はる 1527
どうやら夏も終わりに近づいた感じです。今日はもう秋の空だったな。日中はまだ暑かったけれど。
水の上に浮かんでいるごみは自然に集まって、それなりの大きさのゴミの塊になってゆく。そしてまたそれなりの大きさのゴミがお互いに引き合って、またまたそうとうのゴミの塊になってゆくのだ。
これは何の法則なのか正確には知らないのだけれど、素人考えでいえば、万有引力ということになるのかな。簡単に言えば物質というものはお互いに引き合っているということだろうか。
話を大きくして、たとえば太陽系の宇宙が出来上がってゆく過程を何かで読んだんだけれど、まぁ宇宙にただようゴミのようなものが、水の上のゴミのように引き合って、次第に大きな塊になってゆくそうだ。その中心がやがて高温、高圧になって火がついて燃え出す。それが太陽になるそうだ。
太陽の燃える燃料になった物質は、燃えてしまえばそれで終わりか?といえばそうではなくて、新しい物質に変わるだけらしい。ちょうど炭が燃えて熱と二酸化炭素になるのに似ている。
それでやがて燃えカスが溜まってバランスが崩れる。段々に大きく膨らんでやがて大爆発をおこす。そういった爆発でそこにできた燃えカスをまた宇宙空間に撒き散らすらしい。
生物というのはそういったゴミの様な集まりから、自然発生的に生まれるものだとおもっていたけれど、ゴミはあくまでもゴミであっていくら待っても生物にはならないらしい。まぁそこで「神の意志」みたいなものが登場するのだけれど、実際のはなしそういった無機物から有機物に至る奇跡的な発生はまだまだ謎に包まれているらしい。
宇宙空間に人類意外に知的生物が存在するかという話は、たぶんに好奇心を刺激するけれど、いるともいないともはっきりしたことはいえないなぁ。
ただね、人類が発生してこうやって今を盛りに宇宙に情報発信しているけれど、人類が存在する間に他の知的生物にコンタクトがとれる確率は物凄く少ないと思う。なぜなら宇宙的な時間と生物的な時間とは大きくずれているからだ。
さて日にちが変わって(はる1528)
きのうの続きのようなもの、理論的ではないのでつじつまがあってないかもしれない、そこのところ適当に読み飛ばしてください。
宇宙は無限だという。ならばその無限の外はどうなっているのか?というのが素人の考え方だ。その外があれば有限ということで、時間も空間もないから無限なんだろう。
ビックバン宇宙論なるものが流行って、猫も杓子もみんな分かった様に「宇宙は膨張している」などと言う。風船が膨らむように膨張しているならば、風船の外がわが存在するわけだけれど、宇宙の場合その外側というのが存在しない。三次元的なイメージでは追いつかない。
ところで膨張しているのであれば、時間を逆回しにすればいつかは宇宙の始まりに遭遇するはずだ。今宇宙に存在する全てのもの、それは空間も時間もあらゆるものが含まれている、たった一つの点に集約されるはずだ。
グラウンドゼロ=バニシングポイント=消失点これもまた想像することが不可能だ。映画「マトリックス」ではないけれど、実際の話この世界は誰かの頭の中か、高度なコンピュータの中に存在している架空の世界なのかもしれないな。そう考えた方が理解しやすい。
ところで何故宇宙が膨張しているなどと言い出したのか?といえば、まぁこれも確かなことは何も知らないのだけれど、普通に考えて宇宙の果てはどうなっているのかな?ぐらいは誰でも考える。
で、地球から観察できる一番遠い星を見ようとしたら、どうやっても波長がね赤みの方向にずれてみえる。救急車のピーポピーポの音とが変わるのとおなじ原理ね。というわけで星はいまでも飛んでいるだ!となったわけだ。それも遠い星ほどよりはやく飛んでるという結果が出た。なんのこっちゃ。
ここのところがちょっと難しい。今蟻んこが長さ100cmの棒を登っていると仮定する。この蟻は変わっていて必ず一分で残りの半分歩くとする。
