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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

裸婦クロッキー9/28-2 - 2008.09.30(裸婦クロッキー)

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はる 2687
 「一本の線7」
 例えばバリバリのアカデミックな訓練を経て、さて何を描こうかなと考えた場合、はたと困ってしまう。描くものがない。デジカメとパソコンのホトショップでほとんどが間に合ってしまうものなぁ。

 超リアルな絵を描くなら別だけれど、ほとんどそういったアカデミックな技術を発揮する場がない。リアルな絵でもこれだけパソコンが普及してしまうと、リアルになればなるほどパソコンから出力された絵に近づいてしまうという、ジレンマが起きている。

 自分の絵を考えた場合、クロッキーやデッサンはほとんど参考にならない。まぁそれは直接スケッチされたリアルな人物を描いていないというだけではない。反対に変にリアルに立体的に描写すると可笑しなものになってしまうものなぁ。そんなものだれも見たくはないだろう。

 絵を描くという技術の習得と表現者の間には大きな溝があるのではないかと思うねぇ。ただ単に上手い絵、綺麗な絵も必要だけれど、それだけじゃ表現者にはなれない。

 まぁ今の入試のシステムではそんな所は評価の対象にはならないのだろうけれど、美大や芸大が絵を描く職人を育てる専門学校なら今のシステムでもかまわないのだけれど、表現者を育てるというのであれば、もう少し違うシステムが必要だろうな。まぁいずれにしても学校というシステムで教えられるものじゃないのかもしれない。人生そのもので学んで行くものだからだ。

 じゃ何でクロッキーなどやって訓練をつんでいるのか?無駄ではないかといえば、そうでもない。無論面白い、楽しいということが一番なんだけれど、そう、前にも書いたけれど「この線が生きてる、必要な線だ」というのはこの訓練を経ないと分からないところがあるんだな。

 特に「この部分の全体の中で占める位置」みたいなものは、そう前に書いたアカデミックな訓練がとても助けになるんだな。これ以外にもその目を養う方法はいっぱいあるのだけれど、まぁ知っている限りはこの方法が一番手っ取り早い方法だ。

 ようするに「絵にする方法」なんだな。物が上手く綺麗に見たとおりに描けるかどうかより、要するにこれなんだ。

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裸婦クロッキー9/28-1 - 2008.09.29(裸婦クロッキー)

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はる 2686
 「一本の線6」
 私の場合でいうなら、はっきりと分ける事ができないのだが、どちらかと言えば「部分は全体の一部」という描き方だろうな。しかし、正統のアカデミック派からすれば、明らかに「部分派」に見えるだろう。

 描いている内にもややもすれば部分の描写に走っている自分を感じる。特に顔の表情はとても面白く、「全体派」からはこだわってはいけないと言われている、顔が上手くかければ安堵するようなところがある。だからまぁ、部分の描写にこだわる気持ちは充分にわかるつもりだ。

 それから、文学趣味のところもある。単に造形遊びだけでは満足しないところがあって、絵を描く動機の大部分はこの文学趣味のところから来ているように思う。まぁ「全体派」から言わせれば鼻持ちならない少女趣味ということになるかな。

 少しばかりアカデミックな教育を受けたために「全体派」の面白さも分かる気がする。反対にガチガチの彼らの悪い所もわかるのだな。まぁ何事もそうだけれど、一方がたに偏りすぎるのはよくない。私のようにほどほどのいい加減がちょうどいい。


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2008/09/28 - 2008.09.28(ポケットの窓から)
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裸婦クロッキー9/20-7 - 2008.09.27(裸婦クロッキー)

15s


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はる 2684
 「一本の線5」
 この間から考えてきた「一本の線」についての考察、まぁいつものように結論を導き出すようなことではないので、つらつらと考えながら書いて行きます。あしからず。

 私がクロッキーが面白いと思うのは、絵を描く原型というのか、最も原始的な絵を描く喜びがそこにはあるからだと思う。無心に何も考えないで、と言えば少し格好つけすぎなのだが、まぁそれに近い所がある。気持ちよく一本の線がひけたらそれはそれで一日気分がいい。

