あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

デジャビュー/「どこかでみた風景」 - 2005.06.30(日記)
はる 1474
 さぁ、もう六月も終わってしまう。今年も半年過ぎてしまったな。

 ちょうど今ごろが一年で一番夕暮れるのが遅い。いや「夕暮れる」なんて言葉はないようだ、変換しようとしても出てこないところをみるとね。

 日中暑いさなか東京のグループ展の作品を梱包して宅急便の集配所まで持ってゆく。たったこれだけのことなんだけれど、体中の汗が噴出してべたべたと気持ち悪い。

 で帰って来てアトリエにひっくり返って、レトロな扇風機をカタカタいわせながら、空を眺めていた。何の事はないいつもの風景なんだけれど、暮れの少し赤みをおびた日差しが快かった。

 そのこころよさはデジャビューではないけれど、「どこかでみた風景」なんだな。言葉にすれば「きれいな青空と夕日」ということになるのだけれど、それだけではない何かが心の片隅に引っかかっているようだ。

 子供の頃、ちょっと遠くの友達の所まで遊びに行った。ついつい遅くまで遊んでしまって、帰り道は段々日が暮れてきて心細くなんてくる。そんな時にみた夕焼け空に似ているのかな。

 まだまだありそうだ。ではまた明日。



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あの映画スターが好き・TB - 2005.06.30(日記)

 ジャック・ニコルソンのアバウト・シュミットを観た。今日は映画の日でほぼ通常の半分の料金で観る事ができる。映画好きには外せない月一回のチャンスというわけだ。

 この間「マトリックス2」を観て、もうこういった特撮は飽きた、我々が観たいのは空飛ぶ車でもないし、信じ難いほどの超能力でもない、きっちり人間を描いて欲しい。なんて生意気な感想をかいたのだけれど、同じような感想を持つ人にはこの映画はおすすめだ。
 ジャック・ニコルソンといえば「カッコーの巣の上で」とか「シャイン」近くでは「恋愛小説家」など、そうそう「スーパーマン」の悪役でも主人公のスーパーマンを完全に食っていた。そんな癖の有る俳優で、お気に入りの一人なんだけれど、この映画の予告を見ただけで、これは是非観なきゃと思っていた。

 この映画は彼一人のために撮られた映画だ。いってみれば彼がこの年になるのを待って撮られた映画だということができるだろう。一人の優れた俳優は、ただ単に年取った老人ではないということだろうか。彼はこれからも我々に心に染みとおるような映画を作ってくれるだろう。
志村喬の「いきる」を思い出した。~いのちみじいかしぃ、こいせよぉおとめ~

 我々から少し上の世代、そろそろ定年を迎えた先輩諸君に観てもらいたい。

(はる 751より転載)



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丹下健三を語ろうTB - 2005.06.29(日記)

  インテリアコーディネーターとかキッチンコーディネーターだとか、まぁいわゆる建築関係のその周りの仕事が注目を集める。建築そのものはどちらかと言えば男性的な仕事で、その周りの装飾的な仕事は女性的な仕事と言えるかな。

 一時、定時制の建築の関係の専攻科で色彩の基礎的なことを教えていたこともあって、そんなことも少し勉強した。まぁほとんど独学のようなもので、専門的にそのことについて学んできたわけではない。

 日本の建築家の建物は、丹下健三などを筆頭に海外でけっこう評判をとったりする。外国の本屋さんで見かけたのは建築家の名前の入った本ばかり目に付いた。日本国内で建築家はそれほどメジャーな職業だっけなぁ・・などと思ったものだ。

 西欧諸国の基本的な考え方は、アートは建築に集約されると考えている。有名な彫刻家が建築家であったりしたし、当然絵もかけたのだ。考えてみると、絵は壁にあけられた窓だったし、室内のインテリアは建築の装飾の一部だったのだろう。そこの考え方が、日本人の建築家とは大きく違う気がする。

 日本の建築家の建物が奇抜で海外で注目されるのは、ある意味で日常の生活観とかけ離れたものが多いからではないかなぁ。というのは、我々が考えている建築というものは建物だけで完結していて、そこでの生活みたいなことは置き去りにされている。建築家はそこまで責任を持たなくてもいいと考えているのではないかな。

 有名な安藤忠雄の出世作「住吉の長屋」は例によってコンクリートの打ちっぱなしなんだけれど、トイレが外にあって雨が降った日は傘を差してトイレに行く、そういった建物だそうだ。話としては面白いけれど、はっきり言って住み辛い。

