第16回やまなし文学賞受賞した秋元朔さんの「家族ごっこ」が地元の山梨日日新聞に連載されています。その挿絵を描かせてもっています。Web版でも二日遅れぐらいで連載を始めました。著作権の関係で作品は載せられませんので、挿絵だけ転載する事にします。作品の方は
写メ
はる 2479
毎日必ず何通かの展覧会のDMが送られてくる。県外のものと県内のものを含めるとかなりの量だ。グループ展や団体展はよほどの義理がなければ行かないけれど、個展は触手が動けばできるだけ出かけることにしている。まぁそこのところが難しいところなんだけれどね。
どんな小さな個展であっても本人にとってみれば、一世一代のところがあってね。どうでもいいなら個展なんかやらない訳だから、まぁ自分の事を考えれば、あまりつれなくするのも可愛そうだななんて思う。
でまぁ、往々にして個展というといっぱいいっぱいになって、あれもこれもと詰め込みすぎるきらいがある。自分の言いたい気持はよーく分かるんだけれど、そこは少し我慢して「たった一つだけ言わせて!」ぐらいがちょうどいいのじゃないかな。でないと何も伝わらないな。
また小品を少し描きだした。今度は夏の神戸だ。楽しみにしていてくれるかな。
写メ
はる 2478
デジカメが日常使いになってちょっとしたことでは現像まですることがなくなった。ほとんどの場合パソコンのハードデスクか別のメモリーの中に入れっぱなしなっている事が多い。
私の場合もご多分にもれず、02年までは作品はすべて現像していた。ところが面倒だということもあるし、ついついそのままにしておいたら、溜まってしまった。こういったものはすぐに見ることができるスタイルにしておいた方がいいように思うな。
ちょっと今資料の整理をする必要にせまられてやり始めたのだけれど、HPのギャラリーでさえ小品は05年で終わっている。日記のバックナンバーはほとんどそろっているけれど、ギャラリーや資料もそのうちに何とかしなきゃね。
とりあえず突っ込んだままだった、DMや新聞の切抜きなどを整理してまとめている。これだけでも一日仕事だった。
写メ
はる 2475
Fくんとは高校時代二年の時に一緒になった。当時のS高校は受験校ではあったけれど、私が通っていた中学校でも上位の生徒は私立のN校とか公立のN高校に進学、その二番手クラスの生徒が進学する高校だった。
だからと言う訳ではないけれど、どことなく負け犬のような虚無感が支配していたように思う。これは我々の高校だけではなく、第一の団塊の世代が通り過ぎた夢の跡のせいだったかもしれない。
そんな中でも彼はなかなか目立った存在だった。ご多分に漏れず青臭いながらも鼻息荒く討論した記憶がある。何をしゃべったのかはまるでおぼえていないのだけれどね。
一番おぼえているのはFくんが演出して、高校三年の文化祭で彼と落ちこぼれ数人でオリジナルの演劇をやった事だ。内容は今から考えるとても鑑賞に耐えるものじゃなかったとは思うけれど、タイトルは「カラカラ」と言った。自分たちの今の生活が「から」というのと、飢えてのどが「からから」というのをかけたのだ。
演劇部の生徒でもない生徒がオリジナルの脚本を書いて、自ら演ずるということで、前評判はなかなかなもんだった。しかし、考えてみれば筋も台詞もいいかげんで、練習もほとんどせず素人が演じて面白いわけが無い。最後は強引に客席と集団ディスカッションようになって舞台を占拠してしまった。これには生徒会の方も慌てて、急きょ部屋を与えられてそこで続きをやるということで収まった。その筋書きを書いたのがFくんだった。
そんな夢のような時期を過ごして、彼は大学では建設土木の方にいったらしい。らしいというのはその後まったく交信が途絶えてしまった。なぜなら私はわたしで深く地下に潜ってしまったからだ。
それが今年、ほぼ40年ぶりに松屋での個展で再会した。現在彼は何人かを雇って土建やをやっているということだった。顔を見れば分かる。それは簡単な成功話ではないことぐらい。それでも悲惨さはまるでなかった。淡々と嬉しそうに話してくれた。
ゆっくりじっくり一つずつ丁寧に絵を見始めた。長年の勘で、絵の見方をみれば、その人がどのくらい絵に興味をもっているのか、楽しんでいるのかが分かる。これはもう隠しようがない。絵を見ることは自分の人生を見ることだからだ。半端な人生ではなかったはずだ。
バブルで勤めていた会社が倒産、自分の会社を立ち上げて丸10年。記念にかみさんがご褒美をくれたのでと、照れながら会社用と自宅用にと二枚絵を買ってくれた。
おい泣かせるな!
