写メ 「今日は雨」
はる 2203
絵画の平面性 1
とりとめもなくうだうだと、結論もありません。適当にお付き合い下さい。
学生の頃、大学の教授が「絵画の平面性」ということをやたらと強調していた。それで、まだキュビズムの入り口あたりにいた私などは、一もにも無く感化された。
セザンヌからはじまって、ブラックやピカソの評論や書かれたものをあさるように読んでいたけれど、そのたびに美術史をさかのぼる快感に酔いしれた。
今までただのピカソでしかなかった絵画の巨匠が、あたかもキュビズムの誕生の瞬間に立ち会った気分になり、すごく身近に感じられ、絵画することはこういうことなんだと夢中になった。
その頃は何の疑いもなく「絵画の平面性」を受け入れていたのだけれど、なぜ「平面性」なのか?という疑問にはだれも答えていない。
多分どこかで述べられてはいるのだろうけれど、そこのところにはひっかかりを感じなかったということだろうか。
で、デッサンのところでたまたま行き着いたのだけれど、洋画の立体表現と我々の線と面の平面表現との感覚の違いみたいなことは、けっこう大事なことが隠されているように思う。
ここからは探り書きです。
物がリアルに有る。ということを表現することは難しい。洋の東西を問わず、それぞれの手法でそのリアル感を表現しようと試みる。
我々は左右の眼で違う映像を観ている。多視点でそれを頭の中で無理やり一つの像に結合している。物が立体的に見えているというのは、ある種バーチャルな幻想だということになる。
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横道にそれるけれど、少し前にアメリカのホイックニーが京都の竜安寺の石庭を連続撮影して、それを彼なりの秩序で並べて展示していた。多視点も多視点で百くらいの眼で捕らえたということになる。
まぁ今をリアルに生きている状態を表現するというのであれば、そういった時間差の多視点の方法もありかなとは思った。多分記憶というメモリーもそういった連続した多視点の映像として我々のハードデスクに仕舞い込まれているのかもしれない。
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西欧の遠近法は科学から出発した。物を如何にすれば実際に見えたとおりに再現できるか、というのが大きな命題だった。しかしまぁ、実際の我々が見ている画像が二重写しのダブル映像だとしたら、その通り再現することはできないことになる。
透視法はカメラの原理からきている。針穴から入った光は後ろの壁に外界とそっくりな映像を映す。これを見た多くの人はこれだ!これこそ真実だ!と膝をたたいたに違いない。
しかし、考えてみると「写真」と言う命名には嘘がある。この画像は自分たちが見たものの半分しか再現されていないのである。片目をつぶった状態の画像だ。「写真」は真実の半分だから、「半写真」といってもいい。
絵画に詳しい人なら描かれた肖像画と写真のポートレイトとは微妙に違うことが分かると思う。まぁ私程度の人間でも写真をモチーフにして描いたか実際の物見て描いたかは何となく分かる。
絵画の場合、自分の眼で観た二つの画像を微妙に調整して一つの物として表現されているからだ。この西欧型の立体の表現法というのは、まさに西欧の絵画の伝統なんだと思う。
西欧型のデッサンの手法をみると、如何に見えない裏側まで描くのか、そういった物がリアルに存在することを表現するのだ、という真摯な態度、あくまでも真実を追究するのだという態度が、西欧の絵画を作ってきたんだなという気がする。
で、例え印象派の絵画や、キュピズムのピカソなんかでも、そういった西欧の伝統の上に彼らの表現がきっちりとあるように思う。根本にあるのはどうすれば真実を伝えられるか、表現できるかということだ。
だからこそ、反対に写真の出現には驚いた。写真の画像には裏がない。スーパーフラットなこと、ボリュームのない平面性、あくまでも見えたまま。全ての色や面が対等に自己主張している画像。これが西欧の画家たちに与えた影響は大きいだろう。それが日本の版画の出現で裏打ちされた。こんな表現もあったのかと思ったようだ。
まぁちょうど時代が大衆消費時代に入ってきた頃とぶつかったということも大きいと思うのだけれど、ポスターとかデザインとか兎に角宣伝に印刷物が使われるようになったことも大きな原因かもしれないな。
物がリアルにそこに存在するという命題よりも、如何に効果的に視覚的にアピールするか?ということが大事な仕事になって来た。そうやって考えてみた場合、東洋画の手法、特に浮世絵などの版画がやっていた線と奥行きの無い面で空間をあらわしてしまう考え方は新鮮だった。
