2006・仮面「ペルソナ1」 紙・土・顔料
はる 1715
オリンピックの閉会式のビデオを見る。つまらないところはとばしながら観ることができるので、案外こういった見方は正解かもしれない。
うん、まぁ今回のオリンピックはある意味日本は低調だった。取れてもいいメダルを、後少しのところで逃してしまったというのが、いくつもあった。
けれど、と私は思う。確かに国の威信をかけて、とか何が何でもといったガチガチの愛国心を持ち出すのは違うよな・・と思うのだ。
例えば一昔前の社会主義の国であるとか、メダルを持ち帰ると膨大な賞金がもらえるとか、将来が保証されているとか、というのは動機として物凄く強いけれど、なんというのだろう、ハングリーであることでしかお前は走れないのか?という気がするのだな。
キレイ事かもしれないけれど、お金のためでもなく、まして国や家族のためでもない、純粋に自分のプライドのために、より高く、より美しく舞っていた、彼らや彼女たちをウイ奴だなと思うのだ。
まぁ結果的にメダルは取れなかったけれど、そういった意味で、日本人も一つ大人になったかなと思う。んじゃ。
はる 1713
かなり快復しました。今日は午後からグループ展の会場へ行く。まだ洟垂れ小僧です。
すんませんまた明日。
はる 1709
ばくちがなぜいけないのか。これを論理的に説明できるやつはいるのかなぁ?
勧善懲悪の芝居や物語では悪人は大体が悪徳商人か金貸しや渡世人と相場が決まっている。まぁ銀行にしても、ていのいい金貸しでね、あの慇懃無礼な態度をみるといつも腹がたつのだけれど、社会の通例では銀行はきれいな仕事ということになっている。
宝くじやトトカルチョはどこの世界でも古今東西盛んでね、江戸時代の話で富くじの古典落語があったな。濡れ手にあわの一獲千金の夢は貧しい庶民の夢でもあったわけだ。
額に汗して働く農耕民族の血が、そういったあぶく銭をよこしまな銭としたのかもしれない。
博徒というのは「まれびと」だったのかもしれないな。定住しない、香具師やテキヤ、山師、踊り子、そういった流れ者だったのだろうか。今を面白おかしく生きているそういった集団を、定住者は秩序を乱すものとして嫌ったのかもしれない。またそうしないと勤勉に働くものが馬鹿をみるということになってしまうからからかな。
そういや「あそびにん」と「あそびべ」と似てるではないか。
何だか、何時の間にか擁護してるな。どないなってんねん!
19世紀末パリ・共同アトリエ「洗濯船」
はる 1708
一日雨でした。最近展覧会が続いて、ほとんど家にいません。何だか忙しく活動しています。絵描きとしては良くありませんな。問題意識が途切れてしまった。
100号と130号2点同時進行で地塗りをしているところ。この作品は、今年の年末から来年にかけて発表する予定の作品です。だから何となく切実感にかけるし、切羽詰ってもいない。いいのか悪いのか、私は一年くらい前に準備を始める。だから個展前には完全に終わってしまっているんだな。
反対に昨年はほとんど直前まで仕事が終わっていなくて焦りまくった。人には自分の持ち時間というのがあるような気がする。
閑話休題
仕事をやめて今流行りのトレーダーで食べている同級生がいる。午前中の何時間かをパソコンの前で過ごして日銭をかせぐ。まぁ大もうけをたくらまなければ、そこそこ食べて行くぐらいは十分に稼げるそうだ。
世界中の経済が日々変化して、あらゆる情報をまぁ数学的に研究していないと、こういった仕事はできないそうだ。世界中が連動して動いているからなぁ。そうやって熱弁をふるってそれなりに納得はしたのだけれど・・。今ひとつ頑張れよとはいえないんだな。何がひっかかっているのだろう。
