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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

2007/07/08 - 2007.07.08(日記)
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写メ

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みみをすます - 2007.07.07(ポケットの窓から)
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写メ 「特急あずさ」

はる 2212
 今日は一日出ずっぱりだった。午前中は教室、午後からはクロッキー展の当番、夕方からはこの間のグループ展の反省会という飲み会。まぁ土曜日だし町は七夕でにぎわっていた。

 出かける前に、そうだ今日はこのことを書こうと思っていたのだが、帰ってきたら全く何のことだったか忘れてしまった。まぁそんな具合だから大したことではなかったのだろう。また思い出したら書く事にする。

 今日もお客さんと話をしていて、「絵を観ることは、自分の心の中を観ることだ」といったら、けっこう驚いていた。そんな風に考えて絵を観たことがなかったようだ。確かに鑑賞の仕方というのか、観方を我々は教えてもらわなかったし、教えてもこなかった。

 よく言うのが「自由に観てください」確かに自由に観て「好きだ嫌いだ」というのは簡単なことだ。だけどもそこで終わってしまったら、何にも自分の心の中には返ってこない。

 「美は発見である、創作である」青山二郎の言葉だけれど、「好き」には物凄いドラマが隠れている。

 「観る」ことは「みみをすます」ことと似ている。聴こえなかったものを聴き取ったその音は意識して聴いた「おと」なんだな。普段そこにある「おと」なんだけれど、聴こうとしない耳には聞こえない「おと」なんだ。

 心の中もにている。自分はここにいるんだけれど、あえて観ようとしなければ、聴こうとしなければ、何も見えないし聴こえない。

 今貴方が「好き」といったそこには、意識して観ようとした貴方の心のかたちが隠れている。



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2007/07/07 - 2007.07.07(日記)
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写メ

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鳥の歌 - 2007.07.06(ポケットの窓から)
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写メ 「鳥の歌」

はる 2211
 一日はあっというまです。昨日何を書こうか考えて、もうまた今日のブログを考えている。これの繰り返しで人生は出来ているというわけだ。故に毎日まいにちが大事ということですな。

 今日はあまり書くきにならない。ということで又明日。



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悪人正機説 - 2007.07.05(今日のアトリエ)
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写メ 「今日のアトリエ」

はる 2210
 さて、今日は何を書くかな・・。

 この間HPのトップに晒してあった20号の作品「誘惑」ってやつ、おぼえてますか?右のほうに裸の若い女性らしき者がいて、真中と左におばさんが二人寄りそっている、そんな構図だった。

 その一つ前が100号のビーナス誕生だったので、意識はあまりしなかったのだけれど、裸のつながりがあったのかもしれない。

 かもしれない?というのは自分でもはっきりこれを描こうとして始めたものじゃないからだ。絵の具を乗せてゴトゴトやっているうちに絵のほうから出てきたものだ。

 というと、まったく他力本願か?と思うかもしれないけれど、そこそこ自分の中にそれらしき種があって、画面を見ているうちにそれがきっかけとなって浮かび上がってくるという感じかな。

 まぁだからその種をたくさん持つということが大事なんだね。

 ところで、「誘惑」だけれど、なんでこんなものを描こうとおもったのか、ということを少し書いてみたい。書ききれないかも知れませんが、そこんとこあしからず。

 最初心の中にあったのは、随分昔に描いた「帰宅」という絵だ。これは聖書のなかの「放蕩息子の帰宅」から取ったもので、絵柄は母と子だったけれど、聖書の中では父と子の話のようだ。まぁ詳しいことは調べて欲しいのだけれど、簡単に言えば勘当された放蕩息子が改心して帰ってくるという親ばかの話だ。

 そこからの教訓は親鸞の「悪人正機説」というものいわゆる「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」というもの。簡単に言えば「善人は自力で何とかできるだろう、どんな悪人でも極楽に連れて行ってあげるのが、本物じゃわい」かな。