ここで「絵画の平面性」がでてくる。確かに浮世絵などの木版画は平面的ではある。そのことだけを捕らえていってるのではないということだな。そのことだけなら単に事実をいったまでだ。西洋の人達に日本の版画が影響を与えたんだよ。それだけだ。
事実は、我々には物がリアルにそこにあるなどということはどうでもいいことだったんだということだ。見えないものはないと同じ事だったし、遠いものは上にあるものだった。物の裏側など知ったことではない。反対に変にボリュームがあっては暑苦しいと思った。
絵は絵空事だったし、事実などそこになくてもよかった。ただ単に美しくてこの世でないありがたいものだったり、近寄りがたいものだったり、もっと身近でお祭りやおめでたい時に使って、ありがたく捨ててしまうものでよかった。
映像の時代になって、映画はまだ昔の三次元の空間意識をもっている。けれどテレビの画像は言ってみればば印象派の考え方の究極のかたちではないかな。あれは光の点の集まりだ。あそこにはリアルな三次元の空間の意識などまったくない。全てが対等な光の点の集まりでもって表現されている。
結局言いたいことが分からなくなった。また。
写メ 「点滴をした」
今日は内視鏡による大腸の検査。もう七年まえになるけれど、胃の手術をした時に一応全身をチェックするわけで、その時に大腸のポリープをとったことがある。人間50年もやっていれば腸にポリープの一つや二つあるもので、それが異常に大きいとか、悪性でなければ問題はない。
今回も小さいポリープを一つ取ってもらった。ということでまぁ、化膿止めの点滴を打ってもらったというわけだ。
内視鏡によるポリープの切除は一応手術ということになるのですが、とても楽です。まぁこれから検査するかもしれない人もいるかもしれないので、少し書いておきましょうか。
前回は前日から検査食などを採って面倒だったのですが、今回は検査食を採ることも無く、普通の食事で少し繊維の多いのをひかえる程度だった。で、検査の当日朝早くに下剤を飲みます。これが二リットルぐらいある水薬なので、つらいかもしれませんね。すぐに効果があらわれます。お腹の中には何も無い状態にします。
あとはもう胃の内視鏡と同じですね。胃の内視鏡より私は楽だという気がします。ただその、場所が微妙なところですから、好んでやる人はいないでしょうけれど、検査そのものは30分ぐらいで終わります。
ポリープの切除をしたとしてもそのまま帰りますので、まぁオデキの切開手術みたいなかんじかな。これで一応3年ぐらいはOKということですから、40を越えた人は一度お試しあれ。
ちなみに大きな病院でやるよりも個人病院のほうが、きれいだし、融通がきくし、ケアーがいいように感じましたね。前は大きな病院でしたけれど、何だかモルモットになったような暗い気持になりましたから。まぁそれで悪いものが見つかったら大きな病院ということになるのでしょうけれど、検査までは個人病院でも充分だと思います。
裸婦クロッキー3
はる 2201
一日で復活した。ただし今度は私のHP上にあるのでトラブルは少ないと思う。
デッサンは苦手だ。うまくない。だから裸婦デッサンもこうやって何年も続いてやれるのだと思う。うまい人はすぐにマスターして飽きてしまうのだろう。私などいまだに鉛筆の持ち方はどういった持ち方が一番いいのか、などと研究?しながらやっている。
何でもそうだけれど、簡単にうまくゆかない方が続けられるということがある。いろいろと工夫するからだろうな。そういうと謙遜にとられるけれど、そうではない。
字を見るとだいたいその人が器用か不器用かわかる。その人の生来の癖や気性みたいなものが、ぎゅーっと凝縮されているように思う。ペン習字などで矯正したり、意識して書かれた文字からはその人の個性を見つけるのは難しいけれど、素の意識されない文字の中にその人の多くの情報が入っている。
私の字は小学生の低学年ような字だ。こうやってパソコンで文章が書けるようになってやれやれと思うのは私だけではないだろう。漢字も知らないことが多い。だから基本的に書けない字はここでもひらがなで書くようにしている。だからやたらとひらがなの多い文章になる。
話は戻ってデッサンについて。
私は本格的に受験用のデッサンの修行をしたことがない。まぁほんの少しそれらしきことをやったことはあるけれど、幸か不幸か、美大受験のデッサン修行と言われるほどの苦行をしたことがない。
