あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

二月も今日でおしまい。 - 2008.02.29(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2450
 今年は個展を四箇所で計画している。例年三回開催していたんだけれど、昨年は年末の個展が今年の初めにずれ込んでしまったからだ。今まで年に四回やったおぼえが無いので、体力的にちょっと心配なところもあるけれど、まぁ大丈夫でしょう。

 少し違った場所でやってみたい気もするけれど、新しい場所でお客さんを確保してゆくのは難しいだろう。神戸や大阪はそれなりに自分のテリトリーだからね。知り合いも多い。

 まぁまだまだこれからだね。



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今日はアトリエの片づけをした。 - 2008.02.28(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2449
 絵の具は何を使っているのか?と時々聞かれる。とくに内緒にしているわけでもないのだけれど、面倒なのでアクリル絵の具と答える事が多い。

 まぁあたらずとも遠からずで、アクリル系の絵の具に間違いは無い。色々と成分を調べると赤、黄、青の三原色は顔料からつくってもアクリルジェッソを使っても同じだということに気がつく。まぁ他に何か混ぜ物がしてあるのか、カビが生えないのはちょっとこわいけれど、まぁカビだらけになるよりいいかなと思う。

 後、白は日本画の胡粉とこれもまたアクリルのジェッソを併用する。胡粉は微妙なニュアンスが表現できて美しい色だな。値段も安価だ。ただ隠ぺい力というのが薄いので、濡れた時の色と乾いた時の色がかなり違う。アクリル絵の具を少し混ぜた方がいい時もある。

 黒はほとんど墨を使う。この頃はそれとニカワを併用する事にしている。出来るだけ自然なものを使いたいとは思うのだが、やはりニカワだけじゃ私の絵には接着力が弱い気がするな。かんり盛り上げるのでね。ただ墨ぐらいなら吸い込ませる事が多いのでニカワでいいかと思う。

 ここからは少し独自の絵の具だけれど、弁柄(酸化鉄)やトノコ(きめの細かい粘土)や土製の顔料から絵の具を作る。これが秘密といえば秘密かもしれないな。

 今日はアトリエの片づけをした。



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福キタル - 2008.02.27(ポケットの窓から)
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写メ

「福キタル」

 今までの物語よりはるかにぶっ飛んだ話だね。

 面白い話だよ。けどどうなんやろ、大衆受けするかどうか、難しいところやな。


 芸事の難しいところやけれど、難しいことを面白おかしくやらんならん。まぁ下世話に言って受けてなんぼやねんな。


閑話休題

 話を自分に置き換えても、自分は大したことないなぁと思う。人のことは色々言えるけど、さて自分のことになるとからっきしや。


 破天荒なとこなど微塵もない、ごく普通の一般人の感覚や、だからまぁそこそこ一般受けするんかもしれん。本物はもっとこう底なしの懐の深さを持っているきがする。それでもって底なしのあったかさと怖さを両方兼ね備えている奴なんじゃないかな。あこがれるけど、私には一生そこには行けん。


 努力して出来ることとできんことがある。根っからの器というのか容量なんやろな。


 芸のためなら金も女も命もいらん、とはなれないもんな。まだまだ命が惜しい。


 病気になったときは死ぬのは怖くなかった。どうせいつかは死ぬんやしと思った。けど今はもっと生きたい。死ぬのが怖いもんな。妙な欲が出てきた。


 悲しいね、小心者は。



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2008/02/26 - 2008.02.26(ポケットの窓から)
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写メ

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賛歌 - 2008.02.25(ポケットの窓から)
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写メ 「賛歌」

はる 2446
 昨日はレッスンを受けているチェロの先生のコンサートだった。もともと高校で音楽を教えているという仕事柄、多くの教え子たちが先生の退職を祝ってひらいたお祝いコンサートだった。

 先生のチェロとピアノの共演から始まって、吹奏楽、オーケストラ、最後は合唱となかなか変化にとんだ楽しいコンサートだった。

 元々私は中学校の頃、音楽に目覚めてブラスバンド部でユーホニュームを吹いていた。それ故ブラスの響きというのは物凄く懐かしく、あの最初の「星条旗よ永遠なれ」は運動会などで盛んに演奏したものだ。

 当時の顧問の先生の趣味なのか、ラテン音楽や軽音楽も随分とやった。「ウナセラディートーキョー」とか「マイフェアーレディー」などなど。今回もラテン音楽が楽しかったな。

 なぜか合唱も好きでね。今でも学校の合唱コンクールのラジオ放送はよく聴く。あれもつぼにはまると泣けてくるから不思議だね。なんだろうか?

