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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

2003-10 - 2003.10.01(日記)
2003 10月

10月31日 (金)


はる 892
 午前中、頼んでおいた額縁が届いた。これによって否が応でも個展が近づいて来たという臨場感がでてくる。どんなに準備万端に用意しても、いつも何か足りない気がする。そして気持ちばかり焦ってイライラしている。そんなことの繰り返しだ。

 そんな事で、又明日。
 


更新時間 : 23:45:55


10月30日 (木)


はる 891
 朝からある公開審査の審査員をやる。なぜかとても疲れた。入落は時の運、けれども審査される側にとっては、けっこう重大な意味を持っていたりする。自分たちもかつてはこうやって審査されていたのかと思う。

 今は若い人たちがこういった審査を嫌って出品してこない。ゆえに次第に入選者も含めて年齢層が上がっているようだ。
 こういった大画面の絵画そのものに、もう魅力はないのかもしれないなぁ・・・。
 色んな表現の手段もあるのだしね・・・。
 少し寂しいきもする・・・。

 疲れました。また明日。


更新時間 : 22:49:42


10月29日 (水)


はる 890
 もう学校にお世話になって何十年も過ぎた。だからと言って学校に何の義理も感じていないし、学校側も単に一年契約のパートタイマーに過ぎないと思っているだろう。

 公立の学校というものは、年々先生方も変わり「・・学校」という実体はほとんど架空のもののように思う。よく生徒たちには「・・年の伝統」がなんていう話を、さも大事そうにいうけれど、生徒も先生もどんどん変わっていくのだから、そんなものにあまり信頼性は無い。

 教員の不祥事が最近やたらと多いけれど、まぁ学校も一つの社会で教師はその構成員の一部でしかない。だから教師にも色んな人間がいるのだよ、というアンチテーゼにはなる。

 そういった場合その学校の校長先生が全面に出てきて、なんだかんだいうけれど、現場にいる人間からいえば、管理職の先生などただの「お飾り」に過ぎない。何も知らんのだよ。実際は。

 学校という組織を良く知らなかった時は、校長や教頭先生など「管理職の先生」は教師の中の教師、だから教師としてみんなから尊敬されたり、一目置かれた人間がなるものだというふうに思っていた。けれど長年学校にお世話になった側からみればこれは全く違うシステムでなっていくものだということがよくわかる。

 「管理職コース」なるものがあって、管理職を目指す教員は、はなからいい教師を目指すのではなく、「管理職」という職業を目指す。教務主任や生活指導主任を経て教頭試験を受けて、やがて順番で校長になっていく。これはエリートコースであり立身出世を絵に描いたような話しだ。だから話をすれば分かる、生涯一教師として志を持ってやっている人間と自ずから違う。教育委員会や指導主事などというのも同じようなものだ。

 いい方法は分からないけれど、こういったシステムも根本から変えなければ学校は良くならないだろう。

 私は教壇にはたつけれど、教員ではない。もし教員を遣りつづけていたならば、生涯一教師でけっこう。管理職などには絶対なりたくないと思う。


更新時間 : 21:23:00


10月28日 (火)


はる 889
 昨日の文章を英訳して再び日本語にした。面白いので少しアレンジしてそのまま載せます。

 それは伸びます。888
 私たちは時間と、さらに空間(は)、私はそれが無限であると思います、それは正確ではありません。であるが、確実にそれは、日常の範囲中では事足り。宇宙のスペースは関連づけられます。また、それは私たちの少数の脳を少しではなく刺激します。制限されているとそれが言う場合、私は、反対側が確実に存在する理由によってその場所をそこに知っていたいと思う。

 数列は高校生として数学の中で学習されました。その中にフィボナッチの数列があり、それを継続しますが、2、3、5、8、13、21、34、そして...これは、文字を再び(であるが、それ+に心が直ちに達するように、正面の数に関して実行された単純な数列です)晴らしくしておきます。それがある程度まで進歩した場合、比率の正面の数は1.618の=黄金比に接近します。この黄金比は、西ヨーロッパの中で「美しい比率」として構築または美術のために間接的に使用されます。それは単に「黄金比」です。

 ところで、規則性が正面に、フラダンスに関する理論の性質になっているように見えます。例えばの話、それが地球、さらに雲の形式のような、そのようなもので固定の規則および、そのような理論の表面の不規則である場合、コンピューターなどのゲームの背景のために最近使用された、など、書かれた。このフィボナッチの数列の数のカーブの比率かどうかに、羊などの角のカーブの比率とそれが関係があると言われています、すなわち、ヒマワリの種子、あるいはアサガオのブドウの木。この「黄金比」は1番目からそのような自然な構成から出て来るでしょう。

 それが無限大会談にかえる場合、この隠喩は無限の理解には最も分かりやすいものです。それは1つのストリングを半分にし、半分を再び半分にし、加えることに似ています。それが無限に大きくなると私は思いますが、それが加えるので、実際の場所はオリジナルの長さを超過しません。であるが、さらに、時間とスペースが実際で、私たちが気づいていない場所、私たちは、拡大すると思います、そして契約、自由に。実際、無限は、小さなスペースが制限したということかもしれません、非常に、またそれかもしれない、それがそうである瞬間が永遠です。

