あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

2004-2 - 2004.02.01(日記)
2004 2月
絵描きのぼやき
2004「こたえてください7」F1302月29日 (日)


はる 1001
 二月も今日でお終い。明日は卒業式か・・。20年以上今の学校にお世話になっているけれど、卒業式にも入学式にも出たことがない。大体今の校長が誰なのか、それさえ知らない。何処に行っても、何をしても、いつもこういった宙ぶらりんな、半歩身を引いたような状態になる。結局のところ責任ある立場が取れないということだろう。なさけないけれど・・。

 鳥のインフルエンザが凄い事になっている。ほとんど新聞しか読まないので、新しい情報はなにもないのだけれど、これは相当深刻な状態ではないのかな。一つの農家だけの話ではないだろう。こうなって発病してしまうということは、潜在的に保菌している鳥はもっと大変な数ということになる。

 狂牛病に始って、去年のSARS、そして今回の鳥だ。だれかが書いていたけれど、ひょっとしてこれは新手のテロではないか、と疑いたくもなる。その可能性はあるとしても、これからはこういった食べると、それから免疫など(それも結局食べる事に始るのだけれど)が大きな社会的な関心を集めるだろう。

 なぜなら、簡単に言えば効率だけを唯一の尺度として進んできた、今のシステムは社会システムとしては優れた成果を残してきたけれど、こと農業に関していえば間違っていたのではないか。無論安い卵をいつでも食べる事ができるということを考慮しても、どこか間違っていた気がする。今この「鳥のインフルエンザ」の話を聞いて、「そうか家畜から反撃が始った」という感想を持った。


更新時間 : 23:05:06


2月28日 (土)


はる 1000
 やった~~~。1000番だ。
 
普段の年ならば、明日から三月になるのだけれど、今年はうるう年ということで、千番も切りがいいわけでもない。こういった切り番というのは、なんとなくあらたまった感じがするのは不思議なものだ。別に数を増やす事を目標にしてきたわけでもないのだけれど、何となく嬉しい。どこまで行けるのか、自分自身楽しみにしている。

 オウム真理教が出てきた頃、不可解ながらどちらかといえば、彼らの方に立っていた。まさか宗教者自身が人を殺せと言うはずがない、「殺す事なかれ」というのが我々東洋の人間が親しんできた宗教の大きな柱だったからだ。多くの人にとっても、多分そこのところが共通の認識だろう。そこのところで、大きく考え違いをしていたようだ。

 よく知りもしないのにいい加減なことを言うなというそしりをうけることを、前提に書く。

 人は過去と現在と未来を考えることができる唯一の動物だ。本能のままに、今だけを生きていたならば、思い煩う事もない。たぶん人は「祈る動物」なんだろう。「病、老、死」など、どうあっても人はそこから抜け出る事ができない存在であることを知ったとき、人智を越えた何か「大いなるもの」に祈りたい気持ち、ゆだねたい気分は充分理解できる。そうやることで「安心」を得る事はせめられることではない。もしそのことが悪い事だと言う人がいるならば、その人は余りにも幸せな人生を歩んできた人で、多分それはとても不幸なことだ。

 今でも私はオウム真理教を信じているいる人たちに、大いなる非はないと思う。ただ全てをゆだねてしまうことで、何も見えなくなってしまうのは違うと思う。多分、宗教は日常生活者の中で心の拠り所として、生きて行くものであり、それによって何事かをなすような宗教は間違っているのだろう。

 


更新時間 : 23:16:18


2月27日 (金)


はる 999
 いやぁ~、明日はいよいよ1000番だよ。めでたいなぁ~。何か記念の企画考えなきゃと思っているのだけど、何かアイデアある?例えは、期間限定でギャラリーで晒してあるどれでも一点、少し密度の濃いサイズでアップ、だれでもダウンロードできるようにする。それぞれのPCのプリンターで自由に印刷できるというわけだけど、どんなもんじゃろ。

 今日はやっぱり午前中歯医者に行く。前に欠けて治療した所がやっぱりもう駄目なようで、神経を取ってしまう治療を進めることになった。歯の痛みというのは、周期があって、いつも痛んでいるというわけではない。ところが痛み出すと、もう口の中全体が痛みに包まれる感じになる。子供の頃、よく歯医者さんに迷惑をかけたけれど、またこの年になってリターンしてきたというわけだ。けっこう切ない、痛みというものは我慢できないものだ。

