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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

2004-7 - 2004.07.01(日記)
2004 7月
7月31日 (土)


はる 1139
 「こだちおやだち」

 年頃になって誰でもが考えることは、何とか合法的に家を出られないかということだ。それは親とけんかして「こんな家出てやるワイ」と出てしまうのは簡単だけれど、いざやってみるとその日から食うことに困ることになる。

 間宮君は典型的なマザコンで、口さがない連中は彼の母親のことを「マミのママ」と呼んでいた。一人っ子の彼は大学生になることが、兎に角一番「合法的な家出」になるとその機会を今か今かと待っていた。

 高三の夏休みの計画は決まっていた。自分の学力と家の経済力とそしてここが一番重要事項なんだけれど、ほとんど知られていない無名の有名大学を探し「傾向と対策」を練ることだった。

 春になりその「傾向と対策」が功をそうして、間宮君は念願の無名大学に入学することが出来きた。彼は喜び勇んで地元の不動産やさんにとびこんでアパートの斡旋を頼もうとしたが、そこでばったりと母親にあった。彼女は不動産屋の親父に注文をつけていた。

 「母子二人で住めるようなアパートはないかしら」

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 【創作】「夏休み、不動産屋、マミのママ」のお題で作ったお話です。
 時間切れぎりぎりセーフかな。おもろないけどな・・。


更新時間 : 00:08:54


7月30日 (金)


はる 1138
 久しぶりに自分のパソコンに向かっている。ここ10日ほど留守にしていた。まぁ今年の夏はどこもかしこも沸騰するほど暑く、甲府は国内でもいちにを争う激戦区になっている。そんなもの何もうれしかないけれど・・。

 個展は楽しい。家人に不審がられるけれど、私は自分の絵に囲まれて、好きな音楽を聴いている、そういった環境がすこぶる好きなのだ。可笑しいのかな。出来れば多くの人とそういった気分を共有したいとおもうのだが、間違っているのかな。まぁいいや。

 今日はアトリエに荷物が帰ってきた。足の踏み場もないという形容が文字通りあたっている。何もやる気がしない。しばらくはフヌケでごろごろと本でも読んで暮らそうと思っている。

 取り急ぎありがとうございました。

 個展の感想及び作品の感想(無断転載 許されたし)

 まれびとさん
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 さて、予告通り5時頃に三ノ宮駅前のはるさんの個展(こしかたのき3 こうべ)に出没。1時間ほど絵を見せて頂いてから、奥様が聞き探ししてくれた駅前商店街沿いの(たしか)ニョッキというイタリアンのお店でいっしょに夕食、一年ぶりの再会をガス入りミネラル・ウォーターで祝ったのだった。ちなみにはるさんご夫婦がご馳走してくれたそのお店はつれあいもひどく喜んでいたほど大変美味で、あまりの美味しさに私は数千円しか入っていない貧しい財布を店内に落としてきてしまったのだが、そんな顛末は私の名誉のために端折っておく。それと、私は生涯ではじめて本物の絵を購入した。その“風の化石”と題された小品については昨日、ここに書いた。太っ腹な値引きと貧者のための分割払いを許してくれた画伯に感謝を。絵が届いたら、飾る場所はもう決めている。9時半頃に神戸を出て、湾岸から阪和道経由で11時過ぎに和歌山着。

 2004.7.26

 限りなく抽象でいながら、限りなく具象に近い。
 おずおずと打ち叩いた原初の音のカケラのようにも聞こえるし、弥勒の世に到来する未来の響きのようにも聞こえる。
 会場で流れていたきらきらと跳ね踊る光の粒のようなピアノ・ソロがセロニアス・モンクの演奏だと聞かされて、私は軽い衝撃を覚えたのだった。

 ところで“風の化石”とは言い得て妙である。
 風が化石になる筈がない。なる筈はないのだが、ひょっとして太古の昔にそのような奇蹟があったのかもしれないし、いまもどこかでそんなことは起こり得るのかも知れない。

 作品も、そんな音楽やタイトルと照応している。

 幾千年の波と風に晒された乾いた黄土質の地層のような画布に、しろい、淋しい人形(ひとがた)がまぼろしのように浮かびあがって見える。
 その人は、いま生まれ出るようで、すでに過ぎ去っていた。過ぎ去ることを潔しとしていた。
 さみしい黄土質の地層と風のような流砂にいまにもかき消されようとしていながら、人は、微笑んでいた。

