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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

2004-11 - 2004.11.01(日記)

2004 11月 11月30日 (火)


はる 1261
 大きな130号のパネルに久々に綿布を張り込む。実際、このパネルを床に寝かせて作業するのはかなり難しい仕事になってきた。体力的にというのではなく、物理的に作業する空間がない。このパネルを寝かせた状態は、ちょうど何かの蓋をしたかんじといえばわかるだろうか、左右がぴったりと物に挟まって隙間がない。理解しにくいかもしれないが、そういった状態では私はパネルの上に乗るしか居場所がない。

 作業する人間がそのパネルの上に乗った状態はまことに不安定でやりにくい。おまけに綿布はビタビタに濡れていて下に置けば水にぬれるし、ゴミもつく。私は非常に不安定な状態で、腕をのばしながら、からみつく布を制御しなければならない。一人舞踏を踊っているようだ。

 洋画家の遠藤彰子さんのHPはなかなか面白いし、よくできている。彼女は大作主義で有名だ。毎年上野の公募展には500号何ていう想像もできないような作品を出品する。この間の個展ではそれを三つつないで1500号などという人間業ともおもえないようなサイズの絵を描いている。

 また、そのなかのエッセイはアニメーションになっていたりで、あれだけ忙しく活動されているにも関わらず、そういったことができるのは凄い。大きくないからだのどこにそんなパワーが隠れているのだろうかとおもう。たかだか130号でヒーヒーいってるそこらあたりのヘッポコとは違うということだろう。

 ではまた明日。


更新時間 : 22:54:00


11月29日 (月)


はる 1260
 かみさんの仕事場の前が八百屋さんなので、いつも野菜はそこで買っていた。このあたりは昔は随分とにぎやかで、楽しかったよという話を親父さんからよく聞いた。そうだろう、城下町の雰囲気そのままに残っていれば、なんていっても中心だものにぎやかで華やかだっただろう。京都の町なかのように間口で税金が違ったらしく、鰻の寝床のようになっていて店先に対して、奥行きが随分と長いそんな町割でできている。

 親父さんの店にはおとくいさんが沢山付いていて、今まではそういったお客さんを相手に、少々高くなっても親父さんの心意気をかっていたところがあった。事実果物は親父さんの勧めるものは本当に上手かった。彼もそんなところにプライドを持っていて、なかなか上手くいっているように思えた。

 町中に個人の商店がなくなった。コンビニが一軒できればほとんどの用はたせるそうだ。このあたりも親父さんの八百屋がなくなってしまえば、個人のお店はなくなってしまう。「自然のなりゆき」だといえばそうかもしれない。損してでも商売やって行けばとは誰もいえない。需要と供給でこの市場はなりたっている。それはそうだとはおもうのだけれど、何かしっくりとこないところがある。

 問題の原点は何だろう。町中に人が住んでいないのだ。昔は職住一体で多くの人は商売しながらそこに住んでいた。だから自然と人の出入りがあったし、地域活動が生きていた。少しでも住みよい町にしょうといった活動もあっただろう。子供たちもいた。お祭りもあった。町がまちとして生き生きと生きていた。

 やがて大きくなった子供たちは郊外にマイハウスを持って独立していった。残ったのがじーさんとばーさんだけになった。もはや何事も起こす気力もパワーもない・・。そんなところか。

 放って置いたら現状はもっとひどくなるのじゃないかな。誰かが気がついて、そう町中に若い人を職住一体で住まわせる、税金の面で優遇する、そういった思い切った策をこうじないといけないのじゃないかな。日本全国、今同じような様子じゃないのかね。どうだ?

