あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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2002-9 - 2002.09.01(日記)
                過去の作品コメント

                1978「張子の馬など」
                1980「笛を吹く少女」
                1982「公園の午後」
                1982「秋の丘」 
                1986「花束を持つ人」
                1990「私的情景」
                1992「方舟3」

                2002 9月
絵描きのぼやき
9月30日 (月)


はる 518
 いよいよ九月も最後になってしまったね。明日からは十月当たり前か、秋も本番です。芸術の秋、なんて言うけれど絵描きにとっては夏がかきいれどきで、秋にはもう仕事は終わってる感じだね。秋に慌てて仕事しても発表するのは冬になってしまう。
 さて今日は一日忙しいのでこれでおしまいです。それではまた来月。


更新時間 : 08:43:01


9月29日 (日)


はる 517
 今年の地元の個展のDMの作品を決めた。毎年この選択に四苦八苦するのだけれど、今年は意外に早く決まってしまった。(ギャラリーのトップ絵に晒してあります)
 この作品も実際は昨年からかかわっていた作品の一つだ。だからといって随分と書き込まれた絵だというわけではない。下地にはネパールか何処かの粗い紙が張り込まれていて、その植物の繊維が素朴な肌触りを感じさせる。
 昨年清里のギャラリーでそういった外国の紙の展示をやっていてけっこう面白くてかなりの量買ってきた、なんとか作品に利用できないかとやってみたけれど、結局上手く行ったのはこの作品だけかもしれないなぁ。
 頭の中にちらっとクレーの天使の絵があって、何時かあんな具合に作為なくすらっと描けたらいいなぁと思っていた。パネルに悪戯描きしてしばらくほっておいたら偶然に天使が見えたので、そのまま拾い出した。どんなもんでしょうか?


更新時間 : 21:49:10


9月28日 (土)


はる 516
 「張子の馬など」1978  作品を観る
 中学校の頃、三つ年上の兄貴が自分の部屋の壁にセザンヌの絵を何枚か貼り付けていた、どうみても歪んでいる壷やビンがどうしていいのか良く分からなかったけれど、その当時兄貴より頭のいい人間を知らなかったので、「ふ~んセザンヌか」とインプットされた。今考えるとたぶん兄貴もよく分かっていなかったと思うのだけれど、なぜセザンヌが近代絵画の父と言われるのかそれが少し理解できたのはずっと後のことだ。
 静物画というジャンルが絵画の一領域になったのはそう古い事ではない。絵画が宗教画や貴族の肖像画以外に画家自身の描きたい物を描くという時代になって初めて可能になった領域だ。
 学校に入って何枚も静物の習作を描いているうちにあることに気付いた。絵画というのはこの四隅大きさで閉じられた世界なのだ、完結していなければならない。それでここにある「ある種の秩序」はこの閉じられた世界でだけで通用するのではなく、ありとあらゆる世界でも通用しなければならないはずだ。私は神になってこの閉じられた世界を「ある秩序」にしたがって構築する・・・。ここでセザンヌと邂逅をはたす訳だ、ながかった。
 この絵をみると上から覗いたような構図もそうだけれど、色もセザンヌをまねしていることが分かる。
 


更新時間 : 23:23:32


9月27日 (金)


はる 515
 0209f100 「製作過程1~4」
 アトリエの現在進行形をアップした。どうも最後までちゅうちょしたのはどうしてだろう。間違ったら暴露主義のゲテモノのなる可能性があるからかもしれないなぁ。こんな時代になってもアートはやや秘められた部分があって、白日の下に晒さない方が何やら秘め事めいていて付加価値がありそうな気がするからかもね。「秘すれば花」能の世阿弥は上手い言葉で表現した、そんなもんかな。
 しかしまぁ時代は進んでいる。いいか悪いかは後日判断してくれ、とえあえず今回は最後まで経過を晒していきます。同時進行のWEBギャラリーを楽しんで下さい。たぶん上手く行けばそのまま東京の個展に展示します。


更新時間 : 22:46:03


9月26日 (木)


