをいくら言っても、又元に戻ってしまうのです。

 気づかせること、そして待つ事。これが全てでしょう。なかなかできませんがね。

 しかし、非常勤の仕事も少し疲れてきました。後何年で来ますかね・・。ではまた。



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創造的な仕事に変えること - 2008.10.15(ポケットの窓から)
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、 はる 2675
 長年なんの不都合もなく淡々とノルマをこなしているように見えた人が、実はとんでもない使い込みをしていたなどというのが、新聞種になったりする。何億などという金額の使い込みが、よくそこまでばれなかったのか、不思議に思うけれど、案外灯台下暗しで見過ごしてしまうのかもしれない。

 官僚ばかりが悪いわけじゃないけれど、役人というのは仕事をしないなぁ。社会主義が色んなところで破綻してしまったのが、分かるような気がする。たとえば今も地方に行けばバブルの頃にぶったてた大きなホールがあるけれど、まともに使われている施設と言うのは少ないのじゃないか。

 で、中に入ってるレストランなり喫茶店などを利用してみればいい。どこかの学校の文化祭の模擬店以下のサービスしか受けられない。どんよりしたやる気のない雰囲気。店を開いているというだけで給料がもらえるわけだから、お客など来ないほうがいいわけだ。

 たとえば、事故米が必要量以上輸入されて消費されているというのが分かった時点でどこかおかしいとは思わなかったのか?工業用のりの生産だけでこれだけの事故米がどうして輸入されるのか、そこのところは考えなかったのかな。

 年金の問題もほとんどあきれ果てた役人根性だ。わが町にも水道料金を何年にもわたって徴収しなかった役人がいたけれど、そりゃそのまま仕事しないで給料もらえりゃ放って置くわな。

 まぁ自分だって、偉そうなことは言えない。そんな立場になれば同じような事をするかもしれない。あれが悪い、これが悪い、とやっていると事の本質を見失ってしまう。なんだろうな、こんなことと似ていないか。

 これをやれ!といってやらされる仕事というのはむやみと疲れる。疲れるもんだから、人の目を盗んで出来るだけサボろうとする。サボることに自分の能力を使う。人には色んな能力があるんだけれど、一番空しいのはそのことに能力を使う事だ。

 反対に自らやる気になった仕事というのは最大限に自分の能力を使う。出来るなら人というのはそうやって生きてゆきたいものだ。

 最初は小さな違いだと思う。反対にこうやれ!ああやれ!と言われた方が効率はいいんだ。目的が見えやすいし、ハッキリしている。けれど、そんなものは人間の能力は簡単にクリアーしてしまうのだ。そうなると極端に退屈する。そうすると、サボる、仕事をしないことに能力を使うということになるのだな。

 まぁ本質的に創造的でない管理的な仕事というのはこういったことに陥りやすい気がするなぁ。そういった仕事でもいかに創造的な仕事に変えてゆくかというのがとても大事なことだ。


 ちょっと違うけれど、教師の仕事もそんなもんだ。私は絵を教えようなどとは思っていない。絵など好きな奴が好きに描けばいいのだ。どんな奴でも持っている、ささやかなやる気に火をつけること。後は自然に燃えてくれるのを待つ。それだけでいいのだ。



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髪を切る - 2008.10.14(ポケットの窓から)
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、 いつも行く「ゴリラ」のマスター


俳優の緒形拳さんが亡くなった。別に知り合いでもないので身近な死というわけでもないのだが、何故かじんわりと心に来るものがあるなぁ。まぁいずれは人は死んで行く存在だから、仕方ないことなんだけれど、生き方が潔くてかっこよすぎ。

 選択肢として入院治療して少しばかり長生きするというのと、積極的な治療はしないで仕事をまっとうするというのがあったようだ。入院治療してしまうと仕事はもうほとんど期待できない。それに復帰してもまわりはそういった目で見るわけで、俳優としては死んでしまう。

 で、彼は最後まで俳優の仕事を優先した生き方を選んだ訳だ。先日最後のドラマをみたけれど、結構痛々しくて見てられないな。それも息子が癌を知って生き方を考えるというテーマのドラマだから、なんともはや私小説を見るようで臨場感がある。作者は知っていたのかなと勘ぐってしまうな。

 いい役者でした。合掌



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ねこじゃらし - 2008.10.13(ポケットの窓から)
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、はる 2673
 親や兄弟身内の話はほとんど意識して書かないようにしている。まぁ、書いてまずい事もないとは思うけれど、嫌な思いをするひともいるかもしれないのでね。でもちょっとだけ書きましょうか。私は五人兄弟という話はどこかに書いたかなぁ。今時ではほとんどありえないような子沢山家族で、昔は何だか気恥ずかしい思いをしたものだ。

 親父が59歳で亡くなったというのがあって、兄弟が還暦を迎えると兄弟が集まってお祝いする事になっている。これもどこかでかいたかな。で、いよいよ上の兄貴が来年還暦ということで、私が今回幹事をする。

