はる 2630
ちょっと野暮用ができて4,5日と搬入が出来ないため、無理を言って今日搬入、飾り付けを行った。そういえば今週末から個展だった。
今まで多くの個展をやってきたけれど、挿絵だけの展覧会は初めての経験だ。作品が小さいのでどうかと危ぶんだけれど、これはこれでいいように思う。今までになく新鮮だ。
「絵を描くことは線をひくことだ」という命題があったけれど、案外この挿絵を見ればその事が分かる気がするなぁ。これは印刷される事を前提に描かれているわけで、ということはいつもゴテゴテの絵肌が無い。塗りこみも最小限度に押さえられている。
この絵の命は「線」なんだな。線が生きているかどうかが見せ所。まぁある意味嘘のつけない、丸ごと私の持ち味で、まぁ裸を晒しているようなものだ。
九月六日から、甲府ギャラリーイノセントです。お楽しみに。
はる 2629
汲美という画廊が日本橋にあった。昔は銀座にあったのだが、私が初めて出かけたときは、もう京橋に大きなスペースを借りて企画と貸しと両方やっていた。その画廊は二階にあったのだが、1階は現代美術では有名なギャラリーユマニテだった。
個展会場として少し大きなスペースが欲しかったものだから、惣のオーナーに紹介してもらって、2004年にその大きな貸しスペースで個展をやる事が決まっていた。ところが京橋の再開発とかでそのビルそのものが立ち退くことになって、残念ながら汲美での初個展は流れてしまった。
銀座には我々のような絵描きのタマゴをお客さんにする多くの画廊がある。みんな何かしらの夢を持って、あわよくば近い将来絵で一本立ちできればいいなぁ・・と儚い夢を追っている。
画廊にも色んな種類があり、大体は貸しスペース専門でお金さえ払えばだれでも個展が銀座の一等地で開けるというメリットがある。けれども貸しスペースで何度やっても画家にはなれない。なぜなら見に来てくれるお客さんは知り合いばかりだからだ。銀座でやったというキャリアにはなるけれど、内容を知っているものにとっては何ほどのものでもない。
そんな中で銀座には名の通った老舗の企画画廊がある。そこらあたりはあまりお呼びでないので良く知らないけれど、まぁ別格が日動画廊だろうか。ここで個展ができるようなら一応日本じゃ一流の作家として認められたということになっている。
後少し遅れて銀座フォルム画廊とか弥生画廊なんかがあった。弥生画廊は有元利夫で名を馳せたけど、バブルの後何処かへ行ってしまったな、まだ画廊はあるのだろうか。
そんな中で歴史はないけれど面白い作家を集めていた画廊の一つのが汲美だった。オーナーはイソラさんと言う。画廊が作家を公募して売り出すというようなこともやっていた。よく美術雑誌で個展の宣伝をしていたけれど、私がいいなぁとおもう作家が多かった。どんなコンセプトで作家を選んでいるのか分からなかったけれど、いいものはいい、という訳で無所属の作家が多かった。
その後、新たに日本橋で小さな画廊をオープンした。たまたま出かけた時に声をかけられて何人かのグループ展の企画に参加させてもらった。その時にMさんと初めて一緒になった。彼は汲美の秘蔵ッ子で、そういえばMさんを知ったのも汲美の展覧会案内だったような気がする。
しかし、その汲美のオーナーも一昨年、突然亡くなってしまった。作家以上に無頼派で酒飲みだったからなぁ。まぁぎりぎりだったけれど末席に入れてもらったということかな。
今度Mさんからグループ展をやらないかというお誘いを受けた。まぁ、無所属の絵描きとして憧れのそうそうたるメンバーで恐れ多いのだけれど、そうやってグルグルとまわってゆければいいのかなと思う。
基本的には作家は無所属である。画家として生きてゆくことと肩書きは関係ない。今度のグループはそういった作家魂のあるグループのように思えて、声がかかったことが嬉しい。
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絵描きといっても色々なタイプがあることは、ここで何度も書いている。普通一般に画家といえば高名な誰でも知っているようなピカソとかゴッホなどを思い浮かべるのだろうが、そういった歴史上の人物ではなく今現存している画家といえば誰を上げるのだろうか。