写メ
はる 2474
今日は車の免許の更新に出かけた。昔と違って広い大きな施設になって気持がいい。
前回の更新も一回違反していてゴールド免許をもらえなかったけれど、また今回もシートベルト着装違反で無事故無違反というわけにはいかなかった。まぁそれにしてもこのゴールド免許というのは案外と難しいということだな。
「永遠の故郷8」
さて、この閉じられた世界を自分で構築するというのが最終の目標なんだけれど、口で言うのは簡単なんだけれど、こいつがなかなか難しい。10人いれば10通りの方法があるように思うのだ。結論を言ってしまえば自分で探すしかない。
富岡鉄斎はこんな事を言っている。(ちょっと創作入ってます)
「万里を旅して、万巻の書を読んで、万人と語らう」こと。まぁそういうことなんだろうけれど、だからと言ってみんなが鉄斎やダビンチになれるわけではない。凡人は凡人なりの方法を探すしかない。
手前味噌だけれど2005年の「個展に寄せて」の文章を転載する。
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「色は匂えど、散りぬるを」
おけいこ事の始まりを「・・のいろは」などという。これを「・・のあいう」としてはしまらない。もう一度初心に戻ってということも含めて、今回のテーマを「いろはにほへと」とした。
「我が世誰ぞ、常ならむ」
たった一つでいいから、これだけを知っていれば「大丈夫だよ」というようなものがないだろうか。大げさにいえば、この宇宙の「おおいなることわり」のようなものが見つからないだろうか。
「有為の奥山、今日越えて」
しかし、私などがいくら考えてみたところで出てきたものは、たかが知れている。所詮、分かる、理解できるというのは、私の手の内、知恵の及ぶ範囲でしかない。
「浅き夢見じ、酔いもせず」
見る、聞く、匂う、など人には五感がある。しかし、知りたいのはそういった感覚の外にあるものだ。それを昔の人は「色は匂う」「味を聞く」「音を観る」などと美しい表現をした。
ほんものは、じわりと何処からか降りてくるもののようだ。
写メ
はる 2473
今日は一ヶ月ぶりのレッスンだった。いつも思うのはもっと前から練習しておけばいいものを、一週間前ぐらいから真剣にやるものだから、大体において上手くゆかない。
まぁ多分レッスンに通わなければもう止めていただろうから、止めないためには一ヶ月に一度ぐらいのペースでいいのかもしれん。何事も続けることはなかなか根性がいる。ただ好きというだけでは続かない。
絵も決して嫌いではないけれど、好きか?と聞かれると、はい、大好きですとは単純に言えないな。この間知り合いの絵描きのブログを読んでいたら、同じような事が書いてあったので、あぁ私だけではないのだと安心した。
何でも好きにして暮してもいいと言われたら、きっと困るだろうな。本来ナマケモノだから、案外何もせずぶらぶらと、本当に何もしないでも暮して行けるかもしれない。
閑話休題
「永遠の故郷7」
昔読んだ筒井康隆の本に「末端にも本性がある」と言うようなことが書かれていた。まぁこれも幾度かここに書いた記憶があるのだけれど、まぁいいやな。
どんな些細なことでもその本質が隠れているということなんだけれど、これっていままで語っていたフラクタルの法則を分かりやすく説明したものじゃないか。なかなか含蓄のある言葉で面白い。
スターダストというじゃない。訳せば「星屑」だ。星ができる方法は最初は宇宙に漂っている塵がどこからとなく集まって、凝縮して核になる。それから文字通り星の燃えカスや屑が急速に集まり出して、やがては圧縮されて高温になり核融合が始まって輝き出すというわけだ。だからまぁ我々はすべて元は星屑だったというのは間違いではない。
ちょっと規模が違うけれど、池のゴミや川のゴミを見ていて、なぜゴミは集まるのかなぁ、と考えた事無い?無い所には全くないのに、集まる所にはあたかも意志があるかのように集まってくる。
これはさぁ、お風呂のゴミでも同じでね、どうやら同じ法則が働いているように思えないかい。万有引力なのかな。ニュートン力学もある意味でフラクタルだ。
