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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

今日はもう初夏の雰囲気だった。 - 2005.04.30(日記)
はる 1412
 パンフが出来たので、それに同封するコメントを考える。まぁ今回は小さな回顧展のような感じになるかな。大作ばかりの個展は久しぶりな気がする。ズラッと自分の作品が大きな会場に並ぶのは気分のいいものだろう。楽しみだ。

 ただ新作の個展ではないので、比較的に展覧会を楽しめそうだ。これだけの空間を新作で埋める気力はもう私にはないな。この展覧会が終わったら、すぐに神戸の個展の準備にかからなければならない。まぁ売れっ子作家のようだヮ??

 今日はもう初夏の雰囲気だった。ではまた明日。



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制作過程16 - 2005.04.30(日記)

n16s

16

 人間の感覚、ちなみに五感というけれど、このディスクトップで表現されている絵というものは、視覚のほんの一部しか満足させるものでしかない。そこのところをよくわきまえて置くべきだろうね。


 何でもそうだろうけれど、これからは二極化が大きく進むだろう。こういったブログ化は色んなところで進んで行く。情報源としてもうインターネットはなくてはならない存在になって来た。


 けれど、反対に全く情報化されない情報のようなもの。たとえばこういった絵画で言えば、空間とか大きさ、重さ、絵肌、におい、雰囲気などなど、それは実際に画廊なり美術館に出かけなければ感じることができないものだ。


 相反するものが、反目するのではなく、お互いに必要なものとして上手に住み分けできるものだけが、それを意識できるものだけが、生き残っていくように思う。なんてね・・。よく分かりませんが・・。


 また赤に還元した。元の木阿弥かと言えば、そうではなくてこの赤は最初の赤とは全く違って見える。絵の具そのものは同じものだけれど、何回か塗り重ねることによって違ったものになる。これがバーチャルな絵とアナログな絵と大きく違うところだろうな。

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グループ展のDMが出来きました。 - 2005.04.29(日記)
はる 1411
 今日は暑かったですね。休日の一日どんなふうに過ごされたでしょうか?私はほとんど何処にも出かけず、久しぶりに集中して仕事が出来ました。

 絵を描かない方は小品は簡単だと思われるかもしれない。確かに物理的な大きさはない分、体力的には楽かもしれないけれど、大きくても小さくても一点は一点、変わりはない。小さい画面で大きさを出すのは難しい。作家の度量がひと目でわかるから恐ろしい。

 大きい作品が描けても、小さい作品が描けなければ、作家としては生きて行くのが難しいね。反対に小さい作品ばかりを描いて売っていると、それだけの度量になってしまう。まぁ売れればそれでいいのかもしれないけれどね・・。

 アイディアは不思議なもので、ため込むと腐ってしまうようだ。何でも旬と言うのがあって、その時にいいと思ったらどんどん使ってしまうことだ。これは大作にいいぞ取っておこうと思ったアイディアは、しばらくたって出してみるとつまらないことが多い。

 どんどん出し惜しみしないで出した方が、新しいものが下からどんどん生まれてくるようだ。反対にしばらくアイディアを考えないと全く枯渇する。

 うんうんうなって考えるより、すらすらどんどん出した方がいいようだ。どうも私は熟考方といえばきこえがいいけれど、考えすぎるきらいがある。もっと気楽に楽しみましょう、と。

 さて、夜はグループ展のDMが出来たということで、いつもの喫茶店に出かける。今回は私の個展が併設されているので、メインの扱い。責任を感じます。もしDM希望ならば来る来ないは別にしてメールでお知らせください。DMといってもパンフレットになっています。ではまた明日。



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制作過程15 - 2005.04.29(日記)

n15s

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 またその上から土壁を少しゆるくといて泥状にしたものをかける。本当は手で塗りこみたい。泥遊びなぜかこころそそられる。わかる?


 ここまででまだ工程は半道中。先は長い・・。



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制作過程14 - 2005.04.28(日記)


n14s

14


墨にベンガラを混ぜて染み込ませる。金色に墨が所々なじんで美しいムラを作る。私の絵はこの色むらが大事なイメージの元となる。


 精神分析学でロールシャッハテストというのがあった。紙を二つ折りにしてその中にインクをたらす、それて出てきた形が何に見えるかと問う、例のやつ。それを大きくしたものかな。


 さてあなたは何が見えますか?