 昨日の速度の話、「そして――何――それはそうです――彼は力の話で結びたかったが、それは不可能でした」何れ又の機会では、それが今日888です。HAHAHAで


更新時間 : 14:48:36


10月27日 (月)


はる 888
 我々は時間のというもは無限だと思っている。確かに日常的範囲ではそれで事足りるのだけれど、正確ではない。それは宇宙の空間とも関係していて、我々の少ない脳みそを少なからず刺激する。有限と言うならば、その向こう側が必ず存在するわけで、そこのところを知りたいと思う。

 高校生の頃、数学で数列というのを習った。その中でフィボナッチの数列というのがあって、1,2,3,5,8,13,21,34、・・・と続いていくのだけれど、(すぐに気が着くように前の数字を+しただけの単純な数列なんだけれど、)これがまた不思議な性質をもっている。ある程度進んでくると前の数との比が1.618=黄金比に近づいていく。この黄金比なるものは、西欧では「美しい比」として、建築や美術でそれとなく使われている、まさに「黄金の比」なのだ。

 前にフラルタルの理論のところで、自然界にある、規則性が無いようにみえる、たとえば地表の凹凸だとか、雲の形などそういったものにもある一定のルールがあって、最近はコンピュータのゲームの背景などにそういった理論が使われているなどという話を書いたけれど、このフィボナッチの数列というのも、例えばひまわりの種の数とか朝顔の蔓のカーブの比だとか、羊の角のカーブの比などに関係があるそうだ。もともとこの「黄金比」はそういった自然の成り立ちから出てきたものだろう。

 無限の話に戻れば、無限を理解するにはこの例えが一番分かりやすい。一本の紐を半分にして、その半分を又半分にして加えていくことに似ている。足していくわけだから無限に大きくなる気がするけれど、実際の所は元の長さを越える事は無い。時間も空間も実際の所、我々は気付いていないけれど、自在に伸縮しているのだと思う。実は無限とは極限られた小さな空間で、永遠とは一瞬なのかもしれない。

 昨日の速度の話と「何かしらの力」の話とつなげたかったのだけれど、無理だった。何れ又の機会に。今日は八八八だ。ハハハでは


更新時間 : 21:42:13


10月26日 (日)


はる 887
 速度というのは不思議なものだ。例えば時速100キロで動いている車を想像してみてくれ。確かに車は動いていて同じ場所にはいない。けれど瞬間を考えてみるとその車は止まっているように見える。速度というのはその瞬間の速さのことで、止まっているにも関わらず、それは静止とは違って、「何かしらの力」を持っているということだ。

 我々は日々ぐだぐだと生きてはいるのだけれど、同じように瞬間だけとってみると、これまた死んでいるのと見た目には変わらないということになる。心臓も止まっている、息もしていないように見える。しかし前の話しでいうならば、生きているということは「何かしらの力」を持っているということだ。

 ・・・・・・・・・・・・

 眠たくなったので、続きはまたあした。


更新時間 : 00:02:01


10月25日 (土)


はる 886
 そう、この間ヤンキースの松井のことでいい文章を見かけた。阪神も後一勝で優勝するようだけれど、基本的には私は運動おんちでスポーツは、やることも観る事もほとんど興味が無い。

 ところでその松井君の話なんだけれど、彼のインタビューで、例えば「いいところでホームランが打ててよかったですね」など聞かれたとき、「えぇまぁこんなうれしい事は、子供の時からいっぱい経験してますけれどね」というふうに答えた。世界の野球の頂点で今現在活躍している、現役バリバリの大リーガーが、少年野球の頃の喜びをおぼえていて、それが今の喜びと変わらないという。多分彼はそんなことを意識はしていないと思うのだけれど、彼が何処に行っても大きなスランプに陥ることなく、コンスタントに活躍できる秘密がそこにありそうに思える。

 我々大人になってしまった人間は、いつのまにか子供の頃のことを忘れてしまっている。で「子供時代は、のんきでよかったなぁ」など思う。しかし子供の頃と今と、喜びや、悲しみや、嬉しさ、の分量=感受量は変わらないのじゃないだろうか。考えてみたまえ、子供の頃にはその頃なりに、抱えきれないほどの不安や心配事、楽しい事やうれしい事があったではないか。

 そこからいえることは、子供の頃の延長に現在の自分があって、その又延長上に明日の自分があるのだということだ。あえて言うならば、人は「いまここ」でしか生きてはいけないのだけれど、「いまここ」に過去も現在も未来もギュッと凝縮されてあるということだ。

 高校三年の時にS君が「明日死ぬと分かっていても、私は今の勉強をします」と言い切ったように、我々はその時々を精一杯生きるしかないのだ。

 ではでは。


更新時間 : 23:39:08


10月24日 (金)


はる 885
 午前中ちょっとした用事で勝沼までドライブした。バイパスを通って飛ばせば20分ぐらいで、行けるだろうか。勝沼は前にも書いたかもしれないけれど、日本の葡萄酒の発祥の地だ。だからかもしれないけれど、街のあちこちに古い歴史を感じさせる建物や崩れかけた大きなお蔵があって、私にはとても興味深い。