 私はその絵と共に在りたいと思った。
 その絵と共に生き続けたいと願ったのだった。

 toshiさん
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 もう7月も終わりに近づいたと言うのに、だらだらと過ごしている。27日の神戸はすこぶる暑かったけれど、はるさんの個展会場に入ったとたんここちよい空気に包まれた。奥様がわざわざご案内してくださった、イタリアンのお店で明石蛸の入ったパスタと、これがまたすこぶる美味しいピッツアを頂く。パスタの茹で加減が良いとうれしくなる。「秋月」の絵を持って、浜坂を通り過ぎ直行した岩戸のお店の、このテーブルのまん前に絵を掛けてもらった。何にも予告していなかったのになぜか絵を描ける金具がちょうど開いていたのには驚いた。絵は昔から此処にあったかの様に収まった。zen君は此処の桐で出来た肘掛け椅子にあぐらをかき、またじっと眺めている。Mさんも一緒に、時のたつのも忘れていた。


 ありがとうございました。(無断転載・不可即連絡)


 


更新時間 : 23:55:29


7月29日 (木)


はる 1137
 無事帰りました。一応ご報告まで。ぢかれた・・。


更新時間 : 22:31:36


7月19日 (月)


はる 1136
 7/19日の掲示板より転載
 
 私はクリスチャンではありませんが、たぶんに宗教じみた絵を描いています。自分の心の中を覗いていけば、誰でもがそういった共通項にぶつかるとはおもっていますが、私にとってそれは「・・教」というかたちではないようです。

 イタリアを研修の場に選んだというのは、いろんな偶然が重なったということもあるのだけれど、大きな一つの理由はアッシジのフランチェスコの壁画を観たかったということがある。私が住んでいた町から遠くない場所にそのまちがあって、たぶんこのことは「日々好日」のどこかに書いた。

 まれさんの日記のバックナンバーを読んでいると、どこかにフランチェスコの映画のことが書かれてあった。イタリアから帰ってきてこのHPをつくって色んなことを考えているうちに、まれびとさんところとリンクした。「まれびと」の伝説と私の心情がどこかでリンクしたのだと思う。

 たりたさんの日記を読んでいると、ついこの間まれさんが書いていたことと同じシーンとぶつかった。「舟の教会」のところで、「いつも一緒にいてくれると言ったのに、一番必要な時にいなかったじゃないか、その証拠に足跡は一組しかなかったぞ。というと私はあなたを背負っていたんだよ」というシーン。なぜかじーんと感動した。

 たぶん、私もそうだけれど、まれびとさんとも共通することがあるように思います。いやいや、私のところに来ている皆とも共通項があるのでしょう。何かしら気になるところがあって繋がっているのだという気がします。それが何なのかなんとなく分かっているような気もします。ネットの面白いところですね。

 掲示板は消えてしまう運命なので、ここに転載します。
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          榎並和春個展
       ~こしかたのき3・こうべ~
         2004 7/22~7/27
        ギャラリー ル・ポール
        神戸市中央区加納町4-6-4
          078-332-3751

 明日は朝早くから出陣です。まぁ恒例の夏の風物詩のようなもので、楽しみにしているのですがね。
 
 というわけで、当分更新は出来ないと思います。途中経過は機会があれば掲示板にでも書きましょう。それでは皆さん会場でお会いしましょう。私は終日会場にいる予定です。




更新時間 : 23:08:44


7月18日 (日)


はる 1135
 隣の造成も日曜日はお休みになる。もうほとんど仕上がってはいるようだけれど、工事というのはこんなにもうるさいものかとあらためて思った。

 それにしてもここで働く若者たちはよく働く。この夏の炎天下、ランニングシャツとナッパズボン、地下足袋という出で立ちで、肌が焼けることなどおかまいなしで元気いっぱいだ。当たり前だけれど、何だか少しうらやましい。

 個展の作品を送ってしまってやることが一段落した。本当はもう次の仕事の下準備をしなくてはならないのだけれど、今日は一日ごろごろして本を読んでいた。

 ではまた明日。

 そうそう、個展で明後日(20日)から出かけます。ゆえにまた更新が途切れます、あしからず。まだ明日はいますけれどね。途中経過は掲示板の方に書けたら書きましょう。

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          榎並和春個展
       ~こしかたのき3・こうべ~
         2004 7/22~7/27
        ギャラリー ル・ポール
       神戸市中央区加納町4-6-4
          078-332-3751
 