 ところで、話はもとに戻るのだが、絵の描き方にも二通りあるという件。最初の「部分の集まりが全体」という描き方は推測でしか書けないのだが、まぁ一般に絵が好きだという人はこちら側のひとのように思う。描いていれば他には何もいらないといった、没頭型。近視眼的に細部を徹底的に凝るタイプでもある。細かければ細かいほど評価が高くなる。全体像は終わって見なければ分からない。

 漫画とか写真とかそういった資料からイメージを膨らます。表面的に見えたものが全てであって、その立体的構造とか、見えない部分がどうなっているかなどという発想はない。シュール(超現実主義)とか文学趣味が多少入っている。

物のとらえ方が平面的である。と言えば非難がましく聞こえるけれど、我々日本人の伝統的な空間のとらえ方はこちらの方である。だからどちらかと言えば版画や文様、デザイン的なセンスは欧米人よりあるように思う。家紋など優れたデザインだものなぁ。

 今をときめくアニメーションとかフィギアなどもどちらかと言えばこちらの方だな。パソコンやケイタイがこれからの表現の主流だということを考えると、時代の軍配はどうやらこちらの方にあるきがする。

 一方の「部分は全体の一部」という描き方は、自然にそうなるのではない。明らかに何かしらの強い意識でもって訓練しなければそういった見方や描き方はできない。要するにいわゆる西欧的なアカデミックな描き方ということになる。

 「一本の線」の発想の元になっている言葉なのだが、絵を描く場合に常に画面全体を意識しているということだ。これは言葉で言うのは簡単なんだけれど、かなりの意識の訓練が必要だ。

 人の体というのは必ずバランスがとられるように出来ている。一方がたが出れば、もう一方が引っ込む、いつも全てがトータルに微妙な関係で成り立っている。何かしらの力が働かない限り一方かただけに集中することはない。

 体の右側のラインを引く時は必ず左の見えないラインを意識して引く事だ。そしてその線は頭の先から、足の先まで一本でつながっている。たとえ途中で切れたとしても、それは未完成ではない。左側のラインが意識された右側の線はそれ自体で自立して終っている。分かるかな・・。理屈だけれど、これは本質だ。

 「セザンヌの塗り残し」がなぜ凄いのかといえば、塗り残しが意識された空間で残されて自立しているからだ。全ての点がある一定のルールでもって自立している。このことが次にの抽象絵画運動へとつながって行く。

 続きはまた



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2008/09/26 - 2008.09.26(ポケットの窓から)
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裸婦クロッキー9/20-6 - 2008.09.26(裸婦クロッキー)

13s


12s



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裸婦クロッキー9/20-5 - 2008.09.25(裸婦クロッキー)

7s


11s

はる 2682
 昨日の続き
(全体の中の部分というのはなかなか意識されない。このことは物事の本質ではないかと思っている。

 絵を描く方法にも大きく分けて二通りあるように思う。一つは「部分の集まりが全体」という描き方。ちょうど編物のように兎に角どんどんと積み上げて行く。描いている時はその部分しか見ない。細部に徹底して凝る。これだとどれだけ大きな絵でも描く事ができる。

 もう一つは「部分は全体の中の一部」という描き方。例えば一本の線でもそれが全体の中でどれだけの位置を占めるかということを考えながら描く方法。これは物の見方、考え方と言っていいかもしれない。)

 そうどんなに上手く描けていても写真など一度平面になったものから作画した作品と直接物を見て描いた作品とは違って見える。まぁよく言われるのが平面から描いた絵には奥行きが感じられないとか、漫画的とかイラスト的などと否定的に言われる事が多い。

