あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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結び柳 - 2007.12.31(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2390
 今年最後になってしまいましたね。数少ない常連のみなさん、来年もよろしくお付き合いください。皆様にとっていい年でありますように。よいお正月をお迎えください。

 それではまた来年にお会いしましょう!



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安息を意味する。 - 2007.12.30(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2389
 私に絵でも描けばと示唆してくれたお袋は、未だ92歳で元気で暮している。前にも書いたかな、体重が27キログラムしかない。ガリガリのミイラのようだな。それでも意識はすこぶるハッキリしていて、入院先の医者を困らせるくらいの嫌味を実に的確に言ったりする。

 今年の初め頃に右手首を骨折して私が見舞ったときはビンビンに腫れていてグローブのようだった。お袋の凄い所はそれでも何かを書き付けておきたい、記録しておきたい、という欲求が人一倍強いところだ。

 さて、どうやって彼女は記録したのか?なんと利き手ではない左手で日記をつけ始めた。それでも人間というのは凄いものだ、あの年になっても学習するんだな。段々に上手になる。

 たぶん私は彼女の血を濃厚に受け継いでいるようだ。お袋にとって日記を書くことは今を記録しておくという気持はほとんどないだろう。今現在考えていることを書きながら考えている。それが今自分がここにいるということだからだ。

 閑話休題・少し関連して

 人は今しか生きられない。前世も彼岸も天国や地獄の存在もたぶんないだろう。心臓が止まればはっきり言って、何もかもが消えてなくなる。でもそれはそんなに悲しいことではない。色々な煩わしいことや、繁雑な仕事から解放されるということであり、もう何もしなくてもいいんだよという安息を意味するからだ。

 反対にこの世からいなくなった後にも、天国や彼岸があって色々なことが現世のように考えなければならないというのじゃ、救われない。年寄りも若造も金持ちも貧乏人も関係ない、きれいさっぱり何もかも消えてなくなった方がかえって救われるのだな。

 意志をもった個人というのはここまでなんだ。それでいいと思ってる。ここからは全体の中の一部になるのだろうな。まぁ物理のエネルギー不変の法則からいっても全体としては何も変わらないのだから、増えも減りもしない。

 もっと言えばこの宇宙が出来たときから、何もかも変わらないし、決まっていたことなんだと感じるんだな。これは前世とか霊とかいうあやふやな、まやかしではなくてね。なにも変わらないんだ。たまたま私は何かの形で、偶然この世の中に特別なかたちででてきたけれど、これが実は最も不安定なありえない偶然だったんじゃないかな。

 だから、まぁ死というのは一番安定した「おおいなるもの」の一部になるということなんじゃないかと思っている。


 今日はここまで。



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終の棲家 - 2007.12.29(ポケットの窓から)
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はる 2388
 昨日DMの発送をした。順調にゆけば年内には着くことになるだろう。ただ年賀とハンコが押されているものは正月につくことになるのかな。それで今年はお仕舞いかな。

 私が所沢の教師を辞めて山梨の高校の非常勤を始めてからずっと一緒に、農業高校で家庭科の非常勤をやられていたI先生が亡くなられたというハガキをいただいた。

 その高校を辞めてからもう随分となるので一年に一回ぐらい個展でお会いするくらいで交流もなかったのだけれど、旦那さんがキリスト教の牧師さんだということで、来られた時には長いこと話をした。それから息子さんも牧師なんだけれど、彼は反対に美大出身なんだな。

 ずっと将来のことを考えて、まぁ自分が考えているだけだけれど。私が死んだら大きな作品は何処かの教会に寄付しようかと考えている。ばらばらになるのであれば、どこか一箇所にまとめて置いてくれるのならそれが一番いいかな。

 学校や公共のスペースというのもあるけれど、案外管理がいいかげんでね。いつのまにか倉庫に入ってそのうちに捨てられる運命になる。美術館も全部はとてももらってくれないだろうしな。

