写メ 「美術館講習会」
はる 1928
今日は美術館で裸婦デッサン講習会だった。デッサンを教えるほど上手くはないのだけれど、下手くそでも数をこなせば多少なりとも描けるようになるんだということをみてほしい。
それにまぁ実際にモデルを見て絵筆を走らせるのは楽しい仕事だ、そのことを楽しんでほしい。
少し難しいけれど、絵を描くということは、物の見方ということと同意語であって、私はこういう風に見た、見えたということの確認である。
無意識にただながめているだけでは絵にならないということをわかってもらいたい。よく観てと教える側はいうけれど、只見ただけではだめなんだ、発見すると言った方が正確かな。
また、バーチャルな世界が極普通になってきて、実際に絵筆を持って絵を描くことが特別なことのようになってきつつあるけれど、木炭の持つあのざらざらとした感触や、紙のすこししっとりとした肌触りは、生き物としていまここにいることを確認させてくれる。大事なことのように思うけれどね。
まぁ楽しめればそれでいいのだ。奥は深い。
写メ 「今日のアトリエ」
はる 1927
こうやってネットでほぼ毎日雑文を晒している。今日で1927件目というわけだ。全部を通して読んだことはないから、何ともいえないけれど、結構似たり寄ったり、同じようなことを書いているんだと思う。自分の覚書みたいなものだから、まぁ許してくださいな。
訪れる人もほぼ限られているから、どうってことないけれど、まぁこれまでにこういった媒体はなかったわけだから、面白いなぁ。いつかは更新されない時がおとずれるわけで、その時カウントはいくつなんだろう?
昔の人は人生50年と言っていたわけだから、昔だったら、私はもうすでに晩年に差し掛かっているわけだ。今読んでいる時代小説じゃ50台は隠居じいさんだな。
けれどね、例えば当時九州と江戸では手紙のやり取りをするには最低一週間はかかったわけで、のんびりやったら一ヶ月ぐらいかかっただろう。ということは、当時と時間の観念が今とは全く違うわけで、一概に同じように比べることはできない。
度量衡というのか、計る単位が人の感覚を基準にしているわけだから、まぁそれだけのんびりとしていたわけで、時間は相対的なものだから、感覚的には今より数倍長かったのじゃないだろうか。
まぁ、兎に角少し忙しすぎるようなきがするねぇ。テレビを見ないようになってだいぶ経つけれど、それだけでも時間がゆっくり過ぎる気がする。
さて、又明日。
写メ 「秋の空」
はる 1926
まれびとさんの日記に作家の辺見庸さんのことが書かれていた。内容はそれぞれが行って読んでみて欲しい。
少し前に書いたおぼえがあるのだけれど、何処で書いたか忘れてしまった。辺見さんの文章と関連してこんなことを思い出した。格調は低いけれど許してくれ。
人は自分の持ってる資質みたいなものから、なかなか抜けきらなくて、根本的には全ての思考や発想はそこから出てくる。
例えば、腕力に自信のある教師は大体においてその力でもって生徒を手なずけようとする。本人も周りも知ってか知らずかそれを期待している風なところがある。
人を統率する、まとめる、といったある種の能力はそういった力のある、暴力的、封建的な人間の方が適しているところがある。
騙されやすいのはそういった腕力でまとめられた集団と言うのは、力関係で均衡が保たれているわけだから、見えないところで小さな力のないものを虐げているというとところが必ずある。一見平穏で秩序正しく見えるからしまつが悪い。
生徒はけっして教育されたのではなく、恐怖政治のように順応させられただけなんだな。だからそういった重石が取れたら元の木阿弥になってしまう。勘違いするのはそういった教師がいい先生だ、指導力があるとされるところだな。
反対に今管理職などから、指導力不足とか言われて教職を追われている先生が全国で何人もいるけれど、そういった教師の中には適性に欠けている人もいるけれど、まぁ苦労して自分の持ち味で指導できるようになれば、そういった腕力系の先生よりいい教育者になる可能性がある。
少し話がとぶけれど、ガンジーが物凄く腕力や、体力に自信のあるにんげんであったなら、多分彼の思想は出てこなかったと思う。自分が持って生まれた資質でもって戦えるとしたら、たぶんこれしかないと思ったところから出てきたのじゃないかな。
で、自分はどうなのかなぁ、弱い人間がカッコつけてはったりかましているのが一番危険だ。
国というレベルでかんがえると、どうしても強者の側から考えることが大いのだけれど 弱者の立場から必然的にでてきた、戦わないという憲法9条をもう一度考える必要があるかな。高い文化をもった民族が「戦わないという戦い方を選択した」ということは誇りに思ってもいいのかもしれない。どうじゃろか?