 私はどちらでもいいと思う。作画のスタイルの違いだけなような気がするからだ。そんな事を言えば下絵を作って描く日本画など全てイラストと言う事になる。

 私の場合はいわゆる「部分が全体の中の一部」という描き方に近い。だからある程度の大きさの絵しか描けないのだな。常に全体が見えていないと仕事にならない。アトリエの容量の関係で、今の大きさが限界だ。部分を描いてつなぎ合わせて大きな絵にするというのが難しい。

 この「部分が全体の中の一部」という考え方は、前にも書いた事があるけれど、例のフラクタルの法則に似ている。自己相似性というやつ。少しひつこいけれど蔵出しします。
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 はる 2470(蔵出し)
 ・・ということで話を戻そうか。どこまでいったのかな、「おおいなる意志」の話からだった。
 絵画というのは一見自由な空間に見えるけれど、これも自分の意識内にあってある種の宇宙の理の範囲の出来事なんだな。神がこの世界を作ったように今度は私が彼に代わって世界を作るというわけだ。
 まぁこれに似た話も幾度となくここに書いたから新しくもないけれどね。でその理というのはいったい何じゃということだな。口で言うのは簡単だけれど、じゃどんなもんじゃ説明してみろといわれると、はたと困ってしまう。それが上手く説明できれば私はノーベル賞でももらえるのじゃないだろうかね。
 ・・中略
 自分の将来の姿というのは今の自分の中にある、ということなんだな。見えないかもしれないけれど、未だ眠っているのかもしれないけれど、その多くの場合は今の自分の延長上に将来の私がいる。
 昨日の話とつながるのだけれど、一日というのは自分の一生に似ている。で自分の一生は人類の寿命に似ているし、地球の誕生から終わりまでだし、この宇宙の始まりから終わりまでと似ている。
 で、この話は例のフラクタルの法則に似ていないか。自己相似性というやつ。この法則、簡単に言えば「部分と全体が同じ理でできている」ということなんだな。
 今の統計学なんかもそれを使うんだけれど、そう例えば商品の抜き取り調査でも、全部を調べないでもある程度ランダムにそこそこの数量を調査すれば全体が推量できるというもの。これは全体は部分と同じ確立で出来ているということの応用だな。選挙の当確予想も似たようなものだ。
 で、話は少しずれてしまったけれど、その理論から推測すれば私は小さな宇宙の模型ということになる。
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 これはね、「一本の線を描く事」でも言える訳でね、全てが根底でつながっているということだな。

 まだもう少し書きたい。



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裸婦クロッキー9/20-4 - 2008.09.24(裸婦クロッキー)

9s


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はる 2681
 全体の中の部分というのはなかなか意識されない。このことは物事の本質ではないかと思っている。

 絵を描く方法にも大きく分けて二通りあるように思う。一つは「部分の集まりが全体」という描き方。ちょうど編物のように兎に角どんどんと積み上げて行く。描いている時はその部分しか見ない。細部に徹底して凝る。これだとどれだけ大きな絵でも描く事ができる。

 もう一つは「部分は全体の中の一部」という描き方。例えば一本の線でもそれが全体の中でどれだけの位置を占めるかということを考えながら描く方法。これは物の見方、考え方と言っていいかもしれない。


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裸婦クロッキー9/20-3 - 2008.09.23(裸婦クロッキー)

16s


8s

はる 2680
 ほとんどテレビも観ないのだけれど、旬のニュースというのは耳をふさいでいても何処からか入ってくるものだ。

 福岡の子殺しのニュースはショッキングだったな。最初にこのニュースを聞いた時に何となく犯人は母親ではないかと思った。特に理由があるわけではないのだがね。一番不思議なのはこの場合父親の姿が見えないことだな、母親が悪い、言語道断、畜生にも劣る、などなどいろんな雑音が聞こえるけれど、責任の一端は父親にもあるわけで誰もそこのところを声高に言わない。

 障害をもった子供たちを育てること、たった一人で負いきれない不安。この国はこと個人に対して寛容ではなくなった。それは自身に当てはめればすぐにわかるのだが、歳をとって体が自由にならなくなればすぐさま自身に降りかかってくることだ。