 私の作品たちが一番居心地良くいられるのは教会かなと思うからだ。終の棲家を考えてやらねばね。



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うむ、くせもの、これでも食らえ。 - 2007.12.28(ポケットの窓から)
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はる 2387
 いよいよ今年も終わりに近づいたな。

さて、いよいよラストスパート。とはいっても私の場合、絵はとっくに終わっている。だけど気持があせるんだな。個展に向けていろいろと雑用がある。今日は額入れをした。これがまた大変な作業でしてね。


 今回の額は全て箱型のもので、昆虫採集の箱を想像してもらうと良く理解でいるかな。今までのようにただ入れ込めばいい、というものではなくて、全て裏からネジ止めするという繁雑な作業がついてくる。


 想像してもらうと分かると思うのだけれど、額本体はただのガラス付の箱なんだな。これにまわりに4センチぐらいの隙間を作って裏からビスで留めるのは、ほぼ勘に頼るしかない。


 屋根裏に忍者が潜んでいて、「うむ、くせもの、これでも食らえ」ってなわけで長い槍を天井板に指すようなものか。分かってもらえたかな。


 ということで、又明日続きをすることになる。



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三丁目の夕陽 - 2007.12.27(ポケットの窓から)
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 久しぶりに散歩した。いつのまにやら銀杏の木は裸になって、うっすらと向こうに町が見える。漫画「三丁目の夕陽」みたいな風景だな。何だろうなぁ・・この昭和の中頃の気分と言うのは、我々をウルウルさせるものを持っている。懐かしい風景だ。



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何だか気忙しい。 - 2007.12.26(ポケットの窓から)
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まぁじっくり考えなくてはならないことがあるのだけれど、今日は時間がありません。ということでまた。



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善も悪もすべて自分の作ったイメージの中にある。 - 2007.12.25(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2384
 よく考えてみると、善も悪もすべて自分の作ったイメージの中にある。「こうあってはならない」とか「こうあるべきだ」というのは結局は今まで生きてきた私の経験から出てきたものだ。

 だから悪のイメージを語らせれば、その人が今まで誰にも言えずに隠くしていた、とんでもないことがでて来るかもしれない。善を語らせるよりずっと面白い結果がでてくるだろうな。



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私の中には色んな欲が渦巻いている - 2007.12.24(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2383
 高山辰雄や松井冬子さんの絵を観て感じることは、絵を描くことで何かしらあちらの世界と交感している。徹底して描くこと。である瞬間、無意識に結界を越えて「あちらの世界」に踏み込んで行く。絵描きとして、本来の姿はそうであらねばならないと強く感じる。

 ふりかえってわが身をかんがみるに、到底そこまで至っていない。絵を描いていて、未だに感じる居心地の悪さは「私は絵を描くことが好きではない」のではないか?という疑問だ。まぁことここに至っては「好きだとか嫌い」ではすまないことではあるのだけれどね。


 そういったことを考えあわせると、純粋な意味で私は絵描きではない。絵描きになれなかったと言ったほうがあたってるかな。私が絵描きだとしたら純粋に描くことが好きな人間に申し訳ない気がする。


 私はもっと不純で、通俗的で、私の中には色んな欲が渦巻いている。例えばもっと有名になりたいとか、どうすればもっと注目されるかとか、どうみせたらカッコよく見えるかかとか、人によく思われたいとか、もっと豊になりたいとか・・。


 まぁよく言えばそういった全てをひっくるめて「自分の表現」としているのかもしれない。



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忘我,それもまた真実なんじゃないかとおもう。 - 2007.12.23(裸婦クロッキー)
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はる 2382
 今日はクロッキー会でした。二ヶ月ぶりですな。

 今日たまたまNHKの「日曜美術館」を観ていたら、高山辰雄をやっていて、あぁやっぱりこの人は凄いなぁと思った。そういえばこの人の「聖家族」の展覧会を小川美術館に観にいった時のことを思い出した。

