帰って来ました。またよろしく。
はる 1505
初めて直下型の地震というものを経験した。漫画や小説で色々書かれてはいるけれど、実際に経験しなければ分からないだろうな。
震度は3ということだから、揺れ自体はオコチャマだったかもしれないけれど、臨場感は立派な大地震だったな。
そう遠くから地鳴りがする。私はてっきりと洗濯機の脱水機が廻っているのだと思った。でドンッと突き上げるような縦の揺れが来た。まぁこれは逃げ様がないなぁと思った。
閑話休題
午前中に神戸からの荷物が着いた。全部で六ケ。アトリエが荷物で一杯になる。暑いので何もやる気がしない上に、この荷物だ。げんなり。
個展は非日常で楽しい。「はれとけ」でいえばはっきり言って「おまつり」「はれのひ」ということになる。しかし、絵描きの日常というのはもっと地味なものだ。少しこもる必要がある。
しかし、今年の個展は同級生や、お世話になったひとのオンパレードだった。何だかね、地元というのはありがたいものだ。しかし地元限定、知り合いだけで通用してたのじゃ高がしれている、なんとかもう少しならないものか・・。
京都の可必館で上野憲男を見て、昔木村忠太を見たときと似た感動をおぼえた。
後何年絵を描いてゆけるのだろう。長くやっても20年、30年?今までやってきた時間とおなじだけやれるのか?
ならば、出来るだけ遠いところまで行きたいな。行けるのか?などと・・。
また明日。
ただいま帰省中のため、更新は気が向いたらということで、あしからず。
連絡は掲示板 にして下さいな。ケイタイと連携していています。ではでは。
日記「日々好日」はほぼ毎日更新しています。ここをチェック してみてください。
7月25日 (月) はる 1499 個展5日目 月曜日というのはどこでもお客さんが少ない。まぁ仕方ないかな。 お絵かき教室や画塾などなかった頃、専門的な美術家として私の前に登場したのは、小学校の専科の美術教師(大西先生)だった。この先生のことはどこかで何回か書いた覚えがある。 図画工作が好きだった私は、この先生の授業が待ち遠しくてならなかった。美術の授業というのは先生自身が絵が上手い必要はない、いかに生徒を乗せるか、手なずけるか、ほめあげるかだ。多分今こうやって絵を描いて暮らしているいくらかは、この先生の影響ではないかと思う。 明日は台風の影響で午後から荒れ模様の予報がでている。お客さんは少ないだろうな、まぁそれもしかたないかな。 四時半過ぎには片付けはじめます。まだご覧になってない方はお早めに来てください。ではでは。 更新時間 : 21:08:03 |
7月24日 (日) はる 1498 個展4日目 土曜日と、今日はたくさんの人がきてくれた。まったくもってあり難い。来てくれた人には出来るだけ声をかけるようにしていますが、気がつかずにかえられた人もあったかも知れません。ここでお詫びしておきます。 地元というのはそういった意味であり難い場所だ。にわかに知名度が上がったように勘違いしてしまう。本当はただの同窓会の延長だったりするわけだからね。でもまぁここからがはじまりというわけだろう。育ててもらったお礼はしなければならない。 高校の時の担任の先生が来てくれた。何年か前の個展に一度来てくれたことがあったのだけれど、地元から離れて住んでいるということもあって、お会いすることもなかった。 その後定年退職された時にクラスの有志で退職記念に私の絵を贈った。そんなことがあってそこそこ気にしていてくれたのかもしれない。どうも有難うございました。 普通クラス会というのは卒業学年でやるのが常識だけれど、このクラス会は入学学年、つまり1年のクラスなんだな。それも芸術の選択が音楽というクラスで、コーラス部やブラスバンドなど音楽関係の生徒が多かった。 昨日でもカラオケに行って唄い出すと自然にハーモニーをつけるから凄いな。(こう書くととても綺麗な印象だけれど、実際は呑み助のとんでもないドタバタなんだけれどね、まぁいいか) カラオケは二度目だけれど、難しい。自分のヘタさ加減にあきれるねぇ。ではまた明日。 更新時間 : 22:06:43 |
7月23日 (土)