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制作過程13 - 2005.04.28(日記)

n13s

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 ベンガラを塗ってその上から金泥を塗りこむ。金色という色は絵の具にはない。(まぁ最近は特殊な色としてあることはある)ダビンチもレンブラントも金色など使わないで金の光沢を容易に出した。


 私は金色が欲しいわけではない。物質的な金属の光沢やそのざらざらした肌合いがほしいのだ。 日本画では昔から金属箔を使用した。有名な作者不明の「日月山水図屏風」は箔を使用した鎌倉時代の傑作だ。あと尾形光琳の紅梅図とか、数えれば切りがない。


 そうやって西洋にはこういった伝統はないのかなと眺めてみると、そうそうルネサンス以前のイタリアの祭壇画、たとえばシモーネ・マルティーニとかジョットの聖母、ここらあたりは黄金背景が当たり前だった。


 やっていることも画材もほとんど同じで西欧ではテンペラ画といって接着剤に卵を使った、日本はニカワをつかったそれだけの違いだ。洋の東西がぴったりと重なる。


 いずれにしろ、金色は人類共通の憧れの色、天上の色だったのだ。



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制作過程12 - 2005.04.27(日記)

n12s

12

  既成の壁土にボンドと墨とベンガラを混ぜて褐色の壁土にする。なぜそうするのか、分からないけれど赤に黒というのは凄くマッチする気がする。赤だ黄色とケバイ色を使っていると、モノクローム系の色が欲しくなるということかなぁ。この錆びた鉄の色(暗褐色=セピア色)というのは、土の色と同じくらい心落ち着かせる。



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製作過程11 - 2005.04.27(日記)
 

n11s

11

 また、カーマインジェッソで赤に還元する。ニコラ・ド・スタールだったかな?「100gの赤は10gの赤より赤なんだ」というのをどこかで聞いたことがある。今はとにかく大変な量のの絵の具を下地にしのばせる。そうすることが兎に角「きもちいい」のだから仕方ない。まだまだ下地作りは始まったばかり、延々と続くのです。



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分かりやすく、はいいのだけれど、安易でつまらないは、いただけない。 - 2005.04.26(日記)
はる 1408
 「おおいなるもの」をトップに晒した。まぁけっこう時間かけてじっくりやったつもりだったけれどね。

 この間、国展の会場に飾られていたのを観たけれど、もう気に入らない。

 正直いって表現がナマすぎて見ていて恥ずかしくなる。分かりやすく、誰が見ても理解できるようにと考えたことが、裏目に出たのかもしれないなぁ。分かりやすく、はいいのだけれど、安易でつまらない。

 公募展を意識しすぎて少しメリハリをつけすぎている。けれど会場でみるとこれでも弱いんだなぁ。難しいね。

 まぁ来年はもう少し自分らしい絵を出したいな。ということでまた明日。

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製作過程10 - 2005.04.26(日記)

           n10s

     10

 黄土を塗り込む。最初からこうしょうと決めていたわけではない、何となく黄土を塗りたかったということだ。色数はそう多くない。三原色に白と黒他少々。赤以外は顔料から自分で作るというのか、調合する。その方が安く多量に使えるからだ。白には日本画の胡粉なども使う。べん柄、との粉、金粉などなど、後黒は墨だ。そうやって考えると、今の分類方で行くなら日本画に限りなく近い。

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普段のひびの日常のなかにこそ真実がある。 - 2005.04.25(日記)
はる 1407
 前にも少し書いた。けれどここは私の覚書でもあるし、自分の思考の過程でもあるわけだから、同じ事柄が何回もなんかいも形を変えてでてくる。読者はそのことを割りびいて読んでくれているでしょう。

 う~ん、こういうことかな。自分の字のくせは中々変わらない。で、結局いくら練習しても基本的な癖というのか、ゆがみというのか、そういったものは変わらないのじゃないか。この年になると余計にそう思う。

 で、それは何処から来たのか、いつからそうなのかとかんがえると、ず~と以前生、まれる以前から決まっていたことのように思う。

 子供頃から凄い癖字(それはへたくそという)で夏休みの宿題は私だけ特別に硬筆の宿題をかせられた覚えがある。けれどそのときはそれなりに一生懸命書くからそこそこの字はかける、ところがいつの間にやら元の木阿弥になる。結局直らないのだ。

 反対に考えるとそれはとても大切な「わたし」ということにはならないか。

 一時自分探しなるものが流行った。ある人は「やまのあなた」にあると信じて旅にでたかもしれないし、ある人はどこかの映画の主人公に自分を投影したかもしれない。文学や芸術にそんなものを見つけようとしたかもしれない。

 しかし実際にはもうすでにそこにあるのだな。そこのところがなかなか見えない。そんなところから自分の一生というのか、人生も見えてくる。

 今だからいえるのだけれど、病気になったときに不謹慎だけれど、これでまともな絵が描けるようになるかもしれないと思った。悪魔との取引ではないけれど、もし自分の一生はそのためにあったというのであれば、それもいいかなというところも、多少あった気がする。けれど、けれど・・。

 「悲しい人しか見えない」「何かが降りてきた瞬間」が確かにあったかもしれないけれど、今となっては元の木阿弥、ただの人でしかないのだな。そんなものを期待してはいけないのだな。