 何か大きなビルのオフィスのようなところで、あの例のぼやぼやとしたデッサン群が並んでいた。当時何にひっかかりを感じたのか、ほとんどおぼえていないのだけれど、ワザワザ東京まで彼の展覧会を観に行ったのだから、気になる存在ではあったのだ。

 今日生前のインタビューが放映されていたけれど、私が今年個展のメッセージに書いた事と同じようなことを言っていた。これは本当に驚いた。

 うろおぼえだけれど書いて見ようか。

 「私は個性と言う言葉が嫌いだ。今の時代は何でも個性々々と伝家の宝刀のようにいうけれど、なぜか薄っぺらなものを感じる。私はむしろ人として、生物として、生きるものとして(共通)なものを見つけたい、聴きたい・・」ちょっと創作が入っています。

 それから今月号の美術手帳の特集作家が松井冬子だった。この人はその美貌と画題のグロテスクさで注目されているけれど、若いけれどすごいなぁと思う。まぁ高山辰雄と狙っている世界は違うけれど、一種共通するところがある。

 絵を描くことに徹底して、描くことを楽しむというのか、忘我というのかな、そこまで行ければそれもまた真実なんじゃないかとおもう。



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もっと地方は苦しくなるだろうな - 2007.12.22(ポケットの窓から)
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はる 2381
 昨日は東京にいました。まぁ東京は活気があって何となくおもしろいですね。暇があったので銀座の画廊をまわってみましたが、国画のメンバーが沢山展覧会をやっていました。昨年までは同じようにこのシーズンに個展をやっていたわけだから、まぁ何となく寂しさも感じます。

 松屋によって、来年の個展会場をみてきましたが、なんと独立の大津英敏さんが芸術院賞受賞の記念展覧会を同じ会場でやっていました。あの同じ会場で私がやるのですから、本当に私なの?と言う感じです。

 でまぁ、同じことをやっても東京じゃ観る人の数も違うし、だいたい観る人のセンスというのか、感じ方もちがうんだな。だからみんな東京に出てしまう。特に東京に近い我々の町なんかヌケガラのようなカスしか残っていない。

 まぁこれからもっと地方は苦しくなるだろうな。



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2007/12/21 - 2007.12.21(日記)
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2007/12/21 - 2007.12.21(日記)
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のどかな風景 - 2007.12.20(ポケットの窓から)
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 八ヶ岳のふもとののどかな風景です。まぁ私は遊びに行っている訳ではないので、風景を愛でる暇もなかったのですが、こうやって兎に角一枚おさめておこうと思ったわけだ。


はる 2379
 普通美大に行くような奴は高校のころから美大の予備校に行ってデッサンの勉強に明け暮れる。幸か不幸か私の周りにはそういったアート系のガキがいなかったので、選択肢として美大というのは全く考えになかった。

 だいたい何がやりたいなどと決められる方が可笑しいのじゃないかな。二十歳やそこらで、自分の方向性なんか見つけられない。ウダウダと毎日をおくっていて、あぁこうやってくだらない大人になってゆくのかなぁ・・とたまらなく嫌だったことはかすかにおぼえている。

 その頃はまだ絵なんて描いていなくて、自分でアクセサリーみたいなものを作って路上で売ったりしていた。一つか二つ売れたかな。大道芸人とか寅さんのような路上販売人に憧れていた。

 どうやっても正規の職業についてまともなサラリーマンになるという発想にはならなかった。どこかに河原者というのか漂流者の血が流れているのかもしれないな。

 だからと言って、華々しいファッション関係やデザイナーになるというのも考えられなかったし、まぁ本当に何をやればいいのか何者にもなれない、一番辛い頃だったようにも思う。

