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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

2003-12 - 2003.12.01(日記)
2003年 12月

12月31日 (水)


はる 940
 みなさま、よいお年をお迎え下さい。


更新時間 : 14:55:03

12月30日 (火)


はる 939
 今日は大掃除。玄関にしめ縄、結び柳、赤い千両の実、寒竹、若松、白梅を飾る。ということでお終い。また明日。


更新時間 : 23:57:55


12月29日 (月)


はる 938
 道草がいいことだとは思っていない。出来るならばできるだけ最短距離で進んでいくのが、すべての面で都合がいいのだということは充分理解しているつもりだ。にもかかわらず、私は多くの場合真っ直ぐには歩けないように出来ているようだ。

 今日は一日お習字でした。ではでは。


更新時間 : 23:09:12


12月28日 (日)


はる 937
 もう今年も残り少なくなって来た。クリスマスがすんで正月までのこのインターバルは妙に不思議な間だ。昨日までのイルミネーションが何となく間抜けてみえる。たった一日のことなのに、気分はもうお正月だ。

 今日は一日年賀状を作って書いていた。個展のDMは何年か前に全てパソコンのラベル印刷にしたのだけれど、年賀状は最低でも住所と名前は手書きにしたい。出来ればなにか一言書き加えたいと思っている。いつまで出来るのかわからないけれど、全てパソコンの印刷にするのなら、いっさい止めたほうがいいように思う。もらった時に自分ならどう感じるかということだろう。

 パソコンがこれだけ普及したのは案外、この年賀状の印刷が自分でできるということからかもしれない。結婚したり子供ができたりした知り合いから、毎年のようにその成長記録が送られてくるけれど、送ってくるなら一生続けてほしい。若い時だけでなく、次第に年取って老いぼれていく姿を送ってもらえれば、日ごろほとんど会う事もない知人の一生が垣間見えて面白いとおもうのだ。

 日曜美術館で「中川幸夫」の番組をやっていた。詳しいことはほとんど知らないのだけれど、舞踏家の大野一雄とのコラボレーションの話は、今年のこういった企画では白眉だったので覚えていた。知っている人も多いかと思うのだけれど、大野一雄はもう95歳で自力では立つこともできない。

 空から地面を埋め尽くすほどの花びらが降ってくる。そのど真ん中に老いてやせこけて骸骨のようになった大野一雄が舞っている。言葉にできないほどの感動があった。


更新時間 : 00:05:47


12月27日 (土)


はる 936
 一日後片付け。そして年賀状の印刷。毎年プリントゴッコの版画にしている。絵描きの年賀状は思いのほかあっさりしたものが多い。いつもそういったものでいじめられているから、年賀状ぐらい簡単でいいのかもしれない。かえって普段あまり関係のない仕事の人の方が、手の込んだ版画で来たりする。

 年賀状のゴム版画は小学校の頃から毎年彫っていた。今考えると随分と凝ったものを作っていた。中学校で多色刷りの技法をならってから、たくさんの版木で一枚の版画を刷った憶えがある。そうそう、何年か前に神戸の実家が引っ越す時に、その頃の版画が出てきておくってもらった。私の唯一の子供の頃の作品だけれど、何処へしまったのだろう。今度探してトップに晒しましょう。

 版画といえば、この間の個展の時、ちょうど渋谷のブンカムラで「棟方志功展」をやっていた。色んな展覧会を観るけれど、久々に面白い展覧会だった。あの一見ど田舎のど近眼のおっさんが、どうやって今から見ても新しいあれだけの仕事が出来たのだろう。色んな友人や先生にも恵まれたのだろうけれど、先天的に持っている「造形のセンス」は驚くばかりだ。それから最も大切なのはその「大衆性」かなと思う。舟越桂や有元利夫なんかのも通じるのだけれど、本質的にいいものは「上品な大衆性」がある気がする。志功の作品も一見粗野な荒削りにみえるけれど、菩薩像などの女性像はなんともいえない「上品な大衆性」がある。
 
 さて、今日はここまで。


更新時間 : 00:41:11


12月26日 (金)


はる 935
 今年は随分と暖かいのだと思っていたけれど、いざここに帰ってくると、いつものように寒い。日当りが悪いのと古い家なので隙間風がけっこうすごいのだ。

 高度成長期の安普請の住宅は壁も柱も薄っぺらで、夏は暑く冬は寒い。今のツーバイフォーの家は安普請なのは変わりがないけれど、それなりに良くも悪くも密閉性があり冷暖房だけを考えれば、効率よく出来ている。この家を改装した時に徹底して断熱処理をすればよかったのだけれど、とにかく早く済ませる必要があったので、床も天井も昔のままの状態で来てしまった。これは失敗だなぁ。真夏や真冬になるといつも後悔する。

