あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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とりあえず更新 - 2006.04.30(日記)
 今日はちょっと更新できないかな。すんません。

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今日のアトリエ - 2006.04.29(日記)

4/28

今日のアトリエ



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そんな夢を見てもいいだろう。 - 2006.04.28(日記)
はる 1775
 神戸の個展に向けて小さい作品を描きだした。まだあと三ヶ月あるけれど、私の体内時計ではぎりぎりだな。

 ここ最近国画に向けて大きい作品を描いたり、七月の銀座のグループ展のためのオブジェを作ったりして遊んで?いたからいきなり手の内に入る小さい作品になると面食らう。

 私は小さい作品の方が好きだな。いまだに自分の背丈以上ある作品というのは苦手だ。

 勿論大きい作品には大きいなりの面白さがある。居直って大々的に自分の意見を発表するような、正式な場所に姿勢を正して出るような、自分を全面的にアピールする快さみたいなものがあるかな。それにモチベーションを何ヶ月か維持しなくてはならなかったり、準備や画材その他も大変だ。

 けれど、何だろう。必要もされないことに人生かけてやっているんだ!そんな気もあるかな。

 それも分かるけれどね。

 でもやっぱり小さい作品の方が好きなんだな。人と競い合わなくてもいいや、自分がいいと思った作品を、好きな人に観てもらって、貰ってもらえたらそれでいいやなんて思う。絵描きの生活とはそれだけで充分だ。

 そんな夢を見てもいいだろう。



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色んな人間がいて一つの町を造った方が健康なんだな。 - 2006.04.27(日記)
はる 1774
 昼間っから家にいる男はあまりいないのだけれど、この近所は別格で、ほとんどがみんなぞろぞろといる。平均をとったことはないけれど、多分七十を越えているのじゃないだろうか。

 まぁそれだけ町が古いということもあるかもしれないが、兎に角田舎のまちは年寄りばかりだ。

 そうそうお隣がバカデカイ敷地の一軒家だったのだけれど、お家の都合でみんなつぶして更地の分譲地になってしまった。その話は何処かで書いたかな。

 新しい家がぽつぽつと建ち始めたのだけれど、そろそろ新しい住人が引っ越してきた。で、何が違うか分かります?

 子供の声がするんです。ここ最近ちかくで子供の声を聞いたことがなかったのだけれど、わーわー騒いでいるガキの声が、泣いている声が聞こえるんですな。うるさいけれど、何か新しい。何かこの古い町には似合わない、新しい息吹が感じられるんです。

 そうか、やっぱりかたよってはいけないんだな。

 子供がいる、大人もいる、年よりもいる。障害をもったひともいる、健康な人もいる、病気の人もいる。色んな人間がいて一つの町を造った方が健康なんだな。そんなことを思った。


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かぜのおとづれ - 2006.04.26(日記)

kazenootodure2

                      2006  「かぜのおとづれ 」 部分

「製作過程より」


12..「暗」とか「闇」という漢字にも「音」という字が入っている。何故か不思議に思ったことはありませんか。
 何かの気配というものは、音とともに降りてくる。目を閉じて、耳をすますことで感じるものらしい。闇はその前提となる。
 
 「かぜのおとづれ 」という一昨年(04)のテーマが思い浮かぶ。


13省略


14.部分を描きこめばそこそこ描写はできるだろう。けれど、描きこむことで逃げてしまうものも多い。どこにもない自分だけの顔とか、形、絵、ができればいい。
 上手いは飽きる。徹底して下手くそでいい。下手でいい絵が描けないものか。
 昨年(05)のテーマ 「有為の奥山、今日越えて、浅き夢みず、酔いもせず」
 「あるがまま、なすがまま」で生きたい。



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「不老不死」を手に入れたということになる。 - 2006.04.25(日記)
はる 1772
 朝からパートのお仕事でした。

 昨日NHKでサイボーグの話を特集していました。みました?ロボット系は私らの年代では憧れのまとでしたね。ちょうどアトムや鉄人28号何かがテレビの番組として出てきた頃で、それまではアニメといえばディズニー映画ぐらいしかなかったわけだから、火曜日の7:30というのは特別な時間だったね。