************************************************ ただいま個展中のため、更新は気が向いたらということで、あしからず。時々チェックしてみてください。 第18回・榎並和春個展 連絡は掲示板 にして下さいな。ケイタイと連携していています。ではでは。 日記「日々好日」はほぼ毎日更新しています。ここをチェック してみてください。 |
はる 1496
個展二日目
今日は比較的にしのぎやすかった。そういったことが関係しているのだろうか、お客さんは多かった気がする。雨が降ったり、あまりにも暑かったり、寒かったりするとすぐにお客さんの出足に関係してくる。それは自身のことを考えても分かることだ。
向かいの画廊で趣味の絵画グループがスケッチ展をやっている。毎年のことだけれど、そこの企画でどんな展覧会をやっているかが、私の個展の来場者数にも関係してくるのだ。悲しいけれど明らかにそこから流れてくるお客さんを期待している。
よく観察していると、そこからまわってくるお客さんは会場を一回りして簡単に挨拶して足跡を残してさっさと帰ってゆく。
私のお客さんと明らかに見方が違うわけで、まぁ一見さんのお客さんに常連さんと同じことを期待しても始まらないけれど、要するに言いたいことは、お客さんの数ではなくて興味を持ってもらえるお客さん何人に見てもらえるかということだろうな。
素通りのお客さん百人よりも、しっかり見てくれるお客さん一人充分だということかな。
でもまぁその百人の中から一人の大切なお客さんが生まれる可能性もあるわけだからあなどれない。
地元の新聞に小さい記事が載ったからその関係が多いかときたいしたけれど、ほとんど関係なかったな。
明日は土曜日、高校の同窓生も来るようだから、てんやわんやの騒ぎになるだろう。ということで明日は更新できないかもしれません。あしからず。
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ただいま個展中のため、更新は気が向いたらということで、あしからず。時々チェックしてみてください。
第18回・榎並和春個展
7/21(木)~7/26(火)
「かぜのおとづれ2」
神戸・ギャラリー ル ポール
神戸市中央区加納町4-6-4(北野坂通り)
078-332-3751
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はる 1491
明日18日(月)出かけます。ということで当分また道中からからの更新ということになり、毎日更新というのは無理かもしれません。あしからず。
第18回・榎並和春個展
7/21(木)~7/26(火)
「かぜのおとづれ2」
神戸・ギャラリー ル ポール
神戸市中央区加納町4-6-4(北野坂通り)
078-332-3751
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はる 1489
「末端にも本性がある」と言ったのは筒井康孝「俗物図鑑」での印象深い一言だ。
甲府は盆地で夏は全国的にも最高気温を記録したりする。反対に冬は最低気温が北海道とおなじだったりするることが多い。けっこう過酷なところかもしれませんねぇ。
それに比べれば、神戸はましなのかもしれないけれど、どうも田舎暮らしが長くなると、ごみごみと人が多いだけで、暑苦しく感じてしまいます。
ここに暮していると、日常的に電車に乗るということがない。個展で例えば神戸でやるということになれば、毎日そこまで電車(地下鉄)にのって通勤?しなくてはならない。
日常的に通勤通学しているものにとって、駅で電車を待つということはなんでもないことなんだろうけれど、慣れない私にとってはストレスになってゆくきがするな。ちょっと大げさだけど。まぁそれが、楽しくもあるのだけれどね。
さて、みなさんもうすぐ神戸の個展です。イラハイ・イラハイ。
「ハウルの動く城」のなかで、ハウルは魔法使いの弟子なんだけれど、よくあるパターンで空を飛んだり歩いたり、時空を自由に行ったり来たりできる。まぁそのことはこっちに置いておいて。
ハウルの寝室が出てくる。そこはありとあらゆる物が所狭しとコレクションされていて、一種グロテスクな形を変えたロココ趣味のような様子で表現されている。ハウルというのがもともと鳥?なのか、はっきりは分からないのだけれど、どうやらその部屋は色々なものを収集する癖のある鳥の巣のようにみえた。傷ついたハウルはいつもその部屋に帰ってきて一時の安らぎを得るのだ。