最初の一分では50cm登る。次の一分で25cm。次は12.5cm。歩みは鈍くなるけれど、手抜きはしていない。同じ調子で歩いているのだけれど、半分しか進まないのだ。なぜなら自分の体が半分に変化してしまっているからだ。でも彼自身は全く気付かない。
半分半分と進んでいけば彼は最後にこの棒を登りきれるだろうか?実は彼は永久に目的地には着かない・・。無限というのはそういうことじゃないかな。
星の話に戻れば、自分から遠い星ほど速く自分から離れているように見えるということは、充分遠い星はほぼ光速に近くなる。光速の半分のスピードになると体は半分の大きさになる。限りなく光速に近づけばこの蟻君と同じことで、行けども行けども永久に宇宙の端には行き着かないということだ。
よく分からん。でたらめでした。 また明日。
(はる504より転載)
古里はしだいに寂れてゆく。
街中にこの街では老舗のデパートがある。そのデパートも最近あぶないという噂を聴いた。まぁなぜ駄目なのか一度中に入って買い物をすればよくわかる。むろん時代も悪いのだけれど、店員さんに元気がない。これじゃやっぱり楽しくないのだ。これは大きなポイントだと思うけれど、関係者諸君どうだろう?
いっとき景気がいい頃はこんな小さな街でもデパートが何軒かあった。しかしこの頃は町中は地盤沈下が激しく、デパートはもちろん大手のスーパーも手を引いてる状態だ。
明らかに町中には人影も少なく、その分魅力もなくなった。商工会議所もあわててなんだかんだ手をうってはいるようだけれど、後手後手で上手くいってるとは思えない。午後五時を越えたら町中はシャッター通りとなり、商店街は妙な奴らが跋扈する無法地帯と化す。面白いことは面白いのだけれどまともな人間が楽しめないような街は死んだと言うことだ。
全国どこでもそうなんだといことを聞いた。街は人で成り立っている。人が行って楽しめないようなところは次第にくたびれていくのは目にみえているのだ。
イタリア滞在記の中にこんな事を書いた。少し関係ありそうなのでここに載せておきます。
「 このアーチをくぐって行くと、小学校前の道につながる。たぶん何百年も変わらないこ の街角の風景は、子供たちの親もそして又その親も見た風景なんだろう。変わらない事は 変わる事より難しい。町のあちこちで修復がなされている。たとえ石造りの建物にしても ほっておけば、やがて崩壊していく。自然なままに見えて、実は精一杯の努力をしている 。
その根底を成しているものは、本当にいいものはいつまでたってもいいものである、と いう自国の文化に対する絶対の自信と誇りである。それらの事は、そこで生活する人にも 言えて、子供たちと年寄りが広場や公園で同じ場を共有し、お喋りに興じている。老人は 自分の人生に自信と誇りを持ち、若者たちはその姿に将来の自分を見る。
町は人がいてそこで生活し、学校や美術館があり、人々が集まるカフェやバー、公園や 広場があってそれらが有機的にバランスよく配置されていて、子供も若者も年寄りも隔て なく楽しく生きていけるのが理想だと思う。十年経ったら全く町が変わってしまった、と いうような大きな理想のない町づくりは、永い目でみればとんでもない無駄 だと思う。古 ぼけた一本のアーチのある通りを見ながら、そんなことを考えた。」
( はる51 より転載)
占いとかまじないその他霊感みたいなものは私にはないし、幽霊もUFOも見た事がない(UFOの方は一度見てみたいものだが)
高校を卒業してすぐの春休み、それまでの受験勉強のまねごとから開放されて、どうしても四国一周の巡礼の旅に出たくなった。適当に歩いてはヒッチハイクでと簡単に考え、当時実家の納戸の片隅にあったフーテンの寅さんが持っているようなトランクを片手に精一杯のかっこをつけて出発した。
当時はそんな変な格好のフーテンでもけっこううまい具合にヒッチハイクでき、まぁ途中色々な人にごちそうになったり家に泊めてもらったりで、なかなか快調な旅を続けていた。
室戸岬の手前に中村という小さな漁港がある、昼間のうちにそこに着いて、今日はもうここまでにしょうと銭湯を探して一風呂あびて、一膳飯屋で早いめしをくって、今日の寝場所を探しに町をうろついた。