 夜はかねてからのけん案事項、「ラストサムライ」を観に出掛けた。トム・クルーズとの共演で、渡辺健がアカデミー賞の助演男優賞にノミネートされているということで話題になっている。賞の発表の前に観ておきたかったので、ぎりぎりセーフかな。はっきりいってブ~~だったな、やっぱり。何でまたいまここで侍なのか、ということを考えれば、何処かの国の思惑が感じられなくもない。☆☆だな。戦闘シーンはSFXでなくて、アナログの人海戦で結構迫力があった。若い人がけっこう泣いていたので、なんで?と不思議に思った。こんな物で泣いちゃあかんで・・。


更新時間 : 23:47:53


2月26日 (木)


はる 998
 歯が痛いぞ。どうも明日は歯医者に行く必要があるかも・・・。どうも歯が痛いと、何をやっても集中力の欠けるものになる。今日やった仕事はみんなだめだ。ごめんまた明日。


更新時間 : 23:25:27


2月25日 (水)


はる 997
 一年の最後の授業のクラスも出てきた。この後、卒業式や学期末試験、入試などがあって通常の授業はほとんどなくなる。

 私の持っている美術などという授業は、彼らにとってほとんど添え物のような教科で、終わってしまう事はそう悲しい事でも、辛い事でもないのだろう。けれど、実はは学生時代というのは特別な時間なのだということに、卒業して何年かしてやっと気が付くのだろう。

 多分彼らにとって絵を描くとか、絵を観るとか、実際に筆をもって色を塗るとか、形をかんがえるとか、表現について少しはかんがえるとか、といったことは今後一度もないだろう。そういう意味では学校に芸術教科があることは、少なくとも今の日本では必要なことのように思う。(手前味噌な話だけれど・・)

 と書いてきて、眠くなったので終りにします。ではでは

 


更新時間 : 23:33:59


2月24日 (火)


はる 996
 今日は丸一日パートタイム・のお仕事で疲れました。それゆえごめん。

 また、少し歯が痛い・・・ではでは。


更新時間 : 23:08:43


2月23日 (月)


はる 995
 HPの引越しが決まった。なんだかんだとちゅうちょしていたのだが、これもまた縁みたいなもので、教え子がそういった関係の仕事をしていて、ほぼNTTに決まりかけていた案を一気に方向転換した。そう思ったときにタイムリーに連絡があったわけだから、運命に逆らわずに成り行きに任せることにした。私の人生はおおむね決定事項は天から降ってくる。

 私は五人兄弟で一番下という話はどこかで書いた。一番下の私がもう50を過ぎたわけだから、一番上の兄はもう還暦を過ぎ、一昨年定年を迎えた。

 弟というのは何時までたっても弟で、それなりの身分というのか、役割を演じる必要がある。洟垂れ小僧の、泣き虫の頼りない、味噌っかすの、弟でなければならない。たぶんこれは生まれついてから死ぬまで私に与えられた役割だと思っている。そうあってこそ兄弟の秩序というのが保たれているのだ。損な役割だけれど、まぁ兄弟であるといのも、そう長い時間でもないので、まぁいいかなと思っている。

 このくらいになると、年に一度くらい会うのがけっこう楽しみだったりする。お互いに健康で顔かたちはだんだんふやけてくるけれど、何処が痛い、これが健康にいいなんて話を、得意になって話している兄貴たちを見るのも楽しい。

 今年はまた四月に紅一点の姉の還暦のお祝いに、兄弟が淡路のホテルに集まる事になった。何するわけでもないけれど、楽しみだ。


更新時間 : 21:41:55


2月22日 (日)


はる 994
 夜になって雨になる。久しぶりのおしめりなったようだ。


更新時間 : 22:35:40


2月21日 (土)


はる 993
 「野にありて」  0131s89f4
 ここらあたりの絵は障壁画=襖絵みたいなものに近づいていて、まだ油彩だけれどシェルマチエールを混ぜてざらざらした肌合いにしたり、また紙やすりで落として古ぼけた感じにしたり、色々試している。