夏になると橋の下にたいていホームレスが住み着く。毎年同じような棲家を作るので同一人物かと思っているのだけれど、何か微妙に違う。動物に帰巣本能というのがあるとするなら、その前に巣を作る本能があるように思う。調べてみたことはないのだけれど、何やら、なんでもかんでも集めるというのが、我々動物の本能なのかなと思う。集めたガラクタの中にうずもれてることで、一時の安らぎを得られるもののようだ。
このハウルの寝室を見たときに、現代美術家の草間弥生さんを思い出した。彼女は小さい頃から何かしらの強迫観念で異常な心理状態を体験している。よく知られているのが水玉のかぼちゃが所狭しと異常に増殖している像なんだけれど、こうやって所狭しと異常に増殖したものに囲まれて安心するという心理は動物特有のものだろうか。
以前アウトサイダーアート(知的障害者の表現)のことにふれたことがあったけれど、彼らの描く世界もややこういった雰囲気に近いものがある。視覚的な表現というより触覚的な表現といえるかな。
アニメーションというある種バーチャルな視覚的な世界ではあるけれど、人間が本来求めてやまないのはこういった触覚的な世界なのではないかと思った。
(はる 1259より転載)
第51回ベニスビエンナーレが開催されているそうです。ご存知の方も多いかと思うのですが、世界規模の現代美術の祭典で、まぁ世界の棟方や池田満寿夫なんかも出品した美術界の万博といえば理解しやすいだろうか。
ヨーロッパの都市なんかにこういった冠のついた世界的な展覧会や映画祭やコンクールが多い。 そういったことだけでその世界では有名な小さい地方都市があったりします。
観光とか商売抜きで本格的に芸術や文化を奨励する、それも長い眼で育てて行くというコンセプトがしっかりあるように感じますね。ベニスのこの展覧会はすでに100年の歴史があるわけだから、さすがにイタリアだなと関心します。まぁ結局それが長じて観光に結びつけば商売にもつながってつくのでしょうか。
「現代美術」という言い方ではなくて、「今ここで生きている人たちの絵」というのであれば私の絵も「現代美術」ということができる。
数年前の秋口にめずらしくこの地方にも台風がきた。普段雨戸など閉めないのだが、風台風ということでガタピシと雨戸を引き出した。
古い家に住んでいる人ならわかると思うが、戸袋がちょうど大きな木のウロのようになっていて、中に鳥の巣が幾重にも重なりあってとても使える状態ではなくなっていた。
その巣は草の切れ端から針金、ビニールのひも,布のくず、土など、巣の材料になるものならなんでもござれのてんこ盛。下手な「現代美術」より「現代美術」的だった。
現代に生きて今ここで生活している以上、今ここで手に入る材料で絵を描くほうがより自然な行為ではないか。100年後、当時の人はこんな材料で絵をかいていたのだということも現代を表す重要な要素ということになるかな。
(はる41より転載・一部編集)
日本でも一時はコンクールが大流行で、色んな企業がスポンサーになって冠のついたコンクールもたくさんあった。バブルの頃は地方の自治体もポンと大金を出してスポンサーになることもあったりして、各種の文学賞なんかもこの時頃にできたものじゃないだろうか。
ところが流行というのは、潮時があって、バブルが終わる頃にはほとんどのコンクールも消えてしまった。その頃から今でも残っているコンクールは数えるくらいしかない。
中でも具象絵画の登竜門とまでいわれた安井賞が終わってしまったのは、何とも寂しい限りだ。どうあれ、例え賞金がなくなったとしても続けるべきだったと思う。こういったその世界を代表するような賞がなくなってしまうと、その分野そのものが消えてしまったようになる。
コンクールではないけれど、イタリアのベネチアのビエンナーレは現代美術の祭典として定着している。驚いたことにもう百年以上の歴史があるわけだから、美術というのか、芸術に対しての認識そのものが我々とは大きく違うと思うな。まず「生活」があって「余暇としての芸術」があるという考え方と、何よりも「生きる喜び」があっての「人生」だという違いかな。
少し考えてみないか?