町外れに小さな神社があった。どんな小さな漁港でもそうだが必ず海の安全を祈願する神社がある。お寺なんかと違いはるかに陰々減々として怖い、今ではそう思うが当時の私は何の恐れもしらない青少年だった。
さすがに神社のお社の中でずうずうしく寝る勇気もなかったので、同じ境内にある物置小屋のやっかいになることにした。こういった旅の場合早寝早起きが鉄則で日が暮れたら早々に寝ることにしている。旅の疲れもあってすぐに寝込んでしまった。
ザクザクと玉砂利をふむ音で目がさめた。不思議なことに私のいる納屋の前でぴたりと止まるのだ。「誰かが用事で納屋を開けにきたのか、まずいなぁどう言い訳しょうか」と思案してると、次から次ザクザク、ザクザクと何人もの人がやってくるではないか、こうなったら先手必勝、さきに扉を開けてあやまっちまえと根性を決めてエイッヤッと開けたら、だれもいなかった。
後日談、四国にはたくさんの巡礼さんがいるが何故か若い坊さんと一緒に旅することになった。その時にその話をするとさもありなんとこんな話をしてくれた。「神社はその地方独特の霊を祀ってあることが多い、良い霊もあれば悪い霊もある。たぶんそれはどちらかの霊が君にいたずらしたのだろう、それだけですんでよかったね。そいいった意味で一番安全なのはお寺の縁の下だよ」と教えてくれた。おしまい
どうやら回復したようです。
また後で。
はる 1512
まだトラブルが解消しません。もう少し待ってください。
中庭にあったニセアカシヤが枯れてしまったことは、どこかに書いたおぼえがある。ここに引っ越してから階段の隅に窮屈そうにはえていた子株を、裏庭の納屋のそばに移植したのは、もう10年以上前になるかな。
一時は春になると一せいに若葉をだし、豆科の植物独特の白い房状の花を枝いっぱいにつけて、ブンブンとミツバチが蜜をあさりに来ていたものだ。
知らなかったのだけれど、庭木としては不適切だと何処からか聴いた。なぜかといえば、あまりにも大きくなりすぎるということ、深く根を張って例えば水道管などを持ち上げてしまうこと、などなど。
秋にはいっせいに小判色の小さな葉をハラハラとちらせて、あたりは一面の黄色だった。そこらまでは許容範囲、許された。
まぁいいやと高をくくってはいたのだけれど、言われたように大きくなりすぎた枝から落ちる落葉は、隣の家の樋まで詰まらせた。何にも言われなかったけれど、それが無言のプレシャーとなった。
いつ頃からか、私の心の中でも疎ましく思えてきた。彼には責任はない。私の責任だろう。大きく枝を落とした。
次の春、花のつき具合がおかしくなった。多分天候不順のせいだとばかり思っていた。花が終わって夏に入った頃に、季節はずれの花をつけた。おかしいなぁとは思ったけれど、そのままやり過ごしていたら、根元に大きなキノコが生えた。調べたら、これが出たら二年くらいで木は枯れると書かれてあった。
ちょうど二年して春になっても葉をつけなくなった。死んでしまった。ごめんなさい、私のせいです。
昨日、切り倒しました。
はる 1511
本家「日々好日」のシステムがトタブっているようだ。という訳でここに直接書き込みます。
まぁ今日はここまでだな。また明日。
はる 1510
今回個展で流していた音楽?は、たまたま京都によったお茶屋さんで流れていた音にした。
今回旅をして電車にのる機会も多かったのだけれど、気がついたことは、ケイタイとヘッドフォンステレオだ。ケイタイの事は今までもよく書いたのでヘッドフォンステレオのことを書こう。
普段、私は音楽を聴きながらという生活をしていない。アトリエで仕事する場合でもほとんど音は必要としない。昔から何かしながら音楽を聴くということはなく、聴くときはもっぱら集中して聴いていたように思う。例外は車に乗っているときで、ここが私にとって、今の唯一のリスニングルームかもしれない。
