ちょっと宣伝
イタリアでお世話になった孝志さんが新しく自分で仕事を始めた。ハート・オブ・イタリー というそうだ。もし長期短期の滞在型の旅行を考えている方は是非一度メールなり電話なりしてみて下さい。
滞在の様子は私のイタリア滞在記をご覧になれば大体の様子は分かります。
上のスケッチはその当時近くの現場で描いたものです。
写メ
はる 2352
個展六日目
いよいよ後二日になった。残り少なくなってくると段々と寂しくなってくるのが個展なんだな。
今回はわりと天気には恵まれた。けれどまぁこれも微妙なところがあって、天気が良過ぎて行楽に出掛けられてしまうと,画廊に足を運んでもらえない。
日曜日など休日は案外とお客さんが少ないのは、わざわざ着替えて出かけるのが面倒なんだろうか。そんな心理もわからないでもない。
個展に出かけるというのはどんな気分なんだろう。けっこうワクワク楽しい時間を想像するのだけれど、どうなんだろうか。そんな期待にこたえられているのだろうかねぇ。
まぁ来ていただいた方にはできるだけ失礼のないように心掛けてはいるのだが、不思議なことに混む時は一時なのに、そのときに限ってお客さんが次々といらっしゃるのですね。不愉快な想いで帰られた方もいるかも知れません。この場を借りてお詫びしておきましょう。
さて、明日とあさってで終わりです。是非いらしてくださいな。
写メ
はる 2351
個展五日目
「誘惑」というタイトルの作品がある。三人の人物が描かれている20号の絵だ。
簡単に解説すると、一人の人物は薄物の腰布を巻いただけの若い女。少し恥じらいながら、一人のおばさんに支えられながら立っている。
もう一人の人物は明らかにその光景を拒絶したように顔をそむけて、あらぬ方向を見ている。
私はこれらを描こうと思って描いてはいない。いたずらに絵の具を乗せているあいだに自然に出てきた形だ。しかし、私に全くない形というのはでて来ないわけで、そこがこの絵の描き方の面白いところで、また怖いところでもある。
私の心の中で「裸の女の人」を登場させたいという気持がどこかにあったと思う。何故なら、このところ裸婦のクロッキーを何回も手がけているし、そろそろ服を着た人物にも飽きてきたというのがある。
で、私が描く世界で裸婦を登場させても違和感がないシーンというのは、例の「マグダラのマリア」の有名な場面だな。「この中で罪を犯したことのない人だけ石を投げなさい」と言われてだれも投げることが出来なかったというところ。
だれもみな欲のない人などいないわけだ。欲を否定することは生きるということも否定することになる。生きることは罪を犯すことでもある。
そんなことを考えながらこの絵を創った。
この絵を観て「マグダラのマリア」ですねと言った人が何人かいる。
ここのところが面白いのだけれど、観る人が「マグダラのマリア」の逸話を知らなければこの話は出てこないわけで、観る人のこれまでの人生観が出てくる。単に裸婦と見てもらってもまったくかまわないのだけれどね。
写メ
近くの建築現場」ツーバイフォの建物はプラモデルを組み立てるようだ。あっという間に壁が出来、屋根がかけられる。柱のない建物は大工さんの腕の見せ所がない。大工さんは電動のホッチキスのでかいような釘打ち機でバスンバスンと打ちまくる。
家というのは現代の今を一番的確に表しているように思う。デザインも様式もカタログで見つけた工業製品の集積なんだ。これが現代の日本そのものだ。
はる 2343
今日は通常の定期検診だった。で、念のために頭のMRIを受けた。
これは二度目だけれど、まぁ凄い騒音のなかに放り込まれたような凄まじい検査ですな。知っている人はそうそうと思うだろうけれど、ちょっと説明しておきましょう。
普通身体の断層写真はCTといわれるレントゲン撮影します。これはでっかいドーナツのなかに身体ごとは入って行く感じですね。でそのドーナツの部分の中が高速で回って写真を撮るんだな。
しかし、どういう理由なのかわかりませんが、頭はレントゲンではよく分からないのかもしれませんね。でMRIという磁気を使った断層写真をとるようです。
これはヘルメットをかぶってヘッドホーンをします。でその上から金槌でたたくような音と振動がします。身体が軽く縛られているのでほとんど拷問に近いなぁ。
現代音楽でミニマムアートというのを聴いたことがあるのだけれど、同じ人工的なフレーズを百回くらい繰り返す。まったくそんな感じだよ。
しかしね、そんな騒音の中でも私は眠ってしまった。まぁ異常が見つからなければいいのですがね。
明日は搬入です。
写メ
はる 2340
骨董屋の親父と、たまたま下町で出会って昼ご飯をご馳走になった。商売が人格をつくるのか、元々の性格が骨董屋的なのか、偏屈なまったくコットウヤ的な人物である。
知り合ったのはもう30年も前になる。下町の一角で骨董屋兼喫茶店をやっていたので、店の壁面を借りて生まれて初めて個展なるものをやったのがこのお店だった。