洋画のデッサンはどちらかといえば立体を如何に平面に表現するかということの方法だ。なぜならこの立体を表現するということに、洋画の伝統のすべてが入っているといっても過言ではないからだ。
遠近法から始まってその立体の構造とか、面の方向、流れなど徹底的に理論的に組み合わされる。またそれがよく理解できない人には洋画風のデッサンはできない。
はっきり言って私にはこの立体を把握する力というのが極端に弱いきがするなぁ。だから把握できないものは描けないわけで、洋画には向いていない。何年も裸婦デッサンにかかわっているけれど、いまだにコツが理解できないのはそういった能力が欠落しているということだろう。
反対にというのか、どこまでも線的、平面的、に解釈しているところがある。絵画というのはセザンヌではないけれど「一定の秩序によって置かれた色の集まり」と考えれば、確かにそうであって結果的には立体に見えるけれど、意識としては「点の集まり、奥行きのない面の集まり」と考えてもいい気がする。
日本の漫画・アニメーションが世界で評価されるというのも、印象派が日本の版画に影響されたというのも同じ原理だと思う。つまるところ西欧の立体表現というのと、日本の線的、平面的な表現との違いということだろう。
少し前に書いたけれど、我々がなかなか自分の考えで表現というところまで行けないのは、たぶんに大事な時期に無理やり、西欧型の受験デッサンを押し付けられているからではないかと思う。
我々のDNAにはないものであって、反対にそういった眼をもった人間は自分たちを異国人の目で見てしまうのではないかな。
自分の言葉で自分のことを表現しようと思うならば、自らにあったデッサンの方法を獲得する必要があるのではないかと思う。
裸婦クロッキー2
はる 2200
もう一つの日記のシステムを借りているのだが、昨日から表示されなくなった。ここはそこの文章をコーピーして貼り付けているもので、だからカウントが少し飛んでいたりする。昔からの読者はそちらの方を読んでいるかもしてないな。ただし文字だけの本当にシンプルなものだ。そう、ブログなんてなかった頃からのものでね、今のように携帯から簡単にシャメなんてできなかった。
まぁレンタルしているものは相手次第でいつ消えてしまうかもしれない不安定なものだ。とくにこういったバーチャルなシステムというものはちゅうちょなく一発で消えてしまうから恐ろしい所もある。まぁそれも含めて「仮想世界」ということかな。
写メ 「絵の具のストック」
自家製の絵の具はどうしてだか長持ちしない。カビが生えるとか、硬くなるとか、変色するとか、色々トラブルが多い。最初は防腐剤を買ってきて混ぜたりしていたのだが、薬品をつかって長持ちさせるのもせっかく土性絵の具をつかっているのに本末転倒だとおもってや止めにした。今はタッパーにいれて冷蔵庫に保管している。↑はその容器です。
昔は画家の工房にはその師匠の秘蔵の絵の具つぼがあって、若い徒弟は絵の具を練る仕事からやらされたにちがいない。今でこそ、画材店に行けば色とりどりの絵の具が選り取りみどりだけれど、ちょっと前は絵の具は高価なものだった。
いまでも日本画では一回一回絵の具をニカワでとく。まぁそう考える日本画は昔からのスタイルを世襲している。やり方としてその方が理にかなってはいるとは思う。けれどまぁ、私は接着剤にアクリルエマルジョンを使うことに慣れてしまった。というのか、この私の技法スタイルはボンドやアクリルジェルメジュームがなければ始めなかったような気がする。
その人ならではの画材があって、技法やスタイルが出来てくるように思う。勘違いするのはスタイルや技法だけを真似することだ。器用なひとは本人以上のものが簡単にできるだろう。真似はいくらでもできるけれど、それは本物じゃない。自分からにじみ出た技法やスタイルでなければ意味が無い。
だから技法やスタイルをどんどんオープンにしている。秘密はなにもない。
写メ 「今日のアトリエ」
はる 2187
この間のつづきをちょっと。
ものを考えるということは、どこかにピリピリと電気的な興奮が起きて、シナプスの連結がそれを伝えてゆくわけだ。どんな原始的な生物でもこうやって何らかの電気的な信号を伝えるという手段は変わらないのだ。
今人類は画期的なことをやっている。ピリピリとした電気的な信号を生物の神経の接合ではなくて、電波という目に見えない結合によってつないでいるわけだ。今後ますますこの網の目は繋がってゆくわけで、どういう風になって行くのだろうかね。
自然というものは「さざれいし」が「いわお」になることはなくて、反対に段々にこなれて、粒粒の小さいものになってゆく。それが流れというものだ。
