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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

今年一年ありがとうございました。 - 2004.12.31(日記)
はる 1292
 今日は朝から凄い雪でした。大晦日が雪だった記憶は今までない。明日の元旦は極寒らしい。

 もうすぐ今年も終わります。今年一年ありがとうございました。また来年も皆様にとって、いい年でありますように。ではでは



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さて今年も後一日を残すだけになってしまった。 - 2004.12.30(日記)
はる 1291
 昨日が小雪が降ったりの生憎な天気だったので、今日はまた大掃除のまねごとをする。大体において私は掃除が嫌いである。ほこりで死んだ人はいない主義で、できるならやらずに済ませたい。が、それはそれ、まさしく「ちりも積もれば山となる」とはよく言ったもので、普段見えない、見ようとしないところにほこりは溜まってゆくものだ。

 さて今年も後一日を残すだけになってしまった。月並みの挨拶になってしまったけれど、今年一年いろいろとありがとうございました。いや本当にネットの交流というのか、付き合いが年々面白くなってゆくなぁというのが、実感です。

 はじめの頃は、誰に向かって発信しているのか、雲をつくようなむなしい思いを感じてはいたのですが、毎日こうやって続けることで確実に読んでくれている、みてくれる読者?が存在するということに励まされています。まぁつまらない日常の駄文・駄画ですけれど、出来るだけ楽しみながら続けたいと思います。また来年もこのサイトを訪ねてやってください、よろしくお願いいたします。

 ではでは。



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朝起きるとちらほらと初雪でした。 - 2004.12.29(日記)
はる 1290
 朝起きるとちらほらと初雪でした。この年の瀬はけっこう寒いらしい。まぁ個人的には冬は寒いくらいの方が好きだけれどね。  という訳でまた明日。

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台所の換気扇の掃除をした。 - 2004.12.28(日記)
はる 1289
 台所の換気扇やその周りの掃除をした。半年もすれば換気扇の周りは油だらけになる。特に油だまりにはべっとりとしたグリース状のオイルがいつのまにか溜まっている。これがなかなか気持ちが悪い。

 高校時代に食物連鎖の話を聞いたことがある。それによればあらゆるものの最終コーナーに人間がいるそうだ。食べることにかけては人類ほど強欲で、悪食な静物はいなかもしれない。まぁそれもこれも人類が火を使えるようになったからなんだろうけれど、皮肉なことにその火が今度は人類の首をしめにかかってるということかな。

 で話は戻って、面白いなぁと思ったのは、爬虫類とか両生類とか、昆虫なんかもそうだと思うのだけれど、変温動物というのは自分たちの行動が外界の温度に左右される。よく春になって暖かくなってきたころトカゲが岩場で日向ぼっこしている光景に出くわすけれど、優雅にお昼寝かい!とかんちがいするけれど、あれは太陽の熱を体に受けて体温を上げているんだな。そうしないと彼らは動けなくなってしまうようだ。

 我々のような恒温動物というのは,体の中に体温を一定に保つボイラーを持っている。そのためにどんなに寒いところでも、また暑いところでも生活できるようになったのだけれど、そのエネルギーは何から取っているかといえば、温かく料理された食べ物から取っているのだな。

 特に人類が猿から分かれることが出来たのは、この動物性の脂肪(油)を効率よく取る調理(熱を加える)という方法を覚えたからだろう。

 という訳で台所の換気扇にべっとりと油がこべりつくのは仕方のないことで、半年に一回は掃除しろよと言う話さ・・。ではまた明日。



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パーソナリティというのはペルソナ(仮面)という意味だ - 2004.12.28(日記)
はる 1288
 我々が子供の頃は土曜日は半日で、給食がなくて家に帰った。兄弟が全員そろって昼食を食う、それはそれでけっこう楽しい風景だった。

 まぁあまり正確には覚えていないけれど、土曜日のお昼のテレビ番組は、たいら三平や奥目の八ちゃん、えんたつの息子の花木京(こいつがめちゃくちゃ面白かった。今はどうしているのだろう)の吉本新喜劇だった。

