あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

また、また明日。 - 2005.08.30(日記)
はる 1535
 久しぶりにパートタイムで働いた。疲れたなぁ。

 ということで、何もかけません。また明日。



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また明日。 - 2005.08.29(日記)
はる 1534
 今日はこれから若いお客さんが来ます。ですから更新はこれだけかもしれません。

 あしからず。また明日。


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諸悪の根源 - 2005.08.28(日記)
はる 1533
 トップが重くてなかなか開かなかった。ウイルスに感染したのかと思ってスキャンをかけたり色々やってみたけれど、改善されなかった。

 思えば二三日前からそんな状態が続いていたようだった。

 ホームページのトップはそのサイトの顔である。兎に角、初めて訪ねてくれる人もいるわけだから、一瞬にそのサイトの全容がわかるような表紙が望ましい。それで興味を持ってくれたら、しめたもので、後はどんなに重たくてもじっと我慢でひらいてくれるだろう。

 看板であるトップページが重くて開かないのはホームページとして最低だな。どんなに素晴らしい内容であっても、だれも観てくれない。

 この際だからトップを作り直そうかと考えた。で一つ一つコピーして移し始めたときにひらめいた。こういった時は本当に頭の中に電球が輝く。チカチカひらめくのだな。

 コンテンツの一つずつ移してはネットでプレビューしてみるのだ。例えば「あそびべのはる」のタイトルを移してはプレビュー。「日々好日」を移してはプレビューと言う具合。

 で、結局分かったことはサイト内検索が諸悪の元凶だったというわけだ。今までは上手く働いていたのだから、しばらく様子を見てみましょう。

 で、今は軽くなりました。お楽しみくださいな。ではまた明日。

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 閑話休題 - 2005.08.27(日記)
はる 1532
 トップの表示が遅くなった。待ちきれずに通り過ぎてしまう人もいるかもしれないな。理由がわからない、少し待っていると表示されるようだけれど、私だけかな?分かりません。

 昨日は午前様でした。ネットで知り合いになった京都の画家、今尾さんの個展や二三の用事が重なったため、お江戸に行ってきました。深いブルーを基調に涼しげな絵が並んでいます。30日までですので、銀座に用事のある方は是非お出かけください。

 閑話休題

 例えばものの表示なんかでも「駅から3分」とか「新宿から急行で1時間半の別荘地」なんて書かれることが多い。この場合駅から徒歩で三分の意味で、まさかバイクで三分だったなんてことはないでしょう。

 距離を時間で表す典型的なパターンですね。三次元の空間の表し方も結局同じようなもので、たぶん間違っていないように思う。ここからは私の空想、想像が入るので、でたらめです。

 徒歩で三分と言えば、大体その距離は想像できます。歩幅が多少違う程度で、それほど大きな違いはないでしょう。ただしこれの前提には「時間は誰でも同じように一定に刻まれている」ということがある。一秒はどこで計っても一秒のはずだ。

 ところが我々には実感として体験できないけれど、時間は伸び縮しているのではないだろうか。

 ちょいと想像してみると面白い。一秒が一分になって一時間に伸びて、さらに一日になって一年になった。もっと伸びて伸びて永遠に伸びきったとしたら、時間は進まない。止まったままだ。

 限りなく遠い星が光速で遠ざかっているということは、「あ~」といった声が「あ~~~~~」と伸びきった状態ではないだろうかね。ということは時間は止まっている。要するに我々は永久に宇宙の端っこには行けないのだな。時間がとまっちゃっているんだも行きようがない。

 反対に今度は縮まって行くことを想像してみよう。一年が一日になって一時間になって一分になって一秒になって、限りなく小さく0に近づいてゆく。一点に全てのことがギュ~と凝縮されると、一瞬が永遠になる。実際の話、この世界は一瞬の出来事だったのかもしれないよ。我々には感知できないけれどね。

 で最初に戻って、アインシュタインさんは空間はゆがんでいるといったとか、で実際に実験でそれが確かめられたと言う話。空間がゆがむと言うことはまぁ時間が伸び縮みすると言うことが確かめられたということでね。

 で結局宇宙というのは時間軸をもってくれば閉じられた有限の空間というのか、世界だということだ。この世界は実際はゴミ粒ぐらいの大きさで、本当は一瞬の出来事なのかもしれない。



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台風がやってきているらしい。 - 2005.08.25(日記)
はる 1530
 久しぶりに雨らしい雨が降っている。台風がやってきているらしい。夕方近くの川を見たら、けっこう水かさが増えていた。この川はね、昔はいわずと知れた暴れ川でね、治水工事に為政者が一番頭を使ったものらしい。

 最近はそういった技術も進んでいるから、氾濫したということは聞かないけれど、以前もう少し下流の知り合いの家に行った時に、家の土間を入ったところの天井に小船がくくり付けられているのをみて、今は大人しいこの川の昔を知った。

