写メ 「大銀杏」
はる 1988
甲府の個展が終わって一息つく間もなく、明日から師走になってしまう。何を焦っているのか、といえば18日から銀座で個展があるわけで、こんなことをもう何年もくり返している。
しかしまぁ、人間と言うのはいいかげんなもので、こんなに忙しい想いをするなら、来年はもう少し間隔をずらすんだったと、その時は考えるのだけれど、終わってしまうともう忘れて、また同じことを繰返している。まったく懲りていない。
それに今回は怒涛の大阪阪急デパートデビュー展が控えている。この三ヶ月はコテンコテンコテンの大安売りだ。大阪は期日指定で私が選べる立場ではなかったのでね、結果としてこんな形になってしまった。次回はもう少し余裕を持ってやりたいな。
さて、色々な後片付けや準備も片付けて行かねばならいのだが、取り急ぎ次の個展のDMをだした。本来はもう少し後の方がいいのだけれど、まぁ12月に入ればそう場違いでもなかろう。
まだ描かなければならない絵があるのでね、気になっていることを片付けておきたかった。
明日はTAO展の搬出だ。んじゃ。
写メ 「初秋の風景」
はる 1987
最近は画廊のDMも何枚かまとめて、透明なビニールに入って郵送されてくる。その方が料金も安上がりだし、送る方もまぁ便利だわな。
というわけで私も今までのように封筒じゃなくて透明なビニールに入れて出そうかなと思った。何回か少ない枚数ではそういった方法で送ったことはあるけれど、その度にあまりいい顔をされない。
多くは切手が貼れない。料金別納ならいいのかと思ったのだけど、そう簡単ではないらしい。ある程度まとまって郵送する場合、これでは受け付けられません、と言われると辛いので、詳しいことを郵便局に聞きに行った。
しかし、郵便局のおば様もよく分からなくて、本局かどこかに電話して聞いていた。待たされること20分ぐらいかな、で結論はこういうことだ。
基本的に定型なら受け付けられるけれど、その中に入っている郵便物が袋いっぱいに入ってないと定型外になって120円になる。正確には1ミリ以内でないといけないらしい。
それから封をした状態で口がばたついてはいけない。なぜなら機械で読み取るのでひっかるらしい。とかなんとか・・。
ようするに、定型の普通の封筒以外面倒なことになるかもしれませんよ。余計なことをしないできまった形で出した方がお互いのためですよ。ということか。聞いていて段々にイライラとしてきた。
その帰りに宅急便屋さんによって、メール便について聞く。同じようなおば様だったけれど、「ハイハイ」と言いながら、30cmくらいのエ型のメジャーを持ってきて、厚さがこのあつみで、A4サイズまでなら80円です。シールはこちらで貼りますし、言ってくれればこちらでとりに伺います。とのこと、この違いはどうだ!
長い間の日の丸根性がこういった融通のきかないお役所体質をうむ。どんどん民営化すべきだな。
写メ 「午後のカフェ」
はる 1985
個展履歴
NO 年 場 画廊 備考
1 83 甲府 県民会館
2 86 甲府 県民会館
3 88 銀座 中央画廊
4 89 銀座 中央画廊
5 90 甲府 おおくぼ
6 銀座 中央画廊
7 91 甲府 おおくぼ
8 銀座 スルガ台画廊
9 92 甲府 おおくぼ
10 銀座 銀屋画廊
11 93 甲府 おおくぼ
12 銀座 スルガ台画廊
13 94 甲府 ギャラリーWin
14 銀座 中央画廊
15 95 イタリア ナルニ市民劇場
16 96 甲府 三彩洞
17 97 神戸 海文堂画廊 「こころのかたち1」
18 甲府 ハーパーズ・ミル 「こころのかたち2」
19 銀座 スルガ台画廊 「こころのかたち3」
20 98 甲府 ハーパーズ・ミル 「たいせつなこと1」
21 銀座 ギャラリー惣 「たいせつなこと2」
22 99 甲府 ハーパーズ・ミル 「いまここにいる1」
23 銀座 ギャラリー惣 「いまここにいる2」
24 00 甲府 ハーパーズ・ミル 「どこにいくのか1」