 関西の芸人というのは根性が座っている。漫才ブームが何度かあったけれど、関東の芸人は立ち芸のコメディアンという感じがして、どうもさらっとしていて、私には面白く思えなかった。どうも上手い言葉がみつからないのだけれど、スマートすぎるというのだろうかな・・。最近ではビートたけしなんかお笑い芸人とは思えない。

 これだけテレビが日本全国どこでも見ることが出来るようになって、それでも生き残って行く芸人と言うのはそれだけでもたいした才能だと思う。

 閑話休題
 
 この間人と話をしていて、私は未だに学校のある日は下痢になったりするんだよ、何て話をしていたら登校拒否の生徒と同じだなぁなんてことになった、まぁ似ているのだろう。

 私の顔を知っている人はほとんど想像できないかもしれないけれど、この髭や髪でつくっている鬼のような姿はそういった弱い自分を隠す仮面なんだなと、最近気付いた。

 パーソナリティというのは元々はペルソナ(仮面)という意味だそうだから、長い間仮面をつけているとそれも一つの個性ということになるのかもしれない。まぁ案外当たらずも遠からずでしょう。

 人間嫌いかなと学生の頃は思っていたいたのだけれど、まぁそうではないらしい、話をするのは好きなようだからな。じゃ何がプレッシャーなのかといえば、一人の人間が集団になったときに変わるその集団の圧力みたいなのが嫌なんだ、たぶん。

 ということでまた明日。



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今年最後の裸婦スケッチに出かける - 2004.12.26(日記)
はる 1287
 午後から今年最後の裸婦スケッチに出かける。久しぶりに実物を見ながら絵を描いた。しかしまぁ絵を描かない人にはなぜ裸婦なのかと不思議に思うだろうな。私も上手い説明は出来ないのだけれど、やってみるか。

 モチーフとしては何でもいいのだと思う。花でも風景でも人物でも描きたい物を描けばいいのだ。最初は動かない静物が一番描きやすいだろう。こんな言い方は不謹慎かもしれないけれど、風景や静物は多少形がくるっていてもそんなにおかしくない。かえっていびつな方が面白かったりする。

 ところが、描いてみると分かるとおもうけれど、人物はそういった範疇では処理できないところがある。確かに一本の花にも造形の原理がはたらいていて、絶妙なバランスで形作られてはいるのだけれど、普段の生活ではなかなか気がつかない。意識して見ていないということかな。ところが人物というのは自分を含めてだけれど、常によく見ているのだな。特に顔の微妙な造形など実によくみている。(人間の目鼻立ちが5ミリずれるとほとんど全く違う人間になってしまう)

 どんな無理なポーズをとったとしても、必ずどこかでバランスがとられている。そのバランス感覚がくずれると人は見たときにおかしいと感じるわけだ。それだけ人は人間を見ているということかもしれないな。不自然な形というのはないのだけれど、意識的にデフォルメした形とくるった形とはまるっきり違うことがわかるだろう。

 そういった自然なバランス感覚をみに付けるには人物スケッチ、デッサンが一番いいということかな。それに自分を含めた人間に一番興味があるということだろうか。

 ではまた。



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みなさんメリ-・クリスマス。 - 2004.12.25(日記)
はる 1286
 ちょっと出かけていました。みなさんメリ-・クリスマス。クリスチャンではないけれど、楽しいことは多いほどいいじゃないかということで、許してください。

 今日は疲れました。それではまた明日。



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虚空遍歴 - 2004.12.22(日記)
はる 1283

 ナイトキャップに「虚空遍歴」という山本周五郎の本を読んでいる。今までのさむらい物ではなく話が浄瑠璃作家の話で、基本的に「芸事」にまつわる話だからだろうか、その背景の文化的な教養がないせいだろうか、最初はなかなかとっつきが悪く進み方も鈍かった。ここにきて俄然面白くなってきた。