はる 1922
どうもね、ちょっと疲れましたね。色々思案橋ですわ。 今日はパスします。又明日。
写メ 「彼岸花」忘れずに必ずお彼岸に咲きますね。
はる 1919
いよいよ朝夕涼しくなってきましたね。展覧会の案内状もこのシーズンになると、断然多くなる。もちろん全部は行けないのだけれど、地元で都合がつくものは出来るだけ行くようにしている。自分たちもそうだったけれど無視されるのが一番辛いのでね。
今日は街中に出たついでに本屋さんによって、最近はまっている剣豪小説の続きを仕入れた。ブックオフが近くにあるので便利に利用させてもらっているのだけれど、こういった続き物はところどころ抜けているので買い足す必要がある。
まぁこういった大衆娯楽小説にはまるのも、水戸黄門や大岡越前物が、高視聴率を稼ぐのと似ているのかもしれない。ワンパターンで勧善懲悪、安心して読んでいられるからなのかね。
通俗性というのはけっこう大切な要素だと思うんだな。高尚であることが人を寄せ付けない傲慢なものであっては本当の力にはならないのじゃないかと思う。まぁ難しい線だけど。受けをねらった、媚びたものは鼻につくけれど、下品にならないていどの大衆性は好きだな。というのか私の好みだろうな。
芸術というのはよく分からん。自分がやっていることが芸術だ、とも思っていない。難しい論文読んだふりしても自分のものにはならない。
結局自分の身の丈にあった仕事をするしかない。
はる 1918
今日は一日出先にいる。長い一日だ。
今年はこれから11月に地元で恒例の個展、でついで12月に銀座、で1月の末から2月にかけて大阪で個展とめいっぱいのてんこ盛りだ。11,12月の個展は恒例なので新作で行きますけれど、大阪は新作は無理で、今までの手元にある作品が出ます。
よく聞かれることに売れ残った作品はどうしますか?ということなんだけれど、多くはつぶされて次の作品の下地となって、再生します。けれど、どうしてもつぶしてしまうには惜しい作品というのが当然でてくるわけで、それが毎年のことなのでけっこうたまってしまう。
大体いい作品から人手に渡ってゆくのですが、不思議なことに、ところどころに隙間があって、そういった作品がポコッと残ってしまうこともある。
だから、今回の大阪の個展は自分で言うのもおかしいけれど、けっこうグレードの高い作品が並ぶとおもいますよ。関西の方面の方、楽しみにしていて下さい。
本当に人に渡したくない作品と言うのもあって、こっそりとコレクションしていて、これはそれぞれの季節に出して楽しむのですよ。基本的には自分が欲しいと思った作品を作っているわけだから、それは当然のことでしょう。
作家の作品を見るよりその人の住んでいる家を見たほうが作家の本性が分かるかもしれないね。
どう生きているかは、その人の日常生活と切っても切れない関係にあるわけだから、作品とその人、生き方が同じであるというのが普通のように思う。
作為的に全く違うという人もいるかもしれないけれどね。それもまた必ず作品に出てくると思うのだけれどね。どうだろうか?