(はる 1393より転載)
◆最後に映画館で観た映画
「スターウォーズ3」
この話は 「はる1476」に書いたので転載します。
「スターウォーズ3」を観た。映画を観に出かけるのは楽しい。最近はDVDとかデジタルハイビジョンだとか、かしましいけれど、やっぱり映画は映画館で観なきゃ。絵を観るのに画集やビデオも便利だけど、やっぱり本物を観てもらいたいからね。
「スターウォーズ」はみんな観たかな。こういったSFXものもずいぶんとあるけれど、この作品やハリソンフォードの「インディー・ジョーンズ」の一番最初あたりがやっぱり衝撃だったなぁ。もう25年くらい前になるのだろうか。
今じゃ珍しくもないけれど、最初にタイトルからあらすじが提示されるのだけれど、それが遠近法的に宇宙のかなたに流れて消えて行く、で突然宇宙船が目の前を通過して行く、これが新しい感覚だった。
今までは明らかに作り物だと分かるようなロボットや宇宙船だったものが、すごく臨場感のある映像になった。この驚きは今の子供たちには分からないだろうな。
そういった意味でJ・ルーカス スピルバーグの「「スターウォーズ」は代表作といえるのじゃないかな。
ただあまりにも物語が長くなりすぎたために、つじつま合わせに始終して、最初の頃の自由な物語の発展性がなくなってしまったように思う。こういったシリーズものは大体において第一作を越えることは難しいね。
◆今までで観た、一番泣ける映画
色々あるなぁ。小学校の頃学校の体育館で観た「黄色い犬」には泣いた。映画で泣いたはじめての経験だった気がする。物覚えの悪いクソガキだった私がタイトルまでしっかり覚えているのだから、なかなかのショックだったのだろう。
大人になってからで言えば「ニューシネマ・パラダイス」この話もどこかで書いた覚えがあるけれど、探すのが面倒だ。ラストのシーンで自然に泣けて来た。
◆期待はずれだった映画
最近の映画は大体期待はずれだな、「マトリックス2」はコケタ。1があまりにも衝撃だったからかもしれないけれど、つまらなかったね。SFXは一度観るとそれ以上のものを今度は期待するからかもしれない。あと日本映画はだいたいコケル。期待していなかった、たけしの「座頭市」は面白かったけれどね。
◆お気に入りの映画5作品 (5以上あります)
世間一般の名作、上記の作品は避けました。コメントはまた後で。
*「リトルダンサー」(イギリス)
「踊っている時はどんな気持ちですか?」ときかれて、主人公は「電気になる」と答える。耳に残る天才の回答だ。
*「ミツバチのささやき」(スペイン)
久しく映画を観なかった時に再び映画は面白い、と思わせてくれた映画だ。はっきりいって内容はよく覚えていない。覚えているシーンはスペインの広大な丘にひまわりが無限に広がって、そこに子供が耳をすませてミツバチの羽音を聴いている、暖かな昼下がり。そんなシーン。
*「青いパパイヤの香り」(ベトナム)
「はる783より転載}
昔観たベトナムの映画(「青いパパイアの香り」???)に暑い夏の夜、こうこうと輝く青い月影のもと、長い髪の人が石畳の中庭で髪を洗う、そんなシーンがあった。美しい光景だと思った。
ベトナムといえば我々の世代はベトナム戦争を嫌でも連想する。鬱蒼と茂った熱帯雨林をこともなげに枯葉剤で枯らせてしまい、それだけでは終わらず、その後にはたくさんの奇形の動植物が生まれた。そしてそれは当然まわりまわって人間にも影響していた。
重装備したかの国の軍隊に、家や田畑を容赦なく焼かれて、命からがらはだしで逃げ惑う子供たちのシーンが報道されて、脳天気にもそのときの印象は、「あぁこれが自分たちでなくてよかった」というものだった。「アジアは貧しい、貧しいのはこんな目にあうのだ」というとんでもない、お門違いのおもい違いを平気でしていた。
最近近くの水田に水が入り、青々とした小さな苗が規則正しく風になびいている。我々モンスーン気候に住む民族にとってこういった風景は原点であり、なかなか心やすらぐ風景だ。
