あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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賄賂、談合や根回しの仕事。 - 2006.06.30(日記)
はる 1836
 今日は暑かったですな。

 駅前が今再開発とかでやたらとマンションが建ちはじめた。そうこの前は国体があるからというので、駅ビルを建てて取ってつけたような公園やケヤキの植栽でそこそこ体裁を繕ったとこだったのに、もう再開発か。またケヤキを何処かへ引っ越すようだ。

 あれだけたくさんのマンションに入居者がいるのか、他人事ながら心配になるな。何処かから聞いたけれど、最初はマンションの関係者が、さくらで入居するらしい。で何年かすればみんな出て行ってゴーストタウンになってしまうのだそうだ。

 これもまた役人や建設業者や不動産屋たちの利権が絡んだマネーゲームなんだな。投機、投資、で年寄りやよく分からん土地所有者をだまくらかして、誰かがもうけているんだ。

 いいかげん、談合や根回しの仕事やめないかな。もっと長期のビジョンにたった街づくりを誰か考えてやらないかな。

 地方の為政者は本当にこの町のことを考えて仕事しているのかな。言っちゃ悪いけど何も考えていないのじゃないか。

 どんどん悪くなる一方なんだけれど。


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グレゴリアンチャント・ネウマ譜 - 2006.06.29(日記)

グレゴリアンチャント・ネウマ譜


グレゴリアン・聖歌楽譜


 外国に行った時に蚤の市によく出かけた。日本でいったら京都の東寺の弘法さんとか、天神さんに近いかな。盗品からガラクタ、掘り出し物はあまりないけど冷やかすのは面白い。あまり大金を持って出かけるのは物騒だ。ほどほどに・・。


 というわけで、イコンが欲しかった。でもこいつは本物かどうか見極めるのがとことん難しい。まったくピンきりでね、いいものはべらぼうに高い。でもまぁ素人だからね、そんなものには手が出せない。


 色々探して歩いていた時に見つけたのがこの楽譜。スペインの蚤の市だったけれど、売っていたのは近くのお店だった。ガラクタが山と詰まれていたその中に、博物館か教会の展示室で見たグレゴリアンチャンとの楽譜があった。絵がかかれてあるものはとても高かったけれど、これはそんなに高価なものではなく、大きな本から直接カッターで切り取っ何枚も売っていた。


 カザルスがバッハの無伴奏の楽譜を見つけたのもこういった蚤の市だということを聞いた。今ではあんなに有名な曲がそれまで完全に埋もれていたというのだから驚きだ。


 よく観ると紙のように見えるのは羊の皮で、真中したに背骨の跡がある。本物かどうかそれはわからないけれど、私にとっては大切な思い出が詰まっているものの一つだ。



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ロボカップ三連覇。 - 2006.06.28(日記)
はる 1835
 W杯は観なくなったな。何だろう、やっぱりにわかファンだからだろう。

 ブックマークの東良さんのブログを読んでいたら、共感できる部分が出てきた。サッカーの強者には三種類あって、一つは「楽しくなきゃサッカーじゃない」という貧しいラテン系のサッカー。二つ目が「力こそ善」という新大陸開拓民族の戦闘サッカー。もう一つはヨーロッパの伝統的な騎士道、狩人サッカー。

 日本人のDNAにはどれもないわけで、これから世界と戦える、またワールドカップでまぐれででも優勝する機会が出てくるとは考えられないなぁ・・。

 同じワールドカップでも隅のほうに小さい記事があったのに気がつきました。ロボットのワールドカップ。ここ三年優勝しているそうです。

 で、考えたのですが、日本人のお得意のIT産業で、ひそかに選手をサイボーグ化してしまう。か、お金を出して新しいルールを作るとか、三人までならロボットを入れてもいいとか・・。でなければ我々が生きている間に日本が優勝することなどありえないな。


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教師は詐欺師で役者でもある。 - 2006.06.27(日記)

はる 1834
 今日は出稼ぎです。

 誰もが自分の人生では主人公になりたがっているのがよく分かる。

 先生がどんなに立派でも彼らには関係のないことでね。先生は自分が一番偉いなんて思っている連中が多いけど。

 教師の仕事は教えることじゃないね。勘違いしている人がおおいね。教えたことなどほとんど身にならない。

 大切なことは「自分の人生では自分が主人公だ」ということを気付かせてあげることだ。自分の内から変えなければ、何も教えたことにはならない。

 この手を使えばどんな荒くれも子羊のように私の言うことを聞く。


 教師は詐欺師で役者でもある。


 



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今日一日が一生の縮図。 - 2006.06.26(日記)
はる 1833
 何だかねここにきて色々なことがあって忙しい。まぁいつものことだけれど、今日一日が私の一生の縮図になるのだろうかね。

 私は五人兄弟の末っ子という立場もあって、いつも大体無責任な位置にいる。そういった立場が自分と言うものを作ってきたことは否めない。

 というのは大事なことがここという時に決められないとか、自分から働きかけるのが不得意であるとか、かなり自己中に自分だけのことを考えてきたとか・・。

 それが当たり前だと、何もなければ気がつかなかったのだから、まぁある意味気付かせてもらっているということかな。

 何のことか?いいです、分からなくて。ではまたあした。



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ブラックホールを捜す。 - 2006.06.25(日記)
はる 1831
 知り合いの息子さんが大学の研究室に入って銀河の中心以外のブラックホールを捜すという研究に入った。電波望遠鏡をホールがあると思われる方向に向かって発信して定期的に情報を得る。その情報は携帯電話を使ってメールで送られてくる。刻一刻と変化する情報をしることで、今自分が宇宙の一要素であることを実感するらしい。