 普段のひびの日常のなかにこそ真実がある。

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制作過程9 - 2005.04.25(日記)

n09s


9

 カーマインジェッソで一度目の地塗り。

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そもそも接客は上級な遊びだと思う。 - 2005.04.25(日記)
はる 1406

  今日は午前中はクロッキーの会に出かける。何枚か集中的にクロッキーをする。没我。この一瞬がけっこう好きだ。もう少しやりたかったけれど、来客があるので後ろ髪をひかれる思いで帰宅、その準備にかかる。

 来客は嫌いではない。忙しい思いをして何故?と思うかもしれないが、これは気分転換になるし、来客がなければ片付けないことってけっこう多い。そもそも接客は上級な遊びだと思う。

 人が来る時はまずトイレの掃除から始める。他はどうでもいいわけではないけれど、遊びに出かけてトイレが汚いと百年の恋もさめてしまう、そんな気がしない?

 次は玄関。何故か、気にしていないと履物ががやたら溜まってくる。これをしまい込むだけでも玄関がすっきりと見える。黒い下駄一足だけ出しておく。

 後は、玄関とトイレの花を庭からちょんちょんと切り花して、ささっと水をまく、これで完了。とここまでが私の分担。

 いっらっしゃい!

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制作過程8 - 2005.04.24(日記)

n08s


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 少し大きめのバケツのなかに、既成の壁材にボンドをぶち込んでハンドミキサーでかき混ぜる。なぜか私の道具は台所用品が多い。とっての取れたなべや欠けた器などなど、何屋さんなのかわからない。


 この間本屋さんにいったら、「左官屋」さんの本が特集されていた。日本の左官屋さんはもう特殊なしごとになってしまった。昔建築中の家には左官屋さんの壁土を踏む姿や、フノリを煮る匂いが必ずあったもんだけれど、今はまったく見かけない。懐かしいというより、あれが本来の日本の建物の姿なんだな、などとおもいながら、がんがん泥を塗り込む。



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「ウギャー」と思うものと「いいじゃん」と思うものと真っ二つに分かれる。 - 2005.04.22(日記)
はる 1404
 やっと、日常になりました。

 少しサボったので、やらなければならないことが溜まる。今週は始めての授業が沢山あったのだけれど、後半はキャンセルしてしまった。九度近くの熱が出るとちょっとやばい。

 急きょ予約なしでいつものドクターNに診てもらう。私の場合色々説明するのが面倒なので、ここのドクターにしかかかれない。普通の健康診断でも「過去に大きな病気」を訪ねられても、まともに答えると看護婦さんがひいてしまうので、ありませんなんて答える。重大な伝染病を隠しているわけでもなし、単に更新手続きに必要なだけだから許されるでしょう。

 物を調べるのはネットは非常に都合のよい機械だ。私が昔、病名を知って調べまくったのは当然のこと、私と同じような病気になっている患者さんのサイトが数多くあることをしって大変心強く思った。素人ながら専門医顔負けの経験と知識を持っておられる方も多い、そういった意味でもネットは大きな力を持っていると思う。

 しかし、まぁどういった知識をもっても最終的に選択するのは自分であるから、そこのところは難しいね。知らないほうがよかったということもあるかもしれないしね。

 ということで、今日は午後から例の個展の準備に倉庫に向かう。昔の作品は久しぶりに見ると「ウギャー」と思うものと「いいじゃん」と思うものと真っ二つに分かれる。この選択方法で10点選ぶ。

 ここからが肉体労働で、100号や130号の額をつけたり外したりは、けっこう病み上がりにはしんどかったな。特に最近の作品は土壁などを使っているので重い。こりゃ本格的な回顧展をはやくやらなきゃ体力が持たんぞ、何て思った。

 明日は国画会のオープニングで大パーティが上野精養軒である。その前に銀座で仲間や先輩のグループ展に顔を出して、顔つなぎ。となかなか忙しそうだけれど、どこまで付き合えるかわからないねぇ。ゆえに更新はできないかもしれません。

 そうそう、銀座ギャラリー惣が再開しました。これも明日からです。7月にはグループ展、12月には個展が予定通りできそうです。一応住所書いておきますね。

 ギャラリー惣
 104-0061 東京都中央区銀座7-12-6トキワビル5F
  03-3541-4380

 ではまた明日。 

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制作過程7 - 2005.04.22(日記)

n07s


7

 ホームセンターなどに手ごろな壁材が販売されている。珪藻土や聚楽壁、漆喰、などなど色々試している。本来は身近にある土そのものを精製して泥絵の具として使用するのが本来のかたちだと、願望としては持っている。今のところそこまではやれていない。

 そういった場合メジュウム(糊の役目)として何を使うか?ということになる。私はかなりアバウトな性格からエマルジョン系の接着剤(ボンド)を使用するけれど、ここらあたりで賛否は分かれるかもしれない。

