写メ 「きままぐらし」F20
このところずっとこの絵にかかっていた。下地から創って壁土をぬってという手順はこの間の「美術の窓」の通り。まぁ小品といっても20号だからけっこう大きな方だ。だからアトリエの中では存在感があるほうかな。
小品はほとんど手にもって描く。掌握作品というけれど、まったく字のごとくだ。それだけ小さいと簡単そうにみえるけれど、実際の話大きな作品より難しいかもしれない。使う脳が違うのかもしれないなぁ・・。
大きな作品を描いている時は全力投球でそれ一枚にかかりっきりになる。だからそのことで「仕事をした」という自己満足だけれど満たされるところがある。一日アトリエにこもってほとんど進まなくてもまぁまぁ許されるんだな。気分的に。
ところが考えてみるとアイディアとしては一つなんだ。頭を使うのはいかに効果的にカタチや色を配置するか、そんな事ばかりを考えて描いている。アイディアが出てきてしまえば後は何とか絵にする事は出来るんだな。得意かもしれない。
小品はアイディアが勝負というようなところが有る。絵はもう出来てしまっている。何層も絵の具が乗っかっているわけだから、それだけで充分絵になっているのだな。ところがそこから本当の仕事が始まる。これがなかなか難しい。
こんな事をいえば叱られるかもしれないけれど、漫画やイラストの仕事と違うところだと思う。何かを説明するために描く訳ではない。自分が今まで経験したり考えきたこと、本を読んだり人の話だったり、それこそありとあらゆる事が絵のアイディアになる。
それも無理やりしぼり出したのではなく、ごく極自然に何気なく、さりげなく、ポッと出てきてしまったというような出方が粋なんだなぁ。それが至難の業なんだな。どうにか生きている間にそこまでに到達したいものだ。
写メ 「みずたまり」
午前中は雨が降っていた。借りている駐車場に大きな水溜りが出来ている。映りこんでいるのは私だ。50過ぎの奇妙なおっさんが水溜りをシャメしている光景はやや異様かもしれない。
こうやって毎日何かしらの写真をブログにアップする習慣がついた。一枚や二枚なら何でもない。ところが何百枚、千枚という単位になってくると自ずからその人なりが出てくる。何を見たのか、何に興味が湧いたのか、そこに私の感覚というものが出てくる。どうでもいいという選択もその一つだ。だから怖いのだ。
閑話休題
ワーキングプアってよく聞く。まぁ我々の若い頃の貧しさとはちょっと違うようだ。まぁ何だろう、我々の頃の就職というのは、それこそ終身雇用で、一生その会社にお世話になることを意味していた。まぁだからそれなりにお父さんたちは一生懸命だったし、個人の自由などはたぶんほとんど無かったのだろう。働くというのはそういうことだという認識があった。そのかわり、一応定年まで面倒は見てくれたし、退職金もそこそこもらえたわけだ。
「就職しない」ということはそういった保障がないということで、その場限りの日雇いや、パートタイムやアルバイトはへたすれば健康保険もなかった。日払いでもらう給金はけっこう見た目は多くて魅力的だけれど、飲んで食ってしまえば、後には何も残らない。まぁそれと引き換えにあるものは「こころの自由」というお金に返られないものだ。
「就職しなかった」のか「出来なかった」のか「続けられなかった」のかそこのところは微妙なところだけれど、有る意味「覚悟」がいるんだな。そこが「普通の生活」と「あちらの生活」との境界線なんだよ。普通の感覚で「就職しない」を選んでしまうととんでもない事になる。末はただのホームレスだ。よく聞いておけ。自由を選択すれば一生それをまっとうすることだ。その覚悟がなければさっさと就職しなさい。
そんなことも知らないで簡単に派遣や短期契約の社員なんていうものになってしまうことがちょっと知恵が足りないなぁと思う。企業なんてできれば安い労働力が欲しいに決まっている。
写メ
はる 2536
そこのところを探ってゆくとキーワードに「不安」がある。何が不安なのかと探ってゆくと「依存心」というのが出てくる。独立している人格と見えるけれど、強烈な親兄弟の影響のなかで育つといつまでたっても自立できない人格というのが出来る。未だに独立した人格というのが出来ていない。