 基本的な筋になっているのは、一人の表現者の生き様なんだけれど色々と考えさせられることが多い。

 まぁ例えば、人の一生というのは色々だ。誰一人として同じ物はない。どう生きてもその一生に変わりはないのだな。よく「若い頃の苦労はかってでもしろ」とかなんとか言われる。でもどうあがいても一生に変わりがないのであれば、苦労なんかしないほうがいいのじゃない?なんて自分の中のひねくれ者が問い掛けるわけだ。

 苦労が多ければそれで人生深くなるわけ?深くなると何がいいのかな。薄っぺらでそれで楽しければそれでもいいじゃないの。苦労しても一生、アッパラパーで生きても一生なんだからさ、て・・。

 その人生の質ということになるのかな。結果がすべてだということになれば、苦労のない人生の方がいいかもしれない。けれど「人間の真価は何をなしたかではなく、何をなそうとしたか」だということになれば、その質が問題になるのだろうな。難しいけれど。

 いつも思うことと同じなんだけれど、同じものを見ても聴いても人によって感じ方は色々だ。人は自分が見てきたものしか感じることが出来ない。そうやって考えるとまんざら年を取るということも悪いことではないかなと思うのだ。

 何だかつまらんぼやきになった。許されよ。



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この間の韓流の続き。 - 2004.12.21(日記)
はる 1282
 この間の韓流の続き。

 我々はバブル以降随分と色々なものを失った。まだ失いつづけている。そのことに未だに気付いていない。見えないものはないのと同じで、気付いた時にはもう取り返しがつかないだろう。

 韓国のテレビドラマをみて思ったことは、例えば戦後すぐの石坂洋次郎の「青い山脈」とか裕次郎の「陽のあたる坂道」などのパターンと似ている。共通しているのは、同じ青春群像で、真剣にくさいほど真剣に恋をしたり、歯の浮いた台詞を真剣に歌っている。考えてみると、我々はいつのまにか(真剣になること)に照れてないか、そんな気がした。

 例えば(勤勉)とか(正直)とか(真面目)とか、我々日本人が他の何よりも大切にしてきたことだったのじゃないだろうか。「仕事」という言葉には「お金だけじゃないよ、心意気だよ」といったある種のプライドのようなものがあった気がする。それが何だかあっという間に何かにとって代わられてしまった。

 食料の自給率は40%ない。物は海外の安い労働力で作っている。自慢だった高い教育水準もなんだか怪しい。若者は親に寄食しながら海外のブランドを買いあさっている。自ら何も生みださず、それでいて傷つくことは一人前以上だ。

 芯の部分から腐ってきてるんだな。こうなったら一度徹底的に膿を出す方がまだ再生の可能性があるかもしれない。もう遅いかな?

 韓国ドラマをみてそんなことを思った。オジサンのぼやきになった。読み飛ばして下さい。ではまた。



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いつものドラッグストアによる - 2004.12.20(日記)
はる 1281
 ちょっと外に出たついでに、ストックが切れかかっていたトイレットペーパーのことを思い出した。夕飯前なので買い物に行くほどお金も持っていなかったのだけれど、いつものドラッグストアによる。

 買い物をしている間に、そうそうお風呂の洗剤も切れかかっていたなぁとか、乾電池とか、電球も買っておかなくては・・。とどんどん買うものが増えて行く。こういったものは上手く出来ていて思わず余計なものまで買ってしまうようになっている。150円なら一つしか買わないのだけれど、98円なら二つ買ってしまうのだな。値段の設定が微妙に購買欲をそそる。

 しかし、昔はドラッグストアなどというハイカラなお店はなかった。ちり紙や石鹸はは荒物屋、電球は電器や、昆布は乾物屋、八百屋に魚屋、肉屋、花屋、パン屋に団子屋、エトセトラ・・。大型の郊外店が出来て便利にはなったけれど、個人のお店がなくなった。時代かな。

