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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

そういえば今週末から個展だ - 2008.08.31(ポケットの窓から)
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はる 2630
 ちょっと野暮用ができて4,5日と搬入が出来ないため、無理を言って今日搬入、飾り付けを行った。そういえば今週末から個展だった。

 今まで多くの個展をやってきたけれど、挿絵だけの展覧会は初めての経験だ。作品が小さいのでどうかと危ぶんだけれど、これはこれでいいように思う。今までになく新鮮だ。

 「絵を描くことは線をひくことだ」という命題があったけれど、案外この挿絵を見ればその事が分かる気がするなぁ。これは印刷される事を前提に描かれているわけで、ということはいつもゴテゴテの絵肌が無い。塗りこみも最小限度に押さえられている。

 この絵の命は「線」なんだな。線が生きているかどうかが見せ所。まぁある意味嘘のつけない、丸ごと私の持ち味で、まぁ裸を晒しているようなものだ。

 九月六日から、甲府ギャラリーイノセントです。お楽しみに。


詳しくはHPで確認してください。



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汲美という画廊があった。 - 2008.08.30(ポケットの窓から)
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はる 2629
 汲美という画廊が日本橋にあった。昔は銀座にあったのだが、私が初めて出かけたときは、もう京橋に大きなスペースを借りて企画と貸しと両方やっていた。その画廊は二階にあったのだが、1階は現代美術では有名なギャラリーユマニテだった。

 個展会場として少し大きなスペースが欲しかったものだから、惣のオーナーに紹介してもらって、2004年にその大きな貸しスペースで個展をやる事が決まっていた。ところが京橋の再開発とかでそのビルそのものが立ち退くことになって、残念ながら汲美での初個展は流れてしまった。

 銀座には我々のような絵描きのタマゴをお客さんにする多くの画廊がある。みんな何かしらの夢を持って、あわよくば近い将来絵で一本立ちできればいいなぁ・・と儚い夢を追っている。

 画廊にも色んな種類があり、大体は貸しスペース専門でお金さえ払えばだれでも個展が銀座の一等地で開けるというメリットがある。けれども貸しスペースで何度やっても画家にはなれない。なぜなら見に来てくれるお客さんは知り合いばかりだからだ。銀座でやったというキャリアにはなるけれど、内容を知っているものにとっては何ほどのものでもない。

 そんな中で銀座には名の通った老舗の企画画廊がある。そこらあたりはあまりお呼びでないので良く知らないけれど、まぁ別格が日動画廊だろうか。ここで個展ができるようなら一応日本じゃ一流の作家として認められたということになっている。

 後少し遅れて銀座フォルム画廊とか弥生画廊なんかがあった。弥生画廊は有元利夫で名を馳せたけど、バブルの後何処かへ行ってしまったな、まだ画廊はあるのだろうか。

 そんな中で歴史はないけれど面白い作家を集めていた画廊の一つのが汲美だった。オーナーはイソラさんと言う。画廊が作家を公募して売り出すというようなこともやっていた。よく美術雑誌で個展の宣伝をしていたけれど、私がいいなぁとおもう作家が多かった。どんなコンセプトで作家を選んでいるのか分からなかったけれど、いいものはいい、という訳で無所属の作家が多かった。

 その後、新たに日本橋で小さな画廊をオープンした。たまたま出かけた時に声をかけられて何人かのグループ展の企画に参加させてもらった。その時にMさんと初めて一緒になった。彼は汲美の秘蔵ッ子で、そういえばMさんを知ったのも汲美の展覧会案内だったような気がする。

 しかし、その汲美のオーナーも一昨年、突然亡くなってしまった。作家以上に無頼派で酒飲みだったからなぁ。まぁぎりぎりだったけれど末席に入れてもらったということかな。

 今度Mさんからグループ展をやらないかというお誘いを受けた。まぁ、無所属の絵描きとして憧れのそうそうたるメンバーで恐れ多いのだけれど、そうやってグルグルとまわってゆければいいのかなと思う。


基本的には作家は無所属である。画家として生きてゆくことと肩書きは関係ない。今度のグループはそういった作家魂のあるグループのように思えて、声がかかったことが嬉しい。




