日曜美術館で画家・「野見山暁治」をやっていたので観る。絵を描く人は知らない人はいないぐらい有名な作家なんだけれど、一般のひとは知らないだろうなぁ。
学校を卒業してさて、自分はどんな絵を描いてゆこうかと思ったときに気になった作家の一人だ。ちょうど「アトリエ誌」が彼の特集をしていたこともあるけれど、具象絵画と抽象の狭間のような仕事で、単に物の描写に飽き足りないものを感じていた私はすぐさま真似をした覚えがある。
彼の最も印象に残っている言葉は「何が描きたいのか分からないから描いている」という禅問答のような話だ。今日のインタビューでも同じような事を語っていたけれど、まぁそれが一生続けていかれれば幸せな絵描きと言えるでしょう。
今回原宿?に新しい地下鉄の駅ができたそうで、それにあわせて彼の作品をステンドグラスにした工程を放送していたけれど、彼のインタビューも良かったけれどこの作品のタイトルがまた良かった。
「いつかまたあえる」
長生きして気がついたら周りに誰も知り合いがいなくなった。一人抜けまた一人抜けと本当に消えてゆくんだなと思った。寂しいということでもないのだけれど、人そのものよりもその気配みたいなものを描きたいと言ってたな。ものはいつか消える。そしてまた「いつかまたあえる」そんなことかな。
写メ
大阪の学生だった頃は、ほとんどアルバイトで食べていた。元々実家が神戸だったもので通えない距離ではなかったから、下宿するのは反対されていた。だから数人で一つの部屋を借りて私は管理人としてそこに住まわせてもらっていた。
だから常に何かしらのアルバイトをしていた。色んなバイトをしたな。ガソリンスタンドの店員、八百屋のした働き、ダイエーでも働いたことがある、変わったところでは灘の酒の一升瓶の入るケースを作るところ、ビルの掃除、証券会社、運送業、洋服の製造業、ジャズ喫茶の店員などなど。
でまぁバイトで可愛がられる方法なども自然に身につく。どこでも通用すると思うんだけれど、結局自分で仕事を見つけて動ける奴が好まれる。バイトだから言われる事だけやるという輩はどこにいってもダメなんじゃないかな。サボれるだけさぼるという奴もいたけれどね。
色んなオーナーにも会ったけれど、いいこと言う人もいたな。「バイトもいいけれど学生のうちしかできないこととやれ」とか、「ちゃんとしっかりした技術があれば、お金はなんとでもなる」とか。
アルバイトで学んだ事は多いけれど、結局バイトではだめだということだな。替わりはいくらでもいるし、何かあれば簡単にくびになってしまう。働いてもはたらいても食べて寝れば終わりだ。 ワーキングプアはよく分かる。
写メ
はる 2566
グッドウィルやパソナにしても出てきた頃は時代の先端をゆくカッコいい企業の一つだった。それがあっという間に凋落してしまった。まぁ考えてみれば分かりそうなものだ。
斡旋業というのは古くて新しい仕事でね、時代小説などでも口入屋などとして浪人の仕事の斡旋などをやっている。親父は因業な輩でよくよく嫌われている。なぜなら要するにピンはね業だからだ。
日雇い労働者のことをニコヨンなどという。子供の頃はまだニコヨンのおっさんという言葉が普通に通用してたな。普通は単純な肉体労働者のことを指していたけれど、正規の就職をしていない下働きの日雇い労働者のことを、やや見下してニコヨンとかヨイトマケのおっさん、おばはんといっていた気がする。
想像すると、季節労働者とか住所不定のからだ一つで渡り歩いているような単純肉体労働者は食べてゆくためには、そういった宿泊施設のあるハンバはありがたいわけで、食って寝るただそれだけで当座は充分だったわけだ。
神戸の造船所でアルバイトしていた時もこれは高校生だったけれどね、本来はやってはいけないんだけれど、朝早くどこかに並んで待っていると、親方に呼ばれて何人かが仕事にありついた。夕方造船所から出るときに現金が支払われるシステムで、若い我々にはありがたかった。