結局「末端にも本性がある」これが真実だと思う。
写メ「清水和男個展」
2006・9/18~9/24(19日休館)
山梨県立美術館・C
美術館の実技講座や美術協会の講座で真剣に学んでいる、清水さんに何度かお会いしたことがある。若い頃は画家になりたかったんだろうなぁという風に思った。仕事の関係で仕方なく筆を折られたけれど、退職されて自由になって、再び絵筆を持つようになったということだ。
絵は人なんだなということを思った。描くことにたいして真摯な姿勢が胸を打つ。是非ご覧になってください。
はる 1916
20回個展によせて下書き
「うつろふもの」
風とか雲とか水とか、かたちのないものがどんどん形をかえてゆく様子をボーとながめている、そんなことが愛いことだとした、いにしえの人はよほどの暇人だったに違いない。
一時、曖昧であることが悪いことであることのように言われて、なんでも白黒付けたがる傾向にあったけれど、最近はそういったある程度のるルーズさ、こころのあそびみたいなものも、人の社会では必要だと認められてきた。
まぁ元来が優柔不断なわたしとしては、何か大っぴらに許されたような感じで恥ずかしい心持もする。
音とか色などもうつろうものの一つだけれど、考えてみるとそういったものを感じるひとのこころこそ、うつろうものの代表かもかもしれないな。
色みえで、うつろふものは、世の中の、人の心の花にぞ、ありける(古今和歌集)
そんなことを考えながら、今年もまた色とかたちと言葉であそびました。一緒に楽しんでもらえると嬉しく思います。
(まれびとさんの日記より、無断転載)
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気をつけてほとんど音にならない響
樹からはなれた実
途切れないしらべのなかの
森の深いしずけさ
とマンデリシュタームは書いた
人のいない森で木の実が落ちる
音はするか しないか
音が聞こえる そこには人はいない なぜなら 人がいる というのは外側から見ていることで
音が聞こえるのは 内部空間だから
人も 樹も森も 絵にすることができる
でも この響 それを包む途切れないしらべには かたちがない
響はそっとすべりこみ 気づかれないように消える
草原の小動物が気配を感じて後ろ足で立つ そのとき草の海から急にひきはなされた展望
聞こえる というのは そうした存在の不安 それにもかかわらず自分の足で立ち あやういバランスをたもちながら ひたすら遠くに耳をこらす そんな状態
はるかな響の海 かすかに感じられる呼吸 音もなく脈打つ鼓動 そこには内も外もない
こどもの頃 寝ていると川の音がきこえた
鼓動とまざりあい 呼吸はゆるやかになって 眠りにひきこまれる
ひたすらきくこと なにかをきこうとせずに
なぜなら われわれの日常は外の物事を追いかけることに費やされている
見ることが中心にあり 他の感覚は視覚化されている
心の内側で起こることを見ようとすると 瞳は一瞬錯乱する
ところが 視野の端でうごくものがあれば わずかなうごきでもおのずから目に入ってくる ということは 目が特定のものに気をとらわれていないからだろう
このように きくときも 目立つ音を追うのではなく 響の前後だけでなく それを包む静寂をきこうとする 耳に入るすべてをきこうとする とおいかすかな響をきこうとする あるいは逆にからだの内側に耳をそばだてる こういったさまざまな戦術によって 響く空間の全体が姿をあらわす
それは多様な音の粒子が おたがいのかかわりのなかであらわれては消える とらえどころのないひろがり 実体もなく時間もない空間
それを前にしては あらゆる表現は不可能だ
これが原初の 鳴り響く沈黙
十字架の聖ヨハネのうたった 密やかな音楽 響く孤独
引用はすべて、高橋悠治「音の静寂 静寂の音」(平凡社)から
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写メ 「アサガオ」
駐車場のフェンスに乱れ咲き。野の草は野にあった方が似合ってるかな?でもまぁ、うちの玄関の一等地に飾らしてもらった。
はる 1914
デパートで個展ということを全く考えに入れてなかったというのか、私にそんな話がある訳ない、と思っていたので最初にこの話があった時は、てっきりいつもの「眉唾ばなし」だと思っていた。