で、どうやっても、ある所にはあって、ない所にはないという空間に粗密ができる。これもまた宇宙も同じでね、銀河みたいな星雲がやたらと密集しているとことと、ガラガラの所があるらしい。一様に散らばっている訳ではないのだ。これもまたフラクタルだな。
で私が絵の空間を描く時に考えることは、こういうことなんだ。これは一つの閉じられた世界だ。だれの影響もうけないけれど「おおいなるもの意志」は避けられない。いやちがうなぁ、おおいなるものの意志に身をゆだねることだろうな。そうする事によってのみ可能なんだろ。 でその方法だ。それは又今度。
写メ
はる 2472
春の展覧会が近づいてきた。まぁ昨年まではしゃか力に頑張ってなんとか上を目指していたけれど、何だかね、あれはあれでけっこう楽しかった。
まぁ色々な考え方があるけれど、団体に出品した事は、私にとってはよかったと思っている。一つは、これがなかったら大きな作品を描くこともなかっただろうし、もう一つは全国の若い真剣な仲間に巡り合うこともなかった。
会員になっても画家として一本立ちできるかといえば、これは全く別な話でね。絵描きは個展をやって作品をコレクションしてもらう、本来はそれしかやってはいけないのだな。会員はただ単に仲間内で認められたというだけで、画家のパスポートではない。
勘違いせず、精進しろということだ。
写メ「今日のアトリエ」
はる 2470
「永遠の故郷6」
今日も又吉田の爺さんの話が新聞に載っていた。1930年ごろの学生の頃の話。バッハの「パッサカリアとフガ」のレコードを恩師の蓄音機で聴く。何と一緒にいたのが中原中也だというのだから凄いな。感想を聞かれて「神様がいて何かを指しているようだ」といったとか。ふ~ん・・何か出来すぎだけど、あの94歳の爺さんだから許されるんだな。
「音楽展望」というタイトルでありながら、もうほとんど小学生が書いたぐらいの簡単な文章になっていて、うつらうつら、あっちにいったりこっちにきたり、語り口は優しくて快い音楽を聴いているようなんだけれど、内容は芸術の本質をずばりと言い当てている。あそこまでになればもう何を言ってもカッコいい、そうなりたいものだ。
ということで話を戻そうか。どこまでいったのかな、「おおいなる意志」の話からだった。
絵画というのは一見自由な空間に見えるけれど、これも自分の意識内にあってある種の宇宙の理の範囲の出来事なんだな。神がこの世界を作ったように今度は私が彼に代わって世界を作るというわけだ。
まぁこれに似た話も幾度となくここに書いたから新しくもないけれどね。でその理というのはいったい何じゃということだな。口で言うのは簡単だけれど、じゃどんなもんじゃ説明してみろといわれると、はたと困ってしまう。それが上手く説明できれば私はノーベル賞でももらえるのじゃないだろうかね。
もう永い付き合いのお店がある。このお店は最初は四畳半ぐらいの大きさだった。色んなものが所狭しと積み上げられていて、無い物はないというのが自慢であったけれど、いつもどこにあるのか探すところから始めなければならない。長年の夢は店を大きくしてきれいに商品が並べられることだったんだな。
で、何年か後、念願かなってお店が何倍も大きくなった。倉庫も出来てきれいに商品が並んでいる。けれどそれもさいしょの数ヶ月の話で、やがては最初の四畳半のお店が四つ分広がったかたちになって落ち着いた。まぁ私は気に入っているのでそれでいいのだけれど、話はその事が主ではない。
自分の将来の姿というのは今の自分の中にある、ということなんだな。見えないかもしれないけれど、未だ眠っているのかもしれないけれど、その多くの場合は今の自分の延長上に将来の私がいる。
昨日の話とつながるのだけれど、一日というのは自分の一生に似ている。で自分の一生は人類の寿命に似ているし、地球の誕生から終わりまでだし、この宇宙の始まりから終わりまでと似ている。
で、この話は例のフラクタルの法則に似ていないか。自己相似性というやつ。この法則、簡単に言えば「部分と全体が同じ理でできている」ということなんだな。
今の統計学なんかもそれを使うんだけれど、そう例えば商品の抜き取り調査でも、全部を調べないでもある程度ランダムにそこそこの数量を調査すれば全体が推量できるというもの。これは全体は部分と同じ確立で出来ているということの応用だな。選挙の当確予想も似たようなものだ。
