あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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2004-9 - 2004.09.01(日記)
2004 9月 9月30日 (木)


はる 1200
 記念すべき1200回となった。何の記念かわからんけれど。

 映画「スィウング・ガールズ」を観た。

 東北の小さな高校のブラスバンド部の話。何年か前に見た「ウオーター・ボーイズ」と同じ監督といえば大体の内容は想像がつく。

 前半はあいも変わらずのへたくそなドタバタ喜劇で、それこそ素人のコメディを見せられているようで、見ているほうが恥ずかしくなる。棒読みの台詞にぎこちない演技。どれをとっても救いがない。

 腹が立って出て行こうかと思った時に、懐かしいデューク・エリントンの「A列車で行こう」が流れてきた。アテレコであるのは分かりきっているが、これが聴こえてきたら帰るわけにはいかない。デュークに申し訳ない。

 話はめちゃくちゃ、演技も素人、でもなかなか楽しかった。ホント。あのたけしの「座頭市」のタップダンスと同じくらい楽しかったぞ。おまけの☆☆☆


更新時間 : 19:06:32

9月29日 (水)


はる 1199
 また台風が来ているらしい。今年は台風の当たり年だな。


更新時間 : 23:12:23


9月28日 (火)


はる 1198
 今日は中秋の名月ということで待っていたのだけれど、残念なことに見えなかった。昨日はちらりと見ることが出来たのだけれど、まぁこれこそしかたなかんべさ。

 今日も一日出稼ぎ仕事でした。少し前に少々トラブっていた生徒もやや落ち着いて来たんだけれど、私自身がもうかなり疲れてきましたね。

 学校の先生というのは因果な商売で、手馴れてくれば人扱いも上手くはなるけれど、それに反比例して勢いがなくなってゆくように思う。長く教師だけやっている人は、何となくしゃれっ気もなくなってドンくさい。まぁそれが学校の先生というある種のニオイかもしれないけれどね。それでいいのかな?分からん。

 くたびれたので、また明日。


更新時間 : 22:43:40


9月27日 (月)


はる 1197
 今日はどうも色々書く気になれないなぁ、気分的に鬱だな。

 どうも厄介だ。すみません又明日。


更新時間 : 21:22:53


9月26日 (日)


はる 1196
 何やかやと色々準備にせっつかれています。私の場合約一ヶ月前には終了しないと気分的に落ち着きません。ですから私的にはそろそろ準備も終わりなんですな。細かい点は別にして。

 銀座でこのところ毎年お世話になっていたギャラリー惣が今年一杯で今の場所を閉めるという話は前に書いた。銀座は日本の画廊のメッカで、絵描きになるまで知らなかったことなんだけれど、ここに200から300の画廊がひしめき合っている。どうして?なぜ?銀座なの?という質問には上手く答えられないけれど、需要と供給、芸術家とゴキブリといえば、なるほどなぁと納得できる。

 画商と絵描きは相互依存の関係だ。けれど多くの画商は何となく胡散臭い感じがぬぐいきれない。特に銀座の昨今の浮き沈みをみていると、ここで生き残って長く画商をやっている奴は海千山千のつわものだな。

 画家が何とか絵を売って食べて行こうと思うならば、どうしても信頼できる画商とめぐり合う必要がある。自分で直接行商して歩いても高が知れている。恥ずかしいし・・。困っていた。

 さて、喜ばしいことに来年の三月再開の葉書が来た。何とかもう少しがんばってもらわなくちゃね。ではでは。


更新時間 : 21:20:54


9月25日 (土)


はる 1195

         *「かぜのおとづれ」           

 「風の音」と書いて、「おと」とよむのか「ね」とよむか。時と場合、日本語は読む人の判断に任されている。アバウトであるけれどその方が言葉として正しい気がする。「虫の音」が「ね」で「車の音」が「おと」だとすれば、簡単な基準は「快」「不快」ということになるか。しかし「風の音」はどちらにでもなりうる。カタコト窓を鳴らす隙間風は鬱陶しいけれど、高原でソヨソヨと吹く風は快いものだ。すべてが受けての心持一つ、決まりがあるようでないということになる。