そこのところを見極めてゆくと、自分の生い立ちみたいなものにたどり着く。不安神経症的な傾向は私のDNAのなかにしっかりと刻まれているのだけれど、その根幹の部分にまで降りてゆきたい。
物事をまず否定的な態度で捕らえる傾向がある。「出来ない」「やらない」「関係ない」そうやって自分に責任が及ぶのを回避している。大いなる「負の意志」というのは結構私の行動力を制限している。たぶんこれはそうする事で無意識にコントロールされていたんだなぁと思う。
子供は三歳ぐらいまでにほぼ色んな傾向とか性格的な基盤のようなものが出来上がってしまう。後々に学習モラルとか規則などとは違って、その人の根幹をなす枠組みが決まってしまう。たぶんそれはヒナが最初に動くものを親と認識するのとおなじような事ではないだろうかね。
写メ
はる 2535
みんなはどうなんだろうか?他人の気持は本当の所よくわからない。子供頃に土曜日は楽しくてルンルンしているのに日曜日の午後になると段々に憂鬱になってくる。特に夕暮れ時が何とも寂しい。その嫌さ加減が並じゃないように思う。何が嫌だこれが嫌だじゃない、存在することそのものが嫌になる。だから実際にお腹が痛くなるし、微熱も出る。
登校拒否なんていう洒落た言葉もなかったから、ただのナマケモノということになる。我が家は実質的な硬派な家系なので、そんな軟派な軟弱な理屈は認めてもらえなかった。まぁそれが良かったのかもしれん。登校拒否児にならずにすんだ。
ところが、そこでなんとか押さえ込んだために未だにそれが解決できていない。学校の前の日は切ない気持になる。それがなぜそうなるのか、何が嫌でそうなるのかよく分からない。兎に角朝起きて出掛けるのが嫌なんだ。どうしようもない怠け者だ。これがあるからまともな仕事に就けなかったのだろう。
写メ
はる 2534
相撲などもう国技でもなんでもないのだけれど、琴欧州が優勝して二横綱はモンゴル出身だ。日本勢はどうなっているのか一回も見なかったので知る由もない。
ニュースで千秋楽の横綱のにらみ合いの相撲やっていたけれど、まぁお互いに二十歳そこそこのガキに品格など求めるのも可笑しなものだ。もともと相撲は興行であってね、よくいう河原者、歌舞伎者、役者やテキヤなんかと同じで、お祭りなどの神さまへの奉納から始まったものだ。そんなに高尚な娯楽でもない。
プロレスなんか見てても分かるように見世物なんだよ。あの横綱曙を一度でもみたことがあるなら、あぁこの程度のものなんだと納得できるだろう。正義の味方ではありません。
そんなことを書こうと思ったわけじゃない。そう地産地消のことだ。この間から何回か書いたことなんだけれど、要するに相撲もグローバル化がすすんで地産地消じゃ無くなったからおかしくなった。こんなこと言えば怒られるけれどね。
食料の話で地産地消は言われるのだけれど、考えてみるとあらゆる事の問題はここから派生している。好きなものを食べたいだけ世界中からかき集めてくる。お金があったからね。その結果安い外国の食料が日本の農業をつぶしてしまった。あららと思った時には自給率が30%だ。
建築もそうだ。日本の大工さんや左官屋さんは仕事として存在できなくなった。職人はやがて日本にはいなくなる。
「便利が全てを駆逐する」戦後日本が見習ってきたアメリカンタイプの生活スタイルは効率が全てだったんだな。我々は元来外国の文化を受け入れるのが上手かった。漢字しかりローマ字しかり、何でも和風にアレンジして受け入れる。そうやって日本は大きくなってきた。
たぶん今もその過程にあるんだろうな。今の日本人はアメリカンだと思うね。独立したように見えているけれど、随分と上手に精神的にアメリカに洗脳されている。薄々みんな気付いてはいるのだけれどね、あえて口にはださないけれど。
これはちょっとまずいなぁ・・と感じているのじゃないか。
写メ
はる 2533
「美術の窓」が送られてきたので、自分の記事以外もゆっくりとすみからすみまでゆっくりと読んだ。まぁこの雑誌は大体が団体展に出品している自称絵描きをターゲットに記事が書かれているわけで、そういった趣味のない人間にはほとんど意味のない記事だろうな。
それでも昔はほとんど展覧会の案内か、公募展の作品批評が主体だったのだが、最近は昔のアトリエ誌のような実技過程が売りになっているようだ。