25 銀座 ギャラリー惣 「どこにいくのか2」
26 01 甲府 ハーパーズ・ミル 「みみをすます1」
27 銀座 ギャラリー惣 「みみをすます2」
28 2002 甲府 ハーパーズ・ミル 「あそびをせんと1」
29 銀座 ギャラリー惣 「あそびをせんと2」
30 2003 神戸 ルポール 「あそびをせんと3」
31 甲府 ハーパーズ・ミル 「こしかたのき1」
32 銀座 ギャラリー惣 「こしかたのき2」
33 2004 神戸 ルポール 「こしかたのき3」
34 甲府 ハーパーズ・ミル 「かぜのおとづれ1」
35 2005 神戸 ルポール 「かぜのおとづれ2」
36 甲府 ハーパーズ・ミル 「色はにほへと1」
37 銀座 ギャラリー惣 「こたえてください」
38 2006 神戸 ルポール 「色はにほへと2」
39 甲府 ハーパーズ・ミル 「うつろふもの1」
40 銀座 ギャラリー惣 「うつろふもの2」
写メ 「個展六日目」
はる 1982
個展六日目
号・・万円というようなことを言う。絵画の値段は相場があってないようなもので、作者がこの値段でいいといえばそれで通ってしまうところがある。
よく個展会場などで美術年鑑とかその手のカタログが置かれていることが多いけれど、あれってまやかしでね、お金を払って自主申告で掲載してもらうのだ。で、さもその値で取引されているように見せる。
雑誌の掲載記事とか新聞の記事とかそういった類のものを個展会場に置けばいいのにとアドバイスをくれた人がいたけれど、それも上の話同様に何となく胡散臭い。
そうやって絵以外の外からの(他人の)評価でしか観れないのはやっぱり少し悲しいね。
人がどう観ようと関係ない。自分が好きか嫌いか、いいか悪いか、それしかないだろう。
写メ 「個展会場」
はる 1980
個展中休み
今日は個展の中休み。一週間ぶっとおしでやるのはなかなか疲れる。こうやって中一日休むことも必要だ。といっても今日は出稼ぎ仕事で、まるまる休みではないのですがね。
テレビはほとんど見ないが、今火曜日のNHK10:30から中沢新一が「折口信夫」をやっているので興味深く見た。先週は「まれびと」の話だったけれど、見逃してしまった。見ました?
この民俗学というのは面白いねぇ。まぁそんなに詳しく知っているわけでもないのですが、ちらっとさわりを見ただけでも興味が惹かれる。
例えば昨日の、能の「翁」の話はこうだ。翁というのは能の最初に演じられる。今ではそれは単に儀式になってしまってその意味は隠されてしまっているけれど、その能の舞が出来た頃にはちゃんとした意味があった。
翁の面と言うのは老人のように見えるけれど、それは「老人」でもあるけれど「生まれたばかりの赤子」でもあるそうだ。で、その役割は「あちらの世界とこちらの世界」との橋渡し、巫女のような役割を演じているのだ、ということだ。
そして、そこから話はふくらんでゆく。能のような芸能には「神の使者=精霊」を呼ぶというような役割があって、古いわが国では貴い職能であったらしい。
「貴種流離」という話をしていたけれど、そういった人たちは村から村、町から町に流れてそれぞれの場で芸能を演じていたようだ。「あそびべ」のルーツはここらあたりにある。
白川静の「遊」話にも共通するけれど、何事かが起きるとそれを認識する「ことば」が生まれる。で、その言葉の裏には必ず「神」が存在するということなんだな。
写メ 個展4日目」
はる 1979
個展4日目
山梨日々新聞・2006・11/21「文化欄」無断転載
「榎並和春さんが甲府で個展」・水で広がるイメージ表現」
「油彩をやめて十年。1995年にイタリアで一年間研修したのがきっかけだった。「油彩以前の壁画であるフレスコ画をみて日本画のような身近さを感じ、自分の中で油彩以外の表現の摸索が始まった」
水彩絵の具、布、紙、土などを素材に使ったミクストメディアでの表現を続けている榎並和春さんの個展が26日まで、甲府市東光寺のギャラリー・ハーパーズ・ミルで開かれている。