 それは我々の側からもいえないかな。絵を掛ける、飾る、ある種の見せ方、TPOそんなことを考えて絵を描いている作家はいるだろうか。絵は有名な画廊や美術館で鑑賞するもので、自分たちとは関係ないものだと考えてはいないだろうか。しかし本来絵画は壁にかけられて、飾られて、日常生活の中で鑑賞されて初めて完結するのだな。これはかなりきわどい意見だけれど、どうだろうか。

 どんなに素晴らしい芸術品を持ってきても日常生活の中でそれが使いこなせなければ、ただの絵に描いたもちで何の意味もなさないということを言いたかったのだ。
  (はる 1398より転載)



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 コルトレーンの「Blue Train] - 2005.06.28(日記)

12s

  クロッキー6/19 12s


はる 1472
 昨日のアルバムの詳しい事がわかった。
 コルトレーンの「Blue Train]どうりで耳にここちよい訳だ。

 トランペット・リー・モーガン
 テナーサックス・ジョン・コルトレーン
 トロンボーン・カーティス・フラー
    例の村上春樹の「アフターダーク」のBJMとしてでてくる
    ジャズトロンボーン奏者
 ピアノ・ケニー・ドリュー
    どちらかといえば、新しい感覚(北欧的)のピアニスト
    かな、この後キースジャレットなど似たような感覚の
    ピアニストが出てきた。
 ベース・ポール・チェンバース
    オーソドックスなプレイヤー
 ドラム・フィリー・ジョー・ジョーンズ


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ピアノはやっぱりビルエバンスみたいに哲学的な瞑想がよく似合う。 - 2005.06.27(日記)

11s

      6/19 11s


 はる 1471
 今車の中で聴いているジャズは誰のだっけなぁと、薄ぼんやりと考えている。リーモーガンのトランペットが軽快にアドリブを唄っているやつで、たしかコルトレーンのカルテットだと思ったのだけど、確かではない。いつも流しっぱなしで、このところお気に入りのアルバムだ。

 リーモーガンは天才で詳しいことは知らないけれど確か30歳まで生きなかったと思う。自分の奥さんに射殺されたという何ともショッキングな事件で一生を終えた。

 けれど音楽はすこぶる上等で、滞ることなく音が連なっている気持ちのいいアドリブの天才だ。

 ジャズメンなんかでも楽器によってわりと性格が決められるような気がする。いやただ単にイメージだけかもしれないけれど、テナーサックスはソニーロリンズのように豪快で委細かまわずガンガン進んで行くというイメージ。同じサックスでもアルトやソプラノになると、やや軽快な明るい南国ラテン的な乗りを感じるね。技巧派が多くなる。

 ピアノはやっぱりビルエバンスみたいに哲学的な瞑想がよく似合う。夜になるとジャズピアノが聴きたくなるね。さぁ今夜はもう店じまい。風呂はいって一杯飲んで寝るぞってなかんじ。

 ペットは何処までも明るいね。クラッシックならモーツアルトかな。ちょと違うか。

 てな事を書いていると今日も終わってしまった。また明日。



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シェスタ=怠け者の惰眠 - 2005.06.26(日記)

10s

   クロッキー6/19 10s



 はる 1470
 午前中は個展のDM住所ラベル貼りの内職。何年か前から個展のDMは手書きを止めた。今でも手書きで案内をくれる作家がいますが、頭が下がりますね。本当はその方がよろこばれるのは百も承知だけれど、ここは案内と割り切った。まだまだ一ヶ月先の話ですが、自分の時間の器ではタイムリミットです。

 午後は暑くなってきたので、市内の画廊まわりをする。家にいても昼寝するくらいしかできない。

 これから夏に向かって午後は板の間の、風通しいい廊下で昼寝する。シェスタ=怠け者の惰眠。あまり大きな声ではいえないが、案外これのために仕事やめたのかもしれない。

 もう眠くなったので、止めます。ではまた明日。



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鈴木義晴さんが個展を開催中です。 - 2005.06.25(日記)

9s

  クロッキー6/19 9s



  はる 1469
 東京に出ました。もう真夏でしたね。

 個展が二つ、グループ展が二つ重なって、まぁちょうど気分転換ということで、銀座の画廊まわりをしてきました。

 今はブランド通りになっている並木通りも、昔は有名な老舗の画廊が軒を並べていた。そんなことを懐かしがってもしかたないことだけれど、何にも知らない若い女の子たちが、そういったブランドショップに吸い込まれているのをみると、腹立たしい気分になる。

 グループ展も長く続くと多くの場合マンネリでね、新しい絵に出合える面白みもない。ただ最近脳血栓で倒れて半身が不自由になっても、その状態あるがままを受け入れ、飄々として画人の道を歩まれている姿を見ると、けっこうカッコいいなぁと思う。出来れば自分もこの道を全うしたいと思う。

