2006 「かぜのおとづれ 」 部分
「製作過程より」
12..「暗」とか「闇」という漢字にも「音」という字が入っている。何故か不思議に思ったことはありませんか。
何かの気配というものは、音とともに降りてくる。目を閉じて、耳をすますことで感じるものらしい。闇はその前提となる。
「かぜのおとづれ 」という一昨年(04)のテーマが思い浮かぶ。
13省略
14.部分を描きこめばそこそこ描写はできるだろう。けれど、描きこむことで逃げてしまうものも多い。どこにもない自分だけの顔とか、形、絵、ができればいい。
上手いは飽きる。徹底して下手くそでいい。下手でいい絵が描けないものか。
昨年(05)のテーマ 「有為の奥山、今日越えて、浅き夢みず、酔いもせず」
「あるがまま、なすがまま」で生きたい。
06「かぜのおとづれ」F130部分
はる 1770
今日は展覧会の梯子。美術館で知り合いの先生の「民芸」の講演を聴く。印象に残った言葉「民芸に巨匠はいない」「民芸の(美)を発見した人物」などなど。
ここらあたりは私のテーマともつながるな。青山二郎の「美は発見である、創作である」という言葉と同じ。考えてみれば日本の芸能、芸事の基本的な感覚のように思う。
日本人である我々にはよく分かる話だけれど、あくまで感覚的な話であって、論理的な西欧的な感覚ではどうなんでしょう。そんなことが知りたくなった。
今年の国画に出品した「かぜのおとづれ」の制作過程を晒した。昨年末の銀座の個展に出品した作品に少し手を加えたものです。実際に観てもらうのが一番ですが、東京近郊の方以外は無理かもしれませんね。
まぁチャンスがあれば観てください。んじゃ。
疲れた。
はる 1766
昨日と今日、一日パートの仕事でした。新入生とご対面。お互いにどんな人間かと様子見している感じ。もうなれてしまったけれど、疲れるなぁ・・。
今年の生徒の質はどうなんだろう?毎年見ているけれど、どうしてこんなに違いがあるのか不思議に思う。昨年は全体的に本当によくしつけられたいい子たちが多かった。だからなのか、どうも今年は肌触りがよくない。
教師と生徒というのは親と子供の関係と似ている。親子関係が上手くいっていないと師弟関係も上手く行かない。もっと飛躍するけれど、こういう関係って国と個人の関係と似てなくもないな。
親が子を想い、子が親を想う。人間の一番の原点と思うのだけれど、ここ最近この国はどこかずれてしまっている。
為政者は「愛国心」などという危なっかしい言葉を持ち出すけれど、こういう言葉を大上段にふりかざすこと自体もうすでに「うつろ」だなと思う。
親が子をしつけられないなら、教師は生徒をしつけることは無理だな。馬鹿な親ほど人のせいにするけれど、結局は全ては自分にかえってくる。
これもやっぱり自分から一歩も出ないということだ。
4/16の間違い。
ここでお馴染みの小僧さんと桃さんが、公募展(団体展)初挑戦でみごと入選をはたした。おめでとうございました。
まぁこういったサイトは本当にたくさんあるけれど、大体がデジタルな表現が多く、実際に大きな絵を描いて発表するという人は少ないだろうな。どちらがいいとか悪いとかは今のところ一概にはいえないけれど、はっきり言って似ているけれど、全く別のものだという気がするな。どうだろうか?
ネットにはネットのよさは有ると思うんだ。例えばこうやって今まで発表する機会も方法もなかったクロッキーや日記なども陽の目を見ることができる。資料としてどんどん画像をストックできる。それから、今回のようにお互いに刺激になって公募展に出品するといった仲間が出来て行く。これもまたネットならではの面白さでしょう。
公募展(団体展)は日本ならではのシステムで、曲がり角にはきているけれど、多くの絵を描こうとする人の発表の場、目標となっていることも確かだ。お二人には、何とかこれからも楽しみながら描きつづけて欲しいなと思ういますね。お互いによろしくお願いします。
とりあえず、本当におめでとうございました。
はる 1758
「ウェブ進化論」読み終わった。やっぱりよく分からんかった。だからこれからどうなって行くのか、そんなことを知りたかったのだけどね。まぁ絵描きの私がそれを知ったところでなんてことないわけだけれどね。
私が学生だったころ、まだ電卓はなく、今のノートパソコンくらいの卓上電気計算機が、小さな豆球ランプをぼんやりとともしていたことを思い出した。計算機といっても我々が相手に出来るものはそんなものだった。
確かに最初にパソコン(個人のコンピュータ)がでまわった頃のことを考えると、まぁ世の中変わったものだなという感慨がある。町にはインベーダゲームのようなテレビゲームが氾濫して、ワープロが悪筆の劣等感から開放してくれた。
我々の仕事に関していえば、ブログなんかと同じように全ての人がそれなりの表現者になってくるわけで、それなりの道具(ソフト)を使えば、誰でもがそれなりの絵が描けるようになる訳だ。
勿論それはわるいことではない。また、それで埋もれてしまうようならば、それまでのものだったのだろう。情報淘汰とか書かれていたけれど、これだけの数がこのウェブ上にあるわけだから、面白くない、意味のない情報は自然淘汰されるのだろう。
面白くない?