はる 514
 「思考する魚」2002
 絵のタイトルを考えるのはとても楽しい仕事だ。よくやる間違いは、例えば具体的な赤い花に「赤い花」とつけてしまうこと。これでは「武士のさむらい」になってしまう。イメージはそれ以上でもそれ以下でもなくそこで終わってしまう。これではまことにもったいないし観に来てくれた人に申し訳ない。
 「作品1」とか「風景2」とか無機的な番号をタイトルにする人がいるけれど、それはそれで一つのスタイル(絵から文学的な物語を排除する)として統一してやり通せばカッコいいけれど、どうも私にはもったいないなぁと思ってしまう。
 この絵のタイトルは随分長く考えた。こういった具体的な形がはっきりと分かる物は、名前をつけにくい。本当はもう少しやさしい名前を付けてやりたいのだが、いまのところこれ以上のタイトルは浮かばず、会場では違う名前になっている可能性は充分にある。


更新時間 : 19:03:28


9月25日 (水)


はる 513
 今日も一日パートタイムの仕事。私にとってこういった仕事の形態はもう何年ものキャリアがある。(自慢じゃないけど)フルタイムで仕事した事の方がずっと少ない。
 京都の南の外れ石清水八幡宮に何年か住んでいたことがある。今考えると随分粋な所に住んでいた。日本の歴史書や古典をみると必ずちらちらと出てくる由緒ある場所だった。住んでいた当時はまるっきり興味がなかったのだけれどね。
 そこから大阪のバイト先や京都の焼き物の絵付けの仕事に通っていた。大学を受験しょうと思ったときデッサンは京都の関西美術院で勉強した。ここはなかなか由緒あるところで、もともと浅井忠のひらいた聖護院美術院から来ている伝統ある研究所だ。今はどうなっているのだろうか。
 午前中近くの八百屋さんでバイトして午後から京都までデッサンに通った。ここのバイトがいままで一番きつかったかもしれない。朝市場から買ってきた荷物をトラックから降ろして、倉庫にある古い荷から先に店に出していく。バイトはほとんどが大学生か浪人生で短期間に変わっていく、私のように長く同じとこでバイトする者は少ない。だから自然に裏方の頭になってくるわけで、そこらへんももきつかった。もちろん肉体的にもしんどかったなぁ。
 何の話をするつもりだったのか、へんな処に迷い込んでしまった。消すのもしゃくなので、このままアップします。



更新時間 : 22:58:09


9月24日 (火)


はる 512
 今日は一日立ち仕事ゆえ何も書く気力なし、あしからず。


更新時間 : 21:40:22


9月23日 (月)


はる 511
 「私的情景」1990 サイズM150  作品を観る
 絵を描こうと思う動機は色々だ。ややもすればしぼんでしまう自分の動機を叱咤激励し、鼓舞し続けなくてはなかなか描き続けられるものではない。特に売れる当ても無い大きな作品はよほどの内的欲求がないと描けない。
 この前の年に一応学校を卒業してから出品し続けていた、中央の日展系の公募出品を止めた。理由は色々あるけれど当時の絵柄が段々に具象絵画から離れて来たこと、大学の先生の影響から離れたかったこと(先生の絵は個人的には好きな絵だったけれど)などなど、具体的には初めて落選したということが引き金になった。
 それで単発のコンクールに照準を合わせた。これは県内の二年に一度の大きなコンクールのために描いたものだと思う。今までに描いた作品の中で一番大きなサイズの絵で、移動や収納が便利なように真中で半分にできるようになっている。
 前に会場画は面白くない、と言う話があったけれど、この絵なんかも会場画の典型で、作品のインパクトはそれなりにあると思う。けれど内容はほとんどなにもない。単に大きな絵がそこにあるというだけのものだ。けれど評論家などの受けはよかった。やる気になった。誉められることは幾つになっても嬉しいものだ。


更新時間 : 20:59:34


9月22日 (日)


はる 510
 今年のサブタイトルのことがあって「あそびをせんと・・」を検索して調べる。私のボケた記憶では良寛さんの歌だとばかり思っていた。「あそび」「こども」とくれば子供と一緒にあそぶ良寛さんの絵が浮かぶ(誰の絵か忘れた)平櫛田中のやや釣り目の木彫の良寛さんも脳裏をかすった。しかし全くけんとうはずれ、平安時代の今様・「梁塵秘抄」からきたものだった。
 「今様」というのはただ単に昔風の歌とばかり思っていたのだけれど、読んで字のごとく「今風のうた」という意味だった。今でいうならば「流行歌」「今風Jポップス」みたいなものだ。当時、約千年前の最先端のはやり歌なんだ、これが。驚いた。