 元々そういった古い建築を観たりするのが好きな性質なので、何処に行っても壁をたたいたり、裏を覗いたりするので煙たがられる。それはそうと、どんどんこういった歴史的な建物が壊されていくことに、悲しみよりも怒りに近いものを感じる。地元の人にきけば、ほとんどの人がそういったことに興味もないし、関心も無い。大切だ、面白いと思っているのは、案外外から来た人間だったりするようだ。

 ワインとう名称は最近のことで、とてもオシャレな飲み物という感じがするけれど、我々が子供の頃はもろに葡萄酒(あか玉ポートワインといった)でかなり甘い飲み物だった。(それでも私は一口飲んでひっくり返っていた)

 最近のように生活が洋風になって、食べる物も西欧化してくると食前、食後に飲むものも変化してくるようだ。まぁそれが当然の成り行きだろう。多分昔ならば葡萄酒は特別な飲み物だったかもしれないけれど、これからはというのか今は極普通の飲み物になってきている。

 例えば神戸の異人館や港や洋菓子ややパン屋さんというのは、特に神戸に外国人が多かったということもあるけれど、それが段々に普通のことになって、神戸ブランドのフードができた。今それが神戸を支えている。だからと言うわけではないのだけれど、上手くすれば勝沼もいい雰囲気になるのではないかと思うのだ。百年以上の歴史があるわけだから、それなりの街づくりが出来そうにおもうのだけれど、どうなんだろう。私には何の力もないけれど、アイデアぐらいなら出せると思うのだ。だれか聞かない?

 何か取り留めの無い話になってしまった。又明日。

 


更新時間 : 23:02:51


10月23日 (木)


はる 884
 何だろうか、今日は何にも予定がなかったにもかかわらず、ぐだぐだと過ごしてしまった。

 中沢新一と河合隼雄の「仏教が好き」をナイトキャップで読んでいる。装丁がえらく気楽な軽い乗りのもので、簡単に読めるものと思ったら、これがなかなかハードで内容が濃い。ほとんど理解できない哲学書のようで、羊頭狗肉の反対(何ていうのだろうか)で、こんなものが売れているなんて信じ難い。しかし、なるほどとガテンがいくところも多少あった。

 キリスト教の文化では例えばイエスの磔刑図のようにある意味で「残酷な」シーンが象徴的に何度も繰り返して用いられる。そこにあるメッセージは自然と「信仰というものは迫害され、やがて殺されるのだ、そうならないために戦うのだ」という言葉が隠されている。反対に仏教のお釈迦さまは涅槃図のように横になりゆったりと生き寿命を全うした。そこにあるのはどうしても「究極的な平和」なメッセージがある気がする。この違いはどうしょうもなく大きい。

 閑話休題

 ジャズという音楽はアメリカが生んだということになっているけれど、これは西欧の音楽とアフリカの音楽のコラボレーションで、たまたまその場がアメリカだったということじゃないかな。西欧クラッシック音楽のベースにあるのはバロック音楽のように「祈り」のための音楽で沈鬱で瞑想的だけれど、ジャズの基本にあるのはどこまでも肉感的で陽気でアフリカ的だ。そこのところが快い。

 最近は音楽も車に乗っている時にしか聴かなくなってしまった。何かしながらというと、うるさく感じてしまう。昔はもう少し柔軟だった気がするけれど、段々にかたくなになっていってるのだろうか。

 ではまた明日。




更新時間 : 00:03:35


10月22日 (水)


はる 883
 今日はつかれました。
 ということで、又明日。


更新時間 : 23:12:43


10月21日 (火)


はる 882
 今日は夜の学校の仕事が文化祭の準備のためキャンセル。早めに帰宅した、しあわせ。

 京都には大きな企業がない。そんなことは自分には関係ないことだ。どのみち大きな会社で働く気などなかったからね。色んな仕事があるもんだと思った。本屋さんのバイトで何件かのグループに雑誌を配達する、そんな専門のバイトがあった。午前中だけの不定期のバイトだったけれど、バイト料はよかった。これは断られた。

 同志社大学の近くに「・・美術印刷」の会社があった。これはバイトじゃなく正規の採用募集だったけれど、面接を受けた。私が絵を描いているという事を伝えたら、色んなことを真剣に説明してくれた。ぜひ一緒にやりましょうという感じだったけれど、そうなってくるとちょっとひいてしまう。申し訳ないので、これは自分から断った。何年か後、たまたまカレンダーを見たらこの会社の印刷だった。こんな仕事をしていたかもしれないなぁと、ちょっと残念な気もした。

 住んでいた村の小学校の給食の職員募集があった。臨時かもしれないけれど、夏休みもあるし絵を描いていくにはいいかなと思った。採用試験を受けに行ったら、男は私だけだった。志望の動機を正直にいったら、もっと真面目に生きなさいと説教された。真面目なんだけれどなぁ。当然不採用だった。

 なんだかんだあったけれど、結局、仕事は隣駅の八百屋さんで午前中働く事にした。仕事を探すのに疲れてしまったということもある。色々条件を出されるよりも、単純に肉体労働のほうが、何も考えなくていいかなとも思った。このあたりのことは前に書いた記憶がある。

 もう少し楽しいことを書きたくなった。ではまた。
後日編集


更新時間 : 12:31:13


10月20日 (月)


