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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

今日も美術館の一日ボランティアだった - 2004.10.28(日記)
制作過程13m
はる 1228
 画廊・汲美から再開の連絡がきた。今度は日本橋になるそうだ。京橋が日本橋になっても、そうこだわって来たわけではないのでそれはそれでいいと思う。それよりも画廊の壁面が16mになったということが、けっこうショックだな。

 もともとこの画廊にしょうと決めたのは広い壁面が欲しかったというところから来ている。前は25m~から30mぐらいあった。従来の壁面と変わらないと言うのであれば、ここでなくてもいいということだ。また振り出しに戻ってしまった。来年どこで個展をやるのかもう決めておかなくては、今年のにのまえになってしまう。

 さて、今日も美術館の一日ボランティアだった。疲れました。ではでは

 



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ここのブログの使い方について - 2004.10.24(日記)
 制作過程13mw
 今まで一応HPの方から日記を転写して毎日更新してきました。しかしそういった使い方は本来の使い方ではないでしょう。少ないとはとは思いますが、もし興味がありましたら直接HPの日々好日を読んでください。
 http://ke-tai.to/haru/diaryj.cgi

 これからここは独立させて、制作日誌のような使い方をしたいと思います。基本的には画像のないときは更新されません。あしからず。


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今日は屋根のペンキ塗りをすることにした。 - 2004.10.23(日記)
日々是好日 13
はる 1223
 この間の台風「とかげ」。たいした風も吹かずおりこうだったのだけれど、一つ我が家にはお土産を残した。何の事はない「雨漏り」だ。この家に引越しして雨漏りには驚かなくなった。古い家の場合いずれどこか雨漏りしてくる。

 知っている人も多いかもしれないけれど、屋根の雨漏りの原因をつきとめるのは難しい。雨が落ちているところは誰でもわかるのだけれど、漏っているところはその近くでない場合が多いから難しい。音もなく静かにそして確実に雨水が溜まって、やがてポタリと落ちてくる。たぶん落ちてくるまでには相当な時間がかかっていたのだろうな。そう考えると結構不気味だ。

 というわけで天気の良い今日は屋根のペンキ塗りをすることにした。近くのホームセンターに出かける。ここは私のもっともお得意とする聖域で、不思議なことに欲しいものの場所は嗅覚で分かる。例えば作業用のゴム手袋が欲しいと思ったとする。上の方の案内を見なくても大体の売り場が臭ってくる。当たらずとも遠からず、ほとんど間違うことがない。パテを買ってきてここらあたりだと思われるところ埋める。古くなったトタン屋根はブカブカとしていまひとつ心もとない。

 今回水性のトタンペイントというのを買ってきた。今までは屋根は油性にこだわってきたのだけれど、後始末などもろもろのことを考えると今回は水性にしてみた。耐久性など案外油性よりいいかもしれない。まぁその結果は半年から一年後に出るでしょう。色数も水性の方が断然多い。

 この家を改造した頃はまだ40代のはじめのころだった。面白くて夢中になってやったのだけれど、それが50代に突入、やっぱり体力的な衰えはどうしょうもないなぁ。とても一気に全部やりきる力はない。半分残して又明日かな。

 個展が近づけばちかづくほど、何か他のことをしたくなる。で時間がないないなどと自分を追い込めるのだ。まったくどうしょうもないな。ではでは。



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チンプンカンプン - 2004.10.22(日記)
制作過程12
はる 1222
 文芸サイトのゴザンスの引越しが済んだ。バタバタとしてなかなか難しい仕事だったな。パソコンはソフトがあってただ使うだけならそんなに難しくはないのだけれど、いったんソフトを離れてタグといわれるコンピュータ言語を使うことになると、まったくチンプンカンプンになる。

 そういえばコンピュータがまだ電子計算機と言われていた頃、機械とコンタクトを取るのは穴のあいたテープだった。キーパンチャーといわれる職業が時代の花形の仕事だった。そう今でいったらバーコードみたいなもので、そのものには何の意味もない。今でこそこういったキーボードやマウスで簡単に機械とやり取りができるけれど、創世記の頃はベーシックという厚い電話帳のようなマニアル本があった。

 ワープロが世の中に出てきた頃、なんと便利な機械が出来たものだと感心した。それまでは和文タイプはあったけれど、一つ一つ文字を拾ってゆくタイプのもので、原稿一枚仕上げるのに大変な時間と労力をとられた。

 DMなんかの文字も写植屋さんというのが職業としてあって、けっこう繁盛していた。そうそう大阪の下町でアルバイトしながら暮らしていたころ、この写植屋という看板がやたらと目に付いて、俺もやろうかなと思った覚えがある。まぁしかし今の時代考えると、やらなくよかったということだな。