 工作少年だった私はロボットをどれだけ作ったか、数知れない。足を交互に動かすシステムを知りたくて、市販のおもちゃを分解したのは言うまでもない。

 で、まぁ話を戻すと。今までの機械は体の外にあった。例えば車も船も戦車や鉄砲も言ってみれば人の能力の一部分を特化したもので、よくなれた自分の車は自分の足の延長で、クレーン車を運転している様子を観察すれば、あれは運転手の手の代わりをしているのだと分かる。

 考えてみると、産業革命以後人は機械に自分の替わりをさせてきたわけだ。今もその延長上にある。

 ところがここからはその機械が、体の中に入ってくるということなんだな。今でも例えば義手とか義足、人口の骨とか心臓のペースメーカーとか色々と機械が体の中に入ってきてはいる。

 しかし、これからの話は少し今までの機械とは違う。頭脳がコンピュータと相互に情報を交換できるようになってきたということなんだな。これは何を意味するのか?

 実際に技術がそこまで行っているとは思っていなかったので、ある意味この番組はショックだったな。もうすでに人間の知覚とか単純な触覚、視覚はコンピュータと情報交換できるようだ。

 視力を失った人がカメラの目で観た映像をコンピュータを通して直接脳に情報を送って「見る」ということが可能になっていた。そのうちに我々は映画を目で見ないで直接脳に映像を送って「観る」ことになるかもしれない。

 随分前に人と機械の融合の話を書いたおぼえがあるけれど、実際に話がここまで具体的になってくると何だか恐ろしい。

 「私」という個人は、生まれてきて今までの経験の記憶の総体である。その「記憶」さえもコントロールできるようになれば、「私」という存在は意味がなくなってしまうだろう。

 そこでは深く言及することはなかったけれど、この「記憶」が自由にコントロールできるようになったら、人類は求めてやまない「不老不死」を手に入れたということになる。

 肉体はなくなったとしても記憶そのものを一台のチップにしてしまえば、私はコンピュータの中で永遠に生きられるからだ。まるで映画「マトリックス」のようだけれど、満更これは現実不可能なことではない。

 人類はやがてそういった選択をする可能性もある気がするな。



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さて、私も先に進まなければ。 - 2006.04.24(日記)
はる 1771
 今日は一日在宅。午前中に一筆入れるかどうかで、午後からの仕事が決まる。どうも基本的に職住一体型なので、だらしがないというのか、しまりがない。

 「かぜのおとづれ」の作品の製作過程をアップした。まぁ昨年の個展で一度途中を皆様の前に晒してはいるのですが、ネットに晒したのはお初です。

 何と言っても大きさが感じられないですね。それから肌触り、触感、マチエールこれが伝えられない。反対にそこがねらい目なんだけれど。どうでしょうか?

 それからこうやって製作過程を本人が晒してしまうというのも今までになかったことで、いいか悪いか分かりませんが、新しいといえばいえる。

 今までも有名な所では晩年のピカソがドキメンタリーで制作風景を撮影しているのがあったな。これもどんどん変化して行くのを興味深く見たおぼえがある。

 例えば文学者の直筆原稿というものがそろそろ意味がなくなる時期に来ている。なぜなら彼らもワープロやパソコンで原稿を書くわけで、編集者とのやり取りもメールでやるのでしょう。直筆はフロッピーか何かでストックされるわけで、実際には存在しない。

 こういった途中経過の作品もこの世には実際には存在しない。バーチャルなパソコン上にはあるけれど、もう昔にはもどれない。

 著名な作家の生原稿を見たことがあるけれど、赤線やら直しで画家のコラージュ作品のようで美しいなぁと思った。そういうことももうないのかな・・。

 作家にとっては作品はもうすでに終わったものだから、あんがいさばさばとしたもののように思うな。評価がどうであれ、もう自分はそこにはいない。客観的には面白いけれど。

 さて、私も先に進まなければ。んじゃ。

更新時間 : 21:39:43


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かぜのおとづれ - 2006.04.23(日記)

60s

 06「かぜのおとづれ」F130部分

はる 1770
 今日は展覧会の梯子。美術館で知り合いの先生の「民芸」の講演を聴く。印象に残った言葉「民芸に巨匠はいない」「民芸の(美)を発見した人物」などなど。