相場師や投資家や金貸しなど「金が金を生む」仕事というのは昔からある。資本主義経済というのは一握りの資本家と大多数の労働者から成り立っているといわれれば、事実そうなんだ。
資本家がこれだと思うベンチャー起業に投資する。まぁそれで外れることも有るけれど,当たれば大もうけするわけだ。そうやってアメリカのベンチャー企業は大きくなってきたんだな。それが悪いとは言えないのだけれどねぇ、なぜか釈然としないのだ。
プロの博打打ちがいるとする。なぜばくちで食べちゃいけないのかな。なぜマネーゲームで稼いじゃいけないのかな。分からんな。ホリエモンが何故あんなにバッシングされるのか、法に触れなきゃいいのかな。これもわからん。また考えてみたい。んじゃ。
集団アトリエ「洗濯船」について名前の由来の質問がありました。うきうきしてお答えしましょう。
実はこれオリジナルではなくて、元ネタがあります。元々は「若草荘」というれっきとしたダサい名前があるのですが、もっぱら私は陰で「洗濯船」と呼ぶのです。
さて、それは以下の理由です。無断転載すんません。
パリの秘密 鹿島茂 「洗濯船の興亡」
ルノワールをはじめとして、若き日のピカソ、ブラック、アポリネール、マックス・ジャコブなど、モンマルトルの画家や詩人が家賃の安さにひかれて住みついた老朽アパート「バトー・ラヴォワール(洗濯船)」は、その後、住人たちがみな有名になったので、モンマルトル黄金時代の象徴ともなったが、なぜ、このアパートがこう呼ばれるに至ったかを知る人は少ない。
バトー・ラヴォワールは、敷地に段差があったため、ラヴィニャン通りには二階部分が建ち、残りの三階部分はガロー通りに面するというように、変則的な建て方を余儀なくされていた。
詩人のマックス・ジャコブは、積み木の箱のようなこのバラック建築を見て、セーヌ川に浮かぶ洗濯船を思い浮かべたのである。
では、洗濯船とはいかなるものだったのか? それは、文字通り、セーヌの土手に係留された屋根つき平底船で、船縁に沿って洗濯台とベンチがずらりと並べられ、小柱で区画に区切られていた。
自宅から汚れ物をかついできた女たちは船主にいくばくかの金を払って区画を借り切ると、そこで汚れ物をセーヌの水に浸け、布地に灰をふりかけてから、これを棒でバンバンとたたくのである。同じセーヌの土手でも、日当たりがいい右岸に洗濯船は集中していた。
パリに初めて洗濯船が登場したのは十五世紀の終わり頃である。それ以前には、パリ市民はセーヌの土手で直接、洗濯を行っていた。しかし、市立病院の排水で衛生状態がよくないところでも作業を始める者が後をたたなかったので、パリ市当局は、この新発明が登場すると、洗濯場の局地化が可能になると歓迎した。
民衆たちも、雨風にさらされずに洗濯ができると喜んだ。 こうした人気を反映してか、洗濯船はパリ市の人口増加とともに増え続け、十八世紀の末には八十隻の洗濯船がセーヌの土手を埋め尽くすことになった。
そして、そうなると競争原理が働いて、洗濯船にも改良が加えられ、二階建てのタイプも登場する。二階には乾燥用の広い部屋がもうけられ、女たちは洗い上げたばかりのシーツや下着をここで干すことができたのである。
たしかに、写真に記録された二階建てタイプの洗濯船を眺めていると、船というよりも、ある種のバラック建築を連想しなくもない。事実、洗濯船が全盛を極めた十九世紀の末にノートル=ダム橋とアルコル橋の間に登場したアルシュ・マリオン号は十二隻の平底船を連結して二百㍍もの長さに達する堂々たる「大建築」だった。 しかし、二十世紀に入って、家庭用の上下水道が完備するようになると、不潔なセーヌの水を使う洗濯船の人気は急速に衰えていく。