 年賀状を書き始めた。今年は例年になくはやめに出来上がった。けれど、こんなに早くできてしまうとつまらない。年末にばたばたと書くから年賀状で、正直クリスマス前に「新年おめでとうございます」とは書きづらい。

 とこんなところかな。また



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お隣の国とは長い歴史がある - 2004.12.19(日記)
はる 1280
 お隣の国とは長い歴史がある。国際社会において隣国とは仲が悪いと言うのが相場らしいけれど、ごたぶんにもれず、不幸なことに日本と韓国とは長い間仲がいいとはいえない関係だった。あちらが悪いこちらがどうしたという話は水掛け論でここではしない、兎に角お互いに気まずい関係が我々の親の代から続いていた。

 きっかけは日韓共催のワールドカップだと思う。隣国に同じような顔した凄い奴がいるぞと意識したのは。それまでの日本人の意識に大きな変化が生まれた。例えば我々の身近にも韓国の人が結構いた。彼らは日本ではまともな仕事につけないために焼肉やさんのオーナーだったりパチンコやさんの経営者だったり、またプロのスポーツ選手や芸能人が多かった。みんなそれなりに一芸に秀でた人が多い。

 ほんの数年前のことだけれど、随分昔のことのように感じる。韓国映画の「八月のクリスマス」とか「シュリ」が面白いよと言っていたことが嘘みたいに、最近は韓国ドラマが流行っている。政治的なことはよく分からないけれど、まぁこういった文化的な影響力というのは凄いな。

 スマップのクサナギさんが韓国で凄い人気があるらしい。彼は韓国語を勉強してほぼ日常語は理解できるし不自由なくしゃべれるようだ。我々視聴者の意識に「わぁカッコいいなぁ」と思わせたらそれで勝ちだと思う。後は放っておいても流行って行くだろう。

 戦略的ではなかっただろうけれど、案外こういった手は外国との友好関係を進めるにはいいかもしれない。たとえばアメリカにイスラムの素晴らしい伝統的な文化を紹介するとか、イラクにアメリカの近代的な文化を見せるとか・・。しかし話がこれだけこじれてしまうと難しいかな。

 



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チャリティー展が今日から始まった - 2004.12.18(日記)
はる 1279
 毎年クリスマスの頃になると○○募金なるものが流行る。最近ではもう有り難味もかなり薄れてきたけれど、それでも赤い羽根共同募金や赤十字なんたらかんたらと募金を求められることも多い。

 大は政府のODAから小は個人のこういった援助=募金は責任の所在がはっきりしないので,親方日の丸のかたちだけの慈善事業になりやすい。それでもやらないよりはましなんだろうかね。まぁよく分からない。

 地元の美術団体のチャリティー展が今日から始まった。この団体は地元では一番歴史があって、古くから色々と活動している。有名なミレーの美術館をつくるのも、この団体が主導的な役割をになったし、何より県展そのものがこの団体の秋季展として出発したらしい。

 しかし、長く続けているといいことも沢山あるけれど、どうしてもマンネリになってくることは否めない。昔はそれなりに社会的な使命を持って文化啓蒙的な活動をしていたのだけれど、最近はほとんど自分たちの発表だけの団体になってしまっていた。まぁ本来の姿だといえばそうかもしれないけれどね。そういったわけで少し社会的に関わって行こうとチャリティー展を始めた。

 絵描き個人ができることは個展などで自分なりのメッセージを表現してゆけば済むことだけれど、まぁこういった団体になるとそれだけではないだろうな。

 というわけでみなさん、お暇なら覗いてみてください。ではでは。

 



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今年の冬は暖かいなぁ - 2004.12.18(日記)
はる 1278
 今年の冬は暖かいなぁ。温暖化がとやかく言われるけれど、子供の頃と比べると確実に暖かくなっている気がする。昔と比べると暖房器具も進歩はしているのだろうけれど、それだけではない。