 何てね偉そうにね、じゃまた明日。


更新時間 : 21:37:13


11月28日 (日)


はる 1259
 「ハウルの動く城」のなかで、ハウルは魔法使いの弟子なんだけれど、よくあるパターンで空を飛んだり歩いたり、時空を自由に行ったり来たりできる。まぁそのことはこっちに置いておいて。

 ハウルの寝室が出てくる。そこはありとあらゆる物が所狭しとコレクションされていて、一種グロテスクな形を変えたロココ趣味のような様子で表現されている。ハウルというのがもともと鳥?なのか、はっきりは分からないのだけれど、どうやらその部屋は色々なものを収集する癖のある鳥の巣のようにみえた。傷ついたハウルはいつもその部屋に帰ってきて一時の安らぎを得るのだ。

 夏になると橋の下にたいていホームレスが住み着く。毎年同じような棲家を作るので同一人物かと思っているのだけれど、何か微妙に違う。動物に帰巣本能というのがあるとするなら、その前に巣を作る本能があるように思う。調べてみたことはないのだけれど、何やら、なんでもかんでも集めるというのが、我々動物の本能なのかなと思う。集めたガラクタの中にうずもれてることで、一時の安らぎを得られるもののようだ。

 このハウルの寝室を見たときに、現代美術家の草間弥生さんを思い出した。彼女は小さい頃から何かしらの強迫観念で異常な心理状態を体験している。よく知られているのが水玉のかぼちゃが所狭しと異常に増殖している像なんだけれど、こうやって所狭しと異常に増殖したものに囲まれて安心するという心理は動物特有のものだろうか。

 以前アウトサイダーアート(知的障害者の表現)のことにふれたことがあったけれど、彼らの描く世界もややこういった雰囲気に近いものがある。視覚的な表現というより触覚的な表現といえるかな。

 アニメーションというある種バーチャルな視覚的な世界ではあるけれど、人間が本来求めてやまないのはこういった触覚的な世界なのではないかと思った。

 ではまた明日。

 


更新時間 : 22:56:00


11月27日 (土)


はる 1258
 
 高校時代芸術の選択科目は美術ではなく音楽を選んだ。これといった理由があったわけではないけれど、中学のときの部活動がブラバンだったということがあって、音楽から縁遠くなるのが寂しかったということがあったのかな。

 この音楽の先生はよくレコードを聴かせてくれた。何故かはしらないけれど、自分の趣味であるバロックの音楽が多かったように思う。今から考えると随分と手抜きの授業だったんだなと思うけれど、天上の音楽のようなバロック音楽なるものを聴いたのもそのころだった。

 そういえば私がバッハを初めて意識して聴いたのは、邪道かもしれないけれど ジャック・ルーシェ =ピアノのプレイバッハというジャズだった。学生の頃はジャズばかり聴いていたけれど、そんな中でこいつはなかなか洒落た音楽で、ジャズからクラッシックへの橋渡しをしてくれた。最近なぜかプレイバッハのことを聴く機会があって、とても懐かしい。

 バッハの音楽を聴いていると色彩的にはモノクロームに近いルオーなどの絵を思い浮かべる。事実、彼の音楽は日本の声明とかグレゴリオ聖歌などと共通する祈りの音楽だ。そこにはキラキラした光は感じるのだけれど、それはあくまでもモノクロームの世界であって色彩ではないように思われる。

 10年ほど前に今まで親しんで来た油彩を放棄した。まぁいろいろな理由があるのだけれど、とりあえずはそのことにはふれない。で新しい絵の描き方になってガンガン摸索していた時に、行き着いたのが「こたえてください」というテーマだった。

 一つのことを突き詰めて考えていると、色が邪魔に思えてくる。惑わされないで考えたい、そう思うのだ。色は絵画の最大の魅力の一つだけれど、色を使ってこのテーマを表現することはできなかった。色というのは仏教でいえば、欲そのものを意味する。言い換えれば無欲になること、無欲になって今はそのことだけ考えろということかな、という風に理解した。

 ラベルやドビッシーなど印象派の作曲家の音楽とジャズはよく似合う。プレイヤーによってもかなり違うのだけれど、ジャズの命であるその即興性は,印象派の色彩のきらめき、戯れに近いようなところがあるきがする。

 最近はもっと自由に考えるようになった。色味も戻ってきた気がするが、どんなもんだろうか?