何かまとまらない文章だな。
ブログの画像容量が1000MBになっていた。これは凄い。今までが20MBだったのに比べると、一気に50倍になったことになる。かなりの画像をストックしてもびくともしないだろう。元々ネット上の画像はサイズが小さいほど速くてよかったのだけれど、今じゃ光だからほとんど関係ないね。
というわけで、画像をどうやって載せるのかいろいろやってみているところ。そのままだとどうしても画像が小さいまま載ってしまう。クリックすれば大きくなるから、まぁそれでも普通はいいのだけれど、出来たらでかい絵をバーンと載せたかった。
色々試行錯誤してみて、簡単なタグを使ったりしたのだけれど、やっぱり面倒だね。で、超簡単な方法を見つけた。
このスケッチはHPのイタリア滞在記の24に載せてあるもので、かなり大きなサイズです。個人的に楽しむ分には自由に使ってください。んじゃまた。
テスト1・こでまり
はる 1755
新刊「ウェブ進化論」を読んだけれど、今ひとつぴんと来なかった。まだ全部読んだわけではないけれどね。だから何なんだ?どうなるのだ?という疑問は残る。
分かりやすい例えで「単純計算で国民の全ての人から一円集めれば一億円になる」というのだけれど、まぁ子供の頃に考えたことはあったな。
このウェブ上の商売というのは案外それに近いかな・・と思う。今はやりのネット広告ーアフェイトなんかも利率は小さいけれど、ワンクリック幾らというカウントの仕方をする。不特定多数の人に見てもらってカウントがのびれば、また実際に購入する人がいればさらに収入が増えるというようなやり方のように思う。
実際にどの程度商売として成り立っているのか、成功したと言う人の話を読んでもなぜか胡散臭い。それにそういったサイトは品がない、たぶんそんなに甘くはないだろう。
ブログの天下だ。昔のようなHPを運営しているひとは極少数になってきてるだろうな。つい最近驚いたのだけれど、今無料で借りているアメーバブログの画像容量が一気に1000MBになっていた。
少し前までは20MBだったはずだ。私が借りているHPの有料レンタルサーバーの容量が600MBなんだな。なんと一気にぬきさってしまった。で尚且つ広告がつくとはいえ無料だからな、驚きだ。
これだけの容量があればどんどん画像も載せられるだろう。
HPの管理をしていても毎日更新するのはこの日記の部分だけだ。それ以外はほとんど資料のストックをしておく、個人的な美術館の資料室に近いものだ。興味のある人意外はほとんど訪れる人もいないだろうな。まぁそれでもいいかなと思っている。
ブログのことについてはまた今度の機会に書きたい。
はる 1754
昨日慈雲寺の桜を見に出かけた。桜の名所は神代桜を筆頭に、いくらか出かけたけれど、一本の桜でこれほど見事な桜は観たことがない。
もう15年ほど前になるのかな、初めて出かけた時はほとんど地元の人しか知られていなくて、迷いながらお寺を探してやっとたどり着いた。雨が降っていたということもあってひっそりと咲きほこっていた姿は、なんとも表現の仕様がない。怖いようだというのがぴったりかな。
今年は後ニ三日です。 もし機会があったら、是非とも一度ご覧になられることをすすめます。今までの桜のイメージを根底から変えるでしょう。
はる 1752
「車をのりかえる」のかえる、どの漢字が正しいのか少しまよった。パソコンには便利な機能がついていて辞書としてもつかる。今とりあえず三種類考えられる。
1.AをやめてBに替える。
2.AとBを取り換える。
3.AのかわりにBに代える。
私の場合どれが正しいのだろう。
1.は何となく冷たい感じがする。積極的にAをやめた、嫌になったから乗りかえる・・といった感じがある。
2.にはそういった感じはない。ないけれど全く事務的にAをBと取りかえた、それだけよというかんじかな。
3.心情的にはこれに一番近いかな。まだAにも未練はある。かわいい奴だ、けれどもうそろそろ寿命だ。だから仕方なく乗りかえるのだ・・。
漢字検定すればたぶんどれかが正解なんだろうけれど、だから日本語は微妙でおもしろい。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館