分子も原子も同じことで、やがては最も小さい重さも無い素粒子になって光の粒のようになってどこか宇宙のかなたにとんでいってしまうのだろう。
物事の最初はそれら一切合財をギューーっと詰め込んで、目に見えないぐらいの小さな点ではなかったかな。その中に今の全宇宙の組成がみんなつまっている。重さは量れない容量だ。時間もまだ始まってない。
トータルのエネルギーは変わらない、とするならば私のこのピリピリもこの最初のピンホールに含まれている。そうか、そういうことか、詰まる所このピリピリは宇宙エネルギーの一つの形だったんだな。
写メ 「今日のアトリエ」
はる 2186
お風呂のカランのネジの部分が壊れたのでホームセンターに部品を買いに行く。しかし、私は一日置きぐらいにホームセンターにきてないか?みんなはどうしているのだろうか。好きだということもあるけれど、必要にせまられて来ているところもあるわけだからねぇ。
このカランの部分というのは意外に高価なもんだ。温水と冷水のちょっと洒落たものなら、二万円近くする。いくらなんでもこの部分は何かで代用できるわけではないからね。まぁ今回はネジの交換だけですんだのでよかった。
閑話休題
ダビンチの受胎告知が来ているらしい。確かに天才の名作だけれど、それだけを並んでみる気にはとうていなれない。最近の展覧会で言えばモネ展なんかもそうだけれど、あいも変わらず泰西名画かい、と思ってしまう。
ダビンチやモネやゴッホやルノアールを持ってくればお客がよべるからね。これだけ多くの日本人が海外に行ってるというのに、まだ舶来物をありがたがるかな。どこかやっぱり教育を間違えたんだよな。
油彩画が日本に入ってきて150年ぐらいかな。どうやっても油彩画の技法というものは西欧の伝統から出てきたものなんだ。それを勉強するということは、最初は西欧の物真似から入って行くしかない。
形を取る、西欧画の描写であるところの陰影法を習うと言うことからのがれることはできない。そこから出発したらなかなか自分本来の絵というのには至らないね。どこか異邦人の目で自分を見ることになる。
多くの優れた先人たちが「日本人の油彩画」とはどうあるべきかということを摸索している。まぁいってみれば今までの全てがそういったものの積み重ね、軌跡といっていいかもしれない。まぁいまだにこれだ!という解答を出している絵描きはいないように思う。
まぁひとつの解答として、私は三岸節子とか脇田和とか山口薫あたりかなぁ・・と思うのだけれど、ここらは人によって違うか。
写メ 「部活動」
55歳というのは微妙な歳だな。子供から見れば立派なおっさん、へたすればジーさんという歳なんだけれど、私には全く自覚がない。普通なら責任のある地位とか肩書きなんかがあって、バリバリ仕事をやっている歳かな。
まぁそれとも、そろそろリタイヤの準備で窓際族になりつつあるのかね。仕事なんかほとんど回ってこなくって、あぁはやくリタイヤしたいなぁ・・なんて思ってるのかな。
けれどね、実際の年齢に気持ちが付いていっていないという感じだなぁ。60まで秒読みの段階になっているのにねぇ・・。おかしなもんだ。
あと20年もあるかないか。そう考える一生なんてわけない。あっという間の出来事だ。まさに夢の如しだな。
写メ 「絵の具を作る」
絵の具を作るというと驚かれるのだけれど、まぁ画材やさんで直接絵の具を買った方が便利なことは便利だ。すぐに描ける。まぁ私も顔料を画材やで買ったりするから同じようなものだけどね。
なんで絵の具をつくるようになったか?最初の動機は何だったか?確か今のミクストメディアの技法になってから、何でも身のまわりにあるものが画材になるというのであれば、絵の具も身のまわりのものを利用しようと思ったのだ。
で、ホームセンターで「とのこ」とか「ベンガラ」など、色の粉を買って来てメジュームと混ぜて絵の具にした。その後あまり組成のハッキリしない顔料は何が入っているのか分からないということで、基本的には土制の絵の具だけ顔料で購入してつくることにした。
すべての絵の具を作っているわけではない。組成を見て自分で作っても同じ場合はアクリル系の絵の具の使う。
まぁこれが、私の絵の質感、絵肌の大きな特徴になっていることは確かだ。
写メ 「今日のアトリエ」
どこから来たのか 2
まとまっていないので、繰り返しになるかもしれませんが、まぁそこそこにお付き合いくださいな。思いつくままにつづって行きます。
誰でもが経験するのが、日曜日の午後の憂鬱というもの。日曜日が楽しければ楽しいほど、日暮れ時の寂しさは増してくる。あれはなぜなんだろうか?