で、話は少しずれてしまったけれど、その理論から推測すれば私は小さな宇宙の模型ということになる。
ということでまた。
写メ
はる 2469
一生というのは今日一日と似ているんだろうなぁと薄々感じている。一日いちにちの繰り返しが一生を作っているという意味ではなくて、もっとこう直感的で大雑把ものだ。多分これもフラクタル的ということで理解する事ができる。
Tさんへのメール
敦煌の壁画は今私が最も興味をもって観ているところです。
人が動物から離れて自我と言うのが芽生えた時に、どうしても避けられないのが
「死」という恐怖で、それを乗り越えるためにどうしても信仰というのが必要になっ
てきますね。
西欧の教会の壁画なんかでもそうですが、信仰に裏打ちされた「祈りのかたち」と
いうのはやっぱり一番強い動機になるようですね。でなければ、あれだけの仕事は残
せない。
なぜ私が今敦煌に惹かれるのか?そこのところはよく分かりません。ひょっとする
と自分の遠い祖先がモンゴルの騎馬民族かなんかで、シルクロードかそこらあたりを
旅していたのかもしれませんね。
それから、まぁ今の我々の生活というのが、ちょうど東洋と西洋の中間のような生
活をしていて、考えてみるとそういったことのルーツはシルクロードを通ってやって
きたここらあたりにあるのではないか、などと思うからです。
そんな事を考えながら、今の仕事をしています。それではまた。
写メ
「永遠の故郷5」
静物画のモチーフを組んでいる時に思った事がある。机の上にどう物を配置してもそれは作者の自由なわけだ。ところが自由でありながら、何かしらの法則にしたがっている自分を感じるんだな。それは幼稚ではあるけれど、初めて感じた「おおいなるものの意志」だった。
多分多くの絵画を学ぶ人が通る道筋だとおもうのだけれど、普通にものを見てかく。描写するところから始まる。やがてそれに飽きてき来るというのと、何かしら自分なりの表現というのを摸索し始める。手がかりとして最初に現れるのがセザンヌだ。
彼がやっている事は見れば見るほど不可解だ。水平線をわざとずらして描いている、何故なんだ?物をいろんな方向からみて一つの画面にまとめて描いている、どうしてだ?
彼がやっている事は風景も人物も静物も全て同じ次元で捕らえている。一度吸収して解体して自分の法則で組みなおしている。「セザンヌの塗り残し」が起きる訳は、要するに一つの画面の中でいつもバランスをとりながら仕事が進んでいる。だから一日の仕事が終わった段階で、途中でも終了しているというのが彼の理想だったのではないかな。
ここから始まった近代絵画の歴史はブラックやピカソのキュピズムにたどり着き、やがて抽象絵画と進んでゆくのは、そう遠いことではない。
写メ
はる 2466
今日はクロッキー、疲れた。
「永遠の故郷4」
宇宙の遺伝子ということで思い出したのがフラクタルの理論という魔法の話。まぁあまり難しいことは分からないし間違っているかもしれないけれど、行きがかり上聞いてくださいな。
この考え方は自然の山の形とかくもの形など本来何の法則性もないと思われているものが、何かしらの法則で成り立っているというもので、パソコンのゲームの背景やその他のことで利用されているらしい。
どういうことかといえば、簡単にいえば雪や鉱物の結晶などのように部分と全体がおなじカタチになるというようなことなんだな。自己相似性というのだけれど、最近ではグーグルの航空地図などを見ているときに感じることなんだけれど、道とか建物とかそういった人工物がなければどれだけ拡大しても結局同じように感じる。
どんどん近づいてそれがミクロの世界に入って分子とか原子電子の素粒子の世界に入っていっても、反対にどんどん引いて行って地球をどんどん離れていって太陽系とか銀河とか宇宙の果てまでいったとしてもそこに何かしらの類似性というのか、グーグルの航空写真を見たときと同じようなものを感じる。
それにやや似ているものにフィボナッチの数式というのがある。1,1,2,3,5,8,13,21,34,55・・(前の数字を順じプラスしてゆく)と続いてゆくのだけれど、やがてその比率は1.618の黄金比に近づいてゆく。もっとも物事は反対で自然の成り立ちを調べていったら1.618の比率でできていることが多かったということだけなんだけれどね。