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2008/08/29 - 2008.08.29(ポケットの窓から)
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だめなら辞めてもいいや - 2008.08.28(ポケットの窓から)
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はる 2627
 何だろうなぁ、学生にとって先生というのはまぁ親みたいなもので、ある意味信頼している存在ではあるのだろうけれど、半面ものすごく煙たい存在なんだな。人は目を離すとついつい楽な方へなびいて行くもので、自ら克己して自分を律するなどという見上げた奴はほとんどいない。それを何とかうるさく、やいのやいの言ってやらせるのが我々の仕事といえばいえる。

 ただそのやらせ方の方法がどうやるのかが、その個人の能力というのか、才能というのか一様ではない。個々のやり方を見つけて行かなくてはならない。そこのところが面白いといえばいえる。

 前にも少し書いたけれど、強制的に高圧的にやらされた教育というのは一見したところ従順でよく管理されたように見えるけれど、本質的には何も変わっていないわけで、例えば力の弱い教師になるとすぐさま問題が噴出す。教育とは名ばかりでただ単に押さえ込んだだけだ。

 管理職などはそういった即効性のある、力のある教師が「いい教師」だとわりと浅はかに評価するようだけれど。確かに物凄く荒れてしまった学校なんかの場合、そういった教育も一時的には必要なところもあるけれど、本来の教育とは全く違うものだろう。

 理想を言うならば、生徒のやる気というのか、眠っている能力に火をつけるというのか、気付かせることなんだろう。それにはある意味信頼関が師弟間のキーワードになるのだろうけれど、どんな手を使ってもいいけれど、その先生なりの方法というのが必ずあるように思うな。

 内側から燃えたエネルギーというものは、なかなか強いもので、少々の雨風には耐えうる。そこまで生徒に火をつけてしまえば後は放っておいても自ら燃えてくれるものだ。どんな人間にもそういった小さな火種が少しずつ残ってはいるのだけれど、ややもすれば忙しいものだから、なおざりにしてしまって摘み取ってしまう。

 私は弱いものだからできるだけ自分を晒さないで、婉曲的に生徒を指導してきた。まぁそれでも何十年もやってきたから、それなりに上手くコントロールできる技を心得てはきた。

 そのままでも当然やれるのだろう。そのままやり過ごすのが無難かもしれないけれど、面白くないなぁ・・。全面的に自分を晒す事は痛いから、もう半分ぐらい生身を晒してもやれるのではないかな。どうだろう。成り行きに任せて楽しんじゃってもいいのじゃないか。だめなら辞めてもいいや。そんな風に思う。


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2008/08/27 - 2008.08.27(ポケットの窓から)
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 絵描きといっても色々なタイプがあることは、ここで何度も書いている。普通一般に画家といえば高名な誰でも知っているようなピカソとかゴッホなどを思い浮かべるのだろうが、そういった歴史上の人物ではなく今現存している画家といえば誰を上げるのだろうか。


 一般に作家といっても小説家などと違って画家は名前が知られていないなぁというのが実感だ。芥川賞や直木賞ばかりではなく他に色々な登竜門といわれるような賞があり、まぁ世の中に認知されやすいというところもある。


 まぁこんなことを書きたかったわけじゃない。


 絵を生業にして生活している作家など限られた数しかいない。普通はどこかの学校の先生か、カルチャーの講師か、自分で教室を持っている先生か、まぁいずれにしても「教える」ことを生業にしているセミプロがほとんどをしめる。というのも絵の需要がほとんどないからで、絵を描きたいと思う人は多くても、絵を買いたいと思う人は極一部だからだ。


 もう少し違う事を書きたかったのだが、眠くなった。また。



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裸婦クロッキー8/24-4 - 2008.08.27(裸婦クロッキー)

11s


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裸婦クロッキー8/24-3 - 2008.08.26(裸婦クロッキー)

6s


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はる 2625
 いつのまにか教師という仮面をつけることが当たり前になってきて、生身の自分を晒す事が怖くて仕方がない。多分そんな教師に接している生徒は退屈で仕方ないだろうと想像する。

 けれど、彼らにとってもある意味、教師らしい教師の方がやりやすいという一面もある。ある種のマニアルがあって、それに沿った馴れ合いというのか、お互いにそれらしく振舞う事で成立している関係じゃないかな。

 とんでもない、らしくない教師なんてやりにくくて仕方ないだろう。いつまでもどこまでも面倒みがよくて追いかけてくるとか、感情の起伏が激しいとか、やたらと熱血であるとか、そんな自分に酔っているとか・・。