 「あるけれどない」そんなことは実際にはよくある話だ。例えば「風」には姿がない。われわれは飛んで行く雲を見たり、木々の梢の音を聞いて、間接的に「あぁ風が吹いているんだなぁ」と思う。遠い昔、風は鳥が運んだと考えたそうだ。大いなる者からのおつげは風に乗って、ホトホトとカタコトと「音連れ」てやってきたらしい。なるほど「おとづれる」とはそういった意味を含んでいるのか。

 個というものは確かにもうすでにここにあるのだけれど、これも姿のないものでなかなか見ることが出来ない。絵とか音楽とか文学というものは、この風のホトホト、カタコトに似ている。直接見えない自分というものを「おとづれた」かたちで見せたり聴かせたりしてくれる。そしてそれはたぶん、見る人の心の中を映したものなのだろう。

 さて、今年もこんな「かぜのおとづれ」を色やかたちに置き換えました。楽しんでもらえたら嬉しく思います。

           榎並和春個展
        ~かぜのおとづれ~
   2004 11/13(土)~11/23(火)11/17(水)休廊
       甲府・ハーパーズ・ミル
   400-0808  甲府市東光寺町1346  電話055-233-3157

      11/13(土)7:00オープニングコンサート
      下山亮平アコースティックギター・ライブ
        (無料・要予約・榎並まで)


更新時間 : 08:37:49


9月24日 (金)


はる 1194
 結局「かぜのおとづれ」にした。たくさんの「ことば」どうもありがとうございました。色々と考えさせられることが多かったですよ。いつもは自分だけの問いで終わっていたのだけれど、こうやって人に投げかけるのも面白いなぁと思いました。

 今日DMの版下を決めた。何もなければ二週間であがってきます。楽しみです。これからメッセージを考えたり、額を発注したりと個展に向けてどんどん進んで行きます。まだ作品は半分ぐらいしか仕上がってませんが、徐々に気分は個展モードです。DM欲しい方またメール下さい。まだですよ。

 今年はオープニングにギターコンサートを企画しているので、これも思いっきり楽しみです。どのくらいの人が聴きにきてくれるのだろうか、まったくの未知数です。今回の結果がよければ毎年何かしらのイベントを組んで行きたい。無料なので是非気楽に聴きに来てくださいな。予約ははやめに、メールでもOKです。ではまた


更新時間 : 23:21:55


9月23日 (木)


はる 1193
 「かぜのおとづれ」もしくは「かぜのおとなひ」覚書

 どうも「おとづれるきざし」とすれば「きざし」という言葉がなじみが薄い気がした。例えば小さな子供が聞いたときに「きざし」という言葉は説明しにくい。予感とか予兆とか前兆とか、どれも帯たすきで説得力に欠ける。それに語感が強い。つよすぎる気がする。もっとたおやかな感じが欲しい。

 「ゆめのおとづれ」とも考えたけれど、「ゆめ」というほど私の絵は幻想的ではない。もう少し具体的で触覚的であるような気がする。

 風のことは何回も書いてきたけれど、もう一度書く。四つの方角にそれぞれ神がいて、それを守るのを四天王という。四方の神からの神意を伝えるのが鳥の役目で、風は鳥が運ぶものと考えられていた。ゆえに古くは「鳳」とかいた。南風が吹けば春になり、北風が吹けば冬になる、「風」には色々な自然の「きざし」が含まれている。(白川静 字統より)

 個というものはもうすでにそこにあるものだけれど、何気なく暮らしていると見過ごしでしまう。耳を澄まして、目をこらすと、いずれ何処からか何かが「おとづれ」てきて聴こえたり見せてくれたりする。

 何にも説明なく「かぜのおとづれ」だけでも独り立ちしている気がした。どうだろうか。



更新時間 : 20:40:40


9月22日 (水)


はる 1192
 覚え書き
 岩波古語辞典(1974)を調べると、 「訪れ」・おとづれ の項に、「音連レの意。相手に声を絶やさずにかけるが原義」とあり、また「音なひ・訪なひ」・おとなひ の項に、「音を立てる動作をするのが原義」とある。この辞典から「訪れ神はホトホト、コトコトと音をさせて訪なう。…神は「音なひ」をもって神意を知らせたのである。