更新時間 : 22:53:43


7月17日 (土)


はる 1134
 傷ついた人にしか見えない。魂を悪魔と取引した。もし見ることが出来るなら、その話に乗ってもいいと。そんな話をどこかで聞いた。アートはそんな怖いところもある。

 知らないならそのままそっとして置いてくれればいいのだけれど、知ってしまった以上忘れることなど出来ないね。

 このところ話の向かうところはそんなことばかり。若いときの苦労はかってでもしろ、っていうけれど、苦労して得たものは何だったのかな。人生深くなる?傷つかないで生きられたらそれでいいのじゃないかなんてね、もう後には戻れないから言ってみたくなる。

 「文学はろくでなしの仕業でね、実際に役にはたたねえもんだ。関わりなく生きていかれるもんなら、その方がいい」誰かが言っていた。ほとんどの人が関係のないところで生きている。それでいいと思うのだ。

 それじゃまた。
 


更新時間 : 22:46:05


7月16日 (金)


はる 1133
 神戸の個展の作品をすべて梱包して送った。暑いアトリエの中で汗まみれになってこの作業をしていると、けっこうハイな状態になる。

 肉体労働というのはすべてそんなところがあって、ある一線まではクタクタになるけれど、ある時を境にフットかるくなる。まぁいつまでこんなことが出来るのかわからないけれど、絵描きも体が資本だなとつくづく思う。一キロは痩せた。

 アトリエにエアコンを入れないのは、特に理由があってのことではない。このアトリエは自分で適当に改装したために扉というものがない。閉じられた空間ではないのだ。わかりやすくいえば廊下の延長上にあって、交通の要になっている。ゆえにエアコンがない。

 しかし、暑い。昔の人はこういった暑い夏の過ごし方が上手かった。たとえば打ち水に風鈴、すだれに昼寝。エアコンなどなくても充分に夏を堪能していた。それが日本の風景だったんだけれどね。

 すべての窓を閉め切って、ブンブンエアコンを効かせて、そりゃ家の中は快適だよ。でもなぁ、はっきり言ってそれは違うでしょ。それを言い出すときりがないのだけれど、誰かが言わなきゃならないのじゃないかな。「違うでしょ」って。

 眠い。また明日。


更新時間 : 00:14:14


7月15日 (木)


はる 1132
 お騒がせしました。意外や意外、早々に復活しました。

 まったく死んでしまったパソは難しいかもしれませんが、半死に状態だったので、私の情報が取り出せたのがよかった。バックアップはまぁ適当に取ってはいたのですが、こんなことになるとは思ってもいなかったので、他人事でしたね。これからは少し身にしみました。

 パソがだめになってアナログ生活か、と思ったけれど、反対にめいっぱいデジタルな生活でした。というのはどうやればパソコンが復活するか、そのことで頭がいっぱいで、個展の準備もままならない状態になってしまった。というのもいろいろな資料(たとえば住所録とか、作品リスト、題名のキャプションの雛型、メッセージの原稿、とか)がパソコンに入っているわけで、けっこうパニクッテいた。

 まず、近所の本屋さんに飛び込んで、色々な情報を集めた。しかしパソコンは五年もたてば骨董的な代物で、そういった関係の本もほとんどない。一番新しいパソコンの色々な楽しいことは本に書かれているけれど、古くなった機械のメンテナンスなど、たぶん商売にならないのだろう。

 電気やさんに行けば「パソコンは五年が寿命で。買い替え時ですよ」という話しかしてくれない。いや彼らはほとんど知らないのじゃないかな。どうやって売るかということは教育されていても、どうやって長く使うかなんてことは、タブーでしょう。

 デジタルなパソコンでも、こういったメンテナンスは妙にアナログなかんじがする。まぁ今回は軽症ですんだから、そんなおき楽な感想ですんだけれど、まぁこわい道具ではありますな。


更新時間 : 21:16:28


7月11日 (日)


はる 1131
       「夏休みですよ」

 自宅のパソコンが壊れた。今学校に出てきてこれを書いている。寂しいけれど、しばらくここもお休みにします。

 途中経過、その他は時々掲示板に書き込みます。

 ではではごきげんよう。 また秋にお会いしましょう、バイバイ!