当時からこめかみに膏薬を張ったりしていたから、相当ふけていたけれど、不思議なことに30年たっても印象は変わらない。口癖で「もう死ぬ、もう死ぬ」とつぶやいていたけれど、あれからもう30年もたってしまった。今日もまた今にも死にそうだった。
彼は何でも知っているけれど、表立って吹聴することはない。にやにやしながら人の話を聞いている。まぁわかりませんがそんな感じがするんですね。それがまぁ骨董やの親父らしい雰囲気をかもし出しているように思う。
今日の話はこんな話。
白隠の画が掛けられていて、画題は布袋さんのような仙人のような人物が一人風にゆられて立っている。ご存知のように布袋さんは奇妙に頭が長い。なぜこんな人物を描いたのか?実際にこういった人物がいたのか?という質問をぶつけた。
エジプトのファラオなんかでもそうだけれど、けっこう頭の長い異形の人物が描かれたり像になったりしている。盲なんかもそうだけれど、神との交感ができる人物というのは他と同じであってはいけない訳で、特に異形の人物というのはある意味神に選ばれた人でもあったわけだ。そういった意味で大切にされたと言うんだな。
それから中国には美しく老いることが尊いという発想がある。兎に角子供と年寄りが尊重されるらしい。
自分の老い先を考える。
写メ
もうご存知かとおもいますが、携帯版のHPがあります。下のアドレスです。
http://www2.journey-k.com/~enami/i
日記「絵描きのぼやき」・このブログ・掲示板がどこでも読めます、書き込みもできます。携帯のブックマークに登録しておいてください。便利だなぁ!
はる 2339
どういった経緯で私のHPにやってきたのかというのが、検索文字で分かるようになっている。まぁ他のことは全く分かりませんから気にしないで欲しいのだけれどね。まぁ私のページなどたいした数ではありません。
昨日「画家になる方法」という言葉で来ている方がいました。まぁ何か参考になることがあったでしょうか。多少責任を感じますな。でもまぁこんなのは思いつきで書いているので、聞き流してくださいな。
繰り返しになるけれど、画家というのも色々ありまして、兎に角絵を描いてそれを売って生活するというのであれば、例えばイラストレーターとか漫画家とか、挿絵画家、肖像画家、似顔絵描き、変わったところでは友禅とか陶器の絵付け職人とか、そういった職人系がいいと思いますね。
普通に考えている画家という職業は、よく言えば詩人とか文人とか芸人、悪く言えば河原者、遊び人、極道に近く職業として成立するのかどうか、はなはだ心もとない。「画家になる方法」というハウツーはないのです。
生きることを自らを道化にして晒して売ってる。だからまぁ恥さらし。それが面白くて楽しめないなら辞めた方がいいですね。他にもっと楽な生き方があるでしょう。
「捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という詩がありますが、何処かに逃げ道を残したままじゃ、どこかに嘘がある。
さて、それでも画家やりますか?
写メ 「誘惑」を額装した。なかなかいいぞ。
はる 2338
長年こうやってだらだらとつまらないような文章を垂れ流している。まぁこれはだれのために書いているのかといえば、第一には自分のためでしょう。自分の覚書みたいなものだ。
けれどそれだけではないわな。自分のためだけじゃたぶんこれだけ続いてはこれなかったようなきもする。たぶんに読者を意識して書いている部分がある。だれが読んでいるのか、闇に一人つぶやいているような手ごたえのなさも感じるけれどね。
まぁ何にでもその人物が現れるということだから、絵を描くのもこうやって駄文を書くのも大して違いはないように思う。この駄文の中にも真剣な真実が含まれているちゅうこった。
ということで又明日。
写メ
はる 2336
今日は県展の当番と授賞式と搬出で一日美術館にいました。学生の頃から県展には出品していて、一番身近に手が届きそうな公募展だった。同じように狙っている仲間がたくさんいて競争するように出品していた。
やがて今度は審査する側になって、教えている生徒が出品してくる。まぁできるだけ客観的にというのは難しいので、生徒の審査には積極的に協力しないようにしている。人情としてどうしても身びいきになってしまうのでね。
大きな団体なんかでも結局は同じでね。学閥や師弟閥や地域閥が大手を振っている。みんな自分の息がかかっている人を優遇してしまうのだ。それはまぁ人情としては分かる。
何にも縛られなく客観的に判断するなどと言うことはなかなか難しいように思う。まぁだから身内には積極的に協力しないというスタンスを取っている。それがいいかどうか分かりませんがね。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館