「キーワードは(水)。日本では日常生活に深く入り込んでいる。一方、油彩はヨーロッパの乾燥した風土で完成した材料。日本の風土を考えた時、水彩の方がなじむと思っている」と語る。
画風は、厚みのある独特のマチエール。「油彩は水をはじき、受け入れるものが限られる。それに対して、水彩は許容範囲が広い。水に染み込むものは全て画面に取り込むことができ、イメージそのものが広がっていく」画面上では、絵の具と繊維類などの素材が一体化している。
今展では「うつろふもの」をテーマにした今年の新作約30点を出品。絵と向かい合いながら自己を投影させた心象風景を描き、今回は楽器をモチーフした作品がめだつ。オブジェなどの立体作品もならぶ。・・略・・」
写メ 「今日のアトリエ」
はる 1971
午後一番に地元の新聞社の取材を受ける。記者が新しく代わって自己紹介がてら訪ねてくるということだ。
新聞記事に限らず、あらゆる情報というものは現場が一番だと思う。こまめに動いて実際に自分の目で確かめて取材する。それで記事を書くというのが鉄則だろう。
けれど、長い間こうやって地元で活動しているけれど、個展の事前取材で記者の訪問を受けたことは、今回が初めてだと思う。オープンされた後で会場に来て取材と言うのは何回かあるけれど、今回に限らず、ほとんどのマスコミの取材は電話取材だな。
まぁどんな形であれ、記事にしてもらえればありがたい話で、文句をいってはお門違いなんだけれど、やっぱり実際にアトリエに訪ねてきて顔を見ながら取材すると言うのが筋だろうな。
芸事というのはもちろん勝負するのはその作品だけなんだけれど、その作品ができた背景を知らなければ、理解の半分もできない。
「美は美しいと思った自分との再会だ」というのが私の持論なんだけれど、美は観た人のレベルでしか理解できないものなんだな。だから少なくとも、紹介するならその作家に会ってその作品が生まれた背景なりを知る必要があるように思うな。
まぁ難しい話でした。また明日。
写メ 「アトリエからの風景」
はる 1970
1970年はやっぱり大阪万博でしょう。今はもう昔になってしまったけれど、あの岡本太郎の太陽の塔はこの万博のシンボルタワーだったんだよ。万博には都合三回ほど出かけた。けどほとんど何も覚えてないなぁ。
東京でオリンピックがあって、それじゃ大阪でも何にかやらなきゃというので、ぶち上げたのがこの万博だったのじゃないかな。物凄い人が日本中をこのイベントのために移動したと思う。元々何とか参りみたいなものが好きな国民だったのが、晴れて出かける口実ができたもので、大っぴらに移動したんだろう。
ちょうど高度成長期もピークでそれなりにみんな一息ついたのかもしれないな。農協さんが旗振って世界中をヒンシュクをかいながら旅行した出したのもこの頃か。
個人的には高校二年から三年になる頃で、これからの進路に不安がいっぱいの頃だ。学生運動もこの頃がピークかな。高校の隣の大学が送ればせながらバリケード封鎖されて、ゲバ棒にヘルメットに手ぬぐいで顔を隠した例のスタイルを見るために、放課後に面白がって見に行ったりした。
私の高校でも今では信じがたいけれど「臨時全学学生集会」なるものが体育館であったりして、先生が吊るし上げを食ったりしていた。何で揉めていたのか、基本的にノンポリだったので定かではない。
うわさと言うのはバカバカしくて何処かの学生が自分たちの文化祭を乗っ取りに来る。だから全校生徒が集まって防衛するのだというような、誠に幼い漫画チックなことが真剣に語られていた。何であんな馬鹿みたいなことが許されていたのか、誰に乗せられたのか、正門あたりに椅子や机を山のように積み上げてバリケードのようなものを作っていた。今から考えるとあれは何だったのか?
青春時代の恥ずかしい思い出だな。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館