 以前、現代美術系のキーファの作品を観たときに、彼の作品の接着材もボンドが使われていたなぁと思い出した。ボンドはまだ改良のよちはあるけれど、接着剤として戦後の画期的な発明だと思う。何よりも有効なのは堅牢であること、そして水性であるがゆえに扱いが非常に簡単であること、乾燥が速いこと、そして大切な安価であること、などなど。

 現代美術というものがどういう概念なのかはよく知らないが、今を生きる我々の美術というのであれば、大きく考えて今手に入れることができる画材ならなにを使ってもいいのではないか、反対に考えれば、今入手が困難な画材で伝統的な手法だけで描く事だけが正統と考えるのは、今を表現すると言う意味では違うのではないかと思う。

 空を飛ぶ鳥たちも巣を作るとき、ありもしない麦わらを探してまわるわけじゃない。そこらにあるビニールヒモやプラスチックのかけらを集めて巣を作るのだ。彼らに何の罪もない。

 さてさて、何がいいたいのかわからなくなってきたので、また。

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制作過程6 - 2005.04.21(日記)

n06s


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 水性の下地材ジェッソを適当に塗りこむ。私の仕事ではこの「適当」という言葉が随所に出てくるけれど、「いいかげん」という意味ではない。似てるけれど・・。反対にきっちり塗ることは誰でも出来る、そういえば理解してもらえるだろうか?

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制作過程5 - 2005.04.20(日記)

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制作過程 1~4・「おおいなるもの」F130 - 2005.04.18(日記)

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 綿布の上に色んな布を貼り付ける。作品が大きいので(194x162CM)寝かせた場合、作品の上に乗って作業をする。兎に角アトリエが狭いので、余計に疲れる。

 今回はいっぺんに四つの写真を載せた。こんな具合に作業するのだという臨場感が伝わればいいかと思う。

 適当に載せるので、適当に楽しんでください。

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ダイナミックなもの・ある種の力・生命・いのち - 2005.04.17(日記)
闘病記14 完

0509s

「ダイナミックなもの・ある種の力・生命・いのち」

はる 1399
 知り合いの絵描きが南アルプス市の桃源郷美術館で個展をやっているというので、朝からついでに有名な白州の神代桜でも見ながら行ってくるか、と弁当を持って出かけた。

 さすがに桜の盛りのシーズンは終わって、もう葉桜になってはいたけれど、それでも多くの観光客がぞろぞろ歩いていた。それはそうとにわかに観光地になった地元の人や桜本人には、迷惑なだけの話だろうな。二千年も前からそこにいた訳で、何で今ごろ騒いでいるの?ってな感じだな。

 郊外は今とても美しい。桜はもう散ってしまったけれど、それに代わる新緑がモヤモヤと萌えてきて、そのちょうど暖色と寒色が適当に混ざって、快よく感覚を刺激する。

 この間東京の桜並木を観たけれど、自然のなかだけが美しいのではなく、人工のなかのある種の不自然な統一感もまた美しいなとおもった。東京などの大都会になると、結局はどう合理的に住むかということが優先されるわけだから、自然であるということよりも便利であるという選択もあながち<間違いではないだろうな。

 ところがこういった地方の極自然環境の豊かな地域で、例えば古い田舎やの隣にスペインかわらの赤茶けた屋根があると、かなり違和感を覚える。確かに流行で手ごろなのがそういったたてものかもしれないけれど、建物は風景の一部でなくてはならないと思う。

 例えばインテリアや壁の色、屋根の色などなど、最近はどんなものでも選ぶことができるようになった。けれど、問題はそれを選ぶ場合、何を基準に選んでいるかということなんだな。

 それは多分何かの雑誌のグラビアだったり、憧れのどこかの国の町だったりするのかな。てんでに好きなものを選ぶ。例えばカタログを持ってこられて「どれがいいですか?」といわれれば、ほとんどはじめて壁の色を考えた人は戸惑ってしまうだろう。

 各自が好きずきで選んでしまうから、何でもありのでたらめな町が出来てしまうのだ。最近やっと少し街並み、景観についての意識が出てきたけれど、やや遅しだな。もうすでに日本の住宅はあと10年もすればガラクタの展示場のようになるだろう。

 街並みはその国の文化意識、のあらわれだと思う。建築家も含めて、てんでばらばらに考えて自己主張していてはだめだろうな。何か大きな目安、理想、意識することが・・これはまぁ生き方ということにも関わってくるのだろうけれど、必要だと思う。

 それはたぶん、百年前までは親から子へ、子から孫へと自然に伝わっていたものだった。ところが何時の間にかこの国には家族にそういった機能がなくなってしまった。無くなってしまったからそれに代わるものが必要なんだけれど・・。

 何も無い、無国籍である。というのも一つの選択なのかな。どう思う?