 東京には一ヶ月に一度出るかでないかぐらいだけれど、まぁ出るとどこかで知り合いが個展やグループ展をやっているので、けっこう楽しめる。

 最後にギャラリー惣 に寄る。春陽会の若手の鈴木義晴さんが個展を開催中です。7/2まで、独特な心象風景がなごみます。機会のある方は寄ってみてください。

 それではまた明日。



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現代人は孤独な集団だ。 - 2005.06.24(日記)

8s

  6/19 8s

はる 1468
 人を迎えに駅まで行く。時刻がはやかったせいか、まだ一杯気分のサラリーマンも少なく、待ち合わせてこれからどこかに出かけるカップルや若い人が多かった。ぼんやりと他人事のように行き交う人々をながめていると、映画のワンシーンのようでけっこう楽しめた。

 気付いたことは多くの人が、ケイタイを片手に芝居の独白のように天に向かってしゃべっていることで、少し前の人間がこの様子を見れば、現代人は孤独な集団だと思ったに違いない。

 ケイタイを持つことで、目には見えないけれど人は不思議なバリアーをかぶるようだ。まるで他人は眼中にないし、遠い視線でものを眺めている。こころはそこにはない。

 今まで気がつかなかっただけかもしれないが、集団とはそういった個人のあつまりなんだろう。ケイタイという文明の機器を持つことでそれが浮き彫りになったというだけかもしれないな。

 それにしても不思議な道具だ。

 ではまた明日。


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人間国宝的なアートの話・TB - 2005.06.23(日記)

7s

クロッキー6/19 7s



 アートのTBが少ないねぇ。それに比べて日記の繁盛していること。テーマと関係ないTBも多いようだし、ちょっと考える必要があるのじゃないでしょうか。

 たとえば、少し前「日本人には顔がない」などと言われた。どういうことかといえば、商談が成立するそこまではにこやかにそして有能に事が進むのに、その後日常会話になるとまるっきり会話が進まなくなる。


 海外でもよく知られた「能」や「歌舞伎」、それこそ人間国宝級の話は一般教養として有能なビジネスマンはしってはいるだろう。けれど、それは単に教養であって、自分の身についているものではない。


 アートというのは何も特別なことではない。特殊なそれこそ限られた人間だけが楽しめばいいというものではない。全てのことが自分の人生とつながっています。それをいかに自分のことばで表現するか、それがアートだと思いますね。


 どうでしょうか。



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これぞ人間国宝・TB - 2005.06.22(日記)

 う・・ん。それにしてもなんとも面白くないお題ですね。アートのトラックバック、何とか面白い文章をとかんがえるのだけれど、身近に「人間国宝」なんて人がいませんし、それに大体が伝統工芸や職人の人たちで、お年寄りが多い。旬のアーティストという意味では、少し違う気がしますね。


 大体日本人は肩書きがすきでね。芸を見るより肩書きを見て「ほ、、、」などと感心している。要するに自分独自のものさしがないのでしょう。まぁ難しいちころですが、そういった教育がなされていないということでしょうかね。


 文化勲章なんかでも海外で先に認められてから、跡でおずおずと受賞なんてことが多いな。なんだろう、この国は、そういったことでも独自のものさしがないね。


 もうある程度認められたものに賞を出しても仕方ないのでね。青田刈りでも、お手つきでも、これだとおもった人物やアーティストをどんどん「人間国宝」にしてゆけばいい。褒められりゃ、豚も木に登るで、その中で一人か二人まともなやつが出てくればいいのじゃないかな。どうでしょう。



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空梅雨のようですな。 - 2005.06.21(日記)

5s

裸婦クロッキー6/19 5s


はる 1465



 なんだかね、空梅雨のようですな。

 昨日は一日アトリエにこもって仕事をしていました。何も出かける用事が無いということは珍しくてね。家にいればいたでけっこう雑用があるものです。誰かお手伝いさんでもいて、雑用を片付けてくれるなら別なんでしょうけれどね。そんな人はまれでしょう。

 このところ20号の作品に手を入れていて、なかなかうまくいかなかった。私の描き方というのは前にも書いたけれど、画面から何か出てくるのを待っているという風な描き方なもので、でてこない時にはまったくお手上げだ。

 ということで、また明日。


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映画「黒いオルフェ」を思い出したからだ。 - 2005.06.20(日記)

4s

 裸婦クロッキー 6/19 4s


(はる 1459より転載)

 ボサノバという魅力的な音楽を知ったのは、ちょうど大阪の万博の頃だった。それまでもブラジルのサンバのリズムと踊りは神戸みなと祭りのパレードで観たようなきがするが、リオのカーニバルの記録映画だったかもしれない。そこらあたりはあやふやだ。