物心付いてから自分の中には「見えない強い力」があることに気が付いていた。それはうまく働けば「道徳心」とか「自制心」ということになるのかもしれないが、まぁそれが私の「枠」ということになる。
その「見えない力」は普段は自分を守ってくれる防御壁の役割を演じてくれているのだが、時には激しく私を干渉し攻撃してくる。すべて私の心の中にある味方であり、また敵なので人にはどうしようもない。免疫とよく似ている。
この「枠」の中で生活する分には、何の問題もなく過不足なく穏やかに暮らせる。大きな失敗もなければ、恥をかくこともなく、生な人の喜怒哀楽を見ることもない。
出来れば、いつもそんな安楽な場所でのんびりと暮らしたいという願望がある。そこが一番居心地のいい胎内のような場所なんだろうか。
しかし、いつまでもそんな生ぬるい温床の中で安穏と暮してゆけるはずもない。一歩外に出ると新たな枠が必要になってくる。でなければ生身の自分を晒さなくてはならないわけだから、それにあった枠を築くことになる。
うん、何だか面白くない・・。
写メ 「アトリエの片隅」
はる 2177
どこから来たのか
私のこの不安神経症的な鬱な気質はどこから来ているのだろうか?まぁよく言えばメランコリックな内省型ということになるのだろうか。しかし、けっこう辛いときもある。
母方の家系にはけっこうこの鬱気質が多く、私と同様に消化器系の疾患を持っている。だからそのことは折込済みでどうしょうもないこととあきらめていたところもある。
結論から言えば、そのメランコリックな気質が私に絵を描かせているのだから、まぁわざわい転じて何とやら、いいとも悪いとも言いがたいところがあるな。
しかし、日常生活ではこの気質は厄介なもので、何かしらいつも追っかけられているような、脅迫観念から抜けられない。個展なんかでやたらと早くから準備しないと気がすまないのは、この気質のせいのように思う。
もう少し奥に入ってゆこう。
不安になるのは、自分の殻を破られるのが怖いのだと思う。これこれのためにそこそこの準備をしておく。それ以外のことがおきたらパニックに陥ってしまう。そうならないために準備をおこたらないのだ。
この自己防衛の殻というのは、もって生まれた気質というのもあるけれど、自分の家庭環境や親や兄弟との関係から来ているところがあるように思う。
私の父は前にも少し書いたけれど、ものすごくワンマンで我々家族の上に君臨していた。血が熱くて人情家という面もあるけれど、怒り出したらだれも止められない。小さい私たちにとってはまず絶対の存在であった。
私は五人兄弟の末っ子で、そういった意味でも責任のない非常に気楽な立場にいつもいた。いまでもそうだけれど、まぁこの年になっても宙ぶらりんな、なんとも居心地のいいところにいる。それが問題だ。
責任の無い気楽な立場にいるということは、その時はとても都合はいいのだけれど、やがては責任のとれない、優柔不断な何とも情けない人格を作り出す。感情の喜怒哀楽の表現もへたであった。
他人からの攻撃に弱いというのを知ったのは、中学校の教師になった時だ。大人の社会ではそこそこ対応できるテクニックを身につけてはいたけれど、いざイノセントな子供の前に立った場合、そんな防御壁は何の役にも立たなかった。
子供たちはいとも簡単に私のウィークポイントに攻撃を仕掛けてくる。優柔不断、感情表現の下手くそな、弱気の新米教師などいちころだった。担任の生徒に信頼されない新米教師は、一気に自信喪失、気鬱なノイローゼとなった。
今から考える当たり前のことなんだけれど、人間の集団を極当たり前な決まりきった定型に当てはめて、その中で適当にあしらって行けば先生稼業はやって行けると高をくくっていたところがある。
ところが、実際のクラス運営というものは千差万別で捕らえどころが無く、定型などなにもない、その場その場で対処して行くしか仕方がない、何でも有りなんだな。泥かぶって何ぼの商売だって、肝が据わってなかった。絵を描きながら片手間にやりゃいいと思ってたところを、子供たちに突かれたということだ。そのころが分かっていなかった。