一般に作家といっても小説家などと違って画家は名前が知られていないなぁというのが実感だ。芥川賞や直木賞ばかりではなく他に色々な登竜門といわれるような賞があり、まぁ世の中に認知されやすいというところもある。
まぁこんなことを書きたかったわけじゃない。
絵を生業にして生活している作家など限られた数しかいない。普通はどこかの学校の先生か、カルチャーの講師か、自分で教室を持っている先生か、まぁいずれにしても「教える」ことを生業にしているセミプロがほとんどをしめる。というのも絵の需要がほとんどないからで、絵を描きたいと思う人は多くても、絵を買いたいと思う人は極一部だからだ。
もう少し違う事を書きたかったのだが、眠くなった。また。
はる 2621
オリンピックの女子のソフトボールの試合は感動したなぁ。特にピッチャーの上野投手の力投、そしてその謙虚な感想にも好感をもった。今年で最後というのがまた一段と花を添えた。前監督の宇津木さんの解説も感動で声にならなかった。思わずもらい泣きしてしまった。
基本的に彼女達はアマチュアである。まぁ企業の一員である場合もあるのだろうけれど、直接ソフトボールを飯の種にはしていない。その頑張りは純粋にメダルをかけた戦いなんだな。それはサッカーのなでしこジャパンにも言える。
俗に「命をかけた」というけれど、例えばプロの場合そこのところには重きを置いていないわけだ。どれだけオリンピックが国の名誉を賭けた戦いだと言ったとしても、たとえ負けたとしてもプライドは傷つくかもしれないが、明日からの飯の種には困らない。プロとはそれで飯を食っていることをいうので、オリンピックはあくまでも趣味の領域に入るのじゃないかな。プロにとっては金メダルは箔付けにはなるけれど、なくても自分の存在を脅かすものではない。
反対にアマチュアの彼女たちの場合、金メダルが全てであって今までも、これからも自分の人生全てを貫いた大きなウエートをしめるものだ。どうしても勝ちたい。
そういった気持ちはここぞという時に出てしまうものだ。その気持ちが男子野球には感じられなかった。どうしても勝ちたい勝つんだという気概が韓国に負けていた。反対に韓国選手には日本には負けないというオーラーが出ていたな。
今の日本の男子と女子の気概の差がそのまま出ていた試合だったね。
はる 2616
例えばクロッキー会に出かけて、目をカメラのレンズのようにして何も考えないで筆を走らしているとき、素晴らしい風景に出会って一心不乱に水彩の絵の具を置いている時、そこらあたりが一番絵を描いているという実感はある。
絵を描く事は線をひくことだ、というのが前回のテーマだったけれど、究極的なことをいえばその通りだと思う。クロッキーの場合で言えば上手い一本の線が気持ちよく引けたら、その日はそれだけで結構いい気分になる。
では私の作品は絵じゃないのか、お前は絵を描いていないのか、といわれるとはっきり言って上手く答えられない。一枚のクロッキーほどには絵を描いていない。
どちらかといえば工作に近いのかな。オブジェかな。
作家の作品の中で、一番絵がかかれているのは下絵とかドローイングじゃないかな。そこのところに作家の生の姿がある。だから本人の生の姿を見たいと思うならそこのところを見るべきだな。失敗やちゅうちょや、ためらいも含めて、一番面白いところかもしれない。
けれど、私はそこのところはあまり見せたくないのかな。よくはまだ理解していないのだけれど、「作品」という形にこだわっている気もする。努力の跡とか上手さとかそういった作為的な部分は出来る限り見せたくないとは思っている。
何でも見てください、隠しているところはないのですよという風に装いながら、一番本心を隠している確信犯かもしれない。
けれど隠しても出そうと思わなくても、おもわずごろんと出てしまったというのが本物かなとは思う。そんな作品を作りたい。
ポケットの窓から
どういったシステムでそうなるのか検討がつかなかった。私のブログの下のCMがほとんど毎回何だか嬉しいような広告が付く。知り合いの同じシステムを使っているブログをみると、牛の話にには上手い具合に「宮崎牛」のCMと「吉野家の牛丼」のCMが載っていて笑ってしまった。