はる 881
 知り合いが車の事故。昨年私もやってしまった。あまり思い出したくないけれど、思い出してしまった。

 免許取って長い間運転しなかった。ところが田舎に引っ越して車は必需品になった。最低限の行動半径の移動に車が必要なんだな。元々運動神経は鈍いので、特に安全運転には心がけていた。

 最初の頃、少し慣れるまで、何処かこすったりしたけれど、ほとんどこする事も無く、何十年も乗りつづけていた。ところが事故になる少し前あたりから、二度ほど車をこすった。あぁ危ないという警告かとおもったけれど、大きく気に止める事もなかった。で事故ッたわけだ。

 事故の瞬間はよく言われるようにスローモーション映像のように、覚えている。横からトレーラーが出てきて、あぁこのままじゃぶつかるよ、当然とまるだろう?あれとまらないや、あっほんとかよぶつかるぞ、ドカッ・・メリメリ・・グシャ・・。
 
 幸い身体にはほとんどダメージ無く、車だけの物損ですんだ。ありがたいことだけれど、それからトラウマで横から出てくる車が怖くてしかたない。道路を横切る一瞬の判断が遅れる。

 皆さん気をつけて運転してくださいな。
後日編集


更新時間 : 12:33:07


10月19日 (日)


はる 880
 今日は一日裸婦クロッキーに出掛けていた。集中して絵を描いたので疲れました。
 ということで今日はここまで。ではでは。
 
後日編集


更新時間 : 12:32:42


10月18日 (土)


はる 879
 大阪北の堂島は、商売の街ナニワの今で言ったら金融街ということになるのだろうか、大小の証券会社や銀行がひしめき合っていた。

 大阪の街に住んでいた頃、昼間のきれいな仕事もやってみたくて堂島の「大阪証券代行」という、有価証券の裏書を代行する仕事をしていた。無論バイトなんだけれど、忙しい時は百人以上のバイト学生を雇うので、バイトの中でもランクがあって、幹部は一見さんのバイト学生を管理していた。年度末のようなかきいれどきには、大きな部屋にずらりと机がならんで、学生たちもほぼ徹夜で仕事していた。夜はジャズ喫茶でバイト、二つを掛け持ちしていた。お金が必要だった。

 徒然草に「石清水八幡宮」の話がでてくる。石清水八幡さんの本殿は山の頂上にあって、下にある神社は本殿ではない。よく知らない人が八幡さんに参ったというので話を聞いたら、本殿には参らずに山の下の神社で済ましたということから、「石清水八幡さん」と言えば「知らない事は恥ずかしい」ということになるらしい。そんなことはしょっちゅうで、やたらいろんなところで恥をかいている。

 京阪電鉄の乗って大阪から京都に向かう途中にこの石清水八幡宮がある。大阪の県境あたりから急に田舎の風情になって、葛葉、はしもと、ここから京都府になって八幡となる。最初この街を通り過ぎた時、木津川の川沿いに葦がいっぱい生えていて、西日を受けて綺麗だった。寂しいような風景に胸がいっぱになって、ここに住みたいと思った。
 早速取って返して駅前の不動産屋さん(当時は一軒しかなかった)に当たって、そこからまだバスに乗って30分ぐらいのところの農家の離れを借りた。

 なんだかんだ苦労して借りたこの家は自分にとってはじめての「我が家」でけっこう嬉しかった。小さいけれど独立した一軒家で田舎に住みたかった私は小さな満足を覚えた。仕事は京都で探すことにして、さっそく求人情報を集めた。

 つづきはまた。面白い?
 後日編集
 


更新時間 : 12:34:09


10月17日 (金)


はる 878
 大阪の街はあまり知らない。梅田から南に向って御堂筋をどんどん下って行くと、中之島公園になる。この公園はなかなかオシャレで古い洋館の中央公会堂とか、銅葺き緑青屋根が美しい日銀のビルがあったりする。中之島はパリのセーヌ川沿いをイメージしたなんて誰かがいっていたけど、ホンマかいなと思う。ただコテコテの大阪ブランドが多い中で、唯一あか抜けした雰囲気があったので好きだった。

 天満橋、淀屋橋、その次が肥後橋だったけなぁ(まったくうろ覚えなので違うかもしれない)大阪には橋が多い。その橋のたもとの古臭いビルの一角に、レアラ・ロンドという絵画研究所があった。(今でもあるかもしれない)先生はそのビルの持ち主で島常武先生といった。当時もうかなりご高齢という雰囲気だったけれど、後で聞いた話だと、意外に若い事が判明した。絵画研究所といってもよくある受験予備校とは違い、趣味で絵を描く人たちにその場を提供しているというような感じだった。

 そこの研究所の売りは専属のモデルさんいて、週に何回かヌードが描けるこで、その日だけは知らないようなおじさんも来ていて、小さなアトリエが一杯になった。私が初めてヌードクロッキーなるものをしたのもここだし、もちろん油絵の手ほどきを受けたのもここが初めてだった。

 島先生は陽気な人で、月に一度講評してくれるのだけれど、一人漫談のようでそれを聞くだけでも価値があった。何でも若い頃は「国画会」に出品していてけっこういい線をいっていたなんてことを自慢していた。国画なるものが何なのか知りもしない頃の話しで、後々自分が出品するようになるなんて、けっこう因縁はあるんだな。

 先生を見ているとボンヤリとだけれど、絵描きという生き方もいいなぁと思った。もう30年以上前の話だ。

 後日編集



更新時間 : 23:03:09


10月16日 (木)