 ありふれているけれど、こういった自然の猛威の中じゃ、じっとして通り過ぎてゆくのを待つしかない。

 ではまた明日。


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宇宙の話・2 - 2005.08.24(日記)
はる 1529
 きのうの続きみたいなもの。興味のない方はとばして下さい。

 宇宙が有限か無限かという話は、我々の様な三次元的な考え方の中では無意味で、あえて言うなら無限でしょう。ただもう少し別な角度からみれば有限ということになると思う。

 分かりやすくするために次元を一つ下げて考えます。例えば我々が住んでる世界が漫画や映画のように平面的な二次元の世界だったとします。ここの住人を仮に春さんとします。

 春さんの世界では立体は認知できません。見えるのは限りなく無限に遠いまっすぐな平面です。この世界でも光はまっすぐにすすみます。宇宙の果てはないように思えます。

 ところがどうでしょう。たとえば平面だと思っていた世界が実際は少しずつ曲がっていて、ちょうど大きな球のようなものだったとしたらどうでしょう。

 春さんはおもいたって世界の果てを探しにゆきます。とするとやがては出発点に戻ってきてしまったということになるのです。無限に見えていた空間が実は有限だったということになります。

 三次元の話に戻ると、我々の住んでいる空間が曲がっているということです。これを言い出したのは例のアインシュタインさんですが、当時はだれもそんなことを信じる人はいませんでした。しかし何年か後に実験でそれを確かめた人が出てきたんですね。

 空間が曲がる。これは実は昨日の話にもつながるのだけれど、この世界に住んでいる人間には感知できないことなんだな。なぜなら二次元の世界の住人が三次元の空間を認知できないと同じ理由からですね。

 四次元の世界から見れば三次元の空間は有限に見えるとおもいます。閉じられた完璧に完結した空間なのではないでしょうか。



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カーニバル(宇宙の話) - 2005.08.23(日記)
詩人と聖人
カーニバル


はる 1527
 どうやら夏も終わりに近づいた感じです。今日はもう秋の空だったな。日中はまだ暑かったけれど。

 水の上に浮かんでいるごみは自然に集まって、それなりの大きさのゴミの塊になってゆく。そしてまたそれなりの大きさのゴミがお互いに引き合って、またまたそうとうのゴミの塊になってゆくのだ。

 これは何の法則なのか正確には知らないのだけれど、素人考えでいえば、万有引力ということになるのかな。簡単に言えば物質というものはお互いに引き合っているということだろうか。

 話を大きくして、たとえば太陽系の宇宙が出来上がってゆく過程を何かで読んだんだけれど、まぁ宇宙にただようゴミのようなものが、水の上のゴミのように引き合って、次第に大きな塊になってゆくそうだ。その中心がやがて高温、高圧になって火がついて燃え出す。それが太陽になるそうだ。

 太陽の燃える燃料になった物質は、燃えてしまえばそれで終わりか?といえばそうではなくて、新しい物質に変わるだけらしい。ちょうど炭が燃えて熱と二酸化炭素になるのに似ている。

 それでやがて燃えカスが溜まってバランスが崩れる。段々に大きく膨らんでやがて大爆発をおこす。そういった爆発でそこにできた燃えカスをまた宇宙空間に撒き散らすらしい。

 生物というのはそういったゴミの様な集まりから、自然発生的に生まれるものだとおもっていたけれど、ゴミはあくまでもゴミであっていくら待っても生物にはならないらしい。まぁそこで「神の意志」みたいなものが登場するのだけれど、実際のはなしそういった無機物から有機物に至る奇跡的な発生はまだまだ謎に包まれているらしい。

 宇宙空間に人類意外に知的生物が存在するかという話は、たぶんに好奇心を刺激するけれど、いるともいないともはっきりしたことはいえないなぁ。

 ただね、人類が発生してこうやって今を盛りに宇宙に情報発信しているけれど、人類が存在する間に他の知的生物にコンタクトがとれる確率は物凄く少ないと思う。なぜなら宇宙的な時間と生物的な時間とは大きくずれているからだ。


 さて日にちが変わって(はる1528)


きのうの続きのようなもの、理論的ではないのでつじつまがあってないかもしれない、そこのところ適当に読み飛ばしてください。

 宇宙は無限だという。ならばその無限の外はどうなっているのか?というのが素人の考え方だ。その外があれば有限ということで、時間も空間もないから無限なんだろう。

 ビックバン宇宙論なるものが流行って、猫も杓子もみんな分かった様に「宇宙は膨張している」などと言う。風船が膨らむように膨張しているならば、風船の外がわが存在するわけだけれど、宇宙の場合その外側というのが存在しない。三次元的なイメージでは追いつかない。

