ベッドの上の王国
2000 5/8の1
はる 1627
明日から12月になる。
色々とりとめもない雑感。
* この頃の午後の光はなんて綺麗なんだろう。空気が澄んでだんだんと遠くまで見晴らせるようになると、山々がくっきりとその輪郭を見せるようになる。
太陽が山の端にかかるほんのニ三十分のことだけれど、きらきらと輝いてガラスの中を通ったような透明感が、なんとも幸せな気持ちになる。
* ホームページのトップに飛び跳ねている小さな人形さんがいるけれど、これは何ですか?と聞かれた。私のDMの消印のところにもあるのだけれど、何年か前に「さいわいびと」と名づけました。
「・・・びと」という言葉の響きがなんともこころよくて、これはなかなかいいなぁと思っています。ずうずうしく自分のバナーやロゴマークにも使っている。「天使」といってしまうと西欧の宗教や神話になってしまうので、あえて「さいわいびと」と呼んでいる。
* 子供の頃に覚えた讃美歌に「・・シュワキマセリ」なんて歌があった。これなんか落語の「ジュゲムジュゲム」と同じで、とても「主は来ませり」だとは思いつかなかった。語呂がいいというのか、そのフレーズでおぼえてしまっている。
12月になると、どうしてもクリスマスの気分になるなぁ。外は木枯らしが吹いてジンジンに冷え切っている。家の中は赤々と燃えているストーブにシューシュー湯気を上げているのんきなヤカン。
* 今年も大きなもみの木を買った。毎回根付を買って植えなおすのだけれど、最高で3年ぐらいで枯れてしまう。どうしても大きな根を切ってしまってあるので、根付くのは難しいのかもしれない。
そんなところです。また。
ベッドの上の王国
「再生1」 2000 4/25
はる 1625
一日お休みの予定だったけれど、午前中に新しくオープンしたギャラリーに出かける。新しく画廊のためだけにつくった建物というのはなかなか贅沢なものだ。
最近わりと画廊が新しくオープンされることが多い。場所さえあればあまり設備も必要ないから、画廊でもやろうかと考えるのかな。一見綺麗な商売に見えるからな。
画廊を貸しスペースと考えるなら、そう難しくないかもしれない。絵を描く人はそこそこいるし、何よりこれから団塊の世代が退職してブラブラと暇つぶしを始めるからね。需要はあるかもしれない。
けれど、本来の画廊の面白さということになれば、貸し画廊では物足りない。積極的にどんどん企画をうって、自分の好みを全面に打ち出す。それが受けるかどうか、世の中に問う。それも一種のアートだと思う。
けれど,ここが難しい。ここが東京ならそういったやり方も通用するかもしれないけれど、じいさんばあさんが多数を占める僻地だからね。段々にむなしくなる。そうやってやがてお終いになる。そういったパターンを良く見る。
長い目でゆっくりやって欲しいな。
ではでは。
甲府個展報告09
はる 1624
個展8日目最終日
終わりました。今年も多くの人に来ていただきました。ありがとうございました。
遠くは京都、名古屋から夫婦でかけつけてきてくれた古い友達がいる。まぁお互いにいい年になりましたね。ありがとう、また元気であいましょう。
毎年コレクションしてくれる方がいる。ほんとうにありがとうございました。なんとか毎年の自分の姿を晒すことで、何かを感じてもらえれば嬉しいです。そんなことでしか報いることが出来ませんが、これからもよろしくお願いします。
観に来てくれた全ての人に、どうもありがとうございました。まだまだやりまっせ!これからもよろしく。
さて、少し休んで、東京展の準備にかかります。
ではでは。
甲府個展報告06
はる 1621
今日は一日お休み。朝寝坊してゆっくりしました。
午後から市内のギャラリーまわり。ギャラリー・イノセントで開催中の加島査さんの個展を観に出かける。イタリアやスペインの旅からイメージされた風景や人物が面白い。私と違うのは彼の作風はしっかりした造形の原理から作られていて、観るものに快い安心感を与える。
ああいった造形的にしっかりした作品を観た後では、何となく自分の作品があやふやで、いいかげんなものに見えてくる。たゆまぬ努力がああいったいい作品群をつくるのだろうな。是非とも観てもらいたい。
というわけで市内に出たついでに自分の個展会場にまわってみることにした。会場に着いて自分の作品をもう一度ゆっくりと見直す。配置換えをしたりして、小一時間を過ごす。まぁ今の私にはこのくらいかな。
明日から後半です。まだの方はぜひきて来てください。
甲府個展報告05
はる 1620
個展5日目
今日は勤労感謝の日というわけで、たくさんの人を期待していたのだけれど、意外やこういった日は入りが少ない。
朝から天気が良くて、こんな行楽日和にワザワザ暗い画廊まで絵を見に行くという気になれない。もっと楽しいことが、一杯あるものね。
そうそう、昨日質問されたこと。絵描きでなければ何になっていたか?