はる 877
 今日はかみさんが、人間ドック、それに半日付き合う。彼女とて私と同じようなもので、年相応にそこそこ痛んでくる。我々のような自由業は、誰もなんとも言ってくれないので、ついつい放って置きがちになる。市が援助する人間ドックはそういった意味でいい機会になる。(Sさん何とか勇気を出して健康診断はやっておいたほうがいいですよ)

 ドックと言えば、高校生のころ神戸の造船所でバイトした。友達がバイトしていて、来ないか、ということでノコノコ付いて行った。チケット制になっていて友達が何枚かチケットを持っていたので、書類も何も無くすぐに仕事が与えられた。今考えるとそうとうアバウトな仕事だと思う。何も分からない学生が、手配師みたいなものに連れられて、仕事していたのだから、たぶんもぐりの仕事だったのだろうなぁ。それでもけっこういいお金になったので、日曜日ごとに何回か行ったおぼえがある。

 陸に上がった船というのは、とんでもなく大きくて、例えとしてありふれているけれど、それは「小山のようだ」というのがピッタリだ。何の技術もない人間がやれることなど、決まっていて掃除ぐらいのものだ。初めて与えられた仕事は、船底にもぐって二重になっている鉄板の間に入って、ふき掃除をするというものだったけれど、その場所にたどり着くまでが大変で、これまた迷路のような丘を何度もなんども越えていかねばならなかった。

 大きな怪物に取り付いている、極小さな虫けらのようで、今ここで自分がいなくなってもだれも気にしないだろうなぁ、といった迷宮に迷い込んだような不思議な感覚だった。

 さて続きはまた明日。


更新時間 : 00:22:31


10月15日 (水)


はる 876
 「ないしょの」というのは、ほとんどの場合内緒ではなくなってしまう。これは人間の最も浅はかで憎めないところかもしれない。

 ないしょ、ないしょ、
 ないしょのはなしは
 あのねのね。

 ではまた明日。


更新時間 : 22:50:50


10月14日 (火)


はる 875
 久しぶりに学校にいる。

 今日は一日雨だった。生徒を連れて近くの河原にスケッチにでかけようと、思っていたのだけれど、これの計画も雨のために仕方なく中止。スケッチにだすと私も少しサボれるのだけれどなぁ。狭い教室で生徒たちと一日鼻をつき合わせていた。お互いにうんざりだ。

 生徒は選択ではなく、必修の教科なので「美術」の好きな生徒ばかりではない。好きな生徒は放っておいてもよい。問題は嫌いな生徒にも面白くやれる仕事を見つけてやることだ。私がやっていることは「美術」ではなく、単に「手仕事」なんだけれど、これって今の子供たちには一番欠けていることのように思う。何も考えないで「手仕事」に没頭する、これは一つ「楽しい事」「おもしろい事」のように思うのだけれど、どうだろうか。 

 さてそろそろ帰ります。


更新時間 : 21:23:12


10月13日 (月)


はる 874
 テレビの創生期の頃、午後の5時過ぎには民放はディズニーの短編をやっていた。無論モノクロのアニメーションで、ミッキーマウスになる前のネズミと猫の話など、音声は無く音楽と効果音だけだった。(クラッシック音楽の名場面をそれとなく使っていた)そういったドタバタ喜劇のアニメーションをよく観ていた。
 小学校の何時頃かよく覚えていないけれど、学校で「白蛇伝」(オールカラーだったと思う)を観た時に、その滑らかな動きと、物語に新鮮な驚きを感じた。あれはどこの映画だったのだろう。

 普段はもっぱら人形芝居劇で「チロリン村とくるみの木」なるナスやきゅうりやトマトが主人公の平和な芝居を観ていた。今でこそ語り草になっている「ひょっこりひょうたん島」はその後にできた番組だったと思う。これはなかなか斬新で、ストーリーも新鮮ならば展開も面白かった。途中でミュージカルのように宝塚のように歌が入る。今でもその歌のフレーズが口からでてくるのだから、なかなか影響力があったということだろう。

 日曜日の午後はラジオから親父が好きだった浪花節がよく流れていた。これがなかなか難解で子供心に親父は何が面白くて聴いているのか理解できなかった。

 歌舞伎、浄瑠璃のはなしをしたかったのが、こんな所で止まってしまった。続きはまた今度。ではでは。


更新時間 : 23:26:22


10月12日 (日)


はる 873
 アフリカの彫刻の影響は、よく知られているピカソをはじめとして、欧米など先進国の頭脳を直撃した。何がそんなに衝撃だったのか、ピカソの絵や彫刻をただ眺めていただけでは、ただ単に形がいびつで変な形だなぁということしか分からない。

 キュビズムの基本的な理論はセザンヌに始る「多視点」の考え方で、それなりに論理的にキュビズムまで順当に進んできて、さてこれからどうするのだ、と思ってもこれから先は自分で考えるしかない。多くは音楽的な純粋に色と形の抽象絵画の方にいくか、文学的な物語を含んだ超現実主義(シュールレアリズム)の方に傾く。私はどちらかと言えば抽象絵画の方に傾いた。(単に文学的な教養がなかったということだけれど)