 人類が他の動物と違うのは第一に火が使えることだ。火が使えることで飛躍的に変わったのが食料だろう。火を通すことで生では食べることが出来ない硬い物や、雑菌を排除することが出来るようになった。それから暖房と明かりを得たことも大きいだろうな。

 人が一番最初に得た火は木を燃やすことでえたものだ。ギリシャの多くの都市国家が滅亡したのは人口が増えすぎてそれをまかなう燃料である山の木を切りすぎて、間接的に都市が荒廃してしまったということを聞いたことがある。

 考えてみると現代は都市の周りに森を持つ必要がない。それは石油という言ってみれば(化石の森)を使っているからで、現代の都市が森を必要としていないわけではない。昔より確実により多くの火を消費している。その森が消滅した時に古代の都市国家が滅亡したのと同じ事がおきるのだろう。

 何だかつまらん,話になった。ではまた。



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今日はちょっと出かけていました。 - 2004.12.16(日記)
はる 1277
 今日はちょっと出かけていました。ということでまた明日。



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「サイト内検索」などという機能をつけた - 2004.12.15(日記)
はる 1276
 掲示板にも書いたけれど、「サイト内検索」などという機能をつけた。どこかで時々見ていたのだけれど、ほとんど使ったこともなく、気にしていなかったということだろうか。

 人は見ているようで見ていないものだな。自分に関係あるもの、興味のあるものしか見ていないし見えていない。

 今までだって、例えば「まれびと」のことは何処に書いたっけと調べる場合、「過ぎた日々」を片っ端から開いて読んでいた。それがこの機能を使えば簡単に見つられるのだから、本当に助かる。

 それにしても不思議な感じがする。どうしてそんなことができるのだろうか。

 今日は何だか疲れました。ではまた明日。



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猿楽考 - 2004.12.14(日記)
はる 1275
 懐かしいCDアルバムが手に入った。コルトレーンとデューク・エリントンの最初で最後のジョイント作品。コルトレーンのサックスはやっと分かってくれた親父に巡り合ったかのように,甘えた優しい音色で歌っている。初っ端が「インナ・センチメンタル・モード」(僕はセンチになちゃった)スタンダードで色んな人が歌っているけれど、これが一番いい。これがこのアルバムのすべてを表している気がする。

 色んな言葉で検索するのが面白い。ちょっと遊んでみたら面白いものが引っかかった。「猿楽考」このHP、表のページは単に猿楽の営業上の話。裏に回ればなかなか面白い。

 「まれびと」や「ニライカナイ」「あそびべ」「あちらのせかい」「こちらのせかい」などなど、ぞろぞろと出てくる。お暇なら訪ねてみてくださいな。ではまた明日。



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まぁじーさんのぼやきですな。 - 2004.12.13(日記)
はる 1274
 最近個人で派手なイルミネーションを飾っている家を見かけることが多くなった。何処かの家が仕掛けると我も我も競い合っているようだ。

 昔からクリスマスが近づくとモミの木にキラキラ瞬く電飾は珍しくもなかったけれど、最近のイルミネーションってちょっとやりすぎじゃないかな。こういった自分の車や家を飾り立てるというのは何処からきたのだろうか。まぁ考え方によれば、イカつり漁船のカンテラや大漁旗に似てなくはないか。

 まぁじーさんのぼやきですな。ではまたあした。



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知り合いが第九を歌うというので出かけた - 2004.12.12(日記)
はる 1273
 
 西欧の文化を吸収しようとした時に、絵画の方はフランスの最先端の流行を取った。よくは知らないけれど法律はイギリス、科学や医学はドイツから、音楽はどうやらドイツから学んだのではないかと思う。(調べて書いてないので、間違っているかもしれんよ)
 
 けっこうクラッシクのコンサートには行ってる方だと思うけれど、フルオーケストラの演奏を聴く機会は少なかったようだ。どちらかといえば室内楽とか独奏の方が好きだということがある。フルオーケストラはおいしい部分を聴くために、延々とつまらない演奏を聞かされることが多いので、どうしても敬遠してしまう傾向にある。