 最近こんなことを考えた、人の一生はもうすでに決められていてどうあがいてもそれは変わらない。いいことも悪いことも、善も悪も、美しいことも、醜いことも全てもうすでに生まる以前から決まっていて変わらない。

 ところが普通に暮らしていれば何も気付かずに過ぎてしまう。見ていても何も観えていない。

 一時「自分探し」というのが流行った。多くの人はあたかも自分と言うものが外にあるかのように探し歩いていたようだけれど、実の所自分と言うものはすでにそこにあるものなんだ。ただそれに気付かないだけだ。


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「色はにほへと ・神戸」 個展によせて - 2006.06.24(日記)

      2006個展に寄せて「色はにほへと・2」神戸

                          榎並和春                        

 「色は匂えど、散りぬるを」
            「我が世誰ぞ、常ならむ」
            「有為の奥山、今日越えて」
            「浅き夢見じ、酔いもせず」

 「色」が匂うとはおもしろい。誰が言ったか、「色」が匂うなら「音」は観て、「香り」はきくものらしい。なにげない言葉も使い方しだいでおもむきがある。

 

 「美しい」とは時と場所によって変わってゆく。それもまた「常ならむ」ものらしい、なぜなら、「美しさ」もまた観る人の心を映したものだからだ。

 

 自分とは何者だろう。いくら尋ねてみてもだれもこたえてはくれない。玉ねぎのように、むいてゆけば最後には何も残らないというような事になるのだろうか。

 

「浅き夢」と惑いつつも、続けてゆけば、やがておぼろげにでも何かが見えてきそうなきもする。さてどんなもんだろうか・・。


 そんなことを考えながら、今年もまた色とかたちと言葉であそびました。楽しんでもらえると嬉しく思います

  榎並和春個展

       ~色はにほへと・2

   2006 7/20(木)~7/25(火)会期中無休

     神戸・ギャラリー ル ポール

   650-0001 神戸市中央区加納町4-6-4細坪ビル1F 電話078-332-3755



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最後にビッグチャンスが待っている。 - 2006.06.23(裸婦クロッキー)

c7

 裸婦クロッキー6/18の7

はる 1830
 サッカー負けちゃいましたね。実は昨晩の試合は見てないのですよ。何となくもう熱は冷めてしまってね。なにしろ、にわかファンですから。

 ドーハーの悲劇のときも多分そうだった気がしましたが、ロスタイムで失点することが多い。苦戦しながらも前半はそこそこ戦っているにもかかわらず、最後のさいごでミスをしてしまう。何処となくいつもパターンが似ています。はがゆいです。

 でもね、そこがやっぱり狩人と農耕民族のDNAの違いというきがするなぁ。釣りなんかでもそうだけれど、途中どんなに大きな獲物を釣ったとしても最後で逃がしてしまっては、笑い話にしかならない。

 農業は半分終われば、あと半分がんばればいい。それ以上でも以下でもない。最後の五分はもう気分的には終了間近なんだな。もうお祭りが近い。カウントダウンが心の中ではじまっている。5,4,3,2,1・・。

 獲物を追い込んでとどめを刺す。そこまで気を緩めてはいけないのだろう。反対にいえばどんなに劣勢でも最後の一撃で今までの立場を反転することさえ可能なんだな。最後まであきらめない。最後のさいごにビッグチャンスがあることが多いのだから。

 この差って大きくないかな。



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「地盤、看板、かばん」 - 2006.06.22(裸婦クロッキー)

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裸婦クロッキー6/18の5

はる 1829
 「地盤、看板、かばん」と言われるけれど、人間のやることは何処まで行ってもそれがつきまとう。情けないけれど、それが人間社会というものだろうな。どうでもいいか。



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続・「ネット進化論」 - 2006.06.21(裸婦クロッキー)

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 裸婦クロッキー6/18の3

はる 1828
 「ネット進化論」の中で面白いなぁと思ったのは、例えばグーグルがやろうとしていること、今でもグーグルの地図の検索は優れものだ。住所やめぼしいキーポイントを検索にかければその周りの地図と衛星からの実写が両方出てくる。

 簡単に思えるかもしれないけれど、このことは凄いし、ある意味恐ろしいなと思う。ちなみに自分の住所を検索にかけると家のぼろ屋根が映し出された。もう少し精度を上げると人の顔の識別まで出来るだろう。いや実際はもうすでにそんなことは当たり前なのかもしれない。

 まぁこの際是非は置いておこう。

 で、今グーグルがやろうとしていることはありとあらゆる出版物をすべて検索の対象にしてしまうと言うことらしい。たとえば古今東西のすべての出版物を検索の対象にしたとすれば、今まで完全に特定の人間だけしか参照できなかったことが、世界中のだれでもがいつでもどこでも見ることができるようになるということだ。