世界には色々な民族がいてその固有の文化や文明を持って発展してきた。こうこうと輝く月影のもとで湯浴みする風習のどこが貧しいのだ。電気仕掛けでブンブンと空調をきかせて、思う存分シャワーを浴びるそういった方が実際は貧しいのではないか。
そんなことを思った。
*「セントラル・ステーション」(ブラジル)
*「初恋の来た道」(中国)
中国産の映画をこのところ何本か観た「山の郵便配達」「北京バイオリン」、ずっと昔「古井戸」何ていう映画を見たときはくら~い、おも~い雰囲気だったけれど、中国も自らの価値に気付いたようだ。明るく切ない映画です。
*「八月のクリスマス」(韓国)
韓流なんて言葉がまだなかった頃、韓国映画の面白さに気付かせてくれた一本。
*「運動靴と赤い金魚」(イラン)
物があふれている現代の日本では考えられないような、清く正しく美しく切なく泣かせてくれる映画です。
*「プラトーン」(アメリカ)
(はる1122より転載)
戦争映画の名作と言うのは古今東西色々あるけれど、皆似たり寄ったりだな、そのなかで最近の作品で印象に残っているのは「プラトーン」かな。あの鬱蒼としたジャングルのシーンや徹底した爆撃のシーンは忘れられない。
占領したアメリカ軍がベトナムの美しいメコンデルタ地帯を焼き尽くしながら前進してゆく。捕虜になったベトコンが恐怖のために笑いかけるのだけれど、誤解されて射殺されるシーンなど同じアジアの同朋として、何か釈然としない気持ちになったものだ。この映画の根底に流れている感情は「どうしょうもない戦争の空しさ」のようなきがしたけれど、この「ブラザーフッド」にも同じような空しさを感じた。
朝鮮は半島であるけれど、大陸と繋がっている。長い民族の歴史の中で、隣に大国があるにもかかわらず独立した文化を保ってきた。そういった気位の高い民族が、歴史の流れの中で分割され,互いに同じ民族でありながら戦わなくてはならなくなった。そういった意味の悲しさ、空しさというのはなかなか消えるものではないだろう。ひょっとすれば、我々にもその可能性があったわけで、今安穏と暮らしてはいるけれど、平和というのは脆いものなんだ。そんなことを感じた。今何やら焦げ臭い世の中なので、そんなところ注意して観てもらいたい。
後半はリクエストがあれば書きましょう、では。
*「センス・オブ・ウーマン」(アメリカ)
*「ショーシャンクの空」(アメリカ)
*「ミッドナイト・イクスプレス」(アメリカ)
*「サイダーハウス・ルール」(アメリカ)
*「ショコラ」(フランス)
*「アメリ」(フランス)
*「ディーバ」(フランス)
*「ボンヌフの恋人」(フランス)
*「シャコンヌ」(フランス)
*「ベティ・ブルー」」(フランス)
*「踊れトスカーナ」(イタリア)
なんだかねぇ、訪問者が10人以下になりました。どうしてでしょう?
Movie batonがNo Bluesさんから送られてきました。今日はもう眠いので、とりあえず今日は質問だけ。
面白そうなので、明日以降に書きます。待っててください。
◆最後に映画館で観た映画
◆今までで観た、一番泣ける映画
◆期待はずれだった映画
◆お気に入りの映画5作品
今中沢新一の「僕の叔父さん 網野義彦」を読んでいる。その中の一説を思い出した。
「あちらの世界」と「こちらの世界」のどちらにも属さない一種「境界=完全に自由な領域」の部分がこの世にはある。この「境界」には結界がはられていて普段は行き来ができない。
ところが年に一回、海のかなた(ニライカナイ)から神様(まれびと)がやってきて、「あちらの世界」からの風を「こちらの世界」に吹き込む。色んなしがらみや、悩みや苦しみに辟易している「こちらの世界」の人間は一時その風に吹かれることで、癒されまた新しい活力をえるというわけだ。(少しアレンジした)
どんな民族でも同じようなはなしがある。ギリシャ神話の「オルフェイス」のそうだけれど、日本の神話「よもつひらさか」にも似たような話だ。
七夕の織姫、彦星の話もなんとなく似ていますね。