 こういった感覚と言うのは、古着が新しい物より喜ばれたり好まれたりするのに近いかもしれない。ジーンズなんかでもストーンウォッシュとかいってわざと着古した感じにアレンジして売っている。日本人はわりとそういった感覚に慣れ親しんでいて、漆工芸や塗装の根来塗りなんか見ても、それに近いような事をやっている。

 元々真新しいものより、古びたこ汚いものを「わびた、さびた」とかいって愛でる感覚は日本には古くからあった。何でもかんでも新しいもがいいというのは、戦後の物がなかった貧しい頃の反動かもしれないけれど、「新しい古着」を売るという商売は今を端的にあらわしている気がする。

 この「古くする」と言う感覚は、少し前の話の「壊す」と言うのにかなり近い。風化は時間が自然に壊したものだ。作為的な人間技を風化させることでなじませているのだろう。

 どうもつまらん文章だ。ごめん。また明日。


更新時間 : 23:05:12


2月20日 (金)


はる 992
 ADSLにしないかという広告や電話がしょっちゅう掛かってきたりする。忙しかったり、今まで慣れ親しんできた諸々のことが、また一から設定しなおすのが面倒だ、という気持ちが強くて「今はまだ考えていません」とにべもなく断ってきた。

 未だにダイアルアップ接続でまともに電話料金払っている奴はいないだろうなぁ。アナログ接続にこだわっているのには、それなりの訳があって、うちの電話は昔ながらの古~い黒電話でこいつを使いたいがためにアナログ接続を外せないでいる。

 それでも心の中では「そろそろ変更しないとやばいなぁ、毎月の電話料金もここんところジワジワと上がってきたしなぁ」とイジイジしていた。

 ということで意をけっしてNTTに電話。色々検討した結果フレッツ接続のADSLをお願いすることにした。ところがどっこい、いまいち相手の反応が鈍いのだ???なぜ。「やれといわれるならば接続しますけど」みたいな反応。なぜか中継局との距離が問題だそうだ。一気にやる気が吹き飛んでしまった。ならば広告も電話もするなよなぁ。バカヤロウ。。。時間の無駄だろうが。。。

 ということで、遅まきながら少し見当段階にはいりました。ではでは。



更新時間 : 21:52:38


2月19日 (木)


はる 991
 いよいよ千回までカウントダウンになった。毎日書いても三年ちかくかかるわけだから、誰に頼まれたわけでもないのによく続いているかな。

 「絵を描く事が好きなのか?」と問われるとよくわからんなぁ。「わたばゴッホになる」の志功のように、わき目もふらず、一心不乱に没頭できれば、楽しいだろう。苦しい事もあるだろうけれど、それら全てひっくるめて「わたばゴッホになる」だとおもうから、とても失礼な言い方だけれど、分かりやすい。

 色んなタイプの絵描きがいてもいいのだけれど、動機として何だか一番不純、分かり辛いタイプのような気がする。

 単に気分だったり、そんな雰囲気で生きていきたかったと言えば、張り倒されるだろうか。家族にも「お前は怠け者だからなぁ」と愛想をつかされた。心情的には山口薫なんか良く分かる。ぶつくさとつぶやく日記みたいな絵だからね。

 大上段にかまえた、造形だ、芸術だなんてどうでもいいのかもね。毎日こうやって書いている日記みたいな絵で充分なのかもしれない。

 失礼しました。


更新時間 : 21:03:28


2月18日 (水)


はる 990
 今、週に2回ほど教えにいっている学校は、県立高校でもなかなかスポーツの盛んな学校で、今回の選抜でも選ばれて甲子園に出場がきまった。私が教えるようになってからでも二三回甲子園に行っている。私学全盛のこんな時代に、公立の高校で甲子園に出場するのは大変な事だろう。

 そういった学校だからというわけではないのだけれど、昔ながらの我々の頃の学生の雰囲気が残っていて、放課後になるとブラスバンドの練習のピ~ヒャララや、運動部の掛け声なんかが聞こえて、学園らしい雰囲気があるように思う。工業高校であるけれど、女子学生もかなり在籍していて、時々なかよく下校している姿なんかを見ると、妙に懐かしいきがする。