 なんか話がピーマンになってしまったけれど、兎に角新しい「リトログ」というテキスト中心の文芸サイトのブログを持ったということだ。まぁいずれにしてもここで書いたものからセレクトして載せるつもりです。大きな特徴はメールマガジンの機能を持っていることで、まだ件名のところが文字化けするけれど、一応機能しているようだ。よかったら登録してください。トップの「メールマガジン登録」から入れます。よろしく。



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今描いている130号についての覚書 - 2004.10.21(日記)
日々是好日11
はる 1221
 今描いている130号についての覚書

 いつものように人物二人というアバウトな構図で描き始めた。頭の中にあったのは,前回の「こたえてください・守護神」の構図と、小品の「パンドラの箱」のイメージがあった。守護神のごとき大いなる人から託される厄介な「箱」というイメージである。人は何も考えないと前と同じことを繰り返す。繰り返して行くうちに段々最初の新鮮なイメージが薄れてきて、魂が抜けてただの木偶人形のようなつまらないものになる。

 繰り返すことは悪いことではない。そうすることで何かが結晶されるということもある。熟練するということもある。我々のような仕事はある意味で8割方職人的な技術を必要とするものだからだ。けれどもそこには大きな落とし穴がある。くりかえすことでそのことに安心し冒険を恐れ、出来るか出来ないかのぎりぎりのところにある、創造の喜びを失ってしまうのだ。

 ではまた明日。



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どうやら台風が甲府を通過したようだ - 2004.10.20(日記)
制作過程10
はる 1220
 どうやら台風が甲府を通過したようだ。ありがたいことに、まったくたいした事なかったけれどね。

 さてもう寝ます。おやすみなさい。




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今日は一日出稼ぎ仕事でした - 2004.10.19(日記)
制作過程 日々是好日9
はる 1219
 また台風が来ているようだ。今日は一日出稼ぎ仕事でした。朝9時から夜の9時過ぎまで仕事です。週二回だけだけれど、こういった仕事の仕方はよくないのかもしれないな。

 疲れました。ということで又明日。



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本当はもうすでに「そこにある」ものなんだな - 2004.10.18(日記)
制作過程8
はる 1218
 130号、このところ毎日ああでもないこいでもないとからかっていた。こうやって途中経過をお話しても、絵を書かない人には理解できないかもしれない。

 昨日デッサン会があって午後から出かけた。毎回出てこられる熱心なおば様に質問された。このデッサン会は純粋に一心不乱に描くだけで、お互いに生徒でも先生でもない。それがいい雰囲気で勉強できるスタンスだとは思っています。

 で質問の内容だけれど、こういった話だ。以前生意気にもこんな話をした。デッサンはとても大切な技術だ。話を書くのに文字を知らなければ書けないように、絵の言葉や文法をしらなければ描きたいものは描けないだろう。そのためにこういったデッサン会でお勉強するのはとてもためになる。けれど勘違いしてはいけない、特に最近はこんな風に思う。絵を描くのに基礎はとても大切だ、けれど基礎をいくら繰り返しても「熟練した基礎」にはなるけれど、「表現」には至らないと思う。

 で「表現」とはどういうことかといえば、あくまでもそれは自分の心の中にあって、それを見つけなければならない。本当はもうすでに「そこにある」ものなんだな。

 一本の線にはもうすでにその人すべてが現れている。それは子供の頃からかわらない「一本の線」なんだ。それを知るためにデッサンが必要なんだな。回り道だけれど。でも勘違いしてはいけない「基礎の延長上にやがて(表現)があらわれてくるものでない、意識して見つけなければいつまでたっても見えてこないものなんだ」

 とえらそうなことをほざきました。すみません又明日。



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少し他のブログも摸索している。 - 2004.10.17(日記)
制作過程7
はる 1217
 色々なサイトがブログ化されています。前から参加していた文芸中心のサイト、ゴザンスの編集部が解散して、完全自立のブログとなった。

 編集部が存在するということは誰かの意向が入るわけで、それがそのままゴザンスの魅力でもあったわけだけれど、ブログということになればほとんど、どこのブログでもそう変わらないということになる。

 この二三日前に投稿したログの引越しで右往左往した。もともとこういったパソコンの仕事は素人で、ほとんど何も知らないといった方が、いいかもしれない。えらそうに一応HPを管理しているけれど、これもソフトがあるからで、コンピュータ言語がかけるわけでもない。まぁ一応引越しは終了したけれど、あらためてここに何か発表してもあまり意味ないかなとも思う。メールマガジンの機能はありがたいけれど、使い方がまだ分かりません。少し様子を見ます。

 ブログといえばこの日記もある意味自分で作ったブログでね、過去ログは自分で管理しているわけだから、消失心配はないけれど、多くの人に読んで貰えるという機能はない。少し他のブログも摸索している。

 では又明日。

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便利がすべてを駆逐する - 2004.10.17(日記)
制作過程6
はる 1216
 今日は寒い。
 いよいよ一気に季節が変わって行くという感じだな。寒いと何となく物事がクリアーになってゆく気がして好きだ。実際はそうでもないのだけれどね。