 ところで膨張しているのであれば、時間を逆回しにすればいつかは宇宙の始まりに遭遇するはずだ。今宇宙に存在する全てのもの、それは空間も時間もあらゆるものが含まれている、たった一つの点に集約されるはずだ。

 グラウンドゼロ=バニシングポイント=消失点これもまた想像することが不可能だ。映画「マトリックス」ではないけれど、実際の話この世界は誰かの頭の中か、高度なコンピュータの中に存在している架空の世界なのかもしれないな。そう考えた方が理解しやすい。

 ところで何故宇宙が膨張しているなどと言い出したのか?といえば、まぁこれも確かなことは何も知らないのだけれど、普通に考えて宇宙の果てはどうなっているのかな?ぐらいは誰でも考える。

 で、地球から観察できる一番遠い星を見ようとしたら、どうやっても波長がね赤みの方向にずれてみえる。救急車のピーポピーポの音とが変わるのとおなじ原理ね。というわけで星はいまでも飛んでいるだ!となったわけだ。それも遠い星ほどよりはやく飛んでるという結果が出た。なんのこっちゃ。

 ここのところがちょっと難しい。今蟻んこが長さ100cmの棒を登っていると仮定する。この蟻は変わっていて必ず一分で残りの半分歩くとする。

 最初の一分では50cm登る。次の一分で25cm。次は12.5cm。歩みは鈍くなるけれど、手抜きはしていない。同じ調子で歩いているのだけれど、半分しか進まないのだ。なぜなら自分の体が半分に変化してしまっているからだ。でも彼自身は全く気付かない。

 半分半分と進んでいけば彼は最後にこの棒を登りきれるだろうか?実は彼は永久に目的地には着かない・・。無限というのはそういうことじゃないかな。

 星の話に戻れば、自分から遠い星ほど速く自分から離れているように見えるということは、充分遠い星はほぼ光速に近くなる。光速の半分のスピードになると体は半分の大きさになる。限りなく光速に近づけばこの蟻君と同じことで、行けども行けども永久に宇宙の端には行き着かないということだ。

 よく分からん。でたらめでした。 また明日。




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我が心の古里・TB - 2005.08.22(日記)

(はる504より転載)

 古里はしだいに寂れてゆく。


 街中にこの街では老舗のデパートがある。そのデパートも最近あぶないという噂を聴いた。まぁなぜ駄目なのか一度中に入って買い物をすればよくわかる。むろん時代も悪いのだけれど、店員さんに元気がない。これじゃやっぱり楽しくないのだ。これは大きなポイントだと思うけれど、関係者諸君どうだろう?
 

 いっとき景気がいい頃はこんな小さな街でもデパートが何軒かあった。しかしこの頃は町中は地盤沈下が激しく、デパートはもちろん大手のスーパーも手を引いてる状態だ。


 明らかに町中には人影も少なく、その分魅力もなくなった。商工会議所もあわててなんだかんだ手をうってはいるようだけれど、後手後手で上手くいってるとは思えない。午後五時を越えたら町中はシャッター通りとなり、商店街は妙な奴らが跋扈する無法地帯と化す。面白いことは面白いのだけれどまともな人間が楽しめないような街は死んだと言うことだ。


 全国どこでもそうなんだといことを聞いた。街は人で成り立っている。人が行って楽しめないようなところは次第にくたびれていくのは目にみえているのだ。
 イタリア滞在記の中にこんな事を書いた。少し関係ありそうなのでここに載せておきます。

「 このアーチをくぐって行くと、小学校前の道につながる。たぶん何百年も変わらないこ の街角の風景は、子供たちの親もそして又その親も見た風景なんだろう。変わらない事は 変わる事より難しい。町のあちこちで修復がなされている。たとえ石造りの建物にしても ほっておけば、やがて崩壊していく。自然なままに見えて、実は精一杯の努力をしている 。


 その根底を成しているものは、本当にいいものはいつまでたってもいいものである、と いう自国の文化に対する絶対の自信と誇りである。それらの事は、そこで生活する人にも 言えて、子供たちと年寄りが広場や公園で同じ場を共有し、お喋りに興じている。老人は 自分の人生に自信と誇りを持ち、若者たちはその姿に将来の自分を見る。
 

町は人がいてそこで生活し、学校や美術館があり、人々が集まるカフェやバー、公園や 広場があってそれらが有機的にバランスよく配置されていて、子供も若者も年寄りも隔て なく楽しく生きていけるのが理想だと思う。十年経ったら全く町が変わってしまった、と いうような大きな理想のない町づくりは、永い目でみればとんでもない無駄 だと思う。古 ぼけた一本のアーチのある通りを見ながら、そんなことを考えた。」



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コクトーの「オルフェ」を観に行く。 - 2005.08.21(日記)
はる 1526
 いやー、めちゃめちゃ暑いでんなぁ。