 私はまぁいい加減だ。そのいい加減さをカムフラージュするために「生徒のために」という仮面をかぶる。それが何とも居心地が悪い。大義名分を吐くたびに、どこか自分の本心と違うズレを感じてしまう。どこかで無理が生じてしまうのかな。

 これからは出来るだけ仮面を付けないように、生身で勝負しようと決めた。それでだめなら辞めるだけだ。



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裸婦クロッキー8/24-2 - 2008.08.25(裸婦クロッキー)

3s


4s

はる 2624
 明日からパートの学校の仕事が始まる。というわけでかなり憂鬱。

夏休みに小品全てを仕上げるつもりであったが、なかなかそうもいかず、まだもう少しかかりそうだ。今年は甲府の通常の個展を取りやめにしたので、まぁ少しは時間的に余裕ができたきがするが、反対に一抹の寂しさもある。

 隣の親父さんが「今日はお休みですか?」と尋ねたので、とっさに「えぇ、学校が休みなもので」と言ってしまった。満更、嘘ではないのだけれど、「えぇ絵描きですから」と言えば、その後にかえってくるリアクションにまたまた四苦八苦しなければならない。

 若い頃は街中を歩いている時でさえ、学生でもない自分が昼間っからブラブラしているのは後ろめたさを感じた。ほとんど被害妄想だけれど、多くの人が私の事を白い目で見ているように感じた。それもまぁ、いつのまにか普通になって何も感じなくなったけれど、こういった時にとっさに適当な事言ってしまう。

 例えば職業を聞かれてもその時々に適当に答える習慣がついた。私という人間を良く知っている時には画家ですむのだが、一般のその他の人々の中では「学校の先生」という方を取らせてもらっている。田舎の場合その方が通りがいい場合が多い。絵描きなどただの風来坊みたいなものだからね。隣の住人が得たいの知れないフーテンじゃ不安だろうからね。

 まぁそのうちに色々説明しなくてもいいくらいの画家になればいいわけだ。



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裸婦クロッキー8/24-1 - 2008.08.25(裸婦クロッキー)

2s


1s



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2008/08/24 - 2008.08.24(ポケットの窓から)
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閑話休題 - 2008.08.23(今日のアトリエ)
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はる 2622
 やっぱりというのか予想通りというのか、野球はアメリカに負けてしまった。誰でもそうなんだが、一度落ちたモチベーションを復活するのは難しいね。特に今の男は甘やかされて育っているので、もういいやと投げてしまう、すこぶる諦めがはやい気がするな。

 それにしても韓国とキューバの決勝は9回の攻防しか見ていないけれど、充分に野球の面白さを堪能できた。身体的な能力は多分カリブの怪人たちの方が優れているのだろうけれど、精神的な野太さというのか、しぶとさというのか、かつて我々日本人にもあったであろう根性が感じられた。

 楽しかったオリンピックももう終わりだ。閉会式がまた結構感動的なんだな。どんな演出?を見せてくれるのだろうか。

 閑話休題

 何か書こうと思ったが眠くなったので、又明日。



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プロってなんじゃ。 - 2008.08.22(ポケットの窓から)
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はる 2621
 オリンピックの女子のソフトボールの試合は感動したなぁ。特にピッチャーの上野投手の力投、そしてその謙虚な感想にも好感をもった。今年で最後というのがまた一段と花を添えた。前監督の宇津木さんの解説も感動で声にならなかった。思わずもらい泣きしてしまった。

 基本的に彼女達はアマチュアである。まぁ企業の一員である場合もあるのだろうけれど、直接ソフトボールを飯の種にはしていない。その頑張りは純粋にメダルをかけた戦いなんだな。それはサッカーのなでしこジャパンにも言える。

 俗に「命をかけた」というけれど、例えばプロの場合そこのところには重きを置いていないわけだ。どれだけオリンピックが国の名誉を賭けた戦いだと言ったとしても、たとえ負けたとしてもプライドは傷つくかもしれないが、明日からの飯の種には困らない。プロとはそれで飯を食っていることをいうので、オリンピックはあくまでも趣味の領域に入るのじゃないかな。プロにとっては金メダルは箔付けにはなるけれど、なくても自分の存在を脅かすものではない。

