はる 1868
今日で七月も終わりです。
明日から銀座のグループ展が始まります。今回は例の仮面とオブジェを出します。今までと少し違って面白いのじゃないかかと自面自賛しています。
ちなみに明日8/1と楽日8/12に在廊の予定です。どんな野郎か見にきてください。んじゃ。
「四つの核展」
2006/ 8/1~8/12
ギャラリー惣
東直樹・榎並和春・大石洋次郎・横島庄司
東京都中央区銀座7-12-6
銀座トキワビル5F
℡・Fax 03-3541-4380
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沢田山本(お茶の山本山とは違います) さんの今回の個展のインタビューが載っていました。
http://gallery.pinksalon-okinawa.com/?cid=19570
はる 1866
政治というのはイマイチよく分からない。例えば政党というのがある。多くの場合何かしらの政党に属さなければ何も出来ない。無所属でやったとしても議員にはなれても発言権もなければ、何の力もない。
よく若い議員が情熱にかられて「たった一人でもやります」みたいなことを言って選挙に出るけれど、それは大筋では正しいけれど、政治というものが分かってないということで間違いだ。
他の国の政治がどういう風なのか知らないけれど、大体人が集まって徒党を組むという限りでは同じようなものだろう。ただ市民が集まって革命を経験した民族というのは、少し考え方がちがうかもしれない。
日本の政治の基本は「談合」だ。今でもそうだけれど、国会答弁というのは大いなる茶番だ。舞台に上がる前にもう事前に話し合いが出来ている。質問する人も質問事項ももう決まっている。後はそれなりに時間が過ぎるのを待つだけだ。
「国対」というシステムもおかしい。議題に入る前に密室で落としどころを決めるのだ。これは談合、根回しそのものだろう。
少し前のワールドカップの感想で、誰かが書いていたけれど、日本のサッカーは良くも悪くも今の日本の自画像だというのだ。兎に角自分ひとりでも何とかやり遂げるというのではなく、周りを見て気配りして、根回しして落としどころを探っている。
上手いこと言うなぁ・・。
で・・・。
例年やっていることだけれど、8/1から8/12までお世話になっている銀座・ギャラリー惣でグループ展を開催します。
まぁグループ展というのはそう長くやるものではなくて、大体四五回で解散するもののようです。今年で四回目ということでこれでこのグループ展も解散の予定です。
毎年やっている個展とは違う新しいことをやってくれということで、最初はちょっととまどったけれど、ここにきてオブジェをやったり仮面をやったり、新しい試みを楽しんでいる。特に今回のは全く今までと違うこころみで楽しかった。ということでお時間があれば、是非寄ってみてください。
ちなみに私は初日8/1と楽日8/12に在廊の予定です。
「四つの核展」
2006/ 8/1~8/12
ギャラリー惣
東直樹・榎並和春・大石洋次郎・横島庄司
東京都中央区銀座7-12-6
銀座トキワビル5F℡・Fax 03-3541-4380
個展 三日目
おはようございます。今日は今から出かけます。久しぶりの晴れ間がんがりましょう!