(はる1273より転載)
「七夕・お祭り・願い事」
絵を描く理由は何なのか?なんてね。ハッキリ言っていまもって私にも分からないというのが本当のところじゃないのかなぁ。
ただ私が今興味をもっているのは、きっちりとアカデミックに教育を受けた作家の作品より、自らの自然な欲求にしたがって作られた作品というのか物・オブジェの方に興味があります。
たとえばアフリカの原住民が生活の中で、ほぼ日常的に使う穀物倉庫の扉とか階段とか、その他お祭りに使うお面とか武器や盾などなど。インドのある地方では日々の暮らしの中で、玄関や壁その他あらゆるところに絵を描いて、その日一日の無事や健康を祈ったりするらしい。鳥や象や人間がモチーフとしてでてくるのだけれど、それがものすごくいい。
たぶんクレーなんかはきっとこれを見ているのじゃないかと推測したりする。日本の地方でもお祭りに使う民具、なんかに素晴らしいお面があったりする。
共通しているのは、どれもこれも全て名もないただの人が、日々の暮らしの中で静かなそれでも深い「おもい」の中で作ったものだということだ。
できれば私の作ったり描いたりしたものたちも、そういったものたちと心情的に同じものでありたいと思う。
(はる 396より転載)
七夕まつりのシーズンだ。昨日スペインの「マリア信仰」の祭りのはなしをやっていた。実際のところどうなのかわからないけれど、確かにいえることはまだしっかりと「信仰」というものがベースにあって、たとえ観光化したとしても「自分たちの祭り」という意識は強く感じられた。
日本の祭りはただの「観光まつり」であったり、お上のやる「やらせまつり」だったり「商売としてのまつり」というイメージが強い。こういったお仕着せのお祭りはたぶん段々に無くなってしまうのではないかと危惧している。
「祭」は本来は神にものを「まつる」からきている。神々がいなくなった以上、形だけ「まつり」を真似しても遅かれ早かれ意味のないバカ騒ぎで終わってしまうだろう。
スペインのその祭りの話で印象に残ったのは、そのマリア像に捧げる哀悼の歌で、その街の酒屋の親父さんが唄うのだけれど、これがなかなか凄い。
信仰に裏打ちされているとはいえ、多くの人がその歌を聴いて涙を流すのだから。誰に教わったのかという質問に「この歌は教えられるものではないし、教わったこともない。自分の感じたことをいかに人に伝えるか、そのことだけを考えている」と答えていた。すごい!
(はる 146より転載)
笹に短冊、モミの木にサンタさん、洋の東西を問わずやることはにてますね。
ただ日本は八百万の神さんにがおわしまして、短冊に書いたお願い事をどなたかの神さんが救い上げてくれるというわけだ。まぁご都合主義といえばそうかもしれませんね。
無神論者の我々でも、心のどこかで人智を超えた「おおいなるもの」の存在を信じているところがある。でなければ、初詣もお宮参りも、七夕さんもすでにとっくになくなっているわけで、初詣に長蛇の列の日本人をみた外国のひとは、この国の人は信心深い国民とおもうだろうな。
何はともあれ、七夕に乾杯!
パソコンの周辺の機械を買いに、まぁよくテレビなんかで宣伝している量販店にでかける。
しかし前にも書いたことがあるけれど、こういったお店はだいたい何を商っているのか良く分からない。そこに居る店員さんはただの店番の丁稚であって、電卓もっていくらになるか、どれだけ他の店より安いか、そんなことだけを競っている、ただの店番さんに過ぎない。例えそれが芋を売っていても帽子を売っていてもその人にはまったく感心が無く、少しばかりパソコンの知識があるに過ぎない感じがする。
「仕事」というのはそんなもんでいいのかなぁ、彼らは何が面白くてそんな仕事を選んだのだろうか?一年やっても十年やってもなんら変わらない、そんな「仕事」って面白いのだろうか。最初はまぁ一生懸命やるだろう、成績がのびて面白いかもしれない、そのうちにただいかに手を抜くかそのことに自分の能力を使うようになってくる。そうなったらもう仕事は単に苦痛でしかない。