仕事の内容は、ドックに入った小山のようにでかい船の底に潜ってボロ布で油を吸い取るといった誰もやりたがらないような汚れしごとだったな。初めてだったから結構面白かったし、お金もよかったように思う。
ここで大事なことは、こういった仕事というのは無保険だし、何の保障も無い。一日一日の手間賃が払われるのだけれど、まぁ若いうち健康なうちは何の問題もない。雇う側も正規の社員を雇うより都合がいいわけだ。嫌ならいくらでも替わりがあるからね。
短期の契約社員などというのは都合のいいニコヨンと同じだな。使い捨て、いくらでも替わりがいる。企業にとってはまことにありがたい、願ってもない雇用形態だ。ニートとかワーキングプアまどと騒いでいるけれど、そんなものは最初っから分かっていたことだ。今頃気付くのはお坊ちゃま過ぎるね。
と言ってもこのシステムを大手を振って導入したのは世の政治家でありトップの方だから、責任は大きいなぁ。だまくらかしに手をかしたんだからな。
写メ
はる 2565
今日はグループ展の当番で一日美術館にいた。平日に美術館にいてもあまり人はこない。もっとも最近は休日でも似たりよったりかな。絵を描いている人は別にして、ほとんどの人がこういった表現されたものに何も期待していないのを感じる。
まぁ例えば明治や大正時代なら裸婦が描かれただけで大きなセンセーションを呼んだ。新聞や雑誌で面白おかしく書かれたたりしたわけだ。今絵でそういった話題になることもない。見る人もほとんど素通りだな。無視されている・・そんな感じかな。あってもなくてもいい、別に卑下しているわけでもないのだけれど、ちょっと寂しいねぇ。
自分達も悪いのだけれどね。世の中の人に声をかけるのを怠っているようなところがある。それに私達だけがアートをやっているんだ、高尚な事をやっているんだといった態度が匂うからなぁ・・。普通の人の生活感から離れてしまっているのかな。
「魂の仕事」ってきれいな言葉で好きなんだけれど、昔大江健三郎がどこかで語っていたからそれを盗んだんだけれど、世の中全体がこう「魂の仕事」にたいなものに敬意を払わなくなったのかな。
まぁ格好だけだったのか知れないけれど、例えばヒッピー全盛の頃はフォークなんかもそうだったけれど、東洋の哲人への憧れとか、思想家への尊敬とか、そういった雰囲気があったように思う。それがね、かっこよく思えたんだよなぁ。いまでもそんなものを多少ひきずってはいるのだけれどね。
なんだか取りとめも無い話だ。また。
写メ
はる 2564
2008 個展に寄せて
「永遠のかけら3」神戸 榎並和春
「自分探し」はもう言いふるされた言葉だ。けれど、何かを「表現」しようとした場合、いつでもそこに戻って来る。何をやっても自分というのは出てくるのだけれど、それを意識するか、しないかは大きな違いがある。
先日テレビを観ていたら車のCMでこんな事を言っていた。「今の貴方は選んできたあなたの総体だ」、なるほどそう考えると納得がいくことがある。
絵を描く面白さは、ぶっつけ本番の真剣勝負だと思っている。自分の心の中に浮かんだものが何なのか、具体的になってくるまで自分でもわからない。
もうすでに分かっていることを描いても面白くない。それよりも私は何故それに引っかかりを感じたのか、その「想い」の中味を知りたい。それを選んだ自分を知りたいと思うのだ。
今年もそんなことを考えながら「永遠のかけら」を拾い集めてみました。ご高覧、ご批評よろしくお願い致します。
榎並和春個展
~永遠のかけら3~
2008 7/24(木)~7/29(火)
ギャラリー ルポール
神戸市中央区加納町4-6-4 電話078-332-3751
写メ
はる 2562
ここの公募展があってその準備で少し忙しい。どこの団体も高齢化が進んで、若手が入ってこない。そのうちに老人倶楽部のようになるのじゃないかなどと危惧する。それに絵を描く人は女性ばかりでオジサンは何してるんだろう?