更新時間 : 16:53:05


9月21日 (火)


はる 1191
 「おとずれる きざし」覚え書き

* 1.もうすでにそこにあるけれど、見えない様
  2.おぼろなものが、次第にはっきりしてゆく様

* 真っ暗な闇から、どこからか聞こえてくる音を聞くことが「おとづれる」の語源だそうだ。(暗・闇・音)すべてにオトがある。

* 絵にしろ音楽にしろ文学にしろ、結局は自分にない物は見えないし聞こえない。

* 我々の仕事は、自分の心の中を晒して、ぼんやりとしたうつろな色や形から「おとづれる確かなきざし」を画面に定着することのように思う。

* 自分の中には自然があり、突き詰めればそれは全ての人に共通することだろう。



更新時間 : 23:44:16


9月20日 (月)


はる 1190
 街中の活性化のために空き店舗を使ってアーティストの展覧会とかイベントをやってくれ、ということで以前話し合いがなされた時にこんな話があった。

 フランスに長く滞在してそこそこ評価されていたある一人の彫刻家が「アーティストとゴキブリは似ている」というんだな、こればなかなか説得力がある話だった。

 というのは、あらゆる生物は餌のあるところに出没する。例えばカビでさえも自分たちを生かす栄養のないところには発生しない。ゴキブリがいるということはそこに食べ物があるということで、もっと言えばゴキブリを退治する一番の鉄則は「食い物を無くす」ということだな。

 で、アーティストは彼らだけでは食べてはゆけない寄食者だ。自然、養いもとである裕福なパトロンがいて初めて存在できる人種である。よってこういうことが言える。街中を活性化するためにアーティストを使うというのは筋が違う。彼らは腐敗したご馳走があるから集まってくるのであって、彼らをつかって人集めを期待するのは、ゴキブリを放して餌を探すに似て本末転倒だ。

 耳が痛いけれど、なかなか言いえて妙だと思った。ゴキブリを追いながらそんなことを思い出した。


更新時間 : 23:45:56


9月19日 (日)


はる 1189
 ごめんや。また今日もましな文章書けんわ。このところちょっとばかし忙しくて、あかん。まぁ忙しいことを言い訳にしてるところあるけれど、まぁしゃないな。またゆっくり書くつもりです。ごめん。みんな考えてくれた言葉、羅列しとくわ。そんじゃまた明日。

          たゆとうかたち

          うつろういろ

          そこにあるもの

          かがみにうつるかげ

          淡いものの 降る たそがれに

          けはい

          隠されているもの

          照らし出されるもの

          おもかげ

          うつろい
 
          ようこう

          みかげ

          たましひ

          いのちとかたち

          ざわめく

          うつろ

          色をあそばせる

          心の風景

          芳醇な色模様

          降花
  

                    (後日追加)




更新時間 : 11:44:02


9月18日 (土)


はる 1188
 今日は一日美術館でデッサンの講習。人に教えるほどデッサンが上手いわけでもないのだけれど、お世話になったお返しだろうか、少しでもお役に立てばそれで良しとしましょう。けっこう一生懸命やったので、くたびれました。明日もあるけれど、もう一杯いっぱいですな。

 知り合いがお泊りです。ということで今日はここまで。又明日。


更新時間 : 22:02:59


9月17日 (金)


はる 1187
 明日から地元の美術団体の裸婦デッサン会が始まります。スタッフの一人として参加します。だんだんにこういったボランティアの仕事が増えて行くのでしょうか。

 ということで又明日。


更新時間 : 21:53:56


9月16日 (木)


はる 1186
 今年の個展のテーマを考えている。そろそろDMの版下を考えなければならないということで、うなっています。

 今のところ最有力候補は「たゆとうかたち うつろういろ」なんだけれど、少し分かりにくいかな。

 今一度綺麗な日本語教えてください。

 1.もうすでにそこにあるけれど、見えない様
 2.おぼろなものが、次第にはっきりしてゆく様





更新時間 : 22:36:39


9月15日 (水)


はる 1185
          たゆとうかたち

          うつろういろ

          そこにあるもの

          かがみにうつるかげ

          淡いものの 降る たそがれに

          けはい

          隠されているもの

          照らし出されるもの

          おもかげ

          うつろい



                    (後日追加)


更新時間 : 23:15:06


9月14日 (火)


はる 1184
 1.もうすでにそこにあるけれど、見えない様
 2.おぼろなものが、次第にはっきりしてゆく様

 そういったことを表す、適当な美しい日本語知りませんか?

