写メ 「たれそかれ」
はる 2046
人は望んだように生きるというふうなことを聞いた。そうかもしれないと最近は思う。
たとえばこれでいい、もういいと思えばそこで成長は止めてしまうのだろう。こうじゃない、もっと違うなにかがあるはずだと「求める」から「与えられる」のだろう。まぁいいか悪いか別にして。
「美、というのは美しいと思った自分との再会だ」というのがこのところの口癖なんだけれど、この話にも共通することだな。
「求める」というのは「足らない」ということに気付いたということだ。意識して「気付かなければ」もとめることもない。
そうやって考えると、私はこうやって生きたいということを望んだのかなと思う。
さて、また明日から旅に出ます。自宅から更新するのは、しばらくお休みになります。
会場には、午後から連日七時ごろまで詰めている予定です。どんなやろうか是非とも観に来て、また声をかけて下さい。
尚会場の雰囲気など、シャメを含めて出来る限り更新しますが、滞るかもしれませんが、あしからず。まぁ覗いてやってください。
んじゃ、また。
写メ 「レトロなガスストーブ」
まだ現役で使っています。
はる 2043
私が育った所は神戸といっても西の端の方で、とても町中とはいえないのどかな所だった。だいたい舗装されている道路も少なかったな。雨が降れば当時の道はぬかるみになって、歩いて学校から帰ったら背中の方まで点々と泥を跳ね上げた痕がついていた。
初めて神戸の町中に子供同士で出かけたのは、お正月の小遣いをもらってその勢いで、んじゃ神戸の町にでよう!というのがきっかけだった。
それまでにほとんど町中など知らなかった私にっとって、町というのは映画で見たキングコングの登ったエンパイヤーステートビルやその他のビルが所狭しと乱立しているところというイメージだった。
高架になった線路の上を、町中を見下ろしながら走るのは気分のいいものだった。もちろんその頃は高速道路などなかったからね。
長田のあたりは町工場が多くて、煙突から色んな色の煙をモクモクと吐いていた。そんな風景がけっこう印象に残っている。
神戸大丸のあたりでうろうろしていたのだけれど、思っていたような高いビルがなかったのでがっかりした。それから当時はまだ市電が走っていて、空が市電の電線で区切られて見えたのが不思議だった。
まぁそれでも子供同士で町まで出かけたのは一つ大人なったような気がした。
「ミーナの行進」小川洋子を読んでいたら、そんなことを思い出した。
写メ 「帰り道」
はる 2041
確かになぁ、何でもそうだけれど、兎に角名前を売ってからやれば手っ取り早く効果的に事がすすむ場合が多い。例えば芸能人の自称画家やエッセイストや作家なんかもそうかな。
しかしまぁ芸人が悪い訳ではないけれど、元を正せば河原者なわけで、世をすねて、欺いて、何とかみ過ぎ世過ぎしてきた者じゃもん、なぁ政治家やらして悪いとは思わんけど、結局、素人芸で終わるのじゃないかな。口が悪いけど、ごめん。
イタリアの田舎町の町長さんは医者だった。議会は夜ひらかれるそうだ。なぜかといえばみんな普通の仕事を持っているからで、仕事が終わってから、議会はひらかれる。政治は名誉あるボランティアだったらしい。
ヴェネチィアの市長さんは高名な哲学者だった。まぁうそか本当かまやかしか、イタリアのことだからわかりませんがね。それでも何かカッコいいなぁと思った。
んじゃまた。
写メ 「荷造り」
はる 2040
大阪の個展の準備。大体が実家に居候するつもりですが、何日かはビジネスホテルに泊まる予定。デパートは夜遅くまで開店しているので、全部は付き合いけれないなぁ・・。
お世話になる人に心ばかりのお土産を買ったり、後電車のチケットを予約する。
一週間前から受け付けるということだったので、水曜日に荷物を取りに来てもらうことにした。普通の宅急便は一日あれば着く。少し大きめの荷物の場合、余裕を持った方がいいだろう。
個展は楽しいけれど、結果は蓋を開けてみないと分からない水物、賭けのようだな。何とか上手く行くように帰りにいつもの神社にお参り。最後は神頼みか。
明日は出稼ぎ仕事。んじゃまた。
写メ 「裸婦クロッキー会」
はる 2039
今日は久しぶりにデッサン会に参加。疲れたけれど、充実した一日だったな。
テレビでグーグルの特集をみた。検索の話。ヤフーにしても同じようなサイトだけれど、ここに来てグーグルの影響はダントツになった。昔個人のHPを立ち上げた時、ヤフーに登録されるかどうかが、それなりに認められたということで価値があった。一応しんさがあったからね。