この間博物館に出かけた話は書いたけれど、そこに来た団体はお年よりばかりだった。まぁ昼真っから自由に歩けるのは年寄りとオバサンしかいないのだろうけれどね。まぁそれはそうなんだけれど、お酒飲んでねほろ酔いで見物するところじゃないからねぇ・・。
どうも我々は鑑賞するのが上手くないと思う。小さい頃からそういった教育を受けていない。まぁ興味がある人は別に放っておいてもいいわけだ。問題は興味が無い人にどう振り向かせるか?ということなんだろうけれど、これがまぁ至難のわざだね。
格好はジジババだけど、やってること言ってることは子供と変わらんね。恥ずかしくないか。格好がひねてる分始末が悪い。好きにならなくとも、興味がもてなくとも、少なく敬意を持って接する必要がある。誰かが真心を持って作った物にはそれなりの意味がある、価値がある。それが分からないようなら、来るべきではない。
神戸・個展DM
ご希望の方はメール でお知らせください。関西方面の方で一度来ていただいた方は、そのうちに届きますので少々お待ちくださいな。
はる 2559
子供の頃「明石の三吉」という、今から考えると乞食だったのか、浮浪者だったのかよくわからないけれど、確かに歩き方も奇妙だったし、まともに人と会話しているのも聞いたことが無い、そんな奇妙な男がいた。
不思議な事に彼は多くの人に可愛がられていて、何か芸をするわけでもないのに、家々をまわって残り物をもらったり、着る物をもらったりして何とか暮しているようだった。
彼の歩く姿がヒョコヒョコと面白かったので、子供たちが囃したてて真似をして歩いても、本人はまるで気にするようすも無く、かえってまわりの大人たちにたしなめられたりして、面白くなかった。
昨日の木食さんなどを見ていると、この国にはそういったある種の行者というのか、漂泊者みたいなもの、弱いもの、傷ついた者を暖かく見守るというのか、いずれは自分たちも向かうであろう旅の先人と見ているようなところがあったのではないかなぁ。深いところではある種の無常感であり、貧しかったけれどそういった者を許容するゆとりがあったのだろう。
能率とか効率だけを考えた、非常に高度な隙の無い社会ではどこかで人は疲れてしまうのではないかと思う。例えば人生の目的とか、意義とか、意味とかを真剣に考えればかんがえるほど、答えのない問いかけであり、その底なしの沼を覗いてしまうとなかなか抜け出す事ができない。
いつの時代も若者にとって社会はある種の抵抗勢力ではあったのだけれど、今ほど魅力の無い、人生をかけるべきものが見つけにくい時代は無かったように思う。確かにこの国は見かけ以上に病んでいる。
写メ 木食白道展 5/21~6/30 山梨県立博物館
はる 2558
朝起きて少し川沿いを歩く。昨日と違って比較的に過ごしやすい天気だった。いつも通る公園にはホームレスのアベックが所在無さげにタバコを吹かしたりしている。何となく監察されているようで歩きづらい。
朝飯を用意する。ほとんど朝はパンと紅茶、温野菜とサラダと果物。サラダはトマトと自家製のルッコラとバジルに塩とオリーブオイルだけ。これが結構はまる。かみさんは風呂の湯をつかって洗濯仕事。
メールをチェックして、仕事にかかる。今日は午前中は神戸のDMが昨日仕上がってきたので、雑誌社や新聞社に送りつける文章を考える。基本的には「永遠のかけら」の延長上にあるのだけれど、ほとんど変えてしまった。とりあえず10部ほど印刷してDMを同封して完了。取り上げてくれるかどうかは運任せ。
昼からは県立博物館の「木食白道展」を観に行く。前回の円空を見落としたので、これは見逃せない。県立博物館に行った事ありますか?ほとんど人がいません。広い空間に子供だましのようなオモチャが展示されていて、常設はなんだか鑑賞に耐えないしろものだ。
木食白道はよかった。ここの企画はいつもいいものをする。県内の道祖神や知らなかったこういった木食さんなどをやる。県立美術館が「ミレーの美術館」とかいって舶来志向なのに対して、こちらは土俗的なテーマが多い。まぁ上手く棲み分けているのかもしれないね。
木食修行というのは五穀と塩をたって、木の根や草の根などを食べて全国行脚するお坊さんらしい。木食の言葉は知っていたけれど、木を刻む修行をするひとを木食というのだとばかり思っていた。今から250年も前の話だからね。凄すぎる。
小さなポケットに入るくらいの仏さんがよかった。西欧にも手にもって歩く手持ちイコンみたいなものがあるけれど、人は何かしら心の拠り所としてこういった触覚を満足させるものが安心する。こんど作ってみようかな。
午後四時に散髪の予約を取る。長くなりすぎたので、少し切る。本屋によって例によって美術書を立ち読みする。美術手帳は私にはもうついて行けない。あんなんでいいのか!誰が欲しがるの?ちょっとオカシクナイ?