 学生の頃、教育実習に行った。教育学部は付属の学校があるのでそういった意味では恵まれていて、わざわざ自分の母校に頼みに行かなくても済む。音楽の実習だったと思うけれど、大学の教授が何かで記念講演をやっていて、自慢話をしていた。ええ加減に聞いていたのだが、ここだけははっきりおぼえている。「私が唄えば、この教室の窓ガラスがびりびり鳴ります、見ていて下さいな」。付属のボロ校舎だったけれど、一人の人間の声だけでまさかガラスが鳴るとは思っていなかった。歌はイタリア民謡「帰れソレントへ」イザイザ・・・。
 結果は教授の思惑通り、全てのガラスがびりびりと鳴って、満場の拍手を受けていた。

 言いたかったことはそのことではない。「梁塵秘抄」の「梁塵」とは、上手な歌手が歌えば「梁」(はり)に積もった「塵」(ちり)もびりびり震えて落ちてくるということらしい。


更新時間 : 23:24:32


9月21日 (土)


はる 510
 「クロッキー1」
 中学生の時初めてクロッキーなるものを授業でやった。友達が順番に机の上でポーズする、普段の彼らの表情ではない新しい顔を発見してドキドキしたおぼえがある。
 その時の先生が前に一度このぼやきに登場した私の担任だった。子供にとって中学の美術の先生は、初めて見る絵の専門家である。だからかれの言ってることは真剣に聞いた。
 まずクロッキーとは「一筆書きである」ときいた。次に「線には表情がある、細いのやら太いのやら色々だ」そんなものかと妙に納得した。それから幾星霜未だにその言葉が頭からはなれない。私はこと絵に関しては素直ないい生徒だったようだ。



更新時間 : 17:47:53


9月20日 (金)


はる 509
 今年の個展のサブテーマをずっと考えていてなかなか上手い言葉が見つからずにいた。こういった言葉というのはまさに天から落ちてくるようにぴたりと当てはまることもあるけれど、ウンウンうなっても出てこない時もある。これはきっとコピーライターがコピーを考えるのと似ていると思う。どうでしょうか?
 「こころのあそび」というコピーを考えたのだけれど、どうやら当たらずも遠い気がしていた。去年の「みみをすます」がとてもすなおにストンと腑に落ちた比べて、こじつけくさいなぁと思わない?
 絵を描いている時は何も考えない、でたらめに好き勝手、貴方の望む方にどうぞ、って感じで進めていくのだけれど、ここに来て困ってしまった。
 キーワードは「あそび」なんだけれどね。そのままにするか・・・。
 で今日ふとこんなフレーズが「「あそびをせんとや 生まれけむ・・」これだ!とおもってネットで調べてみた。こんな時べんりね。で今回は「あそびをせんと」に決まり
 以下に正しく載せておきましょう。

 「遊びをせんとや 生れけん  戯れをせんとや 生れけん 遊ぶ子供の声聞けば  我が身さへこそ ゆるがるれ」 (「梁塵秘抄」より)
 


更新時間 : 20:46:04


9月19日 (木)


はる 508 
 「さいわいびと」2002
 三遊亭円歌(字が不確か)師匠の十八番に「やまのあなあな・・」ってのがあった。本歌の方は良く知らない、本当に無粋者ですが、師匠のおかげで気持ちのいい詩を少しだけ暗誦できました。多謝。
 「さいわいびと」なる言葉は実際には存在しない、私の造語になるのかなぁ、ここのところ「・・びと」ってやつに多分にひっかかりを感じている。「まれびと」しかり「ちるちんびと」(単に雑誌の名前)しかり。
 で「山のあなたの空遠く、幸い人、の住むという・・」ときて私の句読点の打ち方が可笑しいことに気が付いた。正しくは「幸い、人の住むという・・」が正解。ずっと私は「幸い人」という人種が存在するのだと思っていた。あぁ世の中には幸せな人たちがいるもんだなぁと思い込んでいたのだ。しかし「さいわいびと」っていいなぁと我ながら思ってる。なんとなく幸せになりそうな気がしない?
 