 ここらあたりは私のテーマともつながるな。青山二郎の「美は発見である、創作である」という言葉と同じ。考えてみれば日本の芸能、芸事の基本的な感覚のように思う。

 日本人である我々にはよく分かる話だけれど、あくまで感覚的な話であって、論理的な西欧的な感覚ではどうなんでしょう。そんなことが知りたくなった。

 今年の国画に出品した「かぜのおとづれ」の制作過程を晒した。昨年末の銀座の個展に出品した作品に少し手を加えたものです。実際に観てもらうのが一番ですが、東京近郊の方以外は無理かもしれませんね。

 まぁチャンスがあれば観てください。んじゃ。

「かぜのおとづれ」制作過程



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 疲れた。 - 2006.04.22(日記)

 疲れた。



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明日お客さんが来ます。 - 2006.04.21(日記)
はる 1768
 明日お客さんが来ます。まぁお客さんといえば大体がかみさんの知り合いで、私はホストとして少しばかりお手伝いする程度だ。

 我が家は私がお酒を飲まないということで、酒の席になることはほとんどない。かみさんの知り合いが、おしゃべりと少しばかりの手料理を食べに来るといった感じかな。

 お客さんが来ると部屋を片付けることから始まって、掃除をしたり、玄関に花を飾ったり、絵を掛けたり、庭を掃いて打ち水したりそんなことが結構楽しい。招待した人が何処まで気がついてくれるのか、そんな所もちょっとした気配りでね。よくは知らないけれど、お茶席と似ていなくもない。

 まぁ後はお客さんとの話がどれだけ盛り上がるのか。少々楽しみではあるな。


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上野の美術館で展覧会の仕事のお手伝い。 - 2006.04.20(日記)
はる 1767
 今日は上野の美術館で国画会の仕事のお手伝い。朝7:21分の東京行きスーパーあずさの指定をとった。電車に乗ったらすぐに夢の中、起きたら新宿をでるところだった。時間は短縮できるらしい。

 東京は午後まで生憎の天気。しかし美術館の中はいつもの春の団体展のシーズンでごった返していた。私はそういった雑踏を尻目に、端っこのエレベータを使って地下三階の搬入口へ向かう。

 展示場が舞台なら、ここは楽屋裏。色んな団体の作品が所狭しと並んでいる。もうすでに審査が終わった会もあれば、今まだ審査の真っ最中のかいもある。裏向けに立てかけられたこういった作品を見ていると、何だかむなしいな。

 昔自分で搬入していた頃は、小さく改造したキャンバスをここで大きく組み立てなおしたりして張り直したりしたこともある。そういう意味ではけっこう懐かしいところかなぁ。

 上野の東京都美術館の展覧会も今年で最終となる。来年度からは六本木の新しい広い美術館になるそうだ。会場も広くなって展示の方法も変わるらしい。どうなるのか少々不安。

 今日の私の仕事は展示作品の題名と名前を決められた名札に書いてゆくこと。字がへたくそな私には拷問のような仕事だ。他の人はもっと大変な仕事をしているので、比較的楽な仕事で申し訳なく思う。

 会員や準会員はもうすでに名前が印刷されているけれど、入選者は名前もタイトルも全て書いてゆく。まぁ結構な数で驚く。これを全て展示するのはどえらい仕事だな。

 ということで、仕事が終わったのは四時過ぎ頃になってしまった。普段怠けているのでこういった根を詰めたしごとはめ一杯つかれる。ということで、予定していた展覧会も一つも見ず、六時のあずさの乗って帰って来た。道中はまた眠ってしまった。おわり。


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疲れるなぁ・・。 - 2006.04.19(日記)

はる 1766
 昨日と今日、一日パートの仕事でした。新入生とご対面。お互いにどんな人間かと様子見している感じ。もうなれてしまったけれど、疲れるなぁ・・。

 今年の生徒の質はどうなんだろう?毎年見ているけれど、どうしてこんなに違いがあるのか不思議に思う。昨年は全体的に本当によくしつけられたいい子たちが多かった。だからなのか、どうも今年は肌触りがよくない。

 教師と生徒というのは親と子供の関係と似ている。親子関係が上手くいっていないと師弟関係も上手く行かない。もっと飛躍するけれど、こういう関係って国と個人の関係と似てなくもないな。

