写メ「なにわのいばらが咲き出した」
はる 2508
今日はいい天気でしたね。布団を干して、ちょっとアトリエの掃除をする。窓を開けて誰かのピアノソナタを聴きながら遅い昼ご飯を食べた。
台所の窓から川べりの大きな栗の木が見える。午後からの風にあおられて大きくかしいでいる。それにしてもこの季節の午後の光は美しい。いつも子供の頃のことを思い出す。
幸福や不幸といった大きな動きのある生活ではなかった。そうだな、格好よく言えば、小津安二郎の映画のワンシーンのような淡々とした日常だった。けれど、どこかに後ろめたいような陰があるんだな。ぴったりとした言葉が見つからない。
誰でもそうなんだと思っていた。物心ついた頃の最初の感情は「不安」だ。それも具体的な何かがあって不安になるのではない。どことなくいつも心の置き場の無いような不安感、焦燥感これが私の最初の感覚だ。
この「不安神経症」的な感覚は多分に家系的なものがあるようにおもうのだけれど、自分と親との関係や兄弟との関係も影響しているように思う。まぁそれを何とか解消したいというのが私の絵を描く大きな動機になっている。
考えるのが面倒になった。また明日。
写メ
はる 2507
このあいだからの懸案事項であった例の雑誌の記事の校正原稿が上がってきた。原稿を書くのは勿論素人だから、編集者の自由に変更されても文句の言える立場にはないのだけれど、まぁこんなものなのかなぁというのが実感だ。
多分ボツになる事はないのでここで雑誌の名前を明かしておこう。「美術の窓6月号(5/20発売)」の「技法講座」だ。顔写真からここではお馴染みのアトリエの風景や制作過程、材料や道具などなど4ページにわたって掲載の予定だ。
これを見ると、もうすでにひとかどの作家のように書かれているけれど、実は以下の文章がカットされている。それを含んで見て欲しい。
「色も形も無い「場」を作ることから始める。これといった具体的なものではなく、ゴロンとした何かが描ければよい。下手も未熟も失敗も含めて、全て丸ごと絵の中に閉じ込めたい。それが今現在の私だと思う。いまだ手探り状態で、失敗も多く技法として確立したものではない。カタチだけ真似てもあまり意味が無い。それぞれが、自分なりの方法を見つけてほしい。」
写メ
はる 2505
やっと少し暇になって、午前中ゆっくり時間をかけてゆっくりと今開催中の春陽会や光風会を観ることができました。
光風会は私も随分と昔に出品していた会なので知り合いも多く楽しむ事ができた。感想は、そうだなぁ絵を描くことの原点というのか、真面目にこつこつ仕事をすることの大切さみたいなものを感じた。どうも最近は私なんかはそうだけれど、簡単に効果だけを狙った作品作りに成っているのではないかと反省しきりだ。
審査から開放されて、大きな会場で午前中ゆったりとオーソドックスな作品が観れたのは収穫だった。やっぱり絵を観るのは楽しい。
午後から会議などすこし仕事があって、夕方銀座の会のグループ展のオープニングに出かける。まだ一般の作家の発表会だけれど、今年最高賞をとった作家もいて、お祝いもかねて沢山の会員が駆けつけていた。こういった時期が一番楽しいのかなぁなんて思った。
で、午後八時のあずさに乗って帰って来ました。
はる 2501
何だか忙しい。明日はパートの仕事。午後から東京に出掛ける。今回は土曜日まで帰れません。国展の審査やその事前の準備のために多くのスタッフが泊り込みで当たります。特に私など一年生は色々予習が必要なようだ。
まぁ考えてみればこういった地方の団体でも公募して審査、陳列して表彰式や色んな行事を運営してゆくのは大変なんだから、まして全国規模になると、更に推して知るべしだな。今までおんぶに抱っこで、ただ乗っかっているだけで良かったのは楽チンだった。誰かが地下で動いていたということで、今度は自分たちがお返ししなければならない。
ということで、また明日から更新がシャメだけになるかもしれません。それでは行って来ます。
写メ
はる 2499
午後に国画の絵を取りに来た。130号が二点と100号のドローイングが一点。まぁこれから毎年これだけの作品がそろえられるかどうか分からないけれど、とりあえず今年は間に合った。
