写メ 「お供えとむすびやなぎ」
はる 2017
何だかここにきてバタバタと忙しい。まぁいつものことか。
年末まで個展で家を留守にしていたので、ちょっとばかり掃除をしたり、正月の飾り物を準備したりとフルに活動しています。
年賀状も何とか今日書き終えました。しかし、まぁこんなものはそろそろ止めにしようかと考えている。いっさい出さなかったらやがては誰からも来なくなるのでしょうな。来年くらいから返事しか書かないようにするかな。
さて、今年もいよいよ残り少なくなってきました。来年は早々に大阪の個展がありまして、どうなることやら。ちょっと心配ですな。
んじゃまた。あした大晦日ですね。
大阪阪急デパートHPの真中あたり、デジタルパンフレットというので、一月の個展の案内が読めます。ちょっと面白い。
写メ 「今年の年賀状」
はる 2015
今日は一気に寒くなった。これが普通の師走なんだろうな。昨日までは春のようだった。
午前中、台所のフローリングを水引きしておいて、午後からワックスをかける。こんなことは一年に一度やるかどうか。片付けるのは嫌いじゃないけれど、根は無精者だ。ほこりはほとんど気にならない。ほこりで死んだものはないと高をくくっている。かみさんといつもそこらあたりでぶつかる。
私は神経質に見えるらしい。ところがどっこい、まったくいかげんである。子供の頃からお袋によく言われた。「あんたはアイディアはびっくりするほどええけど、仕上がりがあかんなぁ・・」と。しかしまぁ、物事の本質をつかむのは案外このくらいざっとした性格の方が、いいのじゃないかなどと居直っている。いや、もう変えられない。
今でもそうだ。限られた条件で、最大限の効果を生み出すにはどうすればいいか?そんな所に私の心は燃える。だから、可笑しな事だけれど、条件は悪い方がいいものが出来る。
しこしこじっくり絵を描いてゆくことに飽きてしまう。段々に煮詰まってゆくことに耐えられなくなってしまうのだな。そこで癇癪を起こしてドカンと絵の具を置いたりして、新しい展開を図る。
コラージュが面白いのは、「予期せぬ抵抗」が突然現れることだ。そんなはずじゃなかったのに・・と思う。この微妙なズレが私にやる気を起こさせるのだ。
私はいつもそうなんだけれど、安住した環境というのが苦手なようだ。どこかいつも少し外れたところに自分の住処を見つけるのが上手い。例えば仕事一つとってみても、正教員という立場はどことなくムズムズする。非常勤という不安定な立場が私には「安定」して感じるのかな。
まぁどんなところにも自分はいる。ということで又明日。
写メ「今日はいい天気」
はる 2014
昨晩はすごい嵐だった。ネット仲間のブログを読んでも、ほぼ全国的に嵐だったことが分かる。ブログを書いて一日が終わるという習慣がついているもので、寝る前なると自然とパソコンの前に座っている。
ところが昨日は雷が鳴り出したのですぐさまコンセントを抜いた。というわけで日記がつけられなかった。個展の間も欠かさずに書いていたものが、こんなことで途切れたりするんだな。まぁそんなもんだ。
ブックオフで古本の立ち読みをしていたら、本のタイトルは忘れてしまったけれど、分厚い辞書のような本が片隅に積まれていた。気になってぱらぱらと中身を読んでいたら、なかなか面白い事柄がかかれていた。
「日本の聖と賤」というテーマで書かれていたのだけれど、まぁ本当にこれは簡単に済ますことができないしろものだ。日本の芸能の発生はここらあたりにあるようだ。このことは追々調べて書いてゆきたい。
しかし、定価を見ると五万幾ばくと書かれていたので、多分今日見つけた本はそういった真面目な著作ではなくて、いわゆる「ゆすり、たかり」に使われた代物だと思われる。
本のタイトルも実はおぼえているのだけれど、それを書くと検索で来る輩がいるので止めた。まぁどこにでも嫌がらせみたいなことを仕事にしている奴がいる。
この「日本の聖と賤」(野間宏・沖浦和光)に何の責任もない。
写メ 「個展4日目」
はる 2008
個展4日目
天気があまりよくないですね。今日はわりと人が少なかったですね。明日から週末にかけて少し期待できるでしょうか。
個展も後半に入ります。見逃した方は是非来てください。