まぁだから世界は簡単な数式で表すことができるというのは少し単純すぎるとは思うけれど、昨日の宇宙の遺伝子といい、考えはじめると我々の体の中の出来事と、この宇宙の出来事とは同じ事なんだということが言えないかな。ただその規模が違うだけで、宇宙というのかこの世界の始まりから終わりまで全てがこの私の中にあるということなんだな。
まだ続く
写メ
はる 2465「永遠の故郷3」
始まりのあるものは必ず終わりが来る。けれど終わりは始まりの始点でもあるわけだ。何のこっちゃですが、多分今の世もいつかは終わると思うんだ。それはまぁ人間の時間ではないでしょうがね。ところが今の世が終わったら、新しい世というのが始まる。そんなことを永遠に繰り返しているんだろうな。まるで仏教の涅槃の話のようですが、これは宇宙の話です。
実際に物理学ではエネルギー保存の法則というのがあって、必ずプラスがあればマイナスがあるようになっている。プラスばかりじゃいつかは宇宙は物質でいっぱいになってしまうし、マイナスばかりだと何もなくなってしまう。こんな話をどこかで聞いた。宇宙の温度は絶対0度ではない。少しほろ暖かい。なぜならそれはビッグバンの余熱だとさ。
自分には不幸ばかりが押し寄せてくる。幸せは私には関係ないと思っているひとがいたとする。でもねぇ世の中は裏腹でね、禍福は表裏いったいなものだ。考え方次第で不幸が一転幸福にもなりえるのだな。
自分がここにいるということは、宇宙が始まってからもうすでに決まっていた事、もし私が存在しなかったとしたら、何かどこかで不具合が生じることになる。ジグソーパズルのワンピースがなくなったように世界はいずれつじつまが合わなくなって混沌に戻ってしまう。
であるから、私たちは気付かないけれど、私の中にはこの宇宙ができてからのこと、そしてやがては終末を迎えるまでのことがプログラムとして組まれているはずだ。今は生命遺伝子などという生命のプログラムが解き明かされようとしているけれど、我々の身体のまだ知らない部分にそんな「宇宙の遺伝子」があるように思うな。
言いたかったことはそんなことではない。「永遠の故郷」の話をしたかった。又明日だな。んじゃ
写メ 「永い旅」130号部分
はる 2464
130号がほぼ終了。というのか私の絵の場合カタチと物語が決まればほぼ仕上がったようなもので、後はお得意の絵にする作業というわけだ。
この絵にするというのを説明するのが難しい。挿絵ではないので部分を説明する事ではない。簡単な言葉で言えば「宇宙を創る」ということかな。
この間の吉田の爺さんの話とつながるように思うけれど、全ての物、事の存在の仕方と言うような事なんだけれどね。まだ上手い言葉で言えていないなぁ・・。考えながら書いてみる。
私というものも宇宙のひとかけらである。私が存在する理由と宇宙が存在する理というのは、どこかで必ず重なっているいるはずだな。凡人の我々には感じられないのだけれどね。
ところがまれに天才がそんな宇宙の理を目に観えるカタチにしてくれたり、音にして聴こえるようにしてくれる事がある。まぁそれも我々が心を澄ませて、観ようとしたり、聴こうとしなければきこえないものなんだけれどね。
うまく説明できていないね。
写メ
はる 2463
午前中定期検診と仕事のための健康診断。
まぁ今お役所の裏金が問題になっているけれど、こんなのはどこにでもあるんじゃないのかなぁ。何でも予算いっぱいに使って余裕がなくなってしまえば窮屈だからね。ハンドルにもアソビがあるから、地面の振動を直接拾わなかったりするわけだから、人間の社会の知恵じゃないの、程度問題だけどね。
何故そんなことを思ったかというと、まったく手前味噌な話なんだけれど、ちょっと聞いてくれるかな。
私が非常勤を始めた頃はまぁ勤務時間のカウントも真にルーズでね。例えば木曜日に定期試験で潰れたらそりゃその時間は確保してあった訳だから、全部支払えとはいえないけど半分とか、当然請求できた。これもまぁ学校によったり、そのときの教頭とか担当の先生の胸先三寸によるのだけれどね。