 先生のポリシーは「音楽は音を楽しむ」ことらしい。確かにね、音楽はやっている本人たちが一番楽しいと思う。まぁそんな楽しい雰囲気が伝わってくるいいコンサートだった。ありがとうございました。



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「七沢秀人コンサート」 - 2008.02.24(ポケットの窓から)
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写メ 「七沢秀人コンサート」2008 2/24

韮崎文化ホールにて


はる番外

 絵を売るということについて、言いにくいことをはっきり言っている。


  山口画廊の「画廊通信」から無断転載
「・・ 略・・
 例えばアマチュアの方でも、「○○会」「××協会」と云う様な美術団体に所属している人を見掛けるが、彼らの中には画廊に価格を付けて並んでいる絵を、何処となく軽蔑を含んだニュアンスで、「売り絵」と呼ぶ人がいる。


 たぶん自分達の絵は純粋な芸術なのだから、売るための商品ではないと云う、笑止千万の屁理屈をお持ちなのだろうが、私はそんな団体特有の歪んだ謬見(びゅうけん)が大嫌いである。中には「絵は売るものではない」とまで宣(のたま)う御仁もいらっしゃるが、「是非その傑作を売って下さい」と数百万の大金を目前に積まれても、なお「NO」と首をお振りになるのであれば、お見それ致しました、その人は本物である、しかしそんな硬骨の士はまずいないだろう。


 率直に申し上げて、価格を付けた絵を「売り絵」と軽んじる言動は、「売れる絵」を描けない者の、僻(ひが)みであり妬(ねた)みに過ぎない。ちなみにここで「売れる絵」とは、「売りやすい絵」と云う意味ではない、売るに値する絵」、即ち「価格を付けるレベルに到っている絵」と云う意味なので、念のため。


「絵は売るものではない」などと云う台詞(せりふ)に到っては、最初から勝負を回避する者の、哀れな開き直り以外の何物でもないだろう。絵を「売る」と云う事は、厳しい評価の目に、作品を晒(ら)すと云う事だ。絵を「買う」と云う行為は、その作品に対しての、最大の評価に他ならない。絵の「売買」とは、作家とその芸術を評価する人の、作品を介した切実な出会いである。だから「売買」のない所に、真の評価は成立しない。


 故に我々にとって、売買に関わらない団体作家の多くは、例えどんなに崇拝すべき大先生であれ、プロの画家とは言い難い。けだし古今東西どんな巨匠であれ、絵が「売れなかった」画家はあっても、絵を「売らなかった」画家など、一人もいないのだから。

 中西さんは正に、正々堂々と絵を「売って」勝負して来た画家である。だから、幾千幾万の厳しい評価の目に晒されて来たであろうその絵には、団体に安住している作家には到底持ち得ない、見る人に強く伝播する芸術の「力」が、静かに湛えられている。・・以下略・・」




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春の嵐 - 2008.02.23(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2444
 あるブログを読んでいたら、国会の質疑応答が話題になっていた。で、TV中継なんか当然観ていない訳で、昔だったらどうこうと書かなければならなかった訳だ。ところが今は便利な道具・動画(ユーチューブ)がありまして、実際の録画をすぐさま観ることができる。

 まぁ他にも色々もう数限りなく著作権などあってなきがごとくでね、いくらでも探してみる事ができる。まだ一本の時間が数分で映画を観るとかまとまった作品を観るというふうには使えないけれど、そのうちに映画はネットで観るというふうになるだろうな。

 ただ今のブログのようにチャンネルがありすぎて、何がどこにあるのか、何が面白いのか、見つける事が段々に困難になってゆく可能性が高いな。

 だからグーグルのような動画の検索エンジンがきっとこれからのネットの主流になるだろう。

 で、話はネットの今後のはなしになってしまったけれど、話をもとに戻すと、その国会中継で語られたことは大手のカメラ会社キャノンの派遣労働の話なんだ。

 まぁ簡単に云ってしまえば、これからの雇用は正社員を少なくしてアルバイトやパートという(派遣社員)にしようという話。まぁ若者のワーキングプアの話にもつながることなんだけれど、昔から日本の雇用の形態というのは終身雇用制で、まぁ色々云われながらも今の日本の土台を作ってきたことは確かなことだわな。

