写メ 「今日のアトリエ」
はる 2173
今日はほぼ一日アトリエで仕事をした。といっても絵を描いたのではなくて、その前の下地作りに励んだ。
私の作品はキャンバスに描かれているのではない。よく「油絵ですか?」と聞かれるけれど、まぁ分からない人には適当に答えてしまうけれど、正確には水性画というのかな、油彩画ではない。
油彩画にしたところでキャンバスに描かねばならないという掟があるわけでもなく、本来油彩画も大きな板にかかれていた。ダビンチのモナリザの印刷物にキャンバス目があったりするけれど、実は板に描かれたものだ。
大きな画面のつなぎ目の無い板を入手するのが困難であるということや、重くなってしまうので便宜上船の帆に描きはじめたのが始まりときいた。
それもまぁ当時たまたま丈夫な布が織り始められたからで、どうしても麻布でなければならないということではない。時代がそういった画材を選んだだけだ。だから油彩といえばキャンバスというのは、画材店に協力しすぎでしょうね。
最近のお気に入りは珈琲のズタブクロだ。これはなかなか味がある。また適当なロゴが入っているのもいい。適当に切り裂いてコラージュふうに他の布と組み合わせるともっと面白い。
基本的に今手に入る紙や布、何でも画材になる。私のこの部分だけみればとても絵画の画材とは思えないだろうな。
さて、今年は何がでてくるのか、どう展開するのか、かなり不安だけれど、楽しみでもあるな。それじゃまた、あした。
はる 2168
クロッキー考
クロッキーについて質問される。とても人に教えるほど上手くはないのだけれど、長年やって来てはいるからねぇ、多少なりとも参考になるアドバイスはできるかな。それにしてもなかなか奥が深い。
基本的には一本の線で決めるつもり描くようにする。ところがこれがなかなか難しい。当然何本も間違えた線をひくのだが、気持としては、一本の正しい線を見つけるのがクロッキーの醍醐味だと思う。
物を良く観ろ。とはよく言われることだけれど、慣れないとただ見ているだけにすぎない。この観るというのは、こういうことだ。「この一本の線が、肩の線より何ミリ上にあるか?」ということなんだな。
常に全体を見て、今ひいている線の反対側を意識することだ。前後左右は必ずバランスがとられている。物事はただ一つだけではなりたっていない。体の右側の線をひく時は左のラインを意識することだ。それだけでもかなり違ってくるだろう。
出来るだけ体から離して、鉛筆は寝かせて描くこと。立てると細かい所は描けるけれど、全体が見えない。細かい所が気になりだすと全体は壊れている。
はる 2169
昨日の続き
点、線、面について。(理屈なので面白くないです。とばしてもらって結構です。読まれる場合、実際に鉛筆を持って持ち方を確認しながら、読まれることをお薦めします)
例えば字を書くように鉛筆を持った場合、筆の自由度は一番大きい。前後左右、右回りでも左回りでも自由に線をひくことができる。
この時、紙と鉛筆の先を考えると、点で接している。点というのは動きとしては一番自由なんだな。全体を把握するのにはむかないけれど、細かい所を描くのに適している。
半面一番不安定でもある。というのは、方向性がない分、行き先が定まらない。そう、ちょうど一輪車みたいなものだ。くるくるとその場で一回転もできる。
この点が直線になってくると方向性がでてくる。鉛筆をつまんだように持って、そのまま縦にひくとかなり硬い直線がひける。自由度はすくなくなるけれど、安定した線がひける。
これは二輪の自転車みたいなものだ。一輪車ほど自由度はないけれど、それなりに安定している。クロッキーの場合、この不自由な安定した線のほうがいいように思う。
この時、紙と鉛筆は線で接している。ちょうど円の接線のようなものだ。例えば人物の柔らかいカーブを描くときも、このカーブにあわせて接線をひいている感じと言えば微妙なニアンスが伝わるだろうか?今どのくらいの傾きの線をひいているか?と無意識に意識することが必要だ。
クロッキーの線は無意識の線ではない。意識されていない線は観ていないと同意語なんだな。
絵を描くということは、無意識のものを意識の世界に引き上げるということだ。ただ一本の線でも「私はこの線を意識して選んだ」という自覚が絵を描くことの意味だと思う。
次に面だ。このつまんだ状態で横にずらすと面になる。これは四輪の車のようなものだ。一番自由度は少なくなる。
当然こまかいところは描けない。だからこれも線の方向を意識したように面の方向を意識することだ。具体的に言うならば出来るだけ単純な立体に還元してしまうことだ。で単純に明暗ニ分割する。
線の場合もそうなんだけれど、数多くの面からただ一つの面を選ぶと言うことは、「うそ」なんだな。「うそ」というと誤解があるけれど、どこかで決定しなければならないところが出てくる。そこを「えいやっ」と取捨選択すること。優先順位をつけること、それが意識するということなんだろう。どんな複雑なものでもこれの繰り返しで描ける。
意識して気にして選んで捨てる、そしてそれを忘れることができれば卒業でしょう。
さてこれでお終いです。努力継続すれば誰でもが描けるようになります。ただし、私程度の絵ならばということで、スパーリアルな絵を描きたいというならば別の方法をあたって下さい。
写メ 「今日のアトリエ」
はる 2167
この年になると小学校の頃が妙に懐かしい。随分と前の気もするし、ついこの間のような気もする。すんでしまったことはみんな美しく思える。まぁ当時もそれなりに困ったことを抱えてはいたんだろうけれどねぇ・・。
神戸の西の端の街、垂水の古い借家に住んでいた頃があった。ここの思いでは新しい大きな家に引っ越してからのことより印象深い。小学校に上がるかどうかのころの話なんだけれど、そんなものかな・・。
古い町というのは、例えば米屋の誰々とか、魚屋の誰それとか、花屋のこれこれというふうに、稼業でいう場合が多かった。まぁ今のようにみんなが何を仕事にしているのか分からないサラリーマンが少なかったということもあるんだろうね。
K君の家は小学校の帰り道にあった。同じような長屋のいっかくにあって、日の当たらないような裏庭がついていた。それでもちょっと凝った坪庭風になっていて、自分家の庭が、趣味の無い花畑になっていたのに比べて羨ましく思った。
K君は頭も良くてなかなかハンサムな顔をしていた。どこか寂しげで、ちょっと大人びた雰囲気ももっていた。同じクラスの中ではちょっと異質な感じを持っていた。
小学校に上がると、今までのご近所の幼友達とは違う、新しい交友関係が出来る。幼友達が近所と言う避けられない関係だったのに比べて、自分の判断で選べる最初の人間関係だった。
K君に惹かれたのは多分自分の家には無い虚無的なナイーブな雰囲気だった気がするな、今から考えると。
彼の家に遊びに行って始めてタバコを吸う女の人を見た。彼の母親だったけれど、これはにはひどく驚いた。今のように普通に女の人がタバコを吸う時代じゃなかったからねぇ。彼には父親がいなかった。
転校していつしか忘れてしまった。彼は今どうしているのかな・・。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館