 今日は一日出稼ぎでした。では又明日。


更新時間 : 22:27:30


9月13日 (月)


はる 1183
 村上春樹の「アフター・ダーク」を読んだ。

 もう30年も前になるけれど、大阪のジャズ喫茶「タイム」で長くバイトをしていた。それはまだ二十歳前の頃で、当時どんな小さな町にでも小さなジャズ喫茶が必ず一軒はあった。少し破天荒だったけれど、神戸から北海道までスーパーカブでツーリングしたのは、ある意味それぞれの町のジャズ喫茶はどんな具合なのか観察に出かけたようなものだった。

 今も昔もそう変わらないと思うのだけれど、若い時は何がどう嫌だったのか、当時の自分の感情はよく分からない。兎に角なんだかやたらに腹が立って、イライラしていたような気がする。今では考えられないけれど、エネルギーが有り余っていたのかもしれないなぁ。

 タイムには常備10人ぐらいの大学生や今でいうプータローがアルバイトしていて、60過ぎたビュッヘのピエロによく似た親父さんがマスターとして店をまかされていた。親父さんは若い頃は極道でなかなかの遊び人だったらしい。かなり年の離れた女の人が時々尋ねてきた。うわさでは別れた何人かの奥さんの一人らしかった。落ちぶれて最後にここのオーナーに拾われたというのが、真相だとずいぶん後から本人に聞いた。

 京都の大学の軽音でジャズをやっていたというドーヤンが夜の部にバイトとして入ってきた。グレゴリーペックによくにたなかなかの男前で、たまに傷なのがタッパが少々たりなかった。

 バイトは今でも変わらないウエイターの仕事で、長く続けてもなんの益にもならない時間つぶしだったけれど、一つだけ今でも役立っていることがある。多くの音を聴いたので耳が肥えたこと、それと、多くのジャズの名盤を知ったことだ。当時リクエストされたレコードをどれだけ知っているか、それがここで働くもののレーゾンデートルだった。

 ドーヤンには多大な迷惑をかけられたけれど、多くのことも教わった。その一つにジャズの名盤というやつだ。

 トロンボーンのジャズはほとんど知られてしない。そのなかでカーティス・フラーの「ブルースエット」名盤で、なかでも「ファイブスポット・アフター・ダーク」は一度聴いたら耳に残る一枚だ。

 肝心の感想はいずれまた。


更新時間 : 23:25:26


9月12日 (日)


はる 1182
 藤沢周平の「市塵」(新井白石の伝記)を読んだ。彼の小説といえば大体が、人情話で風景描写や江戸の風物が綺麗なタッチで描かれていることがおおいのだけれど、それを期待して読むとまるで勝手が違ってがっかりするかもしれない。

 前に同じ作者の「一茶」を読んだ時にも思ったのだけれど、こういった歴史上の人物の伝記ということになると、彼の筆はやや滞りがちになる。はっきり言って大衆小説としては失敗している。多分彼の性格としてかなり細かいところまで資料を読みこなしているのだろう。だからかもしれないが、何かしら論文を読んでいるような味気なさある。

 つまらないと思いつつもかなり長いこの話を読みきることができたのは、白石という一人の儒学者が、通俗的な生臭い政治とどう結びついたのか、そのことが知りたかったからだ。本来純粋な学問とか芸術、宗教は政治と無関係であるはずなのに、どんな時代も多くの場合政治にイデオロギーや宗教が絡んできて、生臭い事件が起きる。