 絵でも描いたらと言ったのはお袋だった。何がそういうふうに感じたのか、特別絵が好きで描いていたわけではなかったので、その選択肢はドキドキした。

 今でもおぼえているけれど、神戸大丸の斜め向かいにある画材店で油絵の道具を一式買った。それが二十歳の誕生日のプレゼントだった。随分と出遅れた始まりだった。

 つづく。



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2007/12/19 - 2007.12.19(今日のアトリエ)
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何だか忙しい。昨日は今年最後の授業だった。生徒もなれたもので試験が終わって成績をつけてしまえば、この先生は授業をしないということを心得ているようで、教室に道具を持ってこない生徒もいる。そう何か一本映画をみせる約束だった。「パッチギ」を観たけど、ちょっとエロイシーンがあって困った。最近の学生じゃあの程度は大したもんじゃないのだろうけれどな。


 今日は年賀状兼個展のDMを出す。今頃になって喪中のハガキがきても知らんぞ、もう出してしまったからな。



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2007/12/18 - 2007.12.18(日記)
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未だ途上にいる。 - 2007.12.17(ポケットの窓から)
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はる 2376
 どうやっても「表現したい」という気持があるのかもしれない。かもしれないというのは何だか無責任だけれど,よくわからないというのが本当のところかな。

 絵を描くというのは単にその一つにすぎないような気がする。ここのところをもう少し考えてみよう。

 「表現したい」というより「考えていることをカタチにしたい」という方がちかいようだな。

 昔からものを考える時に書きながら考える癖があった。そのほうが要領よく考えることができるし、書かないと同じことの堂々巡りになることが多い。

 今もこうやって自分の思考の過程をキーボードに向かって打っているわけで、まとまった文章が先にあって書いているわけではない。だらだらと考えながら書いている。だから後で読んでみるとはやめちゃなことが多いな。

 前にも書いたけれど、普通絵描きは子供の頃から絵を描かせれば飛びぬけて上手だったとか、暇さえあれば絵を描いていたという逸話の持ち主がおおいけれど、私に関してはまったく当てはまらない。

 物を作ったり,考えたりすることは好きだったけれど、特に絵だけが好きだったわけではない。そういったことを何か形にしたら、とりあえず絵描きだったということかな。他にあてはまるカタチがなかった。

 今でも多分にそういったところがあるけれど、「絵描き」という職業はないと考えて来た。ただ自分の考えをカタチにしたり、文章にしたり、絵を描くことで考えて来たわけだから、それが「仕事」になるとは考えられなかったからね。そう今でもそんな続きの中にいる。

 だから、普通ならもうすでに解決していなければならないような、仕事の手順とか、技術なども未だに行き当たりばったりで、絵も上手くいったり全くの駄作になってつぶしてしまうことも多い。

 いまだに途上にいる。



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冬空 - 2007.12.16(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2375
 今回も何件か問い合わせがあった。ほとんどが有料の記事を載せないかというお誘いだな。

 例えば美術系の有力雑誌で記事になってもそれでお客さんが増えるかといえば、ほとんど期待できない。一人か二人問い合わせがある程度だ。まぁ特集記事にでもなれば別かもしれないが、普通のベタ記事では、私の絵がまずいということを考慮しても思ったほど効果は期待できないものだ。

 考えれば、自分でもそういった記事を見て、よほどの義理かインパクトがなければワザワザ出かけることはない。自分の友人や知り合い、絵の仲間、親戚など有力なタニマチを除けば,数えるくらいのお客さんしかないことに気付く。

 知らない場所で個展をやることの空しさを嫌と言うほどしることになる。大体若いうちはそれでも「東京」でやることに意気を感じて赤字覚悟でやるんだな。それも学校を卒業してから10年ぐらいかな。段々にやり続けてゆくことに疲れてくる。

 それでも我慢してやりつづけてゆけば少しずつ,本当に少しずつだけれど作品にファンがついてゆく。画廊とも信頼関係ができてきて企画になったりする。絵描きとしてやって行けるかどうか、そこらあたりが分岐点かもしれないなぁ。