 何か意味不明だな。また明日。

更新時間 : 20:48:22


11月26日 (金)


はる 1257
 「ハウルの動く城」を観た。

 映画は映画館で観るようにしている。飲み物買ってポップコーン買ってイソイソそわそわ待っている、その時間が一番好きかもしれないなぁ。いつも伺っている奥山さんの言葉ではないけれど、映画館でみるその雰囲気が好きなのだ。だからどんな映画でも自宅で見る映画より三割ほど立派に見えるのかもしれない。

 で、「ハウルの城」だけれど、最初に言っておきたい。ストーリーを追ってはいけない。その場その雰囲気その気分を充分に楽しめば、これほど美しい楽しい映画はそうないだろう。特に久石譲の音楽と倍賞千恵子の歌は我々の世代では感涙ものだ。彼女はもう還暦を迎えたはずなのにね。

 感想はそれだけだ。☆☆☆

更新時間 : 23:02:02


11月25日 (木)


はる 1256
 今日は一日個展の後片付けでした。自分で企画する個展は後片付けというのか、事後仕事というのか、兎に角やった後が大切なんだな。色々ごたごた書いたけれど、関係ない人にはつまらないと思うから消してしまった。あしからず。

 住所録を整理していて思ったのだけれど、最近は市町村の合併が盛んでやたらと住所が変わってきている。今持っている住所管理のソフトだと当然それに対応していないわけで、けっこう面倒くさいことになった。

 そうそう山梨は有名な南アルプス市があるところでね。不思議に出来た当時はかなり違和感があったけれど、これもなれてくると気にはならなくなるものだな。それにしても地名などこれほど適当に変えてもいいものなのかな、よく分からないけれど。

 例えば巨摩といえば高麗とも書く。高麗は高句麗のことでその昔韓国の亡命者が多く住んだことからこの地名ができたともいわれている。たぶんそういった由来は正しいのだろう。南アルプス市になってしまえばそういった由緒ある来歴は何の意味もなく、ただの意味のない地名でしかなくなるのだ。

 何でも多数決で決めるのは間違っている。住民投票で決めるからこんなばかげた地名になってしまうのだ。どうする?

 


更新時間 : 23:28:11


11月24日 (水)


はる 1255
 久しぶりにフルタイムの仕事。今さっき帰って、かるくめしを食ってこの時間です。もうほぼ限界です。

 ごめんなさい。また明日。


更新時間 : 22:54:21


11月23日 (火)


はる 1254
 個展10日目
 終わりました。打ち上げで今帰りました。また明日。 


更新時間 : 00:00:37


11月22日 (月)


はる 1253
 個展9日目
 明日が最終日です。みなさんこぞって来て下さい。お待ちしております。
 5:00までですよ!

 疲れました。また明日。 


更新時間 : 22:33:59


11月21日 (日)


はる 1252
 個展8日目
 まぁ日曜日ということで、朝からひっきりなしに来客。嬉しい悲鳴でした。ラスト二日です。かなりくたびれて来ました。よろしくどうぞ。ではでは

少しうたた寝して、今また復活、パソに向かっている。絵描き志望の若い人が尋ねて「絵はどういった人が買ってて行くのですか?」という質問を受ける。どう答えればいいのだろうか。

 毎年この時期に個展を開催してもう何年になるだろうか。絵を描いて生きて行けたらなぁ、というほのかな願望は持っていたけれど、実際に絵を描いて生きて行けるとは思っていなかった。

 例えばどこそこのデパートなどにある綺麗な花や風景を描いて売ってゆくというのであれば(無論それも絵描きの仕事ではあるが)それも可能だろう。けれどそういった職業画家にはなりたくはなかった。まったくもって生意気なことに、絵は売りたいけれど、売り絵は描きたくないという青臭いジレンマを抱えている。

 97年からテーマを掲げて個展を開催するようになった。この時のテーマは「こころのかたち」、まぁどうとでも考えられるようなテーマだけれど、ここらあたりから意識的に自分のこころに浮かぶイメージを描くようになった。それまでは一応取材デッサンして絵を描くというような仕事をしていた。自分なりの絵描きの一歩をふみ始めたように思う。