 午後からコクトーの「オルフェ」を観に行く。昨日の続きで楽しみにしていたのだけれど、うむうむ・・難しい映画だった。

 例えば当時最新のテクニックだったかもしれないフィルムの逆回しなんかにしても、今から観ればまったくの子供だましに感じる。それで気がついたことは、一番新しいテクニックはすぐに古くなるということだな。

 どうもそんな荒ばかりがめだってね、物語に入り込めなかった。期待していた分、つまらなく思えたのかもしれないな。

 

 まぁそういうことでまた明日。




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ジャンコクトーの映画「悲恋」を観る。 - 2005.08.20(日記)
はる 1525
 今日も暑かったね。
 
 午前中は近くの公民館でカルチャー講師。まぁ教えるといっても大人相手なので、細かいことはあまり言わない。学校とは違って生徒もなかなか熱心だ。

 午後から美術館でジャンコクトーの映画「悲恋」を観る。今ちょうどコクトー展を開催中、そのいっかんで彼の映画を上映している。詩人として名高い彼のことだから難しい映画かな?と思っていたのだけれど、意外にも普通で楽しめた。

 昔、大学の先生の家で映画の試写会があって「アンダルシアの犬」とか「カリガリ博士」などシュールな映像を観たおぼえがある。今回も半分そういったものを期待して出かけたのだけれど、いい意味で外されたという感じかな。

 明日は「オルフェ」と「美女と野獣」らしい。「オルフェ」は観たいな。


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40ジャンル共通ホラー特集 TB - 2005.08.19(日記)

 (  はる51 より転載)  
   占いとかまじないその他霊感みたいなものは私にはないし、幽霊もUFOも見た事がない(UFOの方は一度見てみたいものだが)

 高校を卒業してすぐの春休み、それまでの受験勉強のまねごとから開放されて、どうしても四国一周の巡礼の旅に出たくなった。適当に歩いてはヒッチハイクでと簡単に考え、当時実家の納戸の片隅にあったフーテンの寅さんが持っているようなトランクを片手に精一杯のかっこをつけて出発した。


 当時はそんな変な格好のフーテンでもけっこううまい具合にヒッチハイクでき、まぁ途中色々な人にごちそうになったり家に泊めてもらったりで、なかなか快調な旅を続けていた。

 室戸岬の手前に中村という小さな漁港がある、昼間のうちにそこに着いて、今日はもうここまでにしょうと銭湯を探して一風呂あびて、一膳飯屋で早いめしをくって、今日の寝場所を探しに町をうろついた。


 町外れに小さな神社があった。どんな小さな漁港でもそうだが必ず海の安全を祈願する神社がある。お寺なんかと違いはるかに陰々減々として怖い、今ではそう思うが当時の私は何の恐れもしらない青少年だった。 

  さすがに神社のお社の中でずうずうしく寝る勇気もなかったので、同じ境内にある物置小屋のやっかいになることにした。こういった旅の場合早寝早起きが鉄則で日が暮れたら早々に寝ることにしている。旅の疲れもあってすぐに寝込んでしまった。


 ザクザクと玉砂利をふむ音で目がさめた。不思議なことに私のいる納屋の前でぴたりと止まるのだ。「誰かが用事で納屋を開けにきたのか、まずいなぁどう言い訳しょうか」と思案してると、次から次ザクザク、ザクザクと何人もの人がやってくるではないか、こうなったら先手必勝、さきに扉を開けてあやまっちまえと根性を決めてエイッヤッと開けたら、だれもいなかった。

 後日談、四国にはたくさんの巡礼さんがいるが何故か若い坊さんと一緒に旅することになった。その時にその話をするとさもありなんとこんな話をしてくれた。「神社はその地方独特の霊を祀ってあることが多い、良い霊もあれば悪い霊もある。たぶんそれはどちらかの霊が君にいたずらしたのだろう、それだけですんでよかったね。そいいった意味で一番安全なのはお寺の縁の下だよ」と教えてくれた。おしまい



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今から若いお客さんが来ます。 - 2005.08.18(日記)
はる 1523
 今から若いお客さんが来ます。う~故に書き込めたらまた。



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メルマガ「あそびをせんと」は、お知らせ&時々コラムに変更しました。 - 2005.08.17(日記)
こんばんは。いつも読んでいただいてありがとうございます。

 メルマガ「あそびをせんと」は、お知らせ&時々コラム「あそびをせんと」に変更することにしました。

 というのは、私の怠惰な性格からメルマガの発信が滞りがちになり、定期的にメルマガを発行するのが難しいと思うようになりました。

 しかし、せっかくのメール機能を生かせないかと考えた結果、そうだ!いい文章が書けたらと考えるから、段々と重荷になるわけで、もっと気楽にトップ画像更新のお知らせメールなら続くのではないかと思い至ったのであります。