ところがグーグルなんかがやっている検索というシステムは機械的に世の中にある全ての情報を言葉で探し出すことをやっている。まぁただ単に探し出すだけではなくそれを商売と結びつけたから、物凄くヒットした。
まぁ印象として力を持ちすぎた企業というのも怖いなぁと思った。
「プカプカ」 大阪展に出品予定
はる 2038
今日は久しぶりに朝川沿いを散歩したのですが、どうもいつもの冬よりかなり暖かいですね。毎年今頃は川の水も全面的に凍っているのですが、今年は水鳥がのんびりと浮かんでいました。
暖冬はいい所もあって、石油の消費が今年は例年より格段に少ない気がしますね。まぁ値段があれだけ上がれば消費を控えようとするのは当然の生活防衛ですけどね。暖冬がいいなどと言うと、どこからかクレームが来そうですが・・。
明日は県知事の選挙です。あまりパットしない候補者ばかりだけれど、万年野党に一票入れても批判票にしかならない。言っていることは正しいのだけれどね。現役の知事さんじゃあまりにも無策だし、選択に困る。
NHKの大河ドラマが「風林火山」で今注目されているんだけれど、訪ねてきた県都の玄関口があまりにもおそまつでね、とても恥ずかしくて人に言えない。
今盛んに城跡を観光の目玉にしようと整備しているけれど、大きなビジョンがないものだから、側に高層のマンションやビジネスホテルが乱立している。中心に人口を増やしたいという発想なんだろうけど、安易過ぎるな。結局大事な風景も壊してしまっている。建ってしまえば、もう当分このままだろう。
こんな地方の都市なんだから、田舎町でいいと思う。それが地方のアイデンティティだと思うよ。都会のようなビルは要らない。未だにそんな所で競おうとしているから、どんどん魅力がなくなるのだと思う。
駅の周りは森にする。車は全て地下の駐車場に格安で止めて、街中は公共の乗り物以外禁止。なんていうのはどうだろうか?
2006「お堀端」
スパムメールというのかな、放っておくとメールはほぼこればかりだ。人のメルアドを自動で探すソフトがあるそうだから、これも商売とおもえば仕方ないのかもしれないけれど、毎日これを削除することから一日が始まるのが腹立たしい。
世の中のメールのほぼ90パーセントが迷惑メールじゃないのかね。必要なメールを探すのがだんだん難しくなるね。
私のようにHPを持っている人間にとってメールは必ず必要な事柄でね。それを晒さないのはHPを持っている意味がない気もする。
というわけで、メールフォームというやつを借りて試してみることにした。mailをクリックして今までと同様に必要なことを書き込んでください。尚、メルアドは今までどうりで、パスワードを入れれば配信可能です。
はる 2037
大阪の個展に100号を出すことになった。年末の東京の個展に大阪の画商Hさんが来てくれて、初めてのことだからガツンと行こう!ということで急きょ100号を持ってゆく事になった。
97年に初めて関西で個展(神戸・海文堂)をした時は、100号を4,5点持っていったおぼえがあるけれど、あの時はいつもの赤帽さんに頼んで持っていってもらった。あれ以来だな。
今回はデパートの個展ということで、大きくても30号ぐらいを考えていたから少しちゅうちょした。というのは100号(162x130cm)を梱包して送るのは結構大変なんだな。昔は色々コンクールなんかで100号のS(162x162cm)まで梱包して送ったことはあるので、無理ではないのだけれどね。
今日は一人で倉庫から引っ張り出して、梱包して車の屋根に乗せて、家まで運んできたのだけれど、今の絵は前の油絵なんかと比べて、壁土などを使っているのでやたら重い。ひきずり出すので精一杯だな。
「年をとると体力をカバーするだけのお金が必要だ」と、昔誰かが言ってたけど、その通りだね。次回は学生でも雇うかね・・。
んじゃ。
写メ 「寒空」
はる 2033
ちょっと風邪気味だな。年末から続いている個展の騒ぎがやっと先が見えてきたので、やばいとは思っていたのですが、油断した訳ではないのですがね・・。
人のブログを読んでいたら、「人は与えられた物しか与えられない・・」なんて言葉があった。まぁ最近のいじめの話なんかとリンクするのかなと思ったのだけど、よく言われるのは暴力を受けて育ったものはやがて暴力をふるうようになるというようなことをきく。これもまた「与えられたもの」ということができるかな。