東京で一人で生活を始めた子と少し話をする。今まで田舎にいてやりたいことがあるのでここに出てきた。働きながら自分のやりたいことを見つけようとしている。
自分の若いころを思い出す。今でも決して豊かではないが、自分のやりたいことをしながら、そこそこ生きてゆくことができるようになってきた。夢をあきらめるのじゃないよ、と声をかけたくなった。目を赤くしながら聞いていた・・。そう、そんなに昔のことじゃないけどね。
んじゃ、またあした。
写メ「搬入前日」
明日は午後から東京だ。個展は18日の月曜からですが、搬入は明日です。
まぁどうしても明日見たいという人はこっそり六時頃画廊の方にくれば、飾り付けの様子を見ることが出来ると思います。面白いかどうか、確約はできませんが・・。
ということで明日から私は当分家には帰れません。ビジネスホテルに泊まったり、兄貴の家にお世話になったり、ボストン片手に渡り歩くのです。とまぁこれが好きでねぇ。寅さんになったような気分です。
貴種流離の話を少し前に書いたけれど、私はけっして「貴」ではないけれどね、何かワザをもってね全国を渡り歩く、「あそびべのはる」本来の姿かな、そんな生活もいいなぁなんて思うのだな。そんな気分をほんのちょっぴりだけど味わえるってわけだ。
期間中は(メシとトイレ以外)必ずいます。どんな野郎か見に来てください。詳しくはHPを見てくださいな。
というわけで、更新は出来るだけするつもりですが、飛び飛びになるかもしれません。あしからず。とりあえずまた、んじゃね。
はる 2002
何処かの親馬鹿な知事が自分の息子がアーティストだというので、海外に優先的に留学させているとかなんとか、まぁなんともお粗末な話。仮にそのご子息が偉大な芸術家であったとしても、あえて外すのかモラルっていうのじゃないかね。
アーティストなどという職業はなくてね、生き方だから、所詮そのような輩には何も理解できないだろう。親にもらったものは衣服さえ脱いで返したフランチェスコじゃないけれど、「貴種流離」そこから眺めないと何も見えないにじゃないかな。
アーティストを援助するという発想はありがたいのだけれど、どこまで援助すればいいのか、その加減が難しいな。可愛い子には旅をさせろとかいうけれど、恵まれすぎるとたぶんだめになるだろうな。
風好日より http://d.hatena.ne.jp/monduhr/
「国民には学習する(教育を受ける)権利があり、一方、国をはじめとする公権力は、国民の学習権を保障する義務を負っている。そして、その保障を確かなものとするために公権力を縛る法律が、教育基本法だ。ところが全く逆に、あたかも国家には国民を教育する権利があり、国民には国家の提示する教育を受けなければならない義務があるかのように、「教育の基本」方向を逆転しようとしている。」
なるほどそういうことか
ということで、又明日。
はる 2001
イルミネーションといえば最近あちこちで極普通の家庭でもかなりこった電飾をみかけるようになった。
私も昔っからわりと好きでね、子供の頃は小さなツリーに綿帽子かぶして自家制の豆電球のイルミネーションを飾ったりしたものだ。それの延長上で樹に電飾するのはわかるけれど、家全体が大きな宝石箱みたいになっているのは、電飾のトラックのようで何だか変だ。
人に迷惑かけているわけじゃないからいいじゃないか、とかいうけれど、まぁ音は出ていないから比較的にトラブルにはなっていないけれど、ちょっと違うのじゃないかな。
例えば看板や建築なんかでも日本はわりと色なんか自由だけれど、町全体のことを考えれば、どんな色でも自由じゃ無いか、どうでもいいじゃないとはいえないと思うんだな。
それから個人で楽しむ分には、そう確かに自由なんだけれど、外に表現しているからな、みたくない人にも見えてしまうわけだし、右翼の大音響の装甲車みたいなもんで、これは騒音でしかない。
わが町も最近「光の・・・」とかで電飾でお城内を飾っているようだけれど、情けないことにセンスが幼稚すぎて恥ずかしくて見てられない。さすがにキティーチャンはなかったけれど、似たような子供だましで、大人の鑑賞に耐えないものばかりだ。誰を対象にしているのかな?