 親が子を想い、子が親を想う。人間の一番の原点と思うのだけれど、ここ最近この国はどこかずれてしまっている。

 為政者は「愛国心」などという危なっかしい言葉を持ち出すけれど、こういう言葉を大上段にふりかざすこと自体もうすでに「うつろ」だなと思う。

 親が子をしつけられないなら、教師は生徒をしつけることは無理だな。馬鹿な親ほど人のせいにするけれど、結局は全ては自分にかえってくる。

 これもやっぱり自分から一歩も出ないということだ。



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クロッキー05s - 2006.04.18(裸婦クロッキー)

05s

 4/16の間違い



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クロッキー07s - 2006.04.17(裸婦クロッキー)

07s

4/16の間違い。


 ここでお馴染みの小僧さんと桃さんが、公募展(団体展)初挑戦でみごと入選をはたした。おめでとうございました。


まぁこういったサイトは本当にたくさんあるけれど、大体がデジタルな表現が多く、実際に大きな絵を描いて発表するという人は少ないだろうな。どちらがいいとか悪いとかは今のところ一概にはいえないけれど、はっきり言って似ているけれど、全く別のものだという気がするな。どうだろうか?


 ネットにはネットのよさは有ると思うんだ。例えばこうやって今まで発表する機会も方法もなかったクロッキーや日記なども陽の目を見ることができる。資料としてどんどん画像をストックできる。それから、今回のようにお互いに刺激になって公募展に出品するといった仲間が出来て行く。これもまたネットならではの面白さでしょう。


 公募展(団体展)は日本ならではのシステムで、曲がり角にはきているけれど、多くの絵を描こうとする人の発表の場、目標となっていることも確かだ。お二人には、何とかこれからも楽しみながら描きつづけて欲しいなと思ういますね。お互いによろしくお願いします。


 とりあえず、本当におめでとうございました。



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クロッキー04s - 2006.04.16(裸婦クロッキー)

04s

はる1763

 朝から裸婦クロッキーに出かける。まぁ何と一ヶ月のはやいことよ。この前の会はつい先日のようなきがしていたが、もう今月のクロッキーということだ。


 しかし、まだ三月のつもりか日にちを間違えている。



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 さて私はもう54歳になる。 - 2006.04.15(日記)
はる 1762
 誰にでも一年に一回はめぐってくる誕生日が、数日前にやって来て過ぎて行った。ほとんど何の感慨もない。私の家だけの習慣なのか、子供が多かったからなのか、我が家には誕生日を祝う習慣がなかった。

 というのか、我が家には桃の節句も、端午の節句も、お盆さんの行事も特別なものは何もなかった。確かにあったのは正月をみんなで祝う行事だけだったな。だからなのか正月が特別嬉しかったな。

 さて私はもう54歳になった。さて誰のことかと尋ねたくなるね。一昔前ではもうひとかどの人物になって、そろそろ引退を考えてもおかしくない年頃なんだな。

 親父は59歳で亡くなった。そんなことを考えると自分の未熟さ、いいかげんさ、思慮のなさ、などなどあまりにも未完成で恥ずかしい。今のままでは終われないなぁというのが今一番感じるところだ。

 誕生日というのは、私のとって一年に一回自分の未熟さを反省する日かもな。



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「道(TAO)」とは「それぞれの道」を極めるという意味と、無為自然の道教(TAO)からとりました - 2006.04.14(日記)
はる 1761
 県立美術館で「柳宗悦の民芸」展をやっていて見に出かけた。まぁもうご存知の方も多いかとおもうのですが、柳宗悦は東京の民芸館を建てた方で、明治以後、日本が西欧化一辺倒で置き去りにしてきたような民具や伝統に目を向けた先駆的な「民芸運動」を起こした中心人物だ。

 陶芸の浜田庄司や富本憲吉、河井寛次郎、版画の棟方志功などの巨人の名前がある。

 今でこそ朝鮮の生活雑器である李朝や李朝箪笥などは、出る所に出せば、ほとんど宝物のように高価に取引されるけれど、彼らがそのことに目をつけなかったら忘れられていたかもしれない。

 元をただせば千利休の「お茶」に始まる。彼がやった革新的なことは「見立て」という新しい芸術的な価値を作ったことだ。分かりやすく言うならば、「美とはそれを観た者の発見であり、創作だ」という青山二郎の言葉に要約される。つまりそういうことなんだな。

 現代美術なんかでも未だにその手法を使っている。デシャンの便器「泉」なんかもその手口だろうな。(すこし違うけれどね。)