 ところが、能率とか能力主義という名目でどんどん派遣社員などという(日雇い労働者)のような雇用制度が主流になってきてしまった。

 まぁ若い者が責任逃れで(ニートなどといって)しっかり働かないということもあるかもしれないけれど、そういう人間に育てたのは今の親たちだからな。責任はどちらにもある。

 まぁ自分のことは棚に上げて書いていますけどね。

 この間の食料自給率の話にしても、今問題になっている駆逐艦と漁船との衝突事故なんかもそうだけれど、核になっている問題は「仕事」ということじゃないかね。

 自分たちの仕事が何なのか、そのことをしっかり考えてこなかった、伝えてこなかったからじゃないかな。

 今日はここまでかな。



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明日は寒そうだ。 - 2008.02.22(ポケットの窓から)
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写メ 「テレビの画面をシャメしてみた」

はる 2443
 携帯を持つようになって2年ぐらいたったろうか。携帯の番号を公にはしていないので、かかってくるのは身内だけなんだけれど、この頃は自分のブログと組み合わせて使うことが多くなった。

 少し前までは携帯を持つことなど考えられなかった私の日常だったけれど、いざこれをもち始めるとなんだか心もとないきもちになるから不思議な持ち物だ。

 考えてみると、個人が通信手段を持つというのは、人類の長い間の憧れだったんだな。私が子供の頃、隣の友達とモールス信号のやり取りをして遊んだおぼえがあるけれど、これがまぁ気の長い話でね。「---・・・」「--・」なんてやるものだから、前の信号と一緒になって解読するのがまるで暗号のようだった。

 で、よく内容が分からないものだから、下駄をつっかけて「今のはこれこれの事か?」などと聞きにいったりした。笑い話のような本当の話だよ。

 映画の「プラトーン」で攻撃の位置を電話で見方に指示するんだけれど、これがまぁあらぬ所に落ちてくる。まぁ攻撃の最前線と後方部隊とのやり取りは大事なものだったんだと思うな。今じゃ誰もが携帯電話でやり取りできるわけだから、あんな話は今じゃありえない訳だ。

 文化というのか、個人の表現の仕方というのも随分と変わってきたと思うな。携帯以前と以降は何かが大きく変わったように思うな。今はっきり言えないけれどね。

 なんだかとりとめもない話でした。また。



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デパートでの個展 - 2008.02.21(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2442
 デパートなんかで個展をやると「こちら○○先生です」などと紹介される。まぁ日ごろ学校で「△△先生」と呼ばれることになれてはいるので、そう違和感もないのだが、あらためて考えてみるとおかしなものだ。

 ある種役割分担で芸術家役を演じてはいるけれど照れくさいものだ。人はみな何かの役を演じている。照れずにやれるようになると一人前というわけだ。


 絵を描くことは馬鹿でもできる。馬鹿なほうがいい絵をかく。本当に馬鹿なのか、馬鹿を演じているのか訳がわからなくなった。



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絵描きとしての正道 - 2008.02.20(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2441
 画家のMさんなどはどこの会にも属さず、まぁ知る人ぞ知るという感じだ。けれど全国に多くのファンを持っていて、私なんかもそうだけれど、近くでやってくれれば是非とも見に行きたいと思う。

 毎年色んなところで個展をやっていて、絵だけで食べている。けっしてメジャーな画廊ではないけれど、多分ここでやってくださいみたいなラブコールがいくつもあるのだろうな。

 例えばMさんなんかは昔の安井賞や昭和会賞などには無縁で、大きな有名な団体やコンクール展なんかにも関係なく、淡々と自分の世界を唄ってきただけなんだろうな。そうやって地道な努力というのか姿が多くのファンを作っていったのだと思う。

 絵描きにも何種類かありそうだな。画家としての王道を行っていて有名な美大をいい成績で出てメジャーな賞をもらって、一時注目をあびる。肩書きがいくつもついてどこかの大学の先生に呼ばれる。

 現代美術の大きな展覧会には必ず招待されて、多くの人には現代絵画の一人者として理解されている。時代の表現者として歴史に名前が残るかもしれない。たぶん・・。

 でも、しかし、それで何なんだ。そんなものは一つも偉くも、うらやましくもないぞ。

 少数かもしれないけれど、コアなファンに支えられて細々と食べて(失礼)Mさんなんかの方が絵描きとして正道を行っているのじゃないかな・・。どうだろうか?