 若い時にしか描けないものというものがある。それはたぶん多くの人に共通する「青い時」なんだろう。多くの天才は駆け抜けるように其の時を記録した。それもよくわかる。けれど表現がもしそれだけであるなら、人の人生の後半はまったくつまらないものということになる。

 今私が描きたいのは、今まで私が経験した様々なことすべてから出てきたことなんだ。こうやって人生を乗っけて語れるのはやはりそれなりの経験をしてきたからだろう。これから迎える「老い」というテーマもなかなか重たい。

 表現者という仕事の面白さが最近分かってきた。雪だるまのように年とともに段々に転がって膨らんでゆくものなんだ。これからもたぶん死ぬまで続いてゆくのだろう。

 「どういった人が買って行くのか?」という質問に直接に答えてはいない。絵だけ買ってもらっているとは考えていない。私の生き方を応援してもらっていると答えた方がいいかな。どうだろうか。

 また明日。

 
 


更新時間 : 10:02:15


11月20日 (土)


はる 1251
 個展7日目
 土曜日というのはなかなか難しい曜日だな。多くの人は何かしら予定がはいっていることが多い、ということはお客さんも少ないということだな。

 もう眠い。又明日。

 


更新時間 : 22:28:32


11月19日 (金)


はる 1250
 個展6日目
 今日も朝から雨でした。そういった悪いコンデションのためお客さんは少なかったな。明日は土曜です。あまり天気が良すぎると行楽に行ってしまって展覧会に来てくれないので、ほどほどでいいですから、雨はやめて欲しいですな。

 この間、個展前の搬入でバタバタとしていた。銀行に寄ってお金を下ろして、ちょっと倉庫によって130号の額縁を取りによらなければならない。もう運搬を頼んである赤帽さんはスタンバイして待ってくれている。かみさんに銀行のキャッシュカードを渡したのはいいのだけれど、あせって暗証番号を間違って教えてしまった。

 間違えたのは私のあやまりだ。けれど急いでいるときに間違うことはあるだろう。どうなったか?・・キャッシュカードは取られてお金は下ろせない。まぁそれはしかたないかな、と思って本人が直接窓口まで出かけた。当然本人の確認さえ出来ればすぐに返してくれるだろうと思っていたのが、大きな間違い。そのカードはもう使えないようになっていて、カード再発行の手続きを取らねばならないらしい、今すぐ出しても一週間はかかる。当然印鑑が必要なわけで、すぐにはお金は下ろせない。

 いつも穏やかな私もここで完全に切れてしまった。「面倒だ!」と叫んだら、若いおねーちゃんはやばい人だと思ったのか、急に早口になってオロオロしていた。悪いことをした。窓口のおねーさま方が二三人集まってきた。

 だって本人がここに来て確認できているにも関わらず、一週間後にしてくれってすました顔して言われても、お金は今すぐ必要なんだからな。「あんたに文句いってもはじまらんけど、こんなトロイことをやってるから日本の銀行は世界から遅れるのだよ」なんてえらそうなことをほざいて帰ってきた。まぁ仕方ないから帰って印鑑持ってきてお金は何とかしたけれど、恐ろしく杓子定規のとんまなシステムだ。

 ということで、又明日。


更新時間 : 00:09:31


11月18日 (木)


はる 1249
 個展5日目
 今日は雨にもかかわらず、たくさんの人が来てくれました。ありがとうございました。いや~でも疲れました。すみませんここまでです。


更新時間 : 22:49:11


11月17日 (水)


はる 1248
 定期のパートタイムジョブ。夜は風邪の為キャンセル。どうも本調子ではない。まずいなぁ・・。


更新時間 : 21:04:35


11月16日 (火)


はる 1247
 個展4日目
 今日は出稼ぎ仕事のため会場には三時ごろ出かけた。かみさんと交代。今日はお客さんも少なかったようだ。中日だいたいこういった日が何日かある。

 明日はお休みです。それではまた。
 


更新時間 : 22:58:00


11月15日 (月)


