写メ 骨董・あそびべや 「近江の水屋箪笥とバタフライテーブル」
はる 1898
まだ和箪笥が、それ程メジャーでなかった頃でね。たまたまというのか台所の食器棚がほしくて、探していたんだけれど、なかなかマッチするものがなかった。洋食器棚なら骨董も含めて色々あったけれどね、自分の今の棲家には合わないしな・・。ということで近江の水屋にしようと決めた。カタログなんかじゃ、けっこうな値段がついていたので、ままよということで直接近江まで現地調達に出かけた。
といってもそれほど情報を仕入れていったわけじゃなくてね、近江について地元の電話帳で調べて、たまたま入った所にこの水屋があったというわけだ。
地元のお店なんかで聞いたら、こんな箪笥幾らでも捨ててあるよ、見たいな話でね。本当にこれ買うの?みたいな反応だった。
写真で見るとけっこう綺麗に見えるけど、裏板なんかはボロボロでね。けっこう買ってから自分で手を入れないと使えなかった。
冷蔵庫が無かった時代に食べ物が残ったら置いて置く棚(網棚)を水屋と言ったよな、我々のとこじゃ。この写真の右上の部分がそういった構造になっている。
それから下の部分は、多分当時台所は土間で食事する場は板敷きで、各自の小さい足つきのお盆があって、それにお茶碗や湯のみを伏せて置いたんだと思う。それを何段か重ねて入れておくように広いスペースがとられている。
食事の仕方一つでも当時と現代では大きく違う訳でまぁそういったことを調べてみるのも面白いかと思う。
はる 1895
「ミクストメディア2」
絵の描きかたにこうでなければならないということはない。ただ油彩画なら油彩の、日本画なら日本画独自の技術というものがある。その技術を自分のものにするまでにけっこう時間がかかるんだな。
ただそれも案外自分で試行錯誤しながら習得してゆくもので、どんなにいい師匠についても人から教えてもらったものというものはなかなか、自分の技術にはならない。
コラージュの面白いところは、意識するかしないか微妙だけれど、いきなり全く違う色なり質なりを画面に登場させることができることだ。
これを描く事でやるとなると、なかなか難しい。人は必ず意識して筆を動かす。無意識に自然に色を置くなど出来ないからだ。
油絵を描いている時も最初は下地を作ることから始めた。出来るだけランダムに原色を塗りこむという作業を何回も繰り返したものだ。
今の仕事になってこの作業がコラージュに変わったというだけであるという気がしている。それに素材の違いで紙、布、土、と変化をつけられるの一石三鳥ぐらいの面白さがある。
次にやることは基本的に自分が欲しいと思った色を置いて行くということなんだけれど、人の感覚というのは必ず目に入った色や形に左右されていて、コラージュで貼り付けたそれぞれのものに自動的に影響される。
私は墨による自由なデッサンを大切にしている。というのかこれがなかなか面白い。何を描くと言う意識も無く、自由に筆を走らせる。心を開放させる。
基本的にはこれの繰り返しで段々下地を厚く作って行く。何かが出てくるまで待つんだな。待てますか?