絵描きという職業?を私は選んでなったのだろうか、そこのところがあいまいだ。はたして私は絵描きを仕事として食べているのかということもあいまいだ。
何かに書いてあったけれど、正業(かたぎの仕事)について日々ちゃんとやってゆけるならその方がいい。美大や芸大を出たからといって絵描きや小説家になれるわけでもない。
そんなものは人生のほんの一時のきっかけにすぎないわけで、ちゃんと正業についてまっとうに生きて行けるなら、そうやって生きて行くべきだ。
どうしてもそうやって生きて行けない、あまりにも破天荒で日と迷惑であるとか、反対にあまりにもナイーブで傷つきやすいとか、純粋すぎて他と交われないとか、そんな正業について生きて行けないひとが、芸術家などというまやかしの詐欺まがいの生き方をするのではないだろうか。
こういってしまうと見も蓋もないかな。
明日はお休みです。間違って来ないようにね。
ではでは。
2005 11/19 甲府個展報告03
はる 1618
個展3日目
11時に行くともうすでに何組か待っていた。月曜日は毎年お客さんも少ないと思っていたのだけれど、今年はそうでもなかったな。ありがたい話です。
今年4月に描いた130号「おおいなるもの」は毎日観ていると飽きてくる。出来そのものはそう悪くはないと思うのだけれど、何だろう説明くさいというのか、まだよく練られていないというのか、感情がナマすぎるというのだろうか、要するに浅い。
判断の基準は「これを描くために,絵をやってきた」とおもえるかどうか。
たった半年前の作品だけれど、もうすでにボロが見える。描いた当時は自分にとって最高の傑作だと思っていたのになぁ。
上手く描こう、うまく見せようという魂胆が見え隠れしている。へたくそなんだからそのままでいいのだけれど、どこかに上手いねぇと思われたいのかもしれないな。
もっと楽にやりたいな。素のままでいられたらいいのだけれど。
明日は、午後3時過ぎにしか顔を出せません。私に会いたい人はその頃にどうぞ。もちろん絵はそのまま展示されていますから観る事はできますよ。
では又明日。
ベッドの上の王国
「再生1」 2000 4/17の1
はる 1615
昼から飾り付け。デジカメを忘れたので様子を撮ることができなかった。また明日にで撮っておきましょう。自分でいうのもおかしいけれど、なかなかいい出来だと思う。
明日からです、是非みなさん都合をつけて来てみてください。
尚、明日は下山君のギター・ライブです。まだ余裕がありますよ。是非どうぞ。
個展中もできるだけ更新するつもりですが、滞るかもしれません。あしからず。
ではでは。
榎並和春個展
~いろはにほへと~
2005 11/19(土)~11/27(日)
11/24(木)休廊
甲府・ハーパーズ・ミル
400-0808 甲府市東光寺町1346
電話055-233-3157
11/19(土)7:00オープニングコンサート
下山亮平アコースティックギター・ライブ
ベッドの上の王国
「いつもの春」 2000 4/16の2
はる 1614
明日はいよいよ搬入、飾り付けだ。もう何十回ともなくやっていることだけれど、やっぱりやや緊張する。個展は開いてみないとわからない。
この間、例の村松さんのメールマガジンに書かれていたことだけれど、ネット時代の作家のありかたは随分変わってくるだろうなんて書かれていた。