 よってこれからは、トップの画像が更新される度に、【お知らせ】メールとして皆様のところに発信されます。リンクされていますので、クリックすることでそのままご覧になることが出来ると思います。

 尚、今までのようなコラムも時々付けたいなぁとは思っています。そのときは【コラム】となります。

 今までと同様に、これからもよろしくお願いします。
 
 2005・8/17 あそびべのはる
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 ↓です。よろしく。
 ここです。

【お知らせ】
「あそびべのはる・ここだけの美術館」
 
  トップ画像更新しました。

 「日々好日」更新しました。
 


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やせ我慢は生き方のダンディズムだと思っている。 - 2005.08.16(日記)
はる 1521
 昼頃に大きな地震。ユッサユッサとかなり長く横揺れを感じた。そうだなぁ、この頃やたらと地震が多い。古い家に住んでいるので、そこのところが怖い。壁を壊したり、押し入れをこわしたり、適当に改造したので、強度はまったく考慮にいれなかった。

 というのか、まわりの家がなんともなくて、私の家だけが壊れたらカッコわるいなぁ、などと揺れている最中に思った。どこまでもエエカッコシーということかな。

 カッコつけるのは悪いことじゃないと思っている。ある種の張ったり、見栄っ張り、やせ我慢は生き方のダンディズムだと思っている。それがなくなりゃただの怠け者になってしまう。何を選択したかということだけれどね。

 さて今日も暑かったね。でもそろそろ夏も終わりだ。ではまた明日。



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ギャラリー留歩・開廊記念 「栗原一郎の世界」 - 2005.08.15(日記)
はる 1520
 午後からtopにも掲示してある長野のギャラリーのオープン記念展に出かける。

 天気予報によると夕方から雷雨とのこと、まぁ気にはなったけれど、予定通り出かけるつもり。午前中は一仕事、これをやっておかないと後悔する。

 一時ちょうどに出発。北へ北へと向かう。八ヶ岳は黒い雲に覆われて、なだらかなスロープの部分しか見えない。この傾斜のまま高くなったら富士山より高くなっただろうなぁ、などと話しながらドライブは続く。

 諏訪湖あたりで対向車線がすごい渋滞だった。なぜか?8/15は諏訪湖の湖上祭りらしい。知らない人も多いかもしれないけれど、ここらあたりじゃ、かなり有名な花火大会がある。帰りが思いやられる。少しはやめに帰るか、ずっと遅く帰るか選択を迫られる。

 岡谷を越えて中央道は長野道になる。松本をこえて豊科インターで下りる。ここまでくるとかなり涼しい。向かうは穂高学者村、別荘地。間違わずに一発でめざすギャラリー留歩にたどり着く。

 昨日確認しておいたのだけれど、オーナーは仕事で不在。奥さんが笑顔で出迎えてくれた。ギャラリーといってもほとんど個人のコレクションの展示で、普通の企画画廊や貸し画廊とは少しおもむきが違う。

 周りの環境が別荘地ということもあって、鬱蒼とした森の中にあるギャラリーという感じ。都会の画廊では味わえない醍醐味だとおもう。

 避暑がてら、是非一度足をお運びください。

 オープン記念企画・栗原一郎の世界展
  7/22(金)~8/30(火)
  ギャラリー留歩
 長野県南安曇郡穂高町有明7403-8
  0263-83-6785



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夜になると遠慮がちに虫が鳴きだした。 - 2005.08.14(日記)
はる 1519
 お盆というわけで帰省している人が多いせいか、何となく町がにぎわっている。

 それにしても今年は雨が少ないなぁ。そのせいで地温が上がって蒸し暑く感じる。

 夜になると遠慮がちに虫が鳴きだした。そろそろ秋だな。

 ではまた明日。


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森絵都の短編「子供は眠る」を読んだ。 - 2005.08.13(日記)
はる 1518
 寺田ヒロオという漫画家がいた。もう同時代的に読んでた人はこの日記を読んでる人にはいないかもしれないけれど、好きな漫画家だったな。

 例の「ときわ荘」の長老的な人物といえば、納得が行くかもしれない。あるときまで盛んに活動していたけれど、晩年は作家活動を止めてしまったということだ。

 その中で未だにしっかりと覚えている話がある。タイトルも何に書かれていた物語なのかも忘れてしまったけれど、こんななんでもない話だ。

 子供たちが夏休みになって仲間たちと親戚の別荘にゆく。当時のことだから、まぁ山荘みたいなものだ。その家には秘密があって、なんだかんだと子供たちが力を合わせて解決して行く、といった今から考えると全く眠たいような牧歌的なはなしだ。