はる 1246
 個展三日目。
 今日も一日切れ目なくお客さんの相手。まぁ一人一人が長いので総数はそう多くないのだけれど、疲れました。風邪の方はなんとか持ち直したようだ。やばいやばい。


 今一番新しい絵の形はアニメーションかもしれない。世界の中で日本のアニメの水準は群を抜いていて注目度も格別だ。昔、印象派に影響を与えた日本の版画・浮世絵から始まる日本の繊細な線と色の表現は、今でも健在なんだな。

 ここに共通するのは、線もさることながら、色の面ということだろう。我々日本人は物の存在感の解釈に独特なものをもっているようだ。例えば着物という衣はまったく平面的にたためてしまう。そして古くなれば解体して一枚の布になってしまう。また着物の絵というものも不思議なもので、脱いでのばして飾っても違和感がない。これは当たり前のように考えるかもしれないが、西欧の立体的な服と比べるとなかなか奇妙なことだ。立体的な世界の解釈をしていないということになる。

 西欧の人からみて不思議なのはそういった立体感の把握の欠如から来る線(輪郭線)と美しい色の調和からくるバランス感覚なんだろうと思う。

 物語や宗教性から開放された絵画がどういう方向をめざしたかといえば、印象派に代表されるように色そのものの美しさ、音そのものの美しさを如何にすれば捕らえることができるかということだ。ラテン系のイタリア人やフランス人に共通する色彩感覚素晴らしさは、彼らの「生を謳歌する精神」と不可分であろうけれど、印象派のこの考え方は彼らとぴたりとあった。それは封建制の暗い世相からの開放とも呼応して世界的なブームともなった。

 マチスの色彩感覚がフランスで受け入れられたのはそういった土壌の上にある。ドビッシーやラベルの音楽を聴いて快い感覚になることと共通している。ある種の成熟であり、大人の姿のようにも考えられる。

 そのことは百パーセント認めて、尚且つそういったことへの憧れも充分認めて、それでも何か自分のやりたいことと違うなぁというちょっとした違和感があった。それは何だろうかとずうっと考えている。

 小さな子供の頃にポケットに入る小さな人形を作って持ち歩いていたことは、少し前に書いた覚えがある。意識していたかどうか定かではないけれど、存在することの不安を指先で触れることのできるこの人形によって慰めていたように思う。

 未開の人たちのお守りとか我々の世界での護符とかイコン、道祖神とか仏像とかマリア像とかキリスト像とか何かのシンボルとか、そういったオブジェ的なものの存在と自分のやりたいことは似ているように思う。

 まだよくまとまっていないけれど、どうやら私がやりたいことはアニメ的な絵ではなくてオブジェ的な絵画という気がしている。

 意味不明ごめんなさいな。まだもう少し考える必要がありそうだ。又明日。


更新時間 : 23:55:46


11月14日 (日)


はる 1245
 個展二日目。
 昨日少しはしゃぎすぎたようだ、どうも風邪気味だ。まずい・・。今日は早く寝ます。ではでは


更新時間 : 21:01:51


11月13日 (土)


はる 1244 
 個展一日目
 オープニング楽しかった。下山君のライブ良かったな、また来年も約束したぞ。
 すみません、疲れましたのでここまで。


更新時間 : 22:38:17


11月12日 (金)


はる 1243
 どうも一人で飾り付けをやっていたもので、こんな時間になってしまったよ。まぁ疲れました。130号の絵は二枚とも重すぎて打ったくぎがみんな曲がってしまった。とても一人では掛けることができないので、たまたま様子を見にやってきた友達に手伝ってもらった。重さで勝負もほどほどが良い。けれど今はこの重さに満足している。

 なかなかいい感じだと思う。こればっかりは並べてみないとよく分からないところがあってね。一つ一つはまぁまぁのグレードでも全体を並べてがっかりすることもある。自分では分からないところもあるのだけれど、まぁ来てみて絵の中にどっぷりと浸かってみてください。きっと満足してもらえると思います。

 明日からです。待ってます。ではでは


更新時間 : 23:35:26


11月11日 (木)