ところがここ最近はとてもせこくてね、学校行事で潰れた時間なんて当然請求できない。それからこの間の通達では10分短縮授業になった場合六分の一カットなどと言い出した。まぁ当たり前と言えば当たり前なんだけれど、それってちょっと酷すぎないかな。
ボーナス時には可愛そうに思ったのかどこの学校も寸志をくれた。2,3万のことだったけれど、嬉しかったな。それもそうどこから出ているお金なのか、分かりませんでしたけれど、まぁ気持だよ。健康診断の経費も当然学校が持ってくれた。今じゃ自費だ。これは結構高額だよ。
最近の労働省の統計じゃ労働人口の三分の一は正規採用ではない、アルバイトとかパート、派遣や契約社員らしい。それらの労働が社会の底辺を支えているというふうなことを云っていた。ここらあたりの層はワーキングプアー層でね、次第に格差が広がっている。働いても働いても豊にはなれない。食うのがやっとだ。
学校のシステムも今じゃ非常勤の先生なしじゃやってゆけないようになっている。特に芸術系の先生は団塊の世代の先生が退職すると、使いやすい安い非常勤の講師にどんどんかえている。おい、それでいいのか。非常勤なんてね、これだけじゃとても食べられないから、退職して年金もらうまでのつなぎの嫌々やってるおっさんか、親に寄生している若いおばさんしかいないよ。
まぁ私はあえてこの労働形態を選んだので文句を言えたぎりじゃないけれど、この頃はちょっとひどすぎだな。私はいいとして、これから何とか学校を卒業して学校の先生しながら活動してゆきたいと思っている芸術科の先生の職場を奪っている。どんどん発言権が少なくなっている。正規の職員でない講師の発言権などまったくないし、この間の中国の労働者ではないけれど、替わりはいくらでもいるからね。文句いうじゃ辞めてもいいよって。
しかし、そりゃ違うよな。少なくとも教壇に立つ先生だよ。授業だけみれば正規の先生も非常勤も変わらんものな、けれど実態は明らかに安く使われて何の保障もない、保険もないし、年金もない。少しは自給がいいのはそういった諸々の経費にまわってしまう。全くプータロウのアルバイトとかわらん。 少なくとも最低年棒制にして、保険ぐらいかけてくれよ。使い捨ての一時凌ぎじゃ一人前の仕事として認められていないということだな。
管理職諸君よおーく考えてみてくれ。
こういった不満は見苦しいからほとんど書かないけどね。あまりにひどいのでね、ぼやいてみた勘弁してくれ。
写メ
はる 2462
吉田の爺さんの話が今日新聞に出ていた。読んでるだけで泣けてくる。94歳だからなぁ・・、こうやって自分が老いてゆく姿を何かしらのかたちで発信できれば理想的な死に様だな。
耳が聞こえなくなりゃ聞こえない事を、見えなくなれば見えないことを、何の装飾も無く淡々と表現してゆければそれでいいなんて思う。
音楽はもちろん、美術、文学など雑多な知識と今まで生きてきた諸々の事を織り交ぜて、夢のような文学に一番近い、スレスレのところをやってみたかったらしい。なぜなら「もうすぐ死ぬから」と。
よく考える事がある。生きる事に何の目的も無いのなら、神は何故人間なんて、いやこの私をこの世に送り出したのだろうか?たかだか百年生きるだけだ。それほど遠い所へ行ける訳も無い。
まだまだ分からないのだけれど、まぁ一つの解答が芸術というのか、音楽とか美術でもいいのだけれど、究極の形というのがそこにあるのでは無いかなと思ったりする。なぜならこれだと思うものがすべてそちらの方向を向いているからだ。言いたい事が上手くいえないのだけれど。
優しい故郷というのか、吉田の爺さんは「永遠の故郷」といってるけれど、我々は多分みんなそちらの方を向いているんだろうな。
音楽ではバッハだ。モーツァルトでさえ僕が、僕が、という声が聞こえてわずらわしいそうだよ。
写メ
はる 2460
地産地消とか身土不二なんかも同じような意味だけれど、簡単に言ってしまえば「自分たちの身のまわりにあるもので暮そうよ」ということだろうな。
昔宮大工の棟梁がこんな事を言っていた。日本の木造建築の凄いところは、木の特性を知り尽くして使っているところだというんだな。例えば北側の日の当たらないところの柱は。山の北側の日の当たらない所か取ってきて、丁寧に乾燥させて使うそうだ。何故奏するのかといえば、北の過酷な環境で育った木はきめが細かくて、長い間北風に晒されてもびくともしない頑丈な柱になるそうだ。