 けれど子供心にワクワクドキドキ夢中になって読んだ覚えがあって、未だにデティールまでしっかり覚えているのは、何かがわたしの琴線にふれたのだろう。

 なぜそんなことを想い出したかといえば、森絵都の短編「子供は眠る」を読んだからだ。「少年時代」というのは、この年になるとなかなか涙腺を刺激する。「あぁあんなこともあったな、そうそうそんな感じってわかるなぁ」というのはもう、その作者の手の内に入ってしまっているのだろうけれど。

 暑いお盆休み、ごろんと寝転がってこんな本でもどうですか。



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歯医者さんに出かける。 - 2005.08.12(日記)
はる 1517
 午後から予約を入れておいた歯医者さんに出かける。欠けてしまった奥歯の型を取って上からかぶせるらしい。

 予約は待たされなくいいけれど、約束を入れることで一週間も前から何か行動を規制されているようで窮屈だ。たかだか一時間足らずのことなのに、ほぼ一週間このことが頭から離れない。そんなことないですか?

 例えば午後一時間の仕事が入っているとする。そうすると他に何かするわけにもいかず、たとえやったとしても中途半端なところで切りをつけなくてはならない。ということで、ほぼ一日の仕事はそれで終わってしまう。非常勤の仕事なんかわりとそういったことが多い。

 話を戻して、虫歯を治療せずに放っておいた訳ではない、いやこのところかなりマメに歯医者通いしていたはずなんだけれど、やはりかなり奥まで侵されていたようだな。

 神経近くまでジーコジーコ掘り進んだために、麻酔が切れかかって何回かし直した。そのために痛みからは開放されたけれど、顔半分がなぐられたように麻痺してしまった。

 家に帰って、その状態でカキ氷を食ったら、妙な異物感があると思ったけれど、かまわずに噛んだら自分の唇だった。お~イテッ。

 そんなことで、一日終わってしまった。



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平岩弓枝「御宿かわせみ」 - 2005.08.11(日記)
 はる 1516
 テレビもラジオも新聞さえ読まなくなった。で何をしているのかといえば、ごろごろ寝ばかりしている。

 暇つぶしに池波正太郎の時代小説「その男」文庫本で三巻をよんでしまった。何と言うことはない例によって幕末から明治にかけての動乱物で、この間読んだ司馬遼太郎の「阪本竜馬」と時代的にはかぶる。しかしこちらは創作もので時代の臨場感にはちょっと不満が残った。

 そうそう、その前読んだ山本一力の「あかね空」は面白かった。京都の豆腐やさんの話で、主人公が京都から江戸に出てきて京の豆腐を売って行く話。豆腐が好きなのでふんふんと納得しながらよんだ。これで直木賞を取ったらしい。

 作者の生い立ちを読んだら、小説より面白そうだ。一度も小説など書かなくて、いきなり直木賞を取ってしまったのだから、天才肌かな。

 今晩のナイトキャップは平岩弓枝「御宿かわせみ」タイトルに惹かれてセレクトした。どうやっても藤沢周平の情緒を期待してしまう。どんなもんじゃろか?ではまた明日。



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星の観察 - 2005.08.10(日記)
はる 1515
 いちごいちご、で語呂がいいですね。

 さてさて、テラスも設置が終わって何となくうれしい。新しい部屋が一つ出来たような感じ、と言えばこのニアンスが伝わるだろうか。青空天上で壁もないけれど、これはやっぱり一つの部屋だよな。

 夕飯の後、お茶と椅子を持って夕涼み、これがやりたかった。うっすらとあかみが残った空を眺めていると、そうだな子供の頃はよく夜空を見上げて、流れ星を数えたりしたしたものだ・・などとやや感傷的になる。当分星の観察にいそしむだろう。

 さて、新しい仕事にもかからなければ・・と思うのだけれど、思うだけでなかなかエンジンがかからない。今年は異常に暑い気がする。午後からは昼寝以外ほとんど何も出来ない。

 兎に角、一筆でもすすめること、これが大事だな。ではまた明日。


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屋根にテラスを乗せる事にした. - 2005.08.09(日記)
はる 1514
 
 屋根にテラスを乗せる事にした。で、朝から職人さんが二人入っている。少し前なら材料を買って来て楽しみながら自分で作っただろうけれど、ちょっと体力がね・・問題だ。特に夏場は難しいかな。

 こういった職人仕事を見るのは嫌いじゃないので、邪魔にならないように、ちらちらと眺める。

 しかし、真夏の屋根の上の仕事はさすがに辛いだろうね。特にトタンだからよけいに暑い。フライパンの上にいるようなものだね。仕事とはいえ頭が下がります。

 古い物干し台が納屋の上に乗っている。ここに引っ越して来たときから使った事がない。というのはほとんど床が抜けていて、足の踏み場がない状態だった。その物干し台の撤去も頼んだので、少々時間がかかるというわけだ。