 卑弥呼の昔を持ち出さなくても分かるけれど、権力者というものは何かしらバックボーンを持ちたがる。というのは自分にはっきりとした権力を持つがための自信がないためで、何かしらの裏付けを欲しがるのだろう。

 何だかまとまらなくなった。すんませんまた明日。
 


更新時間 : 21:12:50


9月11日 (土)


はる 1181
 「はれとけのいろ」修正版

 どこかに書いてあったけれど、HPにこんな傾向があるそうだ。嘘か本当か、それは知らないけれど。

 一つは素人さんのページほど色数が多いということ。特にレインボーカラーを多用するのは、初心者におおいらしい。まぁ色が使えるとなると使いたくなるのが人情だけれど、色が沢山あるということと、上手に使えるというのは違うことなんだろう。そこのところが難しい。我々の色感はやや西欧かぶれしている。

 日本人の色彩感覚というのは、色数が多い=極彩色=極楽浄土という感覚だろうか。豪華絢爛総天然色といえば大漁旗やねぶたの山車を思い出す。祇園祭や各地のお祭りの色彩もどちらかと言えばにぎやかだ。「はれとけ」の色ということになるのだろうか。常日頃の生活が厳しいほど、「はれのひ」には跳ねた色を使いたいということかな。

 17世紀イタリアにカラバッジョという画家がいる。この男は色々な逸話のある男で、有名なのは女性問題で殺人事件をおこして国外追放になったとかなんとか、にぎやかだ。けれども彼の描く絵はドラマチッで、色数も少なく、明暗がはっきりしていて分かりやすい。ということで現代でも充分に魅力的で、世界中に多くのファンがいる。で、かれの描写方法というのはイタリアの乾燥した、美しい光の中でしか生まれなかっただろうな。

 明治以降西欧の画法が入ってきて、それまで輪郭だけで物事を写し取っていた画家たちは、西欧の三次元的な明暗法にビックらした。横山大観などが提唱した「もうろうたい」などという描写法は、今から考えると西欧画的な日本画という解釈ではないかな。

 随分前の「太陽」の別冊に日本の神様のお供え物の特集をやっていたけれど、それはまさに豪華絢爛総天然色の世界だった。我々の西欧かぶれした眼にはエキゾチックにさえ見える。タイムマシンで百年前にもどったら、西欧人が初めてアフリカンカラーを見たとき同じくらいのショックがあるのだろう。

 結論というわけではないけれど、面倒になってきたので言いたいことだけ言うと、どんなに西欧風なこしらえをしても自ずから匂ってくるものがある。それを風土というのだろう。カラバッジョは17世紀のイタリアにしか存在できなかっただろうし、大観は明治の日本にしか登場できなかった。

 で、今我々が立っている風土とは何なんだろう。「はれとけのいろ」を無くした我々は根のない本当にあやふやなところに立っていないかということだ。

**********************
はる 1079と1163を ゴザンス卒業文集のため編集したものです。どんなもんじゃ。



更新時間 : 07:37:34


9月10日 (金)


はる 1180
 今日はここまでかな。ではまた明日。


更新時間 : 00:19:19


9月9日 (木)


はる 1179
 午前中は野暮用でつぶれました。まぁ一週間のうち半分以上は公の仕事はお休みなんだけれど、何だかんだと野暮用が入ってきます。他の人は多分「仕事」という名目で回避していることなんだろうけれど、何故か私には野暮用が避けられない運命になっているようだ。

 午後から個展会場になっているハーパーズ・ミルに打ち合わせに出かけた。今年はオープニングにアコースティックギター(下山亮平君)のコンサートを企画している。コンサートといっても個展会場で生演奏してもらうだけのことだけれどね。前にチェロのソロコンサートを企画したことがあったのだけれど、何やかやで没になってしまった。今回は企画倒れにならないように、ここで発表してしまう。期待してもいいです。

 夕方からサキソフォン・カルテットのチケットが手に入ったので出かけた。若い女性四人の演奏会で、軽いおしゃべりと音楽で楽しめた。特に映画音楽「ニューシネマパラダイス」のメドレーをやってくれたので、それだけで及第点をあげましょう。エンリオ・モリコーネのあの音楽を聴くだけで、「トト~、アルフレ~ド」の切ない場面が思い出される。

