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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

掃きだめに鶴、アトリエにチェロ - 2006.11.11(ポケットの窓から)
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写メ 「掃きだめに鶴、アトリエにチェロ」

 こうやって眺めてみると、「末端にも本性」があるなぁ。どことなく私の絵と似ている。混沌とした中にも何か共通したものがある。


はる 1969
 こうやって携帯から画像を転送するようになって、画像をネットに貼り付けることがすこぶる楽になった。

 今までのようにデジカメで撮ってそれを一度pcに取り込むなどということをやっていると、無論画像は大きくきれいだが、面倒くさい。めんどうなことは続かないという原則がある。

 今私が、ここで見た映像がすぐさまパソコン上とはいえ世界中で見ることができるというのは、凄いことだ。

 以前サイボーグの話をしていたけれど、直接脳に電気信号として伝えることができれば、個人の経験なり体験が瞬時に多くの人が共通の疑似体験できるということだ。

 今はまだ便利だなぁ・・という程度の話だけれど、やがて例えば「アフリカ冒険旅行体験記プログラム」とか、個人的な「経験や体験プログラム」が売買されるようになるかもしれない。経験したことがないことも、脳が情報として経験してしまえばそれは「経験した」ということになる。

 学習とか経験ということがバーチャルになり売り買いされるということだな。

 何だろ、人類もいよいよ神の領域に踏み込んだということか・・。

 ということで何が言いたいのか分からなくなった。ということでまた。



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祈りのかたち - 2006.11.10(日記)
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写メ 「石畳とシルエット」

はる 1968

 午前中かねがね行かなければと、思っていた県立博物館に「祈りのかたち」を観に出かける。このケンパクや考古学博物館は県立美術館、文学館と共にまぁその時々の為政者の記念碑的なところもあってね、内容はともかく箱物は立派なものだ。


 元々こういったものは営利的に成り立つものでなく、ある種の研究機関であるから、お客さんが連日連夜押しかける面白い企画を催しているというものでもない。じっくりゆっくりやればいいので、その地方のふところの深さみたいなものが問われるのだろう。


 まぁそうした訳で、子供たちがワーワーキャーキャー走り回っていたけれど、その他のお客はお年よりの団体が一組いただけだった。平日の午前中にしてはにぎわっていた方かもしれないな。


 先日上野の「仏像」展を観てきたばかりだけれど、こういった信仰の対象である仏像や絵画というものはどれも何か独特な心に響くものがある。そういえば若い頃はこんなもの(失礼)がいいとは全く思わなかったのだから、変われば変わるものだ。


 段々に見えてきたのは「祈り」の対象としての絵画とか壁画、オブジェ(偶像)とか祈りそのものの「音楽」、踊りとか歌、そんなものがストレートにいいなぁと思うようになってきた。他のものは私の範ちゅうの外にある。あしからず。

 



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ボーっとした普通の中学生だった。 - 2006.11.09(日記)
はる 1967
 1967年は高校受験の年ですね。私たちの頃は5年生の高専というのが注目されていてね、やたら色んなところで開学されていた。近くに神戸工専というのがありましてね。工業系の学校ですが、まぁかなり優秀な生徒しか受け入れないと言われていました。

 工作少年だった私は何を間違ったか、そそのかされたか電気技師でもいいかなぁ・・などと考えて受験したおぼえがある。みごと落っこちましたがね。

 中学時代は部活(ブラスバンド)ばかりの毎日だった。音楽好きというのか楽器を演奏するのが好きだったんだな。いまでもそれは変わらない。

 まぁところがね、部活の顧問が途中で変わってしまって、熱心でない先生が顧問になったものだから、急激に熱が冷めてしまった。三年生になったら受験ということもあるけど、ほとんど行かなくなった。まぁあのまま続けていたら当然高校でもやっていただろうけれど、そこらあたりから横道にそれてしまったようだ。

 絵を描くなんてことは全く考えになかったわけで、中学の担任が美術の先生だったということはあるけれど、ボーっとした普通の中学生だった気がする。

 さて、また明日。



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バーミアンの石窟の壁画 - 2006.11.08(ポケットの窓から)
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写メ 「夕陽が当たった樹」

はる 1966
 いい天気だった。

 今日はマラソン大会とかで授業はありません。ということで私は無給休暇でした。嬉しいような悲しい話です。

 この月曜に東京の個展のDMも上がってきて甲府のDMと一緒に郵送しました。今日ぐらいについているのではないでしょうか。まだついていないという方は、どこかで漏れてしまった可能性があります。DMよこせとメール下さい。

 額入れをした。まだ少し早いけれど、アトリエの中がガヤガヤと落ち着かないので、すっきりとまとめるためには額入れした方がいい。後はまぁ細々とした準備を整えればおしまいだ。会場でならべてみなければ具体的には分からない。どんなもんじゃろか?