 近所に田圃がある。昨日今日で稲刈りが終わった。ここの親父はもう80を超えたおっさんだけれど、人懐っこい親父でそばを通る時はいつも話し掛けてくる。百姓仕事はやったことがないので、まぁそばで見ていても大変な仕事だなぁとはおもうけれど、こうやっていくつになっても昔とった杵柄で仕事が出来るのは,いい仕事だな。

 梅雨頃に稲が植えられて短い苗が風にぴろぴろ揺れている風景もいいけれど、黄金色に輝いて今か今かと待っている姿もいい。一気に刈られてその稲の跡が整然と残っているのもいい。脱穀してそこらあたりにモミを焼く煙がたつのもいいものだ。

 システムとして2000年以上かけて稲作をやってきた。稲は水を効率よく循環させることで、太陽熱を吸収し成長を加速させるという、また水の力で連作障害がないのだという話も嘘か本当か知らないけれど聞いた。水路をひいてほんの小さな土地があれば耕して畑や田圃にしてきた,日本の稲作文化が滅びてゆく。農業がつぶれてゆく。何千年もかけて培ってきたノウハウがたった10年やそこらで失われてゆく。消えたものは何倍もの努力をしなければ復活しない。

 今はまだいい、世界中から機械を売って食い物をかっている。本当にそんなので心配ないのかな。町が壊れてゆく。コンビに一つあったら、スーパーが近くにあったら、他の専門店は軒並みつぶれてしまう。「便利がすべてを駆逐する」効率がすべてなのかなぁ。ここの根っこは同じだと思う。

 それでは又明日。



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朝方は雲ひとつない絶好の散歩日和でしたね。 - 2004.10.15(日記)
制作過程5
はる 1215
 今日はいい天気でした。朝方は雲ひとつない絶好の散歩日和でしたね。

 朝散歩するようになってもうすぐ五年になる。あるきっかけで生活が180度変わった。それまでは朝昼がまったく逆の生活をしていたので、朝散歩する何ていう健康な習慣は持ちようがなかったということかな。

 で、一日アトリエにいてウダウダやっていたのだけれど、煮詰まってきて散歩に出かけた。黄金色の夕日がキラキラとしていて、もうすぐに盆地の内側は日暮れてきたのだけれど、まわりの山にはまだ日が残っていて、薄ぼんやり焼けたような色が綺麗なんだな。犬を連れた散歩人が行ったり来たりして、河川敷は街中よりにぎわっていた。

 もう寝ます。おやすみなさい。



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今日も一日終わりました. - 2004.10.14(日記)
はる 1214
 さて、今日も一日終わりました。それでよしとしましょう。又明日。


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絵画のコンクールは益々盛んだ。 - 2004.10.13(日記)
はる 1213
 絵画のコンクールは益々盛んだ。この間本屋をのぞいたら月刊公募なんていう雑誌が売られているのだから、一発ねらいのコンクールが数多くあることがわかる。かくいう私も少し前までは沢山のコンクールに出品した、結果は見ての通りだ。

 絵画の場合もう何年も前に終了してしまった、安井賞(これが文壇の芥川賞になぞられる)、それから今でもまだ開催されてはいるけれどほとんど知られなくなった昭和会賞(同直木賞)が有名だ。それぞれ自分で出品することは出来なくて、推薦性になっている。しかし、どちらにしても社会的影響力も話題性もないなぁ。ほとんど無視されているといってもいいかな。他の賞も推してしかるべし。百花繚乱だけれど、誰も振り向かない選挙みたいなものかね。

 日本のアニメーションや漫画、ゲームなどが世界的に注目されているのとは裏腹に、こういった絵の鑑賞者はますます少なくなっていくのだろうな。まぁぱっと見は面白くないからね。

 皮肉れた言い方をすれば、例えば日本のお茶のお道具とか、骨董とかごく限られた趣味の人、目利きみたいな人しか相手にしていないところがあって、欲しい人にはどうやっても欲しいけれど、興味のない人にはただのガラクタかゴミみたいな物に見えるのかもしれない。まぁこれから生き残って行く方法はこれしかない。間違っているかもしれないけれど、当たらずとも遠からずでしょう。

 掲示板にも書いたけれど、最近の本屋さんはすぐに売れる本しか置かないからつまらなくなった、だから反対にネットショップで詮索して買ったほうが便利だし、手に入りやすいというようなことが書かれていた。多分CDとか本とかオリジナルなものが沢山存在するような作品は、ネットショップに淘汰されていくのじゃないかな。

 話がまとまらない。又明日。

 



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舟の教会2 - 2004.10.12(日記)
          舟の教会2
おはようございます。
色々試していますので、まだまだ決定していません。