 抽象といっても絵画する行為そのものが、もうすでに抽象的な行為を含んでいるために、何で今更という感じがあり、そこから先がなかなか進めない。そこでヒントになったのが、アフリカの彫刻たちだ。

 彼らの彫刻や絵画は我々の世界の「美」ではない。ここのところが難しいのだけれど、彼らには「美しい」ものを作ろうだとか、「役に立つ」ものを作ろうなどという意識はない。具体的なものを見えたまま写し取っても、彼らには何の意味もない。彼らにとってそれはある時は「神」そのものであったり、信仰のシンボルだったりする。結局彼らには「美」という意識がない、あるのはこれは「いいものだ」ということだけらしい。

 理論で考えて抽象絵画までは理解できたつもりになっていたけれど、つまるところ理論では解決できない感覚、直感これは「いいものである」というのでいいのではないか、と思った。

 「美」という字には「羊」がいる。「善」という字にも羊がいる。これは単に偶然ではない。「美」と言う字は「よし」とも読む。ようするにこのことが言いたかった。「美しい」ことは「よい」ということだ、ということだ。


更新時間 : 18:58:31


10月11日 (土)


はる 872
 午前中に二つ展覧会を見る。たまたま用事があったのでその帰りに画廊に寄った。

 一つはアマチュアの陶芸作家の作品展。アマチュアといってもピンからキリなんだけれど、特に陶芸なんかの場合下手にプロになるよりアマチュアの方がいい仕事をしている場合が多い。陶芸はすぐに使えるという利点があるので、けっこう需要がある。だからついつい売れる作品ばかりを作ってしまう(売ることは悪い事ではないのだけれど)アマチュアの場合は売る売らないにかかわらずいい仕事をしようとするので、観ていて飽きない。この作家はしっかり自分の仕事を楽しんでいた。残念なことに今日でお終いでした。

 もう一つは本格的なプロの作家の作品展。同じ画廊で何回か拝見した作家だけれど、今回もけっこう驚かされる。今回はドローイングと紙によるレリーフだった。ドローイングの方は前回も墨を使った抽象っぽかったけれど、今回はもう一段進んで色が入ってきていた。オーナーの話によると前回は作家がセレクトしたらしいけれど、今回はオーナー自身が選んできたそうだ。そういうことも関係しているかもしれないけれど、はるかに前回より仕事が進んでいるように思えた。

 二階に上がると一転して、紙による人物のレリーフ。これがなんとも面白い。30cm四方の深いボックスにきっちり人物が浮き彫りされている。具体的にモデルがいるそうだけれど、鼻や口が微妙に変形していてけっさくだ。思わずにやりとする。これだけを観るとけっこうリアルで怖いかもしれない。

 作家は京都の知り合いの神社か何かに住み込んで社男?(寺男っていうけれど、神社にもそういった類の仕事があるのだろうか)をやりながら絵をかいているらしい。その経歴もまた面白い。専門の学校も出ていない独学だそうだから、これはなかなかの人物だろう。
 以下に案内をのせておきます。お暇があれば覗いてみてください。

 「田上允克展」
 ギャラリー・イノセント
 2003/10/11~10/26
 甲府市丸の内2-12-3
 055-222-4402


更新時間 : 23:32:16


10月10日 (金)


はる 871
 この前美術館の講座の最後に、みんなの絵を並べて一人ずつ講評した。講評といえばおこがましいけれど、まぁ感想を述べたといったところだろうか。
 で最後に絵は飾ってこそその価値があるもので、描く事だけが絵の勉強ではない。額縁は絵の一部であるし、飾るスペースを考えて演出して欲しいなんてことを話した。これはけっこう本質で、私の持論でもある。
 
 本来絵画などは画廊とか美術館だけで観る物ではない。何処か勘違いしているむきがあるけれど、本来こういった嗜好品は日々の生活の中で触れてさわってこそ価値があるもんじゃないかなぁ。芸術品といえば、あらたまって、襟を正して鑑賞するというだけじゃつまらないと思うのだ。

 東京のとあるレストランに入った時、ある一人の日本人の画家の作品で全ての壁が飾られていた。多分大きな会場で一点だけ出品されていたら、ほとんど気がつかない作品だっただろう。パリの街を鳥のように俯瞰した風景で、淡い色が光の渦のように画面にちらばり、印象派の作曲家ドビッシーの音楽を連想した。

 大きな展覧会といえば他人と戦うことを意味する。「私が」「俺が」のオンパレードだ。グループ展だって同じようなものだ、売らんかなの個展だって同じようなもんだ。
 本来絵はこんな風に飾られて、観る人が癒されればそれいいんだよなぁとしみじみ思った。幸せな午後だった。

 家に帰って調べてみたら、なんと国画会の大先輩で蛯子善悦さんだった。


 今日は大安吉日、満月で、お祭りだ。KとSさんおめでとう。
 


更新時間 : 23:21:33


10月9日 (木)


はる 870
 久しぶりにお江戸に出た。平日に遊びに出掛けられるのは、こういった自由業の特権かな、お金はないけれど・・・。

 だんだんに体力が落ちてきて、都会に出ると地下鉄に乗るために上がったり下がったりするだけで、充分疲れてしまう。都会人はタフネスだなぁといつも思う。それからほとんど周りに無関心でキョロキョロしない。わたしなど壁に埋め込まれている液晶画面が珍しくて、読んでしまうけれど。まぁそれにしても東京は人が多い。