ナチス占領下の一九四二年、最後の洗濯船が廃船となり、パリ名物がまた一つ姿を消した。ちなみに、モンマルトルのバトー・ラヴォワールも一九七〇年に火事で焼失、現在、国際芸術家コロニーとして使われているのは一九七八年に再建された建物である。
-----東京新聞 2004年5月6日より
集団アトリエ、「洗濯船」・・若草荘
はる 1705
この週末はバタバタと忙しい。今日は夕方から小さな画廊のグループ展の搬入,飾り付け。明日からオープンです。お近くにお寄りの方は是非どうぞ。
学校を卒業してから25年ぐらい経った。私の学校は地方の何処にでもある教育学部の美術専攻科である。昔は師範学校といって地方のそれなりの名門であったらしいけれど、私が現役だったころは、二期校といって一期校を落ちた学生が全国から集まっていた吹き溜まりのような様相を示していた。
絵を専門に勉強しようなどという学生はほとんどいなく、ほとんどが他に選択する科目が無かったから「美術」と書いたような学生が多かった。
私は二度目の大学でこの学校に来た時にはもう25を過ぎており、四年生の大先輩でも私よりはるか年下であるという奇妙な逆転一年生であった。
なぜこの学校に来たのかということは、入学試験の試問試験でも聞かれたけれど、まぁここの風景や田舎が好きだから・・などと適当に言っていたけれど、大きな理由はもっと他にある。
時間が欲しかった。今で言えばフリーターでまともな仕事にもつかず、学生でもなく絵を描きつづけるというのは、なかなか勇気のいることだ。痛くない腹を探られるようで、何者でもない状態で居つづける事は精神的に強くないと潰れてしまう。これはフリーターでいたことがある人間にしか分からないかもしれないな。
当時暮していたボロアパートは古い学校の校舎を移築したという出窓のある一見洋館風の建物であった。私はこのアパートに一目ぼれした。人様にはただのボロに見えたらしいけれど、私にはアンテークな洋館に見えた。どうしてもこのアパートに住みたかった。一年待ってこのアパートに引越しできた時は嬉しかったな。
やがてこのアパートに美術科の学生が集まってきて集団アトリエ、「洗濯船」の様相を呈してきた。
さて、なぜこんな話を持ち出したかといえば、このグループ展はこのアパートの住人が中心になっているからだ。
さて、お暇な方は是非どうぞ!
はる 1703
今日は暖かでした。このまま一気に春になるのでしょうかね。
どうも、トリノは調子が出ないですな。ひょっとしてメダル0なんてことになるのでしょうか。あれだけの選手団を出して、メダルが0ということになったら・・。まぁ色々な意味で今の日本の実力をあらわしているのでしょうかね。
まぁ選手一人ひとりに国家を背負わせるのは違うかなとはおもうけれど、総体としての国力というのか、勢いというか、やっぱり出てしまうものじゃないかな。これからという国は小さくても勢いがある気がする。
まぁ一昔前の日本人全体から感じる貧しさのオーラーみたいなものが、まったく感じられないし、おしゃれにはなったよな。ああいった大きなな大会になっても笑顔で楽しんでいる雰囲気があるものねぇ。
マイナス思考というのか、だめだったらどうしょう?と言う発想ではなく、楽しんで実力以上のものを出してしまうアメリカ型のプラス思考がかなり浸透してきたようだ。まだぎこちないけれどね。
テレビに大写しになって、とっさにウィンクした男の選手がいたけれど、おしゃれだねぇ。
私個人としては精神統一して顔面蒼白であちらの世界にはいってしまう方がすきだけれど・・。
例えばスピードスケートのようにタイムレースならどちらが明らかに勝ったとか、負けたというのがわかる。本来スポーツというのはそういったものだろう?