はる 1212
 さてまた雨が降ってきました。梅雨のような天気だ。

 みょうに鬱々として気が晴れないのは、こういった天気によるものだろうかね。いったいこういった沈み込んだような気分は何処からくるのだろうか。メランコリックな気質は根が深い。たぶんこの気質が私に絵を描かせているのだろうけれど、社会生活するという観点からすればとてもマイナスだ。

 登校拒否とか引きこもりが社会的に問題になっている。フリーターよりも最近はアルバイトもせず親に寄食している若者が増えているそうだ。親は躍起になって尻をたたくようだけれど、一概にはいえないけれど、正直いって豊かな社会の生み出した弊害だろうな。自分で気がついて克ってゆくしか道はない。

 大なり小なりみんなこういった気質を持っている。能天気で陽気なだけの人間なんていないだろう。社会に出て積極的に活動している時期にはほとんどの人は、こういったマイナーな気質は隠れている。それにこの部分に気がついては表の世界では邪魔になるんだな。それに気付かないで一生終わる人もいるけれど、たとえば大病をしたり、何かのきっかけでこの部分を知ってしまう。よくは分からないけれど、更年期などというけれどそれは前からその人が持っていたものが、体力の衰えとか環境の変化なんかで、たまたま出てきたものじゃないだろうかね。

 青年のあやうい時間は美しく唄われるけれど、我々のような黄昏のものうい時間は無視されがちだけれど、同じようにそれ以上に獏としておろおろしているのではないだろうか。

 表現活動で救われるのは、たぶんそういった時期なんだと思う。美しい音楽や心打つ文学や絵は多くの経験を経たその人の心の中を映したものだからだ。若い時には見えなかった聴こえなかった多くの物事が見えたり聴こえたりして心慰めてくれる。まぁそればっかりが芸術のしごとではないけれどね。そう思ってやるしかないかな。

 何だかよく分からん文章だ。けれど修正しないでこのままアップします。間違ったり、無礼だったりしたらごめんなさい。反論は受け付けません。あしからず。 
 




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はじめまして - 2004.10.11(日記)

          まれびと 2001 S100

みなさん、こんばんは。お初です。よろしく。

はる 1211
 新しい130号を描きだした。といっても古いパネルをつぶしたんだけれどね。どうも小品ばかり描いていると大きい作品を描きたくなってくるから不思議だ。

 絵描きはでんでんむしのように、作品を背負って生きている、段々背負っている荷の方が大きくなって、まぁ困ったものだ。

 こういったバーチャルな美術館はそういった意味で場所をとらなくていいな。どれだけ作品をアップしても微々たるものだ。このレンタルサーバーは200Mの容量がある。こだけの作品をあっぷしても10Mほどだ。

 明日はまた出稼ぎです。というわけで又明日。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
10月20日 (水)


はる 1220
 どうやら台風が甲府を通過したようだ。ありがたいことに、まったくたいした事なかったけれどね。

 さてもう寝ます。おやすみなさい。

更新時間 : 23:18:12


10月19日 (火)


はる 1219
 また台風が来ているようだ。今日は一日出稼ぎ仕事でした。朝9時から夜の9時過ぎまで仕事です。週二回だけだけれど、こういった仕事の仕方はよくないのかもしれないな。

 疲れました。ということで又明日。


更新時間 : 22:28:20


10月18日 (月)


はる 1218
 130号、このところ毎日ああでもないこいでもないとからかっていた。こうやって途中経過をお話しても、絵を書かない人には理解できないかもしれない。

 昨日デッサン会があって午後から出かけた。毎回出てこられる熱心なおば様に質問された。このデッサン会は純粋に一心不乱に描くだけで、お互いに生徒でも先生でもない。それがいい雰囲気で勉強できるスタンスだとは思っています。

 で質問の内容だけれど、こういった話だ。以前生意気にもこんな話をした。デッサンはとても大切な技術だ。話を書くのに文字を知らなければ書けないように、絵の言葉や文法をしらなければ描きたいものは描けないだろう。そのためにこういったデッサン会でお勉強するのはとてもためになる。けれど勘違いしてはいけない、特に最近はこんな風に思う。絵を描くのに基礎はとても大切だ、けれど基礎をいくら繰り返しても「熟練した基礎」にはなるけれど、「表現」には至らないと思う。

 で「表現」とはどういうことかといえば、あくまでもそれは自分の心の中にあって、それを見つけなければならない。本当はもうすでに「そこにある」ものなんだな。

 一本の線にはもうすでにその人すべてが現れている。それは子供の頃からかわらない「一本の線」なんだ。それを知るためにデッサンが必要なんだな。回り道だけれど。でも勘違いしてはいけない「基礎の延長上にやがて(表現)があらわれてくるものでない、意識して見つけなければいつまでたっても見えてこないものなんだ」

 とえらそうなことをほざきました。すみません又明日。


更新時間 : 23:29:35


10月17日 (日)