 相撲界のドタバタ。彼らは出稼ぎに来ている。勝つことが至上命令で、勝たなければ国に返される。野球の助っ人なんかもそうだけれど、結果が全てなんだな。そういった意味では本当の意味の勝負師かもしれない。

 相撲界の常識とか格式など知ったことか。外国人を相撲界に入れた時点で相撲は世界的な興行SUMOになったんだな。サーカスや芝居や見世物と変わりない。いつのまにか日本の国技などと言って格式や様式、体面ばかりを気にするようになったけれど、元々はそんなに高級なものじゃなかった。

 柔道の時と同じだけれど、格闘技として今のまま世界的な興行にして行くなら、外国人をどんどん確保するのはいいのだけれど、格式だ伝統だ神技だと勝負以外のものを持ち込むなら鎖国して、こじんまり日本人だけでやればいい。

 事故米を売ったとか買ったとか、誰が悪いこれが悪いと言っているけれど、これもまたそんな所に本質はない。犯人をつるし上げても第二、第三の仕掛け人が出てくる。問題はそんなことじゃないだろう。農業は国の柱じゃないか。食料を外国に頼るから今回のさわぎのようなことになる。何が何でも自国の民が飢えないだけの食料を自給しようという運動になぜならないのだろう。

 相変わらず、株価が上がった下がったで一喜一憂している。アメリカの大きな証券会社が倒産したらしい。一昔前の日本のバブルの崩壊を見るようだ。突き詰めれば市場経済は博打のようだ。パチンコ屋は何故あれだけ流行っているのだろう。誰もが儲かったらパチンコ屋はすぐに倒産してしまう。これだけ多くのパチンコ屋が存在するのは、考えてみればわかるけれど、胴元が儲かっているということだ。

 博打は人間の本性なんだろうな。一獲千金これが人を奮い立たせる魔性の響きがあるらしい。俗に「のむ、うつ、かう」っていうからなぁ・・。

 いいたいことはまだまだある。誰も聞いてはくれないか。



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彼岸花 - 2008.09.22(ポケットの窓から)
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、 はる 2679
 HPを開設して約9年になる。まだこういったウェブの世界の始まりの頃で、今では誰でもが簡単にブログ(簡単なHP)を開設することが出来るが、当時はそれなりの知識が必要だった。

 ブログもHPも見かけ上ほとんど変わりがないのだけれど、無料で借りているCMつきの簡易HPがブログで、有料でデザインから全て自分で作って運営してるのがHPかな。まぁ今ではHPと言えばブログのことを指すぐらい、こちらの方がメジャーになってしまったけれど、長い目でみればブログは間借りに過ぎない。いずれ消えてしまう運命にある。

 ライブドアなど象徴的だけれど、さっと出てきたと思えばスット消えてしまう。明日は分からない。こういった情報産業は買収や統合も早いのでいつのまにか名前が変わっているということも多々あるなぁ。

 電話も最初は日本電信電話公社だった。民営化になってあっという間に競争の渦にまきこまれてしまった。まぁそれはそれでいいところもあったけれどね。私も最初は日本テレコムを選んだんだけれど、色々とサービスがついているようだけれど、いつも明細が送られてくるけれど、実際の所どうなの?よく分からないなぁ。生命保険と同じでわざと分からないようにしてんじゃないの?と思ったりする。

 でまぁ話が飛んじゃったけど、続きは明日にでもするかな。

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裸婦クロッキー9/20-2 - 2008.09.22(裸婦クロッキー)

6s


5s



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裸婦クロッキー9/20-1 - 2008.09.21(裸婦クロッキー)

4s


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はる 2678
 協会のデッサン会が終了。こういった講習会というのはもちろん強制ではないのだが、本来会員の研修として始めたものだ。それを広く一般に公募して今年で10回目となる。

