はる 1807
どうもな、今世間を騒がしているあのことを少し書くかな。
テレビも新聞も最近観ていないので、ネットの情報しかしらない。でまぁネットで見る限りでは弁解の余地はないように思えるな。たまたま偶然に似てしまったという範疇ではないからね。
我々と比べるのはおこがましいけれど、今の自分の作風というのはありとあらゆる作家の物真似から入っている。観る人がみれば誰と誰のここから盗んだものだということがはっきり分かってしまうかもしれない。
元々こういった芸事というのは師匠なり優れた先人のものを真似する、盗むところから始まる。「守・破・離」というのはお茶のお稽古事の段階を言い表している。
最初は師匠の真似をする、守る。次にそういった約束事を越えてみる、約束事を破る。やがてそういった全てのことから離れて自由自在な境地に至るという意味らしい。
ある時期にどれだけ多くのものを吸収したかが、その後の自分の作風を決定する。そうだろう?前にも書いたけれど、文化と言うものは真似して真似されてミックスされてやがてそこから新しいものが生まれてくるものだからだ。
けれどここからが問題なんだけれど、ならば何のために絵を描くのかということだ。
全ては道具なんだ。目的は自分というものを探るための道具なんだな。オリジナル(根源、源泉)はもうすでにそこにある。何年も前から、生まれる前からすでにそこにある。ただ見えないだけ、気がつかないだけなんだな。それを見つけるために絵を描いているということだろう?
はっきり言って絵を描くことは目的ではない。描かないでもいいならそれでもいいのだな。方法は色々あっていいのだ。絵を描くことは一つの手段だと思う。
ということで、今回の事は目的と手段を間違えてしまったということで、展覧会の為に、画商の為に、絵をかいていると陥りやすい罠かも知れんな。
気をつけましょう。
明日から グループ展です。私は木曜日に一日美術館にいます。是非どうぞ。
第16回スクエア展
併設・伊藤仁個展
2006 5/23~5/28
山梨県立美術館県民ギャラリーB
甲府市貢川1-4-27
055-228-3322
はる 1797
今日は午前中裸婦クロッキーに出かけた。午後からは野暮用で出席できないので、まぁ乗り切らないうちに終わってしまった。線がかたい。どうもここに展示するのは恥を晒すようでみっともないのだけれど、これも私の仕事の一部ということで、許してもらおう。
モデルさんにも色々だな。たまに美大の現役の学生さんがバイトとしてやっている人もいたりする。一日やって二三万になるのだから、考え方によれば率のいいばいとかもしれない。
後、演劇関係やダンスをやっている方も結構多い。ダンスをやっている方などはムービングといって五分間ゆっくり動いてもらって瞬間の動きを捉える練習をしたりする。頭を空っぽにして動きについてゆくと意外に細部にとらわれないでいいクロッキーが出来る。
それにしても彼女たちは若いのに堂々としていて凄いなぁといつも感心する。
ペルソナ「翁2」過程1
はる 1795
まぁとりあえず何事も無く一日が終わった。
後何年生きるのかな、と何の脈絡も無く考える。今から20年前は34歳で、まだ何事もなされていなかった。無論今も大したことはやれていないけれど、絵を続けてきたことは確かだ。そのことの意味は大きい。
で、これから20年ということになると、74歳だ。生きてるか?もう何事もできないだろうなと思う。生きて行くことだけでいっぱいかも知れない。
そういった意味ではいまが中間点なのかな。
頑張るという言葉は嫌いだ。小学校の生徒じゃあるまいし、何をいったい、どのように頑張るのか。意味不明だ。
まぁがんばらないけれど、このまま何となく、毎日が平和で淡々と絵を描きつづけられればいいのかなぁ・・と漠然と思う。
「藤原新也のShinya talkより
2006/03/07(Tue)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・・・・
はる 1791
さて、もう一週間経ってしまった。明日からまた出稼ぎ仕事です。少し憂鬱。
ということで、またあした。
はる 1790
家人のお茶会。朝からばたばたと会場まで送ってゆく。時間ぎりぎりセーフ。この人はいつも時間一杯フルに動いている、自転車操業(立ち止まると倒れる)のようだ。
私には趣味が無い。道楽といえば全てがあそびで、遊びを仕事にしてしまった。あえて今楽しみといえば、庭木を見ているか、本を読むくらいしかない。
というわけでまた少し楽器をやってみようとおもう。このまま何もしないとそのままだからな。自己流だとまたすぐに止めてしまうので、今度は先生について少しばかり遊んでみようかと思っている。どうなるかな、ここにこうやって書いておくのも逃げないため。
楽器は好きで色々いたずらした。ギターは兄貴が大学のクラッシックのクラブに入っていて、ぼろいギターが置いてあり、中学校の頃から見様見真似でポロポロやっていた。ちょうどグループサウンズが流行りかけたころで、簡単なコードで唄の伴奏ができることが嬉しかった。
もう15年ぐらい前になるのか、中古のチェロが手に入ってこれもまた見様見真似の自己流で、なんとかバッハの「無伴奏チェロ組曲」の最初だけ練習したことがある。
まぁ自己流の悲しさで、上手くなる前に飽きてやめてしまった。
まぁこれも絵の肥やしになると考えると遊びにならないので、まったく離れて楽しみとしてやれたらなと思う。続くかな?