想像してもらえばわかるけれど、デパートに並んでいる絵は大体(綺麗、細かい、分かりやすい)の範ちゅうに入る。なぜならそれが売れるからだ。
私の絵は最初の二つの条件からもれる。かろうじて最後の「分かりやすい」という事柄には少しばかり引っかかるかな?とおもっている。
この話すんなりと決まった訳ではない。話はニヶ月も前にさかのぼる。神戸の個展のDMを観たというギャラリー担当のHさんから電話をもらった。何しろ突然だったもので、多分すごくいいかげんな対応をしたと思う。今までもそういった話がなかった訳でではなかったからね。(すみませんでした)
しかし、ゆっくり話を聞いていると今までの相手とはかなり違うなぁ・・。大体熱意が違う。「売れる売れないは、こちらサイドの話です、兎に角やってみませんか?」
実際にHさんに会って話を聞いて、そして昨日決めた。だめならだめでもいいや。私の絵がどこまで理解されるのか、試してみたい。具体的な話はまた掲示します、応援してくださいな。んじゃ。
写メ 「空中散歩・東京」
はる 1909
どうやって生きて行くかと考えた時、「絵描き」という発想はなかったな。絵を描くのはそれほど好きでもないし、ものを考えることは好きだけれどね・・。まぁその一貫として絵を描いている訳で、そんなふうに片手間でやっていることが仕事になるとは思えない。
大体アーティストなどという仕事があるのかい?好きなことだけやって、もっともらしい事いって、誤魔化してそれで食べて行けたら真面目に働いている人に申し訳ない。
昔読んだマンガに「青春の尻尾」というのがあった。詳しい内容はみんな忘れてしまったけれど、こんな話だった気がするがな・・。
青春時代に感じた不安とか、焦燥感、疑問などなど、大人になったらみんな解決したような顔をして生きているけれど、実際は考えることをやめてしまっただけだ。人は本当はそういった心の葛藤を「青春の尻尾」としてくっつけているものなんだよと。
今の私は歳こそ、それなりに取ってしまったけれど、やっていることは何も変わらない。「青春の尻尾」そのものだと言う気がしている。進歩がないな。
そんじゃ。又明日
写メ 「結婚式」
はる 1908
帰って来ました。それにしても暑いです。閉め切って出かけたので家の中は地獄のようでした。
一日都内のホテルに泊まってゆっくり東京見物?したかったのですが、なにぶん体力がない。結婚式の間でも眠くってコックリコックリやりだす始末で、となりの奥さんに始終つねられていました。
結婚式はもう何回も見ましたが、神前か人前、それも和風か洋風の違いぐらいでそう目新しくもなかったのだけれど、昨日の式はすべてライブでしょうやひちりき、太鼓も興味深かった。それから踊りのパホーマンスも付いていて、ああいったダンスは初めて観たのでこれも感動したな。
ああいった音楽や踊りを聴いたり観たりすると、文化的にアジアは似ているなぁ、という感慨を持つ。仮面はバリの鬼の面と全くにている。
すべてが神社の境内で野外で行われるというのも新鮮だった。まぁ暑くはあったけれど、鬱蒼とした鎮守の森のなかで行われる式というのも、都会のど真ん中であるから余計によかったね。
披露宴はいつものごとく乾杯ではじまって淡々とすすんできたのだけれど、今回はスピーチを頼まれて無いのでもっぱら食って飲んで気楽に楽しめばいいからいいや・・。と思っていたら急にスピーチがまわって来てビックら。
普段クソガキを前にしゃべってはいるけれど、こういった改まった場は苦手だな・・。ということで十八番の歌で誤魔化した。といってもレパートリィは二曲しかない。「武田節」と「新妻に捧げる歌」。男性に招待されたら「武田節」女性なら「新妻・・」
ああいった場はあまり上手いと白けるわけで、適当に音を外すぐらいがお愛嬌。無事すんでよかったよかった。
一日経って、今日は午後から銀座で知り合いの個展に出かける。
銀座・瞬生画廊
中央区銀座6-7-19
03-3574-7688
菊島明個展
9/7~9/16(11,14以外作家在廊)
長い知り合いになりましたが、無所属で実に淡々と自分の世界を唄っておられる素晴らしい作家です。「絵を描かなければ、ただの酔っ払いです」というのが本人の弁。いやいやなかなかの曲者、本人はいたって紳士です。よかったら出かけてみてください。
はる 1906