ところで、私の昨日の「武道家のダンディズム」という固い話に「大人のための出会い系」だの「太もも画像」だの「動画系画像」などろくでもないCMがつく。誰かが見ていて故意に意地悪しているのかと勘ぐりたくもなる。しかしまぁ、こんなにローカルなブログに張り付いて意地悪しても仕方ない訳で、何か理由があるはずだ。
よくよく考えて「写メ」という言葉から連想でコンピュータが自動的に操作しているのではないかと気がついた。ということでテーマを「ポケットの窓」からとしたら、付いたCMが「ポケットティッシュの話」だった。
これでしばらくやってみよう。
↓ 付いたCM
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写メ
はる 2614
柔道男子の調子が悪い、とかまびすしい。確かに金メダルは今のところ一つしか取れていない。結果だけみれば、確かに柔道はお家芸のはずなのに、どうしたんだ!ということになるだろう。
しかしねぇ、そこのところはよく考えなければならない。考えてみたまえ、仮に柔道が全階級全てが日本の選手が制したとしたら、そんなものは世界の競技にはならないんだよ。それだけJUDOが世界中で愛好されるスポーツになったということだ。
今日中継で解説者が言っていたけれど、日本の柔道競技者は20万人でフランスは60万人だそうだ。まぁそれだけを考えても、日本が金を取らなければならないという考えはおかしいね。まして「責任問題で腹を切る」なんていうのは時代錯誤はなはだしい。お笑いだ。
それから、もう一つ。柔道という武道とスポーツとしてのJUDOは似ているけれど違うものだということだ。野球とベースボールが違うようにね。そこのところを勘違いすると、悲惨な事になる。
かといって柔道をJUDOに合わせる事はないわけで、武道としての柔道はそういう世界で正々堂々綺麗な「一本勝ち」の道を極めればいいことだ。礼に始まって礼に終る、そういった日本古来の武術が間違って世界のスポーツになってしまったけれど、武術家がスポーツの祭典に出かけて、反則やポイントで勝っても仕方ないだろう。
もし、金メダルだけが欲しいというなら、はっきり考え方を改めるべきだろう。柔道ではなくJUDOをすることだ。
ここから言う事は全く矛盾しているんだけれど、個人的にはあくまで日本選手は柔道をやって欲しいんだな。だからはっきり言って負けてもいいんだ。綺麗に正々堂々一本勝ちを狙う。それで反則負けで敗退するならそれでもいいのじゃないかな。痩せても枯れてもそれが武道家だ。それが、ダンディズムじゃないかな。変にせこく逃げ回って欲しくない。
写メ
はる 2613
今日も暑かった。
絵を描くというのはどういうことだろうか。ある作家のブログを読んでいると、「私は線をひく」というのがあった。ここのところは微妙なところでなかなか理解できないかもしれないが、絵を描くということは「線をひく」と言うことかもしれない。書なんかも同じことだ。
ものを見て絵を描く場合、まぁ鉛筆であれ、筆であれ、コンテであっても、木炭であっても、描くという行為は「線をひく」行為だということがわかる。塗り絵のように色を塗りつぶす場合でも、結局は「線をひく」ことだな。
でまぁ、私がやっていることは絵を描いてはいない。というのは「線をひく」ことをしていない。私の絵はどちらかといえば工作の部類に入るのかもしれないなぁ。物を具体的につくりあげている。それがある意味作品をつくることのように思うんだな。
眠いので上手くいえないかもしれないけれど、続きをかんがえてみる。
筆でもって絵を描く場合、まぁ究極的には水墨とか書に近いほうが、より絵を描いているように思う。描くという行為はそういうことなんだ。
とても眠くて続きは又今度。
写メ
はる 2611
どうもオリンピックが気になって仕方がない。まぁ下世話ですんませんね。