 セルジオメンデスとブラジル66だか70だか、よくおぼえていないのだけれど、「マシュケナダ」とか「おいしいみず」「ワンノートサンバ」などなど、今まで聴いたこともないような美しいメロディーとリズムに夢中になった。

 当時、簡単な再生装置しかなかった日本のオーデオ機器界に、セパレートステレオ装置なるオバケが大流行していて、何処の家庭にも大きな装置が、まるで神具かなにかのように、ドデ~ンと鎮座していた。

 そういったことも関係していたのか、一気に日本人の音楽嗜好が世界に広がっていったように思う。

 ボサノバのリズムは歌謡曲やGS,フォークソングぐらいしか知らなかった私たちには、実にエキゾチックで素晴らしく魅力的にきこえた。

 大学生になって自分の働いたお金でレコードが買えるようになると、自然にジャズやボサノバのレコードが多くなった。

 バーデンパウエルのボサノバギターもそんななかの一枚だ。

 なぜそんなことを思い出したかといえば、最近絵を描いていて突然映画「黒いオルフェ」を思い出したからだ。映画そのものはほとんど忘れてしまったけれど、バーデンパウエルのこの音楽のメロディーは何かの拍子にいつも口をついて出てくる。

 パブロ・カザルスの十八番に「鳥の歌」という物悲しいうたがあるけれど、印象がいつも交差する。

 ラテンといえば底抜けに明るいイメージがあるけれど、だからこそこういったもの悲しいメロディーがよけいに心に響くのかもしれないな。

 なんだか、とりとめもないだらだらした文章になってしまった。又明日。

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裸婦クロッキーに行きました。 - 2005.06.19(日記)

 2s

   クロッキー6/19 2s

はる 1463
 今日は朝から裸婦のクロッキーにでかける。一ヶ月に一度だけれど、もう10年以上は続いているかな。何事も継続は力なりってね、どうなんでしょうか。技術をみがこうとは思っていないのですがね。

 モデルに対峙すると余計なことはほとんど考えない。どうすればそこにいるモデルの動きとか緊張感を画面のなかに定着できるか、少しはましな線がひけないかなど、ほぼ頭の中は空っぽになっている。

 私の本画というのか、日ごろ描いている絵は、実際のモチーフを観て描くことがない空想画ということになるのかな。何もかかれていない画面を見ながら、自分の心の中を彷徨している。それゆえに具体的なモデルを見て描く行為は反対に、新鮮にかんじる。また楽しい。絵を描くことの原点だろうなと思う。

 最近は色んなゲームやバーチャルな機器が盛況だけれど、こうやって鉛筆一本で楽しむことができる遊びは単純だけれど、普遍性があるように思う。出来るだけ多くに人にその楽しみを分けてあげたいと思うのだけれど、絵を描く人口は減っている気がするな。

 さて、今日はここまで。また明日。



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この左上の広告はすごいなぁ。 - 2005.06.18(日記)
 しかし、この左上の広告はすごいなぁ、はげの話を書いたら、かつらのコマーシャルが載っていた。そういう検索システムなんだな。驚いた。

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親父に贈ることば・TB - 2005.06.17(日記)

 髪を長くして後ろで縛っていたらかなりの量の髪が抜けた。もっともそうでなくとも薄くなってきていたのだが、あと何年今の髪型でごまかせるだろうか。

 とうに亡くなった親父も、そのまた親父もはげていた。特に祖父はみごとに禿げ上がってかがやいていた。母方の祖父もはげていたことを考えると、隔世遺伝の法則によれば、避けられないということだ。まぁ兄たちをみれば、自分の近い将来の予測がつくというのものだ。まぁ楽観はできないねぇ。

 はげることがほぼ見えてくると、町を歩いていても同じような年恰好の親父の頭が気になる。特にやや寂しくなってきたような同類をみると、「おっ、勝ったかな。いやかなり負けている」と勝負にでている自分を発見して、やや悲しくなる。他人から見れば同じ穴の狢というわけだ。

 姑息にも隠すのが一番かっこうわるいとおもうので、最終的には坊主丸刈りという手が残ってはいるけれど、あくまでもこれは最後の手段で、どんなはげ具合がかっこういいか色んなパターンを観察している。


 親父はまったく気にしていなかった。あたりまえだけど、それなりにカッコよかったね。

 そういえば尊敬しているヘッセもガンジーもかっこよく坊主?だったなぁと視野に入れて慰めている。どうなることやらね。ははははは・・。                 (はる 1174 より転載)

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近所の田圃に水がはられた。 - 2005.06.16(日記)
はる 1460
 今日は、まぁ一日中なんとも嫌な天気でしたね。少し太陽が顔を出したかと思ったら、しばらくするとポツポツと降ってきた。

 それでも近所の田圃に水がはられて、お百姓さんも田植えの準備に忙しそうだ。こんな風景は嫌いじゃない。

 どうも、今日はここまで、又明日。



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働きたい場所・TB - 2005.06.15(日記)

 ちょっとテーマとはずれるのだけれど、「働きたい場所」というのを 、仕事の種類ととった。そういった解釈もありでしょうか?


