しゃめーる5/2902
はる 1441
さて、今日も一日終わってしまった。夕食が済んでから本屋さんへ立ち読みに出かけた。ちょっと出かけるつもりが、一通りの雑誌を立ち読みすると、時間を食ってしまった。で帰宅したのが、今になってしまった。まぁ楽しい時間だけれどね。
この間ケイタイの契約をするときに、何箇所かの電話番号を登録すれば、そこだけ割安になるという欄があったのだけれど、う~んと考えたけれど、ないんだよね、電話割引してもらうような場所が。
まぁ自宅の電話というのはあるのだけれど、そうだな別に人と電話で長話することもないし、だいたいそういった電話友達なんている?いい年して。だいたい用件だけ話して終了っていう場合が多いからなぁ。
職場といっても、出勤して誰かに挨拶するわけでもない。そのまま自分の教室にいって、時間がくれば授業して終わったら帰る。だれかに監督、管理されているわけでもないし、そういった意味では実に自由な仕事だといえる。反対にいえば全く何も期待されていない、必要とされていないということだけれどね。
気分転換が上手くないのは、こういったことも関係しているかな。絵のことばかり考えている。ご気楽本を読むくらいしか、娯楽がない。憂鬱な気分は益々拍車がかかるばかりだ。まぁそれを楽しんでいるところもあるのだけれどね、わかる?ではまた明日。
5/22 09
はる 1439
例えば兵庫県の県庁所在地は、神戸駅の近くではない。今は知らないけれど、昔は神戸駅の周りは何だかがらんとした殺風景な場所だった。
県外の人が訪ねてきて神戸はこんな辺鄙なところかと思われたかもしれない。(今は昔とかなり変わったようだよ)
山梨県にも山梨市という駅がある。県外の人には本当に知名度の低い山梨県だけれど、甲州、ぶどう、武田信玄ぐらいは一応メジャーなのかな。
おいおい、富士山もあるよというかもしれないけれど、富士山はどうも静岡というイメージだな、一般的には。
かく言う私も山梨県のイメージはほとんどなかった。昔バイトで八百屋にいたときに、甲州葡萄、ももが季節商品でわんさか届いたのをおぼえているくらいで、具体的なイメージは何もなかった。
じゃなぜ今ここに居るのか?また時間があれば書きましょう。では。
5/22 08
はる 1438
午前中は二ヶ月ぶりの定期検診。もうそんなに行く必要はないのだけれど、基本的に吸収できないビタミンがあるそうで、それを定期的に注射で補わなければならない。
鉄も不足気味で常に貧血状態だそうだ。「疲れやすくないですか?」と聞かれると、ずにのって「とても疲れやすいです」と答えるが、実際はなまけ病もたぶんに含んでいる。
突然襲ってくる病気や事故は怖いけれど、どちらかと言えば一時的なことで、どちらにころんでも仕方がないと諦めもつく。私にとっては、このメランコリックな気質の方がよりやっかいだな。これと一生付き合ってゆく方がシンドイなぁ。
明石やさんまさんの子供の名前「いまる」の意味ご存知ですね。まぁこうやって何事もなく、生きていられるのは「いきているだけでまる儲け」って意味だそうです。そう思いましょう!