 閑話休題

 今回のテーマは「うつろふもの」ということで和風のイメージが強いのか、オープニングの古楽の演奏会を日本の雅楽と勘違いする人がけっこういて驚いた。そうか、古楽といえばそちらもあったんだなぁとあらためて知らされた。

 私のテーマそのものはいいかげんなもので、その時に感じたことや、思い付きを言葉にしているだけで、ほとんど毎年変わらない。

 今回はじめて仏像のようなものを描いたのだけれど、具体的に仏像の決まりごとみたいなことをあまりにも知らないことに今ごろ気がついた。

 私の描き方というのが、何かを見て具体的にそれに近づけるというのではないので、自分が今まで見てきた仏像の総体が形になって出てくるという「他力本願」的な描き方だ。だからまぁ専門家から見れば間違っていることも多いだろうと思う。

 仏像もあればキリスト教のピエタのようなものもある。今興味あるのが、そういった東西の文化が混ざり合うシルクロードのあのバーミアンの石窟の壁画だったりする。(bbsにリンクしてあるので興味のある方は行って見て下さい)

 というわけで、すこぶるいいかげんであるということが、暴露された。んじゃまたあした。



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今日は一日出稼ぎ仕事です。 - 2006.11.07(日記)

はる 1965

今日は一日出稼ぎ仕事です。ということでまた明日。



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1964年といえば東京オリンピックだった。 - 2006.11.06(日記)
はる 1964
 1964年といえば東京オリンピックだった。私はといえば小学校の五年せいだったかな。

 聖火が来ると言うので近くの町まで見に行ったおぼえが。ある日の丸の国旗を振ってやや興奮した気がしたなぁ。あれは何っだたのかしらねぇ。日本中がお祭り騒ぎではしゃいでいた。

 柔道の無差別級で日本の代表がオランダのヘーシンクに押さえ込みで負けたときは、このまま日本は立ち直れないのじゃないか、とさえ思った。後日ヘーシンクがプロレスに転向して日本にやって来たけれど、以外に弱っちくて驚いた。こんな奴に負けたんだとがっかりしたな。今で言う曙みたいなものかな。

 昔はいいとは言わないけれど、何故か懐かしいな。

 バレーボールが最後にソ連に勝ってりゅういんを下げた。当時の女子選手は怒られるけど、どこか山から掘り出してきたような凄い顔してた。「東洋の魔女」などとたたえられていたけれど、別の意味で「魔女」に近かった。ごめん。それに比べると最近の女子選手は美しいひとが多いなぁ。

 というふうな馬鹿なはなしで今日はお終い。明日は出稼ぎだ。んじゃ。


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チェロのレッスンでした。 - 2006.11.05(裸婦クロッキー)
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写メ 「裸婦クロッキー」

 まぁなんだか、忙しい。



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「道(TAO)展」 - 2006.11.04(裸婦クロッキー)
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写メ 「裸婦クロッキー」


 二年ほど前から成人相手に少し絵を教えている。実は三年前に美術館の実習講師をした流れで、そのまま何人かの有志が残ったかたちだ。その生徒たちの展覧会がTOPに紹介している「道(TAO)展」だ。今月の25日に旗揚げする。


 学校を卒業して何年かした頃、ちょうど県立美術館もオープンした。美大などをを卒業して地元に帰ってきて画塾をひらいたり、学校の先生になったり、アルバイトしながら絵を描く道を摸索していたり、まだ多くの仲間が独り者で、人生そのものを摸索していた。


 何でも出来る気がしていたし、何も出来ない気もしていた。自信もあったけれど、不安も混在していた。


 そんな時に美術館の方から同じ世代が集まって展覧会をやらないかとお誘いがあった。個展をやるには広すぎたし、準備も大変だ。グループ展なら費用も安くすむということで、一もにも無くなく賛同した。


 自分たちで展覧会を企画することに意気を感じたし、楽しかったな。


 今回は自分たちの展覧会ではないけれど、まぁそんな前夜の雰囲気を再び味わっている。お時間が取れましたら観て下さいな。



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白川静さんが亡くなった。 - 2006.11.03(裸婦クロッキー)
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写メ「裸婦クロッキー」