 先日フランス映画「コーラス」を観た。その主人公はしがない田舎音楽教師。これがなかなかいい。映画の感想でTBしようかとおもったのだけれど、映画のテーマはドイツ映画だったので、ちょっとテーマとはずれるけれど、「仕事」ということで許してください。


 フランス映画にしろイタリア映画にしろハリウッド映画にはない独特の雰囲気がある。無論ハリウッド映画の豪華な特撮や、アクションも大好きなんだけれど、映画館から出てきた時に、何かほのぼのとさせられるのは、ヨーロッパ映画のほうが多い気がする。

 それは多分誰も死なないし、何も壊れないし、おおきな事件もおこらないのだけれど、そこにしっかりと人間が描けているからじゃないかな。

 人にものを教えるのは楽しいことだ。生徒との関係が上手くいっているときは、お互いにいいところを引き出すことができる。そういったことはまれなんだけれど、確かにあるきがするな。

 教師というのは職業としていい仕事だと思う。ある意味人間のいいところだけを信じて、徹底して理想を言いつづけてもいい職業だからだ。そんな仕事は他にない。

 主人公の教師が「手なずける」と言っていたけれど、まさに教育とは「うまく乗せてやる」ことだと思う。私は度量がなかったために続けることができなかったけれど、一生一教員に徹するという生き方もいいかなと、ちょっと思った。

 荒れた子供たちが段々に心開いて、一つの歌を作り上げてパターンは予定調和だけれど、ボーイソプラノの美しい歌声がそれを充分にカバーしていると思う。すがすがしい、後味の秀作だった。



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アール・デコ、元をただせば琳派かな。 - 2005.06.14(日記)

 工芸についてはあまり知識もないのですが、装飾的な工芸作品をアール・デコと呼んで、日本人はわりと好きみたいですね。


 まぁでもたとえばガレなんかをみても、日本人の感覚としてはあまりにもリアルすぎて、これって工芸?と思うことが多いですね。工芸としてはたとえば日本の漆絵とか蒔絵なんかのほうがずっと洗練されているのではないかな。


 浮世絵なんかもそうだけれど、これをまともに評価したのは西欧の美術家たちで、印象派の画家に影響を与えたのはよく知られている。


 それと同じように、ひょっとすると、時代的にいって本阿弥光悦、宗達は17Cだし、琳派の光琳は18Cだということを考えると、西欧の工芸師たちに影響を与えたのは彼らだったのかもしれないなぁ。


 個人的には、同じ装飾的な作品でもスペインの建築家ガウディーとか、オーストリアのフンデルトワッサーとか、クリムトなんかが好きですね。ちょっとちがうかな。では。



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アリとキリギリス貴方はどっち? - 2005.06.13(日記)
はる 1457
 久しぶりにフランス映画「コーラス」を観た。どうも最近体調をくずしていたということや、個展やグループ展が重なって、ゆっくり映画を観るゆとりもなかった。これは末期的な症状で、ついイライラと人に当たってしまう。どんな時にも映画を観るくらいの時間的な気持ちの余裕を持たなければならないね。

 平日の昼間っからフラフラと夫婦で映画を観に行く。はたから観れば「いいご身分」「余裕があっていいわね」ということになるのだろうか。

 しかし、ここのところを間違っては困る。ついつい私たち自身も長年の習慣で勘違いするのだけれど、決して余裕があるからそうしているわけではない。

 今の時代映画など贅沢な遊びではない。行こうと思えば誰だっていけるのだ。昼間であろうが、夜中であろうが、行く気になりさえすれば行ける。ただ多くの人がそういう選択をしない人生を選んだということだ。

 何を大げさなと思うかもしれない。反対に考えればその代わりに失った、失うかもしれない事や物も多いのだ。例えば安定した仕事やそれから得られる安定した収入や安心。そういったものを天秤にかけて、何を優先したかというだけのことだろう。

 アリとキリギリス貴方はどっち?