 ボルトでとめてあったのだけれど、もうさび付いてしまって解体は鉄骨を切るしかない。その音の凄まじいこと。まぁご近所迷惑だわな。

 明日には仕上がるだろう。長年の懸案事項がやっと一つ完了する。これで布団干しが楽になる。



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どうやら回復したようです。 - 2005.08.08(日記)

どうやら回復したようです。


また後で。



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ニセアカシヤの樹 - 2005.08.07(日記)

はる 1512

 まだトラブルが解消しません。もう少し待ってください。


 中庭にあったニセアカシヤが枯れてしまったことは、どこかに書いたおぼえがある。ここに引っ越してから階段の隅に窮屈そうにはえていた子株を、裏庭の納屋のそばに移植したのは、もう10年以上前になるかな。


 一時は春になると一せいに若葉をだし、豆科の植物独特の白い房状の花を枝いっぱいにつけて、ブンブンとミツバチが蜜をあさりに来ていたものだ。


 知らなかったのだけれど、庭木としては不適切だと何処からか聴いた。なぜかといえば、あまりにも大きくなりすぎるということ、深く根を張って例えば水道管などを持ち上げてしまうこと、などなど。


 秋にはいっせいに小判色の小さな葉をハラハラとちらせて、あたりは一面の黄色だった。そこらまでは許容範囲、許された。


まぁいいやと高をくくってはいたのだけれど、言われたように大きくなりすぎた枝から落ちる落葉は、隣の家の樋まで詰まらせた。何にも言われなかったけれど、それが無言のプレシャーとなった。


 いつ頃からか、私の心の中でも疎ましく思えてきた。彼には責任はない。私の責任だろう。大きく枝を落とした。


 次の春、花のつき具合がおかしくなった。多分天候不順のせいだとばかり思っていた。花が終わって夏に入った頃に、季節はずれの花をつけた。おかしいなぁとは思ったけれど、そのままやり過ごしていたら、根元に大きなキノコが生えた。調べたら、これが出たら二年くらいで木は枯れると書かれてあった。


 ちょうど二年して春になっても葉をつけなくなった。死んでしまった。ごめんなさい、私のせいです。


 昨日、切り倒しました。



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本家「日々好日」のシステムがトタブっているようだ - 2005.08.06(日記)

はる 1511


 本家「日々好日」のシステムがトタブっているようだ。という訳でここに直接書き込みます。


 まぁ今日はここまでだな。また明日。



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「水琴窟」すいきんくつ - 2005.08.05(日記)

はる 1510
 今回個展で流していた音楽?は、たまたま京都によったお茶屋さんで流れていた音にした。

 今回旅をして電車にのる機会も多かったのだけれど、気がついたことは、ケイタイとヘッドフォンステレオだ。ケイタイの事は今までもよく書いたのでヘッドフォンステレオのことを書こう。

 普段、私は音楽を聴きながらという生活をしていない。アトリエで仕事する場合でもほとんど音は必要としない。昔から何かしながら音楽を聴くということはなく、聴くときはもっぱら集中して聴いていたように思う。例外は車に乗っているときで、ここが私にとって、今の唯一のリスニングルームかもしれない。

 よく分からないのだけれど、人間の日常生活のなかでそれほど音楽って必要なのかな?と思ってしまう。例えばパチンコ屋さんやゲームセンターなど遊びの場には常に音楽は付いてはいるけれど、自分の日常生活で音楽が、常に流れているというのも奇妙じゃないだろうか。こんなことを言えば、そうじゃないという意見も、もちろんあるだろうけれどね。

 若い人が電車の中などでヘッドフォンで音楽を聴いている姿をみると、例えばソニーなどのオーデオ機器やさんのある種の陰謀にはめられているのじゃないか、などと勘ぐってしまう。というのは、そうしたスタイルが音楽そのものより、ファッションとして売られているのではないかな。

 確かに、僕らの若い頃にも、自分の好きな音楽を持ち歩けないだろうかというのが願望としてあった。ゲルマニュームラジオに始まって、トランジスタラジオそしてカセットレコーダが登場してきたときはとびついた。ラジカセ、ウォークマンときてiPodにいたる。

 でもねぇ、ことここに至って、そんなにいつも音がなくたっていいじゃないのと思ってきた。たとえば外に出れば風の音、鳥の声、蝉の鳴き声、そんな自然の音をふさいじゃって自分だけの音に浸る必要はないのじゃないかとね。どう思う?