始めに枠を想定して、その枠の中でなんとか対処しようとする。モロ身の人格が出てしまうころが怖い、恥ずかしいのだな。本気で怒ったり叫んだり泣き喚いたり、そういった人間の生の感情が得意ではないということかな。
先生やるんじゃ本気でやらなきゃと思った。で、教員を辞めた。
写メ 「今日のアトリエ」
はる 2176
ちょっと話が大きくなるけれど、宇宙全体のエネルギーの総和は変わらないらしい。聞きかじりだけれどね。嘘か本当か、確かめ様がないけれどね。
で、誰かがこんな計算をした。宇宙の温度は絶対0度じゃないそうだ。ほんの少し暖かい。どのくらい暖かいのか、今分かっている宇宙の大きさとその温度を計算したら、ちょうどビッグバンの瞬間の温度になったとさ。
我々はビッグバンの残り香の中で生きている。そう思えば宇宙の体温も身近に感じられる。
人間もどんどん限りなく小さく分解して行けば原子や電子になるわけで、構造的には無機的な金属や岩石とそう変わるものではない。まぁ言ってみれば元をただせば、すべからくただの星屑みたいなものだ。
星も半永久的に存在するのではなく、宇宙的な時間でながめれば、やがては吸収合体したり、膨らんで爆発したりする。その時吹き飛ばされた星屑からまた新しい生命が生まれたりするらしい。輪廻転生、諸行無常、大いなる宇宙のことわりの中で生きとるというわけだ。
写メ 「自然の造形」
はる 2175
世の中にはなかなか鋭い洞察をする人がいるものだ。私など日がな一日、自分勝手なつまらないことを考えて時間を無駄にしているのだが、人によっては抜き差しならない境界に生きている人もいるわけだ。
例えばこうやってネットサーフィンしていても、ほとんどのブログは言葉の羅列で、私の心に何の抵抗もひっかかりもなく通り過ぎてゆく。まぁ若い人は芸能人とか、女優さんなんかのブログに興味をもって行くのだろうけれど、私には何の共感も持てない。
私が何となくひっかかるのは、自分というものを深く掘り下げている言葉の持ち主で、それは何だろうな、飾りの無い言葉というのかな、自然と匂ってくるその人の体臭みたいなものだろうけれど、そういった言葉の持ち主だ。
これはねぇ、ただ単に歳を取ったから深くなるというものでもないようだな。なぜなら多くの熟年世代のブログは見るも無残な恥ずかしくないのか?というような言葉たちでしかないからだ。
難しい言葉ということでもない。自分の言葉で自分のことを語ればいいのだけれど、そのことの訓練を受けてないからだねぇ。まぁ無理も無いけど。
言葉、思考、意識でもいいのだけれど、普段から人に分かりやすく伝えるというのか、自分自身でも分かりやすい、正直な気持を語る、そういった訓練が必要じゃないかなぁと思う。いきなり自分を語れと言われても、難しいからね。
まぁ普段から、どんな言葉を使っているのか、それがそっくりそのままその人を語って行くのだと思う。だからけっこう怖いことだな。いくら隠したとしても、見る人が見ればちゃんと嘘はばれている。
それは言葉を絵画と入れ替えてもいいんだけれど、描くことが自己の表現になっていないような絵をいくら描いても意味ないということだな。恥なら恥でけっこうだ。嘘偽りの無い「私自身」そのものが、ごろりと出てしまったというような絵を描いて行きたいねぇ。
写メ 「今日のアトリエ」
はる 2174
グループ展の搬出。今日は雨降りだったのでいつもの赤帽さんに頼む。このオジサンとはもう長い付き合い。元々は地元で八百屋さんをやっていた。ところがご存知のように、八百屋じゃもうやって行けない。
私が東京で個展をはじめた90年ごろに軽運送業に衣替え。特に県内の個展をはじめ、東京までの団体展の入搬出代行など美術運送はほとんで彼がやっているのではないだろうか。
私は地元の個展はもちろん、東京の個展の入搬出もすべて彼とのコンビだ。もう15年ぐらいの付き合いになるかな。97年の神戸の個展では大きな作品を5,6点も乗せて二回往復してもらった。
当分彼とのコンビは続きそうだが、気をつけて下さいよ。頼りにしてます。んじゃまた。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館