 閑話休題

 アフリカのお面や雑貨なんかにも共通するのだけれど、無作為な造形の力強さみたいなものに我々現代人は憧れる。どうしてもせんの細い華奢な、その場しのぎの造形みたいなものになりがちだからだ。

 それからそこにある「美」の意味の考え方の違いかな。よく言われるのは「美」とは羊が大きいと書く。元を正せば漢字のできた大陸の話になってしまうのだけれど、「衣食住」全てに大いに関係していた羊が大きいことは彼らにとって「いいこと」だったに違いない。

 ここでいう「いい」ということと、我々の考える「美」がどこかずれているわけだ。で、もう一つすすめると「美」は「よし」とも読むことに気がつく。そうか、とここでガテンが行く。昔は「うつくしい」ことは「いいこと」と同じ意味を持っていたんだということだな。

 アフリカのお面や例えば日本の農舞や猿楽、神楽などで使うお面なども、とても彼らが今で言う所の「美的なセンス」があったとは思われない。

 にもかかわらず崇高な造形や雰囲気をもっているのは、まぁそこには神がおわしたということもあるけれど、もっと下世話な価値観でいうなら「使いやすい」「ありがたい」「いいもの」をつくったのではないかな。つまり「いいもの」は「うつくし」かったのだ。

 閑話休題

 「道(TAO)」とは「それぞれの道」を極めるという意味と、「あるがまま、なすがまま」の無為自然の道教(TAO)からとりました。


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七月に神戸の個展が決まっている。 - 2006.04.13(日記)
はる 1760
 国画の作品をアトリエから追い出して、今描きかけの作品も裏を向けた。こうやってしばらくみないで伏せておく。で、あらためて見ると荒がよく見えることがある。

 まぁしかし、それもこれも自分の中では、半分以上終わってしまっている。作品は良くも悪くも描いている今が全てだ。

 気分転換で少しアトリエの掃除をして、しばらくはまた小品を描くことになる。七月に神戸の個展が決まっている。

 何が出てくるのか、楽しみにしている。んじゃ、またあした。


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来週から本格的に動き出す。 - 2006.04.12(日記)
はる 1759
 ほぼ一ヶ月ぶりに学校に行く。今年の生徒と初対面。もう25年もやっているけれど、初日はあまり好きではない。すこし緊張する。

 自分の高校時代の話など少しする。もうあれから40年も経ってしまったのかと一人感慨にひたる。生徒にとっては迷惑な話だろう。自分にとって懐かしい話は、彼らにとっては退屈な昔話にすぎない。

 でもね、つまらない話を我慢して聴くことも大切なことなんだな。世の中は自分にとって都合のいいはなしばかりではないからね。多くの場合、調子のいい、楽しい、甘い話は何処かに不都合が隠れているものだ。

 なんてね、何でも人生を語ってしまうから年よりは嫌われる。

 さて、来週から本格的に動き出す。


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面白くない? - 2006.04.11(日記)

はる 1758
 「ウェブ進化論」読み終わった。やっぱりよく分からんかった。だからこれからどうなって行くのか、そんなことを知りたかったのだけどね。まぁ絵描きの私がそれを知ったところでなんてことないわけだけれどね。

 私が学生だったころ、まだ電卓はなく、今のノートパソコンくらいの卓上電気計算機が、小さな豆球ランプをぼんやりとともしていたことを思い出した。計算機といっても我々が相手に出来るものはそんなものだった。

 確かに最初にパソコン(個人のコンピュータ)がでまわった頃のことを考えると、まぁ世の中変わったものだなという感慨がある。町にはインベーダゲームのようなテレビゲームが氾濫して、ワープロが悪筆の劣等感から開放してくれた。

 我々の仕事に関していえば、ブログなんかと同じように全ての人がそれなりの表現者になってくるわけで、それなりの道具(ソフト)を使えば、誰でもがそれなりの絵が描けるようになる訳だ。

 勿論それはわるいことではない。また、それで埋もれてしまうようならば、それまでのものだったのだろう。情報淘汰とか書かれていたけれど、これだけの数がこのウェブ上にあるわけだから、面白くない、意味のない情報は自然淘汰されるのだろう。


 面白くない?