これもまた、自分なりにアレンジして話を進めてゆく。
マスコミにのってミリオンセラーを発表する作家はこれからも当然いるだろう。しかし、多くの作家はもっとネットで個人的なつながりをもったミニコミ的な作家が多くなるのじゃないか。
地方の文芸誌や同人誌なんかのようにネットを使って、数はすくないけれどもっと広い範囲のコアなファンをもった同人誌のようになってゆくのではないか。
作家はマスコミを通さず、ネットなどによって自分のファンを自分で開拓していって、「自前の読者」を増やすことでたってゆくようになるのではないか。
というようなことが書かれていた。
まぁ文学者と絵描きとはかなり立場が違うので同列ではかたれないけれど、表現者ということでは同じ位置に立っている。
例えば、これを読む人は隣に住む人より私のことを良く知っている。何を考えどう表現しようとしているのか、同じ目線で考え、喜び、共感できるわけで、それがこれからの作家の生き方かなと思う。
どうだろう。
では又明日。
ベッドの上の王国
「はないちもんめ」 2000 5/16の1
はる 1613
新聞なんかを読んでいるときに、ああ、これは面白い今日はこのことを書こうと思って,そのときははっきり頭の中に残ってはいるのだけれど、夜になってここを開いたときにはまったく忘れてしまっている。かす頭だ。
この間「ほぼにち」のいといさんのコラムを読んでいたら、「大切なもの」という話が書いてあった。
ちょっとアレンジされているかもしれませんが私なりに話を進めます。
日常生活というものは普段何気なく過ごしてはいるのだけれど、その積み重ねが突き詰めていけばその人の一生ということになる。
たとえば、コンビニ。これさえあればほとんどの用は足せる。現に若い独身者などはコンビニのおにぎりと弁当だけで一週間すごしている人も多いのではないだろうか。
確かにこの現代版の万屋は名前どおり「便利や」だ。それでいいといえばそれでいいのかもしれない。暮らせているののなら。
お手軽である、便利であるという選択を常にしてゆくとするならば、結局その積み重ねである人生そのものも「お手軽で、便利」なだけの人生にならないだろうかね。
「お手軽で、便利」という選択の向こうには「大切な、これだけは」という選択は見えてこない。そんな気がする。
ではまた明日。
ベットの上の王国
「孤島の王」 2000 4/15の3
はる 1611
映画「三丁目の夕日」を観た。ご存知の方も多いとおもうのですが、原作は西岸良平の一作読みきりの漫画だ。
エンターテナーのハリウッド映画や、おしゃれなフランス映画と比べると、とてもじゃないがお金のかけ方も作りも太刀打ちできないものがあるのだけれど、何だろうな、観た後に残るこのほのぼのとした暖かさは。
最近韓国の映画が凄い勢いで伸びている。むかし「八月のクリスマス」が凄いよ、とか「シュリ」で泣かされたよとか言っていたのが嘘のようだ。
韓国映画の凄いところは、映画の面白さとか泣かせどころ,人が何故わざわざ映画館に足を運ぶのかみたいなことをちゃんと考えてツボを外さないとういった映画作りをしている。そこを上手くおさえないと、どんなにいい映画をつくっても人は映画館に来てはくれない。
で、この「三丁目・・」は図らずもそのツボをうまくおさえてあるという印象をもった。筋やつくりなどほんまか?と思うほどちんけなストーリーなんだけれど、それがうまくツボにはまって泣かされる。