 どこで集まるか?ということが今までも結構問題になる。温泉宿に泊まったり、ちょっと高級なホテルに泊まったり、まぁ結局何処でもいいわけで、みんなが元気で集まれればいいわけだからね。で、ちょうど親父の法事もやっちまう。

 大体が関西出身なもので、半分は関西に今も住んでいる。私達と上の兄貴達だけが関東圏に住んでいるので、まぁ時間があえば何かのおりに一緒にできるのが都合が言い訳だ。そんなことで色々考えて来年の阪急デパートの個展の際に、親父の33回忌の法事と兄貴のお祝いと、私の個展と、まぁ親兄弟の大イベントが挙行されることになった。

 まぁどうなるんでしょうか。といっても楽しみなだけですがね。



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「ものを見るものさし」 - 2008.10.12(ポケットの窓から)
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、 はる 2672
 「一本の線9」
 これもまた徒然に書いて行きます。

 何処かのメルマガに「表現と技術」といったタイトルでコラムが載っていた。いつも私も考えているようなことが書かれていたので、参考になった。

 私が描いている絵とデッサンに共通性があるのかといえば、ほとんどない。デッサンをして下書きをして絵の構想を練るといった描き方をしていないということもあるけれど、リアルな再現描写的な絵を描きたいと思わないからだ。

 綺麗な風景や人物をそっくりそのまま描いたとしても、写真より上手く描ける技術はないし、まぁもし仮にめちゃくちゃリアルに物が描ける技術があったとしても、機械と張り合って勝ったとしてもあまり意味もない。

 画家として他と競って行く場合、「上手い」というのは一番もろい持ち駒だと思う。「上手い」奴というのはいくらでもいる。それこそ星の数ほどいる。他と比べた場合、そこのところで優劣を競い合うのは大学の入試までだろう。

 再現描写的な技術というのは大体一年か二年で習得できる。無論程度の差はあるのだけれど、絵を描くのが好きであればそこそこ描けるようになる。

 問題はそこからだな、大体がそこで絵を描くモチベーションを失ってしまうんだな。


 絵は下手くそな方が長続きするし面白い。下手くそというのはどこかに欠陥があるわけだ。その欠けているぶぶんというのが、その人の大事な「個性」になりうるんだな。だから大いに下手くそな方が、多くの宝物を(まだ光っていないけれど)持っているということになる。


 絵を描くというのは描く事で「自分を探っている」ことだ。なぜ絵に惹かれるのか、こんな風景に魅力を感じるのか、それを絵を描くという事で探りだしている過程だな。まぁこれは絵だけじゃない。「表現」そのものがそういったことの繰り返しで深まって行くのだな。


 では、基礎的な描写やデッサンは必要ないか?といえばそうではない。私の場合描写の技術というのはほとんど役には立っていない。そこそこの技術しか持ち合わせていない。けれどそこから得た「ほんものを見る目」「ものを見るものさし」は他の方法ではなかなか得られないものだ。


 眠いので続きは又だな。



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2008/10/11 - 2008.10.11(ポケットの窓から)
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「花見酒」経済 - 2008.10.10(今日のアトリエ)
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、 はる 2670
 いよいよアメリカ発の金融不安が始まってしまった。銀行に預けているキャッシュを人々がいっせいに引き上げ始めるとバタバタと銀行が潰れる騒ぎになるだろう。これからどうなってしまうのだろう?という不安が更なる不安を呼ぶ。それで一種の集団的なパニック状態が恐慌だ。

 70年代のオイルショックもそうだったけれど、トイレットペーパーがなくなるというデマ情報で、いっせいにみんなが普段以上に買い占める。と、自然足らなくなるわなぁ。で、店頭から無くなってしまう状況が更なる不安を呼ぶというわけだ。これもまぁ、浅はかな集団真理というわけだけれど、ことお金のことになるとそう簡単ではないかな。

 株なんか素人だからなんとも言えないけれど、会社が潰れない限り、自分が買った以下の値段で売らなきゃ損しないのじゃないの?などとシロウトは考える。まぁトレーダーなんかは会社一つ一つには感心がないわけで、ただの数字で売買やっているわけだか、当然会社に愛着なんかないのだろうけれどね。

 株の売買などというのは、博打みたいなものでね、基本的には幻というのか、実態とは関係ない数字だけが一人歩きしているもので、冷静に考えるとおかしなものだ。

 日本の90年代の土地のバブルの時そう思ったんだけれど、この土地は100万といって誰かが「買った」といえばその土地は100万の値打ちが着いた事になる。で、買ったものはそれに幾らか上乗せして値をつけるわけだ。で、どんどん値が釣りあがってゆく。

 理論上はだれも損しないわけだ。次から次に売れて行けばね。ねずみ講みたいなものでね、生命保険もそんなとこあるけれど、理論上は誰も損しない。けれど実際は微妙はところで誰かがこういうんだ「これは裸の王様だ」で、一気に夢が破れる。バブルがしぼんで行く。で、もとの値段に戻るんだな。損をするのは一般の投資家というわけだ。