 何かまとまらない文章だな。



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これで今年の春の陣が始まるというわけです. - 2006.04.10(日記)
はる 1757
 今日は付き添いでアッシー君でした。疲れた。まぁ車の試運転みたいなもので、高速運転しました。快調ですね、とても中古車とは思えない。

 明日は国画の絵を運送屋さんが取りにきます。これで今年の春の陣が始まるというわけです。


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テスト・画像 - 2006.04.09(日記)

「冬の日」v


 ブログの画像容量が1000MBになっていた。これは凄い。今までが20MBだったのに比べると、一気に50倍になったことになる。かなりの画像をストックしてもびくともしないだろう。元々ネット上の画像はサイズが小さいほど速くてよかったのだけれど、今じゃ光だからほとんど関係ないね。 


 というわけで、画像をどうやって載せるのかいろいろやってみているところ。そのままだとどうしても画像が小さいまま載ってしまう。クリックすれば大きくなるから、まぁそれでも普通はいいのだけれど、出来たらでかい絵をバーンと載せたかった。


 色々試行錯誤してみて、簡単なタグを使ったりしたのだけれど、やっぱり面倒だね。で、超簡単な方法を見つけた。


 このスケッチはHPのイタリア滞在記の24に載せてあるもので、かなり大きなサイズです。個人的に楽しむ分には自由に使ってください。んじゃまた。



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てすと・夜の玄関 - 2006.04.09(日記)

 写真添付の練習です。

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ウェブ進化論 - 2006.04.08(日記)

 テスト1・こでまり


 はる 1755
 新刊「ウェブ進化論」を読んだけれど、今ひとつぴんと来なかった。まだ全部読んだわけではないけれどね。だから何なんだ?どうなるのだ?という疑問は残る。

 分かりやすい例えで「単純計算で国民の全ての人から一円集めれば一億円になる」というのだけれど、まぁ子供の頃に考えたことはあったな。

 このウェブ上の商売というのは案外それに近いかな・・と思う。今はやりのネット広告ーアフェイトなんかも利率は小さいけれど、ワンクリック幾らというカウントの仕方をする。不特定多数の人に見てもらってカウントがのびれば、また実際に購入する人がいればさらに収入が増えるというようなやり方のように思う。

 実際にどの程度商売として成り立っているのか、成功したと言う人の話を読んでもなぜか胡散臭い。それにそういったサイトは品がない、たぶんそんなに甘くはないだろう。

 ブログの天下だ。昔のようなHPを運営しているひとは極少数になってきてるだろうな。つい最近驚いたのだけれど、今無料で借りているアメーバブログの画像容量が一気に1000MBになっていた。

 少し前までは20MBだったはずだ。私が借りているHPの有料レンタルサーバーの容量が600MBなんだな。なんと一気にぬきさってしまった。で尚且つ広告がつくとはいえ無料だからな、驚きだ。

 これだけの容量があればどんどん画像も載せられるだろう。

 HPの管理をしていても毎日更新するのはこの日記の部分だけだ。それ以外はほとんど資料のストックをしておく、個人的な美術館の資料室に近いものだ。興味のある人意外はほとんど訪れる人もいないだろうな。まぁそれでもいいかなと思っている。

 ブログのことについてはまた今度の機会に書きたい。



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慈雲寺・桜3 - 2006.04.08(日記)


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慈雲寺の桜2 - 2006.04.07(日記)

慈雲寺


 はる 1754
 昨日慈雲寺の桜を見に出かけた。桜の名所は神代桜を筆頭に、いくらか出かけたけれど、一本の桜でこれほど見事な桜は観たことがない。

 もう15年ほど前になるのかな、初めて出かけた時はほとんど地元の人しか知られていなくて、迷いながらお寺を探してやっとたどり着いた。雨が降っていたということもあってひっそりと咲きほこっていた姿は、なんとも表現の仕様がない。怖いようだというのがぴったりかな。

 今年は後ニ三日です。 もし機会があったら、是非とも一度ご覧になられることをすすめます。今までの桜のイメージを根底から変えるでしょう。



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塩山・慈雲寺・さくら1 - 2006.04.06(日記)


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1.AをやめてBに替える。2.AとBを取り換える。3.AのかわりにBに代える。 - 2006.04.05(日記)

音を観る

はる 1752
 「車をのりかえる」のかえる、どの漢字が正しいのか少しまよった。パソコンには便利な機能がついていて辞書としてもつかる。今とりあえず三種類考えられる。