本屋さんに行けば大体こういった美術雑誌のコーナーを一通り立ち読みする。「芸術新潮」「銀花」「月刊美術」「美術手帳」「美術の窓」に「一枚の絵」かな。「月刊美術」と「美術の窓」は大体趣味で絵を描いている人をターゲットにしてるかな。その中でも「月刊美術」はややコレクター側に近い。
「芸術新潮」は完全に読み物として格調の高い雑誌を目指しているように感じる。どちらかといえば「銀花」はかなり偏向した民芸に近い工芸志向だな。
「美術手帳」は現代美術志向で、読んでも良くわからない。それでも昔は定期購読していた時もあったんだけれどね。今はほとんど読まないなぁ・・。
「一枚の絵」は完全に趣味のひとをターゲットにしている。そういう人は良質のコレクターでもあるわけで、啓蒙しながら販売もするという、まぁ悪く言えば我田引水のような気もするけれど、絵描きが絵を売って食べるための一つの方法を提示しているようにも思う。
で、今月号の記事の中になかなか面白いはなしが載っていた。作者は日本の美大を出ないで、いきなりニューヨークで作家活動を始めたらしい。まぁアメリカに限らないのかもしれないけれど、作家は個展を開催して作品を売ってゆくというのが普通のやり方で、公の機関から援助を受けて生活しているといった方法もあるようだけれど、基本的には作品を売って暮してゆくのがアーチィストという生業になる訳だ。
日本に帰ってきて個展を開催したら「これは売っているのですか?」と尋ねられて答えにきゅうしたと言う風なことが書かれていた。まぁ村上何某のように一部の作家を除いて現代美術けいにの作家の作品は売り物としてとらえ難いところはあるね。
で、私が面白いと思ったのはそこではなくて、生業の所だ。日本の場合、高名な作家は何処かの大学かカルチャーで教えている。まぁ作品が売れなくてまともに生活できないということもあるのだけれど、明らかに教える事と絵で食べることは違うと思うんだな。
どうなんだろう。
写メ
はる 2527
「デッサン、ドローイングの面白さと描くポイント」
制作において特にエスキースや下描きのデッサンなどはしない。そういう意味ではデッサンも本画と同じ気持で描いている。自分の心の中に浮かんだものが何なのか、具体的になってくるまで自分でもわからない。デッサンの面白いところは構えないでラフに描けるところだろうか。そういった意味では作家の生の姿が出るように思う。先日テレビを観ていたら車のコマーシャルでこんな事を言っていた。「今の貴方は選んできたあなたの総体だ」もうすでに分かっていることを描いても面白くない。それよりも私は何故それに引っかかりを感じたのか、その心の中味を知りたい。それを選んだ自分を知りたいと思うのだ。そんなことを考えながら絵を描いている。
写メ
はる 2526
老人力とはうまくいったなと思う。
まぁ何でもそうだけれど、若いということは体力も勿論だけれど、他の潜在的な能力もあるかもしれないし、どこでどう化けるかわからない。そんな未知数も含めて、やっかみ半分で若いことはいいなぁなどという。
青春は一度しかないというけれど、そんなことを言えば中年も老年も一度しかない。若いときだけがちやほやされるのは、どこかやっぱり期待するところがあるのだろうか。実は我々にも子供時代や青年だった頃はあったのだ、当たり前だけど。
絵を描いていても思うのだけれど、すごく細密画みたいな絵を描いている画家は大変だなぁ。老眼にはなってくるし、体力的にも持久力は確実に落ちてくる。まぁ若いときはそれでもがむしゃらに何が何でも描きこんで行けるだろうけれど、どこかでやっぱり、負ける時がやってくると思うんだ。そんな時がっくりくるのじゃないか。
確かに絵は工芸的な部分もあると思うんだな。職人的といってもいいか、技術を積み上げて誰にも負けない域に達するといった部分も大いにある。だからそういったメチエ(技術)を否定する訳ではない。
だけども、と私は思うんだ。絵は生き方だ。年取って手が震えて描けなくなったら、そんな不細工な自分を正直に晒して行く、ボケたらボケた事を恥ずかしげもなく晒していってもいいじゃないか、なんて思うんだ。
でやがて、しずかに消えてゆく。それでいい。
写メ
古橋美鳥個展
2008・5/16~26(21休み)
甲府・ギャラリーイノセント
055-222-4402