更新時間 : 19:06:00


9月18日 (水)


はる 508
 昔からそうなんだけれど、人一倍物覚えが悪い。特に人の名前がほとんどおぼえられない。少ないとはいえ子供たちに接する仕事ゆえできる限り名前で呼んであげたい。「おい、お前!」って言われるより「佐藤!」って呼んだ方が即効性の効き目があることが分かっているし、先生に名前をおぼえてもらったというある種の「存在証明」みたいなものもあると思う。
 人は何だかんだ言っても「親」の次に「先生」に認めてもらいたいと思ってる。これはよく反対をいう人もいるけれど、そんな人は希だね。だからできるだけカンニングしても名前で呼ぶようにしている。
 特に定時制にくるような生徒は、色んな意味で紆余曲折してストレートに学生生活を送ってきてない生徒が多い。能力ににも大きな差があることは否めないけれど、何かしら心に殻を持っていると感じる事が多いなぁ。私はけっしていい先生ではないけれど、そういった社会からはみ出さざるをえなかった人間に多少なりともシンパシーを感じられることは、彼らにとって居心地のよさを与えてやれているのではないかと自負しているのだ。彼らにとって美術の時間は大変だけれど面白いと思って貰えたらとても嬉しい。だからと言ってけっして甘くは無いけれどね。生徒諸君どうでしょうか?


更新時間 : 21:03:17


9月17日 (火)


はる 507
 「笛を吹く少女」1980  作品を観る
 学生の頃何人か有志が集まって、夜モデルを頼んで人物を描く勉強をやっていた。当時学校はいつでもロックされることがなく、アトリエは使い放題だった。時々夜警のおじさんがやってきて不審な顔つきで帰ってゆくだけだった。(今はどうなってるのか、よく知らないので)いつか夜警さんの方から先生に泣きがはいって、注意された「まるでヨタカのような生活はやめなさい!!」ということでそれからその絵を描く会の名前を「よたかの会」ということにした。無論卒業するまでそんな生活が続いたことは当然のことだ。
 この絵はそういった人物画の習作のひとつだ。学生の頃はキャンバスを買うお金もなかったので、これは安いベニヤ板にジェッソの地塗りをしたものに描かれている。学生時代の習作はほとんどすべてこの方法だ、けれど今のところ剥離している気配はない、これから先はわからないけれどね。
 人物はわりとオーソドックスに描写しているけれど、バックは立体派の分割に興味が出てきた頃だ。ここから長い道のりが始まる。
ps.
フルートに見えるのは実は新聞紙をまるめて即興で作った、そんなことを今頃思い出して妙に懐かしい。


更新時間 : 19:55:02


9月16日 (月)


はる 506
 昨日は一日裸婦のクロッキーを楽しむ。朝10時から昼飯をはさんでびっちり4時半ぐらいまで、10分の休憩以外ほぼ休みなしにぶっとうしで描くと、最後にはくらくらするくらい疲れる。いつもはそれほど一生懸命絵を描いていないということが判明した。
 近くの美術研究所の受験生が何人か顔をみせて、一心不乱にデッサンしていた。何だか懐かしいような、受験で絵を描くのはつまらんだろうなぁなんて同情した。しかし我々がはじめて裸婦に接した時は完全に舞い上がって、ほとんど何を描いたか憶えてないくらいだったけれど、彼らは妙に落ち着いていてもうすでに老成してるかのようだった。それはちとさみしい気がするぞ!でもまぁそんなもんかなぁ。
 そろそろ今年の新作も終わりに近づいてきた。これからは色んなパターンの更新となるでしょう。大きい作品の場合途中経過をアップするのもWEBギャラリーならではのことで、面白いかもしれない。当然失敗するかもしれないけれど、それも見せてしまうわけだ。スナップ写真をそのままアップすることもあるかもしれない。これも絵描きの日常ということで、面白いかもしれない。他クロッキーや落書きなんかも面白いかな。あまり堅苦しく考えると続かないので適当に楽しんでください。
 それではまた。



更新時間 : 21:35:45


9月15日 (日)