 反対にアマチュアの彼女たちの場合、金メダルが全てであって今までも、これからも自分の人生全てを貫いた大きなウエートをしめるものだ。どうしても勝ちたい。

 そういった気持ちはここぞという時に出てしまうものだ。その気持ちが男子野球には感じられなかった。どうしても勝ちたい勝つんだという気概が韓国に負けていた。反対に韓国選手には日本には負けないというオーラーが出ていたな。


 今の日本の男子と女子の気概の差がそのまま出ていた試合だったね。



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ヘタレは芸人になるしかない - 2008.08.21(ポケットの窓から)
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はる 2620
 婦女子という言葉があるけれど、夫男子というのはないかな。戦後「女子大生亡国論」なる本がでて、このまま婦女子の教育を間違うととんでもないことになるぞと、エセ知識人がほざいていた。今女性のほうが輝いている。

 色んな場面で最近の男のだらしなさや、ヘタレが注目を集める。親子関係でダメが目立つのも男だな。まぁそれも元を正せば母親が息子を甘やかして、親父が子育てに参加しなかったそんなつけがまわって来たのかなと思う。

 戦争に負けて大きな価値の変換がおこった。今まで正しかったことが誤りで、間違っていたとおもっていたことが正しかった。そんな劇的な変化が戦争をはさんであったんだな。そりゃどうにもおかしくなるわな。

 文化的にはほぼアメリカに洗脳されてしまった。50年代のロカビリーやロックンロールが、田舎の盆踊りよりカッコいいと思うわけだから、ロックやジャズに憧れるわけだから、我々は気分的にはアメリカンなんだろう。

 結局遠い原因は戦争に負けたということになるのかな。戦後60年以上たったけれど、親の価値観と根底から覆した意識革命があったから。

 何だかよく分からん文章だけれど、言いたかったことは「男がだめになった分、女が良くなった」結局プラスマイナス0ということかな。それもまぁいいか。これからは少し女性にがんばってもらおう。

 兎に角今の男でいけてるのは、ダメが売りになる「お笑い芸人」ぐらいだ。


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自由自在 - 2008.08.20(ポケットの窓から)
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はる 2619
 いよいよ夏休みが終了に近づいた。長い休みが終わりに近くなると、いつも憂鬱な気分が襲ってくる。これは小学生の頃とまったく同じ気持ちで、いつまでたっても克服できない私の弱点だ。

 何が嫌なのか、多分こうだろうということは薄々分かっている。ならばそれを克服すればいいのに、グダグダと解決せずにここまでやって来てしまった。

 真面目に働くのが嫌なのか?と言われると、まったくそうなんだけれど、一概にそればかりではないからやっかいだ。基本的には正反対に真面目すぎるのだと思う。物事をきっちり過不足なくやろうとするところに大きな問題があるのだ。

 誰にも迷惑をかけないように、そして失敗しないように、とにかく不測の事態に陥らないように、なるべくなら人前で自分の度量の狭さが暴露されないように、恥じをかかにように、などと考えているから、不安になる。

 で、ここが非常に不幸なところなんだけれど、私の表情からはそんな風にまったく見えないところだ。不遜で傲慢に見える。もう一つひねると、矛盾しているけれど事実は非常に傲慢で不遜でもあるのだな。そこのところが微妙に錯綜している。自信満々だけど凄く弱気みたいな、相容れないものが並んでいる。人間とは何ともやっかいだ。

 ここに来てある程度分かってきた事は、不安の材料は自分の中にあるということだ。もっと砕いていうと、自分がつくったイメージに自らが傷ついているような、マッチポンプというのか自作自演の自虐行為に近いな。

 絵を描く場合に下絵を描いて完成作品を作ってゆくタイプの作画方法を卒業したように、成り行きに任せるというのか、その場その場で臨機応変に楽しむように生きること、それが言ってみれば解決策だろう。

 もっともっと自在に、あるがままというのか、どう生きても私自身には変わりはない。これもまた修行の一つかもしれんなぁ、そうやって変幻自在のアドリブのきく人間になりたいものだ。そんな絵を描きたいと思う。

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今年のハーパーズ・ミルの個展はお休みです。 - 2008.08.19(ポケットの窓から)
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はる 2618
 とりあえず今年の通常の個展はやらないことにした。まぁそれでも九月に挿絵の個展があるので、全く県内で発表しないというわけではない。

 ほぼ毎年20年ぐらい個展を開催してきたから、ちょっと休みます。まぁ待っている人もいないとは思いますが、今年の新作がどうしても見たいという奇特な方は12月の銀座の個展まで来てくださいな。