 しかし、結果的には会員はたった一名来ただけで、他はほとんど一般のオバサンやオジサンですな。この人たちは異常に熱心で頭が下がります。

 でもまぁ、デッサンというのか物を描写することの面白さというのは分かります。何も考えないでひたすらに対象に向かえばいいわけで、心も身体もへとへとになりますが、けっこう充実感があって快い疲労感が味わえます。

 好きでなければ、仕事以外にこれほど没頭した時間はなかなかもてない。そういった意味では幸せな時間の過ごし方ではないだろうか。

 絵を描くということは、本画でもデッサンでも、現れてきた上っ面は違うけれど、基本的には同じことなんだ。自分はこうみました、見えましたという自己報告みたいなところがあってね。はっきり言ってその確認行為が絵を書くということなんだな。

 見えた通り描いたというけれど、意識されないものは描けない。自分にないものは描けないのだ。

 一本の線でさえそうなんだな。無意識に引かれた線と、はっきり全体を意識された(一本の線)とは違う。また見る方も、そういった意識で見なければ、何も見ていないのと同じなんだ。ここのところが難しい。

 だから、絵を描く事も見ることも同じなんだな。描いた作者と同じ位置以上にいなければ、その線の面白さはわからない。絵を見ることは自分自身を見ること、確認することなんだ。

 今は割に簡単に自分を楽しませてくれるものが多い。例えばゲームとかパソコンなんかもそうだけれど、人に与えられたものの中で遊ばせてもらっているという感じがする。ある意味幻を相手にしているような、あなた任せの安定の不安定さがあるように思うな。

 よくは分からないのだけれど、昔ながらの芸とこういったところが違うのではないかと思うんだな。いいか悪いかわからないけれどね。まどろっこしいけれど、地道な自己確認というのかな。一筆一筆が自己確認の連続だから、だから逃げないというのか安心できる気がするんだな。

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2008/09/21 - 2008.09.21(ポケットの窓から)
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私の出番はありませんでした - 2008.09.20(ポケットの窓から)
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、 はる 2677
 台風はそれたらしい。計画通りにモデルさんが来て私の出番はありませんでした。ということで疲れた。



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台風の影響で雨になる - 2008.09.19(ポケットの窓から)
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、 はる 2676
 午後から台風の影響で雨になる。明日にかけて大雨になる予報、少し心配。なぜなら明日、あさってと美術協会の裸婦デッサン講習会があるからだ。

 ここはすぐに電車が不通になってしまう。東京からモデルさんをよぶのだが、最悪の場合午前中これないかもしれない。そうなると会員達が手分けしてモデルをするしかないか?勿論ヌードと言う訳にはいかないけれどねぇ。

 何度かモデルをした事があるけれど、同じポーズを5分10分するのはけっこう重労働なんだ。

 ということで、明日はどうなるのでしょうか。



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2008/09/18 - 2008.09.18(ポケットの窓から)
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「いつかみたところ」 - 2008.09.17(ポケットの窓から)
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、 はる 2674
 
2008 個展に寄せて(試案)

「いつかみたところ」

 むつかしいことはよく分からないのだが、宇宙の創生と私の誕生はどこかでつながっているらしい。たとえオオボラだとしても楽しいではないか。個をよく知ることは宇宙の真理を知ることでもある。

 さて、先日テレビを観ていたら車のCMでこんな事を言っていた。「今の貴方は選んできたあなたの総体だ」、なるほどそう考えると納得がいくことがある、今の私は「いつかみた私」でもあるわけだ。

 絵を描く面白さは、ぶっつけ本番の真剣勝負だと思っている。自分の心の中に浮かんだものが何なのか、具体的になってくるまで自分でもわからない。

 もうすでに分かっていることを描いても面白くない。それよりも私は何故それに引っかかりを感じたのか、「いつかの私」が何を見て、何を選んできたのか知りたいと思う。

 今年もそんなことを考えながら「いつかみたもの」を拾い集めてみました。ご高覧、ご批評よろしくお願い致します。



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年金特別便 - 2008.09.16(ポケットの窓から)
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、 はる 2646
 連日の出勤で疲れがたまってしまった。今日は午後のパートの仕事はお休みした。すんません。