更新時間 : 13:36:17


7月10日 (土)


はる 1130
 久しぶりに雨が降った。まぁお湿り程度だったけれどね。

 時間というのはどう使っても変わりないと思うのだけれど、なぜか人のために使った時間というのは、やたらに無駄にしたという思いがする。こういうところが度量が小さいということなんだろう。本当はこんなに暑い時にアトリエにこもっても何も出来ないことは良く分かっているはずなのにね。

 人を送っていって待っている時間がポッカリと空いた。いつもは文庫本をポケットに忍ばせているのだけれど、今回はすぐに帰るつもりで出かけたので忘れてきてしまった。

 何もすることがないというのはなかなか苦痛なものだ。特にこんなにカンカン照りに暑い昼間なんて、外にいる方が可笑しいのだ。

 ぼんやりと車の中からむくむくと沸き起こる入道雲を見ていた。あれはどうしてこんなに懐かしい思いがするのだろう。

 真夏の午後。夏休み、セミがジィージィーと鳴いて、陽炎がゆらゆらと立ち昇っている。しかし、少年時代というのはそんなに長くなかったと思うのだけれど、けっこう色々な思い出があるものだな。なぜか少し感傷的になったのだった。



更新時間 : 23:26:07


7月9日 (金)


はる 1129
 今日はおじさんとおばさんと四人でお茶を飲みに出かけました。ということで、おしまい。

 また。明日


更新時間 : 23:43:59


7月8日 (木)


はる 1128
 「たましいのしごと」

 中学一年生の担任が美術の教師だった。美術を志す人間は大体もうすでにこの頃にちいさな芽がめばえているものだが、私の場合ほとんどそんな気配はなかった。 というのも美術家というイメージが具体的に想像できなかったということもあるけれど、この担任の影響も大きい。

 というのはこの先生、美術の教師という雰囲気ではなく、もろ体育会系の人間で、女子のソフトボールの監督をしており、ほとんど美術室にいたこともなく、放課後は嬉々としてボールをたたいていた。それはそれで教師としては必要なことだったのかもしれないけれど、なんとなく「美術の先生も教師なんだ」という思いを持た。

 同級生に武井部(たけいべ)という奴が居た。通称武井部長で担任さえほとんどの場合そのニックネームで呼んでいた。名前通り彼は温厚で黙っていれば担任よりふけて見えた。

 私は子供の頃から物をつくったり、壊したりするのは得意だったけれど、それが具体的な美術と結びつくのはもっと後のことだ。それでもはっきりおぼえているのは、「俺より絵が上手い奴がいる」と悔しく思ったことだ。山本君と武井部君には自分から見てもいつも負けていた。

 山本君は漫画を描くのがすこぶる上手かった。何も見ないでもスイスイその鉛筆から鉄腕アトムや鉄人28号が生まれてくるのを不思議に思った。こいつは天才だ。その後彼は美大に行ったようだけれど、詳しくは知らない。

 武井部君は本当におとなしい絵の好きな少年だった。昼休みに一人でもくもくとスケッチしている姿をたびたびみかけた。だからといって自慢するわけでもないし、山本君のようにエンターテイメントな絵が描けるわけでもなかった。今でもはっきり憶えている絵は卒業文集の表紙を飾った絵で、学校の校門から購買部の本屋さんをみたスケッチで、「あぁこういった絵がいいなぁ」と思った。

 できたら僕は武井部君のような絵を描きたいと強く思った。
                  

******************************************
 【創作】「昼休み、本屋、武井部長」で作ったお話です。(はる386より)
 





更新時間 : 00:13:13


7月7日 (水)


はる 1127
 さて今日も暑かった。このところこんな挨拶から始る事が多いですね。でも本当に暑い。

 銀座のグループ展が始った。「四つの壁展」といってギャラリーの壁を四等分して,毎年順繰りに場所を変えて最低四年続ける予定だった。が急きょ画廊を今年一杯でしめることになってしまった。まぁ詳しいことは良く知らないけれど、にぎやかなオープニングが、昨日はすこししみじみした会になってしまった。

 銀座で10年以上スペースを借りて画廊を営業するのは難しい。老舗の画廊もどんどん止めている。銀座通りはブランド通りになってしまった。それも時代の流れというのであれば、懐かしがっていても仕方がない、いずれは変わって行く運命だろう。今何が求められているのかという見極めが大事かもしれない。

