あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

明日からグループ展・・「四つの核展」 ギャラリー惣 - 2006.07.31(日記)

はる 1868
 今日で七月も終わりです。

 明日から銀座のグループ展が始まります。今回は例の仮面とオブジェを出します。今までと少し違って面白いのじゃないかかと自面自賛しています。

 ちなみに明日8/1と楽日8/12に在廊の予定です。どんな野郎か見にきてください。んじゃ。

 「四つの核展」
2006/ 8/1~8/12

 ギャラリー惣
東直樹・榎並和春・大石洋次郎・横島庄司

東京都中央区銀座7-12-6
銀座トキワビル5F

℡・Fax 03-3541-4380


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沢田山本(お茶の山本山とは違います) さんの今回の個展のインタビューが載っていました。

http://gallery.pinksalon-okinawa.com/?cid=19570



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「喜捨」という言葉がある。 - 2006.07.30(日記)
はる 1867
 昨日の続き。

 談合、根回し、天下り。これが色々な弊害の元になっている。少し前まではこの田舎臭いシステムはいい方に評価されていたのだけれど、今こうやって世界がグローバル化という一元的な価値観でひらかれようとすると、こいつが邪魔になってくるようだ。

 確かになぁ、便利が全て、市場が全てといった効率至上主義も、ここにきて評判を落としているのだけれど、効率をめざしながらも古い体質があってなかなか徹しきれないところが悲しい所だ。

 まぁ政治や経済だけではなくいろんな所に同じような弊害があってね、なかなか難しいと言う話。

 閑話休題

 絵描きというのは下世話に言えば「絵を売って生活する人」と言う意味で、それ以上でも以下でもない。よく「・・先生」といわれるけれど、絵描きは先生と言われるほど偉いのかしらねぇ?よく分からない。

 ただこの「絵が売れて」というのが曲者で、私なんかの場合絵がいいから買い手がついた、とか将来値上がりしそうだから買ったというのではない気がする。

 絵はたまたま値段がついていたから買ったまでで、これは絵でなくてもよかったのじゃないかな。

 「喜捨」という言葉がある。調べてないから嘘かも知れないけれど、例えば巡礼さんとか行者さんとか修行者なんかに施しをする。これは上げるのじゃない、積極的に捨てているんだな。捨てたものを、申し訳ないけど戴いてしまいました。その代わりに絵みたいなものを置いてゆきますよ・・。そんな感じかな。


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談合に根回し。 - 2006.07.29(日記)

はる 1866
 政治というのはイマイチよく分からない。例えば政党というのがある。多くの場合何かしらの政党に属さなければ何も出来ない。無所属でやったとしても議員にはなれても発言権もなければ、何の力もない。

 よく若い議員が情熱にかられて「たった一人でもやります」みたいなことを言って選挙に出るけれど、それは大筋では正しいけれど、政治というものが分かってないということで間違いだ。

 他の国の政治がどういう風なのか知らないけれど、大体人が集まって徒党を組むという限りでは同じようなものだろう。ただ市民が集まって革命を経験した民族というのは、少し考え方がちがうかもしれない。

 日本の政治の基本は「談合」だ。今でもそうだけれど、国会答弁というのは大いなる茶番だ。舞台に上がる前にもう事前に話し合いが出来ている。質問する人も質問事項ももう決まっている。後はそれなりに時間が過ぎるのを待つだけだ。

 「国対」というシステムもおかしい。議題に入る前に密室で落としどころを決めるのだ。これは談合、根回しそのものだろう。

 少し前のワールドカップの感想で、誰かが書いていたけれど、日本のサッカーは良くも悪くも今の日本の自画像だというのだ。兎に角自分ひとりでも何とかやり遂げるというのではなく、周りを見て気配りして、根回しして落としどころを探っている。

 上手いこと言うなぁ・・。


 で・・・。 



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グループ展のお知らせ。 - 2006.07.28(日記)

 例年やっていることだけれど、8/1から8/12までお世話になっている銀座・ギャラリー惣でグループ展を開催します。


 まぁグループ展というのはそう長くやるものではなくて、大体四五回で解散するもののようです。今年で四回目ということでこれでこのグループ展も解散の予定です。


 毎年やっている個展とは違う新しいことをやってくれということで、最初はちょっととまどったけれど、ここにきてオブジェをやったり仮面をやったり、新しい試みを楽しんでいる。特に今回のは全く今までと違うこころみで楽しかった。ということでお時間があれば、是非寄ってみてください。


 ちなみに私は初日8/1と楽日8/12に在廊の予定です。


 「四つの核展」
  2006/ 8/1~8/12

 ギャラリー惣
 東直樹・榎並和春・大石洋次郎・横島庄司
東京都中央区銀座7-12-6
銀座トキワビル5F℡・Fax 03-3541-4380




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トマトにバジルはよくあうという話。 - 2006.07.27(日記)
はる 1864
 せっかく芽が出たので玄関の中にかくまっておいた、バジルがほぼ一週間で全滅した。反対に入りきらなくて庭に置きっぱなしにした発育不良の方が元気に大きくなった。今年は以上に雨が多くて涼しかったのが良かったのかな?