 1.AをやめてBに替える。
 2.AとBを取り換える。

 3.AのかわりにBに代える。

 私の場合どれが正しいのだろう。

 1.は何となく冷たい感じがする。積極的にAをやめた、嫌になったから乗りかえる・・といった感じがある。

 2.にはそういった感じはない。ないけれど全く事務的にAをBと取りかえた、それだけよというかんじかな。

 3.心情的にはこれに一番近いかな。まだAにも未練はある。かわいい奴だ、けれどもうそろそろ寿命だ。だから仕方なく乗りかえるのだ・・。

 漢字検定すればたぶんどれかが正解なんだろうけれど、だから日本語は微妙でおもしろい。



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破れジーンズによれよれの白衣を着たよれたおっさんだった。 - 2006.04.04(日記)
はる 1751
 午前中にゴリラの予約を入れる。ゴリラとはあのごりらではなく、市内の散髪屋のゴリラである。前回が昨年の個展前10/3となっているので丸半年髪を切らなかったということになる。衰えたとはいえ半年散髪しなければ髪はのびるもので、まぁ新学期が始まる前に行っといた方がいいかなぁ・・という判断がはたらいた。散髪は嫌いだ。

 その後近くの外科に寄る。またまた何かあったのか?そう二週間ほど前に知り合いからバラの苗をもらった話を書いた。それがその実際に今植えてある苗を必要なら持って行けば・・という感じですすめられたので、それじゃと軍手と小さなスコップで引っこ抜いた。そこまではよかったのだけれど、手は名誉の負傷、バラのとげがささりまくった。

 幾つかは抜いたのだけれど、親指にささったとげが何としても抜けない。最近は老眼が進行してきて、特にこういった細かい仕事はできなくなってしまった。

 そうそう、これを機会に百円ショップに行って老眼鏡や拡大鏡、虫眼鏡など買ってきたのだけれどね。

 で、まぁそのまま放っておいたら、どうも少し腫れてきたようだ。筆を持ったりすると少し引っかかる感じ、違和感が抜けない。そのまま何事もなければその内に忘れてしまうのだけれど、まずいなぁ少しいたみも有るようだ。放っておいたら破傷風になる・・なんて話も聞こえてきた。

 というわけで、刺抜き地蔵さんのお世話になることにした。この近くの町医者屋さんはどうも医者らしくない。破れジーンズによれよれの白衣を着たよれたおっさんだった。

 やたら破傷風になるぞ、と脅かされてピンセットの先のとがったようなものでほじくり返す。これがなかなか痛い。もうすでに肉がかぶっているので、それをはいでまたそこからほじくるわけだから、まぁ聞いただけでもいたそうだろう・・。痛かったが、さすがにプロで上手く抜き取った。ああなってしまうと素人ではできんだろうな・・。

 ということで、なんだか今日は疲れてしまった。チャンチャン。

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 閑話休題 - 2006.04.03(日記)
はる 1750
 少しサボってました。といって何していた訳でもないのですがね。

 車が新しくなった。げんみつに言えば「新しい中古車」になったということかな。まぁこの国の車検システムのおかげで、車が好きな人はけっこう車を乗り換える。故障やトラブルがあるから乗り換えるのではなく、何年か乗って車検受ける時に下取りにだして少し上乗せして新車に代えるわけだ。

 という訳で、まだまだ充分現役で乗れる車が市場に出てくる。こういった型落ちの車は新車に比べて断然安い値段で取引される。この国のそういったシステムは非常におかしいのだけれど、私にはありがたい。

 閑話休題

 写真家の藤原新也がアナログとデジタルのカメラの話をしていた。内容は何処かに出ているので確かめてくれ。ここでは自分の感想なり感じたことを書く。

 新しい機械が出てくると古い人間は新しい機械に拒否反応を示す。例えばデジタルプリントよりアナログなフィルムの方が味があるとか、人の目に近いとか。でもねぇ、結局フィルムも作られたものであって人間の目がみた物、見えたものではないのだな。

 まぁ特にこれからデジタルなゲーム機やパソコン画像で育った人が社会の中心になって活躍するようになれば、自然な風景や物は「あまりにも自然」でつまらないように思えるのじゃないだろうかね。彼らにとって「自然」とはバーチャルな画像の中にあるものであって、少しオーバーに加工された方が受け入れやすいように思うな。

 何だかまとまらない話を書いてしまった。まぁいいか。んじゃ。



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