 はる 1961
 そうそう、1961といえば思い出すことがある。前にもどこかで書いた気がするけど、無視します。

 もう45年も前になる。私はといえば当時九つ、小学校の三年か。1960年から61年になる大晦日のSEIKO社のCM、鶏が出てきて1961は180度ひっくり返しても1961だ、という風なことをやっていた。なるほど!とビックリして未だにおぼえている。大事なことは何もおぼえていないのになぁ・・。

 白川静さんが亡くなった、96だそうだ。彼の存在を知ったのは個人的には随分と遅かった。絵に使う自分のサインを落款風に描きたいために、古い漢字を調べていてその著者である白川さんを知った。

 「春」という字の成り立ちを知って、なかなか感動したことをおぼえている。草を表す「艸」の下に太陽をあらわす「◎」を書く。地面の下にまだ太陽が隠れていて、やがて草が芽生えてくる。それが「春」なんだよ、といわれると凄く納得しないか!

 「闇」や「暗」と言う字に何故「音」という字が入っているのかとか、「風」の話など。私の一昨年のテーマ「かぜのおとづれ」は彼の「風」の話から来ている。

 ある出来事があって何事も感じなければそこに「言葉」は生まれない。そこにある「言霊=気」をかたちにしたのが「漢字」なんだな。だから漢字をみれば古代の(多分それは現代も)人の中にある「こころ」が見えるのだ。

 ここで色々説明するより実際にかれの著作を当たった方がいいでしょう。ご冥福をお祈りします。



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五十肩は長寿肩? - 2006.11.02(裸婦クロッキー)
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写メ 「裸婦クロッキー」

はる 1960
 雨が降って急に寒くなりました。

 左肩がどうにも痛くて定期検診のときに先生にたずねたら、「五十肩」と言われた。理由はまだ良くわかっていないそうだけれど、「老化」現象でどうにもならないそうだ。

 40になった頃も、これも同じように右肩が痛んで、手の上げ下ろしさえまともの出来ないくらいだったのが、いつのまにか痛みも何処にいってしまった。これも「四十肩」というそうだ。

 何でもそうだけれど、真面目に段階を踏む私の性格?と同じなのかね。もう少しいい所を真似て欲しい。

 ネットで調べたら、江戸時代には「長寿肩」と言われていたとか、何でも当時の平均寿命は40台で、五十まで生きたら長寿だったらしい。

 江戸時代まで下がらなくても、例えば夏目漱石なんかも亡くなったのは45,6だったらしい。どうも我々のイメージとしてもっと老成していた感じがする。

 で、今さらながら、わが身の至らなさを恥じ入るばかりである。



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外道の言い訳 - 2006.11.01(裸婦クロッキー)
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写メ 「裸婦クロッキー」

はる 1959
 霜月です。

 私の大学の恩師T先生が昨年、芸術院の会員になった。

 まだ大学の先生ではなく、フリーで活動されていた頃、美術雑誌の「アトリエ」に盛んに執筆されていて、学生の頃構成だとか、マチエールだとか、絵の作り方を真似たものだ。

 ところが、その先生が私の母校に教えに来てくれるということで、飛び上がって喜んだ。とてもこんなローカルな学校に教えに来てくれるような先生ではなかったので、夢のような話で有頂天になった。

 卒業制作はもちろんその頃の絵はほとんどT先生の物真似だ。何も考えずにそのまま先生の属している日展系の大きな団体に出品した。初出品で初入選。先生からお祝いの長い手紙をいただいた。

 その頃、私も新任の中学校の美術の先生としてS県に奉職した。特に夢や希望をもっていたわけではなく、兎に角仕事をしながら絵を描くつもりでいた。

 ご多分にもれず、一年目からトラブル続きでとても絵を描く気力もなくなって、その年は団体展に出品できなかった。

 まぁここで大きな選択を迫られる。このまま学校の先生で趣味で絵を描いて行くのか、それとも今ここで辞めて「絵を描く生き方」を選ぶのか。

 結局は学校の先生を辞めてしまうのだけれど、結局その美術団体も続けることができなかった。先生には長い手紙を書いた。けれど、先生には後ろ足で泥をかけたようで、その後なんとなく顔を会わせるのが辛かった。まぁ師匠不孝というのか、不肖の弟子ということで許してください。

 人生には色んな分岐点があって、今もしそのまま学校の先生を続けていたら、今の私はいないし、そのままその団体に出品していれば先生の弟子ということで通っていたかもしれない。

 私はいつもどこかすねていて正統な道から外れてしまう。もう少し我慢すれば何とかなるというところで、あきらめてやめてしまう。で、結果としてなんだか中途半端な立場に落ち着くことになる。あくまでもマイナーな所から出られない性質のようだ。

 まぁ何が言いたいのか分からなくなったので、もうやめて寝ます。



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