ではまた明日。
5/22 06
はる 1437
今日もこんな時刻になって、やっと自由な時となった。なんだろうねぇ、色々とやらなければならないことってあるものだな。私のようなプータロウみたいな人間でもそうだから、仕事を持っている人はさぞかしだろう。
この間のトレーダーの彼の話。実際のところは、絵を描くつもりで仕事をやめたらしいのだけれど、毎日が日曜日になって絵ばかり描いているわけにはいかなくなった。要するに面白くないのだ。
仕事を持っていて、忙しい時間の間をかいくぐって何とか絵を描いていた時の楽しさと、そうやって日がな一日中絵のことを考える生活とは、まったく違うことに気がついたらしい。
トレーダーは趣味と実益を兼ねて始めた。しかし私から言わせれば彼はもう真剣な絵は描けないだろうと思う。
「絵描き」というのはただ絵を描くことを生業にしているということではない。「絵描き」という生き方だと思うのだ。
今ひとつ説得力に欠けるかな?また明日。
5/22 03
はる 1435
知り合いに早々に仕事をリタイヤして、今はフリーで自宅でパソコン相手にトレーダーの真似事をしている奴が居る。はっきり言って就職していた時と変わらないくらいの収入を得ている。
私の持論で「トレーダーなんて博徒じゃないか」というと、なかなか理路整然と反論してきた。なるほどなぁという面もあって、面白かったな。
アメリカがなぜ世界の経済をリードしているのか、ベンチャー企業がなぜアメリカに多いのか、などなど大いに吹いていた。彼の言うには、まぁ投資というのは未来を買うということである。色んな世界の情報を集めて判断するわけで、これは一つの理論であって、統計数学であるということだった。
それから、それに関連するのだけれど、アメリカにベンチャーが多いのは、政府がそれを奨励しているということもあるけれど、もともと市場経済という考え方が、需要と供給、投資せいを含んでいるということだ。
若い資本のない企業家が自分のアイディアで勝負する。資本は投資家から調達する。そのアイディアがいかに優れたものか、大いに吹いてまわって、資金を集めるわけだ。
投資家にとってもそれを見極める目が必要なわけで、ギブアンドテイク。ここでもアメリカ的な考え方が見え隠れする。
なるほどなぁ、そういわれればそうかもしれないなぁ、と納得した次第です。
しかし・・・・。
ケイタイから写真を投稿してみました。自分の今のアトリエの状態です。小さな作品がまだ未完成の状態で所狭しとおかれています。神戸の個展が七月にあるのと東京のグループ展が重なってちょっとこれから頑張らないとやばいかなと、気持ちはややあせっている状態かな。
ところで、皆さんはもうケイタイなど珍しくないと思いますが、私はやっと持ち始めて一週間になりました。まだまだほとんどその機能を使うことは出来ないのですが、こうやって動きながら瞬時にその情報が送れるのは、画期的なことだなぁ。これをどうやって使うのか、使いきれるのかわかりませんがね。
その同時性というのが、なんとも今の時代を表しているように思う。
今ごろこんなことを言っているのは、相当遅れていることは覚悟して言ってみると、今のケイタイは移動コンピュータだな。自宅のパソコンとつながっているということを考えると、パソコンの末端機ということもできる。
さてさてどのようになってゆくのだろうかね。
はる 1423
朝からグループ展の会場に出かける。いつもなら会場当番以外に美術館に出かけることもないのだが、今年は個展が併設されているということで、一応毎日顔を見せるつもりだ。是非来て下さい。
隣で同時に開催している「NOWHERE展」のメンバーとももう長い付き合いで、お互いに二十台から関係している。表現者として、それぞれがそれなりに苦労して、今がある訳で、そういった歴史がなかなか面白い。
自分の作品も、こうやってずらりと並ぶと、照れくさいものだ。特に古い作品は、けっこう荒が見えて情けなくなる。反対に出来た当時よりよく見える作品もあるわけで、結局プラスマイナスゼロということかな。
たとえば「こたえてください」のシリーズでも、一番最初にできたこの作品は、やっぱり一番良い。いままでこれを越える作品は大作ではない。
まねをして何回か同じ形でスタイルでポーズで作品にしてみたけれど、何かまが抜けた物にしかならない。
今回久しぶりに引っ張り出して見てたけれど、やっぱりこいつは一番完成度が高いなと思った。自分の作品もこのくらい時間が経つと客観的に見ることができる。いつもこうだといいのだけれどね。
さて、こられない方のために、トップに会場の様子 をリンクしておきました。ではまた明日。
28
したの人物の形がほぼ決まった。どこかでジョットの(アッシジ)壁画 (パドバ・スクロベィーニの礼拝堂)イメージがある。音楽で言えばジョットはあのバッハのようなものだろうか。古典は古くなっても新しい。どこかに「祈り」の想いがある。
27
したの人物二人に苦労しています。ホームレス風のジィさんになったり、バァさんになったり、迷っています。どうなりますやら、見当がつきません。
人物ではやはり目が難しい。二ミリずれると表情がまったく違ってきます。周りはいいかげんでもほとんど気になりませんが、目だけはそういうわけにはいきません。かといってあまりにもリアルすぎても周りと調和が取れません。
百回ぐらい描けば、一つぐらいまぐれにピタリとあう目が描けたりします。下手な鉄砲も数うちゃ当たる方式と呼んでいます。ただそれが「いいかわるいか」「合うか合わないか」判断するのは自分の目というわけですな。
結局まわりまわって自分に帰ってきます。いつもいつまでも自分の周りを掘っている気がしますね。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館