 何にしても「塞翁が馬」で元気があって玄関先に保護された種が死に絶えて、発育不良が生き残ったということになった。まぁこういったことはよくあることだ。

 この間ある音楽会に招待されて我々夫婦で出かけた。知り合いの老夫婦と一緒になって下らない四方山話に花を咲かせた。

 終戦が二十歳の歳だったらしい。健康で元気一杯学生だった同期の桜は志願して南洋に散ってしまった。おじさんは体が病弱で兵隊に志願できなかったらしい。

 ということで残ったバジルでトマトを食することにした。



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帰って来ました。 - 2006.07.26(日記)
帰って来ました。でまぁまた明日。

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個展六日目(最終日) - 2006.07.25(日記)
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個展 六日目(最終日)


 いよいよ最終日です。どうも今日もぱっとしない天気だな。んじゃまよろしく。4:30までだよ。


 さて、無事終了しました。有難うございました。疲れてしまって何もかけませんが、天音堂の山口平明さんや、アメブロのテロレッテさんが来てくれた。有難うございました。



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個展五日目 - 2006.07.24(日記)
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はる 1861
 個展五日目
 なんだかねぇ、今日も雨降りになってしまった。まぁ仕方がないか・・。

 夏の合宿ように朝起きるとどことなく体が疲れているのがわかる。いつもの年はクマゼミのシャワーで目覚めるのだが、今年は雨音で目が覚める。まぁそういった年もあるのだろう。


 ネット仲間では二年ぶりにエリコさんが親子三人でかけつけて来てくれた。有難うございました。

 明日4:30で終了です。間違いのないように。んじゃまた。



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個展四日目 - 2006.07.23(日記)
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はる 1860
 個展四日目

 昨日は高校の同窓会があって遅くなった。地元で個展を開催するというのは、そういうことでもある。まぁみんないいオジサンやオバサンになった。

 今日から後半戦に入った。どうも天気が今ひとつはっきりしない。涼しくて過ごしやすいのはいいのだけれど、人足が鈍いのは免れないなぁ・・。

 さて疲れもだいぶたまって来たようだな。後二日です。皆さんお待ちしています。



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個展三日目 - 2006.07.22(日記)
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個展 三日目

おはようございます。今日は今から出かけます。久しぶりの晴れ間がんがりましょう!


ところでまれびとさんが、上の絵の素敵な感想を書いてくれました。無断転載します。


 三宮、4時過ぎ。子の本棚につける洒落たコンセントの金具でもないかと駅前のロフトに立ち寄ったのだがめぼしい物もなかった。はるさんの個展(榎並和春個展・神戸「色はにほへと2」)は2年ぶりだ。6時に画廊を仕舞い、二人で以前入ったイタリアンの店に移った。「角笛」と題された絵があった。道化師のような顔をした男がうつむいて角笛を吹いている。この男の奏でる音に耳を傾ける者は誰もいないのだろうと思った。(おそらく)世間から見捨てられた男はひとり、あえかな、ささやきのような音を奏でる。わたしはその音色を空想してみた。すると宮沢賢治の「告別」という詩が浮かんできた。そんな音を、この男の角笛は奏でているに違いない。私はその音色に耳をすました。さみしさの原石のような調べ。誰もがたったひとりで死んでいくのだが、誰もが最後に何かを伝えたいと願っている。それは神でもいい、一本の草木でもいい、愛する者でもいい。個の記憶はいつか消滅していくが、死にゆく前に、わたしは大いなる記憶とこのちっぽけで儚い己をリンクさせたいのだ。おそらく、わたしの願いとはそのようなものだ。個の記憶など過ぎ去ってしまってよい。もろもろの事象は流れてゆけばよい。わたしと子が微笑みあった記憶は、河原の石のはざまに溶け込む泡沫のように大いなる流れに呑み込まれてゆく。それでいい。流れを間違えなければ、あとはこの身を委ねるだけだ。そうであるなら、この底なしのさみしさも泡沫が思わず漏らす溜息のようなものだ。ワインの貯蔵庫のような薄暗い地下の店を出たのは9時頃だった。会話はワインのようだった。おぼろで、夢見心地で、他愛ない。それもまた、やがて大いなる流れに溶けこんでゆく泡沫だ。それもいい。きっと、すべてがよい。奈良に帰り着いたのは11時過ぎだ。駅からのどしゃ降りの夜道をモリスンの幸福なカントリー・ソングを聴きながら歩いた。 