たとえば同じだけの予算をかけるならば、全国区で公募して若いアーティストにチャンスを与えるとか、手前味噌だけどなんとか方法はあるのじゃないかな。
もし自分がまかされたら、どうするだろうかなぁ・・。そうやって考えてみて欲しいね。
偉そうなこと書きました、すんません。んじゃまた。
写メ 「今日のアトリエ」
はる 1999
おお、明日でカウント2000になりまっせ。
(ごめん自慢話です。)
熊谷守一の座右の銘に「下手も絵のうち」というのがあるけれど、この日記、雑記、記録っちゅうんか、これも「下手も数のうち」2000回続けりゃ、立派なもんでっせ。(だれも言わんから、自分で言う)
一日一件だから単純計算で毎日書いても五年と半年くらいかかる。数ある日記サイトのうちでもこれだけのカウントがある日記はあまり知らない。ましてブログという言葉さえなかったのだから。
私が模範としたのは糸居さんの「ほぼ日刊いとい新聞」の名コラムだ。ほぼと言いながら、いといさんははじめてから一日も休んでいないと思う。著名人の話など、彼のサイトはいつ観ても新鮮な話で、人をひきつける魅力に富んでいる。
まぁそれから比べると(いや比べること自体おこがましいけれど)何でもないものだけれど、まぁ良く続いてきたな、それだけは自慢してもいいでしょう。
時々続けるコツは?と聞かれるけれど、何だろうな、無理しないで書くことかな。書きたくない時は「本日休業」とでも打つことだ。それでもいいと思っている。
まぁこれからもよろしく。2000回のあいさつのようになってしまった。んじゃ。
写メ「 第九交響曲・開演前」
はる 1998
今日は第九を聴きに出かけた。
西欧のクラッシクと言っても、交響曲というのはあまり生で聴く機会はない。我々は何でもかんでも西欧の文化は取り入れてきたけれど、特に医学と科学、音楽と美術は何が何でも遮二無二取り入れて来たんじゃないかな。
まぁその結果なのか、最近は海外のコンクールなんかでも日本を含めた東洋人が上位入賞することが多くなった。
まぁひとつの芸をものにするには一代では到底無理で、二代三代命かけてやらないと、なかなか本物にはならないということだろう。
それにしても物凄い人が聴きに来ていた。ノダメの影響かな?これはもうクラッシクのコンサートではなく、ある種の歳時記、年中行事、紅白、盆や正月に近いイベントになってしまったんだな。まぁそれはそれでいいのかもしれない。
年末にベートーヴェンの第九を聴くと言う風習は何処から出てきたのだろうな。これまた調べると面白いかもしれない。3百人ぐらいの老若男女の大合唱団だろうか、あれだけの人数で「苦悩超えて歓喜に至れ」と繰り返されると、なんとなくそんな気分になるから不思議だ。
又来年。んじゃ
はる 1997
「貴種流離」という言葉が気になってネットで調べる。私にとって初めて出会う言葉であったけれど、その筋ではかなりポピュラーな言葉だった。
簡単に言ってしまえば、物語のテーマとして貴族てきな身分の人間がその身分を隠して、または落ちぶれて放浪するというようなことだ。
まぁこんな話は古今東西、ありとあらゆる物語がそういった部類に入るわけで、考えて見ると聖書や仏典なんかもその分野に入るのではないだろうか。
私が何故、どこからこういった言葉とつながったのか、興味の源泉を訪ねてゆくと、引っかかりは「絵描き」ということなんだな。絵を描くということは仕事なんだろうか?そんなことから始まった。
私の絵は物事を写して綺麗にまとめるとか、飾って美しいと言うような絵ではない。日々感じたことや、考えたことを絵を描くという行為で表しただけで、それが人様にとって価値があるかどうか、そんなものが仕事といえるのかどうか?