 人類の知の共有ということで言えばこのことは画期的なことだろう。本来それは特定の人だけの財産ではなく人類共通の財産であるはずだからだ。

 で、それらに反対しているのは今までそういった特権を持っていた既得権者たちで、著作権やプライバシーの侵害ということで出来るだけそれを阻止しようとしているらしい。まぁそれもわからないでもない。

 ネットの無断転載の件で前に書いたけれど、ネットに載せた限り著作権など存在しないみたいなものだ。まぁ時代の流れとしてあらゆるものが自由に転載、閲覧可能になってゆくのじゃないかなと思う。この流れは止められないだろうな。

 これは一種の「知の革命」に匹敵するのじゃないだろか。今でも調べ物をするときにもう百科事典を持ち出す者はいない。ネットの検索にかければほとんどのことがかなりの確率でヒットする。下世話なことから高尚な専門的なことまでありとあらゆるものが、このネットの海には含まれているのだな。

 人類はここに来て初めて誰でもが、いつでも、どこででも、ただで膨大な情報(知識)を知ることが出来る道具を手に入れたことになる。要はそれをどう使うかということかな。

 閑話休題
 一枚の絵の存在は何万の言葉を使ったとしてもその本質を伝えることは出来ない。情報はあくまでもその輪郭を暗示するかもしれないけれど、「物がそこにある」ということは伝えることはできない。ネットはあくまでも仮想なものであって、仮想をいくら重ねたとしても「そこにある」ことは証明できない。

 ネットはただ私という存在の輪郭を伝えているにすぎない。そうだからそれでいいと思っている。

 ネットで作品を売らないのはそういったことかな。



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ダンディズムは「やせ我慢」 - 2006.06.20(裸婦クロッキー)

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裸婦クロッキー6/18の2

はる 1827
 今日は一日パートタイムジョブ。朝九時に出て、夜の十時近くに帰る。まぁ普通のサラリーマンなら当たり前の日常なのかな。後何年この仕事が続けられるのかな。たった週二回のお仕事だけれど、くたびれるなぁ・・。

 しかし、下世話な話、これが唯一の決まった収入だから、少しでもあるとないとでは違う。「就職しないで生きる」のはそれなりの根性がいる。ダンディズムは「やせ我慢」とどこかで聞いたけれど、安定、安心、安全がすべてとは思わないし、それなりに意地を通すのも生き方だと思う。

 ダンディズムは「やせ我慢」というのが、好きなフレーズだ。



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「インターネット進化論」 - 2006.06.19(裸婦クロッキー)

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裸婦クロッキー6/18の1

はる 1826
 神戸のDMが上がってきた。出来がいいと素直に子供のように嬉しい。いつも大体何枚か持っていて、暇さえあればながめている。トイレやベッドにまで持ち込んではながめている。アホかいな。

 眺めて、みつめて、見つめたおして、それでもよければいい作品ということだ。よくないのはすぐに飽きる。できたてはどれもがよく見える。今年はどうだろうか?

 あと一ヶ月になった。色々と準備が進んで行く。DMが上がってくるといよいよだなという実感が湧いてくる。実際の所準備をしている時から個展は始まっている。オープンすればもう終わったみたいなものだ。

 ネットで販売しないのですか?とはたまに聞かれる。確かにネットによる販売にはそれなりの魅力があるだろう。不特定多数の人がここを訪れるわけで、少ないとはいえ一日50人くらいの訪問者がいるわけで、年間で言えば凄い数のビジターということになる。

 この間「インターネット進化論」という本を読んでいたら、ロングテール理論というのが出てきた。これはまぁ簡単に説明すれば、例えば町の本屋さんと言うのは大体ベストセラーかそれに準ずる売れ線の本ばかりを置くわけだ。本屋さんも趣味ではないのだから、それは当然と言えばそうなんだ。

 反対にめったに売れないような、極限られた読者にしか支持されないような本というのがやっぱりある。実際本当に本が好きな連中はそういった本を支持する。

 で、ベストテラーから順番にグラフを書いてゆくと段々に恐竜の尾っぽのように長く売れない本のリストが続いて行くわけだ。それを恐竜の「ロングテール」にかけていってる訳だ。

 今の店売りのシステムだとそういったベストセラー以外の本はほとんど死んで行くわけだな。

 ところがここで画期的なシステムが持ち上がってきた。インターネットによる検索と販売システム(アマゾンなど)を組み合わせることで、いままでほとんど見えていなかったそういったベストテラー以外の本=それをロングテールの本、作者という、が売れ出したというのだ。全体としてまだ数は少数だけれど、確実に増えているらしい。
(ロングテール理論の詳しい正確な意味はグーグルでも検索してくれ)

 そう考えるとネットで販売するのもそうまずい考え方ではないかなとは思うのだけれど、ロングテールの一番端っこにいる我々無名の作家にとっては一るの光明の様なきもするがね、どうだろう。

 ところで、私はネットデビューした時に決めたことがある。ネットでは作品を売らないこと。大した理由はない。理屈はあるけれど、これはまた今度だな。んじゃまた。



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サッカーを見ています。 - 2006.06.18(日記)

jan

 ここでもお馴染み、桃さんのグループ展が銀座松坂屋で始まります。お近くに寄られた方は是非どうぞ。

(尚画像は小僧さん所から転載しました)