 コレクターというのは作家の活き方をみているように思う。最初からいきなりコレクションすることは少ない。何年か様子を見ていて作家と話をしたり,その人間性を眺めているんだな。で一度コレクションすると何点か連続してコレクションするようだ。

 まぁだから、精進するしかないということだろう。



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表現するものされるもの、にじみ出てくるもの。 - 2007.12.15(今日のアトリエ)
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はる 2374
 最初の頃は、個展をやればもういっぱしの画家で、新聞や雑誌で取り上げてくれて、観も知らない多くの人がどんどん来てくれる・・と思っていた。

 放って置いても誰かが見つけてくれて、幸運にも世の中に出ることができるものだと、思っていたところがある。しかしまぁ、世の中はそんなに甘くはない。

 新聞や雑誌もただただ黙っていたのでは記事にもならない。そらそうだろう、何処のだれともわからない三文絵描きなど珍しくもない。記事にしたところで一銭の儲けにもならない。

 記事にしてもらうには、個展の内容や自己紹介を含めて今回の個展のテーマの簡単なキャッチフレーズなど、分かりやすく簡潔にまとめておく必要がある。取材がきてから考えていたのじゃ遅すぎる。反対にこちらから取材しなくても記事にできるくらいのコメントを送るほうがいい。

 そんなことが分かってきたのは自分で個展を始めて5年も過ぎた頃だろうか。今では毎回二ヶ月も前に雑誌社には原稿とDMになる前の写真を何点か送ることにしている。上手くすれば記事にしてくれる。

 絵描きは絵だけ描けばいい。確かにその通りなんだけれどね。そういった意味では私は純粋な絵描きではないな。自分の考えていることをメッセージとして出来るだけ分かりやすく伝えたいと思っている。

 それが文章や言葉であるなら、それを使ってもいいと思っている。絵画に布や土や紙など身近な使えるものを何でも持ち込むように、表現として可能なら何でも使いたい。このブログさえも私の表現の一部だと思っている。いや、本当はすべてにじみ出てくるものなんだろうな。それが本物だ。



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定点撮影 - 2007.12.14(ポケットの窓から)
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トップ画像更新しました。

 アトリエから庭に出たところの写真ですな。空の形が家のシルエットでギザギザに切り取られているのが面白い。それにしても空の色が綺麗だな。



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一事が万事 - 2007.12.13(ポケットの窓から)
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写メ

はる 2372
 毎日こうやってブログに載せるためだけにシャメを撮る。何か特別な出来事で無い限り,一日一枚、撮ったらすぐに送るようにしている。だから更新の時間を見れば私が何処にいたのか、アリバイ成立というわけだ。だれも気にしてないとは思うけれどね。

 シャメは便利で、日記を書く暇がないときでもこれなら簡単に更新できる。まぁだれが考えたのか、写真付きの日記を毎日アップできるのだから、ブログというのは恐ろしい道具だ。

 これがどんな風に情報として蓄積されてゆくのか、どう利用されるのか、何もかも今までなかったシステムだから分からないのだけれど、まぁ仮に私の様な仕事の人間がこうやって日々の出来事をリアルタイムで晒してゆくことは,面白いのじゃないかと思う。たとえ嘘八百だとしても、もう八年ほどの実績があるのでね、半分ほどは真実が書かれているだろう。

 シャメにしたところで、こうやって毎日撮ると、自然とその人の癖というのか好みとか考えとかセンスとかが出てくるように思う。まぁこれが一つや二つじゃダメなんだ。何百何千枚撮ることで分かってくるんだな。

 「一事が万事」だな。たった一つのことの中にその人の全てが隠されているということだ。もっと言えば、今日一日に私の一生の出来事が隠されているんだろう。とすればなんといいかげんな人間なんだろう。反省