古橋さんの個展オープニングに行ってきました。彼女とは一面識もないのですが、京都の日本画家である今尾栄仁さんの後輩であるということから、どうやらネットで何度かやり取りをしたみたいです。ちょっとあやふやですが・・。まぁネットの面白いところですね。何かしらつながっているようです。
あまり意識した事はないのですが、どちらかと言えば日本画家でネットつながりというのが多い。何故なのか考えたんですが、洋画家というのは根っからのアナログ人間を演じているところがあって、やればできると思うのですが、あえてパソコンに触れない人が多いように思いますね。それから、論理的よりも感覚的に出たとこ勝負的な志向があるのかな。
それに比べて日本画家はどちらかと言えばデザイン系と関係が深く、仕事で使う場合も多いのかもしれない。それから、こう何か資料としてまとめるとか、ストックすうるとかいうのが日本画の場合リンクするのかもしれないな。感覚的というより論理的な考え方とか志向するように思える。
だからなのか、私はネットでは日本画家で知り合った人が多いな。
ということでまた明日。
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そうそう、ところで今日急に決まったんだけれど、この間の山梨日日新聞の新聞小説「家族ごっこ」の挿絵の展覧会をイノセントやる事になりました。たぶんこの後文学館の方に寄贈になってしまうので、見納めになると思います。興味のある方は是非どうぞ。
2008 9/6~15
甲府・ギャラリーイノセント
榎並和春 「家族ごっこ」挿絵展
写メ
ほれ、これはもう三階建てまで出来ました。雨が降りそうな日には、帰り際に上手くビニールシートで屋根を作ってテント内の仕事をしていました。ちょっと最近は雨が多くて気の毒でしたね。まぁ明らかに日本の在来方法とは違ってつくりが簡単ですね。柱が一本も無いというのが何とも不思議ですな。
幅広の安価なベニヤ板が手に入るということでこういった工法が成り立つんでしょう。もう新築の80%ぐらいはこういった2x4なんだと思う。従来の柱を組んで土壁を塗ってといった仕事は絶えてしまうようにおもうな。保護しなきゃならないような技術は絶えても仕方ないのかもしれないけれど、何だか少し寂しい。
閑話休題
コンビニに払込にゆく。しかし、店の前には何だかわけのわからん茶パツのガキどもがへたり込んで、タバコを吸いながらたむろしていた。自分の知ってる生徒ならどやし付けるのだけれど、知らないガキはちょっと怖い。しかし、いつの時代もあぶれ者はいるのだけれど、こいつらはこれからますます生きづらくなってゆくだろうなと危惧する。
何だろう、外国人がこれだけ日本に入ってきて、日本人が嫌がる道路工事とか肉体労働、などをすすんでやっている。これからは例えば介護とか看護みたいな仕事も外国の人が支えてゆくようになるのじゃないかな。そうするとますます、仕事はなくなるだろうし、やがては外国人排斥みたいな事になるのじゃないかな。もっとも悪いのは根性なしのガキの方なんだけれど、親もパーだからね。今の内になんとか手を打たないと、食料の自給と同じで日本の根幹を揺るがすおおごとになるな。
もっとも、ここまでくればひっくり返らないと分からないのかもな。いずれ長い目で見れば、ろくでもない親を見て育てば反面教師でまともな子供が育つように、何もかもひっくり返らないと元には戻らないかもしれない。非常に消極的な帰納法だけどね。それを待つか。
私が心痛めても何の足しにもならないのだけれどね。
写メ
はる 2520
東京の国展が終わりましたね。片付けに行っていないので何となく自然消滅のようで心もとないですが・・。明日かあさってには巡回作品以外は帰ってくる。まぁ地方展が終了して初めて全部が終了ということになるですが、気持的にはもう終わったような感じだな。
個展だけを発表の場にしている作家さん達にとっては、何を大騒ぎしてるんだ、という感じなんだろうけれどね、団体展を唯一の場にしている者にとっては一年に一度のまぁハレの舞台だからね、盛り上がる気持は分かるね。
まぁ色々考え方もあるだろうけれど、色んな活動の基本は全て会員のボランティアだからね、営利でやっていないというところがいいね。老いも若きというけれど、なかなかこう利益につながらない事に一生懸命にはなれんからなぁ、そういった真摯な姿勢が好きなのかな。