 映画の内容はまた。いい映画だったな。



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「音を観る」「色を聴く」そんな作品を描きたいと思う。 - 2005.06.12(日記)
はる 1456
 キリスト教について、詳しく調べたわけでもないのだけれど、多少なりとも興味があって、そこそこ色んなところを覗いてみたりしている。

 本来は一神教であって、厳格には他の神を認めないのがキリスト教だと考えていたのだが、例えばよく知られている聖人、フランチェスコ派なるものの信仰はどういう風に理解したらいいのかよく分からなかった。

 イタリアの田舎町などでよく見かけるのが、日本の地蔵さんや道祖神などと同じようなマリアさんの像で、その祠にろうそくが立てられて供物が添えられていたりする。

 民衆というのか日々そこらで暮らしている人々には、難しい教義やお題目など理解できなくて、例えばその地方に伝説的に存在した人物などが、聖人として神様に近い存在として信仰の対象になっていったのではないかと思う。

 そう考えると、西欧の厳格な一神教も、私のようないいかげんな人間にも身近に感じることができるような気がする。

 私にとっての作品はある種のオブジェであって、突き詰めれば何かしら心の拠り所になる(かたち)を探しているような気がしている。それがどういったものなのか、明確には言葉に出来ないのだけれど、それを「うつくしいもの」というのかもしれない。

 タイトルは作品が仕上がってから考えることが多い。色々考えてその作品にぴったりと当てはまる名前を考えるのだけれど、本当にいいタイトルというものは初めからその作品に付いていたかのように、ぴったりと収まる。それはまさしく「降りてきた」という言い方が一番的確なようだ。

 昨年の作品に「音を聴く」というタイトルの作品がある。これは自分の中にある「いのりのかたち」を何とか形にしたいなぁと思った作品なんだけれど、タイトルはまさしく自然に降りて来た。

 これを見たお寺の和尚さんが「観音さんだね」と言った。「音を観る」と書いて仏教では観音菩薩となる。

 「音を観る」「色を聴く」そんな作品を描きたいと思う。


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明日は日曜日ですね。いい休日を・・。 - 2005.06.11(日記)
はる 1455
 個展が近づいてきて、このところDM用の作品の撮影をしたり、雑誌社に案内を送ったり、そんなことでじたばたしていて、いつものように落ちつかない日々を送っている。

 最近は少し大きめの作品は既成の額ではなく、古い民家の板戸を転用したり、輸入品の梱包のコンパネボックスに古色つけて使ってみたり、そんなことで使いまわしていたのだけれど、ここに来て、少々飽きてきた。というわけで、新しく作ることにした。

 もともと工作少年だったので、こういうことはお手の物で、何だかんだと考えるのは最も楽しいひと時だな。

 私の仲間の一人は、自分の作品の額は全てお手製のものにこだわっている。今回、私も一つ作ってもらったけれど、とても素人とは思えない出来で、充分その道でも食べて行けるのではないかと思う。

 しかし、私がやっていることは彼の足元にも及ばないことでね。作品同様、雰囲気だけでいいかげんなものです。まぁ、見てやってくださいな。七月の銀座のグループ展に出すつもりです。

 明日は日曜日ですね。いい休日を・・。ではでは。


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入梅だそうだ。 - 2005.06.10(日記)
はる 1454
 入梅だそうだ。そうだな、もう六月だもの梅雨いりしてもおかしくないか。

 子供の頃は今のように舗装されている道路など少なくて、神戸なら国道の(海岸道路)ぐらいしか舗装されていなかったように思う。雨が降れば当然、道はどろどろで、長靴がなければ足の中までグニュグニュだった。

 ごく小さい頃は子供用の長くつがあったようだけれど、小学校に上がる頃には、みんな平気で普通の運動靴を履いて、びしゃびしゃ歩いていた。今の様な厚手の靴底ではなく、あめ色の薄っぺらなゴム底で、当然雨は容赦なく染み込んできた。

 雨が降ったら、それこそ濡れるのが当然で、みんな学校に登校すればまず靴と靴下を脱いで、机の下に並べて干した。

 そうそう、あの頃の靴はすぐに穴が開いて、雨水がそこからも染み込んできやがったな。濡れたトイレにゆくといくら避けてもさけられず、それがいやで、靴の中で足の指を丸めて歩いていた。

 そういえば(みずたまり)もなくなったな。雨上がり傘でつついてよく遊んだものだ。なんだかそんなことも、なつかしい。

 又明日。


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今年はアトリエにクーラーをいれるかな。 - 2005.06.09(日記)
はる 1453
 カウンターが59000だと。今月中に60000をカウントするかな。1999年にHPを立ち上げてから、六年だからちょうど一年に一万ヒットということか。私のカウンターは訪問者数ということだから、これが多いのか少ないのか、微妙なところだけれど、個人のHPではまぁまぁでしょうか。