 ではまた明日。  

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生命 - 2005.04.16(日記)

0508s2

闘病記13・「生命」

はる 1398
 インテリアコーディネーターとかキッチンコーディネーターだとか、まぁいわゆる建築関係のその周りの仕事が注目を集める。建築そのものはどちらかと言えば男性的な仕事で、その周りの装飾的な仕事は女性的な仕事と言えるかな。

 一時、定時制の建築の関係の専攻科で色彩の基礎的なことを教えていたこともあって、そんなことも少し勉強した。まぁほとんど独学のようなもので、専門的にそのことについて学んできたわけではない。

 日本の建築家の建物は、安藤忠雄などを筆頭に海外でけっこう評判をとったりする。外国の本屋さんで見かけたのは建築家の名前の入った本ばかり目に付いた。日本国内で建築家はそれほどメジャーな職業だっけなぁ・・などと思ったものだ。

 西欧諸国の基本的な考え方は、アートは建築に集約されると考えている。有名な彫刻家が建築家であったりしたし、当然絵もかけたのだ。考えてみると、絵は壁にあけられた窓だったし、室内のインテリアは建築の装飾の一部だったのだろう。そこの考え方が、日本人の建築家とは大きく違う気がする。

 日本の建築家の建物が奇抜で海外で注目されるのは、ある意味で日常の生活観とかけ離れたものが多いからではないかなぁ。というのは、我々が考えている建築というものは建物だけで完結していて、そこでの生活みたいなことは置き去りにされている。建築家はそこまで責任を持たなくてもいいと考えているのではないかな。

 有名な安藤忠雄の出世作「住吉の長屋」は例によってコンクリートの打ちっぱなしなんだけれど、トイレが外にあって雨が降った日は傘を差してトイレに行く、そういった建物だそうだ。話としては面白いけれど、はっきり言って住み辛い。

 それは我々の側からもいえないかな。絵を掛ける、飾る、ある種の見せ方、TPOそんなことを考えて絵を描いている作家はいるだろうか。絵は有名な画廊や美術館で鑑賞するもので、自分たちとは関係ないものだと考えてはいないだろうか。しかし本来絵画は壁にかけられて、飾られて、日常生活の中で鑑賞されて初めて完結するのだな。これはかなりきわどい意見だけれど、どうだろうか。

 どんなに素晴らしい芸術品を持ってきても日常生活の中でそれが使いこなせなければ、ただの絵に描いたもちで何の意味もなさないということを言いたかったのだ。

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めばえ - 2005.04.15(日記)

0425s

闘病記12・めばえ

はる 1397
 昨日の続きのようなは話になるかな。

 私の作品の描き方は、仕上がりを決めないで描いて行くというような話をした。まぁそれでも昔はちゃんとした下絵を描いて、出来るだけそれを忠実に写す、みたいな仕事のやり方もしていた時もある。それはそれでけっこう面白い。

 下絵のドローイングというのか、いたずら書きというのか、そういった自由な発想の面白さみたいなものはないけれど、仕事をつめて行くというのか、段々に近づいて行く、仕上がって行く面白さみたいなものはあったと思う。

 女の人が編物をする。全体は見えていないけれど兎に角、手元の部分だけは見えているわけで、それをこと細かく丁寧に着実にやってゆけば、いずれ全体は見えてくる。というような仕事のやり方だと思う。いやそれは女の人の仕事を責めているわけではなくて、職人仕事というものはそういったものだと思う。

 けれど、どこかで私はいらだってくるのだ。こんなことをやりたくて人生全てをかけたのか?ってね。ちょっとおおげさだけれど。

 下絵を描いていた自由さみたいなものが、本画にも持てないだろうか、とずっと考えていた。どうなるか分からない、だめになるかもしれない、けれど先に行ってみよう、そういったあやふやな、先の見えないスリルみたいなのが、気がつかなかったけれど、好きなのかもしれない。

 で思ったのだけれど、それって今の自分の生き方でもあるんだな。ある意味、定職も持たずにいいかげんなその場しのぎのパートタイムの仕事をしながら、こんなことをしている。一度は定職についたけれど、何かんだ言って止めてしまった。

 安定した定職を持ちながら、ある種真剣な趣味として芸事に打ち込める人もいる。偉そうなことを言ってるかもしれないけれど、内心凄く心細い、不安なところもあるわけだ。けれどどうなるか分からない、先が見えない、だめになるかもしれない、そういった生き方が好きなのかもしれない。

 たぶん、私はこうやって暗中模索で試行錯誤しながら、ふらふらといいかげんに生きて行くのだろう。たまたま自分の絵の描き方と、生き方が似ているのではない。ここはとても大切なことだけれど、実はこれは同じ事なんだと気がついた。逆にいえば、こういう生き方をしているから、こんな絵の描き方なんだ。でなければ私の絵は嘘ということになる。