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パートタイムのおじさん - 2008.02.19(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2440
 今日はパートタイムのおじさん。私は後何年こんなことをしているのだろうかね。もうそろそろ辞めたいなぁ・・。



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表現者の生き様 - 2008.02.18(ポケットの窓から)
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写メ

表現というのは不思議なもので、まぁこの年にならないと見えないことというのも随分ある。また年をとったから見えてくるというものでもない。


 よく思うことは「若いうちの苦労はかってでもしろ」という言葉。どうなんだろうかね、苦労知らずのぼんぼんなどと馬鹿にされるけれど、それもまた世知辛くなくていいじゃないかなどと思う。みんながみんなぎすぎす苦労人ばかりじゃ息もつけない。


 苦労知らずで一生過ごすことができれば、それもまた素晴らしい個性だよな。苦労することで見えてくることも多いけれど、反対に失うものもたくさんあるわけで、結局どっちもどっちだなと思う。人生深くなって味わい深くなることがいいことなのかね?よくわからない。


 まぁそれはさておいて。


 ある人の絵に年老いた老婆がよろよろと階段を上がってくる姿が描かれていた。絵柄だけを見ていると大事なことを見過ごしてしまう。


 今まで簡単に出来ていたことが段々に出来なくなってゆく。そのことは悲しい事実だけれど、あぁ又一つ楽になったんだなと感じて生きたい。で、年をとって衰えてゆく姿を淡々とリアルタイムで表現してゆきたい。それが生きてゆくということであり、表現者の生き様のように思う。


 そんなことを感じました。



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美術館コンサート - 2008.02.17(ポケットの窓から)
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写メ

イタリアでお世話になった孝志さんの「イタリアの真中で暮らす

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はる 2438
 今日は一日会場当番。日曜日はロビーコンサートがある。若い人は人前で発表する機会は多い方がいいように思う。それは音楽だけに限ったことではない。美術でも公募展やグループ展、個展と色々方法はあるけれど、機会は多い方がいい。

 バンドなどは活動のライブスペースがあるけれど、クラッシックの場合ほとんど限られた場所しかない。まぁそれに聴きに来る人も限られているしね。

 まぁそれはいいとして、自分たちの生活の中に西欧のオペラ的な生活とリンクするようなところがないので、今ひとつ臨場感に欠ける歌声だったな。所々日本の古い唱歌が唄われていて、そんなものがいいなぁ・・と思った。ただ単に知っている詩だという事かもしれないけれどね。



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かへって何? - 2008.02.17(ポケットの窓から)
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写メ 「かへ」

イタリアでお世話になった孝志さんの「イタリアの真中で暮らす

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加島査さんの油彩画の個展始まる - 2008.02.16(ポケットの窓から)
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写メ「加島査さんの油彩画の個展」天使

イタリアでお世話になった孝志さんの「イタリアの真中で暮らす

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加島査さんの油彩画の個展始まる

  2008 2/16~2/24

甲府市貢川1-1-12 055-226-8393

 画廊・三彩洞




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2008/02/16 - 2008.02.16(ポケットの窓から)
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写メ

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恥ずかしくないか? - 2008.02.15(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2436
 絵を教えるというのは難しい。一番簡単なのは自分にそっくりな絵にしてしまうことでしょう。まぁ、誰だって最初はだれかの真似をすることで自分のものを作ってきたわけで、いきなり自分だけの絵など描けない。