 年金特別便というやつが私のところにも来た。私の仕事の履歴は全くいい加減なもので、数ヶ月単位で変わっているので記録もいい加減なものだ。

 で、随分と昔に社会保険庁から「貴方の年金記録についてお伺いしたい、返事がなければうやむやになるよ」というハガキがきた。私だけではないように思うのだが、随分と勝手な連絡だなと思った。こんなハガキ一本でどうこうなるシステムなのかと驚いた。

 忙しい人間ではなかったので、スゴスゴと出かけたんだけれど、普通に仕事している人間じゃこんなお知らせ一本じゃ出かけないよなと思ったものだ。まぁそのときに今までの記録を一括してまとめておいたので、今回の記録では修正する所は一箇所だけだった。私などほとんど免除してかけていないのだから、もらえる額も話にならないのだけれどね。

 お役所仕事と言われるけれど、全く今さら莫大なお金をかけて洗いなおさなくてはならないシステムだったなんて、全くお笑い以上だ。国がやっているシステムだから誰でも安心していただろうになぁ。

 三笠フーズのおっさんもそうだけど、これなんか氷山の一角だろうな。たとえば水俣とか薬害なんかより確信犯、分かっていて儲けのためにやったというのだから罪が重い。これだけの先進国でこんなことがまかり通ってしまうシステムというのはどうかしてるよ。


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個展楽日 - 2008.09.15(ポケットの窓から)
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、 はる 2645
 個展楽日

 長い会期の個展が無事終了した。ほぼ毎日会場に詰めていた。こういった個展は作品を見るということもあるけれど、作家に会いに来るという面があるように思う。話をして何かを感じてもらえれば嬉しい。


 この画廊での個展は当分ありません。どんなかたちなるか、五年後、又機会があったらやりましょう、ということで無事終りました。次は東京です。



覚え書き
 「末端にも本性」
 「永遠の回廊」
 「無限」
 「いつかきたところ」
 一生は一瞬の選択の連続である。その選択には無意識にその人の好みが出る。故に人は同じような場面に何度も遭遇する。



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2008/09/15 - 2008.09.15(ポケットの窓から)
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個展8日目 - 2008.09.14(ポケットの窓から)
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、 はる 2644
 個展8日目
 いよいよ明日で個展が終了。けっこう天候にも恵まれてお客さんの入りも多かった。通常の個展と間違ってハーパーズ.ミルの方に出かけた方も多かったみたいだけれど、たまには河岸を変えて違う所でやるのも面白かった。又こういう機会があれば違う場所で展覧したい。

 閑話休題
 今年の個展のテーマを考えなければならない。昨年からの続きのような、もっと前から考えていることでもあるのだけれど、それを簡単な言葉で言いあらわすのが難しい。

 昨年のテーマの「永遠のかけら」も最初の頃と終わりの頃では微妙に変化してきた。始めはオリジンのところから出発して、どこにでもだれにでもあるもの、ということから始まった。ところが三回目の神戸の個展の頃には「どこにでもあるけれど、それは自分が選んできたものである」というふうに変わってきたように思う。

 でそれを踏まえて、「今の中に永遠が見える」というふうなことを言いたい。結局まぁ「永遠のかけら」というようなことなんだけれどね。また少し違った言い回しが出来ないだろうか。



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 個展7日目 - 2008.09.13(ポケットの窓から)
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、 はる 2643
 個展7日目
 あぁ疲れたなぁ・・。

 土曜日の7時過ぎ、普通なら一番にぎわっている頃である。駅前で飯でも食おうかということで出かけたんだが、これが飯屋さえない。ラーメンの屋台があったけれどどうも触手が動かない。ようやっと見つけた「お食事処」に入ったのだけれど、これが全くどうしようもない汚らしい食堂だった。入った途端に後悔した。