写メ 「今日のアトリエ」
おなじみ義さんのコンクール展が始まります。ちょっと遠いですが、お近くの方はどうぞ。
8月26日今日から
第六回雪舟の里総社/雪舟没後500年顕彰事業
墨彩画公募入選作品展が始まる。お近くの方はどうぞ
はる 1894
何だかここにきて、気忙しくなってきたなぁ。というのも来週から出稼ぎが始まるからで、いくら無責任なパートタイムジョブといえど、人間相手だから気が疲れる。
生意気盛りのまだ人間になりきれていない動物だからね、ちょっと油断すると「誰が生徒か、先生か♪~」という状態になってしまう。
この間タクシーの運ちゃんが言ってたけれど、運ちゃん長くやると大体お客さんの職業がわかるそうだ。学校の先生が一番分かるらしい。なぜか?口が横柄だからそうだ。
いつも自分より目下の人間を相手にして、命令している。それがついつい出てしまうのかな。先生様、気をつけてくださいね。
んじゃ。
写メ ・お宝「有本利夫・1989年の個展ポスター(銅版画)」
まだ弥生画廊が銀座にあった頃、何度目かの回顧展を見た。その時にたまたま見つけて歓喜して購入したものです。彗星のように登場して、星屑のように消えてしまったこの人は、未だに多くのファンを持っている。
ご多分に漏れず大いに影響された作家です。今生きていればどういう風に変わっていったのか。そんな所が見たいとおもますね。
はる 1890
ブログをやっていて腹立たしく思うのは、ランキングなるものがある。まぁ積極的には参加していないふりをしているけれど、一応毎日チェックする。昨日の訪問者数がわかるのでね。
大体二重カウントされないようになっていて、最近は多くて45人ぐらいかな。でランキングは100位あたりを前後している。なんの小細工せずにいて、ほぼ毎日更新してもそんなもんだ、私の場合。
ところがだな、何ヶ月も更新されてないブログが必ず上位にいるんだな。見ても読んでもまったく変化が無くて面白くもなんともない。これって何だろう。ランキングのために何か細工しているとはおもうのだけれど、それで上位に入って何の意味があるのかね。
不正ということでもないのかな。何か益があるわけでもないから。しかし何か釈然としない。遊びなんだけれど、遊びだからこそしっかりしたルールにのっとってやってほしい。
マラソンに自転車やバイクを持ち込んだようなものだ。それに順位つけても意味がない。
写メ 「パチンコ台のようだな」今日のアトリエ
はる 1887
この間から知り合いの先生について楽器をやり始めたことは少し書いた。何事につけて、いままで人に習ったことなど少なくてね。絵でさえも人に教えてもらったという記憶があまりない。みんなほぼ独学だ。
この年になると何事につけて、人に教わるには勇気がいる。こんなことも知らないのかと思われそうで、今までの人生を全て否定されたらどうしようなどと、うだうだと考えて最初の一歩がなかなか踏み出せないでいた。
また反対に教える方も教えづらいかな?ええおっさんになってるわけだしね。でもまぁ全く違う業種というのは、出来なくて当たり前的な気楽さで教わることにした。
何でもそうだけれど、やると聴くでは大きく違う。普段聴くのは超ビックなプレーヤーばかりで、いとも簡単に演奏しているかにみえるでしょう?しかし、いざやってみると簡単に音さえ出ないのだから、まったく彼ら、彼女たちは人間とは思えないな。
しかし、ここのところが大事なんだけれど、どんな超絶技巧の演奏を聴くよりも、自分が奏でる音階の方が何倍も音楽的な楽しみはあるのだな。これはやってみないとわからない。
ということで、今日は二回目のレッスンでした。
写メ 「アトリエの年代物の扇風機」
この台座のアールヌボー風の形がレトロでいいでしょう。名電社って企業の名前だけどまだ存在するのかしらね。まだ現役で使っています。
はる 1885
このところブログの方には写メールで画像を添付している。ブログを始めた頃にそういった機能を試したことはあったけれど、今までほとんど使うこともなかった。
今年の神戸の個展のおり、手軽に画像をアップすることを覚えた。携帯はほとんど家族からの連絡にしか使わないので人から他人からかかって来ることはまれだ。でもまぁ公衆電話も少なくなったので、連絡用に持ち歩いている。