 特に珍しいのは、昔ながらのバンカラな応援団があって、大きな団旗を一人が持って、毎日意味もなく応援練習をやっている風景は面白い。まだ幼い顔をした先輩が、精一杯無理をして大人ぶってる姿がかわいいなぁと思う。私も年取ったのかもしれんな。甲子園出場が決まって一番喜んでいるのは、実はかれらかもしれない。

 皆さん、応援してくださいな。


更新時間 : 23:37:22


2月17日 (火)


はる 989
 疲れたなぁ、今日は一日パートタイム・ジョブでへろへろです。
 ということで、かんべんしてけろ。


更新時間 : 22:40:25


2月16日 (月)


はる 988
 もう二月も半ばを過ぎてしまった。私のような一応学校に関係している仕事をしていると、一年は四月に始まり、三月に終わる。三月には卒業式があり、入試があって新入生が入ってくる。当たり前の事だけれど、我々はここに残って、ほぼ毎年同じことの繰り返しである。寂しくもあり、悲しくもあり、退屈でもあるというわけだ。先生も10年やればくたびれる。

 市役所の職員が見ていたら気を悪くするかもしれないが、町の水道局の職員がある地区の料金を何ヶ月も取らずにいて、何億にもなったなどという話が騒ぎになっている。大体もしこれが民間企業だったらありえないわけで、たるんでいるとかいったレベルの話ではない。

 ほとんどの公共料金を手前で払い込んでいる我々のような人間には、未だに銀行や郵便局でしか受け付けない企業があることが信じられない。色んな官営の企業が民営化したけれど、水道局は未だにコンビにでは支払えない駄目な企業の筆頭だ。もっと合理化すべきだろうな。たぶんこういっても10年は変わらんだろう。

 人類の理想として社会主義の国家が出現した。食うや食わずの貧しい国は、日本やドイツのような全体主義(軍国主義国家)になるか、イデオロギーに支配された社会主義国家になるしか道はなかったように思われる。軍国主義国家は早々に自己破綻して世界にその恥をさらしたけれど、その一方の社会主義国家は20世紀の終りごろまで、生き長らえた。心情的にはその理想主義は理解できるし、好きでもあった。

 多分社会主義がだめになるその訳が最近はよく理解できる。敗因は、理論的には全ての人が公務員になる社会主義国家は、始めはよくてもやがてズボラになる、悲しい人間の習性を考慮に入れていなかったということだ。

 斜陽した今の日本は「進化した社会主義の国」といえるかもしれない。働かない若者、結婚しない女性、出来ない男。社会に直接関わって行くよりも社会に寄生していた方がいい生活ができるのだから、だれもまともには参加しないだろうな。人のことは言えないけれど・・。

 それじゃ。

 


更新時間 : 21:01:52


2月15日 (日)


はる 987 
 今日は朝から「裸婦クロッキー」に出かける。モデルさんは背が高く(175cmだそうだ)モダンダンスをやってるとかで、そのせいなのか、手足の長い今風の娘さんだった。

 もう何年もクロッキーには出かけているけれど、これでもう終わりだ、技術を体得したという事がない。今でもその日によって全く筆が進まないというのか、かたちにならないことも多い。

 またこんな事もある。周りの音や他の人の存在がきになったり、「こういう風に描こう」なんて考え始めると、線が走らなくなる。何も意識しないで夢中になっているときが、一番いいスケッチができる。

 前に書いたことがある気がするけれど、夜寝るときに目覚ましの音を聞いていると眠れなくなる。普段何にもないときには聞こえないのだけれど、意識し出すと「コチコチ」とうるさい。意識、無意識は紙一重の違いなんだけれど、ここのところがコントロールできれば、天才かもしれない。

 「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあり」というのは、知らなかったけれど、空也上人の言葉だったのね。調べてみるとなかなか奥が深い言葉だった。この話はまた次にしましょう。今日は眠いです。お休みなさい。
                                                 


更新時間 : 21:39:18


2月14日 (土)


はる 986
 午前中から野暮用ででかける。昼過ぎには帰ってきたけれど、ごたごたしている間にすぐに三時も過ぎてしまった。午後遅くなって、ゴーゴーと春の嵐が吹き始めた。春一番というやつだろうか。妙になまあたたかい気がして気持ちが悪い。アトリエのストーブの火もおとしてしまった。