以上


 有難うございました。



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個展二日目 - 2006.07.21(日記)
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はる 1858
 個展二日目
 今朝も雨音で目が覚めた。と書けば何だか美しい情景だけれど、今は情緒にひたってるわけには行かない・・。とはいっても打つ手はない。空を見上げて祈るしかない。

 こうなったら居直って本でも読むしかない。少し早めに出かけて三宮センター街のジュンク堂で今読んでいる佐伯泰英の「密命」シリーズを買う。悲しいことにここ数日読書が進む。

 祈りが届いたか午後になって晴れ間が見えた。雨が上がれば少しは人も動いてくれるだろう。神戸在住の作家・松原政祐さんが来てくれた。有難うございました。



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個展一日目 - 2006.07.20(日記)
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看板

はる 1857
 個展一日目
 今日は一日雨でしたね。初日でしたけど雨はやっぱり出足を止めるようです。雨でも普通の雨ならまだいいのですが、土砂降りですから、まぁしかたがないですね。

 しかし、この雨の中でも来てくれた人がいると言うだけでもやった甲斐があるというものだ。どうもありがとうございました。

 ネットでおなじみのまれびとさんが来てくれた。電脳空間ではほぼ毎日見かけるのですが、実際に会ったのは二度目です。ということで、夕飯を食いながらいろいろな話をする。

 ほぼ毎日ここに書いてあるようなことをしゃべっていた気もするが、実際の会話は相手がいるわけで、独りよがりな独白ではない。そこのところが楽しいところだ。

 イタリアを旅したときに感じたんだけれど、どんな田舎町にも何軒か立ち飲みの喫茶店があって、町人は一日に何度もそこを訪れコーヒーを飲み、くだらない雑談に人生の憂さを忘れる。

 また、夕暮れ時になれば昔の日本のしょうぎ台のようなものを出して、近所の人と雑談に興じている。人生に色んな楽しみ方があるけれど、究極の「楽しみ」は気の会った仲間の雑談ではないか、そんな風に思った。

 また来年お会いしましょう。



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明日から個展です。 - 2006.07.19(日記)

神戸DM踏み切り


 明日から個展です。よろしく!



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有為の奥山、今日越えて。 - 2006.07.18(日記)
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テスト

あちゃ~。削除するつもりがコメントがついてしまったので、このままにしときます。まぁ別に害にはならないでしょうから。


 何のテストかちゅうと、携帯のカメラからそのままここに投稿できるということなので、個展の写真をすこしうすらぼんやりとピンボケなんだけれど、ライブの感覚で晒せるかなとおもって試してみました。


 そう、このわんこちゃんは実家のわんこです。カメラを向けるとポーズをとりました。


はる 1855
 午後から飾りつけに出かける。

 今年も20点ばかり新作を送った。まぁテーマがあるのだけれど、ほとんどこじつけみたいなもので、毎年その時々に感じたことを絵にしたり書いたりしている。

 だいたい人間のやることにそんなに変化があるわけない。結局毎年同じ事を違う形で言っているだけのように思う。

 毎年個展を始めた頃、段々に描くことに詰まってきた。と言うのは、それなりに取材してスケッチしてそれを本画におこしてという手順をふむのだけれど、花は花でしかないし、風景は風景でしかない。それ以上でもそれ以下でもないわけだ。

 絵にはなっても描いていて面白くない。こんなことしていればその内に絵がかけなくなる、描きたくなくなると危惧した。

 で、絵を描くことを止めた。というのか物を具体的にスケッチして描くことを止めた。そうすると俄然面白くなった。何が出てくるかわからない、そんなところにワクワクどきどきした楽しみを見出した。

 「有為の奥山」と今年のテーマの続きにあるけれど、描こうとすればするほど本質は逃げていってしまう。極々自然に無為に我を晒して出てきたものを絵にすればいいかなと思っている。

 明日はお休み。明後日20日からです。お楽しみに!