そうだな、学生時代の文化祭のノリだな。参加しなきゃ面白さはわからんな。まぁ傍観者でいるというそんな気持もわかりますがね。まぁ当分というのか、大きな絵が描ける限り参加させてもらうつもりではいる。もうやめとけと言われれば仕方ないですがね・・。
個展も団体展も同じスタンスでやる作家は意外に少ないと思う。本来はね、最初に個人の作家がいてその集団という意味合いだったと思うんだけれど、何となくね日本固有の家元制度の影響で、師匠と弟子、会員と一般というようなスタイルになってきたんだな。
欧米人のように個というものが確立していない日本人にとって個展だけで作家か活動してゆく自信がないんだな。何かしらの後ろ盾というのかお墨付きが欲しいと思うんだな。これは作家だけのことじゃなくてね、絵を見る鑑賞者の側の問題でもあるんだな。
絵がいいから、誰が何と言っても私が気に入ったからコレクションするというふうには鑑賞者自身の個も確立していない。まずは学歴を見る、で受賞歴をみて、どの団体に属しているかを見て、絵は参考程度にみる、そんなパターンが多い。
まぁこれはね、昨日の話にもつながることなんだけれど、鑑賞者の目というのか、能力というのが随分幼稚な段階で止まってしまっているからなんだ。これは一朝一夕では如何ともしがたい、まぁその民族の文化水準みたいな話にもなってくるように思うんだけれど。
もっと言えば「何を人生に求めているのか」といった根源的な問いにもなってくる。
今日はここまでかな。また
写メ
Iさんへのコメント
「そうですね。まったく絵を描いていたがために気付かされたことは多いですね。普段何気なく暮していると見過ごしてしまう、ささやかな物事の変化とか、季節の移り変わりとかなど、大いに私の心の慰めとなりました。
それから、物事の外の変化ではなく、わかりにくいのですが、そのことを意識した自分の心の存在に気付いたというのが大きいですね。何だか持って回った言い方ですが・・。
よく例え話をするのですが、額に入った絵は鏡なんだとね。どういうことかといえば、自分自身がそのまま映っている。その映りこんだ自身の心の中にどれだけのものを、物語を、詩を読む事ができるか。
絵がわからないということは、自分の心の中をまだ覗いていないということなんだな。よく自分のことは自分が一番知っているというけれど、実は上っ面だけで深層のところは気付いていないことが多いように思いますね。
そういったことは訓練みたいなもので、誰でもできることだろうと思いますが、実生活ではあまり役に立たないのでなおざりにされているように思いますね。
芸術の鑑賞教育とかそんな大げさなことではなくても、朗読とか詩作とか昔の綴り方とか、そんな事で随分と心の中を耕すことができるように思いますね。
ということで、ありがとうございました。」
写メ
義さんが国画展の感想を書いてくれた。2008 5/8の日記 どうもありがとう。
はる 2517
もの心ついた頃の「不安」の感情は誰でもが経験するものなんだという風に考えていた。それはヒナが最初に動くものが親だと勘違いするように、誰もが遺伝子の中に組み込まれた感情なんだと思っていた。
人は動物から人間になった時に多くのものを得たかわりに、失ったものも多い。動物的な勘とか本能をどこかに置き忘れてしまったけれど、ゆっくり考える能力を得た。
考える事はとても大事なことだけれど、そのためにいらない事まで考えるはめになってしまった。欠けている心のその不安を何かで満たそうとするのだが、いつも何か切ない心持で憂いてしまう。
そんなことで絵を描く事をおぼえたんだけれど、「憂鬱」と絵を描く事はどうやら同じ位置にいる。誰かに絵を取るか「安心」を取るかといわれたら、ちゅうちょなく絵を捨てる。心が晴れ晴れとなるなら、そんな選択もありかなと思う。
書いてると憂鬱になって来たのでやめた。
写メ
そうこれが昨日の家の現在進行形のかたちです。今日少ししゃべったのだけど、気のいいカーペンターという感じで、日本の大工、職人という風ではないですね。しかし、彼らはよく働くよ、今日はけっこう蒸し暑い日中だったけれど、田吾作のような麦わら帽子をかぶって、トントンカンカン、バスバスボスボス(自動釘打ちの音)ほとんど休みなしに聞こえていた。