私などほとんどアナログ的にしか使用していないけれど、携帯は便利な道具だねぇ、今さらだけど。手のひらにすっぽり治まる可愛いカタチなんだけれど、こいつが本当に世界と繋がっているんだな。
孫悟空とお釈迦様の話を思い出す。電波小僧は光速で私の手のひらから飛び出して行く、けれどどんなに遠くまで行ったとしても結局は私の手のひらの中に戻ってくる。そんな感じかな。
毎度同じ落ちですんません。んじゃまた。
写メ 「今日のアトリエ」
はる 1884
今日も日中は35度を越えたんでしょうな。暑いです。しかし、アトリエにはエアコンはない。だから日中は仕事はしないことにしている。出来ないと言った方が正確かな。
午後も遅くなるとやや過ごしやすくなってくる。
「馬入れ」っていう道をご存知か?私も知らなかったのだけれど、まだここらが田畑だった頃、田圃に水を入れるためや、農耕用の人馬が使う道として存在していたらしい。何年か前に国土庁の正確な測量があって分かったのだ。
ということでお隣との境界に忽然と2メートル幅の道が現れた。
いいのか悪いのか、ちょうどこの時期は田圃に水を入れるためにかなりの水量で水が流れている。ということで、午後はこの水を庭の打ち水に使わせてもらっている。
庭に打ち水すれば2~3度地熱が下がるそうだよ。自然のクーラーということだ。そういえば、昔は夏になるとほとんどの家が庭に打ち水してたよな。
夏には夏のしつらえがあって、すだれや、ござ、朝顔や糸瓜の棚を作ったり、風鈴なんかで感覚的に涼をとっていたのだな。まぁすべて昔がいいとは思わないけれど、こういったものは文化だよな。
写メ :陽光
朝は素晴らしい天気だった。「ピカドン」のようだな。そうそう今日は終戦記念日だった。
はる 1883
デッサンといえば、誰でもがアングルやラファエロを思い浮かべる。もし私が彼らのように描けたら、今の様な絵は描かなかっただろう。(無論それは無理な話だけれどね)
人は自分の与えられた道具(才能)で絵を描く(仕事をする)、反対にそれでしか仕事はできない。それが分かるまで随分と遠回りするものだ。
毎年個展をするようになって、15年くらいになる。最初はそれなりに取材(デッサン)をして作品を作っていた。そうやって作品を作るしかやり様がないと思っていた。しかし、毎年やっているうちに次第にネタがつきてくる。大事なことに描いている自分が面白くなくなってきたのだ。仕事だと割り切れば続けられなくはない。けれど「自分は何のために定職を持たないで絵を描くことを選んだのか」もう一度考えてみる必要があった。
綺麗な花や風景をそれなりの技術で表現して行く、もちろんそういった絵描きがいてもいいし、多くの場合「仕事」として割り切るならば、そういった作業の方が仕事にありつける。まぁ私はそういった技術が未熟だったということもあるけれどね。
芸術家というのが曲者だ。花や風景や壁の飾りを書いて芸術なの?私は何がやりたかったのでしょう?
絵は自己表現というけれど、どれだけの人が自己というのが分かってかいているのだろうか。自分だけの為に描いても、例えそれが素晴らしい絵であっても一人だけで楽しんでもつまらない。自己満足にはなるけれどね。
出来るだけ多くの人に共感してもらいたい。そのためには自分の今の素直な気持ちを吐露しなければ、伝えることはできないのだな。恥かもしれないけれど、自分の今を晒す必要があるんだな。
ちょうどその頃海外に行くチャンスが巡ってきた。そのことはあちらこちらで書いた。一年間制作から遠のいた。油彩画という西欧の本場にいって、遠近法や明暗法、西欧型のリアリズムをまのあたりにして、はっきりこれは私にはないと自覚した。
帰ってきてまずやったことは油絵の道具をアトリエから追放したことだ。もう西欧型の絵を描くことはないと思った。
絵の描きかたを根本的に変えた。私が積極的に描くことはなくなった。画面のシミや絵の具のムラから喚起される感情にゆだねることで、私の中に眠っている「何か」を発見するのだ。それは「私の」でもあり「あなたの」でもあるように思うのだ。
まだまだ書き足りないきがしますが、とりあえずこんな所で。又書きます。
はる 1879
雷が凄かったな。で一気に涼しくなった。