はる 1825
 今クロアチア戦を見てます。ハーフタイム、またあとで。



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続・「就職しないで生きる」 - 2006.06.17(日記)
はる 1824
 今でこそ絵描きという職業を選んだのではなく、「絵描きという生き方」を選んだなどと屁理屈を言っているが、若い頃は何になりたいのか真剣に考えた。

 絵描きになりたいのかと問われると、はいなりたいです、とちょうちょせずに答えることができたかといえば、そうでもない。かといってこれといったやりたい仕事もなかった。

 前にも書いたけれど、小さい頃から絵さえ描いていれば他には何も欲しがらなかったとか、天才的に絵が上手かったというなら、そこらあたりに望みがあったかもしれないけれど、私は極普通のガキだった。

 漠然とではあるが理想的な生き方は「就職しないで生きる」ことであるきがしたんだな。普通、資産家の御曹司でも無い限り就職しないで生きるなんてことは不可能だ。

 まぁぎりぎりの折衷案で職人ならいいかなと考えて焼き物の絵付け師の仕事についたのだけれど、それも長くは続かなかった。やめた理由は何だったのだろうか?

 つまらないみやげ物を作っているくせに、あたかも芸術作品のような付加価値をつけて観光客に売りつけていることが嫌になったとか、一生やってゆく気になれなかったということかな。

 後はバイトしながら絵を描いていければいいかな・・などと漠然と夢みていた。まぁこれも今から考えれば今のニートと同じだよな。見た目は・・。ただ違うのは自活していたので、常に何かしらバイトはしなければならなかった。

 だから今の大学生が就活でいろいろ企業をまわったりしているのをみると、何かしら違う生き物を見る気がする。本当にその仕事がやりたいのかい?とね。

 憧れていたのは「絵描きのような」「芸術家のような」「文人のような」生き方だったのかな。ただ「就職しないで生きて」きた事だけは確かだ。



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「またぎ」とか「さんか」など日本の狩猟民。 - 2006.06.16(日記)

ガランドヤ


 ガランドヤ古墳壁画(馬上で弓を引く人物)


「またぎ」とか「さんか」など日本にも狩人、狩猟民がいたではないかという話だけれど、どうなんだろうな、日本の狩猟というのはどうも彼の国の狩とは違う気がする。


 まぁ例えば、マタギなんかでも積極的に動物を狩にゆくというより、どちらかと言えば釣りに近いのではないだろうかね。


 どう違うかといえば、釣りは餌をつけて獲物を待つのだ。ひたすら懸かってくれるのを待つ。かかってくれることを神に祈る。自分の気配を消す。自然と一体になる。そうではないだろうか。


 



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因果応報、塞翁が馬。 - 2006.06.15(日記)
はる 1822
 午前中、定期検診。

 人の体は文字通り色んな鉱物で出来ている。確かなことは調べていないので間違っているかもしれないけれど、海の水の成分と人の体液の成分とが似ているとか、ビタミンなどに含まれる極少量の金属なんかも、人がこの地球上に出てきたころの地表の成分にあったものだろう。

 普段はあまり考えないのだが、最初に人がいたわけではない。そこにある材料で我々の先祖が作られたのだ。だから我々は文字通りこの星の子なんだな。

 ところで前回の定期検診で鉄分の不足が言われた。鉄が不足していると言われても、イマイチ臨場感がない。特に鉄が好きなわけでもないしね。

 ドクターの話だと鉄分と言うのはヘモグロビンという形で血液にのなかに持っている。でそのヘモグロビンは酸素を運ぶわけだな。

 鉄分が不足すると軽い酸欠状態になるわけで、疲れやすい、パワー不足という私の性格をかたち作ることになる。まぁこの性格は生まれもったもので特に病気とは関係ないけれど・・。

 さて、鉄分の吸収というのは胃酸が関係していて、胃酸がなければスムースに吸収されないらしい。ということで自然鉄分が不足してくるというわけだ。因果応報、塞翁が馬。めぐりめぐって全ては関係する、あざなえる縄の如しというわけだ。

 なんだか講談のようだな。パンパンぱん。今日はここまで。



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アジアモンスーン型の植物的勘 - 2006.06.14(日記)
はる 1821
 学生時代によくマージャンをした。時間がたくさんあったんだろうな。下宿生は夜になると寂しいものだから集まる。集まると酒を飲むかマージャンをするしかなかったわけだ。

 マージャンに限らないのかもしれないが、こういったものにはよく人間性がでる。大雑把なやつはどうやっても大雑把で、几帳面なやつはそっくりそのまま几帳面なマージャンを打つ。

 四人でやるゲームだから、適当に話もしながらじゃらじゃらやっているので、人間監察にはもってこいのゲームだ。指先も使うし、頭も使う、何より人との会話があるわけで、これからの老人倶楽部にはもってこいのゲームではないかな。体力使うけどね・・。

 で、私は賭け事は嫌いじゃないけれどバク才がない。最初はそこそこ稼ぐのだが、段々に面倒になって、どうでもよくなる。こうなるとてきめんにツキが落ちて行く。

 度胸もない。勝負事にはこれがもっとも大事だ。ここぞと思ったときに張ったりでも命をかけるくらいの度胸がいる。勝負にでるわけだ。無論それで負けることもあるわけだけれど、それが勝負師の勘だ。