はる 1217
 色々なサイトがブログ化されています。前から参加していた文芸中心のサイト、ゴザンスの編集部が解散して、完全自立のブログとなった。

 編集部が存在するということは誰かの意向が入るわけで、それがそのままゴザンスの魅力でもあったわけだけれど、ブログということになればほとんど、どこのブログでもそう変わらないということになる。

 この二三日前に投稿したログの引越しで右往左往した。もともとこういったパソコンの仕事は素人で、ほとんど何も知らないといった方が、いいかもしれない。えらそうに一応HPを管理しているけれど、これもソフトがあるからで、コンピュータ言語がかけるわけでもない。まぁ一応引越しは終了したけれど、あらためてここに何か発表してもあまり意味ないかなとも思う。メールマガジンの機能はありがたいけれど、使い方がまだ分かりません。少し様子を見ます。

 ブログといえばこの日記もある意味自分で作ったブログでね、過去ログは自分で管理しているわけだから、消失心配はないけれど、多くの人に読んで貰えるという機能はない。少し他のブログも摸索している。

 では又明日。


更新時間 : 22:29:29


10月16日 (土)


はる 1216
 今日は寒い。
 いよいよ一気に季節が変わって行くという感じだな。寒いと何となく物事がクリアーになってゆく気がして好きだ。実際はそうでもないのだけれどね。

 近所に田圃がある。昨日今日で稲刈りが終わった。ここの親父はもう80を超えたおっさんだけれど、人懐っこい親父でそばを通る時はいつも話し掛けてくる。百姓仕事はやったことがないので、まぁそばで見ていても大変な仕事だなぁとはおもうけれど、こうやっていくつになっても昔とった杵柄で仕事が出来るのは,いい仕事だな。

 梅雨頃に稲が植えられて短い苗が風にぴろぴろ揺れている風景もいいけれど、黄金色に輝いて今か今かと待っている姿もいい。一気に刈られてその稲の跡が整然と残っているのもいい。脱穀してそこらあたりにモミを焼く煙がたつのもいいものだ。

 システムとして2000年以上かけて稲作をやってきた。稲は水を効率よく循環させることで、太陽熱を吸収し成長を加速させるという、また水の力で連作障害がないのだという話も嘘か本当か知らないけれど聞いた。水路をひいてほんの小さな土地があれば耕して畑や田圃にしてきた,日本の稲作文化が滅びてゆく。農業がつぶれてゆく。何千年もかけて培ってきたノウハウがたった10年やそこらで失われてゆく。消えたものは何倍もの努力をしなければ復活しない。

 今はまだいい、世界中から機械を売って食い物をかっている。本当にそんなので心配ないのかな。町が壊れてゆく。コンビに一つあったら、スーパーが近くにあったら、他の専門店は軒並みつぶれてしまう。「便利がすべてを駆逐する」効率がすべてなのかなぁ。ここの根っこは同じだと思う。

 それでは又明日。


更新時間 : 00:04:24


10月15日 (金)


はる 1215
 今日はいい天気でした。朝方は雲ひとつない絶好の散歩日和でしたね。

 朝散歩するようになってもうすぐ五年になる。あるきっかけで生活が180度変わった。それまでは朝昼がまったく逆の生活をしていたので、朝散歩する何ていう健康な習慣は持ちようがなかったということかな。

 で、一日アトリエにいてウダウダやっていたのだけれど、煮詰まってきて散歩に出かけた。黄金色の夕日がキラキラとしていて、もうすぐに盆地の内側は日暮れてきたのだけれど、まわりの山にはまだ日が残っていて、薄ぼんやり焼けたような色が綺麗なんだな。犬を連れた散歩人が行ったり来たりして、河川敷は街中よりにぎわっていた。

 もう寝ます。おやすみなさい。


更新時間 : 23:22:46


10月14日 (木)


はる 1214
 さて、今日も一日終わりました。それでよしとしましょう。又明日。


更新時間 : 23:02:55


10月13日 (水)


はる 1213
 絵画のコンクールは益々盛んだ。この間本屋をのぞいたら月刊公募なんていう雑誌が売られているのだから、一発ねらいのコンクールが数多くあることがわかる。かくいう私も少し前までは沢山のコンクールに出品した、結果は見ての通りだ。

 絵画の場合もう何年も前に終了してしまった、安井賞(これが文壇の芥川賞になぞられる)、それから今でもまだ開催されてはいるけれどほとんど知られなくなった昭和会賞(同直木賞)が有名だ。それぞれ自分で出品することは出来なくて、推薦性になっている。しかし、どちらにしても社会的影響力も話題性もないなぁ。ほとんど無視されているといってもいいかな。他の賞も推してしかるべし。百花繚乱だけれど、誰も振り向かない選挙みたいなものかね。

 日本のアニメーションや漫画、ゲームなどが世界的に注目されているのとは裏腹に、こういった絵の鑑賞者はますます少なくなっていくのだろうな。まぁぱっと見は面白くないからね。