 閑話休題

 東京は随分と暖かだった。今年で何回目の個展になるのか、88年からイタリアにいた95,96とパスしただけで毎年の恒例行事になった。最初は銀座で個展をやれるというだけで嬉しかった。なんかいっぱしの画家になった気がしたのだけれど、考えてみればお金さえ出せばだれでも出来ることなんだな。貸し画廊というシステムは日本だけということだけれど、画廊のオーナーにとっては我々はお客さんということになる。

 画家になっていくには絵を売っていく必要がある。いつまでもお客さんじゃだめなんだ。画商さんとの二人三脚、持ちつ持たれつそういった画商さんをめぐり合うことが大切だけれど、なかなか難しい。商売なんだけれど、商売だけじゃやってはいけないからね。同時代を生きているという感覚が大切かな。

 来年は少しおもむきを変えた個展にしょうと思っている。100号クラスの私にとっては大作が、ここ何年か発表した物も含めてかなりたまってきたので、まとめて並べてみたい欲求にかられた。私はどちらかと言えば小品の方が得意で、大きい作品はいつも持て余すのだけれど、それでも公募展やコンクールといえば大体が100号クラスだ。その時はそれなりに根性こめた作品群なので、このままお蔵入りになって、二度と陽の目を見ないのはしのびないのでね。天井の高い、いい会場がちょうどみつかったので、やることにした。まだ一年先の話だけれど、すこしワクワクしている。

 さてまだ後片付けが残っています。年内に年賀状はむりかもしれませんね。あしからず。では


更新時間 : 00:33:16


12月25日 (木)


はる 934
 帰ってきました。
 今日はこれだけです。
 また明日。


更新時間 : 00:19:38


12月22日 (月)


はる 933
 (途中経過報告1)
 久しぶりだ。こうやってパソコンの前に座るのは。忙しかった。まぁ忙しい自分を楽しんでいるところもあるのだけれど。神戸から京都の小旅行、銀座の個展の搬入、飾りつけ、続いて風邪をひいてしまって、ぼーっとした頭で初日を迎える。

 個展はおおむね好評。まぁ、うがった見方をすれば、全て私の味方なわけで、悪くいう人もいないだろうけれど。だから「すごくいい」わけでもないのだろう。客観的には、もう少し時間がひつようかな。

 来年の個展の話になって、ここ数年の比較的大きな作品がたまったので、久しぶりに大作ばかりの個展をやろかと思った。97年以降、そう油彩画を離れて今のミクストメディアになってから、大きな作品はまとめて並べていないので、並べて見たくなった。

 ということで、来年の個展は銀座を離れます。といってもたいした距離ではないのだけれど、隣町の京橋の「汲美ギャラリー」でやることにしました。詳しいことは帰ってから書くことにしましょう。

 ではまた。


更新時間 : 01:31:33


12月10日 (水)


はる 932
 何だかんだとせわしく過ごしている。今日は今年最後の授業で、半分のクラスが、最後の課題のため補習授業をやる。こういった補習は他の授業でもやっているのだろうか。私の課題ではどうしても仕事の速い遅いがでて、遅い人のために補習をとらざるを得ない。仕事が速いから手抜きか?といえばそうでもなくて、反対にゆっくりでも不器用は不器用だ。みんなそれぞれ違った能力があるのだ。

 この間怒ったクラスは、今週はさすがに大人しかった。少し誉めてやった。怒りっぱなしで、今学期終了するのはどうも夢見がわるいきがしてね。真剣に怒れば、同じ人間ならまだ通用すると思っている。だめになったら、私は辞めるつもりだ。

 さて、明日から出かけます。ゆえに全ての更新が止まります。また会う日まで、ごきげんよう。

 いいクリスマスを!!


更新時間 : 00:03:50


12月9日 (火)


はる 931
 例えばこういうことだ。近所を散歩する。道に缶が落ちている、誰かが捨てたのだけれど、まぁ仕方ないなぁと見ないふりして通り過ぎる。川を見る。冬になって多くの水鳥たちが渡ってきた。その光景に一時の安らぎをおぼえる。しかし、近くには発泡スチロールのゴミのカタマリ、ペットボトルやスーパーのビニール袋が散乱している。汚いなぁとまた見過ごす。

 テレビで外国の美しい風景を見ると、きれいだなぁと羨ましく思う。その程度の美意識はあるのだろう。たぶんみんな気が付いているのだろうなぁ。日本はゴチャゴチャとして美しくないことを。だからといって日本を出て外国で暮らすというのは、ちと違うと思う。選択として間違っている。外国へそのまま行ったとしても、確かに風景は美しいけれど、美しくは暮らせないと思う。