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六時間あまりの旅でした。 - 2006.07.17(日記)
はる 1854
 今日は12:40の身延線ふじかわ号に乗って静岡まで、静岡で新幹線に乗り換えて新大阪まで、ここで新快速に又乗り換えて神戸・三宮まで六時間あまりの旅でした。

 電車に乗っている間はほとんど本を読んでいるか眠ってしまっているので、時間の経過はわかりません。(今は佐伯泰英の「酔いどれ小籐次留」シリーズを読んでいる、池波正太郎に似た剣豪が出てきて、暇つぶしにはもってこいだな)

 明日は午後から出かけて飾りつけをします。午後三時頃までは在廊予定なので、観たい人はこっそり観に来て下さい。

 ということで明後日からいよいよオープンです。関西在住の方、是非来て下さいな。お待ちしています。

 んじゃ。



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人生というものは八割の野暮用と二割の実用?でできている。 - 2006.07.16(日記)
はる 1853
 午前中野暮用で出かける。まぁ人生というものは八割の野暮用と二割の実用?でできているのかもしれないな。

 午後から美術館へ。最近美術館はロビーコンサートと名のって日曜日の午後は県内のアマチュア音楽家のコンサートを企画している。

 素人考えで言えば、美大や音大に毎年何十人も進学して、そして卒業して行く。それでそのまま続けて活動している人は奇特な人でほとんどの人が、卒業と共に活動も止めてしまう。

 特に音楽は絵画などと違って気軽に発表の場が確保されないので続けることが難しいのかもしれない。

 芸術一般にいえることなんだろうけれど、日常の中で気軽に楽しむということが最も大切なことで、かしこまって音楽会に行くことだけが鑑賞だとしたら、それはたぶん身につかない飾り物でしかない。

 例えば絵画は日常の中で飾られて、楽しまれて初めて生きてくる訳で、基本的に自分が欲しいと想う絵やオブジェを作っているわけだから、自分の生活空間が一番似合っているというわけだ。

 話を戻せば、こういった音楽会を気楽に企画して聴いてもらう、聴かせる。展覧会とコラボレーションしてそのついでに絵も観てもらうといった活動はこういった公共施設の大事な活動のように思う。

 さて、明日から留守にします。更新は不定期になります。あしからず。



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明後日私だけ出発します。 - 2006.07.15(日記)
はる 1852
 明日は地元の団体展の表彰式や懇親会があって、その後搬出となる。まぁこういったものは大小はあるけれど、全国レベルの団体も地方の団体もあまり変わらない。育ててもらったお礼奉公みたいなものだ。人間関係とお付き合いで、基本的に芸術とはあまり関係が無い。

 搬出した20号の絵を神戸で展示するために梱包して送る予定。まぁそれでこちらの全ての準備は終わります。火曜日に向こうで受け取って飾り付けたら個展は終了したみたいなものです。

 で、明後日私だけ神戸の方に出発します。家人は野暮用で今年は後発です。

 ということでしばらくは更新が滞るかもしれません。できるだけ不定期になっても更新はするつもりなので覗いて見てください。

 んじゃまた明日。



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暑い。 - 2006.07.14(日記)
はる 1851
 暑い。


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今日荷物を送りました。 - 2006.07.13(日記)
はる 1850
 今日はとても暑かったですね。神戸の荷物を作って宅急便屋さんに取りに来てもらいました。それだけでもう汗だくです。

 まぁそれにしても随分と楽になったものです。サービスもいいですしね。随分と助かります。宅急便がなかった頃はどうしていたか知っています?

 昔は最寄の駅留めで何日もかかって送っていたのですよ。もちろん個人でトラックをチャーターしてという手段はあったんですけれど、べらぼうに高額になったわけだ。

 郵便局留めというのもあったかな。いずれにしろ時間とお金は随分と懸かったと思いますね。

 宅急便は凄いよね。今日出せば明日には着くし、時間の指定から、不在ならなんども来てくれるし、いつも走っているしね。よく訓練されていると思うよ。最近になって郵便もやや刺激されてサービスの改善を始めたけれど、まだまだだね。

 それをいじめる奴がいてね。例の駐車違反。無意味にふたり一組でやっている所もおおいけれど、それは必ず料金にはね返ってくるわけで、まぁ狭い所に堂々と駐車されると渋滞になって腹立つこともあるけれど、郵便やさんの車がOKで宅急便はだめというのは通らない理屈だよな。

 どうも本当のぼやきになってしまった。

 ということで今日荷物を送りました。いよいよ臨戦体制になってきました。みなさん来てください。


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髭面のやさしい音楽家 - 2006.07.12(日記)
はる 1849
 夕方人と待ち合わせ。今年の甲府の個展でオープニングコンサートをやってもらう予定の古楽演奏家。本職は音楽学の学者だそうだけれど、風貌は髭面のやさしい音楽家だな。