はる 505
 「公園の午後」1982  作品を観る
 学校を卒業して自由にどんな絵を描いてもいいのだよといわれても、いざ描こうとしても何もかけないことが分かる。実のところ自由というのは「自分の心の中」にあって自分を良く分かっていなければ自由もまたないのだ。自分を深く掘り進めるにしたがって徐々にその自由の分量がひろがってゆくのが感じられる。
 一時かなり抽象に興味を持った。明らかにある作家(木村忠太)の影響を受けているのがわかる作品だ。色と形とが自由自在に画面のなかを行き来するこの作家の絵に強い衝撃をうけた。抽象的な墨絵を見るように黒い線が縦横無尽に画面を行き来し、色もほとんど固有色を離れ思うがままの色が置かれている、にもかかわらず画面全体からはロマンティックな雰囲気が感じられ私のような若造を一気に虜にする何かがあった。
 夢中になってオリジナルの画集を買ったりその資料を集めた。知れば知るほど絵はそっくりになっていく。一年くらいそれが続いたかなぁ、やがてまた自分の作品に戻っていく。しかし少し影響を残しながら変わっていくようだ。
 今でも木村忠太は好きな作家の一人だ。


更新時間 : 21:34:44


9月14日 (土)


はる 504
 きょうは朝から雨だった。それ故日中もあまり気温も上がらず気持ちのいい一日だった。

 街中にこの街では老舗のデパートがある。そのデパートも最近あぶないという噂を聴いた。まぁなぜ駄目なのか一度中に入って買い物をすればよくわかる。むろん時代も悪いのだけれど、店員さんに元気がない。これじゃやっぱり楽しくないのだ。これは大きなポイントだと思うけれど、関係者諸君どうだろう?
 いっとき景気がいい頃はこんな小さな街でもデパートが何軒かあった。しかしこの頃は町中は地盤沈下が激しく、デパートはもちろん大手のスーパーも手を引いてる状態だ。明らかに町中には人影も少なく、その分魅力もなくなった。商工会議所もあわててなんだかんだ手をうってはいるようだけれど、後手後手で上手くいってるとは思えない。午後五時を越えたら町中はシャッター通りとなり、商店街は妙な奴らが跋扈する無法地帯と化す。面白いことは面白いのだけれどまともな人間が楽しめないような街は死んだと言うことだ。
 全国どこでもそうなんだといことを聞いた。街は人で成り立っている。人が行って楽しめないようなところは次第にくたびれていくのは目にみえているのだ。
 イタリア滞在記の中にこんな事を書いた。少し関係ありそうなのでここに載せておきます。

「 このアーチをくぐって行くと、小学校前の道につながる。たぶん何百年も変わらないこ の街角の風景は、子供たちの親もそして又その親も見た風景なんだろう。変わらない事は 変わる事より難しい。町のあちこちで修復がなされている。たとえ石造りの建物にしても ほっておけば、やがて崩壊していく。自然なままに見えて、実は精一杯の努力をしている 。その根底を成しているものは、本当にいいものはいつまでたってもいいものである、と いう自国の文化に対する絶対の自信と誇りである。それらの事は、そこで生活する人にも 言えて、子供たちと年寄りが広場や公園で同じ場を共有し、お喋りに興じている。老人は 自分の人生に自信と誇りを持ち、若者たちはその姿に将来の自分を見る。
 町は人がいてそこで生活し、学校や美術館があり、人々が集まるカフェやバー、公園や 広場があってそれらが有機的にバランスよく配置されていて、子供も若者も年寄りも隔て なく楽しく生きていけるのが理想だと思う。十年経ったら全く町が変わってしまった、と いうような大きな理想のない町づくりは、永い目でみればとんでもない無駄 だと思う。古 ぼけた一本のアーチのある通りを見ながら、そんなことを考えた。」


更新時間 : 21:35:15


9月13日 (金)


はる 503
 「きいろいはな」2002
 今年の作品といえるのかな?。実際のところ手を入れ始めたのは去年の今頃だった。本当に小さい作品だけれど、大作よりも時間はかかっていることになる。大きいか小さいかは作品の質にとってあまり関係ない、一点はいってんなのだ。
 作品になるかならないか、そこは紙一重の差だとおもえる。そこはとても微妙なところだ。この絵も最初はもう少し何かを描き込んでいた、けれど描きこめば描くほど説明になってくる、作為的になってくる。この間の「花束を持つ人」の説明で(表現が生で恥ずかしい)と書いたけれど、言い換えれば(表現が作為的で・・)ということだ。
 絵は何も描かれてないのが一番すがすがしい状態かもしれない。しかしそうもいかず、作家はそれに一筆下ろす、とたんに望むと望まざるにかかわらず、天と地がそこにでき、描けば描くほどに「ほんらいの自然」とはかけ離れていく。
 没我の状態というのは凡人にはなかなか難しいのだけれど、例えば一心に物を見てデッサンしてる状態は没我に近いかもしれない。そういった意味ではものを見て描くというのは修行にはなると思う。
 描かないで描くといった禅問答の話を前に書いた憶えがあるけれど、作家の作為と自然とか一体となって分けられない状態になったときに作品は出来上がる。