 パリの街や人々の暮らし方がよく女性誌などに取り上げられる。カッコよい、美しい生き方としてね。だけれどそういったスタイル、格好だけ真似しても、結局長続きはしない。それは根本的に「うれしく、たのしく、うつくしく」生きていないからだ。

 町がうつくしいのは、町だけが美しいのではない。そこに住む普通の人々が、「美しくすむ」という意識があるからだ。でなければすぐに化けの皮がはがれてしまう。どこそこのテーマパークになってしまうのだ。

 普通の人が一枚の絵をどこにどうやって飾るのが効果的か考えるいれば、デパートのショーウインドウはそれ以上にレイアウトに気を配らなければならない。そういった習慣がやがてうつくしい風景や景観をつくって行くのだろう。

 「つばを天に吐く」というけれど、だれが悪いわけでもない、結局、悪口はすべて自分に返って来る。自分たちが、それだけの美意識しか育ててこなかったということだろう。

 美術や音楽は公共学校で教えるものじゃない、それぞれの家庭で教育すべきものだということは分かるのだけれど、たぶん今学校で美術、音楽を教えなかったとしたら、この国はもっと不細工な国になるだろう。


更新時間 : 22:25:00


12月8日 (月)


はる 930
 クリスマスの楽しさというのは、子供の頃に限ったものではない。けれど、あの頃に比べたらワクワク度が千分の一になった気がする。何がそんなに嬉しかったのか、その気持ちを書いてみる。

 季節が十二月というのもいい。まだ年があらたまらなくて、今年初めての寒さが来るのも新鮮だ。正月が過ぎれば「寒い」ことに飽きてくる。12月24日という日が微妙にいい。ちょうど冬休みが始る。あとはクリスマスと正月を待つだけだということで、気分がハイになる。

 ジングルベルや「きよしこの夜」「しゅはきませり」など、クリスマスソングがいい。クリスチャンでもない我々が賛美歌でもあるまいにと思うのだけれど、どこかにロマンチックな雰囲気がある。

 この寒さと雪というのがまた「聖なるもの」への憧れをかき立てる。誰しもそうなんだろうと思うのだけれどどうだろ?

 もっと何か本質的なことを書きたいと思ったのだけれど、散漫なものになってしまった。また今度。では


更新時間 : 23:41:55


12月7日 (日)


はる 929
 「らくど」
 イタリアにいたときにお世話になった家の庭に鳥小屋があり、下の方はニワトリ、屋根には鳩がいた。何日か旅にでて帰ってきたら、鳩たちはみんないなくなっていた。後でわかったことだけれど、ここの鳩は鑑賞用で飼っているのではなく、家畜として食用にまわされる。綺麗にハネを掃除され冷凍庫に眠っていた。

 ウサギも熊も鳥もみんな同じ、食べられるものは食べてあげる方が自然というものだ。いつのまにかお肉はスーパーの肉屋だけで売られているものとだけ教えられているから、自分たちは他の生き物たちの犠牲の上に存在できているのだということを忘れてしまう。そういった意味では生き物と一緒に生きて行くことは大切なメッセージが含まれている気がする。

 家の門を入ったところに大きな金木犀がある。木を切るのが嫌いな私は、近所に迷惑にならない限り、そのまま手をかけない。いつのまにか鬱蒼と繁って、下から覗いてもほとんど空はみえない。外から見れば、この大きな金木犀しか見えず、昼間でも玄関先は薄暗い。

 この間から何だかガサゴソ音がすると思っていたら、木の間に山鳩が巣をつくっていた。こんな人家の庭先に巣をかける鳥がいるんだなぁと感心してみている。それから毎日通る時に観察しているのだけれど、山鳩とはいえ自分家に巣を作ったとなれば、何となく親近感がわく。妙なもんだ。

 昼頃「デデポッポポ~」と鳴く声を聴くとなんとなく嬉しい。

 ではまた。
 


更新時間 : 23:58:09


12月6日 (土)


はる 928
 来週の後半からまた、ばたばたと動き始めます。週末は姪のの結婚式で神戸に帰り、その足で折り返し東京の個展の搬入に帰ります。芸能人のようなスケジュールだな。かみさんは行ったり来たりだけれど、私はほぼ10日ほど家を開ける事になる。楽しいけれど、疲れるだろうなぁ。当然HPの更新も止まりますよ、あしからず。

 今日はここまで。ではまた明日。


更新時間 : 22:56:46


12月5日 (金)


はる 927
 このところ寝る前に読んでいるのが、志ん朝の落語の文庫本。これがなかなか面白くて、ばかばかしくて、ちょうど一話読むと眠くなるぐらいで都合がよい。

 落語という芸はなかなかに奥が深いもののようだ。本当に何も知らないのだけれど、知らなくても充分おかしいのが落語の深いところだ。これこそ子供からジーサン、バーサンまで楽しむ事ができる優れものだ。