 さて、ここからが本題。農業というのはある程度収穫が予想できる仕事だな。毎日真面目にこつこつと世話を焼いていれば、そう大きな間違いはない。裏切られることも少ない。たまに台風や干ばつなど自然災害で痛い目にあうかもしれないが、まぁそれも織り込み済みみたいなものだ。

 それに引き換えて狩というのは予想がつかない。むやみに出かけていっても獲物が見つかることはほとんどないだろう。仮に運良く獲物に出合ったとしても、簡単には手に入らない。

 どこにどうやりを投げたら、獲物はどう動くのか、追い込み方にも手順がいるだろう。お互いに息の合ったコンタクトが自然に身に着いてゆく。狩人の勘というのがひつようだ。

 この間からのファンドの話とサッカーの話。結局出所はおなじじゃないかね。我々はこういった動物的勘を必要とする勝負にはむいていないのではないかということだ。

 で、新しい発想として、アジアモンスーン型の植物的勘を勝負に生かせないだろうか。すぐには役に立ちそうにないけどね・・。

 つまらん話ですんません。んじゃまた。


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まだ20年はかかるだろうな。 - 2006.06.13(日記)

アルタミラ


まぁ負けちゃいましたね。どうもにわかファンですから、いいかげんです。日ごろサッカーなんかほとんどというか、全く観ない筋金入りのにわかファンです。


 客観的に観てね、やっぱり身体能力が違うかなとおもう。ああやって広いフィールドを駆け巡る血は日本人の農耕民族のDNAにはないわな。やっぱり、つい最近まで並んで田植えしていた、稲を刈っていたみんぞくだからね。狩人の民族にはかなわん、何ていうと怒られるかな。


 それでもまだ、韓国みたいに隣に凄い国が控えている大陸続きの小国は、いつ何時敵が攻めてくるかわからないといった臨場感が、われわれ大和ののほほんとした和の民族とは出来が違う。目の色が違う、戦う意欲が違う。


 野球みたいに何かしら日本独特の「和のサッカー」みたいな極意をつかまなければ、なかなか世界とは戦えないだろうな。それが何なのか、そんなものがあるのかさえ定かではないけれどね。まだ20年はかかるだろうな。


 今はそんな悠長なことをいってられない。とにかく背水の陣をひくしかない。


 クロアチア戦がんばるぞ!えいえいおっー!




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相場師は山師、ヤクザな博徒と近い所にいる。 - 2006.06.12(日記)

はる 1819
 自分にとって一番遠い所にあると思っていた生き方が、何だか一番気になる生き方だったのかもしれないな。

 というのはこのところのマネーゲームの話、なかなか書ききったという気になれないでいる。考えてみると相場師は山師、ヤクザな博徒と近い所にいる。実体の無い仮想な空間で遊んでいる。あんがい「あそびべ」と似たり寄ったりかもしれないな。

 戦後我々は何でもアメリカさんの真似をしてきた。まぁそれは戦争で圧倒的な物量で負かされた敗戦国としては、ある種のトラウマとして豊かさへの憧れというのがあったと思う。

 まぁ色々と真似をして頑張って経済的にも急成長してきた。まぁそれは日本独特の勤勉さというのもあるだろうけれど、政府と民間が一体となって一つの目標に向かって突き進んできた成果だといえるだろうな。

 ところで、一番遅れていたのが金融関係の自由化だった。まぁだからこそここまで着実に成長できたということもあるだろうけれど、弊害として世界の金融市場からとんでもなく遅れてしまった。過保護過ぎたんだな。民間でありながら、ほとんど態度は官庁の役人だものな銀行は。

 でアメリカさんにせっつかれて「金融ビッグバン」などという名目で無理やり自由化させられた。

 まぁここでも素人ぶりを発揮してさんざんなぶり者にされて丸裸にされたんだけれど、これでもまだ懲りずに今度は個人の持っている資産、世界でも一二の貯蓄国民だからね、を吐き出させるために考えられたのが、こういったファンドなんだな。

 それでもまだ投資生活する?

 随分前に映画「大逆転」1983年の話を書いた。これは23年も前のハリウッド映画のドタバタ喜劇なんだけれど、エンターテナーとしてもうすでにこういった投資を題材にしてコメディーを作れるほど市民の意識は成熟していたということだろう。

 当時の日本人がどれだけ臨場感を持ってこの映画を見ることができただろうか。

 まだまだ続く・・。また明日。
*************************
2003/1月10日 (金)

はる 609
 かなり前の映画だけれど、エディ・マーフィの「大逆転」という作品があった。いつものようにハリウッド映画特有のどたばた喜劇だけれど、なかなか現代の問題点をそれなりに言い当てていて面白かった。

 主人公の乞食のエディがひょんなことから、ニューヨークの有名な相場会社の社長(こういうのを何ていうのだろう、日本で言えば証券会社ということになるのかなぁ)に拾われ社長までまかされるようになる。