そのうち一点の製作過程がたぶんある雑誌に載る予定だ。最近はサボりぎみだったけれど、以前はかなり克明に途中経過を記録していた。ブログに載せるという目的があったことも関係しているけれど、自分でも作品がどういう経過でそこに至ったのか記録したいという気があったのだ。
というのは最初っから計画通りに進んでゆく絵ではないのでどう変化して行くのか興味があったんだろうね。ということで今回はそれをそのまま利用させてもらう事にした。今回の作品も途中で挫折して計画を変更しているところがある。そういった臨場感が面白いのじゃないかな。まぁこれも決定したらここでお知らせします。
しかし、技法講座という名目だけれど、私に語れるだけの技法があるのかどうか疑問だ。未だに手探りで失敗の連続だし、これでいいと思ったことも無い。一回一回手順は変わって行くし、仕上がりも変わっているように思う。人は常に動いているものであるから、今現在の自分というのであればそれでいいのかかもしれない。
よくここでも書くのだけれど、私はこれこれを表現したとイメージを描いて行くタイプの作家ではない。普通絵描きと言うのは何かしら描きたいイメージがあってそれを表現してゆくというのが本来なんだろうけれど、そういった意味では私は絵描きではない。
自分の心の中に浮かんだものが何なのか具体的になってくるまで自分でもわからないのだ。反対に言えばそれが何なのか知るために絵を描いていると言った方が当たっている気がする。いつのまにかそんなふうに描いてゆくことになった。
先日テレビを観ていたら車のコマーシャルでこんなふうな事を言っていた。「今の貴方は選んできたあなたの総体だ」言葉は少し違うかもしれないけれど、このことをはっきり自覚している人は少ない。
帽子一つ、着るもの一つにその人なりが出てくる。それを選んだならそれを選んだ自分と言うのがいるのだ。それの総体が今の私と言う事になる。どうでもいい、何でもいいも、一つの選択だ。
もうすでに分かっていることを描いても面白くない。実際の風景や花より美しいものは描けないしかく技術も無い。それを描くひとは他にいくらでもいるだろう。それよりも私は何故その風景に引っかかりを感じたのか、その心の中味を知りたい。それを選んだ自分を知りたいと思うのだ。
そんなことを考えながら絵を描いている。
はる 2498
今日は雨の中130号の額を倉庫から出してきて、びしょびしょになりながら車につけて自宅まで運んだ。明日赤帽さんが作品を取りに来るという約束なので仕方ない。
自宅のアトリエは狭くていろいろな作業をするのに不自由なんだけれど、まぁ仕方ない。ここのものをあちらに、あちらのものをこちらに移動しながら額つけをした。それだけで充分疲れる。
少し前はそんなに気にならなかったことだが、筋力がなくなって重いものを移動するのが苦痛になって来た。それにどうしたものか、自由にならないことが無性に腹立たしくなるのだ。これはやっぱり歳とって短気になって来たということかな。本性がでてきたということか。気をつけなければ怪我をする。
さて、これで今年の前半は終了となる。昨年までは色々気をもんだ団体展だったけれど、今年からは一転ただのお祭りになった。嬉しいような寂しいような気持だな。
*藤井組の新しいWeb漫画
「プリティウーマン」がリリースされた。
今回は130ページ以上の長編でなかなか読ませる。前回の「福キタル」より内容が分かりやすく、大衆性があって面白いとおもうなぁ。泣かせどころもわきまえていてこれはヒットするようにおもう。絵もラフな感じが話の内容とマッチしているように思った。最近はみんな絵が上手すぎてそればかりになっている、昔のガロなんかを思い出した。
写メ
はる 2494
技法書といえば我々の頃は雑誌「アトリエ」だった。いまでも時々みかけるけれど、内容は美大受験生相手の受験雑誌のようだ。本屋さんに行けば画集よりそういった技法書の方に目が行った。
各大学の実技実習の様子や、製作過程が載っていて食い入るように見たのをよくおぼえている。時々有名な画家の制作風景や雑感が綴られていて、有名な作家の生の声が聞けたようで嬉しかった。
まぁあの頃は何でも真似をして吸収していたころで、新しい「アトリエ」が出れば、次の日はそれと同じような絵を描いた。作家の生き方や考え方がその絵の描き方に出てくるものなのだが、そんなのはおかまいなしで、カタチだけ真似して吸収したつもりでいた。