難しい。「仕事」に関してはよく考えた。結局人間にとっての仕事は農業を含めて「職人仕事」に行き着くのじゃないかなぁ。どうだろうか。
(はる 477より転載)
イタリアのアッシジに行きたかったのは、聖人フランチェスコに会いたかったわけではなくて、そこの大聖堂にあるジョットの壁画を観たかっただけだった。住んでいた村からローカル線に乗り換えていくらかいったところに、このフランチェスコ派の聖地アッシジがある。日本の何処かの総本山のようなもので、多くの人は信仰に関係なく、やや観光地化したこの街を訪れる。
駅を降りると遠くの丘の崖っぷちにその教会がみえる。バス停を見つけて出発をまつ。とろとろとバスはその丘をめざす。クネクネと曲がりながら、段々にその白い全容を見せていく。「いよいよか」「これがフランチェスコ教会か」という感慨の方が強かった。
ルネサンス以前の西欧では、まだ遠近法が完全なものでなく、大切なものは大きく、背景は小さく、日本なんかと同様にプリミティブな自在な構成で、表現としては力強く強烈なインパクトを持つ壁画を生んだ。色彩においても共通点が多く、特に金箔地の背景などは、西洋と東洋を結びつける考え方だ。
金色という色は絵の具にはない。(まぁ最近は特殊な色としてあることはある)ダビンチもレンブラントも金色など使わないで金の光沢を容易に出した。
私は金色が欲しいわけではない。物質的な金属の光沢やそのざらざらした肌合いがほしいのだ。 日本画では昔から金属箔を使用した。有名な作者不明の「日月山水図屏風」は箔を使用した鎌倉時代の傑作だ。あと尾形光琳の紅梅図とか、数えれば切りがない。
そうやって西洋にはこういった伝統はないのかなと眺めてみると、そうそうルネサンス以前のイタリアの祭壇画、たとえばシモーネ・マルティーニとかジョットの聖母、ここらあたりは黄金背景が当たり前だった。
やっていることも画材もほとんど同じで西欧ではテンペラ画といって接着剤に卵を使った、日本はニカワをつかったそれだけの違いだ。洋の東西がぴったりと重なる。
いずれにしろ、金色は人類共通の憧れの色、天上の色だったのだ。
(はる 860より転載)
かなり前の映画だけれど、エディ・マーフィの「大逆転」という作品があった。いつものようにハリウッド映画特有のどたばた喜劇だけれど、なかなか現代の問題点をそれなりに言い当てていて面白かった。
主人公の乞食のエディがひょんなことから、ニューヨークの有名な相場会社の社長(こういうのを何ていうのだろう、日本で言えば証券会社ということになるのかなぁ)に拾われ社長までまかされるようになる。なんだかんだあって又もとの乞食に戻されるのだが、そこからが面白い。元に戻されたエディ、人生をもてあそばれた腹いせに、今まで仕入れた知識を元に悪巧みをはたらく、オレンジの今年の作柄情報を上手く操作して、一晩で社長に返り咲き、相手の社長は一文なしになるという話だった。
リンクさせてもらっている「まれびと」さんの「エンデの遺言」を読んでこの話を思い出した。お金には二種類あるという話、なるほどなぁと思った。我々が普段なにげなく使っている「お金」とたとえばここでいう相場でいったり来たりする「お金」は全く違うものだということだ。数字上は100は100だけれど、日常の100円と数字の100とは違うものなんだ。
デジタル時計とアナログ時計との違いに似ているかな。一時間の遅れはアナログの場合、長針を一周しなければカバーできない。けれどデジタルの場合、一つの操作で済む。同じ一時間なのにね。
我々日本人は未だにここの区別がついていないのかもしれないね。バブルの時やたら浮かれたのはこの数字の泡に踊らされた、どこかの国にしてやられたのも結局はこの数字の数なんだ。ところが怖いのはこの数字は実際の世界とリンクしていることなんだなぁ。
(はる 609より転載)
どうにもこうにも、ならん。反応が鈍すぎ。重すぎ。待ってられん。はやく何とかしてくれ!