北島が平泳ぎ100Mで金メダルを取った。もう随分と前になるけれど、水泳は海に囲まれた日本のお家芸だった。ところがいつの間にやら世界のレベルから完全に水をあけられて、メダルなんか夢のまた夢になっていた。まぁ身体的なハンディもあったんだけれど、気分的に今の陸上競技みたいに、諦めが入っていたように思うな。
北島は前回のオリンピックで感動的な金を取った。「超気持ちいい~」って流行語にもなった。まぁけっして偶然ではなかったんだけれど、何の世界でも世の中出てくる奴は彗星のごとく出てくるもんだ。あっけらかんと、何の疑問も持たないでね。不遜にも自分が勝ったのは当然だ、と言わんばかりに。
ところが今回の優勝では感動で「何にも言えねぇ~」と涙を流していた。これってやっぱりすごく感動的だった。狙って意識して勝ち取るという事は並みの精神力では出来ないということだな。
若い時に、その勢いで優勝をかっさらってゆく。それもまたさっそうとしていていいものだ。けれど人を本当に感動させるのはもう一ひねりしなきゃならない。期待されて、スランプに陥って、そこからまた這い上がってくる。そんな人間ドラマがあって人はもっと感動するのだな。
今回の北島の涙は前回のメダルより感動した。おめでとう。
写メ
はる 2610
オリンピック柔道を見てしまった。そう元高校時代は柔道部だったからね。どうしても他人事ではいられなくなってしまう。
それにしてもサッカーのようなスポーツは日本人の血の中にないのかもしれないなぁ、あれはやっぱり狩人だと思う。狐やウサギなんかを集団で追い詰めて、ここだと思ったところでシュートする。絶妙のタイミングがあるわけで、我々のような農耕民族の集団主義ではどうにもならないところがあるのじゃないか。
足の長さとか筋肉のつき方云々もあるけれど、根本的な本能、DNAが違うのではないかと思うね。ここ十年や二十年では何ともならないだろう。
それに比べると、野球なんかは割と日本人に受け入れやすいところがあるようだ。王さんの一本足打法なんかも日本の古い剣法と精神的につながっているところがあるようだし、一球一球配球を読むといった駆け引きも我々の好む所だ。
戦う姿勢も何でもいいから勝てばいいといった勝ち方はあまり好まれない。綺麗に勝とか正々堂々みたいなどちらかと言えばドン臭い勝ち方がよしとされる。
写メ
はる 2609
昨日はオリンピックの開会式を少し遅れてみる。オリンピックの開会式は好きで、夏冬ほとんど毎回観ている。いままでで印象に残っている開会式はやっぱり東京オリンピックかな。アトラクションに何をやったのか全く覚えていないのだけれど、あの大選手団が整列して行進する姿はけっこう感動したものだ。
昨日の入場行進を最後まで飽きずに付き合ったけれど、どの国もばらばらで閉会式の行進のようだった。東京オリンピックの頃は全ての国がみんなきれいに整列して行進していた。だから閉会式のあのはしゃいだ、くだけた行進が感動的だったんだ。
それからファンファーレが耳に残っているなぁ。そういえば今回のオリンピックではファンファーレというのを聞かないなぁ。もう時代遅れなんだろうか。
「東京オリンピック行進曲」というのがあって、私が中学校の頃ブラスバンドを部活でやっていたということもあって、今でも鼻歌で口ずさむことが出来る。それを聞くとテレビのアナウンサーが興奮気味に日本選手団の入場行進の様子を実況していた場面を思い出す。
一致団結というのは国威発揚の政策として取られやすい。国がまだ充分民主化されていない状態だと、自然とそうなる。一番単純に分かりやすい政策だからだろうか。
今回の中国の選手団の入場行進を見て、随分くだけた行進だなぁというのが印象に残った。何人かは自由主義の国の人のようにビデオ撮影しながら、テレビに手を振ったりおどけて見せたりしていた。
けれどね。実はかの国がそれ程開けた国なのかなぁというのが疑問だな。つい最近まで天安門の民主化を装甲車で踏み潰した国だよ。だからあの姿は多分随分と練習した、演出された「自由な行進」だったのではないかな。そうでなければ反対に不自然だ。あれが今の真の姿だとするならば、一党独裁は近いうちに崩壊するだろう。
そうそう、パラフィンは出ました。心配かけました。
写メ
はる 2607