 志ん朝の落語をナイトキャップに読んでいるのだけれど、これがなかなかバカバカしくて、でもって泣かせる話もあって、長さもちょうど一席で眠くなるくらいでよい。この人はサラブレットだけれど、それだけではない努力家でもあったようだ。生きている間に一度本物を聞いておきたかった。

 よくある話で、長屋がでてくる。たいがいその大家さんというのが、町のご隠居=長老で店子にバカな若い奴がいて、まぁ落語の世界になってゆく(良くは知らないけれど、落語家というのと噺家というのでは違うのではないかと思う。最近は何でもテレビの影響で落語家も噺家も同じようにタレントになってしまったけれど、噺の出来ない噺家なんて落語のような話だ。)

 戦後色んなものが壊れてしまったけれど、こういったご隠居と若輩者とか、大家と店子とか、長老と若造とかそういったいい関係も全くなくなってしまた。町には個人個人の人が、ただ暮らしているだけだ。

 この間町内会の集まりがあって、私も一応出席するのだけれど、出てくるのはお年よりばかりで、何をやるにも話がスムースに進まないし、面白くもない。いやいや無理やり、仕事を回されるのだけれど、こういった自治組織というのは意味あるのかね?同じ町内にアパートがあるのだけれど、ここの住人は治外法権にあって、ゴミ出しも有価物の収集も免除になっていて、大体いい加減なゴミ出しをするのは彼らのようだ。腹が立つというのか驚くというのか、あきれてしまう。落語の世界はここには全くない。

 もうちょっと優雅な話を書こうという気で書きはじめたが、完全に「おやじのぼやき」になってしまった。すんません。


更新時間 : 21:25:48


2月13日 (金)


はる 985
 「アンスリューム」   0116s88f6
 日本人だけなのかもしれないけれど、偶数より奇数の方を好むところがある。たとえば「三三七拍子」とか「三三九度」とか「七五三」まだまだ色々あるだのだろう、知らないだけ。偶数と言うのは二つに割れるから、何となくめでたい席ではご法度となる。結婚式のご祝儀は一の次は三であり次は四は(死)と読むので五となる、痛い。

 建築なんかの構造体でも三という数字が多い。トラス構造で押しにも引きにも一番強い。写真の三脚もこれが四脚だったら、とても安定が難しいだろう。

 絵の構図でも多分偶数のモチーフを組み立てるのは難しいと思う。生け花の本を少し盗み見したことがあるけれど、絵の構図、構成の仕方と全く同じなのに驚いた。たぶんこれには普遍的なものがあるのだろう。

 このアンセリュームは花びらも葉っぱも何もない、一種異様な花で、毒々しい真っ赤な色とそのがくの形がとても魅力的だ。オーソドックスな構成など必要ない挑戦的な南国の花だ。あえて不安定な二本という数がかえって効果的な気がした。

 まぁ今日は眠たいので、カンベンしてくれ。では


更新時間 : 22:22:40


2月12日 (木)


はる 984 「こたえてください7」 作品を観る
 「大きいおじさんの絵」はつぶれてしまった。

 今描いている作品がけっこういい感じになってきたので、またしばらく伏せておく事にした。またそのうちに途中経過を晒してしまおうと思うのだけれど、暴露趣味があるのかねぇ。何だかあるものみんな晒しちゃえみたいな、それで駄目になるようじゃ元々それだけの人間さ・・なんてね、言ってみたい。

 で「おじさんの絵」だけれど、すこしからかってみたけれど、どうも気に入らない。でバァーと白塗って真っ赤の絵の具を塗りこんだらスーッとした。また一から出直しということで、振り出しにもどってしまった。一歩進んで二歩戻るみたいなことはしょっちゅうだ。

 一見無駄に見えるけれど、これはこれで得る事も多い。具体的な形に邪魔されて見えなかった面白いかたちや色が見えてくる。それは自分の深い潜在意識の中にあるイメージだと思う。いっけん乱暴にぶち壊しているかのように見えるけれど、案外そこらあたりは期待していると思う。