はる 1242
 いよいよ明日搬入となりました。もうすでに色んな準備は終了、みんな片付けてしまうと寂しいので、手元にひとつ未完成の作品を残してあるだけです。今年はどんなお客さんが来てくれるのだろうかと凄く楽しみにしています。是非みに、来てくださいお待ちしています。コンサートも楽しみだ。

 こんなところですんません。又明日。


更新時間 : 23:01:34


11月10日 (水)


はる 1241
 まぁ今日は疲れたので、これで勘弁してください。ではでは。


更新時間 : 22:31:31


11月9日 (火)


はる 1240
 さっき仕事から帰って、HP開けたらカウントが綺麗な数字だった。49000カウント。このカウンターは同じ人が続けておしてもカウントされないシステムになっているので、実質の訪問者に近い。1999年の11月にオープンしたので丸5年ということかな。一年に10000ということは一日に約30人ということになる。この数字は多いのか少ないのか、オープンしたてはほとんど誰も来なかったからね。

 自分の個展のことを考えれば一日30人は上出来ということだけれど、まぁそう単純に比べることもできないけれどね。色んなところに積極的にリンクを貼りまくるわけでもないし、掲示板に書き込む努力もあまりしていない。まぁ無名の絵描きのHPで、これだけのお客さんが毎日あるのは、上出来でしょう。感謝。これからもよろしく頼みます。では又あした。


更新時間 : 22:49:00


11月8日 (月)


はる 1239
 さて、130号もそろそろ打ち止めにしなくては、今日一日なんとかからかってみたけれど、どんなものかな。今の私には見えないな。何となくいい感じはするのだけれど、これはある程度時間をおかなくては本当のところは分からない。明日からパートの仕事が入るので、少し離れてみようと思う。それでまぁ人様に見せてもいいと思ったら出品しましょう。

 最初は人物二人で始めた。途中までなかなかいい調子で進んでいたのだけれど、どうも一人の人物が完成されすぎていて,もう一人の人物が上手く行かなかった。ということでつぶしてしまった。

 新しく始めたのが二週かんほど前。元に戻って大きな人物が一人、これは人間じゃなくて守護神のような者。これは去年からの続き。その人物が大きな箱を今開いたところ、何かがいっぱい飛び出した。悲しい顔したピエロが呆然とそれを眺めている。実はもう一人後ろを向いた人物がいるというわけだ。

 言葉にするとこんなことだけれど、私の絵は重さで勝負ってところがある。実際に使っている材料は壁材なので近くで見ればただの崩れかけた土壁にしか見えない。乾いては塗りこんでカンナで削ってまた描いてみたいな繰り返しで,厚いところは二センチぐらい盛り上がっている。

 インターネットが普及してサイバー美術館がこれから方々で盛んになるだろう。事実私もここに個人の美術館を運営しているのだけれど、これと実際の絵とは別のものと考えている。本物というのか実際の絵が勝負できるのは例えば、大きさとか、空間、材質感、重さ、においとか、実際にその場に立たないと伝わらないものしかない、まぁそればかりではないけれどね。

 そんなわけで又明日。


更新時間 : 23:38:42


11月7日 (日)


はる 1238
 コンサート、まだ若干の余裕があります、どんどん連絡下さいな。私の絵はさておいて音楽は最高のものをお聞かせしますよ。来週の土曜ですよ。お早く。

 マチス展の後銀座に出た。昨日は晩秋とも思えないほど暖かく、歩いているとやや汗ばんできた。前にお話したギャラリー汲美が日本橋に改装移転、オープン企画で森本秀樹さんの展覧会を開催していた。森本さんとは面識はないのだけれど、もう随分と前から私の中では注目の作家で、ついこの間この画廊で出版した画集を手に入れたばかりだった。それも作家らか直接買ったので直筆のサインがありけっこう感動した。