 ということでまた明日。



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残暑見舞い - 2008.08.18(ポケットの窓から)
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  残暑見舞い。暑いですね。

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良寛の書 - 2008.08.17(ポケットの窓から)
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はる 2617
 昨日の続き、考えながら書いてゆこう。ゆえに結論を導くものではない。

 水墨とか墨絵、水絵といわれるものは、一発勝負的なところがあって、ちゅうちょすれば滞った線がそのまま出る。こころの動きがもろにでるために、精神修行と結び付けられて、例えば禅画とか坊さんの書なんかと関連して語られることがある。

 剣豪の宮本武蔵は絵も描いていて、彼の絵はその剣と同様に、無駄なものが無く、研ぎ澄まされた精神性の高いものだ。まぁ私の個人的な感想でいうならば、あれだけ無駄の無い、張り詰めた日々が日常であるならば、まともの人なら精神に異常をきたしてしまうのではないかと思う。凄く作為的な上手さが感じられるのだけれど、やはりあれは剣豪の絵であって、あまり参考にはならないかな。

 画家ではないけれど良寛さんの書なんかはとても力が抜けていていい。武蔵なんかと対極にあるカタチのように思う。そんなに詳しくはないのだけれどね。まぁこんなことをいうと叱られるかもしれないけれど、良寛もかなりの悪筆なので親近感わく。

 現代の作家で言うならば須田剋太や松田正平なんかは字も絵も面白い。話がそれてきたな。元に戻そう。

 例えば日本画なんかの場合、下絵と本画というのは明らかに違って、下絵そのものは見せないというのが前提になっている。それは何だろうなぁ、本画というのはあくまでも目的があって、何処そこに飾るとか、収蔵されるお宝的な物としての価値があるのだろ。芸術家の苦悩がどうのこうのは見せるものではないんだな。

 でまぁ現代になって、見ていて面白いのはその作家の生き様であって作品そのものより、どちらかと言えば完成された作品よりもその途中の作家の生の姿が見たいんだという風に変わって来たんだと思うな。

 そんなところから、発展して作業そのものを見せてしまうインスタレーションやハプニング、パフォーマンスなんかが出てきた経緯は理解できる。作品よりも私そのものの考える事が作品だという訳だ。
 
 私がこういった造形物的な絵画にこだわるのは何故なんだろうなぁ。明らかに今までの絵とは違う範ちゅうにある。

 また横道にそれてきた、続きは又だな。
 


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思わずごろんとでてしまったもの - 2008.08.16(ポケットの窓から)
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はる 2616
 例えばクロッキー会に出かけて、目をカメラのレンズのようにして何も考えないで筆を走らしているとき、素晴らしい風景に出会って一心不乱に水彩の絵の具を置いている時、そこらあたりが一番絵を描いているという実感はある。

 絵を描く事は線をひくことだ、というのが前回のテーマだったけれど、究極的なことをいえばその通りだと思う。クロッキーの場合で言えば上手い一本の線が気持ちよく引けたら、その日はそれだけで結構いい気分になる。

 では私の作品は絵じゃないのか、お前は絵を描いていないのか、といわれるとはっきり言って上手く答えられない。一枚のクロッキーほどには絵を描いていない。

 どちらかといえば工作に近いのかな。オブジェかな。

 作家の作品の中で、一番絵がかかれているのは下絵とかドローイングじゃないかな。そこのところに作家の生の姿がある。だから本人の生の姿を見たいと思うならそこのところを見るべきだな。失敗やちゅうちょや、ためらいも含めて、一番面白いところかもしれない。

 けれど、私はそこのところはあまり見せたくないのかな。よくはまだ理解していないのだけれど、「作品」という形にこだわっている気もする。努力の跡とか上手さとかそういった作為的な部分は出来る限り見せたくないとは思っている。

 何でも見てください、隠しているところはないのですよという風に装いながら、一番本心を隠している確信犯かもしれない。


 けれど隠しても出そうと思わなくても、おもわずごろんと出てしまったというのが本物かなとは思う。そんな作品を作りたい。



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ポケットティッシュ - 2008.08.15(ポケットの窓から)
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ポケットの窓から

どういったシステムでそうなるのか検討がつかなかった。私のブログの下のCMがほとんど毎回何だか嬉しいような広告が付く。知り合いの同じシステムを使っているブログをみると、牛の話にには上手い具合に「宮崎牛」のCMと「吉野家の牛丼」のCMが載っていて笑ってしまった。