 会場を見てもらって感覚をつかんでもらおうと会場に向かう。あいにく今日は定休日だった。しかし運良く、親父さんがいたのであけてもらう。

 そのままおしゃべりが盛り上がって珈琲一杯で2時間ぐらいいたかな。何だか楽しくなりそうな雰囲気だ。甲府はけっこうわがままがきくので色んなことが出来て楽しい。出費も多いけれど、まぁ一年に一度のお祭りみたいなものだから、パ~ッとやりたいね。

 今年は11/18~11/26でコンサートは初日の予定です。 楽しみにしていて下さい。


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ジダンの頭突きでフランスは負けた。 - 2006.07.11(日記)
はる 1848
 Wカップも終わって、といっても真面目なファンではなかったのですが、時々は観てました。最後の決勝戦よりもイタリアとドイツ戦が面白かったですね。

 前半後半0x0で延長も後半まで0x0だった。イタリアはPK戦に持ち込みたくなかった。というのも前回だっけなぁ、ロベルトバッジオがPKを外して負けたおぼえがあるからだ。

 で本当に必死で、クタクタヨレヨレの状態になってドイツのゴールに襲い掛かるんだ。死闘というけれどああいうのをいうのだろうな。

 プロレスなんかでよく死闘なんていう言葉を使うけれど、あれはねぇショーであって必死なふりを売っているだけでね。本当に毎回死闘していれば体が持たない。

 何が面白いといって人が本気になって戦っている姿というのは面白い、美しいと思う。また話が飛ぶけれど、古代のローマ時代にはこういった戦いがコロッセオなんかで演じられていたわけで、それこそそこでは文字通り、奴隷と猛獣の死闘だったわけだけれどね。

 魔の10分なんていうけれど、結局はみんなが疲れてもう走れないと思ったところから試合が始まるんだななんて思ったね。そこまではちんたらちんたらやっていた選手が俄然目の色変えてくるから面白い。はたして我々日本人にそこまでの根性、体力があるかなぁと思う。

 決勝戦、イタリアxフランス戦。延長戦になったところから観たんだけれど、例のジダンの頭突きがすべてだろうな。あれでフランスは負けた。

 彼が何を言われてあの行為になったのか、今のところ真相は闇の中なんだけれど、いい悪いは別にして、瞬間的に我を忘れてああいった行為にでるということは日本人の我々にはあまりないように思う。

 というのか、ある種異常な興奮状態の中にいても我々は何処かさめていて、悪く言えばカッコつけているんだな。モロだしの戦う動物にはなりきれていない。だからシュートを外してもニヤニヤ照れ隠しのポーズを取ってしまうように思う。

 無論ジダンのとった行為はスポーツとして許されることではないけれど、瞬間でも我を忘れて、名誉も、勝敗も全て忘れてモロだしの戦う人にならなければ、なかなか勝てるものではないのかなと思った。

 結論として、日本人にサッカーは向いていない。



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星が丘 - 2006.07.10(日記)
はる 1847
 この歳になると何気に学生時代が懐かしい。運動や勉強が苦手だったことさえ妙に懐かしいから不思議だ。誰でも思うのだろうけれど何時の間にか50歳を越えてしまった。あの頃は50歳の自分なんて想像できなかった。

 今トップに晒している「星が丘」は、私の母校(高校)のある丘を指す。当時はほとんど何も考えなかったけれど、卒業してこうやって客観的にきくとなかなかロマンチックな地名だ。

 神戸の西の端にあって昔は神戸四中といわれたらしい。垂水の駅から川沿いを山の方へ、どんどん歩いてゆくと、左手は鬱蒼とした森になる。その森の向こうに講堂の先端が見えた。

 途中からその森に入って行く。どんどん上り坂になっている。振り返ると垂水の海が浮き上がって見える。赤と白のまだら模様の灯台がみえる。時々どこからかピアノを練習する音が聞こえた。

 戦争中爆撃を避けるために校舎を黒く塗ったとかで、そのためか校舎は全体はすすけて黒ずんでいた。なかなか堂々とした校舎で手すりとか窓や階段は貫禄があった。何年か前に取り壊されてしまったけれど、隣の大学よりも学校らしかった。あのボロイ講堂も懐かしい。

 あれから40年もたってしまった。



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チェロの初レッスン。 - 2006.07.09(日記)
はる 1846
 昨日は失礼しました。

 というのは例のレッスンに初めて出かけたのですよ。まぁあまり大きな声では言いたくないので、こっそりと報告しときましょう。続かないと恥ずかしいし・・。

 まぁこれから月一かニくらいの間隔で通いたいと思います。昨晩は楽器の持ち方や弓の持ち方そんなところで、ギーコギーコとのこぎり音の練習みたいでね、カッコだけ一人前だからあまり人にはいいたくないな。