 メインコースは浅草・浅草寺の「平成中村座歌舞伎」かみさんが好きなのでお付き合い。銀座の歌舞伎座ではなく移動式の仮設芝居小屋で、芝居を見るという臨場感が面白い。
 昔学生の頃(演劇部だった)友達に誘われて、唐十郎の芝居を何回か観にいったことを思い出す。テント小屋に入るとビニール袋に下足をいれて、どんどん前から座らせられる。椅子に座って鑑賞する芝居より、詰め込まれた人の熱気で、それだけで何かしら一体感みたいなでてくる。芝居小屋というのはそういった効果があるものだ。

 状況劇場の唐十郎、自由劇場の串田和美、ユーミン社の野田秀樹、つかこうへい、一時小劇場が一世を風靡して乱立していた。そういった新しい才能を歌舞伎は取り込んで、コクーン歌舞伎とか野田版歌舞伎とか今また盛んになってきた。今回のこの平成中村座公演も中村勘九郎らが中心になって、あたらしい感覚でなかなか面白い。そうやって時代の新しい感覚を入れていかなければ、ただ伝統伝統と祭り上げられていただけでは、芝居など死んでしまうだろう。

 「人情噺文七元結」こういった人情ばなしは筋が簡単なだけに、役者の力量が問われる。今流行りの吉本新喜劇とは全く違う、えげつない笑いはない。しみじみとした泣き笑いは亡き藤山カン美?の松竹喜劇を思い出す。そういえば吉本も今はお笑い集団だけれど、我々の子供の頃は新喜劇だったんだ。

 帰りは浅草寺に十三夜のおぼろ月がかかっていた。では。

 


更新時間 : 00:47:16


10月8日 (水)


はる 869
 空を飛ぶ事と同じように、テレパシーとかテレポートなどの超能力が自分にはあるのではないか、と思ったことはない?何とかその能力を開花させたくて一生懸命ESPカードなるものを買って、念力の練習をしたことがある。伏せたカードの種類を当てる簡単なものだったけれど、まぐれに当たるぐらいでほとんどその能力がないことがわかった。

 小学生のころ、授業中に手紙のやりとりをすることが流行った。内容はたいしたことはないのだけれど、先生の目を盗んで小さく折りたたんだ手紙をあて先の相手まで、上手く回していく事に面白みがあったんだと思う。時々失敗して先生に取り上げられて痛い思いしたこともあった。離れた人と自由に話がしたいというのは、人の本能的な希望なのかもしれない。

 ケイタイ電話が出始めた頃、これほどケイタイが普及するとはおもっていなかった。多分日本人の特性として、極小さい機械にこれでもかと機能を付けるのは、お得意だとは思ったけれど、まもなく国民の全てがこの機械を持つことになるのではないだろうか。

 何時いかなる時でも人とコミニケーションできるこの機械の出現で、誰でもが一つの超能力(テレパシー)を持ったと同じ事になる。ちょっと怖い事だけれど。反対に私はこの便利なテレパシーマシンを持たないことにした。何処までがんばれるだろうか。

 では又明日。


更新時間 : 23:15:17


10月7日 (火)


はる 868
 鉱石ラジオというのが子供の頃はやった。今のように簡単にラジカセが買える時代じゃなかったので、好きな音楽を聴くにはラジオしかなかった。(この鉱石ラジオのことは前に書いたおぼえがあるので今回はパス)

 私が興味をもったのは音楽もそうだけれど、そのメカニックの方により興味を持った。今のようにIC(超集積回路)などまだ発明されていない頃だったので、単純な豆粒のような鉱石とコイルを巻いたような器具だけで、ラジオが聴けることが誠に不思議だった。それにこのラジオは電池も必要としない、誠に経済的なラジオだった。唯一の欠点は音がイヤーホンでしか聴く事ができないことだ。

 何とか大きな音にならないか、既成のスピーカーでは負荷がおおきすぎるのではないか、では自作の銀紙振動版ではどうだろうか、とか色々試作してやってみたけれど、結局既成のイヤーホンが一番聞きやすいということでがっかりした。

 もう一つこのイヤーホンには面白い裏ワザ遊びが隠れている。ここで披露しよう。まずイヤーホンを二つ用意する。その二つの銅線をばらして+と+、-と-をお互いにつなげる。これだけで簡単な電話遊びができるのだ。糸電話よりはるかに良く聞こえるし、これはいくらはなれていても、距離は関係ないし、電気も必要としない。実際、子供の頃に近所の遊び仲間(100mは離れていた)とこの電話をひいていて、充分活用できた。お試しあれ。

 ではまた明日。


更新時間 : 21:08:59


10月6日 (月)


はる 867
 一気に寒くなった。
 午後から雨。
 南アルプスの北岳に初雪、うっすらと薄化粧した。
 明日の朝は、冷え込むだろう。
 では又、明日。


更新時間 : 21:06:27


10月5日 (日)