 違うかな?もう少し考えてみたい。また明日。 

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つぼみ - 2005.04.14(日記)

0508s1

闘病記11・つぼみ

はる 1396
 昨日国展の搬入だった。ということでアトリエからでかい絵がでて広くなった。まぁまた一ヵ月後にはもどってくるのだけれど、とりあえずおさらばですな。

 広くなったアトリエに小さいパネルがトコトコとならぶ。もうすでにかなり地塗りされているもの、古い作品をつぶして上からまた絵の具をたらしてあるものや、もう一枚布を貼りこんだものや、泥絵の具をかけたものなど、色々だ。実はこのあたりが一番楽しいかもしれない。

 私の絵のかき方は、普通は寝かせて描く。なぜなら水性のために洋画のように立てかけて描くと流れてしまうからです。そういったところも日本画に似ているかもしれませんね。これといって何を描くのかきまっていません。とにかく自分の中でこれだと思う色や形が出てくるまで待ちます。待ちます。何も出てこないことの方が多い。才能ない。

 昨日寝ながら藤沢周平のあとがきを読んでいたらこんな部分があった。

 「・・この程度のヒントで書き出す小説だから、書き始めた時点では結末までわかってないことが多い。・・書き手が無責任なことをいうようだが、短編の楽しみは書いていて何が生まれるかはっきりしない、そのへんにある気もする。・・」

 読んでいながら、何かうれしかったなぁ。著名な作家とくらべるのはおこがましいけれど、何処か似ているところがあるんちゃうか。

 わしらは何処か自分の才能信じてないところがある。いや自分が出すぎるとオモロナイんやな。これやないと思ってしまう。もっと突き放して任せてしまって、ちょっとした拍子にキラッとしたものが見え隠れする。そんなもんがものに出来ればいいやないかなと。一生でけへんかもしれんけどな。まぁええやんか。

 芸人は巫女さんみたいなもんで、自分の力やのうてあちらさんの力でかかせてもらうといったことやろか。ようわからんようになってきた。ほなまた明日。さいなら。

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再生2 - 2005.04.13(日記)

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闘病記10・再生2

はる 1395
 この間誕生日があって、一つ歳を重ねた。確実に老人にむかっている。

 今、藤沢周平や司馬遼太郎を盛んに読んでいるけれど、そこに出てくる年寄りは、五十そこそこで隠居したり、町の顔役で出てきたりする。おいおい何だ、俺と同じ歳じゃないか、エッもう老人かい?と驚く。まぁ昔は今と違って人生50年と言われていた時代だからかもしれないけれど、仕上がりが随分とはやかった。

 う~ん。私なんかはまだまだ何もつかめてはいない。もし今ここで終わってしまったならば、確実に中途半端な人生だったと言われるだろうな。まぁ何年かかっても芸事に、これでいいなんて事はないのかもしれないけれどね。

 後20年やれたとして、さていったい何が見えてくるのだろう。何も完成することはないだろうなたぶん。ただ出来るだけ忠実にその時々の姿を晒してゆこうと思う。それがまぁ、こういった新しい表現手段の面白いところかなと思う。

 ゆっくりと付き合ってくださいな。ではでは。

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ささげもの - 2005.04.12(日記)

0430s

闘病記9・ささげもの

 はる 1394
 今日は久しぶりにパートタイムの仕事に出た。たった二時間働いただけだけれど、しんから疲れる。(この場合の「しん」というのは「心」なのか「芯」なのか「真」「身」どれもあってる気がする)明日は夜の仕事も入っている。彼らを見ていると、前途洋洋の若い人間という気がしない。彼らはもうすでに何かを諦めたかのように老成している。とにかくがんばってくれ!

 お隣の大国が騒いでいる。あのお隣の社会主義国家の小国も何だか怖い国だな。社会主義とはいいながらほとんど独裁国家で、大衆というのか、人民というのは洗脳されて自分の意見を持たずに騒いでいるという風に見えてしかたない。戦前の日本の姿がオーバーラップする。

 日本の国旗や日本車が攻撃されたり、大使館が襲撃されているのを見ると、明らかにこれはそういう意図をもって当局に管理された一部の者が扇動しているようにみえる。(反対にこういった時代錯誤のやり方はかの国のイメージダウンになるのじゃないか、などと思ってしまう。オリンピックもあるのにまぁ)

 例えば一国の政府が反日の旗を振れば大きな問題になる。今は日系の企業の投資も期待したいわけだから、大っぴらに日本を攻撃するわけにはいかない。かといって何も意思表示しなければ日本の言いなりになってしまう。それでいつもやる手口が、大衆運動を盛り上げて、さも、かの国の民衆全てが怒っているのだぞ、というパホーマンスをするというわけだ。これにはよくコントロールされた大衆扇動家がいるのだろう。