で、たった二人で朝から夕方までかかって四面の壁を立ててしまった。この壁の立ち上げ方も面白ねぇ、こういった大工仕事はめっぽう好きなんだけれど、まったくオモチャの組み立てみたいで興味津々だ。こんな具合に棲家ができるなら、本当に誰でも少し習えば家の一軒ぐらい簡単に建てられそうだ。
本来自分の棲家は自分で作るものだったんだろうな。男の仕事というのか棲家を作るのは動物のオスの本来の仕事だったんじゃないかな。そんな気がするね。
で少し気になったのが、日本の男子はどないなってんねん?こんな風に外国の人に一生懸命働かれたら太刀打ちできんなぁ。能力うんぬんより仕事にかける情熱とかやる気、一生懸命さそんなものでも完全に負けてるなぁ・・。
まぁ私に説教されたくない気持は重々承知の上で書いてみた。すんません。
写メ
はる 2515
久しぶりに学校へ行く。何だか凄く疲れた。
家の前の田圃がつぶされて何軒かの家が建ったのだけれど、そのうちの複数の住人が外国の人だった。まぁそんなことは驚くべきことではないのかもしれない。今ちょうど手前の家が建築中で、その家を建てている大工さんが外国の人だった。これには驚いた。
英語がきこえるので誰かなぁと思って覗くと、流暢な日本語で「二週間ばかり通います。よろしく」と挨拶された。今時そんな大工さんも日本人じゃ少ない。
ツーバイホーの建物なら勿論彼らの方が上手いだろう。彼らの国で考え出された建築方法だからねぇ、考えてみれば現地のカーペンターが来て建てるのは理にかなっている。カナディアンタイプの家とかアーリーアメリカンタイプの家が建つのかね。
何だかこの国はどこもかしこもディズニーランドか住宅展示場のようになってしまった。こんなのでいいのかねぇ・・。
写メ 「勝沼遠望」
はる 2514
地域の開発というのは難しい。私のような何も利害が絡まない場合自由に発想できるのだが、半面現実味がなく夢物語に終わる。反対に地元出身者の場合、現実がわかり過ぎてにっちもさっちも行かず、手が出ないのならまだいい方で、反対に足を引張る側になる。
地元の産業であるワインや宝飾業界は小さな家内工業が多く、皆がそれぞれにお山の大将で大きな意識にまとまりにくい。それに問題はご多分に漏れずかなり高齢化していること。二代目三代目はこの場所に住居もなく地元に愛着も無い。
まぁだからといってこのままでいいわけは無いし、ただの一時しのぎのイベントでおわったら元も子もない。大きなリーダーシップのある政治力が必要だ。
私が関わっている若者たちがどうなってゆくのかとても楽しみに見ている。とても場違いなんだけれどね。
満開なにわのいばら (写真はかなり嘘つきですからあしからず)
はる 2513
今日は子供の日ということで全国的にお休み。ここんところほとんど仕事らしい仕事(稼ぎ)をしていない。考えてみると一月に松屋で個展をして、以来仕事をしていない感じだ。リストラされた親父の気持がわかる。
明日は勝沼の方面の探索。まぁあまり詳しくは書けないのだけれど、例えばさぁ、山梨と言えば何を連想する?まぁ清里高原とか八ヶ岳や富士山というのがあるかもね。でね地場産業ということになればやっぱり果樹、葡萄や桃なんかだと思うんだな。で少し考えればそこから発展してワインやそれを利用したレストランや温泉と組み合わせれば観光客なんかも呼べると思うんだな。
今地元は全くの地盤沈下で仕事が無い、仕事が無いから若い人が定着できない、だから益々人がいなくて何をやっても面白くないという負の渦の中に落ち込んでいるんだな。
東京に行けば何でもありでね。ここで頑張っても高が知れている。そう思ってみんな都会に出てしまうんだな。仕方ないけどさ。
私なんかは好きでここに住んでいる。仕事がしごとだから自由がきくからね。まぁこれから一生ここにいるかどうかは分からないけれど、田舎は好きなんだな。ド田舎には住めないかもしれないけれど、まぁここらあたりはコンパクトな町でね、一応何でもそろうし、第一に人が少ない事が心地いい。
でね、何とかしなきゃと、そういったことを考えている若い連中が少しはいるんだな。夢を語ることは好きなんだ。理想かもしれないけれどね。絵に描いた餅かもしれないけれど、何か面白そうな匂いがする。
私の立場はただの観客なんだけれど、エールを送りたい。がんばれ!
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館