 そういったこともあって森本さんに会うのが今回の東京行きの目的の一つでもあった。日本橋の画廊は地下にあって初めて行く土地は皆目見当がつかず、目的のビルさえ見つけられずに往生した。何回もいったり来たりしてフト気がつくと足元の方にその画廊の看板を見つけて歓喜した。灯台元暗しとはこのことだ。

 初めてあったにも関わらず森本さんは私のことを(本を買ってくれた人として)覚えてくれていて、随分と親切に対応してくれた。作品はもちろん素晴らしいものだったけれど、あぁこうやって作家として絵一本で食べて行けたらいいのになぁとそんな場違いなことを思った。掲示板の方に森本さんのリンク貼り付けておきます。

 その後銀座にでて一町目の江原ギャラリーで、わたなべゆうさんが個展をやっているので行く。たまたま日本橋をうろうろしていたらゆうさんにあって、しのばず画廊で長谷川利行をやっていたのでいっしょに観た。ゆうさんはご存知の方も多いと思うのだけれど、ユニークな作家だ。まったく無名の頃からの知り合いだけれど、安井賞を取ってあっという間に画壇の寵児になった。独学の人で独特の風貌をしていて、今でもズタブクロを下げて銀座を闊歩している。巨匠ぶったところがなく、年は近いけれど私とは違って大きなひとだ。

 そして最終の目的であるギャラリー惣に出かけた。ここは私にとって都会のオアシスみたいなもので、東京に出れば必ず寄るところだ。もう何回も個展に来てくれた井山さんが,惣での最後の個展をやるということで、言ってみればこれが今回の目的でもあった。

 ギャラリー惣も移転が決まって来年の三月には仮オープンできるそうだ。ということでひょっとすると、例年どおり年末には小品の展覧会、三月には大作の展覧会ということになるかもしれません。まだまだ流動てきですけれど、そんなめもでてきました。どうなることやら、楽しみにしていてくださいな。では


更新時間 : 23:08:09


11月6日 (土)


はる 1237
 東京に行って来ました。まぁ色々と見てきたのですが、午前中はマチスだけでした。

 会場を一回りして第一印象は「あれ、マチスってこれだけの人なの?」という感覚だった。今度は一つ一つゆっくり丁寧に見る。けれどやっぱり今の私にぴったりとくるものがなかった。確かに現代のアートシーンにつながる平面性、綺麗な色彩のハーモニー、デザイン性などなど、その先進性はだれも否定は出来ない。今でも色んなところでマチス的なデザインや形,色は使われている。やっぱりマチスは凄いとは思うけれど・・。

 我々の絵画史は印象派やその後のフォービズムから始まっている。それは日本が近代化をめざしていた時に模範として西欧があったからで、そのときの西欧絵画の主流がそれらの一派だったからだ。それからもう一つ大きな理由は印象派以降の絵画には宗教性が少ないということだ。西欧の絵画のバックにあるキリスト教くささが少ない。それゆえに日本人にも理解しやすかったのだろう。

 印象派以降の絵画の大きなテーマはただ単に色や形の美しさ、ハーモニーを歌うことであり、そのことはとりもなおさず「今この時の生きる喜びを謳歌する」ということの表明でもあるように思われる。そのことは人類すべてに共通する大いなるテーマでもあったので誰にでも受け入れられたのだと思う。

 マチスを観て感じた物足りなさというのは、反対にこの何ともいえないあっけらかんとした美しさにある。この人には虐げられた人の悲しみとか悩みとか哀しさなど理解できないのではないか。近代絵画は、絵画の後ろにある宗教性や物語性を排除することから始まったのだけれど、今ここに来て思うことはその精神性を無くしてしまえば、ただの美しい飾り物に過ぎないのではないかということだ。

 私にはクレーの不思議な物語やルオーの悲しい道化師が限りなくいとおしく思えるのだ。


更新時間 : 00:11:52


11月5日 (金)


はる 1236
 個展が近いけれど、明日は東京に出かけます。そうだなぁもう何ヶ月もお江戸にはでていない。(今尾さんの個展以来かな)地下鉄に乗ったり降りたりそれだけで疲れてしまうのでね。