 演劇に「一人芝居」なんていう演目があるけれど、落語はそれこそ「一人芝居」そのものだ。外国のショービジネスの話も知らないのだけれど、スタンダップコメディー何ていうのは、一人漫談みたいなものだろうか。落語は漫談でもない。ちゃんと筋があって、台本もある。通になればあらすじなんてみんな知っているわけだ。にもかかわらず、だれそれの「愛宕山」はおもしろいねぇ、などとその演者の落語をわざわざ聴きにくるのだ。まさにスタンダード、クラシックと同じだ。

 演劇のスタンダード・シェクスピアが分からなければ、演劇がわかったことにはならないとかいうけれど、元々演劇がコメディ喜劇が発祥なら落語も同じようなもんじゃないのか。

 それではまた。


更新時間 : 23:58:33


12月4日 (木)


はる 926
 「冬の森」
 以前「夏の森」というタイトルの作品があった。おぼえているでしょうか?それに対して、「冬の森」があってもいいなぁと思って描いたのがこの作品です。描いたというより、探し出したという方が正しいだろうか。ほとんど他力本願のような描き方です。

 私はほとんど何もしていない、天から降ってくる「ことば」を待っていただけだ。作品が自ずから持っている(何か)と私の(何か)がぴたりと合えば、強い力となる。偶然といえばぐうぜんだ。けれど私が見つけなければこの作品はこの世に存在しなかった。そう考えれば、ここにこうやって「ある」必然性があったのだ。

 今回の個展の作品の中でけっこう評判のよかった作品でもある。不思議な事に「いい」といってくれた人はプロの作家が多く、実際に持っていったひとは全くの素人さんだった。今はまだ自分にはわからないのだけれど、たぶん「本物」というものは、そういったものじゃないかと思っている。(これがそうだといっているのではない)

 ではまた。



更新時間 : 00:03:14


12月3日 (水)


はる 925
 最近は5時頃になるともう薄暗くなっている。今日のように天気がいいと、暗くなっても空は濃いブルーになってきれいだ。
 
 子供の頃からのくせなんだけれど、何だろうこの時間帯に外にいると不思議な幸福感がある。その至福感を言葉にしょうと思うのだけれど、上手いことばが見つからない。けれどためしてみよう。

 カーステからレッド・ガーランドのスタンダードなジャズが流れている。全日制の授業が期末テストのためにキャンセルになって、私は定時制の授業のため、夕暮れ時になって堤防沿いの一本道を学校に向かって走る。普段でもそうなのだが、この時期になると山が色づいて迫ってくる感じがする。遠くには八ヶ岳が薄ら寒そうにけむって見える。

 何も心配することがなくて、頭の中はぼんやりと何か考えている。「ブルー・ヘブン」というジャズかな、エノケンが唄っていた。
 ♪ひがくれて
  たどるは
  わがやの
  ほそみち

  せまいながらも
  たのしいわがや
  ゆめと、ひかりのさすところ
  
  こいしい
  いえこそ
  マイ・ブルー・ブルー・ヘブン
 (たぶん間違ってます、うろ覚えですんません)

 こんなので、わかれば文学はいらないか。ではまた
 



更新時間 : 21:03:31


12月2日 (火)


はる 924
 テレビもラジオも新聞さえ読んでない。ここんところ忙しい。何がってわけでもないのだけれど、気分的に余裕がない。

 けれどどこからか、きな臭いニュースは入ってくる。どこか外国のまだ充分統制されていない地で、派遣さけた日本人の外交官が殺害されたらしい。

 たとえ、どんなにその国の為政者が極悪人であったとしても、どこか遠くの外国の人に色々言われたくないだろう。まして占領されたとなれば、義に感じてゲリラ戦になっていくのは、当たり前のことだ。圧倒的に強い人間にはそうやってチクチク痛めていく戦法が有効だというのは、ベトナム戦争を持ち出さなくても、明らかなことだ。

 昔、どこかの国を占領したときのように、圧倒的な力を見せつければ、抵抗らしい抵抗もせず、素直に従うだろうと思うのは、大きな間違いだ。歴史的にも教科書的にうまくいった占領=洗脳方法だったようだ。今なお色んな意味で洗脳されているもの。

 だからどうすればいいのか、よくはわからないのだけれど、「なぜ人を殺してはいけないのですか?」などという質問がまじめに議論されているような国の人間が、戦地に行ってまともの戦えるわけがない。

 平和であることは、お題目ではなく、自分たちの血で守るものだという当たり前のことを、前の戦争責任を含めて徹底して教えてこなかったからだろう。

 難しい話になって、収拾がつかなくなってしまった。すんません。また。


更新時間 : 21:30:58


12月1日 (月)


はる 923
 おい、12月だぜ!
 また、後で。


更新時間 : 22:16:06



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