 さて、今日はそれでおしまい。また明日。

下山亮平 http://r-shimoyama.guitarfreak.net/


更新時間 : 23:28:47


9月8日 (水)


はる 1178
 今日も一日出稼ぎ仕事でした。まぁこんな一言ですんません。ではまた明日。



更新時間 : 23:07:51


9月7日 (火)


はる 1177
 今日は一日出稼ぎ仕事。最近なかったことだけれど、定時制の生徒とのトラブル。具体的には書けないけれど、不甲斐ない自分に落ち込むなぁ・・。まぁどういった対処をしても悔いは残るのだけれどね。

 ほとんどの場合、もう生徒は何も指示しなくてもかってに良いように動いてくれるのだけれど、時々私の度量を超えている生徒が現れる。これは私が試されているのだろうか。

 疲れました。ではでは

 


更新時間 : 22:20:21


9月6日 (月)


はる 1176
 小さな作品がアトリエの床にところ狭しと並べられている。その中でも比較的大きな10号クラスの絵はその気になって描こうとしなければいつまでたっても形が見えてこないので、かさばって邪魔になる。

 今日は最初っから、こいつらを何とか目鼻をつけなければとからかっていた。いつものように何かしらの下地が施してある。もう何日もそんな状態が続いていて、何かが見え隠れしている状態だった。

 今年の国画会の大きな作品が少し頭の中にあった。「守護神」のような大いなる人物が人を包み込むようなかたちで存在する。そんな感じで人物が描けないかなぁとぼんやりと考えていた。

 となにやらうすぼんやりと人物が見えてきて、人物はこれに決まった。なかなか良い人物が描けた。でこいつに何を語らせようかとウダウダと考える。ここのところが一番の肝になる。

 最初はただの箱を持っていた。箱・・はこ・・ハコと考えていたら「パンドラの箱」にたどり着いた。開けてはならないと言われた箱を開けてしまったら、邪悪とか偽善とか嫉妬など人の醜いおおくの災いが世の中に飛び出してしまった。慌てて箱を閉めたら箱の角に「希望」だけが残ったというギリシャ神話は有名だ。

 タイトルは「希望」としよう。今年の個展の看板になるかもしれない。そのうちにトップに晒します。お楽しみに!

「パンドラの箱」について
http://www.box-j.com/whatpandora/whatspan.htm





更新時間 : 23:15:49


9月5日 (日)


はる 1175
 スウェーデン映画「キッチン・ストーリー」を観た。北欧の映画なんてほとんど観たことがなかったので興味深く観た。よしもとばななの「キッチン」のイメージがあったので、そんな感じかなと思っていたら、いい意味で裏切られた。

 始まって最初のタイトルバックにジャズが使われている。ジャズはアメリカ発の音楽だけれど、何故かヨーロッパの風景、とくに北欧の風土とよく似合う。(北欧のジャズといえばベーシストにニール・ペデルセンというプレーヤーがいた。ケニー・ドリゥーというピアニストと「DUO]というアルバムを出していて、最初に買ったジャズのレコードだった気がするな)

 年老いた頑固なじいさんと気のいい調査官の話といえば大体のストーリーは想像できる。淡々と物語りは進んで、大きな事件もほとんど起こらない。北欧の静かな冬というのはこういったものかなぁと思った。

 見るところが違うと言われたけれど、必要な物しかないシンプルなキッチンや調度、そんなものが美しいなぁと思った。☆☆☆


更新時間 : 00:01:27


9月4日 (土)


はる 1174
 夏は髪を長くして後ろで縛っていたらかなりの量の髪が抜けた。もっともそうでなくとも薄くなってきていたのだが、あと何年今の髪型でごまかせるだろうか。

 親父もそのまた親父もはげていた。特に祖父はみごとに禿げ上がってかがやいていた。母方の祖父もはげていたことを考えると、隔世遺伝の法則によれば、避けられないということだ。まぁ兄たちをみれば、自分の近い将来の予測がつくというのものだ。まぁ楽観はできないねぇ。