 まぁ自己流の解釈がかなり入ってますけど、いいたいことは、真面目で、悩みも無く、不安も無く、善人を絵に描いたような人は救われて当たり前だ。そうじゃなくてね、自分じゃどうしょうも無い悪たれが、今までのことを反省して改心することの方が大事でね、人間なんてみんな善人面してるけど、本心は夜叉を隠してる。みんな罪びとなんだよ,悪人なんだよ。だから悪人こそ救われるといったのがこの「悪人正機」、なかなか奥が深いですな。

 洋の東西ごちゃ混ぜですが。で、この「誘惑」はそれの女性版みたいなやつでね。娼婦が出てくる。キリストの前にこの女性が連れ出される。で彼は言う「あなた方の中で、罪の無いひとはこの人に石を投げなさい」

 誰も皆罪びとだ。これは法的にということでは無論無い。みんな「欲」という夜叉を抱えている、それが人間だわな。普段はかくしているけど、まぁそれを悪人と言ってしまえば、みんな悪人ですけどねぇ・・。

 まぁそんなことが頭の中をかすめたんですね。



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熱く語ろう - 2007.07.04(ポケットの窓から)
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写メ 「菩薩」

はる 2209
 今日は夜の部だけ仕事に出かける。多くても10人前後の生徒を相手にすればいいので、ある程度習慣ができれば仕事としては楽かもしれない。

 まぁ楽か楽じゃ無いかで判断してはいけないのだけれどね。昔のようにツッパリの生徒が多いときは一時間やるとぐったりと疲れたものだ。今はそんなハチャメチャな生徒はあまりいない気がする。

 反対に昼間の生徒の方がやりにくい。40人相手にしているということもあるけれど、自分に余裕が無い分生徒を抑えつけているのかもしれない。もっと生徒を自由に遊ばせるだけの器が私にあれば、楽しい仕事ではあるのだろうけれど。今の私ではアップアップだ。

 生徒ばかりではない。よの大人たちもあまり面白くないな。

 アートなんて分からなくてもいいのかもしれないし、それよりもっと面白いことが世の中にはたくさんあるのかもしれない、けれど、そうだなぁ・・、基本的には自分たちの今の生活からアートの気分が無くなってしまったことが、とてももったいないというのか悲しいことだな。

 まぁ自分たちの責任でもあるのだけれどね。まぁ例えば尊敬できる人とか、こんな大人になりたいとか、理想の人物とか、そういったことを話す事さえダサイといった雰囲気がある。

 まぁ例えばそういったことを話すとしても、実際はエリートになるとか、有名になるとか、お金持ちになるとか、そういた具体的な話にはなったとしても、こんな生き方をしたいとか、こんな人間になりたいなどという話にはなかなかならない。

 今の大人たちでもそんな話にはならんだろう。俗に宗教と政治と哲学の話はしないほうが波風が立たなくて会話がスムースにゆくとか言われるけれど、考えてみるとそんな話は何の役にも立たないし、面白くも無い。

 会話の楽しさはその人が何を考えて感じているのか、人生が滲み出てくるから面白いのだろう。アートはそんなところに絡んででてくるわけで、これが好き、これがいい?ということはその人の人生観がモロに出てくるわけだ。それがアートなんだな。

 もっと中味の有る話をしようよ。人生かけておしゃべりすれば、もっとアートが盛んになると思うな。



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今日のアトリエ - 2007.07.03(今日のアトリエ)
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写メ 「今日のアトリエ」

 なんだかねぇ、町の靴磨きみたいな仕事場の周辺です。全てがそこらあたりにあるガラクタみたいな道具で出来ている。水入れは洗面器を代用したものだな。イーゼルなんていうのもない。どこかで手に入れた踏み台に板を打ち付けて台にしたものだ。これが使いよい。


 ガラクタ再生工場みたいなもので、絵の具を積み重ねてゆくと自然に風合いが出てくる。私が関与するのは最後のほんの少し、その中に潜んでいる何かを見つけるだけだ。

 



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ことばのデッサン - 2007.07.02(ポケットの窓から)
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写メ 「なんてん」