 皮肉れた言い方をすれば、例えば日本のお茶のお道具とか、骨董とかごく限られた趣味の人、目利きみたいな人しか相手にしていないところがあって、欲しい人にはどうやっても欲しいけれど、興味のない人にはただのガラクタかゴミみたいな物に見えるのかもしれない。まぁこれから生き残って行く方法はこれしかない。間違っているかもしれないけれど、当たらずとも遠からずでしょう。

 掲示板にも書いたけれど、最近の本屋さんはすぐに売れる本しか置かないからつまらなくなった、だから反対にネットショップで詮索して買ったほうが便利だし、手に入りやすいというようなことが書かれていた。多分CDとか本とかオリジナルなものが沢山存在するような作品は、ネットショップに淘汰されていくのじゃないかな。

 話がまとまらない。又明日。

 


更新時間 : 23:32:45


10月12日 (火)


はる 1212
 さてまた雨が降ってきました。梅雨のような天気だ。

 みょうに鬱々として気が晴れないのは、こういった天気によるものだろうかね。いったいこういった沈み込んだような気分は何処からくるのだろうか。メランコリックな気質は根が深い。たぶんこの気質が私に絵を描かせているのだろうけれど、社会生活するという観点からすればとてもマイナスだ。

 登校拒否とか引きこもりが社会的に問題になっている。フリーターよりも最近はアルバイトもせず親に寄食している若者が増えているそうだ。親は躍起になって尻をたたくようだけれど、一概にはいえないけれど、正直いって豊かな社会の生み出した弊害だろうな。自分で気がついて克ってゆくしか道はない。

 大なり小なりみんなこういった気質を持っている。能天気で陽気なだけの人間なんていないだろう。社会に出て積極的に活動している時期にはほとんどの人は、こういったマイナーな気質は隠れている。それにこの部分に気がついては表の世界では邪魔になるんだな。それに気付かないで一生終わる人もいるけれど、たとえば大病をしたり、何かのきっかけでこの部分を知ってしまう。よくは分からないけれど、更年期などというけれどそれは前からその人が持っていたものが、体力の衰えとか環境の変化なんかで、たまたま出てきたものじゃないだろうかね。

 青年のあやうい時間は美しく唄われるけれど、我々のような黄昏のものうい時間は無視されがちだけれど、同じようにそれ以上に獏としておろおろしているのではないだろうか。

 表現活動で救われるのは、たぶんそういった時期なんだと思う。美しい音楽や心打つ文学や絵は多くの経験を経たその人の心の中を映したものだからだ。若い時には見えなかった聴こえなかった多くの物事が見えたり聴こえたりして心慰めてくれる。まぁそればっかりが芸術のしごとではないけれどね。そう思ってやるしかないかな。

 何だかよく分からん文章だ。けれど修正しないでこのままアップします。間違ったり、無礼だったりしたらごめんなさい。反論は受け付けません。あしからず。 
 


更新時間 : 20:59:09


10月11日 (月)


はる 1211
 新しい130号を描きだした。といっても古いパネルをつぶしたんだけれどね。どうも小品ばかり描いていると大きい作品を描きたくなってくるから不思議だ。

 絵描きはでんでんむしのように、作品を背負って生きている、段々背負っている荷の方が大きくなって、まぁ困ったものだ。

 こういったバーチャルな美術館はそういった意味で場所をとらなくていいな。どれだけ作品をアップしても微々たるものだ。このレンタルサーバーは200Mの容量がある。こだけの作品をあっぷしても10Mほどだ。

 明日はまた出稼ぎです。というわけで又明日。


更新時間 : 23:26:46


10月10日 (日)


はる 1210
 玄関入ったところに金木犀の樹がある。ちょうど今小さな花を一面につけて、家の何処にいてもほんのりといい香りがしてくる。

 樹というものはいつまでも庭木の状態であるものではないようだ。ほったらかしにしておいたら何時の間にか大木になるもの、そして陽があたらなくなって自然にとぼれてしまうもの、世代交代がけっこうあるものだ。

 最初からこの家にあった樹でいまでも元気なのは、この金木犀だけだ。放っておいたら結構な大木になってしまった。気がつかなかったけれど、庭師の仕事は体力がいるものなんだな。ついこのあいだ、あまりにも大きくなりすぎたので、少し剪定をしようと試みたのだけれど、意外に体力を使うのでびっくりした。いや、私の体力がなさ過ぎるのかもしれないけれど・・。

 さて、明日も全国的にお休みらしい。ではでは

 


更新時間 : 22:15:40


10月9日 (土)


はる 1209
 暴風雨になると脅かされて、色々な用事を早々に片付けて、ちょっとした食料品なんかも買ったりして、身構えていた。ここ何年かぶりに最大級の勢力を保っている台風の直撃かもしれないということで、久しぶりに雨戸なんかも閉めた。