 なんだか訳がわからんねぇ。ごめん、また。
 


更新時間 : 13:15:02


9月12日 (木)


はる 502
 題名にだまされて映画「チョコレート」を観た。というのは少し前に観たフランス映画?「ショコラ」がとてもよかったのでそのせんを期待していた。何の関係もないつまらん作品だった。

 今年の個展のタイトルを考えている。今日は一日パソコンにむかって文章を書いていた。以下にその下書きを載せましょう。

            2002年個展によせて
            「こころのあそび」       
 「スローフード」という言葉を初めて聞いたのはもう4、5年前になる。実は世の中が少しスピードダウンしてきたがために、食べる事も「ファースト(速い)・フード」に対して「スロー(ゆっくり)・フード」しようという話だ。何でも便利が一番で、「速い、安い、うまい」を生き方として選択するのではなく、少しぐらい遅くてもゆっくり楽しみながら味わおうじゃないか、というアンチテーゼだ。
 バブル全盛の頃、次は大型のレジャーだというので全国各地いたるところに豪華なレジャー施設ができた。しかし考えてみればなさけないことに我々は「あそび方」を知らなかった。つわものどもの夢の跡、後には巨大な廃屋と莫大な借金が残った。
 ゆっくり遊ぶためにはそのための道具が必要だ、それは一昔前のレジャーセンター的な「遊ばせてもらう」道具というものではなく、大切なのは「面白がる感受性」ということだろう。これはすぐには手に入れることができない「こころの道具」なのだ。
 昔から我々の先人はささやかな事に面白さを発見するのを得意とした。もし本当にゆっくりと生きることを望むならば、もう一度先人たちの「こころのあそび」を学ぶべきなのだと思う。
 さて今年も心に浮かんだ色々なイメージを作品にしました。こころあそばせてもらえると嬉しく思います。





更新時間 : 23:03:58


9月11日 (水)


はる 501
 「花束を持つ人」1986  作品を観る
 色の好みというのはほとんど変わらないのだなぁ、と久しぶりにこの絵を見て思った。どうも表現が生で恥ずかしい気がするけれどまぁこれも私の一部でしょう。
 表現はいつもらせんを描く。どういう意味かといえば、一時大きく何かしらの影響を受ける、だいたい今までの絵とまったく違う絵に反応する。具象的な絵になってきたなぁと思っていると大きく抽象的な絵に反応したりする。でそんなことを繰り返して段々に自分の絵をつくっていくのだな。
 この「花束・・」は自分の中ではかなり具象に傾いたときの絵ということになる。日本画的な描法と古い日本の絵巻物なんかの感じがほしかった。それとホイックニーの洒落た画面構成なんかも欲しかった、それらをミックスして割ったような絵だ。
 個人的にはかなり思い入れのある作品だ。


更新時間 : 09:25:55


9月10日 (火)


はる 500
 どうだ!記念すべき500回になった。2000年の9/15からだから約二年ということか。

 この間トラブルがあった時に一部をプリントアウトしたら、これはこれはすごい量だったので途中でやめにした。どうもアナログ人間の特徴で実際に手に出来ないものは、存在しないと同じでね。いくらパソコンの中にあると言われても、いささか心もとない気がする。
 住民ネットなんかでも、紙の無駄を省くなんていいながらも結局何だかんだで、元の紙の台帳みたいなものはなくならないと思う。これってよく思うのだけど、自分の住所録なんかでもパソコンの中に取り込んであるからもう大丈夫なんて思っていると、大きな間違いでね。いざ電話なんて思って調べるときにいちいちパソコン立ち上げてなんてとても面倒でやれない、それに意外に住所って変わるから、昔ながらの手書きの住所録の方が便利だったりするんだなぁ。
 とは言いながら、これからもこうやってネット上に書き晒していくつもりです。今までとおりよろしくお願いいたします。


更新時間 : 14:47:52


9月9日 (月)