 まぁそのことは追々報告することにしましょう。

 今日は一日美術館で当番でした。



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とりあえず更新7/8 - 2006.07.08(日記)
はる 1845
 隣の敷地が分譲されて新しい住人が家を建て始めたことは前に書いた。少し景気がよくなったのかな、最近は色んなところで新築の家を見かける。

 で、気付いたことは家の建て方が昔の工法とまるで違っているということだ。

 日本の伝統的な家というのは、まぁ安普請のわれわれの様な家でも、床下と天上裏というのは風通しをよくするというのが鉄則だった。というのも日本と言う風土が冬寒く夏が蒸し暑い、この蒸し暑さを何とかしのぐ工夫と言うのが日本家屋を今までの形にして来たのだな。

 雨が多いということで軒を長くして、吐き出しの戸口で壁を少なくして風を入れることが一番だった。

 最近の2x4の壁工法の家の作り方をみていると、床下は全面的にコンクリートで密閉してしまうようだ。断熱効果の問題だとおもうのだけれど。

 出かけるのでまた後で・・。


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定時制高校 青春の短歌 - 2006.07.07(日記)

 無断転載します。

原文は高塚門扉」サイト
http://www.geocities.jp/takatukamonpi/54minami.html


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定時制高校 青春の短歌
                         兵庫県立神戸工業高等学校  南 悟

働き学ぶ生徒の歌を
 働きながら学ぶという営みは、定時制高校生のかけがえのない貴重な財産です。こうした彼らのいとなみを、国語の授業を通してなんとか表現できないだろうかと考えて取り組んだのが「短歌」の創作でした。もう二○年ほど前のことです。
    工場の昼なお暗い片隅で毎日向かうフライス盤  Y・K
 短歌の授業を始めるきっかけを与えてくれた生徒です。授業中、いつも大声でしゃべり続けている傍若無人の彼が、仕事をしているのかという驚きでした。教室の中だけで生徒を判断してはいけないということを気付かされたのです。

仕事の歌
 荒れた中学校生活を送り、夜間定時制高校に来て自分を取り戻しつつある生徒たちが、仕事の苦楽を短歌に詠んでいます。いずれも一年生で一五、六才の少年たちです。昼の学校では得ることの出来ない価値が、働き学ぶという営みの中に見いだせるようです。
    俺は今大工の華咲く一五歳足場に上り破風板を打つ
    作業着の汚れ気にせず働くが「汚れ落ちへん」おかんが怒る
    潮風の匂う運河の貯木場藻に足取られ海中ドッボーン
    作業服ドロドロ汚して一ヶ月給料もらいみんなでカラオケ
    現場にて可愛い娘見とれ踏みはずし番線からまりニッカびりびり
    鉄工所僕の仕事はフライス盤仕上げの削り幅五○ミリ
    ペンキ屋で塗料まみれの仕事終え夜学へ向かう足どり重い

 昼の学校に行けなかったことから来る、口惜しさや怒りや挫折の思いを抱えて、荒れている生徒や押し黙ってしまった生徒たち。“誇りうる”ものとてない生徒たちが、自分に自信を持ち始めるのは、実に、この昼に働き夜に学ぶという生き方によるところが大きいのです。
 長い時間と字数を要する作文でもなく、言葉を自由に駆使しなければならない詩でもなく五七五七七の定型であったということにも少なからぬ意味があるようです。自分の感情や生活の事実を五七五七七の「定型」に集中させることで、一つの表現が生み出され、自分を客観的に見る喜びが見つけ出されるのでしょう。
 直接の契機は、筑摩書房の教科書『国語二』(旧)に、近藤芳美氏の「無名者の歌」という短歌教材があり、無名の働く人たちの歌に、生徒たちの共感が寄せられたからです。
    一日の乗務を終えて洗車する満天の星の下われは小さし  小峰 文子
 無名の働く人々の歌は、夜間定時制高校生の心を射ます。「仕事の歌なら僕たちも詠めるなあ」との生徒の発言から始められました。

短歌がひきだすもの
 たいていの生徒は文章表現が苦手です。原稿用紙一枚書くのがやっとの生徒や、一行書くのも大変な生徒がいます。小・中学校を通じて、作文と聞けば心を閉ざし、さらには、鉛筆を持つことも、椅子に座ることも困難な生徒たちがいる中での「短歌」作りです。
 けれども、生徒たちには、身を削りながら働いている事実があり、家庭や社会の重圧の中で、けんめいに耐え生きている姿があります。悲しかったこと、口惜しかったこと、辛かったこと、腹が立ったことを内にためこみ、生きているのです。
    少ししか通えなかった学校に楽しみながら今通っている
    シンナーも暴走もやめ夜学生三回目やけど卒業するぞ
    母が死におやじ失踪兄と俺夜学四年目今生きている
    鉄工所ピアスおしゃれが仕事するいつもガンバル茶髪マン
    定時制通い続けて八年間父母の苦労に報いて卒業
    電動のノコギリ疲れる一瞬にわれは小指の先を失う