 一日に何万ヒットするHPと比べてみてもしかたない。それほど目新しく、面白いものでもないからね。来るもの拒まず去るものは追わず、このスタンスでこれからもやっていきます。毎日一言でも何かしら書き込みたいと思っていますので、これからもよろしく。

 閑話休題

 今日はもう真夏のように暑かった。病み上がりで体力のない私は、昼間はアトリエの床に寝転がってウダウダしているしかなかった。そういえば母親も夏場は苦手で、逃げ回っていた。そういうところまで段々似てくるのかな。今年はアトリエにクーラーをいれるかな・・。

 では又明日。


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何があるか分からないから、人生は面白い。 - 2005.06.08(日記)
はる 1452
 今日は一日パートタイムのお仕事でした。といっても生徒をつれて、近場のスケッチに出かけただけだけれどね。彼らにとっては退屈な授業のつかの間の息抜きかも知らない。

 たいていの事は大目にみてやるつもりだけれど、楽しむことと手を抜くことは違う。残念なことに、それが分かるのはもっと後の事なんだな。

 高校の頃、芸術の選択は音楽だった。当時は、非常勤とはいえ、まさか私が教壇に立つとは思っていなかった。何があるか分からないから、人生は面白い。

 今日はお疲れです。又明日。



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世に言う「先生」と呼ばれる職業は経験職だ。 - 2005.06.07(日記)
はる 1451
 医者にしろ弁護士や政治家もそうかもしれないが、世に言う「先生」と呼ばれる職業は経験職であって、たとえどんなに頭がよくて多くのことを知っていたとしても、実際にたくさんの経験をつんでいなければ、たいていの場合、役には立たない。

 病院のシステムというものは第一に患者の側に立っているべきものなのだが、案外習慣的な義理とか人情とかそういった日本的な派閥意識で成り立っていることが多い。

 私が入院したのは内科の疾患で主治医も内科の若い先生だった。この先生は若いだけあって、フットワークが軽く、経験こそ少なかったけれど、いろいろなことを親身に付き合ってくれて、当時落ち込んでいた私たちの力になってくれた。ある意味すごく感謝しています。

 手術の日にちが決まって、いったん外科のほうに転科します。そこで外科の先生があらためて主治医になります。内科の先生が直接執刀してくれれば問題は少ないのでしょうが、多くの問題はここにあると思います。まぁしかたないことですがね。

 内科の先生は内科的な性格をしています。聴診器をあてて体を押したりたたいたり、間接的な反応を診ることで、患者さんの具合を推し量ります。ゆえにわりと内省的な先生が多いようです。

 外科の先生はそれは切ったり縫ったり、直接患部を診ますので、決断もはやく外向的な性格のようなきがします。一概にはいえませんがね。

 入院中は外科の病室にいました。患部が直って退院ということになって、てっきり内科に移動するのかと思っていたのですが、外科で退院してしまいました。

 再診は外科の先生に診てもらうということです。??ちょっとおかしい。私の病気は外科の怪我ではありません。このままでは患部が直ってよかったねということになってしまう。無理を言って内科の専門の先生にコンタクトをとってもらい、主治医を変えてもらいました。当然でしょう?

 放っておくとそういったことを平気にやるのが、病院ということです。みなさん気をつけましょう。ではまた明日。



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あぁ,なさけなや。 - 2005.06.06(日記)
はる 1450
 午前中はは人の付き添いで病院、午後からは自身の病院と掛け持ち。このごろは病院通いが日課のようで、まぁ私も年をとりました。

 とまぁ一日を表記すればこんな具合につまらない話ですが、これも私の大切な一部でして、こうやって一日一日、ほぼ欠けなく過ぎて行くのですな。

 「人は生きてきたように死んでゆく」という話をどこかで聴いたけれど、この一日の中にも私の一生のエッセンスが隠されているわけで、こうやってグシャグシャとした日常の中で、ちょこっと暇を見つけて絵を描いて、またウダウダと考え事をして、またちょこちょこと絵を描いて、一生が終わって行くのかもしれないな。そんな気がする。

 与えられた時間というのは人みな同じはずなんだけれど、時間の使い方がへたくそだ。一週間のうち実際の労働は丸まる二日しかない。だから考え方によれば人の十倍は絵がかけなければならないはずなのに、残された仕事は人並みかそれ以下の量しかできていない。

 自分が怠け者だということも大いに関係があるのだけれど、たぶんに性格的なもので、日常生活と仕事というのが切れ目なくつながっているというところから来ている気もする。ようするにウダウダと考えてダラダラと仕事するという、怠慢な生活ぶりがそっくりそのまま私の作品となり人生となってしまっているのだろう。