 で個展で流していた音は「水琴窟」スイキンクツ。簡単にいえば壷の中にぽたりぽたりと落ちる水滴の音ですな。



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午前中は定期検診。 - 2005.08.04(日記)
はる 1509
 午前中は定期検診。いつもはほとんど忘れているけれど、あぁそうだったんだなと、あらためて気付く。そういった意味では必要なことかもしれない。とくに異常なし。

 午後は歯医者の予約。この間好物のピーナツを食っていたら、情けないことに奥歯が欠けた。随分前に親知らずを抜いた。これがまぁ大変な治療だった。その後にいつもは入れないのだけれど、義歯をつくってもらった。義歯、ようするに入れ歯でんな。

 その入れ歯を引っ掛けておく金具があたるところが、ポロリと折れた。看護婦さんの話だと、もうかなりいたんでいてもろくなっていたということらしい。

 いずれにしろ、鉄やカルシュームなど少しずつ不足してくるようだな。

 高校時代にお世話になったM先生が亡くなったという知らせがはいった。ご冥福をお祈りします。


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オリジナルなキャラの作り方・TB - 2005.08.03(日記)

 はる 1507
 パソコンで礼状を書く。

 例えば年賀状。色んなデザインがあって、本人はそういった数多くの中から選べばいいだけになっている。「明けましておめでとうございます」「暑中お見舞い申し上げます」などなど。

 画像を選んで、文章を選択、それで住所を印刷すればほとんど手を煩わすこともない。きれいな印刷が出来上がってくるというわけだ。パソコンが普及した理由のひとつには、こういったDMが簡単に自作できるということにあるらしい。

 100種類の画像と100の文章があれば、10000種類のバリエーションができる。コンピュータはこういったことがお得意だ。

 例えばこういった手を良く使う。物を勧める場合、二種類以上提示する。「どちらがいいですか?」とたずねられれば、必ずどちらかを選択するわけだ。で、あたかも自分が選んだかのように錯覚する。

 今流行りのブログなんかでもそうだけれど、選択肢はものすごく多くあって、とてつもなく変化に富んでいるように見える。しかし、実際の見え方というのか印象はみんな実に似かよっている。これはさっきも書いたけれど、数学的な(組み合わせ)によるごまかしのように思う。


 絵を描く時、(私の場合)ここをこの色にしょうと思って置くわけではない。この色だとおもっても、下にある色や周りの色によって見え方が変わってくる。

 また、ここのところが大事なんだけれど、人の目というものは、ひとつの色だけを見ることはない。必ず周りの環境と一緒にみている。知らず知らずの内にバランスをとっているのだな。

 だから絵を描く場所には好きな作家の画集や写真、もっといえば色のあるものを置いてはいけないというのは、知らず知らずに目に入って影響されるからではないかな。たぶんそういったことがあるように思う。

 子供の頃、百色や二百色もある色鉛筆を自慢していたガキがいたけれど、今考えるとそれでいい絵が描ける保障は全くない。というのは塗り絵ならいざ知らず、ここをこの色にしょうと決めて塗ることはないからだ。

 常に全体を眺めながら、微妙に変わってゆくというのが、生きた絵ということだろう。

 話はもとに戻って、パソコンではがきをかく場合、そこにある例文やイラストを使わない方がいいように思う。それはあなたのものではない。どうやっても手書きにはかなわないのだけれど、少なくともへたくそでも自分の言葉で書きたいと思う。人と差がつくのはそれしかないよだろう。

 きれいなイラストや決まりきった常套句を期待しているのであれば別だけれどね。


 オリジナルとは結局自分自身ということだな。

 ではまた明日。



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八月です。 - 2005.08.01(日記)
はる 1506
 八月です。

 昔、小荷物は郵便局扱いしかなく、大きな荷物は駅留めなどということがよくあった。今の人には理解しがたいかもしれないけれど、何日もかかって、結局最寄の駅まで荷物を取りに行くのである。

 そういった流通の不便さを取り払ったのが、佐川急便やくろねこ大和の宅急便業者だ。はっきり言って今更郵便で荷物を送ろうという物好きはほとんどいないだろう。時間とお金の無駄ということになる。

 郵便はどんな山の中でも郵便局があって、地域の人々の役にたってきた。郵便だけではなく銀行や保険としても利用でき便利ではあったのだけれどね。いかんせん、システムが老朽化してしまった。あまりにも非能率、親方日の丸、でありすぎた。どこかの国と良く似ている。

 さて、何を言おうと思ったのか忘れるところだった。そう、銀行の悪口をいうつもりだった。

 銀行に払込に行った。窓口にはきれいなお姉さまが並んでいらっしゃる。確かに振込みの期限は切れてはいるのだが、私はお客様ですよ。何を考えたのか、延々と待たされて延滞金がどうのこうの・・とおっしゃる。ムカムカして帰ろうかと思った。

 延滞金のことで怒っているのではない、慇懃無礼に持って回って遅々としてスムースに進まないから怒っているのだ。銀行はもっともっと潰れてもいい。全く懲りてないぞ!


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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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