ところでまれびとさんが、上の絵の素敵な感想を書いてくれました。無断転載します。
三宮、4時過ぎ。子の本棚につける洒落たコンセントの金具でもないかと駅前のロフトに立ち寄ったのだがめぼしい物もなかった。はるさんの個展(榎並和春個展・神戸「色はにほへと2」)は2年ぶりだ。6時に画廊を仕舞い、二人で以前入ったイタリアンの店に移った。「角笛」と題された絵があった。道化師のような顔をした男がうつむいて角笛を吹いている。この男の奏でる音に耳を傾ける者は誰もいないのだろうと思った。(おそらく)世間から見捨てられた男はひとり、あえかな、ささやきのような音を奏でる。わたしはその音色を空想してみた。すると宮沢賢治の「告別」という詩が浮かんできた。そんな音を、この男の角笛は奏でているに違いない。私はその音色に耳をすました。さみしさの原石のような調べ。誰もがたったひとりで死んでいくのだが、誰もが最後に何かを伝えたいと願っている。それは神でもいい、一本の草木でもいい、愛する者でもいい。個の記憶はいつか消滅していくが、死にゆく前に、わたしは大いなる記憶とこのちっぽけで儚い己をリンクさせたいのだ。おそらく、わたしの願いとはそのようなものだ。個の記憶など過ぎ去ってしまってよい。もろもろの事象は流れてゆけばよい。わたしと子が微笑みあった記憶は、河原の石のはざまに溶け込む泡沫のように大いなる流れに呑み込まれてゆく。それでいい。流れを間違えなければ、あとはこの身を委ねるだけだ。そうであるなら、この底なしのさみしさも泡沫が思わず漏らす溜息のようなものだ。ワインの貯蔵庫のような薄暗い地下の店を出たのは9時頃だった。会話はワインのようだった。おぼろで、夢見心地で、他愛ない。それもまた、やがて大いなる流れに溶けこんでゆく泡沫だ。それもいい。きっと、すべてがよい。奈良に帰り着いたのは11時過ぎだ。駅からのどしゃ降りの夜道をモリスンの幸福なカントリー・ソングを聴きながら歩いた。
以上
有難うございました。
看板
はる 1857
個展一日目
今日は一日雨でしたね。初日でしたけど雨はやっぱり出足を止めるようです。雨でも普通の雨ならまだいいのですが、土砂降りですから、まぁしかたがないですね。
しかし、この雨の中でも来てくれた人がいると言うだけでもやった甲斐があるというものだ。どうもありがとうございました。
ネットでおなじみのまれびとさんが来てくれた。電脳空間ではほぼ毎日見かけるのですが、実際に会ったのは二度目です。ということで、夕飯を食いながらいろいろな話をする。
ほぼ毎日ここに書いてあるようなことをしゃべっていた気もするが、実際の会話は相手がいるわけで、独りよがりな独白ではない。そこのところが楽しいところだ。
イタリアを旅したときに感じたんだけれど、どんな田舎町にも何軒か立ち飲みの喫茶店があって、町人は一日に何度もそこを訪れコーヒーを飲み、くだらない雑談に人生の憂さを忘れる。
また、夕暮れ時になれば昔の日本のしょうぎ台のようなものを出して、近所の人と雑談に興じている。人生に色んな楽しみ方があるけれど、究極の「楽しみ」は気の会った仲間の雑談ではないか、そんな風に思った。
また来年お会いしましょう。
テスト
あちゃ~。削除するつもりがコメントがついてしまったので、このままにしときます。まぁ別に害にはならないでしょうから。
何のテストかちゅうと、携帯のカメラからそのままここに投稿できるということなので、個展の写真をすこしうすらぼんやりとピンボケなんだけれど、ライブの感覚で晒せるかなとおもって試してみました。
そう、このわんこちゃんは実家のわんこです。カメラを向けるとポーズをとりました。
はる 1855
午後から飾りつけに出かける。
今年も20点ばかり新作を送った。まぁテーマがあるのだけれど、ほとんどこじつけみたいなもので、毎年その時々に感じたことを絵にしたり書いたりしている。
だいたい人間のやることにそんなに変化があるわけない。結局毎年同じ事を違う形で言っているだけのように思う。
毎年個展を始めた頃、段々に描くことに詰まってきた。と言うのは、それなりに取材してスケッチしてそれを本画におこしてという手順をふむのだけれど、花は花でしかないし、風景は風景でしかない。それ以上でもそれ以下でもないわけだ。
絵にはなっても描いていて面白くない。こんなことしていればその内に絵がかけなくなる、描きたくなくなると危惧した。
で、絵を描くことを止めた。というのか物を具体的にスケッチして描くことを止めた。そうすると俄然面白くなった。何が出てくるかわからない、そんなところにワクワクどきどきした楽しみを見出した。
「有為の奥山」と今年のテーマの続きにあるけれど、描こうとすればするほど本質は逃げていってしまう。極々自然に無為に我を晒して出てきたものを絵にすればいいかなと思っている。
明日はお休み。明後日20日からです。お楽しみに!