教育にも限界があってね、やっぱり一番の教育者が両親ということができるだろうね。自分が与えられたと同じだけの愛情しか人(子)に与えられないとすれば、まぁ人というのは悲しい動物でね、いくら心の中でそれが正しいと思っていても、与えられなかった「愛」というものは注げない。
ということは例えば、とりあえずテレビをみせておくとか、ゲームを与えておくとか、コンビニのお弁当でも買い与えておく、というのはとても恐ろしいモンスターを育ててしまっているのではないかな。そこには「愛情」というエッセンスが一粒もないからだ。
昨今の今までになかったような凶悪な犯罪をきくに付けてそんなことを思った。単に私の杞憂であればいいのだけれど。
写メ 「一日の終わり」
はる 2031
昨日に引き続いて額入れの作業。
今回の額はただ入れれば完了の今までのパターンと違って、ボックス型というのか、まぁ言わば昆虫採集の箱を想像してもらうと、当たらずとも遠からずです。
今までの額の場合どうしても周りが何ミリか隠れてしまうわけで、大きな絵の場合はそれほど気にはならないのだけれど、小品の場合絵が小さく切り取られてしまう。
それから、その額を選んだ大きな理由は、厚い麻布を貼った場合、物理的に今までの額では入らなかったからだ。
まぁそれはそれですっきり見えるからいいのだけれど、問題は、一つ一つ中心を決めて裏からビスでとめる手間がかかるということだ。
軽く考えていたけれど、これはけっこう面倒な作業だな。
言葉で説明すればこんなことだけれど、理解してもらえたかな?
ンじゃまた明日。
写メ 「ひだまり」
はる 2030
今日は一日個展の準備で単純作業。疲れましたね。
絵というのは額装して初めて完成なんだな。キャンバスやパネルに描かれた状態というのは裸みたいなものでね。馬子にも衣装というけれど、衣装がピタリとあわなければ、いいものもよく見えない。
これはインテリアとかデザインとかファッションなどとも多少関係するんだと思うのだけれど、どう見せるかというのは大切なアートの要素だと思うんだな。そんなものは関係ないいいものを作ればそれでいいのだという考えもあるけれどね。
利休は何でもない朝鮮の焼き物を「わび・さび」という考えで見立てた。「見立て」というのは「新しい価値の創造」だと思うんだな。
私が好きな青山二郎の言葉に
「優れた画家が、美を描いた事はない。
優れた詩人が、美を歌った事はない。
それは描ききれるものではなく、
歌い得るものでもない。
美とは、それを観た者の発見である。
創作である。」
というのがあるけれど、これはなかなか目からうろこの言葉だよな。
ということで、上手くまとまらなかった。またあした。
写メ 「なにわのいばら」
はる 2028
ませていたのか、子供の頃からよく考えていたのが、これだけ知っていればいい「ことば」というのは何だろうか?そして実際に声に出したり、何かに書いたりしていた。
それでその言葉をお題目のように唱えるのだけれど、ニ三日は覚えているのだけれど、やがていつもの生活のなかで忘れてしまう。
で、また何かに困った時に、さて何だったのか?とその時のメモなどをみると、まったく見当はずれのことを考えていたんだなぁ・・なんてことが多い。
今でもそうだけれど、例えば絵を描くときにこれだけは譲れないというのか、たった一つの「こと」って何なのか?などとよく考える。
描き方というのか、手順なんかいまだにメモすることが多い。ということは、その時々で描き方というのか、手順が変わるということだろう。
で、人間の生というものは「手順通り」には出来ていないんだな。ということが薄々分かってきた。あっちにふらふら、こっちにふらふら、日々ままならない。
よく、座右の銘とか信念は何ですか?などきかれることがあるけれど、これだと!と思ったものもすぐに古臭くなるんだなぁ・・。これは進歩しているということではなくて、優柔不断ということだろうかね・・。
絵の描き方でいえば、最近は反対に手順は決めないことにした。「今欲しい色とかたち」を置く。それだけだな。うん。
写メ 「コラージュ」
はる 2026
今日は成人の日でお休みらしい。何処かの会場でまた若者が暴れているのかしらねぇ・・。
我々の頃は1/15日が成人の日と決まっていたので、これはラグビーの天皇杯と同じで毎年恒例で見ていた。ラグビーも世界のレベルから見るとよわっちいけれど、何故か興奮する。何故かな?