「スターウォーズ3」を観た。映画スターじゃないけれど、J・ルーカスはやっぱり映画界のスターだ。
(はる 1476より転載)
モーツアルトなんかを聴いていると、美しい音楽というのは全てに勝つのではないかと思ってしまう。
イメージだけの話かもしれないけれど、例えばベートーベンの音楽には「歓喜の歌」に代表されるような、「人類の・・」とか「普遍的な・・」とか、そういった哲学的なコピーがつく。
人生は楽しいことばかりではなく、いろんな厄介なことがポッカりと口をあけて待っていることがある。耐えて忍んでやがて歓喜に至る、確かにそれは心の底から打ち震えるような感動をおぼえるかもしれない。
それに比べると、モーツアルトにはそういった苦悩は感じられない。音楽は天上から降りてくるように、キラキラと滞ることもない。ただただ美しいだけだ。
で、音楽はそれでいいのかなぁと思う。
日常生活で辟易している時にベートーベンは重いよな、リーモーガンの「御気楽なアドリブ」で充分幸せになれるものなぁ、たとえ後数時間後に射殺されようとも今は幸せだもの、と思った次第。
映画でもエンターティメントこれが一番大切な要素だ。
「スターウォーズ3」を観た。映画を観に出かけるのは楽しい。最近はDVDとかデジタルハイビジョンだとか、かしましいけれど、やっぱり映画は映画館で観なきゃ。絵を観るのに画集やビデオも便利だけど、やっぱり本物を観てもらいたいからね。
「スターウォーズ」はみんな観たかな。こういったSFXものもずいぶんとあるけれど、この作品やハリソンフォードの「インディー・ジョーンズ」の一番最初あたりがやっぱり衝撃だったなぁ。もう25年くらい前になるのだろうか。
今じゃ珍しくもないけれど、最初にタイトルからあらすじが提示されるのだけれど、それが遠近法的に宇宙のかなたに流れて消えて行く、で突然宇宙船が目の前を通過して行く、これが新しい感覚だった。
今までは明らかに作り物だと分かるようなロボットや宇宙船だったものが、すごく臨場感のある映像になった。この驚きは今の子供たちには分からないだろうな。
そういった意味でJ・ルーカスの「「スターウォーズ」は代表作といえるのじゃないかな。
ただあまりにも物語が長くなりすぎたために、つじつま合わせに始終して、最初の頃の自由な物語の発展性がなくなってしまったように思う。こういったシリーズものは大体において第一作を越えることは難しいね。
眠くなった、続きはまたこんどだな。ではでは。
東京で山下洋輔のジャズコンサートを聴いて来ました。
最近は時々この人の名前を聞くからご存知の方も多いかとおもいますが、まぁ日本ジャズ界のなかでも屈指のユニークなピアニストでしょう。あのミジンコ評論家でもあるサックス奏者・坂田さんとくんで、はかたらみればほとんどでたらめな雑音としか聞こえない音楽を、凄くまじめにやっていたサムライです。
山下洋輔といえば、数多くの逸話がありますが、彼のピアノは指で弾くというより、ひじで弾く、へたすればお尻でも弾く、という過激な奏法でその名前を馳せました。さすがに最近は歳食ってそういうお目茶は聞かなくなりましたが、反面少し寂しい思いもしていました。
今日も最初はわりと大人しめのバラードから入って行きました。元々かれのジャズにはアメリカのジャズの影響はすくなく、どちらかといえば西欧の現代音楽に近いものがあって、メロディーの美しさを聴くとか、ジャズのスィング感を楽しむとかいう音楽ではなく、音そのものが全て同列で存在を主張してくる、そんな感じだろうか。(本人が聞けば怒るかもしれませんが)
彼は何かのインタビューで「ピアノを打楽器として歌う」といっていたけれど、あのピアノの弦の音が全て鳴っているような状態から立ち上がってくるかすかなメロディは感動的ですらある。
圧巻は、最後に演奏したラベルのボレロで、まさに彼の音楽のためにかかれたような音楽だ。ご存知のようにフランスの印象主義の作曲家にドビッシーとラベルがいますが、彼らの音楽には明確な調子とかメロディみたいなものはなく、音そのものの印象、キラキラと輝く美しい光景の描写などが多い。
少し前に一世を風靡したサティーなどもそうですが、実にユニークな作家があの国からはでてきます。それというのもかの国が自由で色々な国々の人間をその懐にかこったからだと思いますね。
ボレロはラベルの作品のなかで特に最近はバレー音楽としてよく演奏されるけれど、同じ旋律の無限な繰り返しで、次第に高揚してくる。
祭りの太鼓や宗教音楽などでもそうだけれど、人は同じ音やメロディの繰り返しに酔ってくるところがある。
打楽器でもあるピアノと繰り返すメロディーと適当なジャズのスィング感、その全てが大音響で迫ってくる。これは素晴らしかったな。
(はる1392より転載)
癒し系ではないかもしれませんが、こころ高揚する気持ちいい音楽といことで、TBしました。では
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館