無断転載します。
原文は高塚門扉」サイト
http://www.geocities.jp/takatukamonpi/54minami.html
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定時制高校 青春の短歌
兵庫県立神戸工業高等学校 南 悟
働き学ぶ生徒の歌を 働きながら学ぶという営みは、定時制高校生のかけがえのない貴重な財産です。こうした彼らのいとなみを、国語の授業を通してなんとか表現できないだろうかと考えて取り組んだのが「短歌」の創作でした。もう二○年ほど前のことです。 工場の昼なお暗い片隅で毎日向かうフライス盤 Y・K 短歌の授業を始めるきっかけを与えてくれた生徒です。授業中、いつも大声でしゃべり続けている傍若無人の彼が、仕事をしているのかという驚きでした。教室の中だけで生徒を判断してはいけないということを気付かされたのです。 仕事の歌 荒れた中学校生活を送り、夜間定時制高校に来て自分を取り戻しつつある生徒たちが、仕事の苦楽を短歌に詠んでいます。いずれも一年生で一五、六才の少年たちです。昼の学校では得ることの出来ない価値が、働き学ぶという営みの中に見いだせるようです。 俺は今大工の華咲く一五歳足場に上り破風板を打つ 作業着の汚れ気にせず働くが「汚れ落ちへん」おかんが怒る 潮風の匂う運河の貯木場藻に足取られ海中ドッボーン 作業服ドロドロ汚して一ヶ月給料もらいみんなでカラオケ 現場にて可愛い娘見とれ踏みはずし番線からまりニッカびりびり 鉄工所僕の仕事はフライス盤仕上げの削り幅五○ミリ ペンキ屋で塗料まみれの仕事終え夜学へ向かう足どり重い 昼の学校に行けなかったことから来る、口惜しさや怒りや挫折の思いを抱えて、荒れている生徒や押し黙ってしまった生徒たち。“誇りうる”ものとてない生徒たちが、自分に自信を持ち始めるのは、実に、この昼に働き夜に学ぶという生き方によるところが大きいのです。 長い時間と字数を要する作文でもなく、言葉を自由に駆使しなければならない詩でもなく五七五七七の定型であったということにも少なからぬ意味があるようです。自分の感情や生活の事実を五七五七七の「定型」に集中させることで、一つの表現が生み出され、自分を客観的に見る喜びが見つけ出されるのでしょう。 直接の契機は、筑摩書房の教科書『国語二』(旧)に、近藤芳美氏の「無名者の歌」という短歌教材があり、無名の働く人たちの歌に、生徒たちの共感が寄せられたからです。 一日の乗務を終えて洗車する満天の星の下われは小さし 小峰 文子 無名の働く人々の歌は、夜間定時制高校生の心を射ます。「仕事の歌なら僕たちも詠めるなあ」との生徒の発言から始められました。 短歌がひきだすもの たいていの生徒は文章表現が苦手です。原稿用紙一枚書くのがやっとの生徒や、一行書くのも大変な生徒がいます。小・中学校を通じて、作文と聞けば心を閉ざし、さらには、鉛筆を持つことも、椅子に座ることも困難な生徒たちがいる中での「短歌」作りです。 けれども、生徒たちには、身を削りながら働いている事実があり、家庭や社会の重圧の中で、けんめいに耐え生きている姿があります。悲しかったこと、口惜しかったこと、辛かったこと、腹が立ったことを内にためこみ、生きているのです。 