 上野でマチス展を観て、その後銀座で知り合いの個展を二つほど見てきます。大きな展覧会はほとんど見に出かけないのだけれど、まぁマチスは見てもいいかなと思うのでいって来ます。

 それではまた気が向いたら報告します。ではでは


更新時間 : 22:24:36


11月4日 (木)


はる 1235
 まぁかなり切羽詰って来ましたね。もうどう仕様もないけれど、まだまだ130号からかっています。だめでもともと、だめならだしませんが。

 DM郵送しました。大体もれなく出したと思いますが、二三日して「私のところには来なかったゎ」と思う方はメールでも下さい。即送ります。

 それからオープニングのコンサートはまだまだOKです。先着順でアバウトで30人かな。まぁ適当に来てもらってもいいかなとは思っているのですが、なにせ初めてのことだから皆目見当がつきません。まぁできましたら予約の電話なりメールが欲しいですね。よろしく。

 ギタリストの下山君とは去年個展会場で知り合ったのですが、なかなか繊細な感じの好青年です。昨年ライブを聞き逃したのですが、聴いたお客さんは「神が降りてきたようだった」という何とも凄い感想だった。それをきいてすぐさまCDを購入。今年のライブの予約をしたのでした。期待してもらっていいと思いますよ。是非どうぞ。

 では又明日。


更新時間 : 22:54:43


11月3日 (水)


はる 1234
 今日のカウントはいい感じでしょう?前からねらっていたカウントなんだけれど、まぁここのカウンターはページトップのカウンターとは違って、私しか関係しないので意識している人も居ないとは思うのだけれど、どうでしょうか。

 いのHPを運営している限り進んでいくものだし、いつかはとまってしまうものなんだな。考えてみればけっこうシビアなものだ。

 今ほぼ毎日チェックしているサイトに奥山貴宏さんの日記がある。読んでもらえれば分かることなのだが、彼はガンが発見されて余命二年と宣告されている。仕事(編集者・作家)がらというのか、自分のポリシーというのだろうか、入院とかホスピスに頼ることなく、まぁ行きがかり上ということなんだろうが、出来るだけ一人で生きようとしている。このぎりぎりのところで生きていてポロポロとこぼれ落ちるような言葉がけっこう胸にズキズキとこたえるのだ。

 無許可だけれど一部を転載する。
「・・文章を書く人間にとってはそれぐらい本を出すということは魅力的で大事なことだ。麻薬的ですらある。自分は気づかないうちに悪魔と取引してしまったいたのかもしれない。でも、あまり後悔はしていない。悪魔は約束通り本を出させてくれたからだ。今度はオレが契約した約束を守る番なのだろう。悲しいけれども。・・」
 奥山貴宏10/29「本を出すということ」
 http://www.publiday.com/blog/adrift/

 それでは又明日。

更新時間 : 22:58:13


11月2日 (火)


はる 1233
 何というのかな、火曜日はいつものように弁当もって憂鬱な気分で学校に行く。私がつく頃は一校時の真ん中あたりで学校全体は静まり返っている。まぁ時々生徒の笑い声が聞こえる程度でね。

 こんな先生はいるのかな。今日は全校生徒遠足で学校には事務の人がいるだけで、職員室も鍵がかかって入れなかった。事務員さんに思いっきり笑われた。コーヒーを飲んでそのまま帰ってきた。リストラにあったサラリーマンのようで、このまま公園で弁当食って帰ったらあまりにも似合いすぎかもしれない。

 ではまた明日。


更新時間 : 19:43:03


11月1日 (月)


はる 1232
 十一月です。また後ほど。


ある掲示板の書き込みからの転載です。

 註:下の書き込みをした後に、別の開示版で、現在支援物資の受付は休止中ということを教えていただきました。物資を送られる方は、http://www.city.ojiya.niigata.jp/whatsnew/jishin04.html
を見て、受け入れているかどうかの確認が必要のようです。
どうかよろしくお願い致します。


 あなたのblogやHPの中で、ただ伝えるだけでかまいませ。 皆さんの声が 企業を、行政を動かします。



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