絵は描かなかった。
写メ
はる 2551
小説のなかの人物の話だけれど、作者以上に深い人物は描ききれないというふうなことが書かれていた。まぁそうだなぁ、どんなに破天荒な魅力的な人物を描いたとしても、それは作者の想像した空間を飛び出すことはないわけで、孫悟空のごとく仏さんの手のひらの上だったということだ。
多くの人物を個性的に描き分けたとしても、結局それぞれの人物は作家の違う面という訳で、どれだけ多くの引出しを持っているかということが、作家の力量ということになる。
誰でも一人は描ける、まぁたった一人の登場人物であったとしても鑑賞に耐える作品を描くことができるのも小説の面白いところで、作品のスケールの大きさがその質を分ける訳ではない。
それはそっくり絵画にもいえる事で、作者が見えないものものは描きようがない。モチーフに何を選んだのかから始まって、それで何を描こうとしたのか、すべて作者の手の内がにじみ出てくる。何も考えなかったということも作者の手の内だ。だから本当に怖い。馬鹿がばれる。まぁこの際、馬鹿も芸のうちと居直るしかない。
居直りといえばこんなこともある。作家というのは寡黙な方がそれらしく見える。かってな空想なんだけれど、芸術家は常人では計り切れない世界観を持っていて、だから寡黙なんだとね。
まぁそれはとても便利な空想なのであえてそれを否定するのは得策ではないのだけれどね。反対に私ごときはえせの芸人なのかもしれないけれどね。私から言わせれば、語れないような世界観など無いに等しい。仮に自分が表現者だというならば、どんな道具を使っても、言葉を使っても、それを語ることが出来なければ人には何も伝わらないのじゃないかな。無論絵でしか表現できないことも有るけれどね。
アイディアもイメージも技法やあるかないかのテクニックも、あるものみんな出してしまう。語ってしまう、みせてしまう。それで残るのが本物だろう。それで飽きられたら、枯れてしまったら、それまでだ。そこまでだ。自分本来の姿を晒してしまう。それが一番強いように思うんだけれど、どうだろうか?
写メ
「私のことを見て欲しい」これだけなんだろう。他の事はどうでもいいんだ。立派な親でなくても、尊敬できる親でなくとも、偉い親でなくとも、自分の事を見ていてくれればそれで全ては上手くいったんだろう。親への復しゅうか。何とも居たたまれない事件だな。
それから少し前に書いたことだけれど、派遣とか契約社員なんていうのは若者を体よく使い捨てるシステムだよ。まだよく世の中を知らない若い奴が、自由があるし拘束もされないから簡単に自分を切り売りするんだけれど、ながい目で観れば単純労働、日雇い労働は何のキャリアにもならない。若いうちはそこそこだけれど、年とってくれば切り捨てられるのが見えている。そこまで企業に責任はないからね。
パート、アルバイトといえば学生の感じだけれど、派遣とか契約といえばいっぱしの社会人の扱いだね。誰がそう決めたのか、いってみれば昔のニコヨン、日雇い労働者じゃないか。なんかごまかしだ。まぁだからといって無差別に人を殺してもいいという理由にはならないのだけれどね。これからこういった事件が多くなりそうだな。
写メ
はる 2549
粘菌の話4
神は自分に似せて人を創ったという物語があるけれど、姿かたちではなく、こういった思考をする頭脳というのは似ているのかもしれないなぁ。