 日本などこういった自由主義国家にいれば、案外子供でも耳年年増になって、テレビなどの情報は半分は演出された嘘を含んでいると解釈しているところがある。それでも尚騙される輩が多いのだから、なかなか難しい。

 政治的な事は本当によく分からないのだけれど、特に日本を含むアジアの国々は個人の人権、自由、平等といった意識が希薄だな。これはまぁ長い歴史的なことが関係していると思うのだけれど、一人の人間として人格的に独立していない。ややもすれば烏合の衆、長いものには巻かれろしきの発想が多くを占める。全体主義的になりやすい傾向があるということだろうか。

 まぁよく見極めてそういった政治的扇動(テレビやラジオの情報)に騙されないようにしましょう。

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復活 - 2005.04.11(日記)

0418n1s

闘病記8・復活
はる 1393
 昨日は東京にでたついでにあるコンクール展を観てきた。

 コンクールも一時は大流行で、色んな企業がスポンサーになって冠のついたコンクールもたくさんあった。バブルの頃は地方の自治体もポンと大金を出してスポンサーになることもあったりして、各種の文学賞なんかもこの時頃にできたものじゃないだろうか。

 ところが流行というのは、潮時があって、バブルが終わる頃にはほとんどのコンクールも消えてしまった。その頃から今でも残っているコンクールは数えるくらいしかない。

 中でも具象絵画の登竜門とまでいわれた安井賞が終わってしまったのは、何とも寂しい限りだ。どうあれ、例え賞金がなくなったとしても続けるべきだったと思う。こういったその世界を代表するような賞がなくなってしまうと、その分野そのものが消えてしまったようになる。

 イタリアのベネチアのビエンナーレは現代美術の祭典として定着している。驚いたことにもう百年以上の歴史があるわけだから、美術というのか、芸術に対しての認識そのものが我々とは大きく違うと思うな。まず「生活」があって「余暇としての芸術」があるという考え方と、何よりも「生きる喜び」があっての「人生」だという違いかな。

 そのコンクールの話をしようと思ったけれど、また明日だな。ではでは。

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山下洋輔のジャズコンサートを聴いて来ました - 2005.04.10(日記)

さくら05

さくら2
 はる 1392
 昨日は途中で書くのを省いてしまった。

 その後美術館に行って阪本トクロウさんの日本画の展示を観る。日本画というのが岩絵の具とニカワで描いた絵というのであれば、彼の絵はアクリル絵の具をつかっているので、正確には日本画?ではないかもしれませんね。

 知り合いの日本画家のリンクをつたって彼を知ったのですが、今私が住んでいる地元(山梨)の出身の画家だったというのと、絵が全く新しい感覚だったのでびっくりしました。今回展示されている絵も飛行機の窓から空を見た風景だったり、ダダ広い空だったりして空気が新鮮で気持ちがいいですよ。是非観にいってください。それから彼は今地元新聞(山梨日日)の挿絵を描いています。これも見てください。

 そして今日は私の誕生日ということで、お祝いにかみさんと東京で山下洋輔のジャズコンサートを聴いて来ました。

 最近は時々この人の名前を聞くからご存知の方も多いかとおもいますが、まぁ日本ジャズ界のなかでも屈指のユニークなピアニストでしょう。あのミジンコ評論家でもあるサックス奏者・坂田さんとくんで、はかたらみればほとんどでたらめな雑音としか聞こえない音楽を、凄くまじめにやっていたサムライです。

 山下洋輔といえば、数多くの逸話がありますが、彼のピアノは指で弾くというより、ひじで弾く、へたすればお尻でも弾く、という過激な奏法でその名前を馳せました。さすがに最近は歳食ってそういうお目茶は聞かなくなりましたが、反面少し寂しい思いもしていました。

 今日も最初はわりと大人しめのバラードから入って行きました。元々かれのジャズにはアメリカのジャズの影響はすくなく、どちらかといえば西欧の現代音楽に近いものがあって、メロディーの美しさを聴くとか、ジャズのスィング感を楽しむとかいう音楽ではなく、音そのものが全て同列で存在を主張してくる、そんな感じだろうか。(本人が聞けば怒るかもしれませんが)

 彼は何かのインタビューで「ピアノを打楽器として歌う」といっていたけれど、あのピアノの弦の音が全て鳴っているような状態から立ち上がってくるかすかなメロディは感動的ですらある。

 圧巻は、最後に演奏したラベルのボレロで、まさに彼の音楽のためにかかれたような音楽だ。ご存知のようにフランスの印象主義の作曲家にドビッシーとラベルがいますが、彼らの音楽には明確な調子とかメロディみたいなものはなく、音そのものの印象、キラキラと輝く美しい光景の描写などが多い。

 少し前に一世を風靡したサティーなどもそうですが、実にユニークな作家があの国からはでてきます。それというのもかの国が自由で色々な国々の人間をその懐にかこったからだと思いますね。