 移り変わっていくものに対して懐かしがっているという態度は考えてみると後ろ向きなんだな。時代=時間の流れというものはもっと雄雄しい、ドラマティックなものだ。セインチメンタルなものは受け入れやすいけれど、いずれは消えてしまうものだ。そこらあたりを良く考えてみたい。

 何のこっちゃ、よくわからん。

 明日は午後から美術館で当番です。御用があれば来て下さい。ではまた明日。

 


更新時間 : 23:43:29


7月6日 (火)


はる 1126
 今日は東京に行きます。自分たちのグループ展のオープニングです。私は3時過ぎになりますが、よかったら来て下さいませ。お待ちしております。詳しくはトップページより。

 ゆえに今日はここまでかもしれません。ではでは

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       四つの壁による惣展Ⅱ
          東 直樹
          大石洋次郎
          横島庄司
          榎並和春
     2004 7/6~7/16 日曜休廊
    ギャラリー惣 中央区銀座7-13-1






更新時間 : 09:09:18


7月5日 (月)


はる 1125
 まぁ暑いですね。とけてしまいそうです。

 ここに引っ越してきて10年ほどになるか。当時はまだバブルの余韻がそこかしこに残っていて、私のような貧乏な絵描きが住む家を探すのは難しかった。今でもそうだけれど、家は住むというより財産といった考え方大きい。それゆえに建物は真新しい新築の時が一番価値があって、築30年もたてばほとんど財産的には意味がなくなる。だから築30年ほどの今の家を買った時、ありがたいことに、この建物の値段は含まれていなかった。

 今でも多くの分譲地は今まであった建物や、植木などほとんど全く勘定にいれないで、無表情ののっぺらぼうの更地にして売る。購入する方もその方が何かと自分の「夢」であるところの自宅が描きやすいのか、そのことを望むようだ。

 お隣の家が取り壊されてそこが分譲される事になった。大きな敷地には連日ブルトーザーが入ってガーガーとうるさい。そのことはまぁ仕方ないと思う。

 大きな隣の屋敷には何本も大きなケヤキの樹があった。春には美しい新緑で目を楽しませてくれたし、秋には枯葉、冬はその薄い梢の重なりも綺麗だった。ちょうど私の家との境界あたりに柿の古木がうつくしい枝ぶりを見せていた。

 今はもう何もないのっぺらぼうの分譲地があるだけだ。どうしてだろうなぁ、ケヤキや柿の木付きでどうして売らないのだろう?どうして更地でなければならにのだろう。例えば一本のケヤキがあればそれを生かした設計をすればいいことのようにおもうのだけれど、そこらあたりが柔軟じゃないなぁと思う。

 住まいというのこうでなければならない、と思っていないかな。これは人の生き方にも言えないかな。いい学校、いい会社、いい結婚、・・。こうでなければというマニュアルなんてない。臨機応変、もっと柔軟で、いい加減でいいと思う。雨が降ったら傘をさしたらいいし、晴れたら帽子をかぶればいい。その方が楽しい、生きた町が出来ると思うのだ。どうだろうか。

 


更新時間 : 21:24:33


7月4日 (日)


はる 1124
 今日も野暮用で、今から出かけます。遅くなるようだったら、又明日ということで、すみません。

 そうそう、銀座のギャラリー惣が今年で閉めるらしい。何だか今年はこんな事ばかりだ。けっこうショックだな。このことはまた後ほど書きましょう。では

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四つの壁による惣展Ⅱ
東 直樹
大石洋次郎
横島庄司
榎並和春
2004 7/6~7/16 日曜休廊
ギャラリー惣 中央区銀座7-13-1

私は7/6 三時過ぎに伺います。よかったらきてくださいな。




更新時間 : 23:54:47


7月3日 (土)


はる 1123
 今日は真夏のような天気だった。昼間のアトリエは昼寝しか出来ない。ではでは又明日。


更新時間 : 23:14:42


7月2日 (金)


はる 1122
 「う~ブラボー!!」

 私達のためにあるような割引ができた。知ってる?なんと(夫婦のうちどちらかが50歳を超えていたらいつでも1000円)いままで月に一度の「映画の日」を狙って通っていた映画館が、この一年に限っていつでも1000円らしい。何とかこれでおとーさん、おかーさんが映画館に戻って来てくれて、これからもず~と1000円で映画が見られるように祈ってます。