あのスケートボードや、モーグルなんていうスポーツは素人が見ていてどちらが勝ったのやら良くわからんぞ。
まぁこれから始まるフィギヤースケートなんかもそうだけれどね。芸術点てなんだ?審査員の主観で決まる評価ってあやふやだなぁ・・。
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まったくのぼやきになってしまった。見苦しいので削除するかもしれません。
はる 1701
どうもトリノオリンピック、出足が悪いようですな。しかしまぁ昔のことを考えると、冬のオリンピックで活躍できる選手が輩出してきただけでも大したものだと思う。
スピードスケートなんか清水選手がでてくるまで、全く歯が立たなかったのだからね。あまり期待しすぎるのも酷かもしれないな。
頑張れニッポン!なんてね。らしくないか。
閑話休題
公募展の話になると、どうすすめていいのか分からなくなる。今、自分も団体に出品する立場だからね。もちろんいいところもいっぱいある。やる気のある若い仲間を知ったこと。画集でしか知りえなかった先生に出会えること、兎に角大きな作品を描く動機になること、などなど。
けれど、基本的に絵は他と競うあうものじゃないというのがあるな。個展でじっくり自分の世界を見せて行く。よくもわるくもそれだけでいいという気がするからだ。
無所属でいくというのもかっこいい選択だと思う、どうだろうか。
さて、また明日はパートタイム。一週間ははやい。ではでは。
はる 1700
切りのいい番号になった。同じ日にダブって更新することはないので、単純に計算しても四年と半年かかる。まだまだ続きます。
今日は一日美術館で暇つぶし。ここのロビーから観る景色は絶景だ。外にはまだ雪が残っている場所もあるけれど、中は空調もきいて暖かだ。ついつい居眠りしてしまう。すんません。
明日、あさってはお休み、展覧会は18日までです。
*山梨美術協会会員展
山梨県立美術館
2/11~2/18 (2/13、14は休館日)
*五色譜展
2/18~3/5
am11:00~pm6:30
ギャラリーシュオン
甲府市山宮町1838-3
055-252-2443
実は、まだ仕事先にいましてね。疲れました。すんません、また明日。
はる 1694
関西風のアクセントの奇妙なおっさんが、とつとつとしゃべっておりました。あぁ恥ずかしや・・。
明日はパートの仕事だな、久しぶりに。
おお、雪が降ってる!奇妙なもんだな、雪が降ってる方が暖かい。んじゃまた。
はる 1693
セザンヌが近代絵画の父と呼ばれるのは、この一文があるからだ。「自然は円筒形と球形と円錐形に還元される」
ありきたりな静物画に飽きてきた頃、セザンヌのこの言葉にであった。まるて天の声かと思うほどストンと私の心の中に落ちた。あの今まで不可解だったピカソが、隣のおじさんぐらい身近に思えた。
しかし、実際にここから抽象絵画にまで行くにはドニの次の言葉の方が適切だと思う。「絵画と称されるものは、本質的に一定の秩序のもとに配された色彩で覆われた平らな面である」
セザンヌの言葉の中には見えないけれどこの言葉が含まれている「セザンヌの塗り残し」もここから来ているのだが、わかるかな。
要するに「絵画とは自分が神のようになってこの世界を再構築すること」と理解した。まぁ今でもその認識は変わっていないところをみると、やっぱりセザンヌは正しかったのだろう。
で、静物画のモチーフをある秩序にしたがって構成してみる。ふとあることに気づく。この画面のを構成している秩序というものは,普遍的なものであって、大きく言えばこの宇宙も支配している秩序とイコールだということだ。
さて、この「秩序」とは何なんだろう?と疑問を持つ。「真理」と言い換えてもいい。東洋哲学でいえば諸行無常、全ては流れて同じ状態と言うものはないということだろうか。はたまた「輪廻転生」形を変えて永遠に生きついで行く何か。
宇宙は何億年前にビッグバンで始まったそうだ。その証拠にその時の微熱がまだこの宇宙全体を覆っていて、絶対零度ではなくて薄ぼんやりと暖かいそうだ。
物が爆発分解して,もうこれ以上小さくならない「安定した状態」というものを想像してみた。自ら光り輝いてこの宇宙の何処をさ迷っている姿を。
昔物理の時間に「エネルギー不変の法則」なるものをならった。動いているものはエネルギーを持っていて、E=mv2(2乗)とあらわされるそうだ。
つづく・・。
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そうそう、明日2/6の午後6:10NHK甲府「美を求めて」をご覧下さい。
はる 1692
元はと言えばセザンヌだ。
「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱い、すべてを遠近法のなかにいれなさい」
モーリス・ドニ
「絵画と称されるものは、―――軍馬とか裸婦とか、あるいは何らかの逸話である以前に―――本質的に一定の秩序のもとに配された色彩で覆われた平らな面である」
ここから始まった。E=mc2(2乗)というアインシュタインの数式をはじめてみた時、結構感動した。
というのは、漠然とではあるけれど、昨日書いたような物質の最後というものを想像していたからだ。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館