 そこに至るまでの過程なんだろうけれど、その人なりの良さというのか、持ち味を最大限に引き出すにはどうすればいいのか、そんなことをいつも考える。

 本当はそこも自分で考えるのがベストなんだろうけどね。なかなかそんなきっかけの言葉さえ見つからない。

 方法は色々ある。私はいつもわが身に返って考えるようにしている。自分はどうやって今のスタイルになったのか?そんなところにヒントが隠れているような気がする。

 で、結局人に教えているようで、自分が教えられているということに気がつく。

 話は変わって。

 誰だって自分の関わりのある人物が可愛い訳で、「○○をよろしく頼むよ」という話はよくあることだ。縁故とかコネなどは人間社会では極当たり前のことで、反対にそれが無かったらスムースな人間関係など結べないのかもしれない。

 私は自分が関係した生徒が自分が審査する展覧会に出してきた場合棄権することにしている。それが自分が今まで嫌な思いをしてきたせめてもの抵抗だと思っている。



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さてさてどんなもんじゃ - 2008.02.14(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2435
 今日は地元の団体の会員展の搬入展示。新しいシステムの導入でバタバタとする。特に目新しい発見もなし。

 私は100号のドローイングを出品する。今年から中央の展覧会でもドローイングを出品することになったので、まぁそのこともあって少し大きなドローイングを描いてみることにした。

 墨とコラージュで下地を作って今年は色は使わずに白と黒のコンテを使って、デッサン風にやってみることにした。ドローイングという言葉の解釈だけれど、まぁ下絵とかデッサンといった感じだろうか、しかし本当の所は分からない。



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2008/02/13 - 2008.02.13(ポケットの窓から)
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写メ

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天上の音楽 - 2008.02.12(ポケットの窓から)
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写メ 「天上の音楽」部分

はる 2433
 この連休前に歯の治療に行った事は書いた。ところが治療した歯が痛み出して、土曜日に再診すればよかったんだけれど、様子をみた為にとんでもないことになった。

 まぁ私の勘違いということもあるのだ。どうやら下の奥歯と思っていたのが上の奥歯だったらしい。違う歯を治療していたということになる。

 歯の痛みがどこから来ているのか当てるのは難しい。実際に虫歯があって目に見えていると言うのと、どこからか分からないけれど痛むといった場合、案外見当はずれな場所である場合が多いのだな。耳の下で神経が交差しているためにそういった勘違いが起こるそうだ。

 連休中歯がズキズキと痛んで我慢できなかった。鎮痛剤を探して飲んだんだけれど、これも気休め程度でね。利いてると思えば痛みも止まるのだけれど、痛いと思ったらどんどん痛くなってくるのだ。痛みというのは神経的な作用が大きいね。

 と言うわけで仕事が出来なかった。



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2008/02/11 - 2008.02.11(ポケットの窓から)
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写メ

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裸婦クロッキーに出かけた。 - 2008.02.10(裸婦クロッキー)
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写メ

はる 2431
 昨日はあれからけっこう大雪でしたね。市内で15cmぐらいつもったでしょうか。しかし、うって変わって今日はいい天気で、ほとんどの雪は解けてしまいました。

 そんな中、今日は朝から月に一度のクロッキーに出かけけました。昨日の天気があんなだったので、今日は少ないかとおもったら、意外に多くの人が参加していました。

 まぁヌードクロッキーをするチャンスというのは他ではあまりないので、月に一度の機会はみんな楽しみにしているのではないでしょうかね。私もそのひとりですが。

 クロッキーした裸婦像を直接利用したことは一度も無いけれど、そういった積み重ねがどこかででてくることは確かなことのように思う。それから、クラクラするくらい集中して絵を描くことはストレスの解消にもなるし、やっぱり面白い。

 私が始めてヌードクロッキーをしたのは、二十歳の頃だ。油絵の道具を買ったのはいいけれど、デッサンのデのじもしらなかった。兎に角一枚は花の絵をかいたけれど、どうにも形が取れない。これはデッサンというものを勉強しなきゃということで、大阪の肥後橋の近くのリアル・ロンド絵画研究所に通うことにした。

 ここは週一の割合で裸婦クロッキーをやるようにカリキュラムされていて、みんな熱心にやっていた。とにかくここの島常武先生の話が面白かった。

 字と絵というのはよく似ているところがあって、字の上手い人はけっこう絵も上手い。これはまぁ筆先のコントロールが上手いということになるのだろうか?よく分からないのだけれど、字を見て左右バランスよく書ける人は訓練さえすれば、相当絵も上手く描けるようになる。