 ところで、私の昨日の「武道家のダンディズム」という固い話に「大人のための出会い系」だの「太もも画像」だの「動画系画像」などろくでもないCMがつく。誰かが見ていて故意に意地悪しているのかと勘ぐりたくもなる。しかしまぁ、こんなにローカルなブログに張り付いて意地悪しても仕方ない訳で、何か理由があるはずだ。


 よくよく考えて「写メ」という言葉から連想でコンピュータが自動的に操作しているのではないかと気がついた。ということでテーマを「ポケットの窓」からとしたら、付いたCMが「ポケットティッシュの話」だった。


 これでしばらくやってみよう。

↓ 付いたCM

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2008/08/15 - 2008.08.15(ポケットの窓から)
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武道家のダンディズム - 2008.08.14(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2614
 柔道男子の調子が悪い、とかまびすしい。確かに金メダルは今のところ一つしか取れていない。結果だけみれば、確かに柔道はお家芸のはずなのに、どうしたんだ!ということになるだろう。

 しかしねぇ、そこのところはよく考えなければならない。考えてみたまえ、仮に柔道が全階級全てが日本の選手が制したとしたら、そんなものは世界の競技にはならないんだよ。それだけJUDOが世界中で愛好されるスポーツになったということだ。

 今日中継で解説者が言っていたけれど、日本の柔道競技者は20万人でフランスは60万人だそうだ。まぁそれだけを考えても、日本が金を取らなければならないという考えはおかしいね。まして「責任問題で腹を切る」なんていうのは時代錯誤はなはだしい。お笑いだ。

 それから、もう一つ。柔道という武道とスポーツとしてのJUDOは似ているけれど違うものだということだ。野球とベースボールが違うようにね。そこのところを勘違いすると、悲惨な事になる。

 かといって柔道をJUDOに合わせる事はないわけで、武道としての柔道はそういう世界で正々堂々綺麗な「一本勝ち」の道を極めればいいことだ。礼に始まって礼に終る、そういった日本古来の武術が間違って世界のスポーツになってしまったけれど、武術家がスポーツの祭典に出かけて、反則やポイントで勝っても仕方ないだろう。

 もし、金メダルだけが欲しいというなら、はっきり考え方を改めるべきだろう。柔道ではなくJUDOをすることだ。

 ここから言う事は全く矛盾しているんだけれど、個人的にはあくまで日本選手は柔道をやって欲しいんだな。だからはっきり言って負けてもいいんだ。綺麗に正々堂々一本勝ちを狙う。それで反則負けで敗退するならそれでもいいのじゃないかな。痩せても枯れてもそれが武道家だ。それが、ダンディズムじゃないかな。変にせこく逃げ回って欲しくない。



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絵を描くということは「線をひく」こと - 2008.08.13(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2613
 今日も暑かった。

 絵を描くというのはどういうことだろうか。ある作家のブログを読んでいると、「私は線をひく」というのがあった。ここのところは微妙なところでなかなか理解できないかもしれないが、絵を描くということは「線をひく」と言うことかもしれない。書なんかも同じことだ。

 ものを見て絵を描く場合、まぁ鉛筆であれ、筆であれ、コンテであっても、木炭であっても、描くという行為は「線をひく」行為だということがわかる。塗り絵のように色を塗りつぶす場合でも、結局は「線をひく」ことだな。

 でまぁ、私がやっていることは絵を描いてはいない。というのは「線をひく」ことをしていない。私の絵はどちらかといえば工作の部類に入るのかもしれないなぁ。物を具体的につくりあげている。それがある意味作品をつくることのように思うんだな。

 眠いので上手くいえないかもしれないけれど、続きをかんがえてみる。

 筆でもって絵を描く場合、まぁ究極的には水墨とか書に近いほうが、より絵を描いているように思う。描くという行為はそういうことなんだ。

 とても眠くて続きは又今度。



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2008/08/12 - 2008.08.12(ポケットの窓から)
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写メ

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北島の金 - 2008.08.11(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2611
 どうもオリンピックが気になって仕方がない。まぁ下世話ですんませんね。