少ししか通えなかった学校に楽しみながら今通っている シンナーも暴走もやめ夜学生三回目やけど卒業するぞ 母が死におやじ失踪兄と俺夜学四年目今生きている 鉄工所ピアスおしゃれが仕事するいつもガンバル茶髪マン 定時制通い続けて八年間父母の苦労に報いて卒業 電動のノコギリ疲れる一瞬にわれは小指の先を失う 震災を詠む 忘れることのできない震災から十一年が経ちました。貴重な神戸の若者の証言です。 かけつける友の住まいは崩れ落ち生き埋めの友にわれは無力 T・S 震災で隣家の家族がれき下埋もれた声と焼け野原 A・O 木枯らしのガレキの中を探しあて吐く息白く新聞配る K・I 震災で神戸デパート焼け崩れ涙ながらに仕事失う S・I 手に負えへん崩壊家屋数えきれんジャッキアップしまくりまだ五○軒 Y・U 寒風に更地の境界鋲を打ち立ち会い終えて測量始める S・H 配送中高速道より見渡せば復旧する町われを励ます S・F 短歌を詠むということは、さながら、多くの挫折や、様々に困難な生活を余儀なくされてきた生徒たちが、その苦しみの中から自分の尊厳を取り戻し、生きる勇気が与えられる作業のように思えてなりません。これからも、定時制高校生の歌を、彼らの生活の中から紡ぎだしていきたいものです。 |
この短歌をフンフンなるほどな、と簡単に読んではいけない。この一行書くのにどれだけの時間を要したか、その忍耐強い指導に頭が下がります。
まずもって彼らは教室に出てこない。出てきたとしても机の前に座って何かをするということに慣れていない。考えてみたまえ学校の外には楽しくて面白いことが山とあるのだよ。みんなが開放される夜になって、誰が好き好んで面白くも無い教室で「短歌」をひねるんだ?暇なご隠居じゃあるまいし。
夜間の生徒に付き合ってもう25年になるからよくわかる。これは凄い!
はる 1842
独裁の末期というのはどこの国でも訳が分からない。終戦間近の日本も周りの国にはそんな風に見えたのかもしれない。今我々が見てとても奇異に見える風景も中に入ってしまえばわからないもののようだ。
かの国を見ているととても正常な神経を持ち合わせているとは思えない。まぁそれがこちら側にいいる我々の意見で、かの国の方からはすっきりとした理由があるのかもしれないけれどね。
それにしても我々はどこまで平和に慣れてしまっているのだろう。敵がミサイルと打ち込んできたと言うのにビービー騒いでいるだけだ。たとえどんな理由があろうとそれなりの姿勢を見せるべきじゃないのかな。
「人はなぜ人を殺してはいけないのか」といった平和ボケした質問が一時はやったけれど、「自分や自分を含めた愛する人を殺されたくないから」に決まっているではないか。そんなことを人に教えてもらわなければならない民族など絶えた方が人類のためにはいいのかもしれない。
種の法則でいうならば、生き残る権利もない。
いざとなったら誰かさんが助けてくれると思っているのではないか?お金のために仕事として戦う傭兵など一番たよりにはならにというのがどうして分からないのだろう。
自分の家族の命は自分が守る。それが人間として、動物として、生物として、最低限の本能だろう。それがない国家、民族、など存在する意味が無い。 さっさともろ手を上げて奴隷になればいい。
さてどうする!