で、何か昔の職能集団でそういったことを仕事にしている人達はいないかと調べてみたところ、「あそび部」という言葉に行く着いた。
これは元々は皇族のそばに仕えた職能人で歌舞や音曲を使って人様を慰めたり癒したりする芸能集団であった。芸能といっても今と大きく違うのは、単に面白おかしく人を喜ばせる今の芸能とは違って、彼らは神の使いという一面があった。
「あそぶ」とか「あそばせる」というのは「かみがかる」ということと同じ意味を待っていて、古代においては通俗な身分ではない高いところにいた集団であったらしい。
そういった芸能の集団は定住しないで、そういった技を持って各地を放浪して生活していた。今でもそうだけれど、お祭りや縁日にはそういった流しのテキヤがまわって来る。香具師(ヤシ)とはこういう字を書く。
白拍子、傀儡子、えびす(夷で異邦人)、河原乞食、山師などなど。
話がまとまらない。続きはまた。
写メ 「万華鏡のようだ」
はる 1995
まぁどこでも似たような話があるもので、出版事業だけのことではない。
都内のマンションを買えだとか、資産の運用をしないかとか、そんな話は三日に一度くらいはあって、どこからこいつらは私の電話番号を調べてくるのか、個人情報がウンタラカンタラいうけれど、以前よりもかえって情報が高く売り買いされてんじゃないかな。皮肉なはなしだけれどね。
大体考えてみて、そうやって営業してくるということは、こちらがお客さんになっている訳で、基本的にこちらが儲ける話にはなってないわけだ。そこのところを勘違いする。
出来上がった本そのもの変わりなく見えるけれど、自分がお金を出して出版した本と、売られいる本とでは全く違うものなんだな。普通出版社は本を売ることに奔走するけれど、偽物の出版社は本を出すことに奔走する。
そこらあたりは画家と画廊、画家と出版社なんかとも似ている。「感動しました」と言われても、大体がみんな営業トークでね、底が浅い。騙すんならもっと勉強してこいと思うのだけど、みんながみんなそんな感じで、この程度の営業トークで騙されるんだろうか?と不思議に思う。
この間は、とある画廊(東京)からまず封書で案内が送られてきた。特に今回はあなたを選んで招待状を出したみたいなことがかかれていた(印刷物)。次に電話がかかってきた。東京に出てくる時には連絡して絵を持ってこいというのだな。
で、まぁそれならそれでもいいのだけれど、ちょうど銀座で個展をやるからそのときに観て下さいといえば、何だかんだ言い訳して切れてしまった。気に入った作家が個展をやるというのだったら観に来てもいいだろう?何の営業だったんだろうか?
写メ 「冬枯れのシルエット」
はる 1994
昔はもっと寒かったし、暗かった。気候がどうこう言うのじゃなくてね、冬は寒いもんだ、夜は暗いもんだ、仕方ないじゃ無いかと思っていた。
で、まぁ我慢していると言うのじゃなくて、暖かい家の中とか明るい夜というのを知らなかったから、そういうものだと納得していたね。
学校にもストーブなんか無かった。だから午前中は凍えるくらい寒かったな。それでもまぁそんなもんだと思っていたからね。たくましいと言えばそうだったね。
だから休み時間になると「おしくらまんじゅう」とか「エスケン」とか「ドロジュン」(泥棒と巡査の略)なんかで走り回って自家発電であったまるしかなかった。
それでも別に不平や不満はなかった。なぜなら暖かい冬とか明るい夜なんて知らなかったんだから。
今の人たちは不幸だね、まぁ大人たちも一緒だけれど、暖かい冬や涼しい夏、明るい夜を知ってしまったからね。どうやっても不平や不満が出てくるよ。
何かね、このままでいいとは思わないのだけどねぇ。コンビニや自販機、こんなに必要かね。テレビやゲーム、パソコンにネット、携帯なんかも規制が必要じゃないかな。どう思う?