 ボレロはラベルの作品のなかで特に最近はバレー音楽としてよく演奏されるけれど、同じ旋律の無限な繰り返しで、次第に高揚してくる。

 祭りの太鼓や宗教音楽などでもそうだけれど、人は同じ音やメロディの繰り返しに酔ってくるところがある。

 打楽器でもあるピアノと繰り返すメロディーと適当なジャズのスィング感、その全てが大音響で迫ってくる。これは素晴らしかったな。

 文章がおかしいかもしれませんが、感動をそのまま晒します。では

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近くの水道局の貯水場へ桜を見に出かける - 2005.04.09(日記)

さくら09


 はる 1391
 今日はめいっぱい動きました。午前中は野暮用で、かみさんを送って行く。その後天気がいいので、弁当を持ってこれまた近くの水道局の貯水場へ桜を見に出かける。

 少し勾配のきつい丘を登ってゆくと、市内が一望できる広々とした広場にでる。昨年からここは開放され、街中では珍しいほど昔ながらのゆったりとした空間が残っている。

 ここの桜は本数はそう多くないけれど、バックの山とか空とかそういった一つ一つが微妙に関連しあって、不思議なゆったりとした雰囲気を作っている。



 疲れました。今日はここまで。 

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再生 - 2005.04.08(日記)

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闘病記7・「再生」
 はる 1390  私が参加させてもらっている、公募団体(国画会)の展覧会の搬入がそろそろ始まる。90年から出品しているので、今年で丸15年たったことになる。

 年度が変わっても毎年4/12,13が搬入で展覧会(東京)は4/23~5/7まで、招待券が欲しい方はメールで住所を知らせてください。とりあえずは東京展だけの展示です。残念ですが・・。

 毎年、年末と本展のあるこの時期は多くの作家が個展やグループ展を開催する。なぜなら日本全国から多くの会員やメンバーがこの本展のために集まってくるからで、特に地方に在住の作家たちにとって、多くの人に見てもらえるチャンスだからだな。まぁ今年も多くのDMが集まってきた。どれだけ観ることができるだろうか。

 絵を描かない人にとってこの団体展というシステムはよくわからないかもしれない。よく知られているのが、日展とか芸能人が入選するので有名な二科展などがある。

 前にもどこかで書いた覚えがあるけれど、まぁいってしまえば官展系の日展と在野系(二科展など)とに分かれる。日展は昔々政府が主催で開催していたから日本展覧会がつまって日展というらしい。(今では法人になって正確には官展ではない)

 日展はそれに参加する多くの団体(日展系)があって、一つの連合政府のような団体を作っている。まぁ画風は穏健な風景画や人物画が多い。でも最近はそうでもないかな。

 芸事というのは絶対的な価値というのがない。時代によっても全く評価が分かれてしまうのが、芸事の恐ろしいところだ。

 ところが、まぁ一応その世界で最高の評価というのが、芸術院の会員で、現世芸術出世街道的にはこれが「あがり」になるかな。そして最後に文化勲章受賞ということになる。ただ文化勲章は絵だけの賞じゃないから、一概には言えないか。

 そういった団体派とは別に銀座派、個展派といわれる作家たちがいる。無名無官で無手勝流。作品だけの勝負で、画商とコレクターを相手に丁丁発止、詐欺し、山師も居れば、化け物も居る。コレクターはそれを見つける眼も必要だ。彼らの多くは独学で学閥も人脈も無いたたき上げの根性が座った人が多い。この作家たちこそ本来の作家の姿かもしれないな。

 私はここでもどっちつかず。さてさてどうなることやら。

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いつもの春 - 2005.04.07(日記)

0416n2s

闘病記6・「いつもの春」
 はる 1389
 随分と春らしくなった。近くの公園の桜が満開だ。なんだろうねぇ、今を盛りに咲きほこっている桜を見ていると、これもまた尋常な気持ちでいられなくなる。一種の動物的な勘なんだろうか、儚い今を共に過ごさずにはいられないそんな気にさせられる。

 中学生になった頃、最初の美術の授業が風景スケッチだった。なぜそんなことを覚えているかといえば、その頃に描いた学校の裏門からはいったところに咲いていた桜の絵が、薄くなったスケッチブックに残っていたからだ。

 当時作家の名前もよく知らなかったのだけれど、すぐ上の兄貴の影響で、絵といえばゴッホとユトリロだと思っていた。(ちなみに日本人の絵描きで知っていたのは地元神戸の小磯良平だけだったな)

 でその絵の話に戻ると、桜はゴッホのようにチューブから直接絵の具を出したように盛り上げて描いた。で、それだけだと寂しいので、ユトリロのように点景人物を入れた。我ながら上手くいったとおもったけれど、先生の評価はかんばしくなかったな。

 今日は夜桜でも観にいくか。

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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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