 なんだかんだあって又もとの乞食に戻されるのだが、そこからが面白い。元に戻されたエディ、人生をもてあそばれた腹いせに、今まで仕入れた知識を元に悪巧みをはたらく、オレンジの今年の作柄情報を上手く操作して、一晩で社長に返り咲き、相手の社長は一文なしになるという話だった。



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雨の日 - 2006.06.11(日記)
あめ1
あめ2
あめ5
あめ6
あめ7
あめ8


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ウーロン茶で酔います。 - 2006.06.10(日記)

イコン1

 イコン聖画像

はる 1817
 さて、今日はこれからこの間のグループ展の打ち上げです。私は飲めないので、ウーロン茶で酔います。ではでは。



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千本の桜は歌になるけど、100と1000は0が一つ多いだけ。 - 2006.06.09(日記)

はる 1816

 昨日の続き


 最初は金=数字が一致しているのだけれど、次第に数字だけが一人歩きして行く。数字になってしまえば100も1000も変わらない。しかし、実はここのところがまやかしなんだ。

 百本のバラと千本のバラを比べてみれば凄い差がある。百本の桜はそこそこだけれど、千本桜は歌になる。けれど実体の無いバーチャルな数字だと100と1000は0が一つ多いだけの違いでしかない。

 普通の商売では儲けは一割か二割、よくて三割といったところ。四割も五割も儲けたらやりすぎで、クレームが来る。人間が認識できるのはさしずめその程度だ。

 ところが博打というのは物が簡単に倍になる。倍じゃ大したことはなくて、それこそ100倍1000倍も可能性としてある。これは単に数字上の話だけれど、なんと魅力的なんだろうか。

 たとえ今100取られても元手に100あればもとにもどせる。またとられても今度は200かければ同じことだ。これがとんでもなく魅力的な悪魔のささやきなんだな。

 相場、IT産業、投資、マネーゲーム、まぁ呼び方はなんでもいいのだけれど、結局のところ「ばくち」ではないかな。

 「博打」そのものは人間の本性のところもあって、あそびとしての余裕のある「ばくち」はゲームとして楽しむのならいいのだけれど、今のこの風潮を見ていると一国の品格までゆるがすような盛況ぶりだ。

 この盛況ぶりの大きな要因は一つは一般の人がインターネットによるって株取引が簡単になったということがあるだろうな。今まではそれなりに専門知識がなければ参加できなかった株取引が自宅でパソコンを使って簡単にできるようになったこと。

 それと関連するのかもしれないが、昔のように大きな株数でなければ取引できなかったものが、少ない株数でも可能になったこと。悪く言えば窓口が低くなったために小口の素人(餌食)が多数参加してきたこと。

 もう一つは団塊の世代が多数現役をリタイヤしてきて、退職金などまとまった行き先のままならない資金が市場に蓄えられていること。

 これからますますバブリーなこういった一獲千金的な「ばくち」の事件がおきるように思うな。

 で今回のライブドアや村上ファンドの話に戻るのだけれど、結局情報を操作して株価を釣り上げて、ぼろもうけしたこと。問題はそのことなんだろう。

 けどなぁ、結局「ばくち」というのは莫大な資金を持っているものが勝ようにできている。後のその他の烏合の衆はついていって漁夫の利を得るか、根こそぎもっていかれるか、どちらかだろう。

 「ばくち」というのはそういったリスクを含んでいるもので、すったから元手を返せというのは筋が通らない。それが怖いなら最初っから株なんかやめとけと言いたい。

 まだ書こうと思っているところまでいかない。書けたら続きを書きます。



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希望があればメール下さい。 - 2006.06.08(日記)
はる 1815
 神戸の個展の作品はだいたいそろってきた。後、看板になる少し大きな20号の作品を2点ほど仕上げたい。地塗りの方はほぼ完璧に出来ているのだけれど、何か納得できるかたちにならない。まぁいつもだらだら仕事しているから、今に始まったことではないけれどね・・。

 DMのはがきは20日過ぎにはできるそうなので希望があればメールで知らせてください。そうそう、メールにも「パスワード」を付けました。

 前の手動でアカウントを打ち込むタイプでも、それをクリアーして送ってくるスパムがあるので、今回はさらに高度な「隠し文字」を考案した。

 なんてね、何も変わってないのだけれど、それでも確実にスパムは減りました。が前から知らない人からのメールは少なかったのですが、全くメールが来なくなりました。

 ありがたいのか、寂しいのか分かりませんが、必要なメールが届かないのは少々問題かもしれませんな。

 パスワードはトップページをご覧ください。

 閑話休題

 IT長者と言われた二人の代表的な人物が地に落ちた。新聞もテレビもほとんど見ないので詳しいことは分からないのだけれど、ほんの少し前までは時代の風を受けて成功者として最先端を走っていた人達だから、何だか本当か!といった劇画的な可笑しさを感じて笑ってしまう。

 まぁ一昔前になるのか、江副さんのリクルート事件もやや似たような話だったなぁ。三人とも東大卒というところもにてるかな。

 戦後すぐに光クラブ事件というやみ金融事件があった。もちろん私が直接そのことを知っているわけではないのですが、東大の学生がやり始めた今で言うベンチャー企業というところが、どうも何か共通なにおいがするな。

