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人間の感覚、ちなみに五感というけれど、このディスクトップで表現されている絵というものは、視覚のほんの一部しか満足させるものでしかない。そこのところをよくわきまえて置くべきだろうね。
何でもそうだろうけれど、これからは二極化が大きく進むだろう。こういったブログ化は色んなところで進んで行く。情報源としてもうインターネットはなくてはならない存在になって来た。
けれど、反対に全く情報化されない情報のようなもの。たとえばこういった絵画で言えば、空間とか大きさ、重さ、絵肌、におい、雰囲気などなど、それは実際に画廊なり美術館に出かけなければ感じることができないものだ。
相反するものが、反目するのではなく、お互いに必要なものとして上手に住み分けできるものだけが、それを意識できるものだけが、生き残っていくように思う。なんてね・・。よく分かりませんが・・。
また赤に還元した。元の木阿弥かと言えば、そうではなくてこの赤は最初の赤とは全く違って見える。絵の具そのものは同じものだけれど、何回か塗り重ねることによって違ったものになる。これがバーチャルな絵とアナログな絵と大きく違うところだろうな。
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ベンガラを塗ってその上から金泥を塗りこむ。金色という色は絵の具にはない。(まぁ最近は特殊な色としてあることはある)ダビンチもレンブラントも金色など使わないで金の光沢を容易に出した。
私は金色が欲しいわけではない。物質的な金属の光沢やそのざらざらした肌合いがほしいのだ。 日本画では昔から金属箔を使用した。有名な作者不明の「日月山水図屏風」は箔を使用した鎌倉時代の傑作だ。あと尾形光琳の紅梅図とか、数えれば切りがない。
そうやって西洋にはこういった伝統はないのかなと眺めてみると、そうそうルネサンス以前のイタリアの祭壇画、たとえばシモーネ・マルティーニとかジョットの聖母、ここらあたりは黄金背景が当たり前だった。
やっていることも画材もほとんど同じで西欧ではテンペラ画といって接着剤に卵を使った、日本はニカワをつかったそれだけの違いだ。洋の東西がぴったりと重なる。
いずれにしろ、金色は人類共通の憧れの色、天上の色だったのだ。
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また、カーマインジェッソで赤に還元する。ニコラ・ド・スタールだったかな?「100gの赤は10gの赤より赤なんだ」というのをどこかで聞いたことがある。今はとにかく大変な量のの絵の具を下地にしのばせる。そうすることが兎に角「きもちいい」のだから仕方ない。まだまだ下地作りは始まったばかり、延々と続くのです。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館