 難しいところだけれど、描くという行為はどうしても「作為的」な行動が含まれる。修行を積んで本当に自分が一本の鉛筆、筆、カメラのレンズにまでなれるなら、それもひとつの方法だけれど、そこに行くまでは、描いて描いて描いて描き尽くす必要がある。絵描きの本来の姿は「わたばゴッホになる」のそのようなとりつかれたような姿だとは思う。そうなりたいと願ったこともあったが、私には無理だ知る。

 一つの方法を経験から得た「壊すこと」。このことは大切な私の技法だとさえ最近は思う。「描かないで描く」ことは難しいけれど、描いてはそれ以上に壊してしまうこと。「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあり」本気になって壊さなければ、得るものもない。少しでもいいとこ残したいという邪念がはいれば、ただのガラクタとなる。

 この「おじさんの絵」は上手く生まれ変わるか、ただのガラクタになるか、どちらかだ。さてどっちだ!! 


更新時間 : 23:32:54


2月11日 (水)


はる 983
 ギャラリーを少し変えました、というほど変化はないのですが、今トップに晒している作品たちもいずれはまとまった形で展示しようと考えていました。その途中経過も見せてしまおうという企画です。どうなるか分かりませんが、今はまだサムネイル展示のみです。

 ホームページの容量が足らないということもあるけれど、こういったオリジナルの作品は、実際に見たり、触ったり、重量感や匂いまで、ネットでは伝わらない雰囲気、個展やその他の展示された空間に身を置くといったことが、大事な要素になるわけで、だからあくまでもここで晒しているのは仮の姿でしかない。どう観てほしいかということも含めて作品だからね。ネットではそこそこでよいと思っている。小さい画面で想像してもらうのもいいかもしれない。

 暇に任せて古い作品の資料をバックアップ、かなりの量になった。それにしてもメモ程度の画像しかなく、大きな作品は手元にあるけれど、小品は嫁にいったり行方不明も多く、同じ撮るのであるなら、もっと上手く撮っておけばよかったと悔やまれる。まぁ玉石混合、これもあれも私ということで、楽しんでもらえればよし。

 ではまた。


更新時間 : 21:32:03


2月10日 (火)


はる 982
 吉野家の牛丼が明日で当分お休みらしい。ということで昼飯は牛丼でも久しぶりに食うか、と思って出かけた。意外や多くの人が並んでいて、吉野家あたりで並んで買うのも悔しいので止めにした。

 アメリカの牛さんが狂牛病にかかると、日本の牛丼屋が閉店になる。これはなぜか「風がふけば、桶屋がもうかる」と似ている。何かおかしい。日本の牛が狂牛病になっても、吉野家は平気だった。何故か?

 ファーストフード店やコンビニの弁当類には安い米国産の輸入肉が使われているからだろう。要するに今をときめく外食産業というものは、アメリカの農産物抜きでは考えられないということだ。私は牛丼を食べないからいいや、と言う話ではない。日本の食料はそんなに外国産に頼ってて大丈夫なの、と言う話。

 中国の農産物でもそうだけれど、外国産の食料には多くの農薬や防腐剤、殺虫剤が混入している。でなければたとえ冷蔵庫のなかだといっても半年も腐らないレモンやグレープフルーツはおかしいだろう。上手いけど・・。

 で話はがあっちこっちに行くのだけれど、例えば自分の家で家族が食べるというのであれば、たぶん農薬は極力避けるだろうね。けれど何処の誰か知らない、それも外国の人が食べるんだったら、どうでもいいやという話になる。当然。

 結論として、日本の自給率を上げなくていいのか。このままアメリカさんのいいなりでいいのかいという話と、もう一つは安全保障も同じだよなという事だ。何処の誰だか知らない人の命などだれも真剣に守っちゃくれないよなぁ。自分たちの命は自分で守らなきゃ、それが当然のことだろう。

 なんか今日はかたい話。ではまたあした。


更新時間 : 22:34:55


2月9日 (月)


はる 981
 文壇の登竜門であるところの芥川賞を二十歳にもならない人物が取ったというニュースが、色んなところで波紋となって広がってゆく。それはそれでいいのだと思うのだけれど、例えば何時のオリンピックか忘れてしまったけれど、16歳の少女が平泳ぎで金メダルを取ってしまった。「今まで生きてきた中で、一番うれしい」というのが、そのときのコメントだったけれど、そりゃそうだろ、とその時思った。