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人間の器 - 2007.12.12(ポケットの窓から)
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はる 2371
 ある人と話をしていて、企業というのもまぁ大きくなってしまうと分からないのだけれどと断りながら、社長の器が会社の器だというようなことを言っていた。

 会社の器というものが何を差しているのか、会社という組織で働いたことがないのでちょっと理解しにくいのだが、自分なりにこんなことかなと思った。以下上手く書けないかもしれないけれど、書いてみる。

 教壇の上にたって、まぁ40人足らず生徒を相手に話をするわけだけれど、クラスによって微妙に雰囲気が違う。まぁそれぞれの生徒の個性が違うということは勿論大きな要素だけれど、その後ろにある担任の個性というのか透けて見えるんだな。

 夏を越えて秋口からこの時期になると、もう完全に手なずけられていなければならない訳で、どういった形で手なずけているのか、でクラスの雰囲気が変わってくるのだな。

 力ずくで押さえ込んだクラスというものは力の弱い教師、特に女性の先生の時間など授業にならない。彼らははっきり言って動物のような勘を働かせて、上手く立ち回るのだな。力の強い先生の元では羊のように大人しい。

 それと反対にちゃんと話を聞いている担任の生徒というのは安心しているんだな。それは力ではない。最初はばらばらだったクラスもこの頃になると妙に大人しく落ち着いてくる。

 担任と親というのはよく似ている。学校という大きな家族の親みたいなものかな。子供たちには親が例えどんなに偉い人物であろうと、反対に犯罪者であっても関係ないのだな。どうやっても親なんだ。

 ただただ、自分のことみて欲しい。観てて欲しい。それだけなんだ。担任もそうじゃないかな。そういったクラスはやがては落ち着いてくる。

 もう一つ同じような話だけれど、養殖の魚の話。兄貴から聞いたんだけれどね。どんなに大きくなる種類の魚でも水槽の大きさが小さければ大きくならないんだってさ。上手く出来ているよな。

 企業の器の話もそんなところだろうかね



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TAO展終了 - 2007.12.11(ポケットの窓から)
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 グループTAO展が大盛況のうちに終了しました。ありがとうございました。



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鉄瓶 - 2007.12.10(ポケットの窓から)
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 我々が子供だった頃、冬場は火鉢に鉄瓶がいつもかかっていてシューシューと湯気を吐いていた。そのチンチンに沸いたお湯は寝るときには湯たんぽに入れて寝床をあたためるのに使い、朝顔を洗うときに使った。まぁすべてに無駄がなかったというのか、物を大切にするという習慣が生きていたな。何時頃から何でも使い捨てになってしまったのだろうか。


 こういった習慣も一度失ってしまうとなかなか取り戻せない。けちというのではない。無駄を無くすというのでもない。何だろう昨日の話にもつながるのかもしれないけれど、今あることに感謝するということなんだな。当たり前にいまここにいることに感謝するこころだろうか。


 まぁ難しいね。



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おおいなるものの一部になる。 - 2007.12.09(ポケットの窓から)
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はる 2368
 今日はポカポカといい天気だった。昼頃珈琲を片手に庭に出て日向ぼっこをしていた。冬の空は晴れ上がって真っ青だ。耳もとを風が渡る音がして、日曜日の午後は幸せな気分が満ちている。

 胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込んだら、空の青さまで吸い込んだ気がした。ふと「おおいなるもの」の一部になるという言葉が浮かんだ。まぁこういうことなんだろうな。

 昨日の続き。
 (人はそのことにあまり気付いてはいない。何時までも自分は特別で「愛されている」と勘違いしている。そんなところから色々な誤解やトラブルが起きてくる)

 子供の頃スーパーマンのようになって空を飛ぶ夢をよく見た。自分は特別な人間で、どこかに素晴らしい力を秘めていて、今はまだ開眼していないだけなんだと思っていた。

 死んでも何度でも生き返って、永久に死んでいなくなることはないと固く信じていた。

 病気になった時に「何で私が?」とだれでもその運命を恨むそうだ。私もそうだった。自分には何かしら後ろ盾が付いていて、そういった不幸は避けてくれるものだと何気なく信じていたところがある。