 また反対に絵の上手い人は字を書かせても上手だ。昔から書画一致というのだけれど、いいえて妙だ。

 私の生の字を知っている人はわかると思うのだが、私はまともな字がかけない。これは謙遜でも、嘘偽りでも、冗談でもなく、まったくバランスもセンスもなにもない。ただただ下手くそなんだな。例えていうなら、一メートル先に筆を付けた棒で書いているように筆先が上手くコントロールできない。

 字が上手くかけないというのが、子供の頃からのコンプレックスで、なんとかこれを克服しようと努力もし、夏休みなどに特別硬筆の宿題をかせられたりしたのだが、そのときは上手くかけても終わってしまえば元の木阿弥で、自身がっかりした。

 あれは矯正してなおる物ではないようだな。癖みたいなもので、よく言えば個性、スタイルみたいなものだ。私の絵がまがりなりにも、面白いとか楽しいと思っておもらえるとしたら、多分この手の融通の利かなさからきているように思う。

 普通の人が簡単にまっすぐにひける線が私には一生懸命苦労しなければひけない。不器用というのでもない。手先はけっこう器用なんだけれどね。まったく不思議だな。

 速く走ることは訓練すれば何とか自分なりに可能だ。けれど一生懸命ゆっくり走ってる、そんな感じかな。不得意だから、上手くゆかないから、一生懸命やっている。そこが面白い、楽しい、味があるということになるのじゃないかな。

 誤解しないで欲しいのだが、手仕事に関しては、ハンディがあったり、不器用な方がのびる気がするね。面白みがあるきがする。どうだろうか。
 



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また雪が降るようだ。 - 2008.02.09(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2430
 午後から雪が降るという予報。午後一時の約束を早めて午前中に友達と会う。彼の実家はここらあたりでも有名な過疎の村。少し前に偶然美術館で会った時に、どこかに適当な住めるような廃屋がないだろうか?と聞いておいた。

 事情があって、今は街中に住んでいる。描いた絵は倉庫を借りてストックしているのだが、やがてはどこかに恒久的に移さなくてはならない。まぁそんなことがチラチラと浮かんでは消える。

 ということで、雪が舞う中をその過疎の村まで出かける。確かに風景はそこはかとなく寂しくて美しくはあったけれど、あまりにも美しすぎて悲しくなってしまった。

 上手い話はそうそう簡単には手に入らないことは、今までの人生でよく理解している。ありがとう、またいい話があったら声をかけてくれ。



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今日はこんな日だったよ。 - 2008.02.08(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2429
 今日はめいっぱい雑用。

 午前中歯医者さんへ。少しずつ傷んできている歯の治療。何処となく奥歯に痛みがあるので治療してもらう。しかし、治療で削った歯が痛い。このまま明日もずきずき痛むのだろうか。かんべんしてくれ。

 午後は散髪に出かける。以前は自分でやっていて、出来不出来がハッキリしていた。日によって悲惨な状態になる場合もある。人様から見ればたいした違いは無いのかもしれないが、失敗した場合1ヶ月は我慢しなければならない。

 そのまま目医者さんに行く。目医者さんにはもう長くかかっている。昨年の十一月頃に左目が痛んだ。翌日おきたら白目の部分に水泡が出来ていて、慌てて目医者さんに出かけた。目は私にとって商売道具、これが壊れるのが一番怖い。だからそのままずっと定期にかかっているのだが、なかなかOKがもらえない。ぶどう膜炎というそうだ。

 それぞれ身体の部分がいたんできたようだな。少しずつだましだまし使ってゆくしかない。

 しかし、二時間近く待たされて診療時間はたったの五分だった。いい睡眠時間が取れた。

 その後、いつもお世話になっている修理やさんで、車のオイル交換をしてもらう。

 帰ってきたら六時過ぎていた。今日はこんな日だったよ。



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北の雪景色 - 2008.02.07(ポケットの窓から)
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写メ

 山の方の雪景色です。



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タニマチ - 2008.02.06(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2427
 絵を売るというのはちょっと危ないところがある。気をつけないといつの間にかそういったところに入り込んでしまう。値段があってないような世界だからだろうな。人によってはとても価値のあるものでも、他から見ればただのガラクタである場合もあるからね。