 綺麗なアトリエで安楽椅子に腰掛けて珈琲でも片手に絵を描くというのが、絵描きの一般的なイメージだけれど、私のスタイルは床に汚い座布団をひいて、下手すればそれを枕に眠ってしまうわけで、何ともなさけないグウタラナ様式です。でもそれを恥じているのではないのですがね。

 あぁなさけなや。又明日。


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不便さを楽しむゆとりを持つということなんだろうな。 - 2005.06.05(日記)
はる 1449
 ここのような地方都市は今大きな変革期に来ている。私がここにきた当時の駅前は、そう絵に描いたような木造の平屋の駅舎で、北口と南口が、雨の漏りそうな屋根付きの架橋で結ばれていた。特に北口は寂れていて、離れたところにあるトイレの臭いがいつも漂っていた。 

 何年か前、国体の開催地がまわってきた時に、さすがに県都の駅前としてこれでは恥ずかしいということになって、ご多分に漏れず味気ない大きな駅ビルをぶったてて、東京のそれらしいブランドを並べるテナントなんかも入ったデパート風な装いになった。

 当然昔の駅舎は跡形もなく、駅前の田舎風な噴水もなくなって、ケヤキの大木がここかしこに涼しげな木陰を作る、何処にでもあるような一地方都市の顔になった。

 当時はまだ西武デパートやダイエーが張り切っている時で、駅前にもそこそこ活気があったのだけれど、あっという間に撤退。今では町中にドデカイ廃墟を晒している。このあきビルをどうするかということも頭の痛い問題だろう。

 最近駅前の再々開発が始まった。高層マンションがどかどかと建ちだした。う~何でもっと長いスタンスで考えられないのか、せっかく根付いたケヤキの大木はたぶんまたどこかに移されるのだろうな。

 国体は市長や知事の在任中の話で、恥をかかない程度のことはできたかもしれないけれど、その後のことはどうでもいいのかな。少なくとも50年先を見た街づくりをしないと、また無駄使いになってしまうだろう。

 買い物は郊外のショッピングセンターでいい。ひろい駐車場があって、広々とした店内で自由に買い物すれば、そこそこ満足するだろう。で、人が街に出かけるのは買い物だけではないんだよな。適当なざわめきや雑踏、売り子の掛け声などなど、そういった活き活きとした臨場感が楽しいのだ。

 今日の新聞の読書らんのところに街に住む楽しさについてかかれていた。今更ながら、古い日本の堺とか京町屋、大阪の長屋、そういった伝統的な日本の都市生活の知恵が受け継がれていないことにがっくりとくるなぁ。

 我々は便利に慣れすぎてしまったんだな。結局、町に住むということもそうだけれど、人生を楽しむということはある程度の不便をあえて我慢して、その不便さを楽しむゆとりを持つということなんだろうな。

 又明日。



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夏は神戸で会いましょう - 2005.06.04(日記)
はる 1448
 さて、今日も何だか忙しかった。夜はグループ展の打ち上げがあったのだけれど、ここんところの体調を考えてキャンセルしてもらった。申し訳ない。

 今年も神戸のギャラリー島田で恒例のミニアチュール展(7/30~8/14)があるという知らせが来ました。個展もあるし、「夏は神戸で会いましょう」ということで、皆さんよろしく。

 ではまた明日。



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これは癖なのか、どうかよく分からないのだけれど。 - 2005.06.03(日記)
はる 1446
 まぁ比較的に体調は元に戻ってきました。といっても完璧ではないのが残念ですがね。そこそこ良くなったところで無理をするから、またぶり返すことになるのかもしれませんから、大人しくしていましょう。そうしましょう。

 これは癖なのか、どうかよく分からないのだけれど、だいたい物事の話を二三割ひいていう傾向がある。これは多くの日本人に共通するある種の「美意識」かなとも思うけれど、今の若い人はそうでもないのかな。

 例えば人に物を上げるときに「これは全くつまらないものですが・・」とか「若輩者ですが・・」とか自分に関係する事柄を、より下において話をする方がスムースに事が運ぶことが多かった。

 ところがこういった「ひかえめ」な消極的な「美意識」も一歩外に出ると通用しないことの方が多くなった。「秘すれば花」「男は黙って・・」のような日本的な奥ゆかしさや男らしさは、ただの無能な人間と勘違いされることになる。そんなものかな?

 何がいいたいのか、分からなくなってきた。今日はここまで。



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地震雲? - 2005.06.03(日記)

                     地震雲

                             地震雲?6/3 3:00頃



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