はる 1840
夏至も過ぎたか。ここらあたりの夕暮れの日差しは美しいなぁ・・。
野暮用で小学校の近くを通る。夕暮れの誰もいない校庭というのはそこはかとなく寂しい。物悲しいけれど何かいいんだなぁ。上手く説明できないけど、これが言葉として上手く説明できれば物書きになれるのかもしれないけれどね。
少し前に書いたことだけれど、教師は「自分の内から変えなければ、何も教えたことにはならない。」という話。
例えばよく勘違いするのは、腕力のある先生がいい教師か?ということだな。まぁ確かに即効性はあるし、具体的に目に見えて生徒は言うことをきく。ちょっとみは上手くいっているようにはみえる。
しかし、実の所、ただ単に生徒は様子を見ているだけで、彼らは何にも学習してはいない。だから先生が変われば全く元の状態に戻ってしまうだろう。そんなものは教育とは言わない。
この間、医者さんの息子が親父のスパルタに辟易して放火した事件があったけれど、腕力というのか暴力というのかそういった力による教育というのは、一時は役に立つことはあるかもしれないが、長い目で見ると逆効果である場合が多いな。
暴力で押さえられた者はやがて大きくなったらまた暴力で人を縛るのだな。負の連鎖みたいなものだ。
教師は案外「教える」ということに生きがいを持ってしまう。あながちそれも間違いではないけれど、熱心と思い込んでいる先生ほど教えることに自己陶酔してしまう。生徒にとってはありがた迷惑以外のなにものでもない。
学校で教えられる知識や技術なんてものはほんの少しで、まぁ実際には役にたたないことの方が多いということもあるけれど、まぁそこそこ優秀な優等生くずれが先生になるのでそこのところがよく分かっていない。
生徒にとっては教師が生きがいを感じようがなかろうが、優秀であろうがなかろうが、大きく言えばどうでもいいことなんだな。彼らが一番望んでいることは「私を見て欲しい」「私が何者か気付かせて」「私のいいところを見つけて」ということなんだな。虫のいい話だけれどね。
知ることは面白いと気付かせることに教師の一番の仕事がある。それだけでいい。火をつければあとは勝手に燃えるのだ。
たとえ話で言うならば、「静にしろ」と言葉でいうのは一番簡単な方法。次にどうするか、黒板でも叩いて「静に!!」とかいう。まぁそこそこ生徒は聞くだろう。けれどまだ素人だな。
「みみをすましてごらん」といえばいっぺんに静かになる。
教師の仕事は自分の心の中を「みみをすませて」きく習慣をもたせることだな。まぁ結局、いつも言っている表現者と同じ事だな。
『地球堂ギャラリー七夕祭展』
日時/7月3日(月)から7月8日(土)まで
住所/東京都中央区銀座8−8−6 銀栄ビル2F(地球堂2F)
銀座にお寄りのせつはどうぞ。
はる 1839
どうも暑いです。
個展に向けて色んな雑用が押し寄せてくる。本来画家の仕事は絵を描くことであって、こういった雑用は第三者の例えば画商さんなんかがやるべき仕事なんだが、私の様な、しがない無名の作家は自分でやるしかない。
普通、画家の仕事のイメージは浮世離れした、日々思索にふけっている、詩人とか求道者のイメージがあるけれど、まぁそういった美しいイメージは壊したくはないけれど、はっきり言ってかなり違う。
アトリエは絵を描く場所ではありますが、作業場でもあり、倉庫でもあり、はたまた私の昼寝のばしょでもある。洗濯物が絵の前にぶらさがっていることなど極当たり前の風景で、ここは日常の生活の場でもある。
個展が近づいてくれば、まずはDMの準備にかかる。原稿を考えなければならないし、版下も考える。DMが仕上がってくれば、ここからが大切だな。郵送先をどうするか。
親戚や友達に出したとしても百枚もあればそれで終わってしまう。絵の同好会やグループに出したとしても、知らない人の展覧会にはまずは来てくれない。ほんとだよ。
今まで来てくれたお客さんの管理というのがとても大切というのがこれで分かるだろう。こんなこと絵を描くこととは全く関係のないことでね。大切なことだけどだれも教えてくれない。
額の注文。額あわせ。梱包して発送。タイトルを考えてキャプションを作ったり、音楽を考えたりする。これもみんな一人でやる。まぁ私はこういった全ての仕事が嫌いではないのでやれるのかもしれない。
だから個展が始まれば全てはもう終わっているということだ。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館