はる 499
 「散歩道」
 この絵は最初からある程度何を描くか決めていた。だからといってそのまま仕上がる事はほとんど無いのが私の絵なのだが、この絵は最初のイメージ通り仕上がった希な絵だ。
 実家に長い間家族の一員として暮らしていたワン公がいた。姉はそれはそれは本当に可愛がっていた。ワン公の名前を呼ぶのに息子や弟の私の名前を呼ぶ事も多々あった。(どっちが大事なんや!)
 今年になってまぁもう爺さん犬だったので、近いなぁとはおもっていたのだけれど、夜中にその姉から電話があって彼の死を知った。どうも、もうなんの慰めの言葉もかけようがなかった。
 たぶんそんなこともあってこの絵を描く動機になったんだと思う。
 長い間ありがとう。りゅうくん。


更新時間 : 09:47:30


9月8日 (日)


はる 498
 昨日の「北の国から」を観ても、この間から考えていることと同じ感慨を持った。あのドラマはよく知られているように、もう21年も続いている。主人公の純君は子役から出発して今は役者としても活躍しているけれど、実際にもう30をこえる大人になっている訳だ。その親父役の田中邦衛はもう爺さんだ。彼も若い頃は加山雄三の「若大将シリーズ」でヘタな脇役やっていたけれど、年食っていい味になってきた。いやいやそんなことを言おうと思ったわけじゃない。彼らも充分歳食ったけれど、私も歳食ったんだなぁということだ。
 さて今日はここまでまた明日。


更新時間 : 20:57:39


9月7日 (土)


はる 497
 昨日、今日と「北の国から」を楽しみながら見た。ちょうど主人公の成長や親父の話がいつも自分たちと重なって泣いてしまう。情けないけれど泣かされてしまうなぁ。
 という訳で今日はお終いです。また明日。


更新時間 : 23:10:52


9月6日 (金)


はる 496
 「秋の丘」について   作品を観る
 もう20年も前の絵になるのか。10年一昔なら20年は遥か彼方になってしまうなぁ。
 学校を卒業して、一時埼玉の所沢の中学で教員をしていたことは何度かここに書いた。で何だかんだトラブルがあって、また学生時代を過ごしたこの地に舞い戻ってきてしまった。もう他に何処にも行く所がなかったというのが本当のところ。
 学生時代にはあまり気にもしなかったのだけれど、東京から八王子を経て山又山の笹子トンネルを抜けると、一気に視界が広がるこの風景は私にとってこころ休まる景色だった。勝沼のぶどう畑が目に快い。
 学生時代の延長ではない自分の絵が描きたかった。静物画は六畳一間では物理的に難しい。それよりも何とかこの「なだらかな丘の起伏」を絵にしたかった。原付のバイクを酷使して盆地の周りの丘の風景をやたらにスケッチしてまわった。それをなんとか自分の部屋で絵に出来ないものかと四苦八苦していた頃の絵だ。
 次の年に「四季の丘」と題して、地元で久し振りに個展をした。その時の一つだ。


更新時間 : 18:46:37


9月5日 (木)


はる 495
 信長が死ぬ時例の「人生五十年~」っていう歌を唄ったとかなんとか。嘘か本当かだれも確かめたわけではないけれど、確かに人生は五十年ぐらいがちょうどかもしれないね。
 色んな動物の中で子育てが一段落して、それから尚20年も生きる動物はいない。「種の保存」の原理から考えれば、これは全く無駄以外のなにものでもないわけで、日本が世界に冠たる長寿の国だなんて誇る事さえ可笑しいということになる。
 反対に考えて一応役目の終わった生き物が生かされているのには何か特別理由があるに違いない、それでなければ「不必要な物は自然に淘汰される」という大きな前提が壊れてしまうことになる、と少ない頭を働かせて考えた。しかしこれが全く一体全体何のために長生きするのかわからない。長く生きるという事に何の役目があるのだろうか?
 何かで読んだところによれば、昔人類にも色んな種がいたそうだ。である時とんでもない天災がこの地球上に降りかかった。そのとき何とか生き残った種にはなんと長老がいて色々昔からの知恵を若者に伝えたそうだ。でそのDNAがやがて人類を長寿にしたと言うことだけれど、本当か?