高校の体育の先生がラガーマンだったからかね。冬場はいつもラグビーだった。球技大会もラグビーがあったな。他の球技はまるでできなかったけれど、ボールもって走ればいいラグビーはウンチの私でも参加できた。だからかもしれないな。
今日は一日家にいた。ここのところ個展の後片付けや大阪の個展の準備やらで、雑用でうろうろしていた。私は家に一日何もしなくてこもっていても全く平気だ。外部の雑音が入らない方が好きだな。かといって絵を一日描いている訳ではないので、誤解しないように・・。
大阪の個展の準備もそこそこに、公募展用の大きな絵も始めた。一つは年内に終わっているのだけれど、もう一枚描いていい方を出そうと思っている。今年は例年より約一ヶ月遅いので気持ち的に楽だな。
しかし、上野の都美術館ではなく六本木の新美術館になる。全てが新しくなるそうで、ちょっと戸惑っているところだ。しかし、まぁとにかくいい作品を描けば何にも問題はないだろう。
んじゃ。
はる 2025
作品の整理についてのコメント
「 う~ん。難しいところでね。いずれはどうにか考えなければならない問題なんだけれどね。長い将来のことを考えれば、大きな作品はパブリックなコレクションにしてもらうというのが一番だと思う。
それ以外は本人との関係がわかっている限りはいいけれど、やがては身元不明になり、作者の知らないところで、廃棄という運命になるでしょう。その方が哀れだとおもう。
それならば、資料とか、HPのWEB美術館にでも残しておいて、作者の意思で処分した方がいいようにおもいますね。
どうでしょうか?」
その桃組さんのグループ展のお知らせ
「干支に乾杯」
1/8~1/13
東京都中央区銀座8-8-6
地球堂ギャラリーにて
時には銀ブラでもどうぞ。
写メ 「初レッスン」
はる 2024
朝からみぞれまじりの雪が降っていた。こういったぐずぐずの雪の日はけっこう寒いのだな。
この雪の中、午後から知り合いの親御さんの葬儀にでかける。時間を一時間間違える。誰も知っている人がいないので、一瞬会場を間違えたのかと不安になる。考えてみると親御さんの名前もしらない・・。今さら間違えましたとはいえない。
結果的にはOK、間違いではなかったようだ。正月早々大ポカをする所だった。みなさん名前は確認してでかけましょう。
夜は今年最初のレッスン。この年末はほとんど楽器をさわっていない。ここ二三日あわてて練習したけれど、言い訳にもならない。あぁ・・。
という一日でした。んじゃ。
写メ 「大阪個展のチラシ」
はる 2023
大きな絵を倉庫に持ってゆく。アトリエを少し整理して新しい仕事にかかるための準備。
自分のアトリエには作品全部は当然置けない。みんなどうしているのだろうかね、昔の作品。学生の時からの大きな作品が何枚もある。基本的に全て残っている。いつか処分しなければならない時が来るんだな。
出来るならまとまった形で残しておきたい気持はあるのだけれど、そういったことはまず無理な話だ。仮に今はいいとしてもやがては管理が難しくなるだろう。
そうなると次に考えられるのはどこかパブリックなところに寄付して飾ってもらうというてかな。まぁそれも限られたかずだろうねぇ。自分が動けるうちに最終の場なり行き先を決めておきたいね。全て写真を撮りなおして、処分するものは思い切って廃棄することだな。
倉庫のたくさんの作品を見ながらそんなことを考えた。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館