 まぁIT長者は金貸し、金融会社ではないので、光クラブとは実質には異なるのだけれど、そうあえて共通項を探すと、マネーゲームということかな。

 商売の鉄則は品物を安く仕入れて高く売る。これだと思う。薄利多売であろうが厚利少売であろうが、兎に角安く仕入れて高く売るこれが鉄則だ。

 品物に何を選ぶか、一時商社は「インスタントラーメンからジェット機まで」というキャッチフレーズで世界をまたに商売していたけれど、まぁ実際のはなし物を売っている間は大した問題はなかった。賄賂ぐらいかな。それでも実際に関係するのは当事者だけで、不特定多数に迷惑をかけることはない。

 しかし、このマネーゲームと言う奴は、まぁ博打なんだな。扱う品物が金なんだ。まぁもっといえば実体の無い「数字」なんだな。

 最初は金=数字が一致しているのだけれど、次第に数字だけが一人歩きして行く。数字になってしまえば100も1000も変わらない。ここのところが恐ろしい。


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マイ・フェイバリット・シングス - 2006.06.07(日記)
虎塚古墳壁画
虎塚古墳壁画
ラスコー2
ラスコー壁画
ポンペイ秘儀荘
ポンペイ秘儀荘壁画
ドゴン扉
ドゴン族扉
ブラック
ジョルジョ・ブラック
ジョットエジプト
ジョット・スクロヴェーニ壁画
イコンマリア
イコン聖母像
日月山水図屏風
日月山水図屏風
珍敷古墳壁画
珍敷古墳壁画
源氏絵巻
源氏物語絵巻


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イコンのような絵 - 2006.06.06(日記)
はる 1813
 例えば今トップにさらしてある絵を例にとってみると、色々な作家の影響が見て取れる。作家本人が言うのだから間違いない。

 まず全体的な雰囲気はキュービックな仕事なのでピカソやブラックの立体派の影響がある。自分の画風を作る根本のところにはブラック、ピカソ、のキュービズムというのは外せない。

 色はポンペイの壁画の秘儀館の赤を少し意識した。これはクサカベ絵の具から顔料(ブライトレッド)を直接購入した。どうしても赤い色というのは個展の作品のなかで一点は欲しい。人の欲望の中に「赤い色」というのがあるのではないか。

 後こういった壁画風な雰囲気などはアルタミラの壁画やラスコーの壁画、そのた日本各地の古墳に描かれた絵からの影響があるように思う。

 なぜそういった壁画や古い壁のような肌合いが好きなのか、韓国の民家の写真を見たときに、妙に懐かしい快い気持ちになった。ひょっとすると、自分の血の中にはここの暮らしがあるのではないかと思った。

 「古楽」の演奏というのはずっと昔から憧れとしてあった。原点はどこにあるのかよくは分からないのだけれど、子供の頃の日曜学校で聞いた賛美歌とか、確か高校生の頃の選択で音楽をとったときに聴いたバロック音楽とか。そこらあたりからだろうか。

 宗教的な雰囲気というのは考えてみると私のもっとも根本的なモチーフかもしれない。「心の拠り所」修行としてのイコンのような絵を描きたいとはおもっている。

 続きはまた後で・・。


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フィリッポ・リッピ - 2006.06.05(日記)
リッピ1
フィリッポ・リッピ
カラバ03  カラバッジョ

 まぁ何でも分類したがるのが私の悪い癖なんですがね。その昨日の話の続きなんですが、ちょっとタイプにわけて遊んでみよう。

 人迷惑派の筆頭は誰かな、まぁ順当に考えてピカソとかゴッホ、ゴーギャンなんかも入るかな。印象派でいってみるか。ロートレックなんかもこちらかな、同じようでもボナールなんかは思索派だね。あとセザンヌは絶対思索派、オタクの元祖みたいな感じ。

 日本でいったら、黒田清輝はエリート派だからね、それに比べて浅井忠は思索派だね。メジャーにはなれなかったけれど、今からみればこちらの方がいい仕事をしている。青木繁は迷惑派。同郷の坂本繁二郎は思索派、それなりにうっとしいけれどね。

 ベートーヴェンは思索派の代表みたいだけれどね。近くにいれば思い込みが激しすぎて人迷惑じゃもしれない。天才だけれど努力、勤勉、やりすぎの神さんみたいなもんだ。

 天才モーツアルトは迷惑派。この人は波長があう人にとっては楽しい人だったに違いない。音楽は美しければいい。

 バッハはどうなんだろうか、祈りの音楽の先生だけれど、世間的にも評判が高かった。

 さて、つまらん事やってないで今日はもう眠ます。でまた明日。



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芸術家とか、アーチストは人迷惑な人間が多い。 - 2006.06.04(日記)

はる 1811
 芸術家とか、アーチストとか一般に言われる人間が、どうにも分からない。今ごろになって気がついて来たのだが、案外一流と言われている人間に、どうにも桁外れにどうしょうもない人間が多いかもしれないな。