小津安二郎の映画なんかもそうだけれど、極普通の日常生活を描いてしみじみ泣かせる。まぁあれは本当にその時代が撮らせたえいがだということができるだろうけれど、そのせんをねらって我々の懐古趣味にうまくはまって楽しい映画になった。
おまけで☆☆☆☆★かな。ではまた。
ベットの上の王国
「天使の門」 2000 4/15の1
2000年の4/12から約一ヶ月間、生涯で始めての入院生活を経験した。治療は胃の全摘出。色々あってこの四月に一応安全といわれる五年間が過ぎました。ここでの生活は今まで以上に「いま、このとき」を大切にしなければという思いにかられた。
このネット日記の最初は掲示板につづったものだったけれど、退院して何気なく日常が過ぎてしまうことにあ然とした。まぁ無駄かもしれないけれど、こうやって日々を記録しておくことも何かのたしになるのではないかと思って始めたものです。
この「ベットの上の王国」はその時に、ベットの上で落書きしたものです。人様に見せられるようなものでもないのですが、「悲しい人にしか見えない」何かが描かれているようにおもいます。一度ブログで発表したものですが、もう一度載せることにしました。
はる 1610
今日はいい天気だった。秋空のこういった天気のいい日曜日というのは、何となく幸せを感じる。小市民だな。
一日かかって額装を済ませる。絵というのは裸で見る場合と、ちゃんと額装された時とでは全く違う表情をみせる。はったりかもしれないけれど、馬子にも衣装、精一杯おしゃれして自分を売り込んでいるようだ。
額そうして、ひっくり返して見る瞬間が好きだ。どんなにおお化けしているのか、反対に悪くなる場合もあるわけで、そこのところが難しい。
さて、オープニングのパーティをどうするか、思案する。パーティなんてガラでもないけれど、地元の個展は一年に一回のお祭りみたいなものだ。下山君のコンサートを始めたのも、お祭り気分を盛り上げるためといえば、怒られるか。
人生はそう長くない。個展も何回できるかわからないわけで、やれる時は精一杯楽しみたい。楽しんでもらいたい。
さぁ、いくでぇ~!
ということで、又明日。
ルソー「眠るジプシー女」
はる 1609
アトリエが額の山でなんとも仕方がない。
今年はいつもと少し違う額を注文した。まぁ最近わりに見かけることが多いのだけれど、全体の雰囲気は昔の昆虫の標本箱のような感じかな。
これは普通生地(木のナマの色)なんだけれど、セピアに塗装してもらうことにした。根来塗りという仕事で、下地を何回も処理して上から塗った塗装をふき取る。そういった工程を繰り返したようなしっくりした技法だ。
日本の額は概して塗装はもちろん、つくりも繊細で、それ自身が工芸品のように美しい。最近は色んな格安の外国産の額が出回っているけれど、やはり日本の仕事がいいなんて思っていた。
ところが、注文してこれが一ヶ月以上かかるので、あまりにも時間がかかりすぎるので不思議に思っていたのだけれど、なぜかその疑問がとけた。
日本の会社だけれど、例によって仕事は外国の安い労働力をつかって海外で生産しているとことだ。日本の指導者が海外の職人を教育して使っていると言うことだな。
ここでも技術は海外に流失してしまっているわけだ。後何年かたてば、あらゆる手仕事は日本じゃできなくなるだろうな。
われわれは何処へ行こうとしているのだろうか?