 スポーツの世界なんかは、その典型だと思うのだけれど、体力のピークは人格のピークよりはるかに先にやってくる。「心、技、体」なんていうカミワザを要求されても、彼らは成人式でバカ騒ぎしている連中と年齢的にはかわらない。

 話がもどって、芥川賞は新人賞なんだけれど、あれを新人の賞とはほとんど人は思っていないのじゃないだろうか。色々ある賞の中でも、その最高賞で最終の賞というイメージだ。あれを貰ってしまうと後シンドイだろうなぁと、他人事ながら心配してしまう。放って置いてくれ、そうだろうな。

 才能とかセンスとかそれだけなのかなぁ。十代でしか語れないことってあると思う。例えば尾崎豊の「十五の夜」?は彼が十代だったから書けた詩だろうし、そのストレートな純粋さが多くのファンを共感させるものだったのだろう。けれど多分こう思う。センスとか感覚みたいなものだけで書いている期間はとても短いような気がする。後は本当に長い人生経験を必要とする。表現でいうならば、マイノリティの方が語りやすい。ただ語るべきことが本人に自覚されるまでには多くの時間が必要に思うのだけれど、どうだろうか。

 つまらん文章だ。とりあえずアップする。


更新時間 : 22:56:00


2月8日 (日)


はる 980
 う~~。新しい絵が上手く行かないのだけれど、まぁ今日は比較的に落ち着いた方かもしれないな。一日が終わってパッと客観的な目になった時に「あぁだめだ」と思うとガックリ疲れる。この年になっても自分の技術のなさに呆れ返る。何をしていたのだろう。

 今年の東京の個展は少しおもむきを変えるという話した。この7,8年の比較的大きい作品を並べてみたいといったこと。まだ何も考えてはいないのだけれど、何をどんな風にと考えてみると、けっこう難しい。

 比較的短い期間だけれど、作品の傾向はかなりバライティに富む。その時々、真剣にとりくんでは来たのだけれど、いつものように、今観ると観たくない作品も多い。その中で今見ても「いい」と思う作品は、この画材になった初期の頃の作品だ。

 「何を表現するのか」という事がいろんな所で書かれているけれど、結局は「自分はなぜ描いているのか」ということを描きながら考えているということではないのかなぁ。それはもっと言い換えれば「なぜ生きているのか」とか「どう生きるのか」ということでもあり、そのことを「問いつづける」ことが自分の「生き様」であるきがする。

 今回また初期の頃のテーマに戻った。結局私はこれからも色々寄り道をするけれど、この「こたえてください」というテーマが私の生涯のテーマかもしれない。



更新時間 : 22:39:36


2月7日 (土)


はる 979
 覚書
 描き込むというのは私の場合壊れるというのと限りなく近い。描けば描くほど自分の思っている方向ではない所へ行く。

 どうなればいいのか、自分では分かっているつもりだ。

 いつも全体を描かなければならい。部分的によくて完成することはない。反対に部分が良くなれば、全体は壊れ始めてる。

 長く問題意識を持ちつづけることは難しい。その日のうちに一気呵成にいける所まで行くべきだ。でないと何かが逃げる。

 一日のうちでもほんの一時キラキラしたときがある、後は大体グデグデした時間だ。

 ゴロンとした本質的なものが、描ければよい。


更新時間 : 21:49:06


2月6日 (金)


はる 978
 今日はいい天気だった。布団を干して一日が始まり、日暮れて寒くなって一日が終わりました。ではまた。


更新時間 : 19:39:07


2月5日 (木)


はる 977
 高校の同窓会のメーリングリストに参加している。今のところ50人ぐらいのもので、たいした数ではないのだが、時々雑感を送っている。だいたい私はどこに行っても何か意味ある集団に参加することがなく、無責任な立場にいることが多い。多分これは影響力のつよい兄弟の中で育ったために、無意識のうちに力のあるものから遠ざかる習性のためと思われる。時にいい場合もあるけれど、いつまでたっても責任のある大人に成りきれないところがある。けれどやっぱり気にはなっているのだな。