 はげることがほぼ見えてくると、町を歩いていても同じような年恰好の親父の頭が気になる。特にやや寂しくなってきたような同類をみると、「おっ、勝ったかな。いやかなり負けている」と勝負にでている自分を発見して、やや悲しくなる。他人から見れば同じ穴の狢というわけだ。

 姑息にも隠すのが一番かっこうわるいとおもうので、最終的には坊主丸刈りという手が残ってはいるけれど、あくまでもこれは最後の手段で、どんなはげ具合がかっこういいか色んなパターンを観察している。

 そういえば尊敬しているヘッセもガンジーもかっこよく坊主?だったなぁと視野に入れて慰めている。どうなることやらね。ではでは


更新時間 : 23:31:02


9月3日 (金)


はる 1173
 運命というのは多分変化して行くものなんだろう。よくSF小説などで同じ人間がいくつものパターンに分かれて存在するといったアイディアで書かれているものがあるね。実際にはただ一つしか存在しない「今」だけれど、本当はいくつもの「今」が存在すると考えた方が楽しいかな。

 画家の有元利夫がエッセイで「配達される才能」といった話をかいていた。シンデレラボーイで画壇に一躍登場してきた男だからそんな言い方ができるのかもしれないけれど、いつも頭のすみっこにこの言葉が反響している。その中でこんなことが書かれていた。

 才能はある日突然配達されてきます。けれどもそれはただ単に口をあんぐり開けて待っているだけでは、だめなんです。配達やさんは通り過ぎてしまいます。ちょうどいい時にちょうどいい配達を受け取るには、受け取る側も常日頃準備をしておく必要があるのです。それは絵描きなら毎日絵を描くことであるだろうし、作家なら文字を埋めることでしょう。そうやって毎日努力していれば、才能はやがて配達されるのです・・。(かなり創作しました、すんません)

 自分は本当に努力しているのか、もしあの時にこうしていたら違った人生があったかもしれないなんてね、だれでも思うことか。

 さてさて今出来ることを淡々とやるしかないかな。また明日。

 


更新時間 : 08:58:18


9月2日 (木)


はる 1172
 今ナイトキャップで夢枕獏の「空海」の話を読んでいる。彼の原作でかなりセンセーショナルに売れた漫画の「阿部清明」も面白かった。元来こういったうそっぽい物語は、け嫌いしてきたのだけど、岡野玲子の絵が良かったのか面白く読んだ。妖怪や魑魅魍魎がわんさかと出てくる世界で、いやいやまっく私のような堅物はなかなか騙されませんよ?

 まだこの話は読み出したばかりで、海も山も分かりませんがなかなか面白そうだ。ちなみにこの空海という人物が凄すぎる男だったらしい。密教の話が出てくる、まぁ当然曼荼羅のことだけれど、ここのところが興味深い。

 この宇宙にはこれを支配する理がある。それは私にもあなたにもそしてそこにいる犬や猫にも、いやそこに転がっている石ころにさえ共通する法則だ。言葉にすればたったそれだけのことなんだけれどなかなか分からなかった。これが実感として感じたのは学生時代に静物画のモチーフを組んでいた時だった。

 絵というのは四角い画面にある秩序を持って組み合わされた集合体なんだな。モチーフを組んでいる時は私は神になって、閉じられた世界を構築していると考えていい。心がけることはこの宇宙の理ということなんだろう。一つのりんごがそこにあることはこの宇宙が存在することと同じことなんだ。ちょっと話が飛躍しすぎかな、まぁいいやわからなきゃそれでも。

 不思議なことにアインシュタインも何かこの宇宙を支配している共通の原理はないかと考えていたようだよ、おもしろいねぇ。

 どこか間違っているかもしれないけれど、老人のたわごととして見逃してくらはい。ではでは。


更新時間 : 00:15:47


9月1日 (水)


はる 1171
 九月です。
 
 さて今日も出稼ぎ仕事でした。ということでまた明日。

 シンカネットというクリエイターサイトのメールマガジンが久しぶりに出た。そこからいらした方、こんばんは。ゆっくりご覧になってくださいな。ではでは。


更新時間 : 22:47:59



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