 まず出てきた水のグラスにネギがついていた。テレビがガンガン音を垂れ流していて、そこの家の娘か孫かしらないけれど、夢中になってみている。それはまぁ許されるとしても食堂に犬がいて、入ってくるお客にワンワンとほえている。私は犬好きだけれど、どうも見た目が汚らしくていけない。

 今時あんな食堂が駅前のメインストリートで堂々と営業できる県庁所在地はここしかない。全く持って県都の面目丸つぶれ。いったいこれからこの町はどうなって行くのだろうか。



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個展6日目 - 2008.09.12(ポケットの窓から)
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、 はる 2642
 個展6日目
 何だか忙しくて考える事もしていないのだけれど、時間ばかり過ぎて行く。いつのまにか今年も夏が過ぎて、夜になると虫の音がコロコロときこえる。

 今年の地元の通常の個展はキャンセルした。ゆえに今開催している挿絵の展覧会が終れば次は銀座の個展ということになる。まぁそういう意味では少し楽にはなった。年三回の個展を一応自分に課しているのだけれど、まだまだ絵だけでは自立できない。

 何気に絵を描いている時はあまり考えないのだけれど、少し立ち止まると「このまま何も浮かんでこなければどうなるんだ!」という不安にかられる。いつも細いロープの上の綱渡りのような微妙なバランスで成り立っている不安定な生活だ。

 冗談でいざとなったらセブンイレブンでバイトするから、などと言っているけれど、さてこんな歳になって雇ってくれるお店があるのかしらねぇ・・。肉体的な仕事はもう出来ないから、もうやっぱり死ぬまで絵を描いて生きてゆくしか道はないだろう。

 今日は何だか湿っぽい話になった。ここんところちょっと欝だな。


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ギャラリー惣「高橋 洋・新作木版画展」 - 2008.09.11(ポケットの窓から)
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、ギャラリー惣「高橋 洋・新作木版画展」

 2008 9/2~9/13


今日は野暮用で東京でした。



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2008/09/10 - 2008.09.10(ポケットの窓から)
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個展4日目 - 2008.09.09(ポケットの窓から)
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、 はる 2639
 個展4日目
 今日はパートの仕事のため会場にはほんの少し顔を出しただけ。明日はお休みですので間違って行かないように。


それにしても三笠フーズという会社はなんという会社だろう。はっきり言ってこれはオーム以来の無差別殺人テロではないか。水俣病とか、薬害エイズとか、それにしても政府の関係機関は何の疑いもなくのうのうと見過ごしてしまったのか!こういうことにならないように管理するのが政府の関係機関の仕事ではないのか。年金問題もそうだけれど、こうまで無能ぶりをさらけると、善良であるというのは明らかに犯罪だな。どうするんだろう。「すみませんでした」と頭を下げてすますのだろうか。どこまでも日本はお人よしだよな。



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個展3日目 - 2008.09.08(ポケットの窓から)
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、 はる 2638
 個展3日目
 とてもとても疲れました。明日は仕事で不在です。10日は休廊で11日も不在です。ということで次に在廊するのは12日(金)からです。なお画廊はオープンしていますので、お訪ねください。



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個展2日目 - 2008.09.07(ポケットの窓から)
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、 はる 2637
 個展2日目
 今日も午後から集中豪雨。一時雨と風が嵐のごとく吹き荒れる。又明日も朝から居ます。よろしく。ちょっと疲れてきました。

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個展1日目 - 2008.09.06(ポケットの窓から)
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、 はる 2636
 個展1日目
 まぁ疲れましたね。多くの仲間が来てくれました、ありがとう。夕方猛烈な雨。



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明日から個展です。 - 2008.09.05(ポケットの窓から)
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、 はる 2635
 明日から個展が始まる。今日は最終的なチェックに出かけた。同じサイズの絵がずらりと並んでいる。まぁ結構贅沢な展示かもしれないねぇ。お暇があれば是非見てください。9,10(お休み),11以外は在廊予定です。



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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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