震災を詠む
 忘れることのできない震災から十一年が経ちました。貴重な神戸の若者の証言です。
    かけつける友の住まいは崩れ落ち生き埋めの友にわれは無力     T・S
    震災で隣家の家族がれき下埋もれた声と焼け野原            A・O
    木枯らしのガレキの中を探しあて吐く息白く新聞配る            K・I
    震災で神戸デパート焼け崩れ涙ながらに仕事失う             S・I
    手に負えへん崩壊家屋数えきれんジャッキアップしまくりまだ五○軒  Y・U
    寒風に更地の境界鋲を打ち立ち会い終えて測量始める          S・H
    配送中高速道より見渡せば復旧する町われを励ます            S・F

 短歌を詠むということは、さながら、多くの挫折や、様々に困難な生活を余儀なくされてきた生徒たちが、その苦しみの中から自分の尊厳を取り戻し、生きる勇気が与えられる作業のように思えてなりません。これからも、定時制高校生の歌を、彼らの生活の中から紡ぎだしていきたいものです。


 この短歌をフンフンなるほどな、と簡単に読んではいけない。この一行書くのにどれだけの時間を要したか、その忍耐強い指導に頭が下がります。


 まずもって彼らは教室に出てこない。出てきたとしても机の前に座って何かをするということに慣れていない。考えてみたまえ学校の外には楽しくて面白いことが山とあるのだよ。みんなが開放される夜になって、誰が好き好んで面白くも無い教室で「短歌」をひねるんだ?暇なご隠居じゃあるまいし。


 夜間の生徒に付き合ってもう25年になるからよくわかる。これは凄い!



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さて今日はなにもしなかった。 - 2006.07.06(日記)
はる 1843
 小さな地方の団体だけれど公募展があり、やっぱり同じように審査がある。こういった審査に出ると、いつも多数決のあやうさみたいなものが感じられるな。

 審査するということは審査する方も審査されているわけで、なんだか分からんようなはなしだけれど、多数決だからしかたない。すったもんだで時間ばかりかかる。

 さて今日は梱包の準備の他なにもしなかった。んじゃ。


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さてどうする。 - 2006.07.05(日記)

はる 1842
 独裁の末期というのはどこの国でも訳が分からない。終戦間近の日本も周りの国にはそんな風に見えたのかもしれない。今我々が見てとても奇異に見える風景も中に入ってしまえばわからないもののようだ。

 かの国を見ているととても正常な神経を持ち合わせているとは思えない。まぁそれがこちら側にいいる我々の意見で、かの国の方からはすっきりとした理由があるのかもしれないけれどね。

 それにしても我々はどこまで平和に慣れてしまっているのだろう。敵がミサイルと打ち込んできたと言うのにビービー騒いでいるだけだ。たとえどんな理由があろうとそれなりの姿勢を見せるべきじゃないのかな。

 「人はなぜ人を殺してはいけないのか」といった平和ボケした質問が一時はやったけれど、「自分や自分を含めた愛する人を殺されたくないから」に決まっているではないか。そんなことを人に教えてもらわなければならない民族など絶えた方が人類のためにはいいのかもしれない。

 種の法則でいうならば、生き残る権利もない。

 いざとなったら誰かさんが助けてくれると思っているのではないか?お金のために仕事として戦う傭兵など一番たよりにはならにというのがどうして分からないのだろう。

 自分の家族の命は自分が守る。それが人間として、動物として、生物として、最低限の本能だろう。それがない国家、民族、など存在する意味が無い。 さっさともろ手を上げて奴隷になればいい。


 さてどうする!



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そこんところ勘違いめさるな。 - 2006.07.04(日記)
はる 1841
 今日は夜の部だけのパートタイム。一クラスが10人前後。少ないときには一対一のマンツーマンになることもある。

 色々な生徒がいて年齢ももちろん同じではない。大体が一年の夏休みを越えることが出来ないでたいがくする。このたいがくは怠学とかく。

 人数は少ないけれど、エネルギーは全日以上に使う。と言う意味で疲れます。もうどうでもいいと思うこともあるな。半分放棄。

 昨日の話しの続きではないが、話だけ聞けば一人前の先生のようだけれどね。自分のことを棚にあげて言うことだけ一人前という、どこにでもいる半人前です。そこんところ勘違いめさるな。


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みみをすます。 - 2006.07.03(日記)