考えてみればこの宇宙の始まりから終わりまでの物語のかけらがこの頭脳のなかに存在するわけだから、宇宙の遺伝子としての役割もあるのかもしれない。
人の存在というのは考えてみれば不思議なものだ。まぁいずれ人類はこの世から無くなって行くんだろう。まぁ気候が変わったりオゾン層が破れたりして、やがては生物そのものも存在できない環境になるかもしれない。いや遠い将来必ずそんな時が来る。
そうなった時に、この地球上にたまたま人類がいただけなのかな。何か少し違うのじゃないかな。確かなことはいえないのだけれどね。
写メ
はる 2548
「粘菌の話3」
まぁよく分からないんだけれど。森羅万象全ての事が原因があって結果がある。何かこう全く偶然に、たまたま出来てしまったというふうなことは無いんだよね。
と考えると、生命が生まれたというのにも何かしらの役割というのか、意義というのか、使命というのか、があるように思うんだな。それで無ければこうやって思考する人がうまれた理由がない。
まぁここからは全く幼稚な作り事なんだけれど、例えば人類が生まれなかったら、この宇宙の存在そのものをこうやって考える人もいなかったわけだ。そうするとビッグバンから始まってやがてはこの世界は終末を迎えて終わってしまう。悲しくも嬉しくも無いただ単に事実があるだけだ。
本当はそれで終わるはずだったんだな。終わったらどうなるか?といえば、また新たな宇宙が始まってそしてやがては終わる。世界というのはそんな事の繰り返しでできているんだな。何回も今の宇宙が始まる前もそんな事を繰り返してきたんだと思う。
で、ちょっと飽きたんだな。誰かに考えてもらいたかったんだな。「大いなるもの」の存在をどこかで考えて欲しかったんだ。だとすれば、「思考する生命」が生まれた理由がわかる。納得がいく。
写メ
第18回スクエア展
2008 6/21~6/27 23休み
山梨県立美術館県民ギャラリーB
甲府市貢川1-4-27
はる 2547
「粘菌の話2」
単細胞生物というのか多細胞の植物なんかでもそうだけれど、長い時間を短縮してみれば明らかに動物的な動き方をしている。葡萄のツルなどを監察すると確かに何かしらの意志をもって巻きついているように見える。
単細胞の粘菌の話に戻れば、例えば一つ一つは何の意志も志向ももたない。何も意志をもたないものをいくらたくさん集めても、普通単に数が多くなるだけなんだけれど、不思議な事に粘菌に限ってどこからか何かしらの志向?意志?が生まれる。
生命発生のメカニズムはいまだ解明されていないけれど、たぶんこう大地や大気に含まれていた様々な元素が雨になって海に注ぎ、岩のくぼみみたいな所によどんで、次第に濃厚なジュースのようになって溜まってゆく。今分かっているのはそこまでだ。
そこから有機的な生命が生まれるのには何かが必要なんだな。今考えられているのは他の天体から何かしらの生命体の情報が飛んできた。とかある種の奇跡が起こったとか。ここのところは普通では考えられない飛躍がなければ生命は生まれない。
今こうやって書きはじめて、私は何故この部分に引っかかりを感じるのかなぁ・・と考えた。生命の発生なんかにそれ程興味があるわけでもない。
私という人間が何故存在するのか、というのが根本的な問いかけなんだな。まぁ私自身は大した意味も無くただ単に存在するだけなんだろうけれど、人類というのか、生命そのものが何の理由があって生まれたのかなぁ・・と。この宇宙が存在することと何かしら深くリンクしているわけでしょう?