カタチやスタイルはいくらでも真似はできる。材料と道具さえあれば同じような絵は描けるのだ。けれどそれは結局物真似、借り物であって、化けの皮はすぐにはがれてしまう。
作家の秘密はそんな所にはないよ。たぶん作家はそう思っているだろう。姿かたちなどいくらでも真似してください。亜流が増えれば増えるほど私の株は上がるんだ。なぜなら誰も私自身にはなれないからねと。
作家が10人いればスタイルは10色ある。それは全て作家自身だからだ。結局自分を見つめるしか方法はないんだなぁ・・。そんなことに今頃気がついた。遅すぎ・・。
ということで、また明日。
写メ
はる 2493
今週から学校が始まる。一ヵ月半、長い休みだったな。新しい一年生をまた一から仕込まなければならないのが、やっかいだ。一昨年あたりから親子二代親父が教わったって奴がでてきたから、まぁこれからどんどんそういった二世組が増えてくるかもしれない。
来週は国画の搬入になって審査や色々な仕事で四五日泊り込みになる。全国から絵描きが集まってお祭り騒ぎにになるわけで、まぁそれはそれでけっこう初めてなので楽しみではある。新学期のごたごたの最中なのでなかなか休めないのだけれど、まぁ仕方ない無理して休んでしまう。
みんなボランティアで手弁当でやるわけだから、なんだろうねぇ楽しくなきゃだれもやらない。私もせっかくだから楽しみたい。
ということで、また明日。
写メ
はる 2492
ランダムに思いついたことを。
色も形も無い「場」を作ることから始める。これといった具体的なものではなく、ゴロンとした何かが描ければよい。下手も未熟も失敗も含めて、全て丸ごと絵の中に閉じ込めたい。それが今現在の私だと思う。いまだ手探り状態で技法として確立したものではない。
普遍的な色と形を見つけたいので、使う色数は少ない。基本的な色は三原色と白と黒、若干の自家製の土製絵の具を使用するのみ。壁土を塗ったあとカーマインジェッソを塗り、さらにその上に自家製の黄土を塗った。何故最初に赤を塗るのかといえば一番根源的な生命の色だからだ。
芸能のルーツは旅芸人のような流れ者にある。「あちらの世界」と「こちらの世界」を行き来できる芸能者は客人(まろうど)でもあった。そんな旅芸人と自分の姿をダブらせる。
基本的な技法はアクリルエマルジョンを使ったミクストメディアです。この技法のいい所は親水性のものなら布、紙、木、土、などありとあらゆるものが材料となるところです。現代絵画というものがどういった領域なのか分かりませんが、今現在手に入る身近なものを使って表現する絵画というのであれば、まさに現代の絵画ということができるようにおもいます。
写メ
はる 2491
昨日は誕生日だった。この年になればそう特別な日でもないのだけれど、もう56回もこの季節をくぐったんだなぁと思うと、少しは感慨ぶかいものがあるかな。
技法講座の原稿を書いているのだけれど、見本にもらった原稿がとても立派なもので、自分のものが貧弱にみえて悲しくなる。例えば私はパレットなどほとんど使わない。ほとんど紙の皿か発泡スチロールのラーメン丼のような安物の道具だ。乾かないようにその絵皿を入れておくふたつきの入れ物は酢だこが入っていた容器だ。これは写真に撮れないな・・。
片手が取れた鍋はちょうどいい筆洗いのバケツ代わりになっている。数えてみると台所の要らなくなった道具のなんと多い事か。綿布と書かれているのは実は近くの小学校のバザーでゲットしてきたシーツだったりする。着古したジーンズやTシャツはちょどいいハギレとなる。
配合も実にアバウトだ。何をどのように混ぜたかなど一心に描いている時は考えていない。そこらにある汚れた水でもかまわずに使ってしまう。いちいち考えていては何かが逃げてしまうからだ。いや単に面倒だからに違いない。
でもしかし、本当はそれを誇りにしているところがあるんだな。うりはそんなところじゃないんだよってことかな。高級な物など何も使っていない。それでも本物の詩が唄えればいいのじゃないかな。
なんてね、ちょっと言ってみたい。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館