更新時間 : 22:48:34


9月4日 (水)


はる 494
 「方舟3」   作品を観る
 きのうまでのトップ絵は10年前の何かのコンクールに出品した絵だ。結果はよく覚えてないところをみるとあまりいいものではなかったのだろう。
 公募展の功罪がよく言われるけれど、私は若いうちはできるなら色々出品して度胸だめし、運試しでやってみればいいと思う。だめでもともとうまくいけばチャンスをつかめる。いいか悪いかは別にして運も実力のうちだと思う。いつまでが若いのか、これが問題だけれど。
 この頃が一番他と競っていたかもしれない、そういう意味ではパッと見たときの印象や、どう見えるかといった見てくれに一番気を使っていたようなきがする。まぁそれも表現としてとても大切な要素なんだけれどね。実際この頃が一番評価が高かった。その後なかなかそれを越えられないところをみると、世の中に出るにはそういったコンセプトが大切なんだと今頃気付いた。

 今回の「写真館の親父」の話
 画面ではよく分からないけれど、絵の描かれている部分は周りより五ミリほど低い。感じとして古いヨーロッパのイコンの下地ににているかな。茶色の周りの部分は今どこかで話題になってる、弁柄です。下にかなり強い黄土が塗られているので少し明るい茶という感じがする。周りの白は日本画で使用する胡粉の固まったたものを砕いて使った。適当にひび割れて面白い効果がでた。
 これにマリア像でも描けば一番似合うだろうけれど、それじゃ面白くない。あーだこーだやっているうちに最初に古いカメラが見えてきた。こうなればもう出来たみたいなもんだ。とぼけた親父をそれに描き加えてお終い。心のどこかに「ニューシネマ・パラダイス」のトトとアルフレードの物語があった。


更新時間 : 19:03:26


9月3日 (火)


はる 493
 今日は一日立ち仕事ゆえ何も書く気になれず、あしからず。


更新時間 : 22:48:41


9月2日 (月)


はる 492
 絵描きのホームページでありながら、テキストにくらべてギャラリーが不充分だとはいつも思っていた。いいわけをすれば、このページを立ち上げたとき積極的にウエブで発表しょうとは考えていなかったからだ。たぶんこれからも基本的には発表は個展というかたちに変わりはないけれど、少しギャラリーの方にもてを入れるつもりだ。
 ホームページを立ち上げた当時、ここには97年以降の作品しか載せないつもりでいた。(油絵を止めてミクストメディアになってからの作品)理由はウエブギャラリーは同時進行のギャラリーにこそ意味があるかなぁと単純に考えていたからだ。もっとも人任せのページだったので手が出せなかったというのが実際の所だな。ここに来て少し自分で操作できるようになって欲が出てきたのかもしれないね。
 少し待っていて下さいな。学生の頃の恥ずかしい作品も晒そうかと思ってます。見たい?
 
 
 


更新時間 : 22:27:02


9月1日 (日)


はる 491
 九月になりました。
 セップテンバーです。又後で

 昨日の「ぼやき」だけれど、表紙絵と関係があるのでとりあえず貼り付けておきます。
 「ソナタ」
「中学校の音楽の時間にはじめてバイオリンを聴いた。もちろんそれまでにも聞いたことはあったのだろうけれど、意識した事はなかった。たぶん「名曲を聴く」とかなんとかのコーナーだったきがする。
 なんとも不思議な曲で誰かが傍でしゃべってるのではないか?そんな気がして振り返ってみたりした。(後で知ったことだけれど、実際に演奏家がしゃべっている録音だったそうだ)今では知る人ぞ知るの名曲でクラシックの中でもメジャーな曲の筆頭だけれど、中学生の耳にははや過ぎたし、当然今までに聴いた事が無かった。
 サラサーテの「チゴイネルワィゼン」はジプシーの民謡から取ったらしい、もちろん詳しくはしらないけれど何処か哀愁のあるあのメロディーは一度聞いたら離れない。ガキの頃からけっこう耳は年増好みだったらしい。
 で、もう何年か前だけれど、よせばいいのにこの年になってバイオリンがやりたくなった。簡単なセットの楽器が手ごろな値段で売っていたのが悪い。ぜったい途中で投げ出すことは見えていたのに買ってしまった。それでも何ヶ月はやったんだよ。今じゃ完全に私の頭の中でオブジェとなり、今回の絵のモチーフと化した。全く無駄でもなかったかな。」









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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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