では又明日。
甲府展DM
はる 1608ジョット「鳥に説教」
はる 1607
個展についての取材を受ける。まぁ記事になって載るというだけでもありがたいのだけれど、なんとなく不満が残る。
電話取材というのはいつも難しいなぁと思う。もう何年もこういったコンセプトで発表してきているにも関わらず、いざ取材を受けて答える時になると上手く答えられない自分がいる。情けないなぁ・・。
それからもう一つは、取材する側に何となく載っけてやるのだから・・という姿勢が見えると興ざめしてしまう。相手はそんなつもりは毛頭ないのかもしれないけれど、何となくある種のマスコミの特権意識みたいなものを感じてしまうのは、私だけなのかね。
案外地方の弱小新聞の方が取材に「愛を感じる」のだけれど、これも田舎もんのひがみ根性かね。気をつけないと、卑しさが言葉に出てしまう。
ではでは又明日。
はる 1605
「名画の条件は?」と聞かれてどう答えるのか。まぁそれがわかれば苦労はしないか。
何でもそうだけれど、今ある自分の度量でしか物は見えないのだから、小学生にとってとか、中学生にとってとか、男にとって、女にとってなど、条件をしぼる必要があるかな。
まぁ良くわかりません。
今回の絵に、笛を吹く道化が初めて出てきた。今までも楽器は好きでよく描いたけれど、笛をふく人はなかった気がする。どこからそんなイメージが出てきたのだろうか?
もっとも学生の頃、一度だけ笛を吹く女の人にモデルになってもらったことがあった。そんなことはとっくの昔に忘れてしまっていた。それがここで思い出されたとは思えない。
笛を吹く少女の絵といえば、アンリー・ルソーの「蛇使いの女」がある。まぁヘタウマの元祖のような絵描きだ。絵を始めた頃はこのヘタサかげんにうんざりしたけれど、最近はますますヘタに近づいてきて、許容範囲内に入ってきた。しかしこれでもない。
今思い出したのが漫画「陰陽師」のワンシーン。確かなことは忘れたけれど、安部清明の友達で楽器の名手・源博雅が、夜、笛を吹くとあまりにも悲しくて鬼が泣いた、そんなところがあった気がする。
そんなところかな。又明日。
蔵出し「名画とは 1」
はる 1036
絵は鏡だ。そこには自分の心が映っている。というのであれば、音楽も一緒かもしれない。いいと思ったのはそこに何かを聴いたのだろう。
昨日久しぶりにTVを観た。昨年の浜松のピアノコンクールのドキメントで世界中から多くの若者が、このコンクールを目指してやって来ていた。多くのことは良く知らないのだけれど、こういった国際コンクールが日本の小さな地方都市で開かれることはあまり聞いたことがない。西欧のクラッシクの伝統そのものが150年ほどしかないわけだから無理もないのだけれど、だからこそ息の長いスタンスが必要だろうな。
最近は色んな国際コンクールで日本人や韓国人などのアジア系の若者が上位の賞を取る事が多い。今回も留学先からこのコンクールのために帰国していたけれど、やっぱり基本的には経済的に余裕がなければ続けられない仕事?だろうな。
天才的なジャズピアニストのバドパウエルのレコードを聞いていると、かすかに唄っている声が聞こえる。ジャズなんかでよく言われるのが唄えないフレーズは演奏できないということだ。本当かどうかしらないけれど、クラッシクといっても究極的には人の歌なのだから、その国の歌が唄えない人間には本当の所は分からない気がしていた。
クラッシクの演奏家がどれだけその曲を理解して自分の表現までに持っていくか、というようなことをやっていたけれど、なるほどそうやって考えれば新しい解釈はいくらでもできるわけだ。まぁ東洋人である我々が感じる新しい歌であってもいいと最近は思う。
名画(名曲)とは、それぞれ見た人に合わせて楽しませてくれるもの。
蔵出し「ピカソを語ろう 12」
はる 146
昨日スペインの「マリア信仰」の祭りのはなしをやっていた。実際のところどうなのかわからないけれど、確かにいえることはまだしっかりと「信仰」というものがベースにあって、たとえ観光化したとしても「自分たちの祭り」という意識は強く感じられた。
例えばピカソは闘牛の絵を多くかきのこした。それは彼の血の中にスペインの風土(闘牛師の血)が熱くあったからで、観光としての祭りとは違うものだ。
日本の祭りはただの「観光まつり」であったり、お上のやる「やらせまつり」だったり「商売としてのまつり」というイメージが強い。こういったお仕着せのお祭りはたぶん段々に無くなってしまうのではないかと危惧している。「祭」は本来は神にものを「まつる」からきている。神々がいなくなった以上、形だけ「まつり」を真似しても遅かれ早かれ意味のないバカ騒ぎで終わってしまうだろう。
スペインのその祭りの話で印象に残ったのは、そのマリア像に捧げる哀悼の歌で、その街の酒屋の親父さんが唄うのだけれど、これがなかなか凄い。信仰に裏打ちされているとはいえ、多くの人がその歌を聴いて涙を流すのだから。誰に教わったのかという質問に「この歌は教えられるものではないし、教わったこともない。自分の感じたことをいかに人に伝えるか、そのことだけを考えている」と答えていた。すごい!