 そうそう、サッシという密封せいのいいガラス戸ができるまで、多くの家は雨戸を閉めたものだ。昔の家は一番外側に雨戸があり、ガラス戸、障子戸という順になっていた。だから戸口はけっこう厚いものだったね。久しぶりに雨戸を閉めたら、外の明かりも外界の音も遮断されて何となく(守られている)という気分になった。家の原点はこんなところにあるのかな。

 で、準備万端(さぁいらっしゃい!)と待ち構えていると、気がつかないうちに通り過ぎたらしい。台風の進路の左側は風も雨も少ないらしい。今回はすかたんだった。

 神戸にいた頃、第二室戸台風というのにあったことがある。学校も休みになってこりゃいいや、と思っていたら、こいつは凄かった。当時親父が留守だったのか、男兄弟みんなが裸になって窓という窓に風呂場のすのこを打ち付けたり、棚板をはずして玄関のガラス戸の補強をしたりした覚えがある。それでも二階から雨が吹きこんで漏れてきた。風が吹くたびに家全体がミシミシときしんでそれはそれはこわかった。

 台風が行き過ぎてから町の様子を探検にいって驚いた。多くの電信柱が途中から折れて、電線がぶらさがっていたり、屋根瓦がほとんど吹き飛ばされてない家とか、小さな納屋がそっくり飛ばされて綺麗に荷物がその跡に残されていたり、浜の松の大木が根っこから倒れていたりで、まぁ台風の怖さを知ったな。

 今ごろになってまた雨がショボショボ降ってきた。まぁこの秋は雨が多いな。明日は台風一過で快晴だろうか。ではまた。


更新時間 : 22:18:03


10月8日 (金)


はる 1208
 何だかすごくなりそうだな。明日は暴風雨だそうだ。


更新時間 : 23:10:12


10月7日 (木)


はる 1207
 影響力の強いものから距離をおく。というのが自分の基本的な癖だということに気がついた。たぶんこれは兄弟の多い人,特に男兄弟の多い人なら分かってもらえるかもしれない。

 基本的にここには自分のこと以外書かないことにしている。よって兄弟のこともほとんど書いていないけれど、まぁ私の兄弟はよく言えば個性的だ、悪く言えば切りがない。

 というわけで小さい時から自分の居場所がなかった。一人遊びが得意になったのはたぶんそういったことが影響していると思う。いいか悪いか、今のところよくは分からないけれど、私が他の兄弟との違いを発揮でききたのは、こういった手仕事しかなかった。

 長じてあらゆる権力みたいなものから距離をおくというスタンス(力の強いものから逃げる)が出来上がってしまった。しかし最近になってよくよく考えてみると、いわゆる時代を代表するアーティストというのはその時代の権力側にいる。このあいだの「アーティストとゴキブリは似ている」から推測すれば、餌が豊富にあるのは権力側なんだなぁ。「反権力のアーティスト」はカッコがいいけれど、元来が存在し得ないあだ花なのかもしれない。

 そうやって考えれば、良い悪いは別にしてヴィトンと組んで仕事をしている、村上隆は歴史に名を残すかもしれないね。

 しかし、こういった曳かれ者の詩のような性格は直らないなぁ・・。

 


更新時間 : 22:41:02


10月6日 (水)


はる 1206
 今日はいい天気でしたね。ちょっときざですがね、こんなことを思った。西欧諸国の多くがイタリアにあこがれた。これはローマから続く文化にあこがれたということもあるけれど、あのキラキラ輝く太陽にあこがれたんだな。秋になって空がグーっと澄んで,キラキラ輝く太陽を見るといつもそう思う。

 また後で書ければかきます。ではまた。


更新時間 : 21:02:57


10月5日 (火)


はる 1205
 今日は一日雨でした。気温も一気に下がって寒いくらいです。個展の準備もそこそこにホームページのプチ改修です。

 今までやろうとして踏ん切りがつかなかったこと、昔の作品の資料をアップすること、誰のためでもない自分の資料作りなんだけれど、やりだすと途中で投げ出すわけにはいかなくなって、一気にやってしまった。あとギャラリーの最近作も更新。これでこのHPにはスケッチも合わせると500点ほどの作品が保存されている。多いのか少ないのか、兎に角これが私の仕事(いたずらがきを除いて)のほぼすべてだろう。

 インターネットがなければこういった個人的な作品や資料はほとんど公に晒されることはなかった。歴史的な大作家でないかぎり,ほとんどの場合うずもれてしまう運命にある。まぁそれはそれで仕方ないことかもしれないけれど、こうやってインターネットという偉大な発明?のおかげで、細々と誰にも迷惑をかけずに、こういった個人的な美術館?を持てるのはありがたいことだと思う。

 作家としての前半はこれで終わったと思う。さてこれから後半戦ということかな。さて何処までいけるやら、みなさんと一緒に楽しんで行きましょう。あらためて、どうぞよろしくお願いします。では又明日。


更新時間 : 21:45:16


10月4日 (月)


はる 1204
 小品249点すべてアップしました。こんなことしている場合じゃないのだけれど、個展が近づくとどうでもいいことをやりたくなる。疲れた。

http://www2.journey-k.com/~enami/gallery/gallerymenu.html

 さて、DMが出来てきました。県外で欲しい方はメールにて請求してください。県内の方はしばらくお待ちを!