 北島が平泳ぎ100Mで金メダルを取った。もう随分と前になるけれど、水泳は海に囲まれた日本のお家芸だった。ところがいつの間にやら世界のレベルから完全に水をあけられて、メダルなんか夢のまた夢になっていた。まぁ身体的なハンディもあったんだけれど、気分的に今の陸上競技みたいに、諦めが入っていたように思うな。

 北島は前回のオリンピックで感動的な金を取った。「超気持ちいい~」って流行語にもなった。まぁけっして偶然ではなかったんだけれど、何の世界でも世の中出てくる奴は彗星のごとく出てくるもんだ。あっけらかんと、何の疑問も持たないでね。不遜にも自分が勝ったのは当然だ、と言わんばかりに。

 ところが今回の優勝では感動で「何にも言えねぇ~」と涙を流していた。これってやっぱりすごく感動的だった。狙って意識して勝ち取るという事は並みの精神力では出来ないということだな。

 若い時に、その勢いで優勝をかっさらってゆく。それもまたさっそうとしていていいものだ。けれど人を本当に感動させるのはもう一ひねりしなきゃならない。期待されて、スランプに陥って、そこからまた這い上がってくる。そんな人間ドラマがあって人はもっと感動するのだな。

 今回の北島の涙は前回のメダルより感動した。おめでとう。



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オリンピック柔道 - 2008.08.10(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2610
 オリンピック柔道を見てしまった。そう元高校時代は柔道部だったからね。どうしても他人事ではいられなくなってしまう。

 それにしてもサッカーのようなスポーツは日本人の血の中にないのかもしれないなぁ、あれはやっぱり狩人だと思う。狐やウサギなんかを集団で追い詰めて、ここだと思ったところでシュートする。絶妙のタイミングがあるわけで、我々のような農耕民族の集団主義ではどうにもならないところがあるのじゃないか。

 足の長さとか筋肉のつき方云々もあるけれど、根本的な本能、DNAが違うのではないかと思うね。ここ十年や二十年では何ともならないだろう。

 それに比べると、野球なんかは割と日本人に受け入れやすいところがあるようだ。王さんの一本足打法なんかも日本の古い剣法と精神的につながっているところがあるようだし、一球一球配球を読むといった駆け引きも我々の好む所だ。

 戦う姿勢も何でもいいから勝てばいいといった勝ち方はあまり好まれない。綺麗に勝とか正々堂々みたいなどちらかと言えばドン臭い勝ち方がよしとされる。



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入場行進を見て - 2008.08.09(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2609
 昨日はオリンピックの開会式を少し遅れてみる。オリンピックの開会式は好きで、夏冬ほとんど毎回観ている。いままでで印象に残っている開会式はやっぱり東京オリンピックかな。アトラクションに何をやったのか全く覚えていないのだけれど、あの大選手団が整列して行進する姿はけっこう感動したものだ。

 昨日の入場行進を最後まで飽きずに付き合ったけれど、どの国もばらばらで閉会式の行進のようだった。東京オリンピックの頃は全ての国がみんなきれいに整列して行進していた。だから閉会式のあのはしゃいだ、くだけた行進が感動的だったんだ。

 それからファンファーレが耳に残っているなぁ。そういえば今回のオリンピックではファンファーレというのを聞かないなぁ。もう時代遅れなんだろうか。

 「東京オリンピック行進曲」というのがあって、私が中学校の頃ブラスバンドを部活でやっていたということもあって、今でも鼻歌で口ずさむことが出来る。それを聞くとテレビのアナウンサーが興奮気味に日本選手団の入場行進の様子を実況していた場面を思い出す。

 一致団結というのは国威発揚の政策として取られやすい。国がまだ充分民主化されていない状態だと、自然とそうなる。一番単純に分かりやすい政策だからだろうか。

 今回の中国の選手団の入場行進を見て、随分くだけた行進だなぁというのが印象に残った。何人かは自由主義の国の人のようにビデオ撮影しながら、テレビに手を振ったりおどけて見せたりしていた。

 けれどね。実はかの国がそれ程開けた国なのかなぁというのが疑問だな。つい最近まで天安門の民主化を装甲車で踏み潰した国だよ。だからあの姿は多分随分と練習した、演出された「自由な行進」だったのではないかな。そうでなければ反対に不自然だ。あれが今の真の姿だとするならば、一党独裁は近いうちに崩壊するだろう。