蔵出し「ピカソを語ろう 11」
はる 1252
少しうたた寝して、今また復活、パソに向かっている。絵描き志望の若い人が尋ねて「絵はどういった人が買ってて行くのですか?」という質問を受ける。どう答えればいいのだろうか。
毎年この時期に個展を開催してもう何年になるだろうか。絵を描いて生きて行けたらなぁ、というほのかな願望は持っていたけれど、実際に絵を描いて生きて行けるとは思っていなかった。
例えばどこそこのデパートなどにある綺麗な花や風景を描いて売ってゆくというのであれば(無論それも絵描きの仕事ではあるが)それも可能だろう。けれどそういった職業画家にはなりたくはなかった。まったくもって生意気なことに、絵は売りたいけれど、売り絵は描きたくないという青臭いジレンマを抱えている。
97年からテーマを掲げて個展を開催するようになった。この時のテーマは「こころのかたち」、まぁどうとでも考えられるようなテーマだけれど、ここらあたりから意識的に自分のこころに浮かぶイメージを描くようになった。それまでは一応取材デッサンして絵を描くというような仕事をしていた。自分なりの絵描きの一歩をふみ始めたように思う。
若い時にしか描けないものというものがある。それはたぶん多くの人に共通する「青い時」なんだろう。多くの天才は駆け抜けるように其の時を記録した。あのピカソでさえ「青い時」があった。けれど表現がもしそれだけであるなら、人の人生の後半はまったくつまらないものということになる。
今私が描きたいのは、今まで私が経験した様々なことすべてから出てきたことなんだ。こうやって人生を乗っけて語れるのはやはりそれなりの経験をしてきたからだろう。これから迎える「老い」というテーマもなかなか重たい。
表現者という仕事の面白さが最近分かってきた。雪だるまのように年とともに段々に転がって膨らんでゆくものなんだ。これからもたぶん死ぬまで続いてゆくのだろう。
「どういった人が買って行くのか?」という質問に直接に答えてはいない。絵だけ買ってもらっているとは考えていない。私の生き方を応援してもらっていると答えた方がいいかな。どうだろうか。
はる 1602
少しましな方向になっては来たようだけれど、大きな絵はやっぱり難しい。人の絵は色々言えるけれど、自分の絵はわからない。
ところで、こういったブログののランキングというのがその手の人達によってボロボロにやられているな。スパムメールなんかと同じようなものかもしれないけれど、ルールみたいなものがあるようで全くないのがネットの怖いところですな。
特にここはランキングトップに賞金を出すというのが売りだから、いろんな手を使って有象無象が集まってくるのは仕方ないことかもしれない。ルールをつくればそれをふまえて、すり抜ける手法を考えるので、まぁ並みの頭脳ではないとはおもうけれど、何かなすっきりしないものを感じるな。
例えばこのアート部門のトップはしっかり「不正で賞金ゲット」とうたっているわけだから、まったくお話にならない。何のためのランキングなんでしょうね。子供の遊びに賞金稼ぎが出てきちゃしゃれになりませんな。
ではでは。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館