 それにしても、市場主義経済というのはおかしなシステムだわな。落語に「花見酒」というのがあって、八つぁん熊つぁんが樽に入った酒を売り歩くのだけれど、途中でお互いに酒を売り買いして、樽の酒を空っぽにしてしまう。完売したわけだから随分と儲かったと思ったら、最初の五銭だけだった。おかしいなぁ.。と言う話。

 こんな笑い話みたいなことを真剣にしかも大手を振ってやっているのがアメリカ経済なんだな。どこかおかしいよな。


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ある種の色気、通俗性も必要かな - 2008.10.09(ポケットの窓から)
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、 はる 2669
 絵というのは不思議だな。確かに上手い人はたくさんいるし、見るとうまいなぁと感心する。けれどそれだけではないものが絵には必要だ。なんだろう、ある種の色気かな。通俗性かな。生臭い欲みたいなものが、どこか透け見えるほうがかわいらしい。

 まぁそんなとこか。今日は眠たい。又明日。



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世界恐慌にならないことを祈ります。 - 2008.10.08(ポケットの窓から)
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、 はる 2668
 東京株式市場が千円近く値を下げたらしい。本当の事をいって株の事は何も知らない。けれどこれで大損をこうむったという人が大勢いるだろうことは予測がつく。

 アメリカが咳をすれば日本は風邪をひくという具合に今の経済社会はつながっているので、やがては日本にも大きく影響するだろうとは思っていたけどね。まぁこれが引き金になって世界恐慌にならないことを祈ります。

 でもねぇ日本がバブルがはじけてオロオロしている時にここぞとばかりに責めてきた欧米諸国なのに、こんな所で武士の情けみたいな手を差しのべるのが、日本のやり方だからなぁ。まったく人がいいというのか、お馬鹿というのか。

 さて、又明日。



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何もいらない - 2008.10.07(作品)

何もいらない

はる 2667
 「貴種流離」という話を前にどこかで書いた。もともと貧しい者がさらに落ちぶれて乞食になってもたいして面白くない。もともとは高貴な輩が落ちぶれて各地を放浪したりするから物語になる。こんな話は古今東西いたるところにある。

 「何もいらない」の話は元々はフランチェスコの物語から来ている。彼の親はよくあるように町の名士だった。だから彼もそのまま行けば当然親と同じような町の支配者層になってゆく境遇だったわけだ。

 まぁ嘘か本当か、よく分からないのだけれど、こういった物語がまことしやかに語られるということは、人間は昔からこういったものに憧れがあるということだろう。

 人は生まれたときは裸で死ぬときも裸で死んでゆく。「この世の出来事はこの世でつじつまが合うようになっている」ちょっとちがうけれど、まぁかたいことは抜きにして、そんなことか。

 人が動物から人間になったときに色んなことを得たけれどまた色んなものも失った。一つは本能という奴かな。動物なら本能に従っていればそう間違うこともなかった。食べたいときに食べたいだけ自由に食べればよかったのだけれど、人になって明日という日を知ってしまった。

 そのために蓄えて置くということをするようになった。そこで持つものと持たざるものの差がでてくる。

 「生きる」ということはすべて「欲」だ。無欲で生きるなどということは出来ない。個体維持と子孫を残すこと、これが欲の根幹をなすものだろう。

 ところがあえてそれを捨てる、自分が出来ないからそういった生き方をするものに高貴なものを感じるのかな。



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自分が欲しいと思ったものを描けばいい - 2008.10.06(ポケットの窓から)
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、はる 2666
 二週間お休みだったので、明日は久しぶりのパートタイムジョブということになる。こう仕事が不定期だからよけいに嫌なのかな。仕事の前日はどうも欝になる。もう25年も同じことを繰り返しているのに、今さら欝が晴れることはないだろうな。

 色々な要因があるのだろうけれど、もって生まれた性質というのが一番大きいだろうね。度胸のなさとか度量のなさ、優柔不断、無責任、そういったマイナスの要因を上手い具合に隠そう、あわよくば何事もなかったように済ませてしまおうというところから、破綻が起きる。まぁ今さらいっても仕方がないことなんだがね。

 今日は一日絵の前に座っていたけれど、結局何事もおきなかった。これから半年ぐらい達磨大師ではないけれど、壁に向かって瞑想する。何が出てくるか全く持って予想が着かない。上手く行かないかもしれない。でもまぁ、何とかなるのだろう・・。

 小さい作品は手のひらの中でゴロゴロ慈しんでいると、いつのまにかそれなりの作品が生まれてくる。自分が欲しいと思ったものを描けばいいわけだから、それほど苦労する事はない。けれどいつも大きな作品は苦労する。自然に生まれてくるというには無理があるんだな。どこかこじつけないと作品にはなってくれない。

 私の場合、大きな作品と小さな作品の質の違いはそんなところからくるように思う。

 なんとなく筆が進まない。というわけで、又明日。



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2008/10/05 - 2008.10.05(ポケットの窓から)
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