来年の阪急デパートの個展が少し早くなって1月の中頃になる可能性が出てきた。とすると11月、12月、1月と続けてわりと大きな個展という事になる。少し考えなければならない。
甲府の個展はもう20年ぐらい続けている。一番自由にやらせてもらえるし、遊びながら、楽しみながら、面白くやって来た。まぁ一番わがままが言える場所でもある。
九月に挿絵展もやるということで、通常の個展は今年一年お休みしようかと思っています。まぁ八月中に結論を出します。
全く関係ない話だが、和菓子の上に置いてあったパラフィンをお菓子と一緒に飲み込んでしまった。通常ならあまり心配ないのだが、私は胃が無いのでどうなんでしょ。ちょっと心配。
写メ
はる 2606
今日はある展覧会を見に出かけた。絵を描く人なら誰でも知っている展覧会で、安井賞展なきあとそれをカバーできる企画だと期待されていた展覧会だ。
考えてみると安井賞展も30回という中途半端なところで終了してしまった。「具象絵画の登竜門」「絵画部門の芥川賞」などとうたわれて、多くのスター作家を輩出してきた。まぁ良くも悪くも注目度はあったように思う。
その後色々な企画展やコンクールが出てきたけれど、安井賞に匹敵するコンクールはない。何よりもそれに出品したい、選ばれたいという欲求が作家にあったように思う。
いつの時代もそうなんだけれど、様々な若い才能は何とか世の中に出たい、認められたいと思っている。また世間の方もある種のスターを求めているわけで、それの一つの方法として公募がある。
歴史上の多くの芸術家や芸能家もそうやって世の中に出てきた。まぁ上手く機能している時は、それが一番効率よく新しい才能を見出すシステムではあったのだろう。
ところが長く続けているとどうしてもマンネリになる。それと一番いけないのが情実がはいってくることだ。いわゆる「地盤・看板・鞄」というやつだ。とくにこういった芸能の世界は「いいわるい」がはっきりと見えない。だからどうしてもこの「情実」が入り込んでくるんだなぁ。
「情実」が入り込んでくると、会そのものに活気がなくなる。選ばれた方も選んだ方もナーナーになって、お互いに切磋琢磨してしのぎを削ろうという気概がなくなってしまう。そりゃそうだろう、才能よりも世俗的な上手が評価されるわけだから、芸で競わなくなってしまうわなぁ。
「裸の王様」 そんなこと感じた展覧会でした。
写メ
はる 2605
昨日は久しぶりに停電になった。雷が落ちてどこかで送電が止まったらしい。停電と言えば昔台風といえば必ずロウソクとマッチを用意して待っていた。だいたい期待にたがわずよく停電したものだ。それに一度とまるとなかなか復旧しなかった。
今のように電化製品に囲まれた生活をしていた訳ではないので、停電しても明かりに困るだけで、家族で集まってトランプしたりマージャンしたりしていた。何だか牧歌的な雰囲気がするなぁ・・。
絵描きなどという前近代的な仕事をしていると、人目には超アナログな生活をしているように思われるけれど、まぁ私に限っていえばパソコンの仕事がかなり多い。まずはこのHPだろう。これの更新に一日30分はかかる。
次に例えば個展を開催するとすれば、DMの内容を考えたり、コメントを考えたりする。それから大事な住所録の更新もしなければならない。ある時から住所は全てラベル印刷にした。
キャプションを作ったり、出品リストや芳名帳をつくったり、やらなければならないことの多くはパソコンの中に雛型として入っている。全て自分で企画していたからそういった事務手続きはパソコンなしでは難しかっただろうな。
特に住所録の管理はとても重要だ。私のパソコンの中にはここ10年ぐらいに私の個展に来てくれたお客さんのデーターが全て入っている。何がなくなってもこれは私の宝物で、バックアップはかかせない。
最初に個展をやった時に困ったのはDMを出す所がないことだ。多くの人は、DMが出来上がった段階で満足してしまうんだな。印刷物になったことで、既成事実が出来てしまって、あとの事はどうでも良くなってしまう。
まぁそんこんなで、停電になると寝転がっているしかなかった。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館