 いや,本当はそうではない。どこか心の底の方では、それは、今ではないいつか必ず、そっと訪れるであろうことは知っていたのだけれどね。

 この、自分は特別で「愛されている」と勘違いしている、というの何処となく似ている。

 最終的に全てを愛するというフレーズがとても好みだ。身のまわりにあるもの全て、草も木も石や土さえも全てみんな無償で愛するのだ。

 「おおいなるもの」の一部になるというのはそういうことなんじゃないかな。
 



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明川哲也さんの解答 - 2007.12.08(ポケットの窓から)
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はる 2367
 新聞もほとんど読まなくなって久しいけれど、たまたま今朝は拾い読みした。人生相談という奴があって、何時の世もくだらないことで悩んでいる人たちがいる。でまぁそれをどう答えるのか、ということの方に興味がある。

 明川哲也さんの解答はいつも面白い。直接悩みには答えていないのだけれど、大きな意味で解答になっている。そういった答え方にこの人の人生哲学が伺えて面白いのだな。

 相談事は「自分は人に愛されていないのではにか?」というつまらん話だ。

 解答を私なりに解釈して書いてみる。違っていても文句は受け付けないのであしからず。

 人は生まれた時は多くの人に祝福されて、ただ存在するだけで周りの人を幸福にする。少年少女の時期もまだまだ多くの大人たちに愛されて慈しまれて育ってゆく。

 二十歳過ぎになっても「若い」というだけで、夢や希望の代名詞にもなり、失敗してもほとんどの場合許されるし、また新しいチャンスがやって来る。

 ところがある時期を過ぎると急激に疎まれる存在になる。オジサンやオバサンの時期を過ぎて、今度はジジババになってくるとさらに存在そのものが疎まれるようになってくる。

 人はそのことにあまり気付いてはいない。何時までも自分は特別で「愛されている」と勘違いしている。そんなところから色々な誤解やトラブルが起きてくる。

 早めはやめに対処しておく必要がある。「愛されなくなった」時に人はどうするか?ということですね。

 ここに哲也さんの珠玉の解答がある。以下無断転載します。

「・・答えは一つです。愛することしかありません。見返りなく、愛すること。生きる時間を経るほどに、お金があるない、地位があるない、健康があるない、家族があるない、いろいろと現象面での結果が出てくるものですが、人間の到達目標はその最高の魂、何もかも愛するこころを持つことによって、「人間」になると僕はおもうのです。・・」

 おぉ、なんと簡潔で高尚で人の道を唄っているのでしょう。まぁこれが現実不可能なお題目としても、それを言葉にしたというだけで,目の前の明るくなるような気がする。

 ありがとう。



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石油一缶¥1700円! - 2007.12.07(ポケットの窓から)
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 石油を買いにガソリンスタンドへ。何と石油一缶¥1700円!おい高いやないか。



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年賀状 - 2007.12.06(ポケットの窓から)
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はる 2365
  この時期は毎年東京の個展が入っているために、DMと年賀状がほぼ同時に進行していたけれど、今年は個展が年越しをしたためにDM兼年賀状となった。

 早速消しゴムを買って来てハンコを作ったのだけれど、まぁ意外に手間取るのね。

 で、まぁ面倒なのは年賀を出す人と個展の案内だけでいい人がいるわけで、そこの仕分けが何だか繁雑だなぁ・・。気にしてるのは本人だけか。まぁいいか。

 ということで、上手くいかなければ勘弁してくださいな。


.・*。・゜ .・*。・゜.・*。・゜.・*。・゜.・*。・゜.・*。・゜.・*。・゜



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TAO展 - 2007.12.05(ポケットの窓から)
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 これは私がかかわっているグループの展覧会です。昨年美術館で旗揚げ展示をした。100号クラスの大作一人五点ほどをずらりと並べた、なかなかの評判だったように記憶する。今年はそのグループの小品展です。