午後から、そう私が教えている高校が甲子園に出ている。これを見ないと怒られるだろうなぁ。ということで甲子園までとても付いてはいけないので、家のテレビの桟敷で応援することにした。
まぁ普段見せない真剣な顔つきでね。炎天下でやっている訳だから一勝はさせてやりたかったのだけれど、負けちゃいましたね。残念でした。
私の地元は兵庫で、今住んでいるのが山梨。なんとその二つが戦うのだからまったく奇妙な因縁ですな。私のせいではありませんけど。
たくさんの球児がいて、そのなかで甲子園に出られる生徒は一握りでしょう。まぁそういった意味では、選手で参加することも大したことですけど、全校で応援できたのもいい思い出になるのじゃないかな。まぁ恵まれているのではないでしょうかね。
明日は東京にでます。グループ展の最終日です。昼から在廊の予定ですので、是非どんな野郎か見に来てください。4:30までなので間違わないように。ではでは。
裸婦クロッキー8/6の6
はる 1878
画家といっても日本の場合ほとんどが何かしら他の仕事を持っている。なぜなら絵を売るだけでは食べて行けないからだ。
これにはもう一つ大きな理由がある。今の日本の住宅が絵を飾るという風には出来ていない。もっというならば、いつのまにか日常生活で絵を楽しむという習慣をなくしてしまったということがいえないかな。
床の間、掛け軸、そこまでいかなくても何かしら「はれの空間」があって、四季折々の花や絵を楽しんでいたのではないかな。
無用の用。本来日本人は何もないことを格別楽しんだ。間というのは何もないのではない、大いに充足した無なんだな。「あそび」ともいう。
それは文化だろうね。そこらあたりが「便利がすべて」という効率主義で壊れてしまった。経済的には豊にはなったけれど、そのかわりお金なくしては楽しめなくなってしまった。
あとテレビがお茶の間に入ってきたことで、何かが大きく変わってしまったように思うな。テレビに出ること、名前を売ることが、何よりも大切なことで、内容は二の次になった。これはもんだいだよね。
テレビを見なくなったら夜の過ごし方が随分変わると思う。本を読んだり、映画にいったり、町で買い物をしたり、人とおしゃべりしたり・・。人生を楽しむという意味ではそちらの方が有意義だと思うね。省エネだし、経済的だ?。
画家の生活の話をするつもりだったけれど、妙なところに行き着いた。その話はまた今度。
center />*裸婦クロッキー8/6の5
はる 1877
一日家にいるとけっこう勧誘の電話がある。何処で調べるのか、都内のマンションを買わないかとか、投資の話とか、大体「興味がありませんので、すみません」と一方的に切る場合が多い。
何か答えればそれに対するマニアルが決まっているのか、次々に問い掛けてきて電話が切れなくなるようになっている。根が真面目だから、いつも何か悪いことをしたような後味のわるい気持ちにさせられる。
相手も仕事だからなぁ・・などと親切心を出すともうそこから抜け出せなくなる。ようは最初にはっきりと断るしか方法はない。振り込め詐欺ではないけれど、巧妙に仕組まれたら人はころりとだまされてしまうだろうな。
で、そういったことを仕事にしている人種というのは、どういった人なのか。仕事と割り切れば何だってできるのかな。本当にそれがいいと思ってやっているのだろうか、後味がわるくないのか、寝覚めが悪くないのか、などと思ってしまう。
そういったことを考えると、セールスマンというのは大変なしごとだなぁと思う。セールスするその品物、ことに愛情がなければ、なかなか人に薦められるものじゃないよな。
毒だと分かっていて人に飲ますことができる人間はどこか普通じゃない。極まれにそういった人種もいるけれど、多くの人はそれほど性悪では生きて行けないね。
そう信じたい。
center />*裸婦クロッキー8/6の3
はる 1876
なんだかんだと忙しく、新しい仕事に入れないでいた。というのは言い逃れかな。忙しくとも寝る時間はあるのだからね。
年に三箇所で個展を開催する。一つのテーマで持ちまわるから今回の神戸の「色はにほへと」で、このテーマの個展は終了したということになる。
まぁテーマそのものはほとんど毎年変わらない。正直にいえば一回一回が単発の個展みたいなものだな。