はる 2207
 もう七月ですね。ひさかたぶりに小品を描いてみると、なかなか上手く行かないなぁ。どれもみんな同じようになってしまう。50点なら50違うアイディアを出さなければならない。だからまぁ面白いのだけれど、つらいところでもある。

 アイディアといっても取ってつけたような、空想や幻想を描くのではない。まぁそういったファンタジー物のアイディアも大変だとはおもう。例えば宮崎駿さんのアニメーションの物語の最初のきっかけの絵の話をしていたのを、偶然テレビでみたけれど、自分を掘り下げて段々不機嫌になって行く様子は、おこがましいけれど、似てるなぁ・・と思った。

 宮崎さんの場合でも、結局自分ののなかにある子供頃からの夢とか憧れみたいなものから、一歩も出ないのじゃないかな、それと仕事だから「売れる」ということも大事なファクターなんだろう。あれだけのスタッフを抱えているわけだから、自分だけ分かった,面白いじゃ済まされないところがあるのだろう。

 私なんかは全く個人的な身辺雑記的なものだけれど、だからこそ余計に変化が出にくいように思う。

 毎日こうやってブログを書いてゆく。何の変化も無い毎日だけど、何かしら心に浮かんだり消えたりしている訳だ。そういったことをメモ代わりにこうやって書いてゆく。これもまた似ているなあ・・と思う。「ことばのデッサン」みたいなものかな。



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聖母と誘惑 - 2007.07.01(ポケットの窓から)
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写メ 「聖母と誘惑」

はる 2204
 「絵画の平面性」2
 物が確かにそこに「有る」ということは、百万語を労しても証明することはできない。「無い」ということは存外簡単なことなんだがね。それは「神」が有るとか無いとかというのと微妙に似ている気がするがどうだろう。

 物がリアルに存在するということが命題であるならば、触れることができるような、物の三次元的な立体感というのはどうしても必要不可欠なことだ。西欧の絵画が目指したのはあくまでも物のリアリティであって、物そのものが「確かにそこに有る」ということを描きたかったのではないかな。

 それもまぁルネサンス以降の話でね。それ以前の絵画、例えばジョットの壁画なんかをみても、東洋の壁画と差して変わらないような空間の描き方だ。どちらかと言えば平面的で物のリアリティーよりも物語性とか荘厳な感じとか気分とか雰囲気なんかを第一義にしている。まぁ技術的な問題もあるのだけれどね。

 物をリアルに描きたいという欲求は確かにある。見えたままそっくりに描きたいという気分はわからないでもない。それがいわゆる肖像画的な似顔絵的な写真的なリアルさなのか、洋画風なボリュームを持ったリアルさなのか分かれるところなんだけれど、村上隆や奈良よしとも?などのアニメやイラスト、漫画的絵画が世界的なブームになって来たということを考えると、時代の軍配は明らかなように思える。

 話がまたよからぬ方に入り込んできたので戻すと、「なぜ平面性か」ということだ。

 絵画に物のリアリティーが求められなくなった時にその存在意義が問われることになった。時代は市民の時代になって自由を謳歌するような、明らかに一つ前の暗い時代ではなくなっていたことも、芸術家という何も生産しない高踏遊民族を容認する雰囲気も手伝ったように思う。

 絵画の分解が始まって、最初は色彩について印象派の画家たちによって色の点にまで分解させられた。全ての色が対等の価値をもち同等に主張する。音楽でいえばキーのない音楽でラベルとかドビッシーなどの印象派の音楽ということになる。やがては12音階のストラビンスキーなどの現代音楽に行き着く。

 線や面も同様に解体がはじまった。見えた通りそっくりそのままの形が写真機で再現できることが分かった。それを利用すれば難なく誰でもがそっくりな絵を描くことができることが分かった。その方法はこういうことだ。

 与えられた面をジグソーパズルのように全て不定形の色面に分けたとする。最初は二つにそして次には四つにと段々に数を増やして行けばやがては無段階の写真のような画像ができるというわけだ。

 つづく



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