今日は大阪からスペシャルゲスト。まぁこの話はもっと具体的になったらお話しましょう。
夜は夜でイギリスに留学中の友達がやってきて四方山話。楽しい一時でした。
明日は結婚式で東京です。そのため更新できないかもしれません。あしからず。んじゃ。
写メ 「今日のアトリエ」
はる 1905
週末は教え子の結婚式でお江戸にでます。おめでとうございます。
結婚式も波があってね、ある時には年に何度も招待される。まぁ最近はひとまず落ち着いたかんがあったけれど、そろそろまた幾度目かのブームがやってくるのかね。
閑話休題
まぁ例えば日曜美術館とか美術雑誌なんかで取り上げられるような「現代のアートシーン」ってあるでしょう。新聞の芸術らんでもよく現代美術が取り上げられている。
はっきり言って私にはまったく良さがわからない。時代遅れ、といわれてもこればっかりはセンスの問題かな、理解できてもいいとは思わない。
自分がいいと思ったことと、やろうとしていることと、時代はずれてきているような気もするな。どうなんだろうか。
美術雑誌を立ち読みしていたら、木村忠太の話がでてきた。もう20年ぐらい前になるけれど、彼の絵に度肝を抜かれて、一気に今までの描画方法を変えたことがあった。
実際に彼と親交のあった作家の話だけれど、現実の作家・木村忠太はやっぱり焼けどしそうに熱いひとだったようだ。
何年もフランスに住みながら「ウイとノン」しかしゃべらなかったそうだ。「絵描きは絵が描ければ良い」たしかにそうなんだけれどね。非常識といえば全く常識をはずれていたのだろう。
考えてみれば、ゴッホやピカソなんかもそれはそれは、とても熱い人だったのだろうな。そういった近づきたくない「熱苦しい」ぐらいの人間が表現者として何事か伝えることが出来るのかもしれない。
そういった意味では、私はまったく無能だ。熱苦しくもない。
私の思考は内に向かっている。「安心」とか「拠り所」とか自分の為にやっていることだからな。
まぁ、これは仕方ないかな。
写メ 「南アルプス残照」
はる 1902
かなり前に各地のデパートで企画展をやっている「○○センター」という会社のオーナーから連絡があって、うちにも絵を預けませんか?という話だった。
まぁそういったことはままあることで、デパートの画廊といったところで、内実はそこの場所を借りているだけであって、その大手のデパートが全て実際に企画をうって展覧会をやっている訳ではない。
そういえば、デパートの大きなブランドなんかも単にテナントで、スペースを貸しているだけに過ぎない。それはそれで仕方がないことかなと理解した。
で、実際にその社長自らが車を運転して、自宅に絵を取りに来て、形ばかりの契約をむすんだ。何点持っていったかな?あまり覚えていない。何かどやどやと来て、すたこらと帰っていった。
後日都内のデパートの催事場で展覧会をやっているというので、どんなものか観にいった。自分の絵を見知らぬ売り子が説明して売りつけてきた。「この作家は無名ですが、そのうち名前がでます」とか「貧乏で絵の具が買えないので、自分で絵の具を作っている」とか・・。
デパートで絵を売るというのはそういうことだったのかとがっかりした。何点かは売れたようだけれどね。
まぁどう綺麗事をいっても絵は売らなければ趣味ということになる。他で安定した収入があるならそれでいいのだけれど、絵描きというのはそういった仕事だろう。
それでも、何か釈然としない。私の絵は商品か?売れりゃ誰でもいいのか?私はプロの絵描きか?
それ以来そことは付き合っていない。
center />* イタリアスケッチ
はる 1901
今日は残暑。暑かったなぁ。午前中に布団を干して、アトリエに入る。
目の前にはまだ目鼻のはっきりしない、混沌とした物が50点ばかり。はやく何とかこの世の物にしてよ!と声をかけられているようだ。
作品作りにマニュアルがあるのか?いつも途中まで記録を取っているのだが、いつの間にやら訳がわからなくなって、気がついたらぱっと作品が出来てるといった具合だ。この過程を記録しておいたら面白いだろうなぁと思う。
焦って無理やり形にしたものは、いずれどこかに破綻がでる。「待って、まって」出てきたものは、何処となく私が作ったものではない。
これでいいと思うのだ。評価は後からついてくるだろう。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館