よく分からないのだけれど、人間の日常生活のなかでそれほど音楽って必要なのかな?と思ってしまう。例えばパチンコ屋さんやゲームセンターなど遊びの場には常に音楽は付いてはいるけれど、自分の日常生活で音楽が、常に流れているというのも奇妙じゃないだろうか。こんなことを言えば、そうじゃないという意見も、もちろんあるだろうけれどね。
若い人が電車の中などでヘッドフォンで音楽を聴いている姿をみると、例えばソニーなどのオーデオ機器やさんのある種の陰謀にはめられているのじゃないか、などと勘ぐってしまう。というのは、そうしたスタイルが音楽そのものより、ファッションとして売られているのではないかな。
確かに、僕らの若い頃にも、自分の好きな音楽を持ち歩けないだろうかというのが願望としてあった。ゲルマニュームラジオに始まって、トランジスタラジオそしてカセットレコーダが登場してきたときはとびついた。ラジカセ、ウォークマンときてiPodにいたる。
でもねぇ、ことここに至って、そんなにいつも音がなくたっていいじゃないのと思ってきた。たとえば外に出れば風の音、鳥の声、蝉の鳴き声、そんな自然の音をふさいじゃって自分だけの音に浸る必要はないのじゃないかとね。どう思う?
で個展で流していた音は「水琴窟」スイキンクツ。簡単にいえば壷の中にぽたりぽたりと落ちる水滴の音ですな。
はる 1507
パソコンで礼状を書く。
例えば年賀状。色んなデザインがあって、本人はそういった数多くの中から選べばいいだけになっている。「明けましておめでとうございます」「暑中お見舞い申し上げます」などなど。
画像を選んで、文章を選択、それで住所を印刷すればほとんど手を煩わすこともない。きれいな印刷が出来上がってくるというわけだ。パソコンが普及した理由のひとつには、こういったDMが簡単に自作できるということにあるらしい。
100種類の画像と100の文章があれば、10000種類のバリエーションができる。コンピュータはこういったことがお得意だ。
例えばこういった手を良く使う。物を勧める場合、二種類以上提示する。「どちらがいいですか?」とたずねられれば、必ずどちらかを選択するわけだ。で、あたかも自分が選んだかのように錯覚する。
今流行りのブログなんかでもそうだけれど、選択肢はものすごく多くあって、とてつもなく変化に富んでいるように見える。しかし、実際の見え方というのか印象はみんな実に似かよっている。これはさっきも書いたけれど、数学的な(組み合わせ)によるごまかしのように思う。
絵を描く時、(私の場合)ここをこの色にしょうと思って置くわけではない。この色だとおもっても、下にある色や周りの色によって見え方が変わってくる。
また、ここのところが大事なんだけれど、人の目というものは、ひとつの色だけを見ることはない。必ず周りの環境と一緒にみている。知らず知らずの内にバランスをとっているのだな。
だから絵を描く場所には好きな作家の画集や写真、もっといえば色のあるものを置いてはいけないというのは、知らず知らずに目に入って影響されるからではないかな。たぶんそういったことがあるように思う。
子供の頃、百色や二百色もある色鉛筆を自慢していたガキがいたけれど、今考えるとそれでいい絵が描ける保障は全くない。というのは塗り絵ならいざ知らず、ここをこの色にしょうと決めて塗ることはないからだ。
常に全体を眺めながら、微妙に変わってゆくというのが、生きた絵ということだろう。
話はもとに戻って、パソコンではがきをかく場合、そこにある例文やイラストを使わない方がいいように思う。それはあなたのものではない。どうやっても手書きにはかなわないのだけれど、少なくともへたくそでも自分の言葉で書きたいと思う。人と差がつくのはそれしかないよだろう。
きれいなイラストや決まりきった常套句を期待しているのであれば別だけれどね。
オリジナルとは結局自分自身ということだな。
ではまた明日。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館