 小品というとお手ごろな作品、習作というイメージがあるけれど、本来表現することに大きさは関係ない。小さくても大作に匹敵する作品を描きたい。


 今日展示が終了。作品は小さくとも、どんなグループ展にも負けない力作が並んだ。是非とも御覧になって、心豊かにお帰りください。メンバー一同心よりお待ちしております。


 絵画グループ「TAO(タオ)」小品展

 2007 12/6ー12/11

 甲府ハーパーズ・ミル



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技能オリンピック - 2007.12.04(ポケットの窓から)
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はる 2363
 技能オリンピックで日本がたくさんの金メダルを取って、まぁよかったよかったという話を聞いた。というので昨日その関連のテレビを観たけれど、やっぱりというのか、何だか少しがっかりしたな。

 無論その話にけちをつける気はさらさらないのだけれどね。何だか暗澹たる気持になった、というのは彼らの技能はオリンピックのための技術で競技のための技能なんだな。

 職人仕事というのは若い頃から親方からしごかれて、観様見真似で何年もかかって盗んだものだったりするわけだ。それがまぁ食べるための道具だっただったから、弟子のほうもそら必死で修行する。だからこそ、その技は筋金が入ってくるわけだ。真剣勝負なんだな。

 でこの間の技能オリンピックで金メダルとった一人はねぇ、オリンピックに出て金メダルとるためだけに何年も特訓していたというんだな。他の国じゃそんなこと許されないだろう、経済的にね。仕事もしないで技能だけ磨くなんてね。そんな技術は偽物だね。たとえ仕上がりが他と比べて圧倒的でも、そりゃ道場剣法だな。実際に仕事で培われた技術じゃない。

 例えばそういった技術の継承が必要だというので、伝統工芸のように保護や育成をしたとする。まぁ絶滅種の動物を何処かの施設で保護して寿命をひきのばしているようなもので、やがては消えてなくなってしまうだろうな。

 今技能オリンピックで金メダルを取れるのはそういった意味で最後のあがきみたいなものだろう。ここを過ぎると極端に衰退して行くだろう。

 農業もそうだけれど、一度そのノウハウ,技術を失ってしまうと元には戻らないんだな。この国はいったいどうなって行くのかね。



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真剣勝負 - 2007.12.03(ポケットの窓から)
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 絵を描きつづけるというのはなかなか難しいことでね。普通に仕事を持って趣味で絵を描いて行くとしても,続けてゆくのはそれなりの努力を要する。


 習い事というのは最初はグングンと上達してこれはなかなか面白い。しかしやがてはその上達の速度も鈍くなってくる、そこからが面白くない。大体がそこらあたりで辞めてしまう。まぁ独学でやり続けるのかここらあたりがげんどかもしれない。


 何かしらの強制力かやもうえない動機,モチベェーションがあってさらに続けると、いきなり新しい段階に入る。ここらあたりがセミプロの段階だろうか。多くのカルチャーセンターの上級者あたりかな。ところがここからが尚難しくなる。限界というのか大きな壁が立ちはだかる。


 表現というのは、上手いとか下手であるというのではない。如何に自分自身を見つめるか、突き詰めるかということで、ある意味ぎりぎりの立場に追い込んで行かなければ、本当の自分というのか、真実というのか、真理というのが見えてこない。まぁ趣味でやる限りそこまでが限界だな。


 でもまぁ、普通はそこまで充分だ。そこからは結界の内に入って行く。真剣勝負。


 絵描きになりたいという奴が相談に来た。さんざん脅したら諦めたようだ。そうかん単に諦められるなら、やらない方がいいと思う。絵等描かなくても生きて行ける。そのほうが幸せだ。



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Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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