生命が生まれなかったとしても、この宇宙は始まってそれで終末にむかって進んでいるわけだ。この際始まりは時間と空間の始まりであり終わりは時間も空間も終わる訳だから、今生きている時間の感覚ではない。想像すれば過去に戻れば限りなく0に近づいてゆくし、未来は無限大にのびてゆく。それゆえに見かけ上は時間や空間は永遠に見える。
そんなんかで、一瞬なりともここに存在した、存在するということは何かしら意味有ることなんだろう。意志というのか意識というのか、「おおいなるもの」の何かしらのメッセージのように思えてならない。それが何なのか具体的には分からないのだけれどね。
もう少し考えたい。
「バラーダ・望郷」 2008作 F3
新作だよ。
個展の時に音楽を流すのはいつからだったか、確かにはおぼえていない。作家によってはBGMなどかえって邪魔だと考えている人もいるだろう。個展は作品が全てでそれ以外は何も必要ない、そう考えるひとがいてもそれは間違いではないし、そちらの方が正統なような気もする。
音楽も照明にしても有る意味まやかしだ、作品本来の姿を見せるべきだと言われれば、そんなふうにも思う。作品に力があれば、例えばタイトルさえ必要ないのではないか、作品が全てを語っている。そういえばそうなんだけれどね・・。
そういった意味ではまるで説得力がない。絵だけじゃ物足りないから、タイトルにも凝るし、勿論照明や音楽は大事な個展の要素だと思っている。個展に際して長々とメッセージも考えるし、できたら会場で一人一人に説明したいぐらいだ。全部ひっくるめて表現だと考えている、邪道だといわれればそうかも知れないけれどねぇ・・。
絵にしても音楽にしてもそうなんだけれど、飾られて聴かれてなんぼだと思うんだな。普通の生活の場で日常で使ってもらう、楽しんでもらう、それで作品も生きてくるように思う。美術館やギャラリーで飾って鑑賞する、それも一つの見方ではあるけれど、私はそれぞれの家にもって帰って貰って、お家の壁に掛けて楽しんでもらいたい、四季折々の花や風景と一緒に楽しんでもらいたいんだな。それが下世話といわれればそうかもしれない、通俗といわれればたぶんそうなんだろう。そういった見せ方も作品だと思うんだな。
音楽からインスピレーションをもらって絵にする場合も多い。この「バラーダ・望郷」は天満敦子さんの演奏で日本では有名になった。機会があればどこかで聴いてみて欲しいのだけれど、ジプシー音楽のように深々とした哀愁があって一度きいたら忘れない旋律だ。これにまつわるエピソードも面白い。
ネットは便利だなぁ探していたらここにありました。試聴できます。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tcfk/shumi/atukotemma.htm
写メ
はる 2544
東京で個展を最初にやったのが1988年だから、もう随分と前の話だ。今も余裕はないけれど、当時は本当に暮してゆくのがやっとの状態だった。一度や二度個展を開催してもどうってことない。それよりも気がかりなのは、ここで今個展をやっても明日につながって行くのだろうか?という不安の方大きい。
学校の先生という安定した仕事も放り出して、絵描きの生活を始めたのはいいのだけれど、この先どうなってゆくのだろうかという不安は消えるものではない。まだ一枚の絵も他人に売ったことも無いはなたれ小僧が、今日から絵描きでございます、といったところで誰も相手にしてくれるわけがない。
しかし、当時の事を考えれば、もう選択はそれしかなかったので悲壮感みたいなものはあまり無かった。反対に色々迷っていた時期の方が辛かったように思う。そうやって踏ん切りをつけた状態は返ってサバサバしていたように思うな。やるしかないのだから。
兎に角、手当たり次第にコンクールに出品した。50までに何らかの全国区で通用するタイトルが欲しかった。当時バブルの始まりで全国で色々なコンクールが雨後の筍のように開催されていて、なかなか華々しい活気を見せていた。
それと平行して、銀座で毎年個展を開催するというのを義務にしていた。なぜなら、どうしても団体展で受賞して名前を売ってゆくというのと、小作品を売ってゆくというのが同じ仕事のように思われなかったからだ。まぁ理想を言えば、団体展で大きな賞をもらって名前も売って画商が付いてというのが、一種のサクセストーリーなんだろうけれど、自分にはあてはまらない気がしていた。
だから最初っから、一年分の作品を展示する小さな画廊と決めていた。大きい作品を一点とあとは小品を展示する。個展のために無理して駆け込みで描くのではなく、一年分淡々と仕事してそれを展示して観て貰う。それで毎年展開できれば御の字だ。とそう考えていた。そしてそれが一回も休まずに(イタリアから帰国した年以外)続けてこられたのは、ラッキーだったのだろう。
今年もまた神戸・甲府・東京で個展を開催します。よろしくおねがいします。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館