「あそびをせんとやうまれけん
たわむれせんとやうまれけん
あそぶこどものこえきけば
わがみさえこそゆるがるれ」
「梁塵秘抄より」
参考バックナンバー
はる 510
今年のサブタイトルのことがあって「あそびをせんと・・」を検索して調べる。私のボケた記憶では良寛さんの歌だとばかり思っていた。「あそび」「こども」とくれば子供と一緒にあそぶ良寛さんの絵が浮かぶ(誰の絵か忘れた)平櫛田中のやや釣り目の木彫の良寛さんも脳裏をかすった。しかし全くけんとうはずれ、平安時代の今様・「梁塵秘抄」からきたものだった。
「今様」というのはただ単に昔風の歌とばかり思っていたのだけれど、読んで字のごとく「今風のうた」という意味だった。今でいうならば「流行歌」「今風Jポップス」みたいなものだ。当時、約千年前の最先端のはやり歌なんだ、これが。驚いた。
学生の頃、教育実習に行った。教育学部は付属の学校があるのでそういった意味では恵まれていて、わざわざ自分の母校に頼みに行かなくても済む。音楽の実習だったと思うけれど、大学の教授が何かで記念講演をやっていて、自慢話をしていた。ええ加減に聞いていたのだが、ここだけははっきりおぼえている。
「私が唄えば、この教室の窓ガラスがびりびり鳴ります、見ていて下さいな」。付属のボロ校舎だったけれど、一人の人間の声だけでまさかガラスが鳴るとは思っていなかった。歌はイタリア民謡「帰れソレントへ」イザイザ・・・。
結果は教授の思惑通り、全てのガラスがびりびりと鳴って、満場の拍手を受けていた。
言いたかったことはそのことではない。「梁塵秘抄」の「梁塵」とは、上手な歌手が歌えば「梁」(はり)に積もった「塵」(ちり)もびりびり震えて落ちてくるということらしい。
はる 1788
さて、何を書くかなと今日一日をふり返る。
午前中にいつも行く画廊(イノセント)で知り合いの個展(堀内洋子個展)が始まったので、家人を送ったついでに寄る。
久しぶりに力強い具象絵画を見た気がした。どうも我々おのこは頭でっかちで、うんたら、かんたら、考えすぎるところがある。天地人、宇宙の原理がなんたらかんたら・・。
それにくらべて、おなごの人はすごいな。一刀両断。ズバッと本質をつかんで離さない。華奢な男の感傷なんてへの河童。気持ちがいい。
ゆったりと空間を使った展示の仕方もなかなかいい。豊かな気持ちになりましたね。お暇があれば是非どうぞ。
「堀内洋子 展」
5/12~22
画廊「イノセント」
甲府市丸の内2-12-3
055-222-4402
赤い橋
はる 1783
そうそう、このあいだ師匠のところに出かけた話のつづき。でその後出かけたところでその時に話題になった松田正平の書の実物を偶然見たということを書いたね。
人の嗜好というのはわりと類似しているものだと思ったのは、その前にちょうど地元の美術館で李朝の焼き物の美を発見した浅川伯教と巧兄弟の講演を聴いたばかりだったので、頭のすみにそんなことが残っていた。
師匠の所にも李朝箪笥のバンダチはもりちろん、色んな李朝の焼き物もあったけれど、一番印象に残っていたのはその松田画伯と現代画廊の須之内徹の話しだった。
画伯は絵描きだから書にはそれ程興味を持たなかったろらしいのだけれど、晩年は書だけの展覧会もやっていたようだ。
で、須之内さんのところにその「犬馬難鬼魅易」があって、師匠に購入するようにすすめたらしい。ところがまぁ見たところ子供書いた落書きのようにしか見えなかったので、いいものだとはわかったけれどちゅうちょしたらしい。
ところが、後日談で白洲正子さんが亡くなってその持ち物展みたいなことをやったときになんとその書がそこにあってビックリしたということだった。
先日私が見たものが実際のそれだったのかどうかはっきりはしないのだけれど、まぁそういった偶然というのはよくあることだな。
固有名詞がたくさん出てくるけれど、この人達は重要な人物なのでリンクして置きます。お暇があったらあたってみてください。んじゃ。
リンクが上手く出来ません。また後で。
綺麗な空だった。
はる 1782
休日モードなのかね。ものを真剣に考えていない。
昨日かなDVDで「攻かく機動隊」というアニメをみた。多分劇場版の一回目だと思う。先日立花隆がサイボーグの話をしていたおりに、この監督がゲストででていて「攻かく機動隊」の話も語られていたので、ぜひ観てみたいと思っていた。
まぁ私が考えていたいた以上に話は進んでいて、たぶんこの話を理解するのは本当はとても難しいのではないかと思った。
物語そのものは実際に見てもらえばいいわけだから省略するけれど、このドラマの敵になっているのはいってみれば電脳上に存在する知的生命体?ということになっている。
コンピュータがやがて意志をもって我々と敵対関係になるという話は「2001年宇宙の旅」を持ち出さなくても、案外誰でもが考えつく帰着だ。
しかし、ここで新しいのはネットという新しいツールだろうな。今でもネットウィルスは他人のパソコンに勝手に入って悪さするほど深刻になってきたけれど、将来全てのコンピュータがネットで繋がって一つの大きな知的な意志をもつコンピュータになることはありえるだろう。
今「世界で一番うつくしい物語」という宇宙創生から人類の発生までの本を読んでいるのだけれど、これを読んでいるとビッグバンからこの宇宙ができてゆき、そのかけらが何億年もかかって星になり、大気を作ってばらばらだった分子が繋がってやがて一つの生命体になって行く、その過程そのものがコンピュータが我々の前に現れてやがてネットで繋がってゆくその様子とすごく似ている気がした。
違うのはコンピュータの進化の様子がものすごく早い事で、意味のある分子から何らかの生命が生まれるまで最低何億年もかかっているのに対して、電脳の世界は目に見えるスピードで変化している。
やがて意志をもった知的な生命?が電脳上に生まれてもおかしくないだろうな。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館