はる 1840
 夏至も過ぎたか。ここらあたりの夕暮れの日差しは美しいなぁ・・。

 野暮用で小学校の近くを通る。夕暮れの誰もいない校庭というのはそこはかとなく寂しい。物悲しいけれど何かいいんだなぁ。上手く説明できないけど、これが言葉として上手く説明できれば物書きになれるのかもしれないけれどね。

 少し前に書いたことだけれど、教師は「自分の内から変えなければ、何も教えたことにはならない。」という話。

 例えばよく勘違いするのは、腕力のある先生がいい教師か?ということだな。まぁ確かに即効性はあるし、具体的に目に見えて生徒は言うことをきく。ちょっとみは上手くいっているようにはみえる。

 しかし、実の所、ただ単に生徒は様子を見ているだけで、彼らは何にも学習してはいない。だから先生が変われば全く元の状態に戻ってしまうだろう。そんなものは教育とは言わない。

 この間、医者さんの息子が親父のスパルタに辟易して放火した事件があったけれど、腕力というのか暴力というのかそういった力による教育というのは、一時は役に立つことはあるかもしれないが、長い目で見ると逆効果である場合が多いな。

 暴力で押さえられた者はやがて大きくなったらまた暴力で人を縛るのだな。負の連鎖みたいなものだ。

 教師は案外「教える」ということに生きがいを持ってしまう。あながちそれも間違いではないけれど、熱心と思い込んでいる先生ほど教えることに自己陶酔してしまう。生徒にとってはありがた迷惑以外のなにものでもない。


 学校で教えられる知識や技術なんてものはほんの少しで、まぁ実際には役にたたないことの方が多いということもあるけれど、まぁそこそこ優秀な優等生くずれが先生になるのでそこのところがよく分かっていない。


 生徒にとっては教師が生きがいを感じようがなかろうが、優秀であろうがなかろうが、大きく言えばどうでもいいことなんだな。彼らが一番望んでいることは「私を見て欲しい」「私が何者か気付かせて」「私のいいところを見つけて」ということなんだな。虫のいい話だけれどね。

 知ることは面白いと気付かせることに教師の一番の仕事がある。それだけでいい。火をつければあとは勝手に燃えるのだ。

 たとえ話で言うならば、「静にしろ」と言葉でいうのは一番簡単な方法。次にどうするか、黒板でも叩いて「静に!!」とかいう。まぁそこそこ生徒は聞くだろう。けれどまだ素人だな。

 「みみをすましてごらん」といえばいっぺんに静かになる。

 教師の仕事は自分の心の中を「みみをすませて」きく習慣をもたせることだな。まぁ結局、いつも言っている表現者と同じ事だな。



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日々思索にふけっている詩人とか求道者 - 2006.07.02(日記)

桃組さんのグループ展明日から。

『地球堂ギャラリー七夕祭展』
日時/7月3日(月)から7月8日(土)まで
住所/東京都中央区銀座8−8−6 銀栄ビル2F(地球堂2F)

銀座にお寄りのせつはどうぞ。


はる 1839
 どうも暑いです。

 個展に向けて色んな雑用が押し寄せてくる。本来画家の仕事は絵を描くことであって、こういった雑用は第三者の例えば画商さんなんかがやるべき仕事なんだが、私の様な、しがない無名の作家は自分でやるしかない。

 普通、画家の仕事のイメージは浮世離れした、日々思索にふけっている、詩人とか求道者のイメージがあるけれど、まぁそういった美しいイメージは壊したくはないけれど、はっきり言ってかなり違う。

 アトリエは絵を描く場所ではありますが、作業場でもあり、倉庫でもあり、はたまた私の昼寝のばしょでもある。洗濯物が絵の前にぶらさがっていることなど極当たり前の風景で、ここは日常の生活の場でもある。

 個展が近づいてくれば、まずはDMの準備にかかる。原稿を考えなければならないし、版下も考える。DMが仕上がってくれば、ここからが大切だな。郵送先をどうするか。

 親戚や友達に出したとしても百枚もあればそれで終わってしまう。絵の同好会やグループに出したとしても、知らない人の展覧会にはまずは来てくれない。ほんとだよ。

 今まで来てくれたお客さんの管理というのがとても大切というのがこれで分かるだろう。こんなこと絵を描くこととは全く関係のないことでね。大切なことだけどだれも教えてくれない。

 額の注文。額あわせ。梱包して発送。タイトルを考えてキャプションを作ったり、音楽を考えたりする。これもみんな一人でやる。まぁ私はこういった全ての仕事が嫌いではないのでやれるのかもしれない。

 だから個展が始まれば全てはもう終わっているということだ。



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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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