 出来るなら直接的に金銭のやり取りはしたくないのだけれど、まぁ弱小の製造販売業なら仕方ないところもある。生き方を売っているとはいっても、実質的には何かしらの援助を受けているわけで、霞を食って生きているわけではない。

 相撲取りなんかも芸人みたいなもので、タニマチやひいき筋がなければやってゆけないらしい。単に強いだけじゃ人気もでない。誰かが悪役になって正義の味方が引き立つというものだ。

 何だかよく分からん話になってしまったな。またあした。



↓のCMは勝手に付くもので、クリックしないように。



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絵画製造販売業 - 2008.02.05(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2426
 今日は夜の仕事だけ。

 昼間は早めに確定申告にゆく。こいつがなかなか面倒だ。誰かが絵描きは「絵画製造販売業」だといったそうだが、何だろう下町の町工場の響きがある。まぁそれに近いところがあるけれど・・。

 サラリーマンはこういった話には無縁だと思うのだけれど、我々のような仕事は不定期収入で、雑収入ということになる。何が必要経費でどこまでがかかったお金か、職住一体になっているので判別が難しい。

 例えば旅行に行ったとしても取材といえば必要経費だし、遊びといえば遊びだものなぁ・・。アトリエの暖房も生活暖房と分けがたい。

 まぁうまいやり方があるそうだけれど、我々程度のことじゃ目くじらをたてるほどのこともないだろう。他にもっと巨悪がいるわけで、そちらの方を揺さぶった方が益があるように思う。たのんます。








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2008/02/04 - 2008.02.04(日記)
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写メ

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雪景色 - 2008.02.03(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2424
 今朝は雪が降っていた。まぁ春の雪で随分と水分を含んだ重たい雪だな。

 今日は節分でもう春も近い。豆まきをしましたか?「おにはそと~~、ふくはうち~~」ってね。なかなか情緒があります。我が家は毎年、全部の部屋を豆を持ってまわります。面倒だけどこれをやると少しすっきりするから不思議だね。

 例の餃子の話。事件なのか事故なのか、今のところ分からないけれど、さぁだから中国人は信頼できないという風になってしまうと大きな問題を見失ってしまう。自国の食について考える大きなチャンスなんだろうな。

 エネルギーもそうだけれど、いつに間にか食もほとんどのものが自国でまかなえなくなってしまった。たまたま今回は中国の餃子だったけれど、だったら餃子を輸入しなければいいという発想はアントワネットの「だったらお菓子があるわ」みたいなものだな。

 自国の食を外国に頼らざるを得ないようにしてしまった制度というのか、考えのなさが問題なんだろう。いずれ首根っこを抑えられているわけだから、「文句いうじゃ飢えてもいいんだね」ということになるようなきがするな。

 もう一つ、この話から見えてくることは、因果応報というのか負の遺産というのかな、例えば暴力を受けて育った人は暴力に鈍感で自分もまた暴力をふるうようになるといった話と似ている。

 多分ここらあたりに凄く真理が隠れているように思うのだけれど、知らないとか、気にしていない、気付かない、ということになるのかもしれないけれど、多分彼らは自分たちの存在を気にされてはいないのだ。

 多くの工員は安い手間賃で雇われる、いくらでも替わりがいるただの部品でしかない。文句をいえばその日から食べては行けなくなる、だから文句も言わずにせっせと何も考えないで奴隷のように働く。

 日本を始めとした西側の先進国はその安い賃金が魅力でどんどんと工場を移してくるのだけれど、そこには凄い傲慢が隠れている。

 自分たちが人として真っ当に扱われていない人間に、人として普通の倫理を押し付けるのは間違っている。もしそうならば彼らに人としてまともな賃金や環境を与えるべきなんだろうな。

 まぁ何とも不愉快な問題だな。

* コメント覧を当分閉鎖します。

不愉快なコメントが多く、我慢してきたけれど、しばらく閉めることにしました。またおりを見てこっそり開きましょう。


 当分コメントはHPの掲示板にお願いします。



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加島査・個展案内 - 2008.02.02(ポケットの窓から)
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写メ

加島査さんの個展が始まった。

(名前を間違えていました。お詫びして訂正します。)


水彩画 2008 2/2~2/11

油彩画 2008 2/16~2/24


甲府市貢川1-1-12 055-226-8393

 画廊・三彩洞



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