 自惚れやでだらしなくて、自信満々でわがままで、以外に物事をしらない世間知らず。自分には極力甘くて、他人には厳しい。やきもち焼きで、嫉妬深く、人を認めない。

 近くにいれば迷惑で巻き込まれたくない。遠くでながめるには楽しいかもしれないけれどね。そういった意味では純粋で強烈に人間くさくて魅力的なのかもしれない。

 世間一般の人も芸術家が好きで、そこそこそういった人間を容認している所がある。でまたそれに輪をかけて甘えて自堕落になって行くようだ。

 イタリアの中世の画家でもフィリッポ・リッピなんかは坊さん画家でありながら、修道院の尼さんをだましてモデルにしていいかげんなことをしまくっている。ところが絵はなかなか素晴らしい。カラバッチョなんかは殺人で国外追放になって逃げ回っている。それにも関わらず、またこの人の絵は凄い。

 ピカソやゴッホなんかもそばにいたら暑っ苦しい人間だと思うな。実際に会った事はないので本当の所はわからないけれどね。

 そういったことを考え合わせると、どうも私がやろうとしていることと何か違うな。一流とか三流とかそういったこととは別に自分はそういった人種ではないような気がする。

 小さい頃から例えば絵が好きで、絵さえ描いていればご機嫌だったとか、絵だけは誰よりも上手かったとか、すらすらと習ってもいないのに人の似顔絵が描けたとか、一度見たものは見ないでもそらでかけたとか、神童だとか、天才だとか言われたとか・・そんなことは一度だってない。

 どちらかと言えばもっと普通の子供で、野や山や海を自由にかけていた。

 物を考え出したのは高校に入ってからだ。考えることは物を書くことと同じラインにあることを知ったのもその頃だ。日記をつけ始めた。

 何度も書くけれど、絵を描くのは自分を知るためだ。単に一つの道具でしかない。だからそれが文章であってもいいし、オブジェであってもいい。もっと言えば何もしなくてもただ考えるだけでもいいのだ。だから私は厳密に言えば絵描きではない。

 周りを巻き込んでゆく、意識が外に向かっているタイプ(地位や名誉があり、世間一般では成功者といわれる)と内に向かうタイプ(名も無く地位もなく、世間一般では落伍者といわれる)があるのではないかな。

 このところの騒動をみて、そんなことを感じた。







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芸は盗んでなんぼ。 - 2006.06.03(日記)
はる 1810
 絵描きであろうと文筆かであろうと作家である限り、少しずつかもしれないけれど変化し続けている。変化が止まって停滞してしまえば作家ではなくなってしまう。

 例えばポップスのシンガーでも、最初の一二曲は斬新でとんでもない才能を感じさせる作家が、何曲か続いてヒット曲をつくれば、しだいに同じ様なパターンになり飽きられてしまう。

 作家は飽きられないためには出来るだけのことをする。けれど近道は無い。どれだけ多くのものを見てきたかとか、どれだけ多くのことを経験してきたか、知っているか、学んできたかということ以外にないのじゃないかな。

 著名になればなるほどそういった創造的な変化を求められる。その人間の質を問われるわけだ。もうそれは見た、新しいものを見せてくれと言われている気がするのだろう。

 けれど悲しいかな一人の人間ができることは案外限られていて、本人がどれだけ変化した、進歩したと思ったところで、外見的にはそう変わってはみえない。

 一番手っ取り早い方法は他の作家のものを盗むことだ。

 私は創造の世界では盗むことは当たり前にやられていることのように思う。ピカソの例はよく使われることだけれど、ブラックとピカソは一時同じ様なえを描いていた。影響という盗みあいをしていたということだろう。

 ピカソが凄いのはそこにとどまらず、次から次と新しいスタイルを吸収飲み込んで自分のスタイルにしていったところだ。

 何だかダラダラと何が言いたいのか分からなくなってきたな。

 誤解を恐れずにいうなら、芸事に関しては、盗むことは有りだと思う。反対に言えばどんどん盗んでどれが本当の自分かわからないくらい盗めばいいとさえ思う。

 盗みきって、あれも有り、これも有り、の混沌の中から薄ぼんやりと見えてくるのが、自分と言うものじゃないかな。盗んだその一つ一つには意味はない。そこに自分があると思っているのは浅はかだ。それがオリジナルだと主張するのはもっと可笑しい。

 これが「私だ」と言えるほど人は単純じゃない。分からないと言った方が正しいかな。だからこそ出来るだけたくさんの候補があった方が間違わない。

 目的は盗むことではない。目的はこの何だかよく分からない「私」と言うやつを見つけて行くことだ。そのための手段として「盗み」は有りだと思う。



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工作仕上げ、どんなもんじゃ。 - 2006.06.02(写真)
金具1
金具2


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今日は金物細工 - 2006.06.01(写真)

金工

 今日は庭先で金物細工。

 オブジェの金物をつける工夫をする。しかし、意外に難しい。


 昔、借りていた家の大家さんの実家が下町で金属加工業をしていたらしい。でお店をたたむ時に「何か必要なものがあればもって行っていいよ」と声をかけてくれたんだけれど、その時はほとんど必要は感じなかった。


 で、もらっておいたのが、この頑丈は万力、ノギスやナンバーのたがね・・。 いままで特に使うことなく納戸にしまっておいたのだけれど、金のこややすりかけで、この万力の力を再確認した。それにしてもめっぽう重いのだ。


 しかし、何でこんなことがこれほど楽しいのだろうか。



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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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