 韓国映画「ブラザー・フッド」を観た。

 最近,正確に言えばサッカーのワールドカップ以降かな、私達の意識の中に韓国に対する変なアレルギーがなくなってきたことを感じる。私達の親の世代が感じていた隣国に対する奇妙な優越感や被害者意識のようなものは、我々の世代にはほとんどない。それが今回のワールドカップを共催で開催したことや、あの韓国の力強さみたいなものを見せられて、ある種のカルチャーショックを受けたのではないだろうか。隣国に顔かたちはにているけれど、何かしら熱い魂を持っている凄い国があると認識したということだ。

 韓国映画はそんなに多くは観ていない。「八月のクリスマス」とか、今回と同じカン、ジェギュ監督の「シュリ」ぐらいかな。「シュリ」にも泣かされたけれど、これもなかなか泣かされる映画だよ。

 韓国のテレビドラマ「冬ソナ」は観ていないので、なんとも批評しようがないのだけれど、おばさんおじさん化している私の感性は観ればはまるかも知れないね。兎に角韓流というのは熱くて徹底している。くさいせりふは臭いまま、見事にエンターテイメントに徹する所が、日本人には出来ないところだな。

 戦争映画の名作と言うのは古今東西色々あるけれど、皆似たり寄ったりだな、そのなかで最近の作品で印象に残っているのは「プラトーン」かな。あの鬱蒼としたジャングルのシーンや徹底した爆撃のシーンは忘れられない。

 占領したアメリカ軍がベトナムの美しいメコンデルタ地帯を焼き尽くしながら前進してゆく。捕虜になったベトコンが恐怖のために笑いかけるのだけれど、誤解されて射殺されるシーンなど同じアジアの同朋として、何か釈然としない気持ちになったものだ。この映画の根底に流れている感情は「どうしょうもない戦争の空しさ」のようなきがしたけれど、この「ブラザーフッド」にも同じような空しさを感じた。

 朝鮮は半島であるけれど、大陸と繋がっている。長い民族の歴史の中で、隣に大国があるにもかかわらず独立した文化を保ってきた。そういった気位の高い民族が、歴史の流れの中で分割され,互いに同じ民族でありながら戦わなくてはならなくなった。そういった意味の悲しさ、空しさというのはなかなか消えるものではないだろう。ひょっとすれば、我々にもその可能性があったわけで、今安穏と暮らしてはいるけれど、平和というのは脆いものなんだ。そんなことを感じた。今何やら焦げ臭い世の中なので、そんなところ注意して観てもらいたい。

 隣の高校生は声を殺して泣いていた。泣きたい人にはお奨めの映画です。☆☆☆半

 


更新時間 : 23:04:59


7月1日 (木)


はる 1121
 
 ずーと考えていたことがあって、ふと、あぁそうなんだと一人納得した。というのはこういうことなんだな。上手くかけるかどうかわからないけれど、やってみよう。(私は教員ではないけれどね)

 例えば40人のクラスの授業を持ったとする。まぁ最初は色んなパーソナリティをもった人間がごちゃ混ぜになっている。生徒同士けっこうどたばたやって、自分のポジションみたいなものを段々に確保してゆく。それに従って教師との距離感みたいなものも普通落ち着いてくる。

 一学期が終わる頃になるともうほとんどいざこざもなくなって、淡々と毎日が過ぎてゆく。まぁそうならなくてはお互いに疲れてしまうので、私なんかはそう願っている。

 日々色んな場面にぶつかって対処して行くのだけれど、自ずからその人なりの性格が出てくるわけで、生徒はそういった私を見て出来得るならば私とのトラブルを避けようと行動する。

 これは対、人のように見えるけれど,実はここにあらわれている人間関係は私自身ではないかと思った。たぶん生徒は私の度量を見ている。私の度量に合った人間関係が出来上がって行くと言うわけだ。

 で、何となくこの頃不満なんだな。20年もやってきてこれだけの人間関係しか築けない自分がね。どこかさめた部分というのがあって、熱くなれない自分と言うのが見えている。何でもそうだけれど、今までの人生そのままがここに出ている。結局は自分の度量を一歩も出ていないと言う事だろう。

 間違ってもらってはこまるのだけれど、学校のことを言いたかったわけではない。自分のことを言っている。結局どこかでブレーキ踏みながらアクセルふんでいるような状態では,何をやっても高が知れているということだ。今更言っても遅いのだけれどね。それが自分の度量ということだろう。そのことを、ふと気が付いたということだ。

 何だかよく分からん文章だ。削除するかも。
 


更新時間 : 23:11:32



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