年三箇所の個展は多いのかな。「精力的ですね」と言われるけれど、全く見当違いもはなはだしい。自堕落、いいかげん、怠け者、そのもの生活である。けれど普通にほぼ毎日絵を描いていればそのくらいの作品はできるだろう?と思う。絵描きなんだし・・。
素人じゃないのだから、描いた作品は発表したい。同じ場所だと飽きられるから、三箇所持ちまわっているだけなんだけれど、それでも多いかな??分からない。これが私にとっていいペースなんだな。だからこれで当分いきます。
カルチャーの講師や、学校の講師など、「教えること」で収入をえるのが一番簡単だけれど、間違うとこれはけっこう難しい。時間の割に効率がいいからね、講師は。
よく絵の勉強で外国に留学する。アルバイトで始めた通訳がいい収入になって、そのうちに絵描きなのか、通訳なのか分からなくなってゆく人が多いときいた。
収入がいい。と言うのはけっこう難しいねぇ。人間、ついつい安定した方を取ってしまうからね。まぁそれはそれで、いいのだけれどね。ライバルは少ないほうがいい。
絵描きは自分の人生を売るんだな。
裸婦クロッキー8/6の1
はる 1875
またこうやって、ニ三のクロッキーを晒しましょう。勘違いしないでくだしね、けっして上手いと思って晒しているわけではないのでね。日々の記録の一貫として晒しているだけです。
五人兄弟ですぐ上の兄が早期定年退職した。一番上の兄はもう五年ほどまえに退職。次男は自営業なので有る意味退職はない。というわけでまぁ我々兄弟もいよいよ定職に付いている人間がいなくなった。
我々はまぁいってみれば戦後のベビーブームの落としごで、ぴったりとその中にはいる「団塊兄弟」だ。今でもよくおぼえているのが小学校はプレハブ校舎だった。一学級は50人もいた。
いいところもある。近所には同じ世代のガキがたくさんいた。だから遊び友達には事欠かなかった。まぁ競争が激しかったので、そういった意味ではタフかもしれない。
働かなくなった兄弟が集まって話をすると現役時代と話題が変わってきた。まず健康のこと。それから趣味の話。いままではあまり無かったな。でもまぁ兄弟が多いのも今になると面白い。
・ グループ展の様子6
はる 1874
午前中は二ヶ月ぶりかな、裸婦クロッキーに行きました。先月は会場の都合で出来なかったそうだ。個展があったのであったとしても、参加できなかったでしょう。
この市の公民館はけっこう盛っている。絵画の研究会も我々以外にたくさんあって、ロビーで展覧会をやっていることも多い。絵画だけではなく、演劇のグループとか、時々唄いなんかも聴こえる。今日は吹奏楽団の練習があったようで、プカプカどんどんと賑やかだった。
学生の頃の放課後の部活の雰囲気かな。ちととうが経ち過ぎているかな。
このクロッキー会ももう何年も続いている。創設メンバーといえばカッコがいいけれど、ただただだらだらと続いているだけだな。いくらやっても満足な線がひけない。
絵を作ること、何とか絵らしきものをこしらえて人の目を欺くことは覚えたけれど、いざモデルに対峙して一本の線をひけば、まだまだ満足するものが描けないでいる。一生無理かもしれないな。
午後は野暮用でつぶれる。
そんな一日でした。んじゃ。
グループ展 の様子3
はる 1871
テレビはほとんど観ないのだけれど、昨夜は訪ねた先の家で亀田君のタイトルマッチを見た。
昔ファイテング原田が世界チャンピオンになったところをリアルタイムで白黒テレビで見た。最後のシーンは今でも覚えている。もうお互いにフラフラになってそれでも相手をロープまで追い込んで、怒涛のピストンパンチを浴びせた。カウンターパンチはなかったけれど、手数の多さで勝ちをもぎ取った。
まぶたもはれ上がってボロボロだったけれど、日本中の人があのさわやかな笑顔に安堵して声援を惜しまなかった。
ところで昨夜の試合はボクシングなのかね。何かショーアップされたお芝居を見せられたろうな、あれがボクシングなら日本にもうスポーツとしてのボクシングはないな。
ここでも根回し、談合、世界チャンプ?恥ずかしい。完敗でしょ。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館