日本の風土に根ざした建物というのがあると思う。例えば床が高くて床下に風を入れたのは、夏の湿気を嫌ったからだろうし、長いひさしは雨の多い日本の気候に対抗するためだった。
そこの場所で供給できる簡単な土とわらで壁土を作って、縄で編んだ竹の格子に塗りこんだ壁を作った。漆喰壁の綺麗な化粧かべは、それでも裕福な余裕のある人の家だったのだろうな。庶民はただのそこらあたりの山から取ってきた赤土だったのだろう。
いつのまにか我々は「身の丈にあった暮し」というものを忘れてしまった。何だかお洒落な北欧風の小さい窓しかない真っ白いとんがり屋根の家などをを見ていると、この国の浅はかさというのがばればれになってくる。(分かっていると思うのだが、窓が小さいのは冬の寒気をさけるためであり、とんがり屋根は雪おろしの手間を省くためである)
選択肢が沢山あるというのは、ある意味非常に難しいし、不幸な場合が多い。多くのことを知ったがために、反対に決められない、風評に左右される、結局は大きな資本の会社の商品をえらんでしまうことになる。それがいいとか悪いとかの判断ではなしにね。
昔イタリアに旅した時、隣に住んでいたお爺さんが「私は自分が作った物しか食べないよ、それが誇りさ」と言っていたのを思い出した。その時はまぁただの頑固おやじだなぁ・・ぐらいにしか思っていなかったけれど、この事は大きな意味を持っている。
今食べる事は簡単なんだな、日本はそこそこ豊かだから、世界中の食材がそれなりの値段で手に入れられる。これはどこそこで取れた最高級品だなどと自慢したりする。それが今の日本のこだわりだったり、ある意味「誇り」になっているんだな。
百年遅れているね。そんなもの自慢するのは、田舎もんだ。本当に自慢するべきこだわりは「地産地消」、地元で取れた地元の物で暮すこと、身のまわりのもので何とか工夫して暮す事。これが取りも直さず最高の贅沢で豊かな暮しだということに、今頃気がついた。
中国の冷凍製品が悪い訳ではない。安いからと言って地元の作物をないがしろにして、田畑を埋め立てて、いつのまにか変な人種になってしまった我々が変なんだ。その事に気付かせてもらった感謝すべきだな。
そろそろまともな生活に戻りましょうか。
写メ
はる 2459
ことの顛末
最近パソコンの調子がいまいちというところがあった。まぁご老体ということもあって、こんなものかなぁと諦めていた。
で、一昨日の晩、そろそろやばそうなので大事なドキュメントあたりのバックアップをとった。まず一安心ということろで、バシィといって画面が真っ暗になってしまった。虫の知らせというのか、案の定というのか、ここまでだったんだな。
でまぁよくよく監察してみると、パソコン本体はどうにか動いているようだ。だめなのはモニターに使っているブラウン管のディスクトップのようだ。まぁこういった真空管形式のブラウン管などもはや骨董品でねぇ、電気屋さんのどこにいってもお目にかかれない。
一応配線をはずして学校まで持ってゆく。学校のパソコンが同じメーカーの同じ形式だったので、そこのモニターで映るかどうか試してみたところ、推測通り稼動した。
で、まぁ喜び勇んで中古屋さんのハードオフに立ち寄る。しかし、何だね、私のパソコンより新しい機種がもう2万円しないで売られている。それもブラウン管じゃなく液晶のディスクトップだよ。見たところほとんど汚れもないし、新古品なんじゃないかな。これで充分なんだけれど、今あるパソコンのモニターとコンセントの形状が違うんだな。
メーカーによっても、機種によっても微妙に形状がちがう。分かる人には簡単なことなんだろうけれど、なんでこうなるの?という感じ。
ということで、残念ながらモニターだけを買ってきた。で、一応復活したというわけだ。しかし、まぁ近いうちに新しい物に買い換える必要があるだろうな。その時にホームページビルダー6とか住所録のソフト筆王とかその他のソフトがそのままつかえるのだろうか?知っている人教えて下さいな。んじゃまた。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館