 そのメーリングリストから同級生の訃報の知らせが入った。そうかH君は死んだのか。同級生の死というのは、今まであまり経験がなく、何だかけっこうショックを受ける。

 高校時代はけっこうバンカラだった。そういった雰囲気に憧れていた。好きだった北杜夫?の影響かもしれないけれど、硬派がカッコいいと単純に思い込んでいた。美術なんかとは程遠い、坊主頭の柔道部だった。

 この年になると、高校時代の生々しさもいつのまにか浄化されて、ほどよく懐かしい。あの頃は急に色んな事がいろめきたって、自分に迫ってきた。考えなければならないことがやたらと多くて、そればかりでなく勉強もしなければならなかった。

 Hくんは科学部員だった。彼とはたぶん高校1年と3年と同級だった気がする。若い君は理屈屋だった。当時色んなところで政治的な議論がなされていて、君はいつも話題の中心だった。あの頃は今が永遠に続くものと思っていた。楽しかったね。

 ご冥福をお祈りします。




更新時間 : 22:35:44


2月4日 (水)


はる 976
 昨日と今日は久々のフルタイムの仕事でした。で疲れたので今日はここまで。では。


更新時間 : 22:47:08


2月3日 (火)


はる 975
 今日は節分だ。何だか知らないけれど、すしの太巻きを東北の方角に向いて食べたら、一年健康でいられるとか(これは関西の風習だと聞いたけれど、そんな事は最近の話で、私は知らんぞ)鰯の頭を柊にさして、玄関先に飾っておくとか(これも結婚してからだから、こちらの風習なのかなぁ)、単に魔よけ、まじないのたぐいだと思われるのだけれど、けっこう不気味な風習が残っているものだ。

 今日はこれから豆まきををするらしい。これは昔からやっていた。
 ではでは。


更新時間 : 22:46:45


2月2日 (月)


はる 974
 インターネットの利用目的では、圧倒的に調べ物が多い。だいたいどんな小さな事柄でも、それを専門的に調べ上げ、丁寧に文章にしている人がいることに驚く。それが面白いかどうかは別にして、世の中には暇な御仁がいるものだと感心する。

 ネットも慣れてくると、ほとんど特定のHPしか訪れないようになる。色々探して歩くのが面倒だ、ということもあるけれど、これは本当に限が無い。私のように「作りたがりや」だけかもしれないけれど、自分のページにかまけている方が面白い。やりだせばきっとはまってしまう事が分かっているから、反対にパソコンのペイントソフトは買わないようにしている。動画、アニメーション、などなど可能性は限りなくあるように思える。けれど、まぁ今ある道具だけでも、使いこなせないのだから、これで充分だろう。

 古い作品をパソコンに取り込んでネットで晒してゆく。誰が観るのか知らないけれど、たぶん今までその存在さえも知られていなかったこれらの作品が、陽の目をあびてゆく。まぁ玉石混合だけれど、インターネットの面白いところだろうな。

 こんな小さなページに、サムネイルの小さい作品を含めて200点以上、この「日々好日」のコラムももうすぐ1000回になる。このページは私自身ではないけれど、少なくとも大切な一部分だな。

 これからもよろしく。
 


更新時間 : 22:24:40


2月1日 (日)


はる 973
 二月です.

 今日は「映画の日」なので、午前中からバタバタと映画に出かける。

 街中の映画館をしりめに、広い駐車場のある郊外型の映画館は多くの人が押しかけていた。日曜と映画の日が重なったということもあるのだろうか、映画館はなかなか盛況だった。これだけAV機器が進んでも、映画館で見る映画は娯楽の王者で、値段さえ手ごろであればお客さんは戻ってくるということだろう。

 クリント・イーストウッド監督の「ミスティック・リバー」は久しぶりに面白いといえる映画だった。エンターテーメント系の「ラスト・サムライ」も観たいと思っているのだけれど、これだけ騒がれてしまうと反対に萎えてしまう。外は大変な人だったけれど、この映画は渋い映画ファン相手なので空いていた。いつものように内容は語らないけれど、これは☆☆☆かな。

 午後からは恒例の山梨・・協会の新年会でご老人たちのお相手。山梨に来て30年もたてば、なんかんだいっても地域に根ざしている作家となる。今年もよろしくお願いします。


更新時間 : 22:20:40



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