 知り合いが第九を歌うというので出かけた。ベートーヴェンの第九が恒例行事の年末の歳時記になったのはいつのころからだろうか。日本人のベートーヴェン好きには少し異常なところがある。「ダダダダーン」の「運命」は子供でも知っている。最後には耳が聞こえなくなった悲劇の主人公のような生き方にも惹かれる理由があるし、音楽家というイメージそのもので、分かりやすいというところがあるのかな。

 で、今回の演奏、不覚にもちょっと泣きそうになった。何だろう、市民合唱団で言ってみれば素人の集まりなんだけれど、百人以上の圧倒的なパワー、そのひたむきな一生懸命さみたいなものが、ベートーヴェンのこの楽曲とぴたりと合って、兎に角「がんばって、がんばって、やっとやりとおしたぞ」みたいなところが感動を呼ぶのかな。よかったです。

 今中沢新一の「僕の叔父さん 網野義彦」を読んでいる。第九を聴きながら盛んにその中の一説を思い出していた。

 「あちらの世界」と「こちらの世界」のどちらにも属さない一種「境界=完全に自由な領域」の部分がこの世にはある。この「境界」には結界がはられていて普段は行き来ができない。ところが年に一回、海のかなた(ニライカナイ)から神様(まれびと)がやってきて、「あちらの世界」からの風を「こちらの世界」に吹き込む。色んなしがらみや、悩みや苦しみに辟易している「こちらの世界」の人間は一時その風に吹かれることで、癒されまた新しい活力をえるというわけだ。(少しアレンジした)

 舞台の上はこの「完全に自由な領域」なんだ。年に一度選ばれた人たちが集まってこの結界に風穴をあける。我々に向かって「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ」と歌うのだ。

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 こんばんは、久しぶりです。今年も後少しですね。ではでは

あそびべのはる
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人の一生は何のためにあるのだろうかね - 2004.12.12(日記)
はる 1272
 まぁ例えば何処か身体の一部が失われたり悪くなって、人工的なものに入れ替わったとする。今はまだ完全なものではないけれど、いずれ自分のDNAを利用してほぼオリジナルに近い人工物が出来るようになるだろう。それはまぁ人によっては朗報である部分もある。

 何処までが可能か?それはまぁ実際の話わからないのだけれど、思考といったものが微細な電気信号であるということが発見され、記憶というものがそういった電気的な情報に置き換えることが可能になったとすれば、いずれ自分の記憶というものも人工的な媒体にとって置けるようになるだろう。

 簡単にいえば今我々がCDやMDに記憶させている画像などと同じように過去の思い出や記憶が取っておけるというわけだ。今はまだ実際に眼で観る形だけれど、そのうちに直接脳内に情報を送るなどということが可能になるだろう。

 そうなってくると学習とか経験などということも、市販のソフトを買ってくればすむことで、無意味な時間を費やすこともないという、画期的な考え方が出てくるかもしれない。

 人の一生は何のためにあるのだろうかね?



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苦悩を突き抜けて歓喜に至れ - 2004.12.11(日記)
はる 1271
 「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ」などというくちはばったい言葉で私にのHPに来てくれた人がいた。ありがとうございました。

 うろ覚えなので間違っているかもしれないが、たぶんベートーベンの第九の詩でなかったかと思う。まことにドイツ人らしい理論的というのか、理性的というのか、そんなものを感じる。

 「真理というものは突然目の前に立ち現れるものだ」ということをどこかで聞いた。まじめにこつこつやっていれば、それはいつか真理につながってゆく・・といったものではない気がする。前にも書いた覚えがあるけれど、無意識に同じ事を繰り返していても到底物事の本質には到達できない。熟練はするのだけれど。

 はっきり意識する必要がある。それはかなりの苦悩、苦痛を招く。けれどそれを経てやがて「真の歓喜」がおとづれるのだろう、とそう希望しようではないか!

 ではまた明日。



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