はる 866
 人間はその生まれた風土に決定的に左右される。例えば我々の持っている人生観とか、生死観はこのモンスーンの湿潤な気候の中で生まれてきたものだ。

 アフリカの仮面の話を読んでいて興味深い話が出てきた。例えば我々は大きな災害などにあった場合、ある一定以上の被害を受けると諦めてしまうところがある。それは自然がある程度豊かで少しの間やりすごせば、また新しい芽が芽吹いてきて再生するのだということを前提にした諦めだという。アフリカなど環境の厳しいところでは、そういった諦めは、即死に結びつくわけで根本的な生き方の姿勢が当然変わってくるだということだった。

 町を歩いていると、やたらと駐車場が目に付く。古くて使いにくくなった住宅はさっさと壊して更地に還元する。またその方が利用価値が高く便利だと考えられている。

 「スクラップ エンド ビルド」そのことがいけない事だという発想そのものがなかった。古くなったものは、やがて壊れて朽ちていく、またそうすることで新しいめが出やすくなるのだという、ある種の自然観が我々の心根の中にはあるきがする。「永遠」だとか「永久」という考えは元々なかったのだ。

 とりあえず「絶対」というものを作った方が考え方として楽だ。「永遠」とか「変わらないもの」とか「唯一」全て人が考え出したマヤカシだけれど、考え方の基盤としてあった方が生きていきやすい。けれど我々は知っている、それは嘘で全ては「相対的」なもので、「変化」して「変わっていくもの」だということを。

 何だか、つまらん話でごめんなさい。では。


更新時間 : 23:37:35


10月4日 (土)


はる 865
 県の芸・・・協会というのがあって、何年か前にすったもんだしてこの団体が出来た。その内実を良く知らないから、本質的な批判など出来ないのだけれど、その作品展を観てきた。

 街中のあきスペースをなんとか転用して、有効利用しようという趣旨はわかるのだけれど、つぶれたデパートの地下を利用しての展示は、低い天井、コウコウと無機質に明るい蛍光灯、ほとんど人もいない会場、無人のエレベーターの音もむなしく、かなしく、わびしさをまさに絵に描いたような雰囲気だった。もしあれがこの県の最高の文化芸術の集団の発表であるとするならば、例えば子供たちがあの様子みて「芸術文化」なんて何でもいいということにはならないか。あれならば、いっそやらない方がいいのではないか、と思ってしまう。

 結局、政治なのかなぁ。何人か集まれば自然に政治が生まれる。強力なリーダーシップを取れる奴がいれば、何とかそれなりにまとまるのだけれど、それぞれが個々に自己主張しがちな我々は、集まって何かするというのが、もっとも不得意だ。だから何だかしまりのないものになってしまうののだろう。

 もっと言えば、県のトップの方の政治家が何も考えていないから、こういうことになるのだ。あいてるからその場しのぎのイベントをやって穴埋めをする。そんな発想だから何の魅力もない企画しか打てないのだ。本当にあれでいいと思っているのだろうか。

 この町を魅力あるものにしたいと思うから、色々不満が出る。特に特定の団体・人物を批判したものでないので、あしからず。では。
 後日編集


更新時間 : 09:31:51


10月3日 (金)


はる 864
 今日は予定外の散髪が入って、午後の予定がくるってしまった。いずれどこかで行かなくてはならないことなんだけれど、子供の頃から散髪は苦手だった。我慢に我慢を重ねて、もうどうにもならなくなってからシブシブ出かけた。行けば行ったでけっこうすっきりして気持ちがいいのだけれど、決心するまでが何だか嫌なんだ。

 大人になっていいことは、散髪に行かなくても誰にも文句を言われないことだ。

 我々が若い頃はヒッピーというのか乞食ファッションが大手をふっていて、誰も彼もがおおかた肩まで髪を伸ばしていた。私も随分我慢して長くのがしていたけれど、ロングヘアーは不精者にはあわない。ばっさり坊主にしたり、眉毛をそってみたり、今から考えると色々とバカをやっていた。

 遠い昔のことだ。なつかしい。では又明日。


更新時間 : 23:48:44


10月2日 (木)


はる 863
 130号(194x162cm)などという大きさは、今のアトリエでは容量を越えている。まだここに引っ越して間がない頃は、それでも何とか横長の構図で描けたのだけれど、今の状態では物理的に縦長の絵しかかけない。

 一ヶ月ほど前に頼んでおいた130号のパネルが来た。ちょうど個展の小品を描いている最中で、とてもそれどころではなかったのだけれど、何とかだましだましアトリエに運んで、大作のコーナーに据えた。この場所にはもうすでに3枚以上のパネルが重ねられていて、段々に前にせり出してきている。このままの重ねて行けばそのうちに、トイレに入る時も困る状態になってしまうだろう。

 さて今日は天気も良いのでパネルを引っ張り出して、綿布の水張りをすることにした。130号を床に寝かせてなんとか足場を確保して作業するのは、軽業師のようにたいへんなことだ。日本画の作家は大体寝かせて絵を描くらしいから、けっこう姿勢的にも重労働だと思う。

 午後から家の者が全ていなくなったので、安心してこの作業にうつれる。アトリエは我が家の交通の要になっているので、人がいるとけっこう面倒くさいことになる。

 一応夕方までには作業が終わった。あ~~ぁ疲れた。



更新時間 : 20:35:52


10月1日 (水)


はる 862
 10月ですね.
 
 一日缶詰。疲れたのでもう寝ます。
 お休みなさい。



更新時間 : 22:58:39



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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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