写メ「小池歩個展 」甲府・三彩洞
12/2~12/10
はる 1993
さてさて今日は定期検診に出かける。何事も無いのが普通になってしまったけれど、心の片隅に何パーセントかの不安がかすめる訳で、まぁ二ヶ月に一回の通過儀礼のようなものだ。忘れないためのね。
ついでにインフルエンザの予防接種を受ける。ここのところ毎年受けているので、どこで受けるのか悩む所だ。東京の個展の前には済ませておきたい。出先で病気になるのは一番面倒だからね。
今日はこの冬一番の冷え込みらしい。空を見上げると月が、カンラカンラと輝いていた。そう満月らしいぞ。
美術館の帰りいつもの画廊で「小池歩・個展」を見た。こういった作品はあまり見ないな。独特の世界があって面白い。これからどう展開してゆくのか楽しみな作家だ。是非ご覧下さい。
写メ 「午後の光」
はる 1992
ぐ~んと寒くなった。この季節の午後の光は綺麗だなぁ。空気に透明感があって、きらきらと輝いている。
子供頃の思い出というのは浄化されてみんな美しくなってしまうのだけれど、実際当時はそんなに綺麗なものじゃなかった。
野っぱらに寝転んでよく空を見ていたことをおぼえている。ただ、ぽっかりと浮かんだ雲だったり、一直線にのびる飛行機雲だったり、なにげないものだ。
当時庭の隅には何処の家庭にも物を干すための棒が立てられていた。太い所で10センチメートルぐらいの、何の工夫も無い一本の丸太で、適当なところに木を打ちつけて物干し竿を掛けた。てっぺんは缶詰の缶をかぶせて雨が染み込まないようになっていた。
上の方から順番に三段ぐらいあって、一番上に竿を上げるにはちょっとした道具が必要だった。さお竹に木の又の「人」がたを逆に差し込んでその道具とした。
まぁ、書かなくても大体同じ年頃に人間ならわかるだろう。
高倉健の映画で「幸せの黄色いハンカチ」といえば分かるかな。あの最後のシーンで黄色いハンカチが風にバタバタはためいていた、あの物干しだ。あれが極普通の日常だった。
真っ青に晴れた日、母親が真っ白い洗濯物をその物干しに干す。そういったシーンが心の中に焼きついている。
これも一つの「少年時代」だ。
写メ 「近日分譲予定」
はる 1990
もう80を越えたおっさんが田圃を管理していたから、近いうちに終わると思っていたけれど、今年が最後だった。
周りは段々に住宅地になってきたから、もうほとんど時間の問題だったんだけれどね。残念だ。
毎年田植えのシーズンになると何処からか水がまわってきて、田圃の端っこからチョロチョロと水が巡回して流れていた。こういったシステムは良く考えられていて、無論この水は水道の水なんかではない。
この国が遠い昔「みず穂のくに」と言われていた頃からのシステムで、昔はこういった用水路がいたるところにはりめぐらされていて、この国の人間にとっては、この水の確保というのが何よりも大切な事柄の一つだったんだろうな。
延々と続いてきたこういったシステムは一度途切れてしまうと復活するのは難しいだろう。
この秋まで色んな食物や生物をはぐくんできた畑や田圃が、今日は重機が入って整地されて、ドデカイダンプが何処からか砂利を運んで来て埋め立てを始めた。やがてセメントがうたれてちっぽけな家が建つ。もう二度と田圃や畑に戻ることは無い。
・・・眠くなった。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館