更新時間 : 22:16:32


10月3日 (日)


はる 1203
 雨の中、文化祭が終わりました。

 夕方6時から文楽の地方公演を観に出かける。まぁこの手の日本の文化には詳しくはないので、えらそうなことは何もかけないのだけれど、人形と浄瑠璃と三味線が一体となった芝居ということができるだろうか。

 簡単に人形芝居というけれど、一体の人形を三人の遣い手が黒子になってさも生きてるがごとく操る。世界中にこういった人形をつかった芝居というのは数多くあるのだろうけれど、これだけ完成された人形芝居は日本以外ないのではないかと思う。

 この間NHKの「日本語であそぼ」をちらりと見たのだけれど、狂言の野村萬斎が「ややこしや~ややこしや~」なんてやっていた。高校生のころ国語の時間に初めてこういった日本の伝統的な芝居を見たのだけれど、言い回しやリズムに軽いカルチャーショックを受けた。けれどよくよく考えてみれば、正月の獅子舞や漫才、昔町を回っていたチンドンヤの口上なんかも、こういった節やリズムに似てる。浄瑠璃の源泉も調べてはいないけれど、昔ラジオから流れてきた浪花節とか浪曲というものとすごく近いものを感じる。

 芝居の方はもっと下世話だけれど、関西の人間だったらみんな知っている、吉本新喜劇とか、藤山寛美の松竹新喜劇なんかとも凄く近い。三位一体というのだろうか、耳と目と頭と一緒に刺激するこういった芝居はなかなか面白い経験だった。

 そんなことでまた明日。

 そうそう、82年から94年までの小品157点のサムネイルを一気にアップした。メニューの左下から入れます。次に95~99の100点ほどアップする予定。これで一応ストックしてある過去の作品資料はすべて終了です。色々まだ途中ですけれど、そのうちぼちぼちトップで紹介して行きます。お楽しみに。


更新時間 : 23:34:59


10月2日 (土)


はる 1202
 今日から地域の文化祭が開催。歩いて数十歩のところにある自治会館という名のボロヤが会場となる。昨日は私を含めた年寄り数人と,これまた地域の公民館という集会場に展示用のパネルを借りに行く。

 この地方にしかない「組」という自治組織があり、何年かに一度役員が回ってくる。私は今年町内文化部の委員長ということになった。組という言い方は戦前の「隣組」とか「五人組」などというように、あまりいい響きがないので最初はとまどったけれど、ここに住む以上これに関わらないわけにはいかない。冠婚葬祭すべてにこの組が関係してくる。わずらわしいとして若い人はかかわりを嫌うけれど、私などのようにここの出身でない人間にとって、地域と関わりあういいチャンスかなと思っている。

 地域のお祭りなんかにも何となく参加して、カキ氷をかいたりしてなかなか楽しかった。住人がその地域の人と協力して楽しむというのは「スローライフ」の基本的な考え方で、文化とはそこあたりが原点のように思う。

 東京の銀座で個展をやったり、大きな団体展やコンクールで入選したり受賞したりすることも大切だけれど、足元をおそそかにしては意味がないように思う。

 地域のじーさん、ばーさんと熱い茶でもすすりながら、盆栽やパッチワークにかこまれて、イチローや松井の話をしているのは楽しいね。では又明日。


更新時間 : 21:01:31


10月1日 (金)


はる 1201
 10月です。

 口の周りが何となく不如意だ。奥歯の神経は前回の治療で抜いてしまったはずだから、痛むはずはないのだけれど、いやそれともそれは思い過ごしで、他の歯だったかもしれないな。

 口の中をかむことが多い。というのは痛いところを気にして避けようとすると、何故か口の動きが不自然になって,何かの拍子にグギッと噛んでしまう。舌を噛むというのは聞いたことがあるけれど、ほっぺの内側を思いっきり噛むというのは、あまり聞いたことがない。

 そしゃくすることは、まばたきと一緒で人はほとんど意識することない。「今おれは3秒に一回まばたきをしている」と意識していたのでは、たぶん疲れてしまうだろう。それが物を食っている時に、ゆっくりほっぺをかまないように口を動かすというのは、苦痛以外のなにものでもない。

 芸能人は歯が命というキャッチをきいたことがあるけれど、確かに我々一般人は歯をおろそかにしている傾向がある。はっきり言って歯が汚い。健康は歯を大事にすることから始まるのだぞ。今日は虫歯の日だっけ?ではまた。

 







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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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