 そうそう、パラフィンは出ました。心配かけました。



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2008/08/08 - 2008.08.08(ポケットの窓から)
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パラフィンを飲み込んでしまった - 2008.08.07(ポケットの窓から)
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はる 2607
 来年の阪急デパートの個展が少し早くなって1月の中頃になる可能性が出てきた。とすると11月、12月、1月と続けてわりと大きな個展という事になる。少し考えなければならない。

 甲府の個展はもう20年ぐらい続けている。一番自由にやらせてもらえるし、遊びながら、楽しみながら、面白くやって来た。まぁ一番わがままが言える場所でもある。

 九月に挿絵展もやるということで、通常の個展は今年一年お休みしようかと思っています。まぁ八月中に結論を出します。

 全く関係ない話だが、和菓子の上に置いてあったパラフィンをお菓子と一緒に飲み込んでしまった。通常ならあまり心配ないのだが、私は胃が無いのでどうなんでしょ。ちょっと心配。



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「裸の王様」 - 2008.08.06(ポケットの窓から)
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はる 2606
 今日はある展覧会を見に出かけた。絵を描く人なら誰でも知っている展覧会で、安井賞展なきあとそれをカバーできる企画だと期待されていた展覧会だ。

 考えてみると安井賞展も30回という中途半端なところで終了してしまった。「具象絵画の登竜門」「絵画部門の芥川賞」などとうたわれて、多くのスター作家を輩出してきた。まぁ良くも悪くも注目度はあったように思う。

 その後色々な企画展やコンクールが出てきたけれど、安井賞に匹敵するコンクールはない。何よりもそれに出品したい、選ばれたいという欲求が作家にあったように思う。

 いつの時代もそうなんだけれど、様々な若い才能は何とか世の中に出たい、認められたいと思っている。また世間の方もある種のスターを求めているわけで、それの一つの方法として公募がある。

 歴史上の多くの芸術家や芸能家もそうやって世の中に出てきた。まぁ上手く機能している時は、それが一番効率よく新しい才能を見出すシステムではあったのだろう。

 ところが長く続けているとどうしてもマンネリになる。それと一番いけないのが情実がはいってくることだ。いわゆる「地盤・看板・鞄」というやつだ。とくにこういった芸能の世界は「いいわるい」がはっきりと見えない。だからどうしてもこの「情実」が入り込んでくるんだなぁ。

 「情実」が入り込んでくると、会そのものに活気がなくなる。選ばれた方も選んだ方もナーナーになって、お互いに切磋琢磨してしのぎを削ろうという気概がなくなってしまう。そりゃそうだろう、才能よりも世俗的な上手が評価されるわけだから、芸で競わなくなってしまうわなぁ。

「裸の王様」 そんなこと感じた展覧会でした。



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寝転がっているしかなかった - 2008.08.05(今日のアトリエ)
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はる 2605
 昨日は久しぶりに停電になった。雷が落ちてどこかで送電が止まったらしい。停電と言えば昔台風といえば必ずロウソクとマッチを用意して待っていた。だいたい期待にたがわずよく停電したものだ。それに一度とまるとなかなか復旧しなかった。

 今のように電化製品に囲まれた生活をしていた訳ではないので、停電しても明かりに困るだけで、家族で集まってトランプしたりマージャンしたりしていた。何だか牧歌的な雰囲気がするなぁ・・。

 絵描きなどという前近代的な仕事をしていると、人目には超アナログな生活をしているように思われるけれど、まぁ私に限っていえばパソコンの仕事がかなり多い。まずはこのHPだろう。これの更新に一日30分はかかる。

 次に例えば個展を開催するとすれば、DMの内容を考えたり、コメントを考えたりする。それから大事な住所録の更新もしなければならない。ある時から住所は全てラベル印刷にした。

 キャプションを作ったり、出品リストや芳名帳をつくったり、やらなければならないことの多くはパソコンの中に雛型として入っている。全て自分で企画していたからそういった事務手続きはパソコンなしでは難しかっただろうな。

 特に住所録の管理はとても重要だ。私のパソコンの中にはここ10年ぐらいに私の個展に来てくれたお客さんのデーターが全て入っている。何がなくなってもこれは私の宝物で、バックアップはかかせない。

 最初に個展をやった時に困ったのはDMを出す所がないことだ。多くの人は、DMが出来上がった段階で満足してしまうんだな。印刷物になったことで、既成事実が出来てしまって、あとの事はどうでも良くなってしまう。

 まぁそんこんなで、停電になると寝転がっているしかなかった。



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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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